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2015/10/19

41) 大津市政の現状 18(職員の受け止め方・辞めていく職員) 

 前回は職員が協議等で越市長にどのように向き合っているかを見ましたが、今回は職員の退職にふれます。このところ定年や任期を待たず中途退職する職員が目立ちます。理由は様々でしょうが、志と能力のある人が所期の目的を達することなく辞めていくケースがあるなら残念な話です。 ここでは私が知っている2人の方に絞って記述します。

 大津市政の現状18(職員の受け止め方・辞めていく職員)



大津市政 18 ~職員の受け止め方~ 辞めていく職員

 平成26年3月末、越市長のたっての願いで就任した教育長が「体調不良」により僅か1年で辞任されるというたいへん残念な事態が起こりました。
 実際に当時、教育長は不整脈で10日の入院を余儀なくされましたが、もっと重篤な傷病を抱えながら職に留まっている特別職の事例は昔も今もいくらでもあります。
 辞任の要因は、選挙で選ばれた首長の意思は市民の意思であると主張して教育行政に深く関わろうとされる越市長と、法に基づき教育の政治的中立性や継続性を守ろうとされる教育長との深刻な意見の対立にありました。

 特に、平成26年度予算の編成に際して、越市長が教育委員会の自主性、自立性を無視するかのように教育委員会予算の内容に事細かく踏み込んで指示を行い、ついには、越権に抗議する教育委員会を押し切られたことが事態を決定づけました(予算編成の項目にも書いています)。
 教育長としては、予算権を振りかざして一歩も引かない越市長に対し、最終的には同意せざるを得なかったのですが、このことにより越市長への失望と不信を深め、また、他の教育委員や学校現場、職員等に対する責任を痛感されることとなりました。
 これに加えて一時的とはいえストレスが昂じて体調をくずされたことから、任期3年を残して異例の退任となりました(日経ビジネス平成26年月6月2日号に関連記事が掲載されています)。

 この方は、技術者としての合理的精神と教育への情熱を併せ持った教育者であり、就任以来、子どもの立場からの教育改革を進めるために市長部局との連携に心を砕いてこられました。
 その辞任は大津市の教育にとって大きな損失であったと思います。
 その後に、私が副市長を辞任することとなりましたが、この経過はすでに記しました。
 特別職の相次ぐ辞任として議会でも問題視されましたが、越市長は、教育長は健康上の理由、副市長は一身上の都合であるとの認識を示されただけに終わりました。

 平成27年3月には、越市長の子ども施策等を問題視する一人の管理職が中途退職し、越市政を正すとして4月の市議会議員選挙に立候補する事態となりました。
 元職員の市会議員への転身は過去にも例がありますが、市長を批判し中途退職しての立候補はやはり極めて異例のことです。
 その主張は、保育現場の声に耳を貸さず、保育の質を吟味することなく待機児童ゼロを強引に押し進める越市長は、大津の子どもより自分のマニフェストを優先しているとしか考えられない。そうした行政の進め方に一石を投じたい、という趣旨のものでした。

 結果は落選でしたが、節税選挙を訴えるためポスターを貼らず、運動員も選挙カーもなし、ハガキとブログだけの選挙戦で1,529票を獲得しました(立候補者50人中43位。38位までが当選)。
 この得票が多いか少ないか見方は分かれるでしょうが、立候補に備えて市外から大津に転入した経緯から明らかなとおり地盤を持たない新人が、タスキもマイクもなしで1,529人の期待の受け皿になり得たという事実は変わりません。
 その期待とは、一議員として越市長の市政運営を正して欲しいという願いであり、それは、立候補の動機表明および短期間にブログに寄せられた多くのコメントから明らかに読みことができると私は思います。
 当時ネット上に公開されていたコメントのコピーを関係資料として掲載します。
 なお、このブログは選挙終了と共に閉鎖されました。 

 関係資料6 市議会議員候補者のブログに寄せられたコメント




40)教育行政(ひとこと追加を)

 教育行政は済んだのですが、大変参考になるコメントを頂いたので少し追記します。
 「図書館を考える大津市民の会」の学習会に参加された方のコメントを見て、私もすとんと胸に落ちました。教育という文言自体に「上から目線」を感じる人もおられることと想像します。
 しかし本来、教育は、社会を維持するための公益的プログラムである(従ってその利益は構成員すべてが受ける)と思いますし、紹介された講義において、それが具体的に語られていました。
 そこから、社会教育を税で賄うことの意義、地域や文化の問題、首長と教委のあるべき関係などもはっきり見えてくると思います。どうも有難うございました。

 幼稚園のあり方について言及を、とのコメントがありました。
 公立幼稚園は、越市長から見れば定員割れでもったいない、教委から見ても教育面から一定の人数規模は確保したい、というところで整理統合が検討されているのでしょうが、3年保育など保護者のニーズに十分に応えた上であり方を考えるのが本来だと思います。
 大切な問題なのですが、この件について私が直接に記事にする予定は今のところありません。 
 ただ、次回、市議選に挑戦した元職員のブログに寄せられた保護者等のコメントについて記述する予定であり、幼稚園のあり方に関する議論のきっかけになればと思います。

 公文書に関するご意見がありました。
 私が記した出来事(データ消滅現象)は、人為的なものか、プログラムの不具合か、思いも及ばぬ偶然か、今のところは明らかではありません(私なりに得た情報をここでは書きません)。
 もし万一、故意によるものであった場合には「規程違反」レベルの事案ではないでしょう。
 しかし、部局長意見集は昨年5月30日に越市長にお渡ししてあるうえ、同6月18日の市長あて意見具申にも盛り込んでありますから、もし越市長にそのお気持ちがあるならば、より良い市政運営のために活用していただくことは十分に可能です。
 この意味においては、私は最後の仕事を「なんとかかんとか」全うできたと考えます。

 また、私は公益に資すると信じてブログを始めましたが、警鐘の音は安寧を妨げもします。
 私の意図に反して市民の皆さまには驚きや疑念を、職員の方々には不安や当惑を与えているとすれば心苦しい限りです。それらを「はた迷惑」に終わらせないためにも、私は、よりよい大津のまちづくりの「情報広場」を目ざしブログの安全運転に努めなければなりません。
 その際、つなぐ言葉が重要であり、妥当性を欠いた厳しい処分を求める安易な処罰感情は抑えるべきだと自戒しています(不正から目をそむけるべしという意味ではありません)。
 こうしたことから、この出来事について今のところは静観しようと考えています。