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2015/12/19

68) まちづくりの課題(競輪場もうひと言)

 「公」を持ち出して足どりが重くなったところに個人的な用事が重なって間があいてしまいました。遅れついでに競輪場跡地利用に関する越市長の基本姿勢について思いをめぐらせてから先に進みたいと思います。

 越市長の行われた跡地利用の検討においては「将来的には公園とする」すなわち「当分の間は公園にしない」ことが前提条件とされています。委託業務においても第2次マーケットサウンディング調査を踏まえた整理においても同様です。
 公園では金儲けにならず民間事業者の参入が望めない(民活は無理)という認識から出発されたのだと思います。限られた貴重な財源をどこに使うかを必死に考えるべき状況ですからそれも現実的な選択だと思います。しかし、越市長はそのことをきちんと説明され、市民の理解を得ておられるのでしょうか。

 「当分の間」として想定されている期間は20年間だと思われます。その間も「一定程度」は多目的広場として一部利用される見込みですが、20年後にこの土地が都市計画にもとづく本来の用途である「都市公園」として利用される保証はあるのでしょうか。
 もっと「そもそも論」をいうと、公費投入ゼロとされている条件はまったく問題がないのか?たとえ一部でも公費投入することで現実的な選択肢がぐんと広がるのではないか?そのような疑問も湧きいてきます。
 公費ゼロの妥当性は、他の大きな経費支出、例えば中学校給食の実施、小学校1年生からの英語教育、たとえ一時的にせよ待機児童ゼロを目ざそうとする保育所建設、いじめ対策事業などにかかる経費と比較検討してはじめて市民が納得できるものとなります。もちろん、有利な財源活用の期限が迫っている庁舎整備にしても同じことです。

 越市長のなさり方を率直に申し上げると、まず放置しておき(意図的にか結果的にかは別として)、お尻に火がついてから検討を開始し、しかも極めて重要であるその前提条件の説明は十分に行わず、その後の検討の経過や結果については対照的に十分な説明を心がけるというパターンのように見受けられます。競輪場跡地も庁舎整備も同様の経緯をたどっていると思います。これらは本市の将来にわたる重要な案件です。そういえば国体主会場の誘致で後れをとったことも似た出来事として思い出されます。

 その一方で市民センターや幼稚園の統廃合検討、図書館やケアセンターなどの民営化検討は失礼ながら「拙速」に進めようとされる。どうも市政運営がバランスを欠いているのではないかと言わざるをえません。「市民のため、まちのために本当に何が良いか」という検討に英知を集めて熟議していればすべて違った展開になっていたと思います。
 これを失政と断ずるかどうかは人により見方が様々でしょう。少なくとも私は、越市政が1期の終わりに近づいているにもかかわらず、競輪場も庁舎整備も一向に展望が開かれていないことを大変残念に思っています。