「結(ゆい)」は、今はすたれた地域共同体の相互扶助の仕組みのことで、私の中学時代には社会の教科書に「昔話」として載っていました。田植えや稲刈りのなどの大仕事の際、近所の人が我が事のように手伝うのですが日当なしが大原則。その代わり助けられたら助けに行く。お互いさまの助け合いです。世帯によって労働力の差がありますから「助ける分量」と「助けられる分量」が厳密に同じではなかったでしょう。働き手の少ない世帯の受益が大きかったと思われますが、これが本当の助け合いだと思います。近年の概念である「協働」を象徴する言葉です。
「湖都」は、琵琶湖に接するすべての市町がそのように自称していますが、その名にふさわしいのは(すみませんが)大津だけだと思います。大津は、よそと比べて市街化区域(住宅の多い都市的地域)の接水距離が圧倒的に長いという特徴があります。加えて中北部が琵琶湖を一望する「傾斜都市」であること。都市空間と広大な内水面の併存が大津の都市構造の最大の特長です。琵琶湖が市民の心のオアシスとなっているのは当然で、観光資源としても不動の一番でしょう。
ちなみに県庁所在市で類似の条件を持つのは他に松江市(宍道湖)だけだと思います。
「人を結び」は地域住民の連帯であり、広域交流も展望する言葉。
「時を結び」は悠久の歴史性。有形無形の歴史文化資源を受け継ぎ、引き渡していく心。
「自然と結ばれる」は説明不要ですが、ここだけ受身形になっているのは母なる琵琶湖をはじめとする自然の大きさとその懐で暮らす人間との関係性を示しています。
これが大津の将来都市像~人を結び、時を結び、自然と結ばれる 結の湖都 大津~です。
総合計画審議会(市民はじめ各界の代表者で構成)の審議の賜物なのですが、フレーズ自体は審議会の部会長を務められた龍谷大学の富野暉一郎先生の発案です。私をはじめ事務局が百をこえる原案を作成してすべて不採用、最後に富野先生にお助けいただきました。
この経過は審議会の方々はすべてご存知ですし基本構想もラスト1年になったことから、こぼれ話としてご紹介する次第です。
次期基本構想で新たな都市像がどのように描かれるか知る由もありませんが、大津がこれから向き合っていく課題、すなわち人口減少、少子高齢、災害対策、活力維持等々を考えるとき、結の湖都に示された「お互いさまの助け合い」の理念は依然として重要であると考えます。
「お互いさま」というからには、まちづくりの多様な担い手の間の相互理解と相互信頼がきわめて大切です。理解と信頼に基かない「協働」は「経費節減の行革」に堕落しかねません。
それを左右するのが行政というセクターのトップである市長の姿勢です。
次回は、越市長が「結の湖都」のまちづくりの実現にどこまで迫れたかを考えたいと思います。