ページ

2015/09/19

大津市政11 ~予算編成および市民周知~

② 市民への周知について

 この項の最後に、越市長の「予算の見せ方」にふれます。
 越市長は平成27年度予算編成に着手する時点で既に「対前年度比マイナス予算とする方針」を固めておられたのではないかと推測します。もしかすると1期目最後となる次の編成作業(28年度予算)でも、早々とマイナスシーリングを決意しておられるかも知れません。
 越市長は「改革を進めた節約市長」として評価されたいとお考えのようですから、各年度の予算額と4年のトータル額を大いに重要視されることは間違いないと思います。

 先にも述べたように、地方自治体の予算は所得の再配分という意味合いが強く、市税を徴収し、
これを中心に交付税などと合わせた一般財源をいかにバランスよく市民に再配分するかが予算編成の基本です。
 もし仮に、越市長が新年度の税収見込みが試算されるまでに、新年度予算を対前年度比マイナスにする方針を決めておられたとすれば、財政状況の厳しさを市民に訴える意図があったとしても、余りに早すぎるでしょう。税収見込みが明らかになった後も方針変更はありませんでした。
 平成27年度は市税だけを見れば前年度比マイナスですが、地方消費税交付金等を合わせれば前年度比プラスですから、予算総額は若干のプラスとする(その分だけ多く市民に還元する)ことが妥当であったと考えます。

 予算案のプレス発表は越市長の得意とされるところで、その際には「平成27年度大津市予算案の提案に際して」と題した市長メッセージが添付され、市長自ら説明をされました。
 予算案の重点分野のうち「子ども・子育て・教育・女性活躍」では「待機児童ゼロからその先へ」というサブタイトルがつけられました。
 「高齢者施策」は内容の充実に疑問符がつきますが「高齢者が輝くプラチナ社会へ」という輝かしい副題がつけられ、「観光振興」では海外渡航客の入り込み促進のため「インバウンド元年」との位置づけがなされました。
 これらを嘘とは言いませんし、よりよく見せる工夫も大事です。しかし、ここまで見てきた予算編成の経過、結果としての予算の中身、市民への周知を考え合わせると商品に比べて包装の美しさが目立ちます。
 よく言えば宣伝上手、悪く言えば過剰包装が越市政の特徴的な一面であるという気がします。
(これはこの連載の最後に述べる「越市長の政治家像」の一つの要素です)。

 以上、この項目では、越市長の「予算編成および財政運営」を見てきました。
 これらは主として市の事務管理や意思形成にかかる事柄、すなわち市役所の内部事情です。
 ここで数々の問題点を指摘しましたが、「その結果として市民生活にどんな実害が生じたかを具体的に述べよ」と言われると、実はなかなか難しいのです。
 なぜなら、たとえ内部でどんなプロセスを経たとしても、市役所のアウトプット、つまり市民生活との接点としては「施策」でしかありえません。施策とは「 ~ 整備事業」、「 ~ 改良事業」、「 ~ 支援事業」、「 ~ 補助事業」といった名称から分かるとおり、市民のために役立つことを目的とするものです。 
 基本的に「良いこと」をする以上、仮に量の過剰や不足の問題があったとしても「実害の証明」は困難です。

 まして、大津市は現在、合併、鉄道駅や橋の建設など大きな課題に直面しておらず、一方で庁舎整備や競輪場跡地の利用問題は先送りにされています。ほかにも大津駅の整備は本当にこれで良いのか?大戸川ダムは今後どうするのか?など重要課題はあるのですが、これらについて越市長は正面から取り組もうとしておられるように思えません。
 結果として市民意見が大きく分かれるような政策選択は背景に退いており、より日常的な施策の集積が市民生活との接点にあって市政評価の手掛かりとなっています。
 こうして見ると、内部的に紆余曲折を経て出来上がった平成27年度予算案の問題点も越市長の政治家としての主張の反映であり、一概に不適切と断ずることはできません。だからこそ議決が得られたわけです。
 しかし、予算案が可決されたことと編成過程など内部の意思形成プロセスがすべて良とされたこととは別問題です。こうした認識を越市長がお持ちかどうかは不明です。

 ちなみに今、「越市長に目立つような失政はあったか、なかったか」という視点から越市政を評価する試みがあると聞きます。確かに一つの尺度だと思います。
 しかし、先ほど述べたとおりの状況のもとで「基本的に善を行う自治体」の首長が、平素の仕事すなわち通常の施策の実施において目立つ失政をする、というのはなかなか考えにくい事態です。「現職は強い」という理由の一つはこれでしょう。
 この尺度を補う複眼的な視点として「施策の後年度評価」があると思います。
 例えば教育施策のように結果が明らかになるのに時間を要するものは4年で評価が出来ないかもしれません。評価が固まった時にはすでに手遅れかも知れませんが。
 もう1つの視点は「やめた施策をもし実施していたらどうなっていたか、という仮想評価」です。
 しかし全市を2グループに分けて社会実験をやるわけにも行きません。実際のところこれらは実施困難な評価です。

 だからこそ、「後年度評価」を不完全ながら先取りするものとして、現在の施策立案に際する「プロセスや熟議」が重要であると思います。後述しますが、教育において熟議の上のマイナーチェンジを基本とすべきこともこういった事情です。
 「行わない施策の仮想評価」に代わり得るものとしては、市役所の外部から提示される「別メニュー」であろうと思います。例えば選挙の際に対立候補が自分の政策を訴え、現職の政策とどちらが良いかを問いかけるような場合です。
 何だか自分の設問に自分自身が上手く答えていないかもしれませんが、こうした事情を押さえておかないと市政の評価は難しいということを申し上げたいのです。
 現行のメニューだけを眺めて失政の有無を論じることは、あまり有効ではないと私は思っています。
 私見ですが、市民生活との接点は薄いものの組織運営や内部管理の問題も極めて需要です。
 (このことに関連して、税金がどれだけ躍動しているか?というコメントは興味深く拝見しました。)

 越市長の財政運営や予算編成についてはこれで一応終わります。
 次からは教育問題です。