2020/09/18

126)それにつけても

 越氏の挑戦記に小さからぬ紙面をさき、継続掲載している朝日新聞大津総局への疑問を書きます。本筋の裁判とは関係のない話ですがメディアの見識が問われる問題です。この連載の趣旨は、地元女性の活躍紹介、辞めたばかりの市長の回顧録、「アリス」が遭遇した男社会の不思議さといったところでしょう。この中で「市長の回想録」の要素が疑問です。

 越氏は回想録の中で内発的な動機や市政運営の成果をめぐって「物語の修正」を試みていると私は解釈しています。「人の話を聞くことが喜びだった」、「やり切った満足感がある」、「最初から期限を決めていた」等々、越氏の言動を見聞きし、それにつき考え続けざるを得なかった私が仰天するような記述に満ちていることが一つの証左です。前の記事では越氏の誇大広告についても指摘しました。

 それらをあえて不問に付すとして、それを新聞が垂れ流していることに大きな問題があります。時おり滋賀版に登場する武村元知事はすでに評価の定まった方で、その「昔語り」は歴史的な証言たりえますが、越氏はそうではなく、それどころか公文書疑惑の渦中の人物です(不祥事隠蔽、パワハラ疑惑など他にも色々あります)。

 権力を監視すること、事実を正しく報道することはマスメディアの重要な仕事のはずですが、辞めたとはいえこのような市長の「言いたい放題」に対し、ノーチェックで公的拡声器を無償提供している朝日新聞大津総局は弛緩し切っています。まして同局は8年にわたる越市長の動向を取材、調査し、市民が普通は知りえない多くの事実をつかんでいます(新聞社として当たり前のことです)。それをもって越氏を断罪すべしとは言いません。しかし、せめて複眼的な視点に立って事実の報道を目ざすべきだと思うのです。

 日本のマスメディアは権力に弱いと言われます。政府の記者会見ひとつを見てもそう思います。歴史的、構造的な問題も背景にあるようですが、こうした体質が地域の日常をフィールドとする地方版の片隅において露頭したのが「ガラスの天井~越直美の挑戦記」であると思います。これは「公のワタクシ化」の現象でもあります。私はひとりの購読者として大津総局に対し、新聞の使命に照らしてこうした記事が問題ないかどうかを再検討されるようお願いしたいと思います。「大津市公文書裁判」は今後も続きますが、はたして朝日新聞滋賀版は、越氏への忖度なしに公正な報道をすることができるでしょうか。





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