山田豊三郎氏は、昭和55年から平成15年まで23年余の長きにわたって大津市長を務められました。「伝統と文化、自然にはぐくまれた心かよう幸せなまち、ふるさと都市大津」の実現をめざして調整型の市政運営を行い、都市基盤の整備に大きく貢献されました。
職員から助役を経て市長になられ、しかも長期政権であったので、小さな道路、ごみの収集、地域の人材等々、大津のことを本当によくご存知で、また深い愛着を持っておられました。
職員から畏れられていましたが、同時に親しみやすい大先輩でもあり、一言でいうと広く敬愛の念を集めた市長であったと思います。
スト直前の体勢にあった労働組合委員長を市長室に迎え入れ膝詰め談判したり、自ら行う職員の処分に涙を流されたという逸話があります。
目片信氏は、平成16年から24年までの2期8年、大津市長を務められました。当時は「平成の大合併」が進められる中で夕張市の財政破綻という衝撃的な出来事もあり、地方自治の一つの転換期であったと思います。
目片市長は、「変革の時代において、市民と行政の協働により自立した都市経営を行い、魅力と活力あふれる都市を築く」という方針のもとに総合計画を策定され、市民・事業者・行政の三者協働を積極的に進められました。
生まれも育ちも大津の方ですが、県議、代議士を経て就任されたことから、市役所が久しぶりにお迎えする「外部」の市長でした。しかし、飾らない人柄と率直な物言いで職員の心をつかみ優れたリーダーシップを発揮されました。
敬愛された点は山田市長と同じですが、豊かな経験に裏付けられた政治的センスを有しておられ、国県との交渉や市議会とのやりとりにそれが発揮されました。庁舎3階の議会フロアにもよく足を運ばれ議員と談笑しておられた様子を記憶しています。たとえ意見の相違はあっても各会派から人間的な信頼を得ておられたのもうなずける話です。
このお二人をふり返って「人間味」という共通点に注目したいと思います。
少しあいまいな言い方ながら山田氏と目片氏には「人の情け」があり、それが、時に非情な決断を強いられる市長に対する職員の信頼や共感の母胎になっていたという気がします。
これと関連して、お二人が大津に暮らす家庭人あるいは地域住民としての実感を保持し、そこから市政全般に視野を広げていく確かな「生活感覚」を持っておられたと私は思っています。
もう一つは親分肌というべきか「後はお前に任せる、責任は俺がとる」的な態度を示されました。それは、経験にもとづく組織運営の知恵であったかも知れませんが、そのような計算を超えたスケールの大きさを感じさせるところが山田市長、目片市長にはありました。
越市長は、平成24年1月に全国最年少の女性市長として颯爽と登場し、はやくも1期目の最終段階を迎えられました。そして「大津をもう一度活気ある町にしたい、笑顔あふれる大津にしたい。この4年間で大津を変えたい」という宣言どおり、精力的な市政運営に着手されました。
しかし就任6か月後に「いじめ事件」が全国的な社会問題となって、その対応が市政の緊急課題となりました。このことにより越市長の行政哲学も何らかの影響を受けたことと拝察します。
事件にかかる協議、調査、説明、対策立案などを最優先事項としつつ、一方で市政全般に取り組まなければならないという事態は、越市長にとって試練であったと思います。
さて、越市長の特色は、ご自身が有する「外部の視点」を維持していこうとする志であると思います。越市長にとっては初心を忘れないことにもつながります。
先ごろ「市役所の常識は民間の非常識である」とのコメントに反論した私ですが、外部の視点はとても大切であり、職員は襟を正して外部の視点と向き合うべきだと考えています。
しかし、それだけでは不十分で、組織の長は組織内部の視点と部内責任をも併せ持つべきだと思うのですが、ここでは書きません。
もう一つ、越市長の特筆すべき点は、マスコミへの鋭い感覚です。
山田市長も目片市長も市民に訴える手段としてのマスコミの意義を熟知しておられた筈ですが、ご自分が報道されること(報道されないこと)に対してとても鷹揚であったと思います。
これと比べて、越市長は鏡を見るごとくマスコミが報道するご自身の姿を意識されているように思います。学校の視察、災害現場の視察などにもカメラを同行させようとされます。新聞報道の内容について自ら報道機関に意見を述べるということも、前の市長の時代には考えられなかった事態です。
しかし、これらはマスコミの注目度の高さを踏まえたPR戦略として評価されるべきだとも考えます。同時に、マスコミ戦略は手段が目的にすり替わる危険が常にあります。これに関する私の意見は脱線になるので申し上げません。
職員にとって市長は最高権力者です。
越市長は若い女性であるゆえ何かと不利益をこうむっているとの意見が一部にありますが、それは市役所の内情を知らない人の推測です。市長の権威はきわめて大きく、それに対して職員は十分に敬意を払っています。むしろ越市長は職員から強くおそれられているといってもいいほどです。
しかし、職員の心の中で、大津市長と越直美市長という二つの記号がいまだに一人の人物像に収斂しないという実感があると私は感じており、この点が先のお二人の市長と異なる点であると思います。
これは年齢、性別の差に起因するものではなく、先に述べた視点の位置の問題に加えて、人間味を感じにくいという点が作用していると思います。
先のお二人は評価が確定しているといっていいと思います。
これに対して越市長は1期目の途中で現在進行中の取組みが多いこともあり、十分な比較にならなかったと自分でも思います。私の越市長に対する見方は随所に書いてきました。
最後にひとこと申し上げたいのですが、すべての市長は先行市長の遺産を相続しています。
目片市長は山田市長の達成を踏まえて三者協働のまちづくりを進められました。
越市長も大枠は同じです。目片市長の功績がスタートラインです。
こし直美後援会ニュースに書かれている成果の中には、以前に種がまかれたもの、あるいは刈り取り寸前だったものが幾つも含まれています。
例えば、病児・病後児保育の充実、こども医療費の拡充、発達相談センターの開設、小中学校や幼稚園のエアコン導入、在宅看取りのネットワーク整備、認知症サポーター増強、介護予防の各種取組み、グランドゴルフ広場の整備、膳所駅リニューアル、大津駅西・堅田駅西口整備、161号バイパス整備、道の駅等々です。中には越市長がブレーキを踏んだ事業も胸を張って並んでいます。
でもそれで差し支えないと私は思います。
そもそもまちづくりが4年で出来るわけがありません。先行世代の肩車にのって今の世代が進むのです。多段ロケットです。もちろん負の遺産もあるでしょう。正負の遺産を引き継いでいかざるを得ないから、残すものと捨てるものの見極めに集団の英知がいるのです。
実力があり、ある時は「こわもて」でもあった山田市長、目片市長は、とても謙虚な方でもありました。だからこそ長年にわたる先人の営為を感謝の念をもってふりかえり、上首尾に遺産相続をされたと思うのです。この点でも越市長と対照的であったと思います。
また脱線したかもしれませんが、書き直さずアップします。
次あたりで越市長の優れておられる点を記述する予定です。