ページ

2015/10/11

35)時代に逆行?

 晴耕雨読の身といいながら千客万来、友人知人の冠婚葬祭、小さな庭の毛虫退治、煙突掃除など結構多忙のうちに、在職時には思いもよらない新たな時間を過ごしています。その合間をぬってブログを進めようとしていたところ長文のコメントを頂いたのでお礼かたがた感想を記します。

 投稿者が「時代に逆らってもがいている」とおっしゃるので、このところ晴耕モードに入っていた私としては、ついバケツの中の毛虫を連想してしまいました。私は退治する側なのですが、、、。
 結論から言うと、一般論としては同感する部分もあるが具体論としては反対です。ご指摘にそって記述します。

 <公務員の常識は民間人の非常識であることが多い>
 公務員は日々地域住民の声を聞き、その反映に努めています。民間のことをよりよく知っているのはむしろ公務員の方かも知れません。そして民間人の声が公共的な見地から明らかにおかしいという場合だってあるのです。
 しかし世間には「お役所仕事」という言葉があります。前例踏襲・縦割り・横並び・事なかれ主義的な傾向に対する批判です。こうした傾向は、平等・公平・均等・法令遵守などの公務員への要請に応えようとする動機に根差したものでもあり長期的には改善されつつある、というのが私の意見ですが、いずれにしても「お役所仕事」脱却は重要だと考えています。
 公務員の常識と民間人の常識が背反する具体例を挙げていただくとさらに議論が深まるでしょうが、ここは投稿者の印象を反映した枕ことばとして受け取らせていただきます。

<本ブログでは過去の否定を進められている大津市長を非難する内容になっている>
 越市長が本気で過去の否定をなさる考えなら、就任後すぐに「大津市基本構想」と「大津市総合計画」を全面改訂していなければなりません。しかしそもそも越市長のマニフェスト自体が大津市総合計画および国土利用計画をベース(参考書)としていることは余りに明らかです。
 こし直美後援会ニュースで主な取組みの成果として報告されているものの多くは、目片市長から受け継がれたものです。
 しかしそれで差し支えないと私は考えます。
 先人の築いてきた有形無形の遺産の上に今の世代があります。
 受け継ぐものと捨てるものを見極める際に集団の英知を活用されるよう、私は越市長に申し上げているだけです(関係資料「退任式の挨拶」でも申し上げました)。

 投稿者が指摘される過去の否定とは、過去の行政運営手法の抜本的見直しが必要であるというより根本的な問いかけが含まれています。
 大事なご指摘だと思いますが、その結果が「行政の縮小」だというご意見は、もっと詳しく伺わなければ何とも言いようがありません。
 これに関する私見として、これまで日本が息せき切って追いかけてきた「改革」という思想そのものを、人口減少時代において問い直す必要があるという気がしています。感覚的に思うだけでまだまとまった考えではありませんが。
 いずれにしても私は越市長の「改革の内容」の全部を否定しているものではないこと、「改革の手法」には大いに疑問を感じていることを申し上げたいと思います。すべてこのブログの中に書いているつもりです。
 
<日本全体が財政赤字で一市町村だけが財政的にマシでも継続可能ではない>
 これはまったく同感です。
 では一市町村の首長としてはどうするべきか。国の負担軽減のため地方交付税や国庫補助金を返上するのでしょうか?もし「過去の行政運営の否定」によって一市町村の財政がうまく行ったと仮定しても、それが直ちに全国共通の処方箋にはなり得ません。一人の首長として日本の財政赤字をどうすればいいのでしょうか?放置するとジリ貧です。私にも正解は分かりませんが二つのことは言えると思います。
 まず、市域で行われる国の事業、国からの財政支援などはしっかりと頂いて市のために使う。それによって持続可能なまちづくりを目ざす。他都市と共存共栄が図れる取組みは当然ながら積極的に行う。
 もう一つは、滋賀県市長会・全国市長会・滋賀県などとの連携、また地元選出議員の協力などを得ながら大きなグループにまとまり、地方財政ひいては国家財政の運営について国への具体的な提言を行う。
 いずれもあまり見栄えがしませんが、一首長として国家財政に関与する手段はこのようなものでしょうか。
 人口減少局面に入って「住民に選ばれる町」の競争がさらに激化するでしょう。まず「わが町」の
手当てが必要だと思います。

<現在は如何に自動車の数を減らし道路整備を不要にするかが重要なテーマである>
 理念としてはよく分かるのですが、特に地方都市において電車やバスなどの公共交通機関が利用者減少にあえいでいます。自治体が税金を出して維持に努めても効果が薄く負のスパイラルに入っているところが多いのです。
 少なくとも今後30~40年、ガソリン車がエコカー(電気や水素エネルギー)に置き換わるでしょうが乗用車の減少は人口減少に追随する程度、すなわちとても道路整備を不要にするまでは進まないと思います。高齢のドライバーもさらに増えるでしょう。

 大津の幹線道路は、南北に細長い地形に合うよう湖岸寄りと山手寄りに二本の幹線道路を縦に走らせ、それを適当な箇所で横につなぐ、いわゆる「梯子型」の整備を進めてきました(国道、県道については促進する立場、市道については自ら進める立場で事業推進)。
 道路整備は生活環境改善、温暖化対策、流通コスト低減などから重要ですが、特に近年は東海、東南海地震を想定した防災対策の面がクローズアップされています。
 しかしながら山手幹線である伊香立浜大津線は未完成、堅田駅裏手から新しい住宅地を抜けて伊香立に向かう道路(琵琶湖大橋から京都へ抜ける渋滞道路に接続)は計画図面があるだけ、瀬田地域でも国道1号を横断して中心部と瀬田丘陵を結ぶ路線が手つかず、大津・山科間の道路整備は「長年の懸案」から一歩も動いていません。

 こうした中、進捗した例としては、湖西バイパスの延伸、国道161号の浜大津交差点改良、疏水から北国町を通って東へ進む都市計画道路拡幅、近江大橋西詰から西武方面へ向かう湖岸道路の拡幅、石山駅から瀬田川方面に向かう通称天津通りの拡幅などがありますが、いずれも渋滞対策、通学児童の保護、地域環境の改善などに大きく役立っています。

 これらは道路の新設・拡幅であり狭義の道路整備ですが、すこし広げて考えると、主要な橋の防災対策(崩壊や落橋防止)も欠かせませんし、住宅地の細い生活道路の側溝に蓋がけをして有効幅員を広げ消防車や救急車が通りやすくすることも切実な課題です。
 人口減少社会において都市が活力を維持していくためには住みよい利便性の高いまちづくりが必要であり、特に大津のように自然・歴史・文化・大都市圏へのアクセスの4拍子がそろったまちで市内交通が改善されると流入人口と観光客の増加に大きく寄与すると考えます。
 そしてそのために交通網(鉄道と道路)の整備およびそれを効率よく利用するコンパクトシティの都市計画が今後当分の間は有効である、というのが私の意見です。
 そこで「道路整備はまちづくりの原点であると言っても過言ではありません」と書いたところ、自動車が普及しつつある時代の話であるとのご指摘をいただきました。

 大津市政8~財政運営と予算編成~のページを読み直して頂きたいのですが、私は、「越市長の歳出バランスが悪い。扶助費がふくらむ中でも子ども厚遇、高齢者冷遇である。反面、維持補修費や道路整備費が少ない」という文脈の中で道路整備の意義を記述しました。そのフレーズを一
つだけ取り出して時代錯誤のようにおっしゃるのは如何なものでしょうか。

 市道延長はおよそ1,500キロですが、今は既存道路の舗装修理(維持補修)だけでも思うようにできない状況です。補修が遅れると傷みは早まります。限られた予算の中で担当課が手を尽くしていますが、市道の穴が事故に直結した事例が後を絶ちません。
 修繕すらこのような状況ですから道路整備が高度成長時代のように進められるわけがありません。多くの計画が無期延期あるいはお蔵入りです。
 人口減少時代を迎え長期的にはそれでも良いと思います。しかし道路の修繕は毎年計画的にやるべきだし、新設は、あれも捨てこれも捨ててギリギリに絞り込んだ中ででも進めるべきであると思います。
 限られた予算の中で、土木費、扶助費、衛生費などのバランスを考えながらまちづくりを進めることが重要であると考えます。

<時間外手当削減指示により各職員が勤務時間を減らせるよう工夫するのが社会人としての態度である>
 一般論はその通りでしょう。
 そもそも大津市は、人員削減を積極的に進めてきましたが、志賀町との合併や県からの権限移譲の際に算数上は増えるはずの定員を、歯を食いしばって逆に減らしたことがありました(人数までは記憶していません)。その分を非正規雇用や委託でなんとか補ってきた経緯があります。
 また、常時、病休、産休、育休があります。一方で業務は年々、複雑になっています。
 結果として、市民ニーズに応えるためには残業も当たり前という状況になっています(健全な姿ではありませんが)。
 こうした綱渡り状態ですから、もし何か(インフルエンザの流行、プラントの故障、人身事故などの処理、会計検査等々)があれば、即、時間外勤務が増加します。また、市役所全体のスケジュールに合わせて作業をする幾つかの課(財政課や人事課など)は時間外勤務を予めおり込ん仕事をしています。

 ところが越市長は災害を除いて一切の例外を認めず前年の8割程度の時間外勤務手当で打ち切るという方針を示されました(それが私の辞任の直前であったため、私は慎重に考えられるようう意見を申し上げただけで終わっています)。
 確かに時間外勤務が増え続けるのは大きな課題であり、これまでしている工夫だけでは追いつかないので抜本的には仕事を減らすか人を増やすしかないと思われます。
 越市長は仕事を減らすべしというお考えですが、市民と向き合う現場としては「これ以上やりません」と簡単に言うわけにはいきません。
 この取組みがどうなったか年度末の状況を私は把握していませんが、持ち帰り仕事が増えていると複数の部署の話を聞いたのでそのとおり記述したわけです。
 時間外勤務を減らす努力は継続しつつも、真にやむをえないケースについては時間外勤務を認め手当を支給することが社会人としての態度であると私は考えます。

<小学校時代には国語が英語よりも重要だと考えている人が大津市の教育委員や役所職員に多いのであれば、丁寧に英語教育の充実を訴えても進歩が得られない可能性が高いことは上記の文が証明しています>
 上記の文とは、大津市政13~英語教育~の中の記述です。
 投稿者は英語を長年習ったにもかかわらず英語が出来ない日本人が大半であるという状況を指摘してこのように主張しておられます。
 確かに日本人の英語力は習った年数と比較して大変低いと指摘されています。語学は子どものうちからやる方が身につくともよく言われます。「英語教育は早く始めた方がいいいようだ」という意見は多くの人が持っていると思います。
 しかし、「小学校時代には国語が英語よりも重要だと考えている人」は、大津市ばかりでなく日本中の教育委員や役所職員の圧倒的多数であると私は思います。
 投稿者は、「小学校時代には国語より英語が大事だ」とお考えのように読めるのですが、私の誤読でしょうか。
 このことに関する私の意見は既に「英語教育」の中で書いた通りですからここで繰り返しません。

<大津市長が企業経営と自治体運営を同一視した根拠が書かれていない>
 これは、大津市政4~市長としての姿勢~の記述に関するご指摘です。
 私としてはこの項目のそこら中に書いているつもりですが筆力不足であったようです。世間には二つの経営を同じように見立てる考え方がありますが、責任の有限性、無限性という違いが決定的であると思います。越市長が「文句があるなら私を選挙で落とせばよい」という趣旨の発言をされることが雄弁に物語っているように、越市長は自らの責任を限定的にしか考えておられません。
 そして効率の追求を尺度とする企業的観点から公共サービスの改革を志しておられます。したがって企業経営と自治体運営を同一視していると記述しました。
 これについてはこのブログのもっと後の方で別の角度から記述する予定です。

<最も重要な点は~中略~過去の否定をしていること。そして新しい状況への適応をしていることである>
 投稿者はコメントの冒頭で「過去の否定を進めている大津市長」を支持するご意見ですから、ここで仰る「過去の否定」とは行政運営のことではなく、私の副市長としての職務のことであろうと推測します。
 その上で言うと、私は副市長として力不足であったゆえ辞任した。辞任後1年半、大津市政の状況を見た上で「情報広場」とすべくブログを始めた。辞任からブログ開始にいたる一連の行動の動機は、大津のまちづくりに資することを目的とする、ということです。
 「新しい状況への対応」とは意味がよく分かりませんが、分かったとしても私としては上記の説明を繰り返すのみです。
「アクセス数が増えたことを喜び、、」というご指摘もありました。
 しかし、今回、この方のご意見を頂いたことで私もまた重ねて説明する機会を得ることが出来ました。投稿者が納得されたかどうか分かりませんが、少なくとも読者にとっては、外部の方から一般論を踏まえた問いかけがあり、もと内部の者である私が主として個別的な見地からお答えするという問答になりました。
 私は冒頭に書いた通り、さまざまな情報や意見が行きかって、まちづくりを考える視点が重層的になればよいと考えています。
 こうしたことの結果として増えたアクセスを喜んだとしても、罰は当たらないのではないでしょうか。もうすぐアクセスが10万に届きそうです。いましばらく皆さまの閲覧、コメントを頂きながら継続したいと思います。
 教育シリーズは次回にいたします。