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2015/10/25

46) 越市長は今後どうなるのか

 前回、つまるところ越市長はどんな市長か?というテーマについて私見を述べました。そして「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」であると指摘しました。
  ご本人がご覧になったら「見当違いもはなはだしい」と思われるでしょうか、「だからどうした?人物鑑定より実績判定をしてほしい」と思われるでしょうか。

 幾つかコメントをいただきました。
 その中に「人気投票」という言葉がありました。確かに、多数の人が限られた情報と時間で一人もしくは少数者を選ぶという選挙の実態と、ポピュリズムや劇場政治の登場には、因果関係があると思います。選ぶ側の眼や報道のあり方も問われていると思います。

 「ポピュリズムや劇場型云々より資質の話ではないか」と私の問題意識をただすご意見もありました。政治手法より施策の中身を問うべきであるとの問題提起にも思えます。
 私は、政治手法と施策の中身は無縁ではないと思いますし、同様に施策決定のプロセスは施策の中身を左右すると考えています。それはそれとして、投稿者は諸般の根底に資質の問題があると見ておられるようで、私も深く同感するところです。

 「市民の二極化」という指摘がありました。近年指摘される「中流層の減少」が背景にあり、大津では子育て世代の転入が多いことも関係があるのでしょう。この方は公的サービスや公の施設の行く末を憂慮しておられます。
 繰り返して恐縮ですが、既存の(有形無形の)資産が有する計量しにくい価値を適切に評価する上で独断、拙速は禁物だと思います。

 なお、投稿の中で市長選挙に関連して市議会会派や前知事の動向にふれた箇所がありました。勿論これらの方々の心中は私を含めた第三者に知るよしもありません。新聞報道の範囲内であったため掲載しました。それにつけても今後、越市長はどのようになっていかれるのでしょうか。
 前回の記事の補足として越市長の今後について検討したいと思います。

    大津市政 22 越市長は今後どうなるのか 




 

大津市政 22 ~越市長は今後どうなるのか~

 越市長は、今後、新自由主義的な考えを持つポピュリストとしての傾向を強めていかれるだろうと
私は思います。
 その理由は、まず、越市長がこの政治手法でうまく行っていると認識しておられるであろうこと。
 いじめ対策、英語教育、待機児童対策、中学校給食の実施方針など市民の興味を引くテーマに絞って専門家の意見を聞きつつスピーディーに進めていく姿勢は確かに分かりやすく、支持を得やすいものではあります。
 いじめ対策は世間の注目を集め越市長の看板施策になったうえ、大津の出来事を契機として国でも教育委員会制度の見直しが進められました。英語教育も待機児童対策も長期評価は別として、ともかく現状が動いたわけです。
 これらの陰には、施策の重点化に伴うシワ寄せ、現場の混乱、議論不足による内容不備といった見逃せない課題があるのですが、外から分かりにくく、越市長ご自身も気に留めておられるように見えません。

 二つ目の理由として、失礼ながら越市長の「耳を傾けない」という資質を挙げさせていただきます。自分が正しいと信じ、かつ、他人の言うことに耳を貸さなければ、路線は変わりようがありません。越市長は、ご自身の市政運営をより良いものにする機会を日々逃しておられる気がして残念でなりません。一方で越市長はご自分なりの努力をされるわけですから、上記の傾向は強まらざるを得ないと思うのです。
 このブログでは越市政の様々な側面に光を当て、いくつもの出来事を振り返りました。それに対して実に多くのご意見をいただきました。私はこれらを見直して、多くの事実や意見をつなぐ一本の糸があるように感じます。
 今後、越市政の特徴は、良くも悪くもますます顕著なものになると考えています。

 「結局は資質の問題ですね」
 越市長を知る多くの人々と話す機会がよくあるのですが、たいてい会話の最後に、誰かがため息まじりに口にするのがこの言葉です。
 思考パターンや政治的思想などの問題も重要ですが、最も重要なのは「人としての資質」であると実に多くの人が考えています。

 最後に、民主主義とは何かを自問し続けている作家高橋源一郎の言葉をご紹介します。
 いわく、民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも「ありがとう」ということのできるシステムである。
 これは、民主主義の核心を平易に述べた名言であるばかりでなく、対立する利害の調整を誠実に丁寧に行うべき行政の心構えを表す言葉でもあると思います。 
 そして越直美氏は、残念ながらこの言葉とは縁の遠い市長であると私は考えています。