改革を後戻りさせないと仰るなら改めていまこの時代における越市長の改革とは何なのか、その先にどんな世界が待っているのかを明確に市民に伝えるべきでしょう。
また、改革をうんぬんされる越市長の自己変革こそ重要であると私は考えており、いつぞやの市長への手紙でもそのことをお伝えしました。もし、万一、越市長に真に謙虚な自省があるならば反省のポーズなどは不要だと思います。
このブログで候補者を論評しないことを既に書きました。しかし、その後も何人かの知人からより良い市政の実現を望むなら態度を明確にすべきだとの意見をもらいました。
ここ2~3日の投稿コメントでも、今後の市政に関してかなり踏み込んだご意見がありました。
例えば「越直美氏のような市長に正当性を与えることがないまちづくりを茂呂は目ざしているのではないか?」、「新しい市長によるマネーロンダリングのような『市政洗浄』を経て3年保育の中身をこしらえるべきである」、「教育委員会と力を合わせようとしない姿勢で本当にいい教育ができるのか?落選させた方が早い」等々。
私も心を許す内輪の集まりでは率直に意見を言いますし、その中身はもっと厳しく悲観的です。なぜブログで旗色鮮明にしないのか。もう一度ここでご説明したいと思います。
と書いたところで私より先に辞任したもう一人の副市長とかつて交わした会話を思い出しました。
越市長と私たちの3人の協議が済み市長室を退出してからのことです。彼は「茂呂さんが市長に反対するときの根拠は何か?」と聞きました。私は「市民にとって良いか悪いかが判断基準だ」と答え、以下、次のようなやり取りが続きました。
彼「市長のやりたいことが、あなたから見て市民の利益に合わないと思ったらどうするか?」
私「市長に理解してもらえるよう説明をつくす」
彼「市長があくまでやりたいといったらどうするか?」
私「市長に反対する。逆に聞くがあなたはどうか?」
彼「自分は市長を補佐するために副市長をしている。市長の思いを叶えてあげたい」
私「市民か市長かの二択になったらどうするか?」
彼「究極のところで市長のいうところに従うのが副市長の役割だと思う」
私「究極の二択になったら当然市民だ。それが公務員の役割だ」
再現するといい歳をして何やら青臭い議論をしたように思えてきますが、越市長にどのように向き合うかという話の成り行きでこうなりました。「市長か市民か」などという二択は通常あり得ませんし、それを回避して市政運営の安定を図るのが副市長の務めであることは言うまでもありません。
彼も私も市長の方針に反対せざるを得ないのはよほどの事態であると考えていましたが、二人の基本スタンスの違いが明らかになったやり取りでした。2人の副市長がこのような会話を交わすような市政運営でもありました。彼も私も市役所を去ったのでここに記す次第です。
私は、このブログも市長のためではなく、市民のために行っているつもりです。
今の越市政においては「市長のため」と「市民のため」が乖離しています。
私の辞任理由もそれ、ブログ運営の理由もそれです。
しかし既に述べたように市の施策はどれも「悪い顔」をしておらず、市政運営の問題点を市民に分かりやすくお伝えすることは容易ではありません。加えて世間では公務員に対して「親方日の丸でぬるま湯につかっている」という類型的な見方があります。改革を唱える若い女性市長について行けない職員あがりの副市長が辞めた後でまだぶつくさ言っている、と捉える方がおられたとしても私は一向に驚きません。
そうした中で越市長の市政運営の現状をそのままの形で市役所の外にお伝えすることは困難です。市民の利益、不利益に関わる問題であってもコップの中の嵐と言われかねません。
その壁を越えてきちんとした言葉を届けるためには、私自身がニュートラルな立場で冷静、客観的に事実を並べていくことしかないと思い、そのように努めてきました。
繰り返しますが私が特定候補をブログ上で応援すると、そのためにブログを始めたのであろうという見方が必ず出てきます。そうなると「越市政の現状を認識していただく」というブログの目的が色眼鏡で見られます。そのことはブログを読む人にとって客観的な現状認識の妨げとなります。
私は、(越市長には余計なお世話かも知れませんが)自分の知り得た事実をきちんとお伝えすることが公務員としてやり残した使命であると考えてこのブログをやっています。実はけっこう切実な気持ちでやっているのです。偏らず開かれた場であると認められてこそ「情報広場」も立ち上がるのだと思います。おかげでブログがある種の公共性を帯びてきているとも感じます。
このようなブログの目的を僅かでも損ないたくないと考えるゆえ、候補者の評価も行わないというスタンスを守りたいと思います。
したがって越市長についても、1月の市長選の候補者ではなく現職の市長として、1期4年間の市政運営を取り上げて論じるつもりです。同一人格ですから分離が難しい点もありますが、越市長の掲げられる2期目に向けての理念や政策については論評しません。何といっても現職ですから今の姿をしっかり眺めることが大事であり、論より証拠だと思っています。
コメント投稿してくださる方々に対して「言論統制」はできませんが、こうしたブログの趣旨をご理解くださるようお願い申し上げます。
なお、公務員に対するステレオタイプの解釈にふれました。
私は身びいきで公務員を擁護するものではありませんし、越市長と同様に職員も常に自分を省みてあるべき公務を追求すべきだと思っています。とはいえ、世論がこうした先入観に頼ることは生産的ではなく公共サービスの貧困化にもつながっていきます。越市長が保育士、保健師、教諭、司書等々の専門職を減らしていこうとお考えのようですが、私にはコインの裏表のような気がします。
市民から見てどうか?という視点から常に問い返されなければならないと思います。
皆さんと共に明日の越市長の言葉をかみしめたいと思います。