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2015/09/23

30)一時休止のお知らせ

 明日(9月24日)から10月3日ごろまでブログの更新を休止いたします。
 この間に投稿されたコメントは、再開後にいつものルールで公表させていただきます。
 皆さまには今後とも「大津市政情報広場」の運営にご協力いただきますよう心からお願い申し上げます。



29)大津市政の現状13(教育行政・英語教育)

 教育行政の2番目は英語教育です。
 越市長は英語が大変お得意ですが、それでもアメリカ留学時代には英語でのコミュニケーションに大変苦労したと語っておられます。彼の地において英語教育の重要性を実感されたことが、越市長の英語教育推進の原動力となっているのかも知れません。
 エスペラント語ならぬ英語が世界共通語に近いというのが現実であり、しかも日本はアメリカの影響を強く受けていますから、英語教育がクローズアップされるのは当然です。
 しかしこの問題を巡っては、グローバル人材とはいかなるものか、母語と外国語の関係はいかにあるべきか、義務教育における英語教育はどうあるべきかなど「そもそも論」が大切です。
 私にこれらの重要課題を十分に論じる力はありませんが、「教育」というものの特性に照らし、教育委員会と越市長との関係を見ながら英語教育にふれたいと思います。

 
  大津市政の現状13(教育行政・英語教育)



大津市政13 ~教育行政~ 英語教育

② 英語教育 

 越市長は、グローバル人材育成のため小学校1年生からの英語教育を充実させたいと考えられ、予算の押し付けを行われました。「押し付け」とは不穏当な言葉ですが、教育委員会が内部議論の上で練り上げた予算要求に対して厳しい査定を行い、一方で教育委員会がまったく要求していなかった英語教育の新事業実施を主張されたのです。
 当然ながら教育長はじめ教育委員会がこぞって反対意見を述べましたが、越市長は予算権をたてにご自分の考えを押し通されました。そして協議の中で若干の歩み寄りがあり、追加項目を加えた予算要求書が再提出され、外形上は「教育委員会の要求を市長が認めた」ことになりました。
 しかし実質は「押し付け」と言わざるをえません。これは私も協議に参加していた平成26年度予算編成時の出来事です。 
 この予算に限らず越市長と教育委員との協議は何度も行われていましたが、基本的に越市長が自説を主張される場であったとの印象を持っています。
 それに対し教育委員の方々が、教育の理念や学校現場の実態について、真剣に、穏やかに、粘り強く説明されていた場面の数々が記憶に残っています。
 私の出席が認められた場合には、私から、教育委員会の意見に十分に耳を傾けるよう越市長に進言し実りある協議となるよう微力を尽くしましたが、たいてい自分の力不足を痛感する結果となりました。

 ここで英語教育の重要性を否定するものではありませんし、子どもが英語に親しむこと自体に反対する市民はまずいないと思います。現に文部科学省は、平成32年度から小学校で実施予定の次期学習指導要領の改訂について中教審に諮問しました。その中で、外国語活動を現行の「5年生から」を「3年生から」とすることが検討されています。これは先に記した学校教育の目的や特性などに鑑みてゆっくり慎重に実施に移されていくことと考えます。
 これに対し大津市では、平成28年度からすべての小学1年生に対し週3回の英語教育が始まる予定です。確かに「先進的」ですが、実施に至るプロセスに本当に無理はなかったのか、この試みの評価をいつ、どのような手法で行うのか等、大きな疑問が残ります。

 元来、小学校低学年では、意思疎通の手段であり全教科の学習の基礎となる国語の教育が最も大切とされ、多くの時間が充てられています。子どもが国語を学びコミュニケーション能力を高めることと、その能力を発揮し地域での日常の生活を通じてアイデンティティの獲得を図ることを目的としたこの時期の国語教育は、同時にグローバル人材の「原石づくり」の側面をもっています。
 教育現場では、こうした考えに基づき綿密なカリキュラムを組んでおり、ひとコマずつの授業が必然性を持っています。その中に新たに英語の授業を加えると他の教科の削減に直結します。
 時間数の面でも全体的な教育目標達成の面でも必ずシワ寄せが出てきます。
 押し付けが許されない大きな理由はこのような教育現場の混乱です。だからこそ十分な議論が必要です。

 もし、越市長が、どうしても英語教育を充実させたいと望まれるなら、まず理念のレベルで教育委員会に伝え、現在の教育目標や教育課程から見てどう評価できるかについて謙虚に「耳を傾ける」ところから始められるべきでしょう。
 その結果、OKとなれば先ほどの話のとおり、様子を見ながら少しずつ実践に移していくことになるでしょうが、主体はあくまでも教育委員会・学校です。
 繰り返しますが、仮にこのようにして「英語教育の充実」が上手くいったとしても、次の市長が異なる主張をしたらどうなるのでしょうか。ころころ変わる猫の目教育の被害者は子どもです。
 だからこそ教育は、「熟議のうえのマイナーチェンジ」を旨とすべきだと考えます。

 今回の地教行法改正で新たに設置された総合教育会議でも、首長と教育委員との協議調整は行うものの最終的な執行権限は教育委員会に留保されることとなったのは当然のことと考えます。
 越市長のたっての要請により外部から招かれた優れた前教育長が辞任された後、今度は内部登用(元秘書課長、教育部次長であった職員)の教育長が誕生しました。
 この新体制での総合教育会議が本当に実りある協議となり、大津の子どもの健やかな成長のために機能することを願わずにはいられません。
 以上、越市長と英語教育について振り返りました。
 法の趣旨に沿っているか、教育現場の声を聞いているか、教育委員会の考えを尊重しているか、予算権をかざして教育委員会を従わせようとしていないか等々、自治体の首長が自らを再点検する際のチェックポイントがここに幾つも含まれていると私は考えています。