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2015/08/30

13) 大津市政の現状 3 (市長としての資質)

大津市政の現状についてシリーズで書いていますが、今回は「信頼」についてです。
他者を信頼する、あるいは信用するということは、受動的ではなく極めて能動的な行為だと思います。リスクを伴うこともあるでしょう。しかし、「信頼」がなければ多数の共存は難しいと考えます。
私は、倫理的な徳目としてではなく、組織の長に求められる「信頼する力(あるいは覚悟)」のようなものを念頭において記述しています。詳しくは下記をクリックして「大津市政」のページをご覧ください。ページが開かなければお知らせください。


大津市政3(市長としての資質・信頼するということ)




大津市政 3 ~市長としての資質 ②信頼するということ~


②  信頼するということ

信頼は美徳の一つというより、むしろ人間の相互関係(家族から地域社会、さらにその先へと広がる関係性)を形成し維持するために個人に求められる基本的資質であると考えますが、そもそも聞く耳を持たなければ他者との信頼関係は生まれようがありません。
そして、越市長とまちづくりの重要な担い手である各種団体(住民自治、地域福祉、文化、スポーツ、生涯学習、環境、女性活躍、防犯防災、交通安全等々の分野で地道に活動している市民グループ)の関係は、決して望ましいものではありません。
前項でも触れましたが、越市長と日ごろ接触する機会のあるこうした団体関係者の何人もが、地域のために自らの人生の一部を割いて行っている自分たちの活動を市長が深く知ろうとせず、信頼を寄せず、しばしば補助金の交付対象としか見ていないと感じて失望しています。
(最近になって越市長は、以前よりも多く地域や団体の方々と出会われていると伝え聞きました。こうした交流が越市長の内面の変化に結びつくことを祈っています)

さて、市役所内部においても事情は同じで、越市長は職員を信頼し仕事を任せようとする姿勢が不足しています。
予算編成や人事配置などの重要な枠組みを決める作業、政策課題の検討、事業に関する各種協議、関係機関や地元との交渉など、様々な場面における職員の判断やそこに至るまで積み上げてきた行為は越市長から正当に評価されることが少なく、時に関心すら呼びません。
逆に越市長の興味を引くのは、外部から呼んできた専門家の発言や、マスコミに取り上げられた他都市の「先進的」事例であることが多いのです。そのことを一概に悪く言うものではなく、むしろ外部の視点の導入や幅広い情報収集はどこの組織においても重要でしょう。
しかし、地域の実情を踏まえたきめ細かな施策を実施すべき基礎自治体の首長が、内部(職員の知見や団体の活動)に十分な信頼をおかず、外部により多く目を向け、耳を傾けようとするのは皮肉としか言いようがありません。

世の中には、「内部・外部のどちらを重視するかは本質的な問題ではなく、結果さえ良ければ構わない」との見方があるかも知れません。
しかし、職員5,500人(非正規を含む)、一般会計1,080億円、事業数1,000という大津市のような規模の組織において、トップは部下が各自の職務を果たして到達した地点を概ね是とし(鵜呑みにするわけでは勿論なく)、そこから出発しないと効率的な組織運営はできません。
特に、予算編成など全庁が過密な予定を組んで取り組む作業において市長が「係長の仕事」をすると大変な手戻りになるばかりでなく、これまでの大切な経緯を無視したり全体のバランスを損なう結果となり、政策的な議論も深まらないまま時間切れに終わります。
これが市の現状であり、とても「結果よければすべてよし」とはなりません。

一方、「結果だけでなく過程も重要」との立場から見ると、人を容易に信頼せず部下に任せられない越市長の資質は、なおさら問題です。
職員のモラルと意欲を高いレベルで維持し、市民のために十分に働かしめることが市長の重要な役割ですが、そのためには、職員が地方自治法や地方公務員法、大津市条例などに則って仕事をするだけでは十分でなく、自らの仕事に遣り甲斐、誇り、喜び、主体性をもって働くことが肝要です。
部下を信頼せず、話を聞かず、任せず、予算査定では「万円単位」の細部まで自分の思い通りにしなければ気が済まない越市長のリーダーシップは、職員から(ロボットでも歯車でもない生身の人間から)仕事の遣り甲斐、誇り、喜び、主体性を奪う方向にしか働かないのではないでしょうか。
ついでに言うと、市長による実態無視の時間外手当削減指示により、職場では「上司を困らせないための無届残業」や「持ち帰り仕事」が発生していると聞きます。本当だとすればよくありません。

こうしたことの結果、職員が市民のために発揮するべき仕事の総体的パワーの低下は、職員一人一人の個人的努力ではカバーしきれず大きく低下しているのではないか、その度合いを計るすべもありませんが、これが実は大変深刻な問題であると考えます。

2015/08/29

12) 大津市政の現状 2 (市長としての資質)

 これから述べることは、私が越市長に差し上げたお手紙と重複する中身を含んでいます。ただし
二つの間に1年以上の経過があり、その間の出来事も踏まえながら、事実に即した記述を心がけていきます。
 最初は越市長の資質についてお話をします。
 私自身、人さまの資質を云々する資格はまったくないと承知して書いていますが、それはお手紙にも書いたとおり資格によらず必要に迫られて書くのです(不快に感じられる方があったとしたら説明してご理解いただくしかありません)。
 皆さんには、これまで私がブログの各所に書いてきたこととも照らしあわせ、客観的にお読み頂ければ幸いです。ご意見はきちんとお受けしてまいります。







大津市政 2 ~市長としての資質 ①聞くということ~

(2)市長としての資質
まずは公人として基礎となる資質の問題です。ここでは、越市長の「聞くこと」、「信頼すること」という二つの基本的態度を確認します。

   聞くということ
人の言うことに耳を傾けないという評価が越市長について回っていますが、先ずこの点を取り上げます。多数者のみならず少数者の声を受け止め、バランスを取りつつ如何にうまく市政に反映させるかに腐心する為政者にとって、また組織を束ねるリーダーにとって「聞く耳を持つ」ことは基本的な資質です。ところがこの資質が越市長には不足していると言わざるを得ません。
これは、市長協議をはじめとする多数の機会を通じ多くの職員が痛感しており、内部の公文書からもこのことが伺えます。また、議会でもこれまでから問題視されており、そのうち本会議での議論については議事録に明らかです。
さらに、各種団体、関係機関、住民など市長と対話した人々の多くが、協議、説明、報告、交渉、要望などそれぞれの場面で市長が聞く耳を持っていないと感じ、そうした感想を述べています。
そもそも市役所の仕事は、福祉、環境、建設、都市計画、教育と多岐にわたり、しか
も継続的に取り組んでいる事業が多いことから、市長には、明日を展望する上で過去の経過を踏まえ歴史に学ぶ姿勢が求められます(最新情報の入手が重要なのは言うまでもありません)。
また、多種多様な市民ニーズを正しくつかむ必要があることは前述のとおりです。
さらに、関係機関や団体の理解と協力を得るための調整が重要であることから、相手方の主張をじっくり聞くことも大切です。
したがって仮に経験豊富な市長であっても、常に職員はじめ周囲の報告や意見を聞き、慎重に判断し、適切な決定ができるよう努めるのが当然でしょう。
まして行政経験がいまだ十分といえず、人生経験も長いといえない越市長の場合は尚
更のこと、周囲の声に十分耳を傾けて妥当な結論に到達できるよう努力することは極めて重要であると思います。
越市長はなぜ市長としてなすべきことをなさらないのでしょうか。 
 「きちんと耳を傾けるように」と各方面から越市長に対して助言、要請、依頼が繰り返されてきたにも関わらずあまり改善が見られないこと、一方で「聞くことは主体性の放棄である」等と越市長が誤解されているように見受けられないことから、ひょっとすると「聞かない」のではなく「聞けない」のかも知れないとの疑問がわくほどですが、どちらにせよ結果責任は同じです。
聞く耳をお持ちにならない越市長は、残念ながら、市長としての重要な資質に問題があるのではないでしょうか。
 ちなみに、時に両耳に鉛の栓を詰めたかのように感じられる越市長が「耳を傾ける」
相手も少しはあると推測されます。
一つは越市長の興味ある分野で活動する外部の有識者(弁護士、教育評論家、メディ
アによく取り上げられる先進都市の首長、企業経営に明るい人物など)であり、一つは恐らくご自身の知人友人の一部の方々(越市長と同じ年頃の子育て世代に属する人々)ではなかろうかと思われます。
結果として一定の範囲の情報に頼りがちな越市長にとって大津市民とは、まず第一に、子育て世代の働く女性たちであるようです(その方々が大切な市民であることはもちろんです)。
しかし、家族介護の体験が政治家の原点と市長自ら語っておられるにも関わらず高齢者の存在感が薄く、また国保料の負担に耐える低所得者、あるいは公民館活動にいそしむ地域の人々などへの眼差しがあまり感じられません。
これが以下に指摘することと相まって越市政に何がしかの偏りをもたらしているのではないかと懸念するものです。



2015/08/28

※お知らせです(アクセスカウンターについて)

「アクセスが2万件を超えた」という記事に対して、「カウンターを付けて欲しい」とご要望をいただきました。カウンターは当初からトップページにつけていた(つもりだった)のですが、スマートフォンで閲覧するとこれが表示されていないようです。なんとか改善をはかります。
(解決したらこのお知らせは消去します)

11)大津市政の現状 1(はじめに)

 どこの誰が、どんな目的でブログを始めたかを明らかにするため、これまで自己紹介や副市長退任の経緯など前置きのようなことを述べてきました。これから本題に入りますが、何せ大きく、重要なテーマです。皆さまのご意見も頂きながら少しずつ進めていきます。
 いまのところ、「ホーム」のページでは、この記事のように紹介や関連する話などを記述し、中身の方は別ページ「大津市政」に順次掲載していく予定です。ご覧になりやすいのはどういうスタイルなのか検討しつつ書くこととし、簡潔明瞭な文章を心がけます。これが難しいのですが。
 また、「関係資料」と「コメント一覧」のページだけが閲覧できないというご指摘がありました。「大津市政」のページは今回はじめて中身を書きますが、果たしてうまく画面が開くでしょうか。今回、私も工夫して「ホーム」から目ざすページに直接飛べるようにしました。
 記事7の関係資料(越市長への手紙)および記事9の関係資料(退任式ご挨拶)は、いずれも当該文字をクリックするとその資料が現れるはずです。
 同様に大津市政については、下の文字をクリックするとその部分が表示されます。
どうぞお試しください。もしうまく行かなければご連絡いただけると幸いです。


※下記をクリックしてください
    
       大津市政1(はじめに




大津市政 1 ~はじめに~ ※クリックしてください

(1)はじめに

 越直美大津市長は、平成241月の就任当初、日米で弁護士活動の経歴をもつ最年少の女性市長として注目を集めました。その後も歴代市長に比べてマスコミへの登場回数が多いことから世間の認知度は高く、さらにいじめ対策、子育て支援、観光振興など看板施策の宣伝効果も相まって、越市政を良いと感じる市民は多数に上ると思われます。
 その一方で市議会、市役所、市民団体など越市長との距離が比較的近いところにおいては、早い時期から越市長の市政運営があまりに性急で強引ではないかとの懸念が表明され、それを正そうとする動きもありました。  
そして就任3年半を経過した現在、越市政に対するプラスとマイナスの二つの評価の差は広がりつつあるように感じられます。
 市長がまちづくりに大きな責任と権限を持っていることは言うまでもありませんが、だからこそ市長の資質や手腕はどうか、どのような市政運営が行われているか等に関する正確な情報が広く市民の間で共有されることが重要です。
 とりわけ内部事情に詳しい人々の間では、報道だけでは十分に分からない市政の現状を広く世間に知らせることが自分たちの使命であるとの声すら上がっています。
 私自身もそのように考える一人であり、これから私なりに市政の現状を記述していきます。
以下、越市長のリーダーとしての資質の問題、政治家としての姿勢の問題にふれ、続いて財政運営や事業実施など市政運営の具体的な問題点を見た上で全体としてどうか、大津市政の現状を客観的に点検したいと思います。
なお、この資料は市長の職にある個人に対し根拠のない批判を行うことを意図したものではなく、事実とその評価を記載したものであることは読むにつれご了解いただけると思います。
ここで取り上げた事実に対して別の評価や解釈もあり得ますが、議論を重ねてより妥当な道を求めることが民主政治の根本であることから、本レポート(このページの記述)は、読む人の冷静な視線にさらされ市政に関する議論を喚起することを通して、必ず大津市民の利益に資するものと考えています。こうした観点からもコメントをお待ちするものです。
それでは次号から、越市長はどのような市長か、大津市政の現状は一体どうなっているかについて項目を追って見ていきます。

10)お 礼 ~ページビューが2万を超えました~

 他ならぬ「大津市」がテーマですが「市政の現状」や「まちづくり」という地味な切り口であるうえ、私の記事がつい長くなってしまい、多くの方々に繰り返しお読みいただけるかどうか不安でしたが、おかげさまで短期間に閲覧件数は2万を超えました。心からお礼を申し上げます。
 この件数の多さは、いまの大津市政に対する関心の高さの反映であろうと思います。
 私としては、今後とも正しい情報の提供としっかりした問題提起に努め、大津のまちづくりの議論が深まることに万分の一でもお役に立ちたいと考えています。
 次から本題ですが、今回はお礼のみ申し上げます。




2015/08/25

関係資料 2 (2014年5月 副市長退任式ご挨拶)※クリックしてください

ホームの記事「(9)副市長退任のいきさつ」に関する資料です。
昨年(2014年)5月30日、退任式でのご挨拶の原稿です。(職員の方々にはお読み頂くまでもありません)



私は、平成24年6月、市長のご要請を受け、全ての議員の皆さまのご承認をいただいて副市長に就任して以来、同僚、後輩の温かい声援を背中に受けて努めてまいりましたが、このたび一身上の都合により5月31日をもって退任させていただくこととなりました。
   これは、市長と協議した結果の適切な選択であったと考えておりますが、一方で、多くの方々のご期待に十分にお応え出来なかった私の力不足によるものであり、2年の任期を残しての退任を心からお詫び申し上げます。どうぞお許しいただきたいと存じます。
本日は貴重なお時間をいただき、経過の概要をご報告すること併せ、仲間である職員の皆さんに対し、いささかの年長者として最後のご挨拶をしたいと存じます。
さて私は、職員とのパイプ役となることを市長から期待され、そのことを肝に銘じて取り組んでまいりましたが、実際には、その役割を果たすことに、困難を覚えることも少なからずありました。
   そうした中、本年3月、私は副市長として2回目となる当初予算編成と人事異動を見届けたわけですが、それらの重要な作業の過程においても、職員の中に蓄積された良質の情報を十分に活かすことが出来たか、現場の声をしっかりと市長に聞いていただくことができたかという点において、私自身、深く反省するところがありました。
   お断りするまでもありませんが、予算は議会の慎重審議の結果、承認をいただき、人事についても新体制が円滑に動いて新年度が順調にスタートしており、何ら問題はございません。
私は、あくまで、内部の意思決定のプロセスにおける私自身の働きについて申し上げているものであります。
また、時期を同じくして3月、職員の分限に関する条例の適用を求めて1900名にのぼる職員から嘆願書が提出されましたが、これに対し本市は責任に基づく慎重な判断の結果、条例の不適用を決定しました。
この決定と別に、私はこの時、多数の職員の意思表示に対して真っ向から向き合えたか、それに対し確かなメッセージを返すことができたかを自問いたしました。
即ち、また一つ重要な場面に立ち会ってパイプ役の本来的な機能を果たすことができたかどうか、このことについても私は、残念ながら不十分な対応しかなし得なかったと思っています。
こうしたことから、副市長として既に2年分の結果責任を負うところの私が、今後も職務を続ける上で一つの大きな分かれ道にさしかかったと感じたのが3月のことでありました。
   これは一つに副市長としての私の力量の問題であり、一つに市長とその片腕である私との相互関係の問題であります。
そこで、このことを率直に市長に申し上げ、しっかり市長のお役に立てないならば、もはや辞職しかないとの気持ちをお伝えしたところ、市長も真剣に耳を傾けてくださり私の進退にかかる協議が始まりました。
ところが丁度その時、富田教育長の辞職という大変残念な出来事がありました。
  富田氏は、技術者としての合理的精神と教育への情熱を併せ持った方で、子どもの立場
からの教育改革に努められましたが、就任以来、市長部局との連携のあり方について苦慮しておられました。
   私と富田氏とは互いに信頼をおく関係でしたが、同氏は、26年度予算の編成過程において教育委員会の意見の反映が難しいことに心を痛めておられました。こうした事情がご本人の重大な決断に結びついたものと私は認識しています。
もちろん、一時、健康を損なわれ、それを理由に辞職された事実を否定するものではありませんが、これもまた、市長部局と教育委員会との連携調整という私の役目に関わることとしてお話しています。やがて年度末となったことから、まずは26年度当初の事業推進を最優先に取り組むこととして、春季事業ヒアリングや部局長意見の聴取など一連の仕事を進めて新年度をスタートさせつつ、市長との協議を再開いたしました。
   なお、いま申し上げた部局長の意見は私の責任で取りまとめ市長に提出しましたが、今後の市政推進に向けた協議、検討を行う際の有用な一つの素材として是非、活用いただきたく存じます。
さて、私の尊敬する先輩であり大きな目標でもあった佐藤賢氏、井上俊生氏のお二人の副市長は、時の市長の厚い信任を受けて優れた行政手腕を発揮されましたが、私としては、なかなか同様の働きをすることが叶わず、また、パイプ役としても十分な働きをなし得ていなかったことについては、先ほど述べたとおりです。
一方、市長は、就任3年目を迎えて内外の事情にも通じてこられたことから、私も当初の案内役としての仕事は一定、完了しておりました。また、ごみ焼却施設について、3か所体制から2か所体制への方針転換が図れたことも一つの到達であり、市長として、ひと山越えた状況でもありました。そして、私に容易ではなかった職員とのパイプ役については、今後、市長ご自身がパイプとなるよう努められるとすれば、むしろその方が望ましい形ではないか。
本市内部の現状を踏まえつつこうした協議を重ねた結果、円滑な組織運営と市政推進のためには、私の退任が十分にありうる選択肢であるとのご判断をいただき、私は、市長から、一身上の都合により退職することを認めていただきました。
以上が概略のご説明であり、皆様にはどうぞよろしくご理解を頂きたいと存じます。
次は、私の在任中の忘れがたい出来事を3つだけ、主に内部の視点からお話したいと
思います。
   まず、一昨年に全国的な社会問題と化したいじめ事件を避けて通ることは出来ません。私たちは、尊い犠牲の上に重要な課題認識と貴重な教訓を得たわけですが、それらを踏まえて、教育委員会および学校現場において真摯な取組が着実に進められていることを、ここでお伝えしておきたいと思います。付言すると、その取組の第一歩を記されたのが澤村元教育長でありました。
同氏は、かけがえのない一つの命が失われたことを重く受け止めつつ、また一方で、いじめを行った少年たち、さらには行わなかった多くの同級生が、いまだ未完成で保護を必要とする存在でもあるという認識のもと、この体験が、避けがたく彼らの心の傷となって残るであろうということについて、教育者として深く憂慮し、行動しようとされていたことが強く印象に残っています。
2つ目は災害です。
   本市は2年続きで大きな災害に見舞われました。市民の皆さまには、大変なご苦労を頂きましたし、本市も、常に市長が陣頭指揮に立たれ、消防、危機防、建設をはじめ全ての部局が力を合わせて救援と復旧に取り組みました。
   特に一昨年は、県内12市から支援の申し出があり、延べ260人にのぼる各市の職員の方々が、本市職員に交じって、民家の土砂撤去に汗を流していただいたことは忘れがたい思い出です。
災害復旧に技術職員を派遣することは珍しくありませんが、一般職員をこうした作業に派遣することは極めてまれで、特に災害の少なかった本市にとって初めてとなる受け入れ経験であり、近隣の市町との平素のお付き合いの大切さを再認識した出来事でもありました。
3つ目は南部クリーンセンターの建設協定の白紙撤回です。
  本市は、越市長のもとで、将来世代の負担軽減を重視し、安定操業と災害対応にも配慮しつつ、ごみ焼却施設を3か所から2か所に減らす方針転換を行い、説明を尽くして地元および議会のご理解を頂くことができました。しかし地元の方々にしてみれば、かつて、市からのたっての要請を受け、様々な意見があるなかで議論を重ねたあげく、大津市全体の利益を考えて、ようやく受け入れを承知したところ、今度は一転して市から一方的に建設中止を告げられたわけですから、一時は、行政不信の声があがったのも止むを得ない成り行きでありました。
   ごみ焼却施設の建設計画がなくなるのだから、地元には受け入れやすい方針変更であるという見方がもしあるとしたら、それは極めて表面的な見方であります。
施設の受け入れ決定にあたって、地域の方々が費やしてこられた身を削るような多くの時間と、突きつけられた課題の克服に注がれたエネルギーは大変なものであり、これが自らの原因によらず無に帰することとなった空しさ、或いは徒労感は、本当に大きなものであったと拝察いたします。
その感覚は、建設推進のため地元との対話を続けてきた環境部の職員にも、当時、深く共有されていましたが、これは彼らの誠実な仕事ぶりの反映でもあったと認識しています。
こうした中、本市は、精力的に内部協議を重ね、職員一丸となって方針転換を図ることとなり、各方面へ丁寧な説明を尽くした結果、今は、有り難いことに地元のご理解と信頼をいただいていますが、このことは、南部クリーンセンターに限りません。
ごみ処理施設を受け入れていただいている各学区の住民の皆さま、とりわけ自治会役員の方々のご苦労の大きさに改めて気づかされ、そうした方々の、本市のまちづくりに対するご理解とご協力に対して、行政職員として、感謝の念を一層深める重要な契機となる出来事でありました。

次は、私から職員の皆さんへのメッセージです。
   職員の皆さん、特に部下をもつ皆さんに申し上げます。職場の仲間を大切にしてください。すべての職員は、縁あって人生のある時期に、同じ職場で働くわけですが、家に帰れば、夫であったり妻であったり、母や、息子、娘であり、それぞれ誰かにとって、かけがえのない存在として固有の人生を生きています。そんなかけがえのない一人ひとりが毎朝、出勤してきて上司として、部下として机を並べる、これが職場です。
もちろん我々は第一に公務員であり、職場には職場のルールがあり、職員たる者、これに従うことが大原則です。
その上で上司は、すべての職員が世の中において、かけがえのない存在であるという当たり前の事実を常に忘れないでほしいと思います。
そうした当たり前の感覚と認識に支えられた民主的な職場を築くよう、特に人の上に立つ人にお願いを申しあげます。職員を将棋の駒ではなく、一人の生ま身の人間として尊重してください。
そのような職場で、職員が互いに心を通わせ、自ら選んだ道である公務の遂行を通して自己実現の喜びを実感できるなら、そして、その力を市長のもとで一つに束ねることができるなら、モラルとモチベーションは自ずから高まり、市民のためにより良い仕事ができるものと私は確信しています。
これに関連して、不祥事について申し上げます。
昨今の本市の状況は、市民の皆さまに本当に申し訳ないことであり、引き続き全庁あげての取組を着実に進めていくことが重要であります。
現状を評して、市役所にはウミが溜まっているとの言葉があります。これはどういう実態を指すのか、職員は我が事としてよく考えて見る必要があります。実は、私自身はウミが溜まっているとは思っていません。同じく物の例えで言うならば、大量の白い砂の中に一つまみの黒い砂が混じっている状態であると思います。更によく見れば、黒い砂にも灰色や白黒まだらの粒が混入しています。そして黒い砂は断固、排除すべきですし、灰色やまだらは、よく見極めたうえ適切な対処が必要です。もし、白い砂を黒く変色させていく組織風土や文化が確かにこの市役所にあるとするならば、それこそがウミが溜まっている状態であり、組織の存立の根幹に関わる問題であります。
   不祥事の対策は究極のところ、全体の奉仕者たる公務員を志して市役所に入った職員一人ひとりのモラルの問題に行き着きます。内部通報も情報セキュリティも大切ですが、最後の砦は個人の心の中にあります。その深みに直接響くような働きかけを如何にして行うことができるか、これが難題ですが根本解決への正しい道筋であり、その環境を整備するのが先ほど述べた職場づくりであることは間違いありません。

   最後に越市長に申し上げます。
   市長は、4年で結果を残そうと積極的に行動してこられましたが、特に今年度は、市民に変化を実感していただける年にしたいと抱負を語っておられます。
   人口が減り高齢化が進むわが国において、市民の幸福を求めて将来のまちづくりを展望する時、本市の現在の姿をどのように解釈するかは極めて重要な問題です。
その姿は多面体であって、私たちの前には、長年にわたる人々のたゆまぬ営みの成果、試行錯誤を重ねて行き着いた安定の形、これから大切に育てていくべき若木の苗床、さらには時代の変化に取り残された旧来の風習やシステム等々、様々な景色が広がっています。
その中から、変えていくもの、守っていくものを、現場の声、職員の声に耳を傾け、丁寧に仕分けをした上で、次なる行動に移ることが重要です。
   変えるべきものは痛みを伴っても変えなければなりませんが、一方、守るべきものを変えてしまった場合は、取り返しがつきません。
   変える、変えないの仕分けに、一人の意思ではなく、多数の英知を動員して下さるようお願い申し上げます。思いの強さは正義ではありません。
偉そうなことを申し上げましたが、実は私、5月22日の部長会において、市長が全部局長に対して、職員の声を十分よく聞き、そして信頼し、任せると表明されたことに、深く感動いたしました。これは、極めてシンプルな言葉ながら、指導者にとっては、決して簡単なことではありません。
   2年間、市長のお仕事を間近で拝見し、手伝わせてもいただいて、市長の権限の大きさと責任の重さを改めて知り得た私としては、市長が決意をもってこの発言をされたものと理解し、大変嬉しい気持ちで拝聴いたしました。市長職は激務ですが、どうぞ健康にご留意をいただき、職員を大切に、市民にお役立ていただきますよう心からお願い申し上げます。
また、伊藤副市長には、この度、大変ご迷惑をおかけすることになり、誠に申し訳
ございません。どうぞ宜しくお願いを申し上げます。

大変長いご挨拶となってしまいました。職員の皆さん。大津は、本当に素晴らしいまちであります。皆さんは、この大津のまちで、市民のために働くことの誇りと喜びを胸に、一丸となって市長を支え、精一杯、いい仕事をしてください。健康に注意して元気に働いてください。
私は39年の公務員人生を終了しますが、実に多くの方々にご指導いただき、お世話になったことが思い出されます。人に支えられてしか人は生きられません。その有り難さを最後の日に噛み締めています。ご出席くださったすべての皆さんに、私の39年分のお礼を申し上げます。
皆さん、長い間、本当にどうも有難うございました。 

9)副市長退任のいきさつ ~私の引責と市長のお約束~

 副市長退任の背景をご理解いただくため、越市長への手紙を「関係資料1」として掲載しました。
 お手紙を差し上げて2~3日後(昨年3月中旬)、越市長の感想を伺ったところ「分かるところもあったが、分からないところもあった。そこはあなたと私の見解の違いである」という趣旨のお答えをいただきました。
 今回の掲載に際し私も改めて手紙を読み返しましたが、嘘はひとつも書いていません。あえて言えば、「すでに退任式の挨拶も考えてある」という部分だけは少し大げさ(言い過ぎ)でした。
 しかし、「越市長の岐路」を目前にして、副市長の職を賭けて市長に忠告を申し上げようとしたことは間違いありません。
 その理由は、当然ながら市民のため、他ならぬ越市長ご自身のため、そして職員のためでした。

 寄り道になりますが、市民、市長、職員という必ずしも並列関係にない存在(セクター)を引っくるめて「3方よし」の方向性を措定しうるのかという点について確認したいと思います。
 なぜ自明のことの確認が必要か。私には、越市長が、市民と職員を二項対立的に捉えておられ
るように思われてならないからです。すなわち、市民の利益は職員の不利益、職員の利益は市民の不利益という発想であり、越行革の底流にもこの考え方が流れている気がします(市民のために職員が汗を流すことと別次元の話として述べています。行革についてはまた後日に)。
 こうした二項対立的な見方は妥当でしょうか。

 そもそも職員は法令により市民のため、市長のために仕事をするよう規定されている存在です。
 そして仕事といえば公務しかありえず、公務とは市民のための仕事です。職員の働き甲斐、働く喜びの源泉は、自分の仕事が市民のために役立っているという実感です。市長への手紙にも書いたとおり、そうした存在である職員(および市役所という組織)のパフォーマンスを最大限に引き出して、市民のために良い仕事をさせるのが市長の仕事です。
 また同時に市役所は一つの事業所でもありますから、トップは従業員である職員の指導育成、心身の健康保持、福利厚生などにも努めなければなりません。これは職員が公務従事者であるかないかに関わらない「社長のつとめ」です。こうした二つの意味から職員を大事にしていただきたいと市長に申し上げました。
 以前、私はこんな話を聞きました。
 ある自治体の首長が交代しました。新たな首長は、前体制のナンバー2の人物(副知事、副市長、副町長のいずれか)に引き続いて仕事をするよう求めました。ナンバー2は「職員をどう思いますか?」と問い返したのです。首長は即座に「職員は仲間です。職員と一緒に仕事をしていきます」と答えました。それでお受けする決心をしたとナンバー2は私に語ってくれました。決してスペシャルな答えではありませんが、それを聞いて私は、そんなトップのために働ける彼を心底、羨ましく思いました。そうした自治体においては、住民、首長、職員の利益(というか目的)の方向性が食い違うことなく、行政機関もより大きな力を発揮できるという気がします。
 現実にはそれほど話は単純ではありませんが、自治体の首長の「職員観」というものはより良い行政を行う上で本当に重要です。(手紙の中身の繰り返しになってきました)

 話を戻します。
 市長に手紙をお渡しした後、事態は変わらないどころか一層悪くなりました。多数の職員から出された嘆願書は取り上げられず、部局長の意見書(後日ご説明します)は生かそうとされず、私をますます遠ざけられるようになりました。
 私は、市長と職員とのパイプ役、また行政経験を踏まえたサポート役を期待され副市長となったのですが、こうした状態では何の役割も果たせません。就任以来、一生懸命に市長をお支えし、最後通牒のような手紙まで差し上げたにも関わらずこの状態。もはやこれまでと覚悟しました。そこで、越市長に対し、このままでは副市長として満足な仕事ができない、ついては辞めさせていただくと申し上げたのです。
 越市長は最初、驚いて慰留されましたが、間をおかず行った再協議の時には既に私の辞任を受け入れる考えに変わっておられ、それ以後は、いつ、どんな理由で辞めるのかが協議のテーマとなりました。

 以下、やり取りの一部の要旨を記します。
 越市長は「一身上の都合」とするよう求められました。私は、この事態の端的な説明としては「市長との意見の相違」であると申し上げました。越市長は、「それでは職員が動揺するし対外的にもよくない。私が感謝の言葉で送れるような去り方をしてほしい」と主張されました。
 これに対し私は「辞めたくて辞めるのではない。事情を明らかにする」と申し上げ、協議は平行線をたどりました。ついには市長が「一身上の都合で辞めないのなら退任式を取りやめる」と発言されました。こうしたやり取りは昨年4月から5月にかけ断続的に続き、最後の協議は退任式のわずか数時間前のことでした。それから今日まで越市長にはお目にかかっていません。

 結果はご存じのとおり「一身上の都合」となりましたが、決して「脅し」に屈した訳ではありません。
 私が副市長として十分な働きが出来ず、辞めざるを得なくなったのは、第一に私自身の力不足であると思っています。副市長を生かすも殺すも市長次第ですが、私は越市長の信頼を得ることが出来ず、私の判断を尊重していただくことも叶いませんでした。その原因の一部が仮に越市長にあったとしても、私が免責されることにはなりません。副市長には、「努力したけれどダメでした」などという言い訳はありえません。与えられた条件のもとでどれだけの結果が残せたかが問われます。 また、人間関係は相互的なものです。越市長と私の関係が次第に悪化していったのは、私にも原因があったと思います。どんな時も私が越市長に対して最適の対応をとりえたかというと、答えは残念ながらノーです。もし私がもっと大きな力を持つ人間であったなら、ひょっとすると越市長は自身のお考えを改められたかもしれません。しかし現実にそうはなりませんでした。在職中、私はいつも自分の責任を感じていましたが、最後には責任をとって辞めるしかありませんでした。一方、選挙で選ばれた市長については、いずれ市民の判断に委ねられると思っていました。
 もう一つ大きな理由があります。
 それは、私の退任をきっかけとして、越市長が「今後は私自身が職員の意見、周囲の意見を十分に聞き市政運営にあたる」と私に言明されたことです。越市長が本当にそのとおり行動してくださるのであれば、あえて波風を立てないことが私の最後のお手伝いだと考えました。新たな体制がうまく回っていく上で市長と前副市長の意見の対立はマイナスですし、職員の士気にも関わると思ったのです。
 以上のとおり、副市長退任の理由「一身上の都合」は、「私の引責と市長のお約束」でありました。今、ことの次第を詳しくお話しするのは記事(7)に記載した事情のとおりです。
 私の退任に際しては多くの職員の皆さんにご心配をおかけしました。また議員の皆さまにもご心配いただいたり、側面的なご支援をいただきました。有難く、申し訳ないことと思っています。
 退任式ご挨拶の原稿データが残っていますので、この記事の関係資料として掲示します。
 職員の方々には「またか」の話で恐縮ですが、市民の皆さまにご覧いただけたらと思います。
 過去を振り返る話ばかり続きましたがこれで一区切り、今後はもう少し広く、大津市政について考えていきたいと思います。
 

   この画面上部のインデックス「関係資料」をクリックしてください  資料2





2015/08/23

8)コメント有難うございます ~改めてブログの趣旨ですが~

 手探りで始めたブログですが幸い大変多くの方々にご覧いただいています。コメントも頂きました。皆さまには一々お礼を申しておりませんが本当に有難うございます。
 さて、このサイトは冒頭の「ごあいさつ」にも記したとおり、大津の市政やまちづくりについて考え、語り合うための小さなきっかけになることを念願して開設しました。
 これからも大いに閲覧いただき、率直なコメントもたくさん頂戴したいのですが、「茂呂、がんばれ!」と仰られると少々困ってしまうのです。
 私の役割は、現状を知りそれを憂う者としてしっかりと語ることだと考えています。それは越市長の市政運営に危惧を感じている者の使命であるとすら思います。そのために私は、今後とも事実に依ってなるべく客観的に記述していくつもりで、その方面で精一杯「かんばり」ます。
 ご覧になった皆さまがどう受け止められるか、そしてどうなさるのかは勿論のこと私の及ぶところではございません。

 前回ご紹介した越市長へのお手紙(関係資料1)は、主に市役所内部の組織運営についてご意見を申し上げた関係上、越市長の長所(えらそうな言い方で済みません)に言及していません。
 今後、「大津市政」のページでは、美点も欠点を含めた市長としての資質について、さらに政策や予算等について順次検討し、いささか高い目標ですが「現市政の総合的評価」となるよう努めていきます。
 (さしあたり次の1回は「副市長退任のいきさつ」の後半です)




2015/08/21

関係資料 1 (2014年3月 越市長への手紙)※クリックしてください

ホームの記事「(7)副市長退任のいきさつ」に関係する資料です。
昨年(2014年)3月11日、私が越直美市長に差し上げた書面の写し。原本でも個人名は一切出していません。ブログ掲載にあたって何か所かの記述を伏せ、「(中 略)」として表記しました。




越直美市長さま

市長任期の後半が始まりました。これまでの2年間、実にさまざまな出来事があり困難を感じられたことも多かったと思います。そうした中、市長がご自身の目標を目指し一貫して精力的に仕事に取り組んでこられたことは私も十分に存じています。
しかし、そのお仕事振りがよい結果ばかりを生んでいないことに市長はお気づきでしょうか。
むしろ私は、市役所内部では負の側面が目立ちつつあって、職員の意欲減退が蔓延していることに大きな懸念をもつものです。今日は覚悟を決めて幾つか指摘させていただきますが、市長におかれては見解の違いと一蹴されないことを願います。私は40年勤務し、今も多くの職員から真摯な訴えを聞いたり腹蔵なく語り合う関係にあり、少なくとも市長よりはよく職員の本音と市役所の実態を知っています。
そのほか外部の存在である各種団体や個人、議会等々からも実にさまざまな意見を聞いていますが、これらを踏まえて申し上げようとするものです。
もちろん市長はご自身のチャンネルで情報を得ておられるでしょうし、また逆に市長からご覧になって、私を始め職員の仕事振りにご意見(「こちらこそ文句を言いたい」という部分)もおありでしょうが、その主なものは、ここで私が申し上げようとすることと表裏一体の関係にあるだろうと推測します。視点が変われば景色も変わります。前にも長い書面をお渡ししましたが結局お心に届かなかったようです。
今回はもう長々書きません。

まず申し上げたいのは、職員、さらには公務で応対される関係者の言うことに真剣に謙虚に耳を傾けるべきだということです。
1月に一職員がある行動に出ましたが、その原因の最たるものは「市長が聞く耳を持たない」ということにありました。市長は、行政の事務は権限と責任を持つものが決定するのであり見解の相違は致し方ない、とのお考えでしょうか。当該職員が繰り返し市長に説いたのは、公務執行にかかる現行制度の秩序の維持であり、市長がいま現に存在しているルールを度々無視されることにも危機感を感じていました。
そして ( 中 略 )、 それは市長が聞く耳を持たなかったからです。
聞くとは「傾聴」と「受容」の2面があり市長にはどちらも決定的に不足しています。
傾聴の不足については、特に市長の気持ちがある方向に傾いているとき時など、まるで両耳に耳栓がはまっているかのようです。あまたある懸案協議の後に、職員から「市長はぜんぜん聞いておられませんでしたね」との言葉を聴くことがしばしばあるのはまことに残念です。市長としては忍耐して聞いておられるつもりでしょうが、相手の認識との乖離は非常に大きいものがあります。
受容の不足についてはなおさらで、自分と異なる意見を先入観を捨て柔軟な気持ちで検討してみようという姿勢が全く欠落しています。これは、「信念に基づき自己の考えを貫く」ことと似て異なるもので、市長の場合は、いったん一つの想念や価値判断を持つと、そこから容易に抜け出せず(繰り返しそこに立ち戻り)、どうしても次のステップに進めないという思考パターンがありますが、これが意志の大変にお強いことと相俟って発展的な議論を阻害しています。

国保料の値上げ協議において、「昨年に料金改定しなかった」という過去の事実に固執されたこと、あるいは幼稚園のエアコンの実施設計を行うかどうかで、「幼稚園全体の再編計画が示され施設の統廃合のめどが立つこと」との前提条件を余りに重要視されること、さらには市民スポーツ課の単独課、複合課論議などが最近の例として思い起こされます。
勿論こうした市長の態度、判断は合理的な側面を有しており、また一般的な政治姿勢の反映でもあり得るわけですから、市長としては不当な言いがかりのようにお感じかもしれません。しかし、他人の意見を容易に受け入れようとしないご自身の性癖をしっかりと自覚される必要があります。
( 中 略 ) ある職員が私の聞き取りに対して「職員は市長との関係性において疲弊している」と指摘しました。その際は私自身の意見を言わず聞き取りに徹しましたが、内心は私もまったく同感でした。私の知る限り「市長は職員の声に耳を傾けてくださらない」と感じていない職員は一人もいないでしょう。
議会筋からも同じような感想が聞こえてきます。各議員からも、二元代表制の趣旨を生かしてより良い市政を目指す上で、また職員のモチベーション向上の観点からも深い憂慮の声が聞かれます。
さらに市役所の外部の組織や機関の関係者からも同様のことを聞きます。この2年間で「市長は聞く耳を持っておられない」は定評になりました。
私は決して人の言いなりになってくださいと申し上げているわけではありません。
傾聴することは議論を進め、深めていく上で必要であり、正しい結論への近道ともなりえます。仮に相手の主張を退けるとしても、実はその場合にはなおさらのこと、傾聴することに意味があります。
受容については、その中身を是としなければ出来ないことですが、小異を捨て大同につく姿勢や、「あなたがそこまで言うならその考えを呑もう」という態度も、人を動かし、組織を束ねていく上で重要であります。もっとストライクゾーンを広げることが組織の長として大切です。
大きな権限を持つ者として、もっと柔らかく心を開いて人の言うことに耳を傾けてください。

次に申し上げたいのは組織の長として「部下に任せる」ことと「細部にこだわらない」ことです。
市長が市政を進める上で、3千人の職員のモラルと意欲を高い水準で維持し、市民のために十分に働かしめることが何よりも重要です。そのためには歯車でもロボットでもなく生身の人間である職員に対し仕事の遣り甲斐、手応えや喜びを感じさせモチベーションを高めること、同時にそうした職員が組織する集団のダイナミズムを十分に発揮せしめるような「仕向け」をトップ自身が行うことが大切です。その仕向けとは、大きな方向は示すものの細部にこだわらないこと、任せること、責任はトップが負うと宣言することに尽きるのではないかとすら思うものですが、市長は、この点においても大いに反省される必要があります。

任せられないのは市長としての責任感のなせる業でもありましょうが、市長は本市の膨大な事務事業のすべてを掌握して細部まで自分の思い通りに進めたいとの欲求が強すぎます。度を越すと私物化です。
市民から選ばれたことが市長の権限の源ですが、市民は市長の個人的意見に対し白紙委任した(好き勝手にやることを認めた)わけではなく、組織の長として適切に振舞うこと(公人に相応しいリーダーシップを発揮すること)によって市行政の総合力を遺憾なく発揮させてよりよくマニフェストの達成をめざすことを期待しているのです。
組織を生かさないといい仕事はできませんが、市長の今のやり方では組織が生きません。

これまた市長からご覧になると、「不祥事対策でもマスコミ対応でも危なっかしくて任せていられない。逆に安心して任せられるようにしてほしい。責任を取るのは自分である」ということになると思います。
しかし市長が就任される以前から市役所はあるわけで(さらに「そのあり方がいけない」ということになるのかも知れませんが)自己のやり方のみが最良とは限りません。
当然ながら、任せるということは、細部まで自分の思い通りに行くわけではありませんからそれを良しとする度量が必要です。基本的なベクトルさえ一致していれば大いに任せるべきで、そのほうが組織の総合出力が増すと思うのです。現実にも、これだけ大きな組織ですから任せないと仕事は円滑に回りません。
例えば、以前は部局長にもう少し裁量が認められていました。地元との交渉、事業実施の約束、予算の執行などの面で一定の範囲内ではありますが、まさに部局の長として、もっと主体的に動くことが容認されていましたが今はそうではありません。彼らの多くが閉塞感を感じています。
彼らの遣り甲斐を奪って自らの全能感を補強しているのが市長のやり方です。

聞く耳を持たず、細部まで思いどおりにしようとされる姿勢が目立った最近の例は、新年度予算の査定でした。
年始から連日、深夜に及ぶまで新年度予算の査定を行われましたが、大変に時間がかかり、その割に議論が深まらなかったのは、全くもって市長の姿勢によるものです。そもそも小事業の一つ一つまで市長が点検して万円単位まで意見を通そうとなさるのはいくら何でも行き過ぎです。
財政課は、総合計画と市長マニフェストの推進のため厳しい財政状況の中で財源確保に努力しながら細心の査定を行っており、これに同課職員が手間ひま惜しまず本当に全力で取り組んでいます。
その結果、予算編成は、市長査定の時には登山で言えば8~9合目までの高みに達していますが、その地点から登らず逆に麓まで戻って一々別ルートを探るようでは、いくら時間があっても足りません。財政課の職員からは「これでは我々は必要ない」とのぼやきが聞こえてきます。
各部長にとっても、予算編成方針を踏まえて部内でさんざん議論し、財政課と協議を重ね、ようやく内示額を得た事業が査定の場において市長のひと言で値切られ、後はいくら説明しても聞いていただけない、しかも多くの部下がその様子を見ている、これでは全く救われません。これが市長のやり方です。
かく言う私にしても、高齢者の紙おむつ補助を巡って、利用者のニーズの高い「使い捨て手袋」を新たに対象品目とすることについて、私が薬剤師会長との意見交換や担当課からの話を聞いて必要性を感じ、部長に検討を指示し、財政課が若干の金額を入れて市長査定に上げてきたものを、市長から削られることとなりました。私も主張を貫徹できずに引き下がったわけですから今さら恨み節ではありませんが、副市長でさえこの有様です。

市長からすると、今回、部局シーリングを設けていない中で総事業費の伸びを抑えながらご自身の重要視される分野に予算をなるべく多く振り向けるために努力を厭わなかったということになるのでしょうが、あそこまでなさるのは不適切です。
予算を振り向ける先として保育園整備や英語教育、重点分野への外部人材登用などがあり、マニフェストにもとづく市長の姿勢として皆、理解しています。しかし一方で、削られた部分と対比してバランスを欠くのではないか、このうちの一部でもそちらへ回したい等との切実な声が実際かなりありましたが、申し上げても無駄という諦めムードの漂う中、つぶやきに終わりました。「そこのけそこのけ市長が通る」と陰でささやいた職員を私はきつくたしなめましたが、これが実態です。
ちなみに、ある部長がある時、次のようなことを私に語りました。~どうしても重要な事業を進めるために市長の考えを変えていただきたい場合、「これを認めていただかなければ私は辞める覚悟です」というしかないと感じている。しかし市長は「ああそうですか。どうぞお辞めください」とあっさり言われるかも知れない。部長何人分の首を差し出しても、一旦固まった市長の考え方や感じ方を変えてもらうのは至難の業である~ これを聞いて私は、残念であり職員に済まなくも思ったものの何とも言いようがありませんでした。

さて、英語教育充実の取組は今回の議会質問でも取り上げられましたが、市長と教委との間に適切な役割分担と連携協調が図られているかという点が主な関心事の一つでした。
これまでから市長は教委担当者を呼んで様々な指示や依頼をされ、教育委員と協議を重ねられ、また事業ヒアリングや予算査定の場において発言や指示をしてこられましたが、これら一連の経緯を振り返り、地教行法などの規定も考え合わせたとき、私は、市長が(熱意のあまりにせよ)教育の中身論議に踏み込み過ぎであると感じています。教育委員会の意思を軽んじた踏み込みは越権行為です。
先日の教育委員との協議の席上、私がその懸念を申し上げたところ市長との議論になり、市長から発言を控えるよう求められました。そしてその後、教育委員との限られた協議時間を有効に使いたいから今後は協議に出席しないように、と求められました。これについて私は一旦承諾しましたが、今議会での出来事などを踏まえて一つ条件をつけさせていただきたいと思います。すなわち、私の不参加の趣旨を市長から教育委員に十分説明していただき、それで良しとする意見が一人でもあれば市長の仰せに従いますが如何でしょうか。

別の例として、ある計画の策定過程において(その場に私は居合わせていませんでしたが)、計画の細部にわたる修正指示を何度も繰り返して行われた(見え消しの修正バージョンが何十版かにのぼった)と聞いており、修正協議は深夜にも休日にも及びました。これもまたトップが関与する通常の程度を逸脱していたと思います。
国の動きとの同時進行(あるいは先取り)であったことから法律家との協議を行ったことや、この計画によせる市長の並々ならぬ思いもあるわけですが、それらをいくら割り引いても行き過ぎです。
ある幹部職員は、繰り返し細々とした指示を出される市長と、日常業務の傍ら修正作業を繰り返すスタッフの板ばさみとなり、支援を依頼した専門アドバイザーにも気を使い、しかも策定が大幅に遅れていく中で、いつ辞表を提出しようかと毎日真剣に考えていたと後で聞きました。極めて能力が高く、粘り強くて頼りがいがあり経験も積んだ職員がそこまで追い詰められていたと知って私は衝撃を受けましたし、職員とのパイプ役を自認しながらそれに気づきもしなかったことに責任を感じました。
こうした経緯で時間と経費を上積みし皆の苦労のうえ完成した計画ですが、関わった職員たちには終始一貫して細部までリードされた市長個人の計画という感覚があり、組織の成果であるという達成感や喜びは希薄の模様です。
これは、職員たちが私に「告げ口」したのでは一切なく、策定後、私がその労をねぎらいつつそれまでの経緯を詳細に尋ねたことに対して、ようやく重い口を開いたものであることを念のために申し添えます。

さらに言いますと、市長は職員との各種協議(例えば、補助金、人事、処分、庁舎、プール移転、施設のあり方検討などの協議、細かくは生涯学習や文化などテーマ別協議)においてご自分の望む結論が得られない場合、繰り返して調査、検討、資料の再作成などを指示され、再協議、再々協議と回を重ねて決定が長引くことが多いのにお気づきでしょうか。
責任ある判断を下される立場として当然でもあり、時に協議資料が未熟の場合もありますが、仕切り直しの再々協議は程度問題であり、度が過ぎるといたずらに手間がかかり結論を見るまでに長い時間を要することとなります。市長の了解を得るのに組織として過度のエネルギーを要することとなり、時間外勤務の増加にも直結します。
 こうしたことの一つの結果として、近頃は市長協議が不人気です。多くの場合、出席する職員にとって内心、とても気の重いひと時になってしまっています。本来、行政トップと行う協議は職員にとって重圧を伴う反面、遣り甲斐、手ごたえ、時に大きな喜びを感じられるところの、大げさに言うと晴れの舞台でもあるわけで、特に若手職員にはこうした経験を積ませてやりたいのですが現状は大変残念です。
 ともかく聞かない、任せない、決めないの3拍子がそろって市長協議が増え続け、市長ご自身および部下の多忙につながっています。
 
短くと言いながらここまで長々と書き連ねてきたのは、具体事例を振り返っていただくことにより信念と決意の鎧を身にまとわれた市長にも普段とは異なる眼差しでご自分を省みていただきたい、周囲との乖離にもお気づきいただきたいとの一心からですが、今議会の英語教育に関する代表質問もまさにその具体例となりました。
今回の代表質問で、教育委員会制度改革に関連する市長の発言についてコンプライアンスの視点から問いかけがあり、再問に対して私が急遽答弁することとなりました。その内容は、統括代表権を有する市長が地教行法を守ることの重要性の指摘と、教委とのよりよい連携を図っていく市長を副市長として支えたいとの態度表明でありましたが、その後、市長は、この内容がご自身を十分に擁護するものでなかった(もっと応援してくれても良かったのに)との感想を私に漏らされました。
また、再問に対するもう一人の答弁者は、市長と教委との協議における市長の姿勢について、より直裁に見解を表明されました。このことについての市長の感想も私は伺いました。

そこで改めて感じたことですが、市長は、今回問われた教委との関係についてご自身に反省すべき点が無く、すべて相手方に非があると解釈しておられるようです。私には信じがたい状況認識です。
昨年5月31日には ( 中 略 )、 その後には議会の合同審査会も開催されました。教委とは様々なやり取りがありましたが、そこから学ぶところはないのでしょうか。
これまた、ここまで私が申し上げたことと深く関係する事象です。

昨年4月に市長に長文の手紙を差し上げましたが、ここでいま関係する項目だけ列挙します。各項目は市長の政治姿勢に対する僭越ながら批評であり、ぜひ改めて欲しいとのお願い事項でもありました。
最初の項目は「身内を大切にしない行政運営」です。議会や市民団体等、共に本市のまちづくりを担う近い存在との丁寧な関係構築の重要性を申し上げ、反面、「身内」よりも遠方にいる圧倒的多数者に語り
かける手段としてのメディア対応に軸足を置きすぎていると指摘させていただきました。
次の項目「目的のために手段を選ばない姿勢」については、教委との関係あるいは職員の処分等において、市長がまさにそのような姿勢であったと私が考えたもので、適切、適法なアプローチをお願いしたところです。
また「職員へのまなざし」の項目では、市長の様々な言動(各種事業費の査定、人事異動の内容、ヒアリング時の発言、マスコミ発言等々の総体的な評価)により、市長は職員を本当に大切には考えておられず信頼もしておられないと多数の職員が感じていることをお伝えしました。
そして、いつもどおり「情」の大切さ、目の前の相手の心情を洞察し、その相手の背後にいる部下や仲間、さらには家族などの存在にも思いを馳せる想像力の大切さ訴えさせていただきました。
いま、これらを思い出し、市長が多少なりとも私の言葉を受け止め行動に移して下さったのは「市長にふさわしい服装」に関する部分だけ、後の項目については、全く無視どころか、さらに悪化の程度を増してこられた気さえいたします。
ここで「情」について付言すれば、昨今、市長は教育委員会不要論を公に唱えておられます。その内容と表現の是非はさておいて、越直美氏が市長を務められる大津市の教育委員会には、市長が選ばれた教育委員 ( 中 略 )、 更には多数の事務局職員が職務に励んでいます。共に困難に向き合ってきたこれらの生身の人間がどのような思いで市長の発言に耳を澄ましているかについて、市長は思いを馳せる瞬間はあるのでしょうか。
市長の発言は制度論であるとして免責されません。市長の膝下で、現にその制度のもとで日々働いている人々にとって、市長の言葉は自分たちの存在意義の否定にも繋がりかねないということについて、市長は全く顧慮がありません。これが情の欠如の一つの現われです。

冒頭に、私は職員や市の関係者から様々な意見を聞いていると申しました。これは嘘ではありませんが恐らく市長にはあまり実感がないことと思います。そうだとしてもある程度は無理からぬことで、それは市長という特別なお立場(いまやすっかりお慣れになったと思うのですが)によるところが大きいと考えます。
市長は職員にとっては絶対的なボスであり、対外的にも大津市行政の代表者として大変大きな存在です。結果として、少なくとも職員では直言する者が極めて稀です。仮に反対意見を言う場合は言い回しに気
をつけ、慎重にソフトにと心がけますし、時に代替案をセットで申し上げることもあるでしょう。
 外部団体などの場合も概ね同様で、私に対し舌鋒鋭い批判を展開する人々も市長に対面すると紳士的になり過ぎてしまってマイルドな表現に終始しがちです(もっとも、我々は平素、あまり面と向かって悪口は言わないものですが)。
 そもそも、市長に物申そうという外部の団体、個人、機関等は、前もって、副市長、部長、次長、課長、或いはそれ以外の職員に対して、怒り、憤懣、苦情、批判等々をぶちまけ、対する職員から言葉を尽くした説明、釈明、時により謝罪(待たせたり変更したり期待を裏切ったり、当方に非がある場合もあるゆえ)を受けているのが通例であり、市長面会時には訴えの情念が大幅にパワーダウンしている場合が多いのです。これは我々の当然の役割なのですが、このような防波堤があるために市長が気づきにくいという事情もありましょう。
それやこれやの事情の上に耳を傾けない市長の姿勢も相俟って、市役所および周辺に、市長には言っても仕方ないとの気分が広がっています。

一方、市長ご自身は忙しい内務の傍ら国へ出向いて意見を言われたり、各地の首長はじめ各分野、各層の方々との意見交換などを通して知見を広められ、さらにはマスコミもしっかりと使いながら自らの存在と考えを全国に発信することにより、政治家としてのパワーアップを図っておられます。
そのことをとやかく申すものではありませんが、こうした精力的な活動とそれがもたらす成果の手応えが市長の自己肯定の大きな力となっているように思います。
ここでまとめて申しますと、マニフェストの実現に取り組んでおられる市長は、就任後2年の経験を積まれ努力の結果としての大きな自己肯定の感情を抱かれていること(これはあくまで推測ですが)、市長への直言が稀であり気づきの機会が少ないこと、基本的姿勢として人の意見を容れないこと、極めて大きな権限を持ち、またそれを十分に自覚しておられること、身近な存在を大切に扱われない傾向があること等々の帰結として、市長は裸の王様になりつつあると私は思っています。
市長からご覧になると私など井の中の蛙かも知れず、蛙の言いがかりと受け止められるかもしれませんがもう少し書かせていただきます。
裸の王様になりつつあることの証拠(?)として、既に細々と述べてきた事象がその程度を増していることがまず挙げられます。自己反省に乏しく他罰的傾向が強まっていると感じます。

次に、選挙で選ばれた市長の声は市民の声であるとして自らを絶対視しようとされること。
選挙の結果は最大限に尊重すべきですが、市民は白紙委任をしたわけではありません。選ばれた者として、マニフェストの具体的記載内容、投票率、得票率等も考慮し、声なき多数者にも耳を傾ける心持で謙虚に市民負託の中身を考えることが大切ではないでしょうか。
ちなみに先日、教育委員会制度の改革に関するある新聞社のインタビューで、「制度改革後に偏った思想の持ち主が首長になれば教育現場が混乱するとの懸念があるのではないか」との問いかけに対し、市長が、「偏った思想の首長は勝手に降ってくるのではなく有権者が選挙で選ぶ。選挙で審判を受けているのであれば、たとえ思想が偏っていてもそれが住民の多数意見だ」と述べられたと報道されていました。
市民の選択について質問者の言葉を引きつつ分かりやすく説明されたのだとは思いますが、本当に市長、お気は確かですか。選ばれた存在であることについて思い上がった気持ちはありませんか。
極端な話で恐縮ですが、私などはナチスが合法的政党としてスタートした歴史を想起しました。

もう一つの端的な例として、協議の席上、副市長として私が申し上げる意見を個人的意見である、あるいは間的余裕がないとの理由で簡単に斥けられることが、最近、増えてきました。私の意見は自らの認識を申し上げることもあり、声を上げにくい職員を代弁する場合もありますが、ひっくるめて意見を聞くために副市長を置かれたのだと私は思っています。
ところが市長は副市長を「筆頭部長」くらいにしか見ておられません。この例証は沢山あるのですが、さすがに馬鹿らしくて一々書く気になりません。
私は凡庸であると自覚していますが、有り難いことに職員から一定の信頼は得ていると思っています。
市長は、良くも悪くもこうした人間を副市長に据えられたわけですから、もう少し信頼し委任していただく部分があって然るべきと考えますが、既に書いたとおりの市長の姿勢であります。
副市長や部長など市長のお神輿を担ぐ者をそれなりに遇すると、担いでいる肩の位置が高くなり、お神輿に座る市長の高みも更に増してお仕事がしやすくなるという「実利」もあります。意気に感じて人を働かせるのも重要だと思いますが現状は残念です。

もう一つ加えます。
最近、我が儘が目立ちます。
市を代表して出席する対外的かつ重要な会議、大会、イベント等への出席を、特別な理由なしに拒否されることも一例です。特に市長会、自治創造会議、後期高齢者広域連合議会、市町村研修センター議会など本人出席が極めて望ましいものや代理が利かないものについて、市長の欠席は本市の利益の上からも他市の市長とのお付き合い(円滑な都市連携)の上からも出来る限り出席していただきたいのです。
その他のイベントなどでも、まさに選挙で選ばれた市民の代表として市長の出席が相応しく、主催者も切望することが多いのですが、これも出不精もしくはえり好みの傾向があります。
市長としてはあれこれ出席して現状で十分に多忙であるとお感じかもしれませんが、初心を忘れられたのではありませんか。

以上、裸の王様の懸念材料を並べましたが、このように2年が経過する中で、市長による「職務権限を背景とする一定範囲を超えた言動」が職員に対してあったとの話を私は複数例、聞いています。
市長はわざと嫌がらせをされる方ではないはずと考えておりますので、おそらく自覚のないままに相手だけはそのように受け止めていたと考えられる事例です。市長としては怪しからぬ言いがかりと思われるでしょうが、ご存知ないところでこんなこともあるのですよ。
幸い、大半は、本人が過ぎ去ったこととして今は問題にしていませんが、中に私も案じているケースが一つあり、これについては市長にも協力いただき、しっかりと検証していく考えです。

長くなってしまいました。市長に正していただきたいことを連ねましたので悪口ばかりになってしまい心苦しいかぎりです。これも市長にお分かりいただきたいとの一心からです。そのためには、対外的に現れる「姿勢」のレベルの指摘に留まっては不十分だ、市長がご自身の心理や人格といった深い領域から自己分析をされるように求めたい、そこまでしなければ結局はお分かりにならないだろうと思いましたが、それは当方としても推測を多く含むことになりますしやはり不躾と思い直して止めました。
あえて市長の優れておられる所は一つも書いていません。市長は、私が意地悪く欠点ばかりを観察していると思われたでしょう。
しかし、特にここ数ヶ月の間に行われて来た教育委員や事務局との協議、市の内外の事件の対応協議、職員処分の協議、予算査定、人事協議、議会答弁等々を振り返ってみて、私は市長のなさり方に大きな疑問と危惧を感じていますし、本当に多くの職員からも同じような声を聞いています。
市長と周囲の乖離は広がるばかりで、私も、そばで支えるべき副市長としての責任の重大さを痛感する日々です。昨年差し上げた書面で、私の心情を「針のムシロに座っている」と表現しましたが、いまはその膝の上に重石が乗っているようです。
そこで、その都度申し上げてきた意見とは別に、市長のお心の底に届くよう、あれこれ事例も引きながら書かせていただきました。市長と同じく私も多忙であり、土日や夜も含めて少しずつ書き足した結果、まとまりも明晰さもない長文になってしまいましたが、書き直している暇がありません。
私は、常時、市長のことが頭から去りません。それこそ仕事中も休日も夜に目覚めた時も市長のことを考えていて不眠の原因にさえなっています。そして思いを何とかお伝えしようと書いた手紙ですから、これは一種のラブレターです。しかし私一人の思いではありません。

もしこれを私の個人的な解釈、考えによるものと受け止められるなら、他の複数の職員に率直にお尋ねいただくこともよし、私としても、例えばこの文書を部長会出席者の連名にして出しなおすことも辞しません。すべての部局長および殆どの任命権者の記名が得られるはずです。
それでも不十分とお考えなら、私はこれを掲示板に載せてすべての職員に問いかけたい、職員すべての声として市長に受け止めていただきたいとすら思うものです。さわやかミーティング以外にも市長として職員の生の声を聞くことは大切です。こうした手段に訴えてでも市長にお分かりいただきたいと思っています。この手紙は、昨年の手紙と同様、固有名詞を使っていません。基本的に私信ですが多数の代弁者として公人に出す手紙であり公開も大いにありうると想定してのことです。

これを機に市長は目覚めていただけるでしょうか。路線を変えていただけるでしょうか。謙虚になっていただけるでしょうか。私のお願いしていることは市長にとっては自己変革ともいうべき自省です。
私は、市長が任期後半を迎えて重大な岐路にたっておられると思います。
市政は預かり物であり所有物ではありません。職員も同様です。大切にして次に引き渡していくものです。
市長は今のままで突っ走られるのか、深く考えなおして改めるべきは改められるのか、私の今後もその一点にかかります。この書面を読んでさぞご気分を害されたことと思います。私も至らぬ人間ですから資格があって言うのではなく、必要に迫られて義務と感じて申し上げるのです。
副市長就任の挨拶式で述べた気持ちで仕事に取り組んできましたが、今は転機、市長の岐路は私の岐路でもあって、すでに自らの退任式の挨拶も考えてあります。
市長は、これまでの市長とは異質の素晴らしいポテンシャルがあります。それを生かしてよい市長になっていただきたいと切望します。もうこんな書面を出すことはないと思いますが、万一あるとすれば、次は是非ともファンレターにさせてください。


2014.3.11                    茂 呂  治


7)副市長退任のいきさつ ~まず概略のご説明から~

 前々回(5)の記事で、私が越市長のために働くことと市民のために働くことの不一致に悩んだという意味のことを書きました。お読みになって「市民が選んだ市長のために働くことがなぜ市民のためにならないのか」或いは「副市長を任命したのは市長である。なぜ両者に食い違いがあるのか」等と疑問に感じられた方もあると思います。こうした事情をご理解いただくため、まず私自身の退任の経緯からお話しようと思います。退任式で多くの方々にお見送り頂いてから1年3か月。いまさら蒸し返すようで本当に心苦しいのですが、そこから大津市政の現状をかいま見ることができると思うのです。
 副市長の任期は本来なら2012年6月から2016年5月までの4年間でした。越市長のご要請を受け全議員のご承認を頂いて就任し、仲間の激励、期待もあって重責は身に沁みていました。もとより任期を全うする覚悟で就任し、市長のご期待に応えて「市長と職員とのパイプ役」となれるよう一生懸命努めたつもりです。しかしこの2年間に実に様々なことがありました。その中身は後日にゆずるとして、私は結果的に、越市長との意見の相違を乗り越え、一枚岩となって市長にお仕えすることがどうしても出来ませんでした。これは私の力不足によるものであり、さらに当時、私が辞めることにより事態の好転が期待できる情勢であったことから、自ら退くこととなりました。そこで退任式では「一身上の都合」と申し上げたのです。後日これに対し、「波風を立てないきわめて日本的な幕引きである」とのご意見もありました。
 退任式のご挨拶は嘘ではありませんが、今このブログではもっと明快にご説明しようと思います。
 その理由は、いまだ変わらぬ市政運営の実態の改善に多少なりとも役立つであろうこと、市民の皆さまに市政運営の現状の一端を知っていただきたいこと、退任から既に15か月が経過しており今さら市政を混乱させる惧れはないと判断することの3つです。
 前置きばかりで済みません。勿体ぶっているわけではないのですが、内部事情は外から分かりにくいものです。重要な経過をご理解いただけるよう順序立ててご説明します。
 まず、当時の私の状況認識をご理解いただくため、昨年(2014年)3月、私が越市長に差し上げた手紙の写しを「関係資料」のページに載せました。
市長と私の執務室は隣あっていましたが、それが適切と考えられる場合には私の意見を書面にまとめてお渡しすることがあったのです。
 (なお、私が退職後に大津市長に意見具申をした際、必要があってこの手紙の写しを添付しました。この意見書は、その後、請求に基づき公文書として公開されました。)


  関係資料1 (越市長への手紙)





2015/08/19

6)本題に入るまえに ~現役の皆さまへ

 8月16日夜に始めた大津通信も4日目を迎えました。地味なテーマですからお目に留まるかと案じていましたが多くの方にご覧いただき心からお礼申し上げます。
 これからいよいよ「大津のまちづくり」について考えていきますが、その前に大津市職員の皆さま(より広くはいわゆる現役でお仕事中の皆さま)に、退職して日の浅い者としての感想めいたことを申し上げたいと思います。
 私は以前、スーツと鞄で電車に揺られ、足どり重く通勤する自分を含むサラリーマンたちを灰色の群れのように感じたことが一再ならずありました。1億円当たったら明日にも辞めたる、と仲間と言いあったこともあります。仕事嫌いでなくても「勤め人の憂鬱」は存在します。その頃は退職後の日々が明るい光に包まれて遠望されました。
 さて、それが現実となりました。昨日の私の近況報告を読んで、出勤しない生活を羨ましく感じられた方々もおられると思います。しかし、今の私からその方々を見ると、逆にそちらの世界が輝いて見えるのです。
 ここから数行は私の後輩諸氏に申し上げます。皆さんの仕事には苦労がつきものですが、それは現実社会に直面し、それと切り結ぶところから生まれます。皆さんの仕事は公務であり市民のためにする仕事です。したがって皆さんは、し甲斐のある苦労をしておられるわけです。なにかと困難もあるでしょうが、どうか元気で協力し合って市民のために良い仕事をしてくださるようお祈り申し上げます。
 この仕事の苦労の話は、民間企業においても同じことが言えると思います。社会の中で働くそうした現役の皆さんが、私には輝いて見えるのです。
 しかしながら、既に一線を退いた人あるいは家事をもっぱらする人の生活が曇っているというわけでは決してありません。私はサラリーマンを念頭において狭い視点で話していますし、私の辞め方が特殊であったことも影響しているでしょう。本来的に、輝くかどうかは個人レベルの問題だと思います。
 次回から本題。「大津市政」や「関係資料」のページも活用していきます。本当は遅筆と不慣れにつき「不定期通信」という副題をつけようかと考えていたくらいです。ページ更新に時間がかかるかもしれませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。





2015/08/18

5)近況報告 ~晴耕雨読のような訳~

 近況はどうかとのお尋ねをいただきました。
 私事ですがここ一年余の生活をざっと記します。
 昨年5月末に退任してすぐ、大津市民病院で頸椎の手術を受けました。神経が圧迫されて左手に軽いしびれがあり、いずれヒマができたら入院をと考えていたのです。お蔭さまであっという間に見事に完治!!
 だから言う訳ではありませんがここは良い病院です。通院・入院・ドックは大津市民病院をお勧めします。先日、独立行政法人化の方向性が打ち出されたようですが「市民とともにある健康・医療拠点」という理念が堅持されることを祈っています。
 退院後は昔の仲間が呼んでくれたり友人知人が訪ねてきたり様々な人々と飲み、かつ語りました。ご縁はつくづく有難いものです。私はこのブログを「投げ瓶」に例えましたが、実際にはこうした方々の「裏書き」によってメッセージが広く遠く届くのだと思います。
 さて、我が家にはネコの額ほどの庭と菜園があります。数年前に買ったままの耕運機のホコリをはらって本格的に「畝たて」をやりました(畝の長さは4mほど。進んだらすぐにバックするせわしない農作業です)。  
 本を読んで庭木の剪定に挑戦し、ストーブ用の薪も割りました。自宅では飽き足らず、高齢者のいる友人宅(3軒)に押しかけて手すり、踏み台、防護柵の設置工事などもやりました。遠出としては山中温泉、新穂高温泉、山下達郎コンサートがそれぞれ1回。
 我ながら地味な日々だと思いますが、こうした普通の生活を久しぶりに味わい、次第に心身がほぐれてきました。身に沁みついた「あくせく感」も抜けつつあります。振り返ると在職中の私生活は「おまけ」同様。お給料をいただき、責任ある立場にあったのでそれも当然なのですが、若い人にワークライフバランスを説く資格は無かったかもしれません。
 特に最後の2年は、私にとって、越市長のために働くことと市民のために働くことが必ずしも一致しない点に絶えず重圧を感じていました。しかし、働くことを止めた後も似て異なる心情は消えることなく、いつも大津のことが気にかかっています。それゆえに考え、書き、話し、読む時間が自然と増えました。 晴耕雨読の(ような)日々というのはこういった事情です。
 辞めた以上は黙するのをよしとする考え方もありますが、私は違う考えに至りました。
 こうした次第はブログ開設の背景ですが、なかなかご説明の難しい経緯でもあります。
 このあたりは改めてきちんとお話したいと考えています。


             トマトの間にはバジル