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2015/09/16

24)大津市政の現状 10 (予算編成の手法および市民周知)

 私が職員であった時の感覚でいうと、時間中、机に向かっているときは否応なしに「仕事モード」です。たとえ昼休みであっても、現在の仕事に直結する記事ででもない限りブログを見る気分にさえならない、というのが大方の職員の感覚だと思います。
 むしろ気になるのは、閲覧や投稿に何らかの制限がかけられているのではないか?という複数の感想です。実際に閲覧、投稿をするかどうかに関係なく、これは情報統制の問題です。
 真偽のほどは不明ですが「普通そんなことはあり得ない!」という世間一般の見方に、この際、私も同意したいと思います。
 このブログの目的の一つが職員の方々への応援(私の勝手な気持ちとして)ですが、実際には気苦労もおかけしていると思います。
 しかし、今後とも思うところをひと通り述べさせて頂きますので、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 大津市政の現状10(予算編成の手法および市民周知)



大津市政10 ~予算編成の手法および市民周知~

 少し細かくなりますが越市長の予算編成の手法と、その結果出来上がった予算の市民に対する説明の仕方について見てみたいと思います。

市長査定の妥当性について

 越市長の予算編成については既にふれましたが、ここでより具体的に確認します。
 越市長の時代となり、本来は最終ステージである市長査定において、しばしばスタート地点まで立ち返って「細かすぎる」査定が行われることとなり、積み上げてきた予算編成過程に対する部局の不信感に加え、大幅な手戻りによる時間不足と職員の超過勤務の増大が目立っています。

 ここで、越市長への手紙(本ブログの関係資料1)から一部を引きます。
「そもそも小事業の一つ一つまで市長が点検して万円単位まで意見を通そうとなさるのはいくら何でも行き過ぎです。財政課は、総合計画と市長マニフェストの推進のため厳しい財政状況の中で財源確保に努力しながら細心の査定を行っており、これに同課職員が手間ひま惜しまず本当に全力で取り組んでいます。
 その結果、予算編成は、市長査定の時には登山で言えば8~9合目までの高みに達していますが、その地点から登らず逆に麓まで戻って一々別ルートを探るようでは、いくら時間があっても足りません。財政課の職員からは『これでは我々は必要ない』とのぼやきが聞こえてきます。各部長にとっても、予算編成方針を踏まえて部内でさんざん議論し、財政課と協議を重ね、ようやく内示額を得た事業が査定の場において市長のひと言で値切られ、後はいくら説明しても聞いていただけない、しかも多くの部下がその様子を見ている、これでは全く救われません。」

 以上の引用は主として平成26年度予算編成に関する指摘ですが、その後、越市長は少なくとも編成プロセスの整理の必要性を感じられたようで、平成27年度予算編成から新たな取組みが始まりました。
 すなわち8月に各課から概算要求書を提出し、財政課が概算査定を行って市長に説明し了解を得たうえ、その結果をもとに中期財政フレームを作成すると共に予算要求基準(シーリング)を設定し、その基準内で予算要求を行うという手順が決められました。
 つまり、各部課とも概算査定額の範囲内で予算要求を行い、市長はそれを十分に尊重するというルールですが、実際には細部にわたる市長査定が行われた模様です。
 もっとも各部課も、市民や事業者の声、国の新規メニューに応えて新事業を立ち上げるためシーリングと別枠予算を要求することもあります。
 それだけに8、9月に行われる概算査定が重要であり、越市長は財政課から概算査定の結果報告を受ける際、総額だけにこだわらず新年度の大きな事業推進方針を整理しておかれるべきであり、それを基に主要な部分を、その時点で、自ら査定されることが適切と考えます。
 そして、少なくとも秋の主要事業ヒアリングの時点では新規事業を含めて新年度の事業展開の考え方や具体策をできるだけ正確に決定し、熱意のある言葉で部局に指示されるべきでしょう。

 このステップを飛ばし、翌年1月初旬に行われる最終段階の市長査定でいきなり「勝負する」のは無理があります。部局の新年度予算要求は財政課の1ヶ月を超える慎重なヒアリングと査定作業の後、12月下旬に総務部原案として市長に説明、1月早々に市長査定、2月初旬に記者発表というスケジュールです。
 最終段階の市長査定における余りに細かい査定(値切りや付け替え)は「市長査定」にふさわしくなく、また、その場で急に新規事業を指示したり、その財源捻出のため自分の関心の薄い事業に切り込むようなことは避けるべきであると考えます。

 平成26年度予算編成時の、小学校での外国語活動の効果的な指導方法について研究する「ICTを活用したティーチングメソッドの研究開発」や、平成27年度予算編成では「中学校給食実施に向けての検討」などの唐突ともいえる予算化は、対内的にも対外的にも様々な憶測や疑念を招く恐れがあります。
 財政状況が厳しい近年、市長査定における市長の「持ち金」の確保も難しくなっていますが、それまでの過程で市長の政策的意図は十分に反映される仕組みとなっており、その上で財政運営のプロである財政課が、全体のバランスを考慮した最終形に仕上げます。
 越市長は、自らが統御している組織の動きを自ら乱し、合理性をもったシステムを無視してまで些細なことまで何もかもご自分の気の済むように決定しようとなさいます。
「細部まで意のままにしたい」という欲求は、ひょっとするとご自分で抑えられないほど強いものではないかという気さえします。

 少々脱線しますが人事異動でも同じことです。
 人事異動で具体例を挙げるわけにいきませんが、人事課が3千人の希望調書等をもとに部局長ヒアリングを行い、総務部長、副市長と協議を重ねて越市長の所まで上がってきた人員配置案やその考え方に大きく信を置かず、細かい修正指示を繰り返して結論を先延ばしされるのが常で、結果的に議論不足となりがちです。
 言うまでもなく人事異動の主眼は、職員を育て、組織を更新し、両者相まって市民のためにより良い仕事を継続してなし得る市役所を作ることにあり、人事課は異動する職員個人と、人の出入りのある部局全体とを眺め、2~3年先の変化も念頭に入れて配置案を作成します。
 これに対し越市長は、職員に抱く印象や感情面の要素を主な手掛かりとし、ご自分の関心の深い課の人員配置を充実させることを優先されるように思われます。

 人を見るには直観も大切ですし市長の看板施策も大切ですからこれを全て否定するものではありませんが、やはり偏った人事となることは避けなければなりません。
 意のままにならない人間を遠ざけ、意見の合う人間を近くに置きたい心情は人の常ですが、度を超すと組織の健全性が損なわれます。これは特別職も一般職も同様です。
 越市長にとって職員は「大切な預かりもの」であり、ご自分の代で消費してもよい「私兵」ではありません。
 職員の間では「市長に直言したら飛ばされた」、「名刺配りがすむ前にまた異動になった」、「うちの課は市長の興味がないから人が減らされた」等という声が少なからず上がっており、サラリーマンのボヤキとして聞き捨てられない実態があると私は思います。
 人事も予算も市長権限ですが、権限は自省を伴って正しく行使されなければなりません。