しかし、藤井議員は、そうした法律論の前に、まず越市長がこの出来事(公文書消去)をどのように考えておられるか、その認識を問われたのだと思います。
この問答の中で昨年5月30日に行われた二役協議(市長と両副市長)の意義が焦点となりました。越市長によると、私が取りまとめた「部局長意見集」を二役限りとすることで合意したという話です。こうなった以上、これに対して私からも発言した方がよいと考えます。今まで黙っておこうと1年半は外に出してこなかった話です。
退任式前のあわただしい時に二役協議が行われたのは、退任式での私の発言を越市長が前もって確認しておきたいと思われたことによります。
私は、経過をきちんと説明すべきだと考えていましたが、越市長は、「私が感謝の言葉で送れるよう一身上の都合に徹してほしい」と要望されました。
既に私は「一身上の都合」という辞職届を提出していたので大枠はその通りだが、それではあまりに漠然とし過ぎている。私には仕事を途中で辞めることの説明責任がある。一応の経過を説明したうえで職員に贈りたい言葉がある、と申し上げました。
こうしたやり取りが続いた後、越市長は、私の言うことを聞かなければ退任式を行わないと宣言されたので、売り言葉に買い言葉で私も、勤務時間後に自分で挨拶会を開くといいました。これに対し越市長は「退職する人に市の施設は使わせない」とおっしゃいました。
このブログでも書いてきた通り、たしかに「一身上の都合」に間違いはありません。お世話になった皆さんにご挨拶する機会を失くないたいと考え、私は越市長に従うこととしました。
しかし、部局長が真摯に意見を述べた「意見集」だけは、せめて二役と部局長の共有を図りたいと主張したのです。これに対し越市長は「部局長にまくなら私はいらない」と受け取りを拒否されました。部局長の意見を市長に届けることが私のパイプ役としての最後の仕事だと考えていたため、私はそれ以上主張することを止めました。その結果、市長と伊藤副市長のお手元に部局長意見集が残ることとなったのです。
そして、退任式の翌日(5月31日土曜日、在任最後の日)に、私が各部局長に、彼ら自身が語った言葉を私が取りまとめた「意見集」をメール送信した、これが事実経過です。
越市長の答弁では、私からの異例の意見照会について越市長に「不安や疑問」を訴える部局長があったといいます。私が取りまとめに際して部局長と直接面談した際には感謝とねぎらいの言葉しか聞きませんでしたが、越市長の言われる通り「不安や疑問」を訴えた人も1人や2人おられたかもしれません。その方々には遅まきながら私の説明不足を謝らなければなりません。
しかしその後、越市長が大切な部局長意見集の電磁記録を消去し、印刷物の提出を命じられたことは、彼らに何の「不安や疑問」も与えなかったのでしょうか。私の退任前の部長会において、越市長は「茂呂なきあとは私が一層しっかり職員の言葉を聞いていく」と言明されました。その直後の出来事です。彼らは、改めて越市長の聞く耳を持たない姿勢を痛感して落胆を覚えたのではなかったでしょうか。
越市長、私が訴えたいのはまさにこの一点です。
市役所内部の出来事で、しかも市民に不利益を及ぼさない程度であれば、誰も法文を振り回してしゃくし定規の主張をしたりしません。越市長に問われているのは、本当に集団の英知を集めてよりよい市政を行うことができるか否か、この一点です。
その答えが今回の市長答弁で明らかになったと思います。
もう一つ言います。記録消去、資料提出指示、資料処分、答弁作成、答弁など一連の行為を越市長は職員の補助を受けて行っておられるものと考えます。職員の魂を損ないかねない行為は厳に慎まれるべきではないでしょうか。
もちろん、私は職員がこうしたことに負けず、プロ意識と自負心を奮い立たせ、明日を見つめて市民のために働いていると信じます。そしてそれを励ますのが市長の仕事だと思うのです。
なお、藤井議員はご自身の考えにより質問されました。私がお願いしたわけではないことを藤井議員の名誉のために申し上げます。先日、このブログに藤井議員の質問を抑制する趣旨のコメントが投稿されましたが、私がこれを削除したことも申し添えます。