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2015/09/04

大津市政5 ~市長としての姿勢 ②まちづくりへの認識~

② まちづくりへの認識 
 前項では、行政が民間の手法から学ぶべき点は多々あるものの、両者は質的に異なっていると記しました。ここでは、公の意味について深く考察することなく効率と速度を追い求める市政運営に問題はないのか検討したいと思います。
 自治体運営と企業経営を同一視される(と私が考える)越市長は、市役所という組織を会社のようにトップダウンで絞られた目標に向かってスピーディーに効率的に動かしたいと強く願っておられるようです。それは公開プロジェクト会議が売り物の「行政改革」によく表れています。
 そもそも大津市の行政改革は「経営」、「サービス向上」、「健全財政」の3つの基本的視点に立ち、行政の各分野でこれらをバランスよく進めていくこととなっていますが、越市長の行革は、公共施設のあり方・機能の見直し、総人件費改革、民間委託の推進、歳出の見直しといった経費節減と直結する分野に偏っており、サービス向上の視点はほとんどありません。
 現在、越行革の俎上に乗せられているのは、支所、公民館、幼稚園、小学校、図書館(厳しく切実なコメントをいただきました)、市営住宅、市民病院、ケアセンター、卸売市場などの施設であり、また、戸籍住民基本台帳事務、出納事務、監査事務など基幹的な事務について「大胆な」外部委託化が検討されています。
 市が以前から進めてきた指定管理者制度は既に87施設で実施しており、すでに一段落した感があります。導入すると経費削減など一定の効果が生じますが、今後さらに拡大する上では、そもそも指定管理になじむのかという原点の再確認が必要であり、一方で、公共施設の運営に経験と知識のある職員がいなくなる恐れも出てきます。こうした対応を間違えると市民サービスの低下に直結します。
 また、自治会活動やNPOを始め様々な市民団体の活動及び、それにより支えられている地域防犯、防災、交通安全、生涯学習、文化、スポーツなどの推進経費(全体のごく一部にしか過ぎない経費)についても、いかに削減するかが越市長の大きな関心事です。

 行政改革の3つの視点に見る通り、これを推し進めていくと市政全般、まちづくりの問題に及んできます。
 価値観の異なる多くの人が、時間をかけ、多くの事物を介在させて進めていく「まちづくり」は時に正解が一つと限らない大きな営みです。
 「結果」も、直接的あるいは間接的に結果の質を左右することとなる「プロセス」も等しく大事であり、また、教育、健診、合併など首長の任期を超えて明らかとなる答えもあります。
 行政改革を進める必要があるという越市長の時代認識は基本的に理解できますが、こうした改革、さらにはまちづくり全般において結論を急ぎ、プロセス・進め方を軽視しがちな越市長の手法は大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。
 なにゆえそこまで先を急がれるのか。
「民間では考えられない」を決め台詞に進められる越市長の行政改革の真の目的とは、ひょっとすると「自分の在任中に行政にかかる人員と経費をいかに削ったかを市民にアピールする」ことだけではないのかとの疑念さえ湧いてきます。
 そしてその手法は、まちづくりに関わる従来のシステム・スタイルやそれを動かしてきた市民団
体、職員などを単に切り込むべき対象と見なし、外部の有識者を重用し(そのこと自体は悪くないものの)、議論は尽くさず、時間をかけることなく自分の望む結論だけを得ようとするものではないでしょうか。
 これまで内外から越市長に対し、「何のための行革か、誰のための行革か」という真摯な問いかけが(もちろん私自身も含め)なされてきました。こうした疑問に耳を貸さず、効率とスピードのみ追求するかのような越市長の市政運営は、就任3年を過ぎてワンマン経営の度合いを一層強めています。任期3年目の幕開けに越市長は「市民に変化を感じて頂ける年にしたい」とおっしゃいました。市民にアピールしたいお気持ちは分かりますが、「変えるもの」と「変えないもの」の判別こそ重要です。その座標軸は「まちづくりへの認識」であり、それは多数の英知を動員することにより確かなものになると思います。

 以上、越市長の「市長としての資質」と「政治家としての姿勢」の問題点を指摘しました。
 「市長として」とは、市役所という組織のリーダーとしての側面を、「政治家として」とは、選挙で選ばれた市政の最高責任者としての側面を念頭に置いていますが、厳密な使い分けではありません。「市政運営」や「まちづくり」の用法も同様です。
 なお、越市長の資質や姿勢において、いささか気になることは他にも幾つかあります。
 例えば、他人に対する共感の能力、他人に任せる勇気、見えないものを見、聞こえないものを聞こうとする想像力、ひょっとしたら自分が間違っているかも知れないという自省などが大変失礼ながら十分とは言えない気がします。さらに、時に相手を軽んじられるような振る舞いや度重なる遅刻といった社会常識的な問題もあります。
 しかし、長所も短所も併せ持つのが人の常であり、いくら首長といえども完全無欠を求めるのはあまりに酷というものでしょう。いま細々と指摘した事柄は好意的に見れば個性のうちかも知れません。
 何といっても「聞くこと」、「信頼すること」、「自治体運営の基本スタンス」、「まちづくりへの認識」の4点が首長にとって根本的な問題であると私は考えています。これらは次の項で見ていく越市政の背景となり培地となっているように思われます。