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2015/09/23

30)一時休止のお知らせ

 明日(9月24日)から10月3日ごろまでブログの更新を休止いたします。
 この間に投稿されたコメントは、再開後にいつものルールで公表させていただきます。
 皆さまには今後とも「大津市政情報広場」の運営にご協力いただきますよう心からお願い申し上げます。



29)大津市政の現状13(教育行政・英語教育)

 教育行政の2番目は英語教育です。
 越市長は英語が大変お得意ですが、それでもアメリカ留学時代には英語でのコミュニケーションに大変苦労したと語っておられます。彼の地において英語教育の重要性を実感されたことが、越市長の英語教育推進の原動力となっているのかも知れません。
 エスペラント語ならぬ英語が世界共通語に近いというのが現実であり、しかも日本はアメリカの影響を強く受けていますから、英語教育がクローズアップされるのは当然です。
 しかしこの問題を巡っては、グローバル人材とはいかなるものか、母語と外国語の関係はいかにあるべきか、義務教育における英語教育はどうあるべきかなど「そもそも論」が大切です。
 私にこれらの重要課題を十分に論じる力はありませんが、「教育」というものの特性に照らし、教育委員会と越市長との関係を見ながら英語教育にふれたいと思います。

 
  大津市政の現状13(教育行政・英語教育)



大津市政13 ~教育行政~ 英語教育

② 英語教育 

 越市長は、グローバル人材育成のため小学校1年生からの英語教育を充実させたいと考えられ、予算の押し付けを行われました。「押し付け」とは不穏当な言葉ですが、教育委員会が内部議論の上で練り上げた予算要求に対して厳しい査定を行い、一方で教育委員会がまったく要求していなかった英語教育の新事業実施を主張されたのです。
 当然ながら教育長はじめ教育委員会がこぞって反対意見を述べましたが、越市長は予算権をたてにご自分の考えを押し通されました。そして協議の中で若干の歩み寄りがあり、追加項目を加えた予算要求書が再提出され、外形上は「教育委員会の要求を市長が認めた」ことになりました。
 しかし実質は「押し付け」と言わざるをえません。これは私も協議に参加していた平成26年度予算編成時の出来事です。 
 この予算に限らず越市長と教育委員との協議は何度も行われていましたが、基本的に越市長が自説を主張される場であったとの印象を持っています。
 それに対し教育委員の方々が、教育の理念や学校現場の実態について、真剣に、穏やかに、粘り強く説明されていた場面の数々が記憶に残っています。
 私の出席が認められた場合には、私から、教育委員会の意見に十分に耳を傾けるよう越市長に進言し実りある協議となるよう微力を尽くしましたが、たいてい自分の力不足を痛感する結果となりました。

 ここで英語教育の重要性を否定するものではありませんし、子どもが英語に親しむこと自体に反対する市民はまずいないと思います。現に文部科学省は、平成32年度から小学校で実施予定の次期学習指導要領の改訂について中教審に諮問しました。その中で、外国語活動を現行の「5年生から」を「3年生から」とすることが検討されています。これは先に記した学校教育の目的や特性などに鑑みてゆっくり慎重に実施に移されていくことと考えます。
 これに対し大津市では、平成28年度からすべての小学1年生に対し週3回の英語教育が始まる予定です。確かに「先進的」ですが、実施に至るプロセスに本当に無理はなかったのか、この試みの評価をいつ、どのような手法で行うのか等、大きな疑問が残ります。

 元来、小学校低学年では、意思疎通の手段であり全教科の学習の基礎となる国語の教育が最も大切とされ、多くの時間が充てられています。子どもが国語を学びコミュニケーション能力を高めることと、その能力を発揮し地域での日常の生活を通じてアイデンティティの獲得を図ることを目的としたこの時期の国語教育は、同時にグローバル人材の「原石づくり」の側面をもっています。
 教育現場では、こうした考えに基づき綿密なカリキュラムを組んでおり、ひとコマずつの授業が必然性を持っています。その中に新たに英語の授業を加えると他の教科の削減に直結します。
 時間数の面でも全体的な教育目標達成の面でも必ずシワ寄せが出てきます。
 押し付けが許されない大きな理由はこのような教育現場の混乱です。だからこそ十分な議論が必要です。

 もし、越市長が、どうしても英語教育を充実させたいと望まれるなら、まず理念のレベルで教育委員会に伝え、現在の教育目標や教育課程から見てどう評価できるかについて謙虚に「耳を傾ける」ところから始められるべきでしょう。
 その結果、OKとなれば先ほどの話のとおり、様子を見ながら少しずつ実践に移していくことになるでしょうが、主体はあくまでも教育委員会・学校です。
 繰り返しますが、仮にこのようにして「英語教育の充実」が上手くいったとしても、次の市長が異なる主張をしたらどうなるのでしょうか。ころころ変わる猫の目教育の被害者は子どもです。
 だからこそ教育は、「熟議のうえのマイナーチェンジ」を旨とすべきだと考えます。

 今回の地教行法改正で新たに設置された総合教育会議でも、首長と教育委員との協議調整は行うものの最終的な執行権限は教育委員会に留保されることとなったのは当然のことと考えます。
 越市長のたっての要請により外部から招かれた優れた前教育長が辞任された後、今度は内部登用(元秘書課長、教育部次長であった職員)の教育長が誕生しました。
 この新体制での総合教育会議が本当に実りある協議となり、大津の子どもの健やかな成長のために機能することを願わずにはいられません。
 以上、越市長と英語教育について振り返りました。
 法の趣旨に沿っているか、教育現場の声を聞いているか、教育委員会の考えを尊重しているか、予算権をかざして教育委員会を従わせようとしていないか等々、自治体の首長が自らを再点検する際のチェックポイントがここに幾つも含まれていると私は考えています。

2015/09/22

28)越市長がブログに登場?!?

 「教育行政」の途中ですが、たくさん頂いたコメントを踏まえて少し記述します。
 越市長に関するコメントが多いことは、いま「大津市政」の連載中ですから当然でしょうが、どなたかの指摘にもあったとおり(私も市長への手紙に書きましたが)、越市長は大変注目度の高い市長です。批判か称賛かは別として注目度が高いのは、多数に訴えかけることが重要な首長にとってとても有利な条件であると考えます(いずれ越市長の「優れておられる面・美点」についても記述する予定ですが注目度の高さもその一つです)。

 そうした中、このブログに対し越市長ご自身がコメントを投稿されてはどうかとの意見が複数ありました。
 ブログに関しては、すでに先の市議会において藤井議員が「ブログに書かれているのは事実か?ブログを踏まえ反省する点はあるか?」という質問をされました。
 これに対し越市長、認識の違いを指摘されたうえ、一個人のブログに対して論評を差し控えるという趣旨の答弁をされました。
 どのような反論が展開されるかと待ち構えていた私としては肩透かしを食った思いでしたが、越市長のお立場も分からないではありません。
 そこへ今度は、議場ならぬブログにおいて直接に意見表明されてはどうか?とのコメントが寄せられたわけです。
 どうなさるかはもちろん越市長のご自由ですが、ブログを主宰する私としては大歓迎であることをここで申し上げておきます。
 特に、越市長が「言われっぱなし」であるというご意見も、少数ながら頂戴しています。越市長からご意見をいただくことはブログの趣旨にも合致します。もしご本人が投稿される場合は、あらかじめ私にご連絡いただけると間違いを防げると思います。
 私から越市長に投稿をお願いするのは失礼なことと思いこれまで遠慮していましたが、今回のコメントに対して私の態度表明をしたほうがよいと考えここに記す次第です。

 次に取り上げるコメントは「公開しないで下さい」と冒頭に書かれた私あての手紙のようなものでしたが、特養待機の記事に対して、児童の「隠れ待機」もあるという指摘でした。私の判断でその部分の趣旨だけ紹介させていただきます(コメントそのものは削除しました)。
 その内容は、「越市長のマニフェストには幼稚園の3年保育(3歳児保育)が書かれていた。行政内部でも以前から検討されてきたことである。ところが越市長は保育園にばかり力を入れ、幼稚園の3年保育を進めようとしない。結果として幼稚園教育を受けられない児童が1,000人ほどいる。これは公立幼稚園の4歳児の人数とほぼ同じである。隠れた待機児童となっている。保育園にも幼稚園にも市民のニーズはある。皆さんで議論してほしい」というものでした。
 私は書かれた内容を代弁する立場になく、明白な虚偽でない限り詳細確認を行っていないことは、公開している他のコメントと全く同様です。
 しかし、市長マニフェストに3年保育が掲げられていたこと及び、公立幼稚園の3年保育の実現を望む声があることは事実ですし、一方で待機児童対策にも役立つことから、これまでにも市長と教育委員会との協議テーマとなってきました。
 越市長は、3年保育を実施している私立幼稚園があること、公立幼稚園は定員割れの状況にあることから、これを実施するお考えはないと思われます。一方で保育園整備には大変積極的ですが、次々に新しい施設を作り維持していくことは大きな経費負担を伴います。
 既存の幼稚園の潜在力を生かすことは、市民ニーズに応え経費節減を図るうえでも意味があると思います。
 越市長は、なぜか保育園に比べて幼稚園に対する評価が厳しすぎますが、幼稚園の3年保育を積極的に検討されてはどうか、これは私自身の意見です。

 越市長のマニフェストに関しては逆のコメントもありました。つまり、マニフェストに掲げていない市民センターの統合や図書館の民営化についての疑問です。
 越市長としてはマニフェスト項目である「行革の推進」の一環かもしれませんが、市民センターは学区のあり方にも関わる大きな問題であり、図書館についても重要な施設であるからこそ協議会であり方の議論が重ねられてきました。ご意見はもっともです。
 いずれも公式見解は「現在検討中」なのでしょうが、こうした重要課題について多数の英知を生かし丁寧な議論を行うことが重要であると思います。







 
 
 

2015/09/21

27)大津市政の現状 12 (教育行政)

 お尋ねのコメントに分かる範囲でお答えします。
 特養(特別養護老人ホーム:介護の必要性の高い高齢者の入居施設)の待機者は、少なくともここ数年、1,000人を優に超える状況です。介護保険サービスの中身などを決める「大津市ゴールドプラン」に基づいて整備が進められていますが とてもニーズに追いつかない状況です。
 私は、「子どもの待機」と「高齢者の待機」への越市長の対応があまりに対照的だと考え、ブログで取り上げました。特養ホームの待機者ゼロを目ざしては、必要最小限の施設整備とあわせ在宅生活をしっかり支える施策が重要だと思います。
 現在の待機者の正確な人数はわかりません。ご存知の方の投稿をお待ちします。

 もう一つ、明日の大津を考える会・市民シンポジウムの今後の開催予定についてです。
 第1回が7月4日、第4回が9月19日で、これで終了だと聞いています。詳しくは事務局である大津商工会議所(http://www.otsucci.or.jp)にお聞きになれば分かると思います。
 私は資料でしか知りませんが、毎回、各分野で活躍される方々が登壇し鋭い問題提起や有益な情報提供をされたようで、明日の大津のまちづくりを考えるよいキッカケをつくって頂いたと思っています。

 大津市政の現状の連載にもどります。
 教育委員会は市役所の中の組織ですが自主性、独立性をもった存在です。そして越市長と教育委員会の関係は、度々議会でも問題視され、マスコミの注目も集めました。
 以下、教育行政について記述します。



大津市政12 ~教育行政~ 首長と教育行政

 ここでは前項に続き、内部事情として越市長と教育委員会との関係を見たいと思います。
 内部といっても教育委員会は自主性、独立性を持った存在であり、その根幹に関わる問題を見ていきます。

首長と教育行政

 すでに見たように越市長は「選挙で選ばれた自分の考えは市民の考えだ」という発想のもと、学校教育にも積極的に「関与」しておられます。そもそも、越市長はいじめ事件を契機として教育委員会廃止を主張されるに至った首長であり、こうした「関与」も越市長のお考えによれば「制度の不備を補い時代のニーズに応える教育改革の一環」なのでしょう。
 しかし、越市長が高い教育理念と見識の持ち主であったと仮定しても、そのことと教育行政に市長が関与することは別次元の話です。越市長が個人的信念を教育現場に政策的に強く押し付けることが許されるとすると、市長が交代して異なる教育理念を持つ市長が登場し、「前任者のやったことは廃止して私の信念を実現していく」と言い出した場合に、それを阻止する論拠がなくなってしまいます。政治が地方教育行政に関与することを一度認めたら、その後教育現場は首長選挙があるたびに教育理念、教育方法、教育プログラムを変更しなければなりません。それによって最も混乱するのは現場の教師であり、一番の被害者は子どもです。

 学校教育の役割は人間社会に蓄積されている文化を子どもたちに伝達し習得させることであり、子どもが将来、社会で人間として生きていくために必要とされる基礎・基本を培うことです。
 さらに、環境の変化に対応できる新しい文化を生み出し社会を更新的に存続させるために必要な能力を子どもたちに育成する役割も求められています。こうした、既成の文化の習得と文化を創造する能力の育成のために、学校は、子どもたちが自律と他人への思いやりをもち協同して問題解決をやり遂げるという経験を積み重ねる場でなければなりません。
 こうしたことから、公教育に携わる教育行政の責任者には腹をすえ、腰をすえてゆっくりと進める姿勢が求められています。

 「ゆっくり」の程度は、1期4年、2期8年どころではありません。教育現場の常識や専門家の
知見においては10年単位の尺度で語られており(学習指導要領もほぼ10年で改訂)、ある教育方法を導入してから効果を検証するまでには20~30年を要するという見解も一般的です。
 これに対し「社会の変化のスピードに対応していない」と批判するのは見当違いですし、もし4年の任期中に目に見える結果を出したいと考える首長がいるとしたら見識を疑われます。
 このように教育は、社会の存続に関わる息の長い営みであることから、教育基本法、学校教育法において、「政治的中立の確保」、「継続性・安定性の確保」、「地域住民の意向の反映」がうたわれ、首長からの独立性・合議制・住民による意思決定(レイマンコントロール)をもつ執行機関として教育委員会が運営されてきました。

 そして今回の地教行法改正においても、政治的中立性の確保に重きがおかれ、教育委員会は引き続き執行機関であり、新たに設置された総合教育会議でも首長と教育委員との協議調整は行うものの最終的な執行権限は教育委員会に留保されることとなりました。
 こうした教育の重要性と特殊性を踏まえた長年の知恵と経験の蓄積により、いまの法と制度があることをどれほど重く受け止めるか、これまた首長の見識と資質の問題だと思います。

2015/09/20

26)「明日の大津を考える会」のシンポジウムについて

 今回は教育問題の予定でしたが市民シンポジウムの話題に変更します。

 昨日(9月19日)、「明日の大津を考える会」による第4回市民シンポジウムが開催されました。
 事務局となっている大津商工会議所は、市内産業の振興、中小企業の経営の高度化などを支援する経済団体ですが大津のまちづくりとも深く関わる存在です。
 商工会議所が今の場所(コラボ21)に移転した時、私は産業振興課の主幹でしたが必要があって同所の歴史を調べたことがあります。そして、鉄道敷設や駅・道路の新設、市庁舎移転など様々な重要な場面で商工会議所が建議をしたり運動を展開するなど、大津のまちづくりに積極的に関わってこられた経緯を知りました。
 今回は「明日の大津を考える会」の事務局として、矢継ぎばやの市民シンポジウムにより議論を喚起されましたが、これもまた大津商工会議所の伝統であるまちづくり活動の一環であると私は捉えています。

 昨日はその最終回。八幡和郎氏が「大津市が市民満足度日本一の町になる条件を考える」という興味深いテーマで講演されました。その際に会場で配布された資料を入手したので「関係資料4」として掲載します。
 私のブログは、主に市役所あるいは大津市という「内部の視点」から記述していますが、八幡氏は他都市との比較、歴代市長の比較、自治制度からの考察といった「外部の視点」から分かりやすくお話しをされました。
 特に最後の部分で「日本の自治制度では現職が圧倒的に有利である。そのような条件下ではたとえ再選されても信任されたとは言えない。再選されればいいのだという甘えがないことを願いたい。」あるいは「市民にとって大事なことは現職も新人も同じ土俵において競いベターな選択をできる条件を作り出し市政に緊張感を創り出すこと」というご指摘が印象に残りました。
 このブログの趣旨(大津のまちづくりの「情報広場」となること)に沿うと考え、八幡氏のご了解をいただいた上で掲載するものです。

 なお、先日の投稿で「明日の大津を考える会」の議事録のリンクに感謝する、という趣旨のコメントをいただきました。このブログから「考える会」にリンクしていませんので、おそらく逆に同会事務局から当方にリンクされたことの勘違いかと思われます。
 このブログ開設時にリンクに関して何も表示しませんでしたが、どうぞご自由にリンクをはっていただきますように(リンクフリーと言うようです)。情報広場のフィールドが広がることは歓迎です。

関係資料4(明日の大津を考える会 八幡氏講演資料)





関係資料 4 明日の大津を考える会・第4回市民シンポジウム資料

<八幡和郎氏講演資料>

大津市が市民満足度日本一の町になる条件を考える

1)大津市と滋賀県について少し考えさせられるイメージ

①滋賀県は思ったより良い県だが県民所得5位以上にしてはイマイチ
②大津の中心街は県庁所在地とは思えない寂しさ
③草津などは全国有数の住みよい町だが大津はそうでもないらしい
④観光地としても悪くないが国宝の数ほどの魅力なし(ミシュランからは無視)
⑤いじめ自殺事件で市民の意識は低く女性市長が一人で頑張っているイメージ定着

2)歴代市長を振り返る

18 上原茂次 19521014日・・・岩波書店・県議・大溝町長・高島市出身 
19 西田善一 1964106日・・・商店主・県議・地元 
20 山田耕三郎 1972106日・・島津製作所・下阪本村長・県議・地元 
21 山田豊三郎 1980615日・・・助役・守山市出身 
22 目片信 2004125日・・・建設業・県議・代議士・地元 
23 越直美 2012125日・・・弁護士・大阪府出身 

3)知事・市長は過去の仕事の経験を活かすべきだが陥りやすい罠がある

地元政界有力者の市長ばかりが続いたあとだけに越さんへの期待は大きかったと思う。ただ、いじめ自殺事件でクローズアップされて成功を収めたものの、それがゆえに疎かになったものが多いと心配。

官僚(総花的になりがち・情の部分に欠けて上から視線)・政治家(選挙に勝てること優先で公平性に欠けやすい)・実業家(民間企業と公共部門の違いに無頓着・外部への迷惑軽視)・弁護士(正義はどうでもよくて自分の依頼人の利益擁護優先・相手の弱みを狙って攻撃しがち)

アメリカ式の考え方は企業経営も短期的な利益を重視し長期的展望を軽視しがち。新自由主義の深刻な弊害。自分の成功が組織の成功につながらなくとも良い傾向。

4)民間委託・経費削減と必要な投資や支出のバランスは取れているか

民間委託はだいたい短期的には効果が上がるが長期的には落とし穴も・・・名君・上杉鷹山の自戒と仙台藩の悲惨な失敗。

市立図書館の民間委託への疑問・・・武雄市は成功したのか? 図書館を考える大津市民の会の反対。行政に専門家がいなくなるような民間委託は失敗することを歴史は教えている。

数字合わせ優先ではないか?経費節減策だけでなく経済振興や徴税対策など税収増加策も工夫した方が良いという「大津通信」(茂呂前副市長主宰)の指摘はこの点に関してはであるが常識的な分析のように思われる。

国民健康保険料の値上げをめぐる議論・・・市場機構を重視したアメリカの平均寿命はキューバより低い

災害対策と合併特例債の活用を考えれば庁舎建て替えは少なくとも俎上に載せるべきとき

教育問題で全市一斉に斬新な実験をするのは成功率が低くコストパフォーマンスも低い(特別に手厚い予算と人材を投入したモデル校方式が妥当なことが多い)

5)大きな組織の長であることの権利より義務に思いをはせるべき

日本の地方自治体は知事・市長の権限が強いが自制は当然。そうでないとすれば制度として異様なもの。幹部の意見は民間で言えば役員のそれであり尊重されるべき。首長はオーナー社長ではない(任期だけの委託であるからサラリーマン社長と同じで長期的影響が出る改革には合意を得る必要)

公務員組織は企業と同じように長期に渡って生き続けるものであり、その時々の知事や市長のためだけにベストを尽くせば良いものでない(プロ野球の監督でもそうだ)

リーダーは本当にやりたいことで細かい指示を出したければ他は人に任すべし。東条英機がなぜ戦争を早く止められなかったかといえば多くの仕事を抱え込んだため。

官僚組織は外部からの刺激を受けての柔軟性を求められるが、組織のトップは部下と組織を使いこなすのが仕事であることも確か。また、公務員も人間であるから、民間企業の社員と同じようにやる気を引き出さねばならない。

以上のような組織の長として当たり前のことをできているかどうか冷静な自省をすることは義務。

教育委員会なども含めてリーダーに人事権はあるがあとはまかせるシステムには合理性がある。

大阪市の橋下市長の改革は大阪の特殊事情下においてショック療法的な一定の効果があるもので大津市で同じことをしても同じ効果があるとは限らない。大阪の各種組織は全国屈指の質の高さがあるが時代への適合を誤って迷走した状態。大津は同じではない。

また、京都に通勤・通学で通うなど両市にまたがって生活している人が多い特殊性がある。京都との関連も意識して大津市としてのグランドデザインを持つことが不可欠。

市政は市役所だけのものでなく各種組織の有力者との関係も大事。ボスや既存組織だけ相手にしてはダメだが各分野で尊敬を集めている人にもそれなりの敬意が必要。

6)女性市長として成功すると言うことはどういうことか

女性であることに甘えるべきでも甘やかすべきものでもない。また、女性首長がガラスの天井を開けるのに貢献することもあるが、やっぱりダメかとなることもかなり多い。

嘉田由紀子前知事は少なくとも県庁職員にとってはやりにくい上司ではなかった(組織人としての経験。善し悪しは別として何がやりたいか明白)。

せっかく女性が首長になったのだから、たとえば、外で働く女性だけでなく、専業主婦にも高齢者の女性にも女の子たちにも広く期待に応えるべき。

待機児童ゼロは数字あわせでないか、保育園の経営を圧迫していないか、ほかにしわ寄せがいっていないかなどの批判にも謙虚であるべし。

7)首長は再選が当たり前で信任を受けたことにならないことを自覚すべし

日本の地方自治制度では次点候補が議会に議席を持たないことなどから現職は圧倒的に有利であり、知事では現職の勝率は九割を超し市長でも八割くらいか。

そのような条件下では再選されるのが当たり前で、たとえ再選されても信任されたとはいえない。再選されればいいのだろうという甘えがないことを願いたい。

市民にとって大事なことは現職も新人も同じ土俵において競いベターな選択をできる条件を作り出し市政に緊張感を創り出すこと。

現職には自省のヒントに、意欲のある方には導火線につける火に、市民の皆さんには四年にいちどのお祭りを楽しむ糧にしていただければ幸い。



2015/09/19

大津市政11 ~予算編成および市民周知~

② 市民への周知について

 この項の最後に、越市長の「予算の見せ方」にふれます。
 越市長は平成27年度予算編成に着手する時点で既に「対前年度比マイナス予算とする方針」を固めておられたのではないかと推測します。もしかすると1期目最後となる次の編成作業(28年度予算)でも、早々とマイナスシーリングを決意しておられるかも知れません。
 越市長は「改革を進めた節約市長」として評価されたいとお考えのようですから、各年度の予算額と4年のトータル額を大いに重要視されることは間違いないと思います。

 先にも述べたように、地方自治体の予算は所得の再配分という意味合いが強く、市税を徴収し、
これを中心に交付税などと合わせた一般財源をいかにバランスよく市民に再配分するかが予算編成の基本です。
 もし仮に、越市長が新年度の税収見込みが試算されるまでに、新年度予算を対前年度比マイナスにする方針を決めておられたとすれば、財政状況の厳しさを市民に訴える意図があったとしても、余りに早すぎるでしょう。税収見込みが明らかになった後も方針変更はありませんでした。
 平成27年度は市税だけを見れば前年度比マイナスですが、地方消費税交付金等を合わせれば前年度比プラスですから、予算総額は若干のプラスとする(その分だけ多く市民に還元する)ことが妥当であったと考えます。

 予算案のプレス発表は越市長の得意とされるところで、その際には「平成27年度大津市予算案の提案に際して」と題した市長メッセージが添付され、市長自ら説明をされました。
 予算案の重点分野のうち「子ども・子育て・教育・女性活躍」では「待機児童ゼロからその先へ」というサブタイトルがつけられました。
 「高齢者施策」は内容の充実に疑問符がつきますが「高齢者が輝くプラチナ社会へ」という輝かしい副題がつけられ、「観光振興」では海外渡航客の入り込み促進のため「インバウンド元年」との位置づけがなされました。
 これらを嘘とは言いませんし、よりよく見せる工夫も大事です。しかし、ここまで見てきた予算編成の経過、結果としての予算の中身、市民への周知を考え合わせると商品に比べて包装の美しさが目立ちます。
 よく言えば宣伝上手、悪く言えば過剰包装が越市政の特徴的な一面であるという気がします。
(これはこの連載の最後に述べる「越市長の政治家像」の一つの要素です)。

 以上、この項目では、越市長の「予算編成および財政運営」を見てきました。
 これらは主として市の事務管理や意思形成にかかる事柄、すなわち市役所の内部事情です。
 ここで数々の問題点を指摘しましたが、「その結果として市民生活にどんな実害が生じたかを具体的に述べよ」と言われると、実はなかなか難しいのです。
 なぜなら、たとえ内部でどんなプロセスを経たとしても、市役所のアウトプット、つまり市民生活との接点としては「施策」でしかありえません。施策とは「 ~ 整備事業」、「 ~ 改良事業」、「 ~ 支援事業」、「 ~ 補助事業」といった名称から分かるとおり、市民のために役立つことを目的とするものです。 
 基本的に「良いこと」をする以上、仮に量の過剰や不足の問題があったとしても「実害の証明」は困難です。

 まして、大津市は現在、合併、鉄道駅や橋の建設など大きな課題に直面しておらず、一方で庁舎整備や競輪場跡地の利用問題は先送りにされています。ほかにも大津駅の整備は本当にこれで良いのか?大戸川ダムは今後どうするのか?など重要課題はあるのですが、これらについて越市長は正面から取り組もうとしておられるように思えません。
 結果として市民意見が大きく分かれるような政策選択は背景に退いており、より日常的な施策の集積が市民生活との接点にあって市政評価の手掛かりとなっています。
 こうして見ると、内部的に紆余曲折を経て出来上がった平成27年度予算案の問題点も越市長の政治家としての主張の反映であり、一概に不適切と断ずることはできません。だからこそ議決が得られたわけです。
 しかし、予算案が可決されたことと編成過程など内部の意思形成プロセスがすべて良とされたこととは別問題です。こうした認識を越市長がお持ちかどうかは不明です。

 ちなみに今、「越市長に目立つような失政はあったか、なかったか」という視点から越市政を評価する試みがあると聞きます。確かに一つの尺度だと思います。
 しかし、先ほど述べたとおりの状況のもとで「基本的に善を行う自治体」の首長が、平素の仕事すなわち通常の施策の実施において目立つ失政をする、というのはなかなか考えにくい事態です。「現職は強い」という理由の一つはこれでしょう。
 この尺度を補う複眼的な視点として「施策の後年度評価」があると思います。
 例えば教育施策のように結果が明らかになるのに時間を要するものは4年で評価が出来ないかもしれません。評価が固まった時にはすでに手遅れかも知れませんが。
 もう1つの視点は「やめた施策をもし実施していたらどうなっていたか、という仮想評価」です。
 しかし全市を2グループに分けて社会実験をやるわけにも行きません。実際のところこれらは実施困難な評価です。

 だからこそ、「後年度評価」を不完全ながら先取りするものとして、現在の施策立案に際する「プロセスや熟議」が重要であると思います。後述しますが、教育において熟議の上のマイナーチェンジを基本とすべきこともこういった事情です。
 「行わない施策の仮想評価」に代わり得るものとしては、市役所の外部から提示される「別メニュー」であろうと思います。例えば選挙の際に対立候補が自分の政策を訴え、現職の政策とどちらが良いかを問いかけるような場合です。
 何だか自分の設問に自分自身が上手く答えていないかもしれませんが、こうした事情を押さえておかないと市政の評価は難しいということを申し上げたいのです。
 現行のメニューだけを眺めて失政の有無を論じることは、あまり有効ではないと私は思っています。
 私見ですが、市民生活との接点は薄いものの組織運営や内部管理の問題も極めて需要です。
 (このことに関連して、税金がどれだけ躍動しているか?というコメントは興味深く拝見しました。)

 越市長の財政運営や予算編成についてはこれで一応終わります。
 次からは教育問題です。

2015/09/18

25)大津市政の現状 11 (予算編成および市民周知)

  ブログ開始後、1か月が過ぎました。66,000件のビューと130件のコメントに心からお礼申し上げます。国政で重大な転換が行われましたがブログでは大津のことを書き続けます。
 終了は未定ですが、年内には申し上げたいことをひと通り記述できると思っています。
(なお、9月24日から10月3日頃まで個人的な事情により一時中断させていただきます。読んでくださいとお願いしておきながらまことに申し訳ありません)
 さて今回は財政運営および予算編成の最終回です。次回以降は教育問題を考える予定です。


 大津市政の現状 11 (予算編成および市民周知)





2015/09/16

24)大津市政の現状 10 (予算編成の手法および市民周知)

 私が職員であった時の感覚でいうと、時間中、机に向かっているときは否応なしに「仕事モード」です。たとえ昼休みであっても、現在の仕事に直結する記事ででもない限りブログを見る気分にさえならない、というのが大方の職員の感覚だと思います。
 むしろ気になるのは、閲覧や投稿に何らかの制限がかけられているのではないか?という複数の感想です。実際に閲覧、投稿をするかどうかに関係なく、これは情報統制の問題です。
 真偽のほどは不明ですが「普通そんなことはあり得ない!」という世間一般の見方に、この際、私も同意したいと思います。
 このブログの目的の一つが職員の方々への応援(私の勝手な気持ちとして)ですが、実際には気苦労もおかけしていると思います。
 しかし、今後とも思うところをひと通り述べさせて頂きますので、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 大津市政の現状10(予算編成の手法および市民周知)



大津市政10 ~予算編成の手法および市民周知~

 少し細かくなりますが越市長の予算編成の手法と、その結果出来上がった予算の市民に対する説明の仕方について見てみたいと思います。

市長査定の妥当性について

 越市長の予算編成については既にふれましたが、ここでより具体的に確認します。
 越市長の時代となり、本来は最終ステージである市長査定において、しばしばスタート地点まで立ち返って「細かすぎる」査定が行われることとなり、積み上げてきた予算編成過程に対する部局の不信感に加え、大幅な手戻りによる時間不足と職員の超過勤務の増大が目立っています。

 ここで、越市長への手紙(本ブログの関係資料1)から一部を引きます。
「そもそも小事業の一つ一つまで市長が点検して万円単位まで意見を通そうとなさるのはいくら何でも行き過ぎです。財政課は、総合計画と市長マニフェストの推進のため厳しい財政状況の中で財源確保に努力しながら細心の査定を行っており、これに同課職員が手間ひま惜しまず本当に全力で取り組んでいます。
 その結果、予算編成は、市長査定の時には登山で言えば8~9合目までの高みに達していますが、その地点から登らず逆に麓まで戻って一々別ルートを探るようでは、いくら時間があっても足りません。財政課の職員からは『これでは我々は必要ない』とのぼやきが聞こえてきます。各部長にとっても、予算編成方針を踏まえて部内でさんざん議論し、財政課と協議を重ね、ようやく内示額を得た事業が査定の場において市長のひと言で値切られ、後はいくら説明しても聞いていただけない、しかも多くの部下がその様子を見ている、これでは全く救われません。」

 以上の引用は主として平成26年度予算編成に関する指摘ですが、その後、越市長は少なくとも編成プロセスの整理の必要性を感じられたようで、平成27年度予算編成から新たな取組みが始まりました。
 すなわち8月に各課から概算要求書を提出し、財政課が概算査定を行って市長に説明し了解を得たうえ、その結果をもとに中期財政フレームを作成すると共に予算要求基準(シーリング)を設定し、その基準内で予算要求を行うという手順が決められました。
 つまり、各部課とも概算査定額の範囲内で予算要求を行い、市長はそれを十分に尊重するというルールですが、実際には細部にわたる市長査定が行われた模様です。
 もっとも各部課も、市民や事業者の声、国の新規メニューに応えて新事業を立ち上げるためシーリングと別枠予算を要求することもあります。
 それだけに8、9月に行われる概算査定が重要であり、越市長は財政課から概算査定の結果報告を受ける際、総額だけにこだわらず新年度の大きな事業推進方針を整理しておかれるべきであり、それを基に主要な部分を、その時点で、自ら査定されることが適切と考えます。
 そして、少なくとも秋の主要事業ヒアリングの時点では新規事業を含めて新年度の事業展開の考え方や具体策をできるだけ正確に決定し、熱意のある言葉で部局に指示されるべきでしょう。

 このステップを飛ばし、翌年1月初旬に行われる最終段階の市長査定でいきなり「勝負する」のは無理があります。部局の新年度予算要求は財政課の1ヶ月を超える慎重なヒアリングと査定作業の後、12月下旬に総務部原案として市長に説明、1月早々に市長査定、2月初旬に記者発表というスケジュールです。
 最終段階の市長査定における余りに細かい査定(値切りや付け替え)は「市長査定」にふさわしくなく、また、その場で急に新規事業を指示したり、その財源捻出のため自分の関心の薄い事業に切り込むようなことは避けるべきであると考えます。

 平成26年度予算編成時の、小学校での外国語活動の効果的な指導方法について研究する「ICTを活用したティーチングメソッドの研究開発」や、平成27年度予算編成では「中学校給食実施に向けての検討」などの唐突ともいえる予算化は、対内的にも対外的にも様々な憶測や疑念を招く恐れがあります。
 財政状況が厳しい近年、市長査定における市長の「持ち金」の確保も難しくなっていますが、それまでの過程で市長の政策的意図は十分に反映される仕組みとなっており、その上で財政運営のプロである財政課が、全体のバランスを考慮した最終形に仕上げます。
 越市長は、自らが統御している組織の動きを自ら乱し、合理性をもったシステムを無視してまで些細なことまで何もかもご自分の気の済むように決定しようとなさいます。
「細部まで意のままにしたい」という欲求は、ひょっとするとご自分で抑えられないほど強いものではないかという気さえします。

 少々脱線しますが人事異動でも同じことです。
 人事異動で具体例を挙げるわけにいきませんが、人事課が3千人の希望調書等をもとに部局長ヒアリングを行い、総務部長、副市長と協議を重ねて越市長の所まで上がってきた人員配置案やその考え方に大きく信を置かず、細かい修正指示を繰り返して結論を先延ばしされるのが常で、結果的に議論不足となりがちです。
 言うまでもなく人事異動の主眼は、職員を育て、組織を更新し、両者相まって市民のためにより良い仕事を継続してなし得る市役所を作ることにあり、人事課は異動する職員個人と、人の出入りのある部局全体とを眺め、2~3年先の変化も念頭に入れて配置案を作成します。
 これに対し越市長は、職員に抱く印象や感情面の要素を主な手掛かりとし、ご自分の関心の深い課の人員配置を充実させることを優先されるように思われます。

 人を見るには直観も大切ですし市長の看板施策も大切ですからこれを全て否定するものではありませんが、やはり偏った人事となることは避けなければなりません。
 意のままにならない人間を遠ざけ、意見の合う人間を近くに置きたい心情は人の常ですが、度を超すと組織の健全性が損なわれます。これは特別職も一般職も同様です。
 越市長にとって職員は「大切な預かりもの」であり、ご自分の代で消費してもよい「私兵」ではありません。
 職員の間では「市長に直言したら飛ばされた」、「名刺配りがすむ前にまた異動になった」、「うちの課は市長の興味がないから人が減らされた」等という声が少なからず上がっており、サラリーマンのボヤキとして聞き捨てられない実態があると私は思います。
 人事も予算も市長権限ですが、権限は自省を伴って正しく行使されなければなりません。

2015/09/15

23)コメント御礼

 ここで閲覧とコメントのお礼を申し上げます。
 何度か書きましたが、このブログは大津市政の「情報広場」となることを目ざしており、多種多様な意見が行きかって市政への見方が複眼的になり深みを増せば、大津のまちづくりにプラスになると考えてやっています。そして事実とその解釈(市民利益の視点からどう評価できるかという私の意見)を記述してきましたが、この世は十人十色、立場も価値観もそれぞれ異なりますから解釈は様々に分かれることが自然です。
 したがって、ブログ開設者である私への疑問や批判も当然あるものと予期していました。
 その第1号が「ブログの意味合いに理解に苦しむ」というコメントでした。このご意見に対してまた「別の見方が提示され、議論が深まった気がします。
 第2号が「なぜ市民のためにあなたがやめてよかったというコメントをのせてくれないのですか」というご意見でした。誹謗中傷に当たらないので気づいてすぐにアップしたのですが、少々誤解があるようなのでひと言申し上げます。
 この方の口ぶりでは、前にコメントを投稿したが握りつぶされたとお考えのようですが、そうしたコメントは一切私の手元に届いていません。今日初めて見てすぐにアップしました(もし握りつぶす気ならこのコメントも載せません)。
 かといって、この方が嘘をついておられると思いませんので、「投稿はされたけれど私の所に届かなかった」と考えるしかない気がします。
 このブログはGoogleのBloggerというアプリを使っており、コメント投稿がスムーズにいかなかったり届かないということもたまにあるらしいと今になって聞くことがあります。もしやその加減でしょうか? しかし今回は無事に届き掲載もされたのでご容赦いただきたいと思います。
 ブログへの疑問や批判は今のところこの2件だけです。今後ともコメントを募る以上、それを尊重する姿勢はキープしていきます。
 さて、誹謗、中傷は載せないと言明しましたが、それに近い理由により削除したコメントがあることを事のついでに説明します。
 1つは、越市長に対する幹部職員の対応を順位づけたもので、批評を含んでいるものの戯画的であり個人も特定されるので削除しました。
 もう1つは、市役所内の出来事に関するもので議会質問も出たため周知の事実かも知れませんが、守るべき関係者の利益に反する可能性がゼロであると確信できなかったため削除しました。
 このコメントには「20年以上続いてきた水道の漏水調査が昨年12月で廃止になった。かつて水道料金値上げの代わりにサービス向上の一環で行うと議会で答弁し、20年以上続いてきた他都市に誇れるサービスなので残念である」という意見が続いていました。これも一緒に削除せざるを得なかったので、ここでご紹介します。
 コメントを頂くことは有難く、また難しいものです。
 私の「検閲」が許されるならブログ全体の調和が維持できますが、それでは情報広場の意味がありません。
 今後とも誹謗、中傷を尺度としつつ「明日の大津のまちづくり」に何らかの形で資するようなご意見を募っていきますのでご協力のほどよろしくお願い申しげます。
 市政の現状は次回に送ります。










2015/09/14

22)大津市政の現状 9 (主要計画やマニフェストとの整合性)

 たくさんのコメントをいただき「情報広場」になりつつある気がします。職員仲間同士での対話があり、このブログへの疑問もありました。また「マスコミによる公務員バッシングの結果としての『誤解』」を指摘されたコメントもありました。
 私見ですが、公務員に対する類型的な見方(ステレオタイプ化)の根底にあるものは、自分たちは税や規制などの負担に見合う利益を統治システムから還元されているのか?という市民の疑問(検証困難なため疑問が出るのも自然と思います)や、公僕という言葉への理解不足(「公」と「市民」は似て異なるもの。正確には公務員は「市民のしもべ」ではないはずです)があります。
 また、時に「公平、平等」という理念の機械的解釈に逃避したり前例を重んじる風土、すなわち「お役所仕事」に対する批判もあるでしょう。さらに身分的安定性への反感もあるかも知れません。
 これを論じだすと「公」の概念を避けて通るわけにいかず本1冊分になるでしょうし、とても私の手には負えません。
 それを飛ばして結論だけいうと、私自身が元公務員で内実を知る者ですがステレオタイプ化は「根も葉もないことではないけれど正しい見方ではない」と考えています。
 そして、職員の方々の真面目な議論(今の市政のあり方に対する意見)を広く市民の方々に広げていく上で、こうしたステレオタイプ化を乗り越えていく必要があると思います。
 ここで民主主義という言葉をもってくるのは少し大げさですが、コメントにもあったように、今日の民主主義を皆が(公務員も市民も)考えなおすという大きな文脈に位置づけられることだとも感じます。
 私は越市長の組織運営に大きな疑問を感じていますが、こうした面で市民の広いご理解を得られないと「コップの中の嵐」にとどまるのでしょう。しかし、私がそれこそ「公共の利益」を念頭に置いて「瓶づめ通信」を流したところ、これだけの「応答」をいただきました。あきらめることなく今しばし続けようと思っています。
 最後に1つ、このブログは、越市長を頂点とする組織のマネジメントに対して小さな雑音として響いているかも知れません。よかれあしかれ保たれている今の秩序を乱す邪魔者かも知れません。
 しかし私は市役所を攻撃するのではなく擁護しているつもりですし、越市長はじめ職員の方々のお役に立ちたい(それが市民のためになる)と信じてこれを行っています。
 さて、今回は市政の現状のうち「主要計画やマニフェストとの整合性」です。








 
 

大津市政9~主要計画やマニフェストとの整合性~

 越市政の様々な側面を見てきましたが、ここでは市の主要な方針や市長ご自身のマニフェストから見た問題点を考えます。
 大津市のまちづくりの基本的な計画は市議会の議決を受けた「大津市基本構想」とそれに基づく「総合計画」であり、いずれも市民、事業者、有識者等からなる策定委員会の議論を経て策定されました。その内容を市民があまりご存知でないのは残念ながら行政計画にありがちのことですが、市政を預かる者にとってはこれらが第一に拠るべき規範です。
 さて、少子高齢・人口減少社会を展望して大津市基本構想が示すまちづくりの理念は、市民、事業者、行政という3つのセクターがそれぞれの役割を理解し、連携、協力するという「三者協働」です。三者のうち「事業者」は、総体として企業市民であり、部分を見ると勤労者たる市民により構成されています。また「行政」が市民サービスを旨とするのは言うまでないことから、三者協働の実質的な主役はもちろん「市民」です。
 私の知る限り越市長はこの理念にほとんど関心を示されませんでしたが、これは既に指摘したとおり、市民(市民団体)の担っている多様かつ重要な活動に対する無関心、無感動と根っこが同じだと思います(この指摘に疑問を感じられる向きは、各種市民団体の率直な声を聞かれるとよろしいかと考えます)。
 一例をあげると公民館のあり方の見直し(運営委託、縮小、一部廃止などの「合理化」)も、三者協働の理念に対する越市長の認識不足を背景とした経費節減策ともいえるというのが私の意見です(公民館については教育の項目の中で再度ふれます)。
 今、まちづくりの理念に関して指摘しましたが、総合計画に基づく第3期実行計画に照らして、また越市長のマニフェストから見ても、高齢者福祉の取組みが停滞しています。
 既に指摘した通り、越市長は、高齢者福祉に対する関心が低く、若い世代に注ぐ眼差しと比較すると冷淡とさえ感じられることがあります。越市長は、祖母の家族介護の体験が政治家を志した原点であると語っておられるのにこれは不思議な気がします。
 ひょっとすると越市長は、多数の高齢者(年金受給世代)を少数の自分たちが支えていると考える若者(将来の年金が当てにならないと考える世代)の不満の代弁者を自認しておられるのではないか?と勘ぐりたくなるほどです。
 年金、介護、医療とも構造的な問題を抱えるなか世代間扶養にきしみが生じていますし、高度成長期に育った私自身も、今の若い世代(自分の子ども世代)は気の毒だなあと感じることがあるのは事実です。しかし言うまでもなく赤ちゃんから高齢者までが市民です。

 このような越市長は、高齢者が頼みの綱とする国民健康保険の保険料大幅値上げをためらわれることなく、大切な在宅介護支援策である「紙おむつ支給事業」のごく僅かの拡充にも理解を示されませんでした。
 平成27年度の当初予算では「高齢者が輝くプラチナ社会へ」と銘うって、介護人材の確保に対する助成制度の創設(2,000千円)と元気な高齢者の就労意欲を活用した地域における子ども・子育て支援への参加促進(2,539千円)を強調されていますが、老人医療費助成事業費の前年度からの落ち込みは、はり・きゅう・マッサージ施術費助成事業について平成27年4月より助成対象を月2回から月1回に見直したことによります。老人クラブ活動助成事業費の前年度からの減額も老人クラブ連合会と単位老人クラブの補助基準額の引き下げによります。
 私自身、かつて担当部長として高齢市民の扶助費が増加する中、施策の見直し(スクラップアンドビルド)に頭を悩ませたことがあり、これらを単体で取り上げ適不適を論ずることは難しいと思います。しかし、いじめ対策、待機児童対策、英語教育など越市長の看板施策の推進(時には担当部局の要求を大きく上回る予算査定)とは対照的に、市長マニフェストの大きな柱の一つである「高齢者が健やかに生活できる環境づくり」はむしろ後退していると言わざるを得ません。(⇒資料3のうち「老人福祉費の推移」参照) 
 さすがに越市長もこれを意識してか最近は高齢者福祉の進展のPRするかに腐心しておられると聞きますが、見かけより中身と心が大切だと思います。

 その他、行革プランとの整合性は前記のとおりであり、中期財政フレームから見れば平成27年度当初予算はこれといった問題点は見当たりません。
 しかし10年計画の最終年度を迎えた大津市・志賀町合併建設計画の推進は、本当にこの程度でいいのか疑問が残るところです。
 旧志賀町住民からは度々、合併後良くなったことは何もない、何もしてもらっていないという言葉を聞きます。その中には主体性に欠ける発想も見え隠れして言葉のままに受け取れない面もありますが、確かに合併後に旧志賀町で目に見えて変わったこととしては、「都市計画道路近江舞子線」、「道の駅妹子の郷」、「JR和邇駅前広場整備」くらいです。
 合併特例債の発行可能額は200億円あるのにまだ70億円余りしか発行しておらず、発行期限はあと5年です(庁舎整備の項目でふれたとおり)。
 なにも目一杯使うべきだとは主張しませんが、合併後の「一体化」という大切な目標を達成するための有利な財源です。建設計画によるまちづくりの進展に期待を寄せ合併という大きな転機を超えた旧志賀町住民のニーズに対して、ていねいに向き合う姿勢が大切だと考えます。

2015/09/11

21)大津市政の現状8 (財政運営と予算編成) 歳出バランスの課題

 ページビューが5万を超えたお礼を書こうと準備しかけたら5万2千を超えました。人数×回数ですから実人数ではありませんが、私の予想をはるかに上回って多くの方々にメッセージが届いていることを有難く思います。地味なテーマの中に重要性を見出してくださった多数の方々の存在や傾聴すべきコメントの数々を考えるとき、「波まかせ」の気持ちで始めたブログの可能性を私はもっと信頼してよいのだという気持ちになります。読者の皆さまに感謝!の一語です。
 どうかこの輪を、市政にあまり関心のない方々へも広げてくださいますようご協力をお願いいたします。 

 ここで、私の手元まで届いたけれどブログに掲載しなかった幾つかのコメントに言及します。
 越市長に対する議会の姿勢に関して、もっときちんと対峙してほしいという趣旨のコメントが複数ありましたが、穏当でない表現が一部含まれていたので削除しました。
 また、庁舎整備に関する越市長の姿勢を疑問視するコメントがありましたが、現在の情報量だけでは無理のある断罪とも受け取れる言葉が含まれていたため削除しました。
 さらに、自分自身も越市長のパワハラの被害者であるという趣旨の投稿がありました。告発と中傷の可能性がありますが、判断が不可能なため削除しました。もし万一、そういう方が実在するならば、別の救済手段を講じられるのが筋かと思います。
 もう一つ、他人のコメントに対する疑問を表明されたコメントがありました。「情報広場」を目ざす私としては歓迎すべき展開なのですが、あまりに詰問調であり割愛させていただきました。
 コメントが載らなかった方々には是非ご理解を頂きたいと存じます。

 先ほどブログという通信手段の可能性を語りましたが、やはりそれはリスクと裏腹です。
 私に偉そうな批評はできませんが、これまで頂いたコメントは、きちんとした傾聴に値するご意見が大半であったと思っています。しかし中には、その方の主張が十分理解できるコメントであっても、単語一つで「これはまずい」というものがあります(逆に、もし私の考えと相容れないコメントがあったとしても表現等に問題がなければ掲載するのは当然です)。
 今後とも大いにコメントを募っていくつもりですが、中にはこの場に訴えるしかない切羽つまった叫びもあるでしょう。客観的な批評、目の覚める指摘、いやがらせ、からかいもあるでしょう。果ては「なりすまし」もあるかも知れません。誹謗、中傷は除いて何でもありの「情報のごった煮」から何かを読み取っていく作業(全体を受け取り眺めること、取捨選択すること、自分の考えに照らすこと等々)がブログ開設者である私に課せられた(そしておそれながら読者の皆さまにも求められる)ことではないかという気がします。
 大津市政の現状を連載していますが、今回は予算執行上の問題です。

大津市政の現状8(財政運営と予算編成) 歳出バランスの課題




 


大津市政 8 ~財政運営と予算編成~ 歳出バランスの課題

歳出バランスの課題
 ここでは越市長の予算の使い方を見たいと思います。
 歳出を性質別に見ると、特に扶助費、維持補修費、投資的経費のバランスが取れていません。高齢化と低成長のトレンドの中、一旦制度化した扶助費を縮小、廃止することは中々できませんが、常に事業の検証と見直しを行い不要不急の事業は廃止するなどして扶助費の伸び率を抑制することが重要です。
 こうした中、越市長はマニフェストに掲げた保育所の待機児童解消については並々ならぬ執念で民間保育所誘致を推進し、今年4月時点で待機児童ゼロを宣言されました。まずは目出たしですが、施設建設時の補助金に加え、後年度負担として扶助費である民間保育所運営費が大きくふくらんでいく(少子化トレンドの中で)ことを勘定に入れなければなりません。一方で作ったばかりの保育所が早くも定員割れを起こしている様子を見ると、やはり急激に作りすぎであると言わざるを得ません。とにかく一時的にでも待機児童ゼロを達成しようと保育所予算(扶助費)にお金をつぎ込んだ感があります。マニフェスト実現のための無理な出費は一体どこまで許されるのでしょうか?⇒関係資料3のうち「性質別当初予算額の推移」参照)

<保育所増設の状況>
平成24年度~27年6月までの定員増は1,762人(5,358人から7,120人へ1.3倍増)
  新設保育所は21園、増改築は6園
<定員割れの状況>
  公立保育所:4園 69人、民間保育所:9園 356人、認定こども園:3園 151人
  以上合計:16園 576人の定員割れ (平成27年6月時点)
 
 定員割れの中には既設保育所も一部含まれるため単純比較はできませんが、定員を1,762人増やす一方で、その3割を超す576人の空きが生じています。中には定員の8割が空いている新設園もあり、保育の質と経営の安定性の確保が懸念されます(本年6月時点)。
 保育所の整備は、地域的な偏りも含め親の保育ニーズとの不一致の問題に目を向けないと大きな無駄遣いになりかねません。なお、待機児童ゼロ宣言が行われた時も、「うちの子は入れない」という声が聞かれました。大津市の待機児童は厚生労働省の認めたカウント方式によっており、親が特定の保育所を希望していて他園のあっせんを断る、求職活動を休止している、産休・育休あけの利用予約といった場合は、待機児童として見なさないでよいことになっています。ボーダーラインをどちらにカウントするかにより数字が大きく変わる可能性がありますが、この算定方式と新規開園ラッシュにより平成27年3月末に百数十人あったと聞く待機児童が発表時点で一気にゼロになりました。現在は何人となっているでしょうか?
 一方で、同じ扶助費の中では、特別養護老人ホームの待機者(申込件数でなく実人数)が1,000人を超える状況が固定化しています。大津市は、介護保険と医療をうまく組み合わせ、行政も地域も協力して可能な限り高齢市民の在宅生活を支援しようという考え方(地域包括プラン)に立っており、これは妥当であると思います。しかし「在宅重視」といっても、最小限度の入居施設(我が家の代わりとなる施設。特別養護老人ホーム、養護老人ホームなど)は必要です。子どもの待機ゼロは結構なことですが、高齢者の待機はどうなるのでしょう。1,000人以上を一気にゼロにはできないでしょうし、在宅支援にもっと努力することも大事ですが、子どもも高齢者も同じ扶助費の枠の中です。少しくらい工夫の余地はないのでしょうか。

 扶助費がふくらんでいる反面、維持補修費が予算総額の約1%にしか過ぎないというのも問題です。
 公共施設の新設や増設は難しい時代であり、だからこそ、市民にとって必要不可欠な公共施設は可能な限り長く大事に使えるよう延命対策を十分に講じておくことが重要です。ところが越市長の指示は端的にいうと「壊れるまで待て」であり、特に斎場、ごみ焼却場、市民ホールなどの担当者は日々、胃に穴の開く思いをしています。計画的な維持をする気がなければ、いっそのこと維持補修費の小出しを止め、施設の早期建て替えに方向転換する方が費用対効果の面から有利な場合もあります。

 また、投資的経費が予算総額の1割にも満たないという問題もあります。
 インフラ整備の中でも道路整備は、特にまちづくりの観点から重要であり、南北に細長い大津市において、幹線道路整備はもちろん、狭隘な生活道路の側溝整備に至るまで学区要望の大半は道路整備に対する要望で占められているのが現状です。繰り返しますが、道路整備はまちづくりの原点と言っても過言ではありません。子育て支援は重要ですが、やみくもな保育所新規開園ばかりが能ではありません。
 限られた財源の中で少しでも扶助費の伸びを抑制し、その分を少しでも道路維持費や道路整備費に振り向けるべきであると考えます。
 将来世代へのツケを残さないと語る越市長ですが、公共財である施設や道路も残さないお考えなのでしょうか。(⇒関係資料3のうち「道路関係費の推移」参照)





2015/09/10

20) 大津市政の現状7(庁舎整備について)

 ふたたび大津市政に話を戻します。財政運営および予算編成に関連して、財源確保の観点から庁舎整備について記します。
 庁舎整備はゼイタクではなく、古い、狭い、弱いという課題克服のための切実な話です。
 これまで耐震診断を行ったほか、整備の必要性や手法について公募委員にも加わっていただき種々検討してきた経緯があります。
 こうした中、市役所の隣接国有地を利用できることとなり、現地建て替えの可能性が広がりました。とはいえ庁舎整備は大事業。いまのところ市民の理解はとても得られていない状況です。
 この項目では、何がなんでも庁舎を建てるべしなどと主張するものではありません。
むしろその反対で、庁舎整備の実現性が大幅に下がりつつある現実を市民に説明すべきだと主張するものです。ここ3年ほど庁舎問題に積極的に取り組んでこなかったため、期間限定の「合併特例債」の活用が見込めず、庁舎整備が限りなく遠のきつつあるという状況説明を、今の市政の責任者として行うのが市民への務めではないか?という問いかけです。
 このまま手をこまねいていては、大きなチャンスを見逃して将来にツケを残した市長と言われかねません。
     
  大津市政7(財政運営と予算編成・合併特例債をめぐって)





大津市政7 ~財政運営および予算編成~ 合併特例債をめぐって

 話のついでに、財源確保の観点から大きな問題に直面している庁舎整備について述べます。
 市民からご覧になると市庁舎は市職員の執務場所であり、ご自分は年に一度行くか行かないかの縁遠い所。庁舎整備には関心が薄いかも知れません。
 しかし市の業務は、戸籍、住民基本台帳、税、国保、国民年金、福祉、介護、消防、救急、水道、ガス等々、市民生活の全般に及んでいます。
 これらに関する膨大な情報を蓄積して日々更新・活用しており、また各種サービスの担い手を抱えています。市庁舎も中で働く職員も市民の財産です。
 外観からは分かりませんが大津市庁舎は、躯体、設備とも老朽化が著しいうえ、昭和42年の建設当時から人口が2倍以上になっているため大変狭く、執務空間はもちろんのこと福祉や税、戸籍など窓口スペースの不足が深刻です。 
 さらに問題なのは、耐震性能が公共施設として守るべき基準を大幅に下回っていること(基準耐震指標が0.9必要であるところ最低箇所はわずか0.11)。大規模地震の際には、とても来庁者や職員の安全を守ることができません。いま「おもてなしの日」があるようですが、強度的には「おもてなし」どころではないのです。いざという時、災害時緊急対策や復興対策の拠点施設が機能しないという最悪の事態は何としても回避しなければなりません。

 そこで市は、10年ほど前から庁舎整備の手法や財源について様々な検討を重ねてきましたが、折から、隣接国有地利用の目途がたち、経費面でも建設中の市民サービス維持の面でも大変有利な現地建替プラン(既存建物一部活用、仮庁舎不要)の実現可能性が大きく開けました。
 そして平成26年10月、国は大津市をこの土地の処分の相手方とし、とりあえず2年間は大津市が国有地の管理を受託するという契約が結ばれました。
 越市長は庁舎整備の必要性に対する認識が低かったのか、或いはマニフェスト事業以外の支出を回避したかったのか長らく傍観者のような態度でしたが、議会からも認識を問われようやく管理受託契約となったところです。

 そして、いまから一定期限内に庁舎建設を完了すれば極めて有利な「合併特例債」が活用できます。
 この起債は、平成の大合併による新市町村建設計画の事業費として特例的に起債できる地方債で、事業費の95%に充当でき国が返済の75%を負担してくれるという、大津市にとって(どこの自治体にとっても)極めて有利な財源です(償還期間は3年据置の25年以内)。発行期限は合併から10年(平成18年度~27年度)ですが、合併建設計画の延長の議決があれば5年間の延長は可能です(平成32年度まで)。
 もし国有地を購入するなら、大津市は2年の受託期間内に態度を決めなければなりませんが、このことと合併特例債の活用は切り離せないワンセットの話です(隣接国有地以外に移転先を決めて用地交渉のうえ取得し、平成32年度までに設計、建設を完了することは事実上不可能です)。
もし仮に、庁舎の建設費が100億円とすれば、起債95億円、当座の一般財源は5億円です。将来的には95億円の70%(66.5億円)は交付税で返ってくるので、実質一般財源は利息も合わせて40億円にも達しないと考えられます。もちろん決して安くない金額ですが、大津市の一般会計予算の4%未満の額で、しかも分割払いです。

 大津市はこれまで学校やその他の公共施設の耐震化を優先してきましたが、それが一段落した今、大規模災害への備えの点からも庁舎整備は待ったなしの課題です。そして越市長はご自分の任期中に、隣接地と特例債がセットで活用できる千載一遇のチャンスを迎えています。というより正確には、チャンスを逃しかけていると言った方がよいかも知れません。特例債の期限は今年を入れてもあと5年。それなのにまだ計画作りの段階というのではあまりに遅すぎると思います。これを見送っても庁舎整備は避けて通れない重要課題です。いずれ、より高い事業費で、圧倒的に不利な財源で着手せざるを得ません。
 民間住宅の耐震改修も思うように進まない中で庁舎に税金をかけるのか、という声も当然あるでしょう。住宅耐震化も大事ですが、災害時の市役所の機能維持は別次元の問題として極めて重要です。庁舎整備は十分な市民合意を得て進めるべき大事業ですが、内部的な調査検討はすで2回も実施済みであり、市民への問題提起および説明の機会はこれまでにあったはずです。その機会を作ろうとしなかったわけですから、現段階で庁舎整備が市民合意を得ているとはとても言えません。その中で整備を前提とした合併特例債の話を持ち出すことは現実離れかも知れません。
 しかし、越市長は、いま極めて有利な財源を活用するかしないかの分かれ道に立っておられます。次の市長(或いは越市政2期目)の時は、特例債の活用は現実的に不可能です。その選択の時は今です。越市長は、「あえて合併特例債を活用しない」、すなわち「将来に約束される極めて大きな利益をあえて求めない」という大津市にとって重大な決定を行うことを、市民に対し明らかにすべきだと考えます。停留所で待っていても既に発車したバスには乗れません。越市長は、もう巡ってくることはないバスを見送る考えのようです。それならそうと市民に説明すべきです。そして、「大地震が来ても庁舎の機能維持はこのように行うから大丈夫」という対案を同時に示すべきです。それが市長の責任でしょう。

 ちなみに越市長は、毎年度の予算の見た目(すなわち事業費)を大変気にされます。大津市民の利益を考えるなら市の直接負担である「一般財源」がいくらかが重要です。これに国県補助金や起債などを足すと事業費になります。起債は借金ですが、だから悪ではありません。負担の平準化になるうえ、優良な起債もあります。一般財源を抑えつつ補助金などを最大限に活用して事業費を確保し、駅周辺整備、道路整備、福祉の充実、産業の振興などを進めるのが市の仕事です。仮に前年と比べ事業費が増えても一般財源が減れば収支両面において市民のためになるわけですが、越市長は、あくまで事業費を減らすことを第一とする発想です。その理由は、「市民の印象は新聞の見出しなどに左右されるのであり、見出しにはまず事業費が載る」というものです。
 説明し理解を得て大津市のために良いことをするという姿勢が重要ですが、特例債の話も事業費のアナウンス効果にこだわる話も根は一つという気がします。
 マスコミを通じて広がるイメージ(表層的な印象)や目先の自分の利益ではなく、将来にわたる市民の利益を追求するのが政治家というものでしょう。
 ついでと言いつつ長くなりましたが、財源確保に関して合併特例債という今だけの制度にふれました。最近の例では米原市が合併特例債を活かして庁舎整備を進めているとの報道がありました。

2015/09/09

19)議会との向き合い方 ~昨日の市長答弁に思う~

 前回の記事でブログに関する議会質問を取り上げました。議会審議について一々発言するのがブログの趣旨ではありませんが、越市長の姿勢に関することでもあり今回は感想めいたことを書かせていただきます。
 越市長の「パワハラ疑惑」については、私の知る限り4紙(9月9日朝刊)に掲載されました。
見出しだけ紹介しますと「越市長、パワハラ疑惑で弁護士相談 議会に費用説明せず(京都)」、「「パワハラ疑い 大津市長が釈明 市議会一般質問(読売)」、「市予算でパワハラ調査 大津市長 2月の補正に計上(中日)」、「大津市長のパワハラ調査 『弁護士報酬 説明ない』 市議反発(産経)」というものです。
 越市長は、弁護士の参考意見でパワハラはないとの結論を得ていると答弁されました。私は自分の退任後に出された弁護士の「参考意見」の中身を知りませんが、越市長の答弁は事実に基くものであると信じています。しかし、弁護士の意見書は「パワハラはなかった」という1行だけだったのでしょうか?
 当時、パワハラ、セクハラの調査は確か部長級をトップとする職員が行っていました。しかしこの案件は越市長が関係者であるため、私が申し出て私自身が関係者への聞き取り調査を行うこととしました。聞き取りを終え、最後に越市長から事の次第を詳しく伺う段階になって、越市長は外部の弁護士に調査を委ねると言われたためそれに従った経緯があります(私の調査結果は参考資料として弁護士に提出されたと記憶しています)。なお、私は自分の調査した限りにおいてこの案件に対する見解を持つに至りましたがここで述べることではありません。
 これまで繰り返し書いてきましたが、市長の権限は絶大です。特に組織内では絶対的な存在です。大きな責任を併せ持っています。そして権力は、それを持つ人をしばしば鈍感にします。だからこそ市長には人の十倍百倍の自戒が求められると思うのです。これは市長の行動の是非を論ずる際の大前提のような話ですから、おそらく「参考意見」にもこれに類する記述があったのではないか?市長が自重することの大切さが説かれていたのではないか?私としては、そのように推測しています(もちろん、この推測が当たろうが外れようが意見書の結論には何の関係もありません)。
 昨日の議会質問を聞きながら、真に問われているのは今書いたようなこと、すなわち「市長の権限と責任に関する越市長の認識」ではなかったかと思うのです。質問と答弁がかみ合って市政の改善に役立つことを祈る、と記事(18)で書きましたが、祈りむなしく、という印象でありました。

 もう一つ、このブログについて越市長がお答えになりました(というかお答えになりませんでした)。ブログの内容が事実かどうか?は、私にとっても興味深い質問でしたが、答弁では直接に言及せず「認識の違い」を説明されたように聞き取れました。確かに、認識が一致していたら私も辞める必要はなかったかもしれません。惜しむらくは、何に関してどのように認識が違うのかの説明がありませんでしたが、市長には個人のブログについて感想などを言わねばならない義理はないのでしょう。
 しかし、この答弁に対しても、失礼ながら「祈りむなしく」という思いをいたしました。
 
 議会の質問、答弁は市政において極めて重要です。
 答弁者は、市民代表の問いかけの真意をまずしっかり受け止めることが大事です。その上で市長の場合であれは、ご自分の価値観、哲学、時に真情などを堂々と述べられたら良いと思うのです。文字面を眺めて意味のやり取りだけになってしまってはあまりに残念です。傍聴する市民も、言葉のむなしさを感じられるのではないでしょうか。
 もちろん、私も答弁に汗をかいてきた身であり、答弁の社会的意味(効果や責務)を知らないわけではありません。正確さと慎重さを期すべきことも分かっています。しかし、越市長の議会答弁は、もっともっと良くなる余地が大変に大きいと思っています。本当に僭越ですが思うところを率直に書かせていただきました。次回は「市政の現状」の続きを書きたいと思います。











 

2015/09/07

18)ブログに関する議会質問

 アクセス件数が42,000件を超えました。市政情報のチャンネルは多様なほうがよいと思います。 私たちは、新聞・テレビ、市や議会の広報、議会審議、各種会議などを通じて市政情報に接することができますが、このブログもその片隅に小さな位置を占められるよう努めていきます。
 皆様には、こうしたブログがあることを是非お知り合いにもお伝えくださるようお願い申し上げます。
 さて、大津市議会の一般質問が始まりましたが、藤井哲也議員がこのブログについて越市長に質問されます(9月8日になるでしょうか)。ブログの内容は事実かどうか?反省される点はあるか?という質問のようです。私も越市長のご感想を伺いたいと思っていたら、突然その機会がやってきました。私は越市長とのやり取りを大抵記録していますが、市長にはご自身の見解がおありでしょう。いずれにしても質問と答弁がかみ合って、越市政を良い方向に進めることに役立つよう祈っています。

 ブログ関連の質問はもう一つ。谷佑治議員が「市長が原因者となって執行されたパワーハラスメントの調査に要した弁護士費用について」質問されます。この調査の結果は私も知りませんが、調査対象事案についてはよく知っています。そのことを引き合いに「聞く耳」を持つように市長への手紙にも書いたところであり、真面目で誠実な当該職員の名誉にも関わることと思っています。
 質問内容は経費支出に関することのようですがネット中継で拝見したいと思います。今回は29人が質問に立たれるようで過去最多と聞きました。
 今回は「大津市政の現状」はお休みです。
 






2015/09/06

関係資料 3 平成27年度大津市当初予算概要(一般財源、性質別、道路、老人福祉)


<平成27年度当初予算の主な一般財源> 単位:千円
平成27年度
(a)
平成26年度
(b)
増減額
(a-b)
増減率
当初予算総額 108,422,000 113,165,000 △ 4,743,000 -4.2%
 うち市税(ア) 48,607,000 49,024,350 △ 417,350 -0.9%
 うち地方譲与税(イ) 725,500 728,300 △ 2,800 -0.4%
 うち県税交付金(ウ) 5,604,700 3,921,400 1,683,300 42.9%
 うち地方消費税交付金 4,830,700 3,201,600 1,629,100 50.9%
市税・税外収入計(ア+イ+ウ) 54,937,200 53,674,050 1,263,150 2.4%
※平成27年度の一般会計当初予算総額は108,422,000千円で前年度に比べ4,743,000千円、4.2%の減である。しかし一般財源のうち市税はもちろん、制度上実質的に市民が国税や県税として負担し、市に還元される地方譲与税と県税交付金を合わせた額は、前年度に比して1,263,150千円、2.4%の増となっている。
<性質別当初予算の推移> 単位:千円
平成24年度 平成25年度 平成26年度 平成27年度
義務的経費 59,072,282 59,405,628 60,332,993 60,395,960
 うち人件費 20,140,868 20,390,092 20,174,314 20,406,375
 うち扶助費 26,656,296 27,232,654 28,276,645 28,976,055
 うち民間保育所運営費 4,714,065 5,074,533 5,447,515 5,652,958
 うち公債費 12,275,118 11,782,882 11,882,034 11,013,530
一般行政経費 34,495,309 35,855,402 38,061,111 37,891,341
 うち物件費 15,161,324 15,538,724 16,853,939 17,154,577
 うち維持補修費 1,367,919 1,473,409 1,299,391 1,313,653
 うち補助費等 2,561,462 3,179,648 4,186,459 2,693,523
投資的経費(普通建設事業費) 8,745,409 12,353,970 14,670,896 10,034,699
 うち補助事業費 5,096,482 7,331,604 8,227,773 5,637,356
 うち単独事業費 3,567,705 4,953,223 6,362,289 4,326,681
合   計 102,413,000 107,715,000 113,165,000 108,422,000
※民間保育所運営費の伸び率 2.44% 7.65% 7.35% 3.77%
<道路関係予算の推移> 単位:千円
平成24年度 平成25年度 平成26年度 平成27年度
道路維持費 276,654 414,184 423,165 459,522
道路新設改良費 1,190,445 872,592 819,342 877,698
街路事業費 1,443,771 1,820,105 1,823,314 1,348,837
合   計 2,910,870 3,106,881 3,065,821 2,686,057
<老人福祉費の推移> 単位:千円
平成24年度 平成25年度 平成26年度 平成27年度
民生費、社会福祉費、老人福祉費 3,817,571 4,099,971 4,768,038 4,079,474
 うち後期高齢者医療推進事業費 2,730,675 2,809,353 2,935,788 3,000,504
 うち老人保護措置事業費 329,986 376,840 405,046 405,046
 うち老人医療費助成事業費 115,041 116,332 105,883 86,388
 うち敬老事業費 18,085 19,276 9,597 9,987
 うち老人クラブ活動助成事業費 25,495 24,614 24,450 23,363
※平成26年度には介護保険施設整備補助事業費715,000千円が含まれている。

大津市政 6 ~財政運営および予算編成~


財政運営および予算編成
 前項では越市長の資質や姿勢について記述しましたが、ここでは財政運営および平成27年度当初予算に焦点をあてます。

歳出抑制に偏っていること

越市長の行革は経費節減しかないと指摘しましたが、そもそも予算を組む段階において、越市長は、「可能な限り歳出を抑制することこそが為政者としての善である」と考えておられるように見受けます。
右肩上がりの経済成長期でないかぎり安定した税収確保は望めず、少子高齢化の進行による社会保障関連経費の著しい伸びに対応しつつ市民サービスの質と量を維持する上で、多くの自治体が財源不足に頭を悩ませており、これは大津市に限ったことではありません。
一方で、短期的には景気の緩やかな回復傾向と日銀の量的緩和策や株価上昇による企業業績の回復によって、平成27年度当初予算が前年度比プラス予算の地方自治体は多くあります。
大津市においても一般財源のうち市税だけをとらえれば、税制改正の影響から前年度比0.9%マイナスですが、一般財源は市税だけでなく地方譲与税と県税交付金もあり、これらを足すと対前年比2.4%プラスです。なかでも消費税率が5%から8%になったことにより、地方消費税交付金は約32億円から48億円へと大きく伸びています。これもいわば間接的に市民が負担した税金のひとつです。 (⇒ 関係資料3のうち「平成27年度当初予算の主な一般財源」参照)

言うまでもなく市が事業を推進するにはすべての事業において一般財源が必要です。
一般財源なくしては、政策の展開、市民福祉の維持向上、市政の推進はあり得ません。
ところが越市長には、市税を中心とする一般財源に対する認識が非常に薄い、さらに言うと皆無なのかも知れません。平成27年度予算のように実質的な市民負担総額が伸びていれば、それはしっかりと市民に還元することが財政運営の基本ですが、越市長は基本を守らず、一般財源を感覚的に使い惜しみしておられるようです。

財源確保の努力が不足していること

前項目の続きになりますが、地方自治体が事業を推進するためにはその財源を確保することが必要です。しかし、越市長は、予算編成の一方の柱である歳入に対する関心がほとんどありません。
 そして、財源を「歳入の確保」ではなく「歳出の削減」で生み出しそうとする姿勢が目立ちます。
この姿勢はすでに指摘したとおり行政改革によく表れており、補助金の見直しや民間委託の推進、人員削減などが代表例です。時間外勤務の削減ですら、表向きは職員の健康管理や働き方の見直しが理由とされていますが、最大の動機は経費節減にあるものと推測されます。
さて、歳入の確保については、国や県の制度化された補助金や起債だけでなく、政策的・政治的に要望を重ねて新たに引き出してくるという手法も必要です。地方交付税のうち特別交付税でも同じことが言えます。
 こうした財源の確保には、首長の事業推進にかける姿勢(熱意や意気込み)が重要であり、また、国や県の主要ポストとの良好な人間関係がものを言う場合も多々あります。
 これはもちろん国県関係者の意向に沿うべしなどという意味ではなく、地域の実情に対してより良い理解と共感を得るために関係機関に働きかける努力をする余地が市の側にあるということです。
 越市長は、公的機関は制度やルールに基づき動いているのだから、市が何らかの働きかけをする必要がない(放っておいても差し支えない)と考えておられるようです。
 しかし、制度も組織も実際に動かすのは人間である以上、人間の知恵と努力でより良く機能しうる潜在力(というか可能性)があると考えます。
 越市長は、財源確保にもっと関心を持ち、特に国や県に対して自ら先頭に立って積極的に財源を引き寄せてくる努力をされるべきでしょう。それが市民の利益に直結します。トップセールスは企業誘致や観光宣伝ばかりではありません。

17)大津市政の現状 6 (財政運営と予算編成)

 頂いたコメントにその都度お答えはせず、飲み込んだうえ今後の記述に反映させる方針であると前に記しました。しかし、ちょうど節目で問いかけがあったので思うところを書きます。
 私のブログについて「非常に気を使った言い方である。仕事中もそうだったのではないか?聞く能力のない人にはハッキリ言わないと分からない」とのご指摘がありました。もっともな指摘だと思います。私の文章は、まんべんなく説明し尽くしたいという気持ちが強いため、鋭く切り取り提示するシャープさが不足気味であると自覚しています。また、ブログは公器だと思うので居ずまいを正して発言する気分もあります。いずれにしても簡潔な表現に心掛けたいと思います。
 しかし、名誉棄損や守秘義務違反がないかと目を皿のようにしている方々に遠慮する気はありません。今後も事実にもとづき折り目正しく発言を続けます。

 在職中も同様の気持ちで仕事をしていました。
 私と同時に就任し、私より早く退任されたもう一人の副市長とこんな会話をしたことがあります。ある時その方が私に「市長と意見が対立したらどうするか?」と聞いたのです。私は、「判断基準は市民のためになるかどうかだ。それに照らしておかしいと思えば意見を言うのが副市長の務めだ」と答えました。彼が重ねて聞くには「市長が是非ともやりたいと望んでいる場合はどうか?」
これに対し私が「それは関係ない。尺度は市民の利益だろう。あなたはどうか?」と反問すると、彼は「市長の願いの実現を手伝うのが副市長の役割だ。意見は十分に言うが最後は市長の判断に従う」と答えました。録音したわけではないので表現の細部は別として、このやり取りの主旨に間違いはありません。
 市民が第一という私の考えは今も変わりません。
 しかし「市民の利益」に関する価値判断が市長と副市長で異なっていた場合、どちらも良かれと思ってするわけですからなかなか埒があきません。私は、現場の実態(市民の声と職員の声)および長年の知見を拠り所として、いつも公平無私を心がけ意見を申し上げていました。
本来、そういう私の意見を越市長も求められていたはずです。越市長は私に対して「意見が異なれば議論を尽くそう。その上で一つにまとめて一枚岩となって外部に向き合おう」と(初めの頃は)仰っていたのです。
 ところが残念なことに私は、「市民のため」と「市長のため」という本来は矛盾してはならない目標を合致させて働くことができませんでした。

 このブログは多少とも市政に関係のある方々に多く読まれていると思います。
それ以外の人々がブログを一瞥すると、「ぬるま湯につかった元公務員(私のこと)が若い市長の急進的な改革について行けず揚げ足をとっているだけ」との印象をもたれるかも知れません。
実際にはそうでないということをどう伝えるか。ステレオタイプ化や劇場型PRやポピュリズムの潮流と向き合っていかにきちんと市政の現状を伝えるかが、このブログにとって(大きすぎるほどの)課題だと思っています。
 こうした中で、怒りの言葉でなく、つなぐ言葉が重要であると思います(私の友人が折にふれ繋ぐ言葉の大切さを口にします)。

もう一つ、痛みを伴う改革の妥当性は背景事情によって変わるとのご意見がありました。これまた仰せのとおりです。
大津市の財政状況は、財政構造の弾力性を示す指標(経常収支比率:標準は70~80%)が90%と高く、つまり約10%しか政策的経費に充てられないという状況です。直接の原因は社会保障関係経費である扶助費の増加です。貯金にあたる基金残高も多くはありません。単年度黒字は続いていますが、左うちわの状況ではありません。改革は大賛成です。そのために何を、いかに進めるかが重要ですが、これから「財政運営と予算編成」などの項目で考えていきたいと思います。
下記をクリックしてください。

   大津市政の現状6(財政運営と予算編成) 



 

2015/09/04

大津市政5 ~市長としての姿勢 ②まちづくりへの認識~

② まちづくりへの認識 
 前項では、行政が民間の手法から学ぶべき点は多々あるものの、両者は質的に異なっていると記しました。ここでは、公の意味について深く考察することなく効率と速度を追い求める市政運営に問題はないのか検討したいと思います。
 自治体運営と企業経営を同一視される(と私が考える)越市長は、市役所という組織を会社のようにトップダウンで絞られた目標に向かってスピーディーに効率的に動かしたいと強く願っておられるようです。それは公開プロジェクト会議が売り物の「行政改革」によく表れています。
 そもそも大津市の行政改革は「経営」、「サービス向上」、「健全財政」の3つの基本的視点に立ち、行政の各分野でこれらをバランスよく進めていくこととなっていますが、越市長の行革は、公共施設のあり方・機能の見直し、総人件費改革、民間委託の推進、歳出の見直しといった経費節減と直結する分野に偏っており、サービス向上の視点はほとんどありません。
 現在、越行革の俎上に乗せられているのは、支所、公民館、幼稚園、小学校、図書館(厳しく切実なコメントをいただきました)、市営住宅、市民病院、ケアセンター、卸売市場などの施設であり、また、戸籍住民基本台帳事務、出納事務、監査事務など基幹的な事務について「大胆な」外部委託化が検討されています。
 市が以前から進めてきた指定管理者制度は既に87施設で実施しており、すでに一段落した感があります。導入すると経費削減など一定の効果が生じますが、今後さらに拡大する上では、そもそも指定管理になじむのかという原点の再確認が必要であり、一方で、公共施設の運営に経験と知識のある職員がいなくなる恐れも出てきます。こうした対応を間違えると市民サービスの低下に直結します。
 また、自治会活動やNPOを始め様々な市民団体の活動及び、それにより支えられている地域防犯、防災、交通安全、生涯学習、文化、スポーツなどの推進経費(全体のごく一部にしか過ぎない経費)についても、いかに削減するかが越市長の大きな関心事です。

 行政改革の3つの視点に見る通り、これを推し進めていくと市政全般、まちづくりの問題に及んできます。
 価値観の異なる多くの人が、時間をかけ、多くの事物を介在させて進めていく「まちづくり」は時に正解が一つと限らない大きな営みです。
 「結果」も、直接的あるいは間接的に結果の質を左右することとなる「プロセス」も等しく大事であり、また、教育、健診、合併など首長の任期を超えて明らかとなる答えもあります。
 行政改革を進める必要があるという越市長の時代認識は基本的に理解できますが、こうした改革、さらにはまちづくり全般において結論を急ぎ、プロセス・進め方を軽視しがちな越市長の手法は大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。
 なにゆえそこまで先を急がれるのか。
「民間では考えられない」を決め台詞に進められる越市長の行政改革の真の目的とは、ひょっとすると「自分の在任中に行政にかかる人員と経費をいかに削ったかを市民にアピールする」ことだけではないのかとの疑念さえ湧いてきます。
 そしてその手法は、まちづくりに関わる従来のシステム・スタイルやそれを動かしてきた市民団
体、職員などを単に切り込むべき対象と見なし、外部の有識者を重用し(そのこと自体は悪くないものの)、議論は尽くさず、時間をかけることなく自分の望む結論だけを得ようとするものではないでしょうか。
 これまで内外から越市長に対し、「何のための行革か、誰のための行革か」という真摯な問いかけが(もちろん私自身も含め)なされてきました。こうした疑問に耳を貸さず、効率とスピードのみ追求するかのような越市長の市政運営は、就任3年を過ぎてワンマン経営の度合いを一層強めています。任期3年目の幕開けに越市長は「市民に変化を感じて頂ける年にしたい」とおっしゃいました。市民にアピールしたいお気持ちは分かりますが、「変えるもの」と「変えないもの」の判別こそ重要です。その座標軸は「まちづくりへの認識」であり、それは多数の英知を動員することにより確かなものになると思います。

 以上、越市長の「市長としての資質」と「政治家としての姿勢」の問題点を指摘しました。
 「市長として」とは、市役所という組織のリーダーとしての側面を、「政治家として」とは、選挙で選ばれた市政の最高責任者としての側面を念頭に置いていますが、厳密な使い分けではありません。「市政運営」や「まちづくり」の用法も同様です。
 なお、越市長の資質や姿勢において、いささか気になることは他にも幾つかあります。
 例えば、他人に対する共感の能力、他人に任せる勇気、見えないものを見、聞こえないものを聞こうとする想像力、ひょっとしたら自分が間違っているかも知れないという自省などが大変失礼ながら十分とは言えない気がします。さらに、時に相手を軽んじられるような振る舞いや度重なる遅刻といった社会常識的な問題もあります。
 しかし、長所も短所も併せ持つのが人の常であり、いくら首長といえども完全無欠を求めるのはあまりに酷というものでしょう。いま細々と指摘した事柄は好意的に見れば個性のうちかも知れません。
 何といっても「聞くこと」、「信頼すること」、「自治体運営の基本スタンス」、「まちづくりへの認識」の4点が首長にとって根本的な問題であると私は考えています。これらは次の項で見ていく越市政の背景となり培地となっているように思われます。

2015/09/03

16) 大津市政の現状 5 (市長としての姿勢)

 さる8月28日、アクセスが2万を超えたお礼を記事にしたところ、スマートフォンではアクセス件数が表示されないとの投稿をいただき、改善を図ると申し上げました。その後専門家にも聞いたのですがレイアウトを変えるだけで済まないとわかり、今はちょっと手がつけられません。申し訳ないのですが当分現状のまま行きたいと思います。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 そのアクセスも既に3万4千をこえました。コメントも沢山いただきました。日常や現場に根差したご意見、切実な悩みやいきどおり、まちづくりへの知見、私の論旨の補足等々、すべてブログをよく読んでいただいた上での貴重なご意見ばかりです。私の贔屓目かも知れませんがこの小さなブログの内容がやや厚みを増しつつある気がします。心からお礼申し上げます。これからも「情報広場」を目ざしていきます。

 さて、今回は「資質」と「姿勢」の最終回です。
 トップページのインデックス「大津市政」からの閲覧に不具合がある場合は、下記をクリックしてご覧いただけることを願っています。





 

2015/09/02

15)大津市政の現状 4 (市長としての姿勢)

連載にもどります。これまで大津市政の現状報告と位置づけ、市長の資質について記述しました。
記事(12)にも書いたとおり私に偉そうなことを言う資格はありませんが、「公職に要求される基本的条件」という観点から率直に述べさせていただきました。
次は「市長としての姿勢」であり、より思想的な面について記述します。内容は「大津市政」のページをご覧ください。


    大津市政 4 (市長としての姿勢・自治体運営と企業経営




大津市政 4 ~市長としての姿勢 ①自治体運営と企業経営~

 先に「資質」について述べましたが、これから、政治家としての基本的な考え方、すなわち市長としての姿勢について記述します。

   自治体運営と企業経営
 越市長の政治家としての大きな特色は、本来は別物の自治体運営と企業経営を区別せず、大津市を一つの企業のように見なして経営しようとする姿勢にあり、行財政改革も予算編成も人事異動も全てこうした考えが基調となっていると私は見ています。
 そもそも株式会社は「有限責任」の組織であり、仮に社長の失敗によって倒産してもその責任は株主の出資金の総額を超えることがありません。倒産は、従業員の失業を始め地域経済の衰退、法人税収の消失など無視できない社会的影響を伴う場合があるものの、倒産した以上は現実的にその責任をとるべき主体がなく、企業はこうした損害を突き詰めて問われることがありません。
株式会社は決して無責任な存在ではありませんが、世の約束事として、いまの社会経済のルールとして、企業責任には自ずから限度があり、そのもたらした損失は最終的には外部に転嫁できることとなっています。

これに対して地方自治体は(国家も)、「無限責任」の組織です。
住民の生命財産を守り、教育により次世代を育て、産業経済の基盤を整備し、環境を次代へ引き継ぐことに伴う責任は限りがなく、国家や自治体の外部に転嫁しようがありません。会社の場合、破産をすればそれ以上の責任の追及ができないことに対し国家や自治体に破産宣告はありません。
 従って有限責任体である会社において経営者の最大の責任の取り方は辞任でしょうが、無限責任体である自治体の場合、首長が辞任すればそれでお終いとはなりません。自治体の運営責任には限りがありません。
越市長は、「私の政策に文句があるなら次の選挙で落とせばいい」と臆することなく発言されます。裏を返せば「自分は民意により市政を任されたのだから4年間は思うようにやる」ということでしょうか。
しかし、市長の「落選」は「今後4年間」にかかる未来の話であり、「これまでの4年間」の市政運営の責任の重さと天秤にかけられるものではありません。
現在の責任を問う手段として不信任決議やリコールもありますが、後述するように、市長任期の4年を超えてようやく結果の可否が見えてくる行政テーマはたくさんあります。だからこそ市長には深い自覚が求められます。公職の重みへの感覚です。
こうした市長の責任の限りない重さに対して、越市長は畏れかしこまるような気持ちをお持ちでしょうか。十二分に認識をお持ちでしょうか。越市長の言動を拝見して私はこの点が疑問なのです。

 このことに関連して、有権者の負託を越市長がどのように受け止めておられるかを見たいと思います。
 選挙で選ばれることの意味は大変重く、首長の正当性を担保しパワーの源泉ともなるわけですが、越市長はその点を重視されるあまり、ご自分の意思は市民の意思であると見なし、ご自分を絶対視して事を進めがちであると私の目に映ります。
 有権者は、候補者のマニフェストや人となりを主な判断材料にするでしょうが、マニフェストに書かれる内容には限りがあり、候補者の人となりについても直接知る人以外はイメージの域を出ないのが普通です。有権者はこうした限られた情報を手掛かりに、候補者が当選後においても市民の声に耳を傾け、適切な市政運営をしてくれるであろうとの期待を込めて一票を投じるのであり、「あとは好きにやってくれ」と白紙委任するわけではありません。

 加えて投票率と得票率の問題もあります。
 2012年1月の大津市長選挙の投票率は約44パーセント、越市長の得票率も約44パーセントで掛け合わせると約20パーセント、越市長に投票したのは有権者の5人に1人でした。
このことにより選挙結果の正当性がいささかも損なわれるものではありませんが、越市長はもっと謙虚に市民負託の意味を考えられるべきではないでしょうか。そして、二元代表制のもう一つのセクターである議会に対して、もっと誠意をもって真剣に向き合うことが必要だと私は考えます。
 選ばれた存在であることへの越市長の過信と、それと繋がる思考の軽さ(「自分に文句があるなら次の選挙で落とせばいい」という発想)は、公(おおやけ)或いは公職に対する認識の不十分さと無関係ではないと思われます。

なお、誤解のないよう記しますが、株式会社が無責任だと主張するものではありません(株式会社がないと社会がたちまち立ち行きませんし、社会に貢献しない会社が淘汰されるのが現実です)。
 ここでは、有限責任システムである株式会社の経営と、無限責任システムである地方自治体の運営は、お互いに学びあう点があるとしても、本来的に全く別個のものであるという当たり前の事実を指摘しているだけです。
 いま、学びあうと書きましたが、実際には官が民から、手法において学ぶ点が圧倒的に多いでしょう。自治体の仕事は、市域の中の互いに対立する利害の調整に重点が置かれることや、達成度を測る客観的な尺度の設定が難しいこと、原理原則を重んじること等の特徴があり、機動的、効率的なマネジメントはどちらかというと不得意です。
 一方、企業は、市場は正しい(売れるものが善である)という共通ルールのもとで厳しい自由競争にさらされスキルを磨き、機動的で効率的なマネジメントを追求してきたわけですからその点でレベルが違います。かつて公共サービスの提供においてニューパブリックマネジメントが提唱されたのは、こうした事情によると思います。近年は公民の中間域を豊かにする多様な試みがなされ、「新しい公」の考え方も現れて公と民のシンプルな二分法は昔話となったようです。
 それでもやはり企業経営と自治体運営は本来的・原理的に異なるものです。両者を同一視した自治体の運営姿勢は不適切だであるというのが私の意見です。

ちなみに、企業経営者には、周囲の声に耳を傾け、部下を信頼して任せ、責任は自分が引き受ける人物、そのことを組織トップとして当然の行いであると考えている人物が多数存在しています。企業経営を範とされる越市長は、こうした点もご参考になさったらよいと思います。
(この項では責任の有限性、無限性という切り口で自治体の仕事を論じています。これは思想家・武道家の内田樹氏の著書に教えられました)










2015/09/01

14)ちょっと一服 ~ブログ開設者として~

 連載(?)の途中ですが、いま考えているところを率直に記述します。

すでに書いたとおり、ガラス瓶に手紙を入れ波にまかせる気持ちで始めたブログが、幸い多くの方々の目にとまり、コメントもいただきました(2万8千ビュー)。
 いま現代史の節目のときにブログを始めるなら、ひとりの国民としてまず大きな状況について発言すべきではないかとも内心思いながら、大津市政(大津のまちづくり)をテーマとしています。
 すでに辞めた私がいまだに大津にこだわっているのは、在職中に果たせなかった責務(より妥当な組織運営ひいては市政運営のためのお手伝い)を、いま外部の者として僅かでも果たしたいとの考えによります。辞めた以上いさぎよく黙っているべきだという考え方もありますが、1年あまり様子を見て、あえて私は発言する決心をしました。偉そうですが後輩職員の皆さんへ「しっかりやって下さい」というエールの気持ちもあります。これがブログ開設の趣旨です。
 
<コメント投稿について>
 ご存知の方が多いでしょうが、少しご説明します。
 投稿者が「匿名」を選ぶと、その人のアドレスその他、一切の情報は私に届きません。私のブログ管理画面にはコメント内容が表示されるだけです。もちろん編集など一切できないので私はコメントを公開するか、消去するかの二者択一を行います。その決定は、誹謗、中傷、個人情報暴露などに該当するかどうかで判断しています。
 これまで私が消去した記事は3件で、「投稿者の心情はよくわかる。しかしこのまま公開すると中傷になりかねない」と判断したことによります。
 それ以外のコメントは腹をくくって公開しています。中には私と異なる意見や表現も含まれています。また、組織内の不満や疑念の表明もあります。このブログを単なる「吐け口」とせず、表明者自身および関係者にとって「事態改善」の契機にしていただきたいと願います。
 正直なところ、不可能を承知で私が添削したいコメント(済みません!)もありますが、それを一々ボツにしていたら言論統制になりかねません。
 もし偏った意見、一方的な見解があったなら別の読者が意見(異見)を述べる、そうしたやり取りで論点が深まって行く。多様な意見が多く出されて視点が重層的になることが、こうした「情報広場」の可能性だと思います。読者となってくださった方には、恐縮ですが広場の構築にご協力いただきたいと思います。それが迂遠なようでも大津のまちのプラスになると思います。

<私自身について>
 何人もの人から市長選に出るのかと聞かれました。その考えはまったくありません。広い大津の中に適材がおられる筈です。
 はじめにも書きましたが、私が性に合わないブログを始めたのは名前を売るためではなく、情報および意見を広く発信する場として他に手段がないと考えたためです。実際のところは、名前を売らず「悪名を売る」ことを大いに危惧しています。
 副市長の職にあった者が、今度は外から市長の市政運営に意見を申し上げるわけですから、予定調和的な世界ではありません。「茂呂はそんなに行儀の悪い奴だったのか」という声も聞こえてきそうです。
 これを内部告発と捉える人もいるでしょう。告発ではなく改善が私の目的ですが、その手段として一部の情報を公けにしていますから、その捉え方は見当違いでもありません。
 内部告発で不正が正された例は多数あり、今は内部告発者を守る制度も整備されていますが、いまなお世間的には、この言葉にマイナスのイメージが付きまといます。
 要は守るべき利益を個人におくか、組織におくか、社会におくか、そのレベルの問題だと考えます。書き出すとつい長くなるのでこれで辞めます。私になにか野心があるなら、こんなブログはやりません。大津市政に関する記述は今後もボツボツ続けていきます。
 最後に職員の方々に一言。
 私のブログが皆さんにご心配をかけ、余計な業務を増やしているとしたら許してください。
 ブログの記事に対しては、木々の枝葉でなく森全体でとらえてください。
 公の仕事をする公務員の誇りをもって、市長のもとで市民のために最善の仕事をするよう今後とも努力してください。