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2019/10/30

89)対応の分かれ道~越市長の選択~

 時系列資料を掲載して改めて思うことを少し書きます。
ここで取り上げている一連の出来事はなんと7年ごしの課題です。初期対応を誤らず一貫して通常の公文書管理を行ってさえいればこんな泥沼化は避けられました。対応の分かれ道に来た時、越市長はいつも「隠す方向」、「先延ばしする方向」に舵を切られました。

 市は、2014年1月、職員のセクハラ相談や不当要求にかかる一切の情報開示を拒否しました(時系列資料⑧)。これらの案件については詳細な対応記録がありますから、適切な情報公開をすることにより真実の解明におおいに役立ったはずです。当時から私はそう考えており、私と話した職員課の職員も同様でした。しかし、市としての意思決定は市長のご意向に沿うものとなりました。すでに申し上げた通り私も応分の責任を負っています。

 翌月(2014年2月)、職員Bが、市が保有する個人情報の開示請求という形で情報公開を求めました(資料⑨)。「個人情報の保護」は、公文書公開を行わない場合の主たる理由の一つですが、自分の個人情報を当人が出してくれと言うのだから、今度ばかりは越市長も了承されるだろうと関係職員も言い、私もそのように考えていました。そして担当職員が「部分開示」の決裁を作成し、私も決裁印を捺しました。

 しかし、その決裁が市長のところまで進んだ後で、市の処分は「全面不開示」となりました。そのころ、私は折をみては市長に公文書公開を具申していましたが、この決裁を市長が引っくり返されたことを知って大きな無力感を覚えました。
(当時、いくつかの重要案件が同時進行していましたが、市長の対応を拝見するにつけ、こうした状況では副市長としての務めが果たせないと毎日、臍をかむ思いでした。そして3か月後の2014年5月、私は退任の道を選びました。)

 次の分かれ道は、2016年3月の市の敗訴です(資料⑫)。大津地裁の判決を謙虚に受け止め正しい道にもどる貴重な機会でしたが、越市長は控訴、さらには上告の道を選択され、いずれも敗訴となりました。裁判には年月単位の時間とお金がかかります。職員も動かなければなりません。このツケは一体だれが支払うのでしょう?
 そして最高裁の決定が下されてなお、越市長は「隠蔽路線」まっしぐらです。

 公文書をめぐる市の説明も二転三転! もう怒りを通り越しておかしいくらいです。
 「あるかないかも答えられめせん」、「そんなものはありません」、「いやあ本当はあったけれど、もう捨てました」、「捨てた時期は分かりません」、「私自身は捨てたことは知りませんでした」、「しかし処分そのものは適正です」、「隠ぺいを意図したことはありません」等々。公務に携わる者の責任感と矜持を一体どこへ置き忘れたか!?
 
 越市長の一連の対応の根本に、市民の知る権利を軽んじ公をないがしろにする姿勢がありありと伺えます。私が越市長に私怨をもっていると言う人がおられますがとんだ見当違い。私が問題にしているのは、このような市民不在の越市長の政治姿勢なのです。




 





2019/10/27

88)大津市で起こったこと(時系列資料)


さきの陳述書でのべた出来事を順序だてて整理しました。青字の部分は補足説明です。

 2012(平24)年8月
  職員Aが4人の男性職員からセクハラ被害を受けたと職員課に申告。

 2012(平24)年9月
  職員Aが男性職員(4人のうち2人)を刑事告訴。

 2012(平24)年11
  大津署が2人を任意聴取。

 2013(平25)年1
  内容証明付謝罪要求文書が職員Aから男性職員の職場に郵送される。

 2013(平25)年2
  男性職員の処分を求める差出人不明の手紙(いわゆる「怪文書」)が市長や市議会あてに郵送される。
 
 2013(平25)年3月22
  職員Aと父が、外部の人物2名と共に庁舎内で人事異動等をめぐり不当要求を行う。
対応した職員課はその模様を録音するとともに、そのテープ起こしをはじめ詳細な対応記録、所定様式による「要望等記録兼報告書」など一連の公文書を作成。

・市は当初、情報公開・個人情報保護審査会の事情聴取や最高裁後の弁明書などにおいて「録音もせず記録もない」と主張しました。ところが審査会が職権にもとづき裁判の証拠を入手し再度の事情聴取を行ったところ、「録音し記録も作成したが、その後に廃棄した」と説明を変えました。

 2013(平25)年12
  京都弁護士会から市に対し、情報開示に対する弁護士法に基づく弁護士会照会。
  職員B(無罪判決を受け、今は本訴の原告となっている職員)が、市に対し公文書公開
請求。

 ・市が開示・公開を求められた公文書は、職員からの「セクハラ相談」に関する聞き取
  り調書や経過報告書一式、不当要求行為に関する記録一式、市や議会に配布されたい
  わゆる「怪文書」等です。

 2014(平26)年1
  市は、京都弁護士会への情報開示を拒否。京都弁護士会は大津市に抗議。
  市は、職員Bの公文書公開請求に対し非公開決定。

 ・市が回答拒否および非公開決定をした理由は、「当該公文書の存否を答えること自体
  が非公開とすべき情報を公開することになるため、存否について答えることができな
  い」というものです。この理由は後に裁判所から完全に否定されます。
 また、「怪文書」は「保有していないため存在しない」と回答しました。

 ・弁護士会照会には応諾義務があります。さらに拒否の理由がおかしいとして、京都弁護士会が市に抗議しました。
 ・当時、私は副市長であり、市の決定について責任を負っています。
 
 2014(平26)年2月
  職員Bが、大津市に対し保有個人情報開示請求。

・開示請求の対象となったのはセクハラ申告(本資料の)の関係者からの聞き取り調
書、相談記録、経過記録などの文書一式です。

 ・職員Bから見ると「自分自身に関する個人情報」の開示請求ということになります。

 2014(平26)年3
  市は、職員Bの保有個人情報開示請求に対し全面不開示決定。

・市が不開示とした理由は「開示請求者以外に関する情報であって、開示請求者以外の特定の個人を識別することができるもの、または開示請求者以外の特定の個人を特定できないが、開示することにより、なお、開示請求者以外の個人の権利利益を害する恐れがあるため」あるいは、「市が行う事務に関する情報であって、開示することにより、人事管理に関する事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるため」というものでした。

・市の事務処理においては、開示、部分開示、全面不開示のいずれの処分を行うにしても起案文書(処分を決定するための決裁文書)を作成します。一つの処分に対して一つの起案文書が作成されます。ところが、この「全面不開示決定」に関してはなぜか2つの起案文書が存在していることが後の公文書公開の結果、明らかになりました。

・一つは、「部分開示」とする決裁文書で市長印がおされ決裁完了しているもの。副市長であった私の決裁印もおされています。
 もう一つは、これとまったく同一の決裁文書(文書番号も同じ)で市長印がおされ決裁完了しているもの。ただ一つ異なるのは、文書の表題部分の「部分開示」という処分内容が「全面不開示」に手書き修正されている点です。

・これら二つの文書は請求により交付された文書であるためいずれもコピーですが、それぞれに複写元である原本が存在します。すなわち一つの完結文書と、それに加筆修正した文書の併存。この不可解な件はいずれ改めて詳述します。

この全面不開示決定の2か月後の2014(平26)年5月、私は副市長を退任しました。

 2015(平27)年4
  職員Bが、市に対し、大津地裁に公文書非公開決定処分取消訴訟を提起。

Bが、非公開の取り消し(すなわち公開)を求めた公文書は、本資料①の不当要求事件
 の記録等関連資料一式です。

 2016(平28)年3
  大津地裁判決、大津市敗訴(市は控訴)

 2016(平28)年9
  大阪高裁判決、大津市は、控訴審も敗訴(市は上告)

 2017(平29年)2
  最高裁決定、大津市の上告棄却(市は三審とも敗訴)

 ・憲法判断を求めるような案件でもないのに大津市が最高裁まで上告したことは極めて
異例です。そして裁判所からは、文書の存否すら明らかにしなかった市の姿勢が厳しく
判されました。

 2017(平29)年6
  市は、最高裁判決を受けて部分公開決定。しかし既に公開済みの文書しか公開せず。

 ・市は、まず文書の存否を回答すべきでしたが、不当要求にかかる「要望等記録兼報告
  書」を部分公開したのみ。しかも、すでにいったん公開している部分まで黒塗りにし
  ました。

 ・陳述書において、最高裁の判決が出た後もまだ隠ぺいを続けていると私が指摘した 
  のはこうした市の姿勢です。

 2017(平29)年9
  職員Bは、情報公開・個人情報保護審査会へ審査請求

・審査請求の内容は「最高裁判決後に市が行った部分公開決定の取消し」についてで
 す。

 2018(平30)年1
  職員Bは、市に対し大津地裁に損害賠償請求訴訟を提起(現在も係争中)。

⑱ 2019(令1)年6
  職員Bの審査請求を受け、審査会が市に答申。
  (審査会は、市の文書廃棄が不適正であることなど公文書管理について厳しく批判)

⑲ 2019(令1)年9
  大津市議会での一般質問に対し、越市長は「文書廃棄は適切だった」と答弁。
越市長はその後の定例会見においても、公文書の取り扱いに関する記者の質問に対し、
「市議会で答弁したとおりである」との回答に終始。
  職員Bは、市に対し、大津地裁に部分公開決定取消訴訟を提起。

 ・越市長の答弁は、審査会の答申を無視するものと言わざるを得ません。
 ・訴訟の対象は、「最高裁判決後に市が行った部分公開決定の取消し」および「審査会
  答申を踏まえて市が行った部分公開決定の取消し」です。

⑳ 2019(令1)年117
  大津地裁で部分公開決定取消訴訟の第1回公判
  
 ・⑲の訴訟の第1回公判です。

㉑ 2019(令1)年1119
大津地裁で損害賠償請求の証人尋問

 ・⑰の訴訟の証人尋問です。私も証人として出廷し真実を述べます。
  
以上が「大津市で起こったこと(時系列資料)」です。
不当要求の発生から7年たってなおその検証すら行われず、関連する公文書は藪の中です。



2019/10/25

87)虎の威を借る狐


 再開半月、閲覧5千。多くの皆さまにご覧いただいていることに感謝するとともに、改めて大津市政への関心の大きさを実感しています。なかなかテンポよく運べませんが、一連の出来事だけはしっかりお伝えいたします。ついでにちょっと道草です。

 ~昨今の国会審議で知った。虎の威を借るキツネにも 自分が虎だと思い違いしているタイプ、虎へのアピールが先に立つタイプ、の2種類あるということを。人生是勉強。
「(国会の機能は)このような場で声を荒げて発言するようなことまでとは考えておりません」と野党議員の質問に答えた横畠雄介・内閣法制局長官は

 野党議員が質問の中で用いた「うそをつき」に反応、「私のことを指されたのかわからないが」といいつつ「委員会でのご発言だから、私はそれについてとやかく申し上げませんが、心の中で『ん?』と思ったことは申し上げたい」とのべた中江元哉・元首相秘書官は。~

 以上は朝日新聞編集委員、高橋純子氏の言葉です(2019.3.18、朝日新聞「政治断簡」の冒頭)。なんともシャープで胸のすく見立て。これに続く部分で「公衆に奉仕すべき公僕が何を勘違いしているのか。いや、誰が勘違いさせているのか。」と問いかけ、戦後を代表するジャーナリストの一人としての本田靖春の在野の思想に話が及びます。保存していた切り抜きから引用しました。
 
「崇高な存在である動物」写真シリーズと銘打っているにも関わらず上記のていたらく、引き合いに出された動物に謝罪しなければなりませんが、人の世に虎とキツネが絶えません。
極論すると、役所や会社などの組織は、大がかりなロールプレイング(ごっこ遊び)に過ぎません。ある日突然、係長や課長に任命されその役割を演じることとなる。部下ができ周囲から職名で呼ばれる。権限も増えるでしょう。しかしこれはあくまで組織のゲーム上の「役割」であり、自分そのものではありません。ちょうど洋服と身体のように。

ところがみんな生活をかけてゲームに参加しており、組織は社会と深く関わるリアルな存在です。くわえてポストと実力には通常、正の相関関係があります。そこで組織の肩書を自分の「正味の値打ち」だと思い込む人物が出てくるのはどうしても避けがたいところ。また、えてして仕事熱心と自他ともに認める人物が錯覚のとりこになりがちです。

こうした勘違いは、客観的に見れば、虚構と現実が区別できない幼児のように何やらいじらしく、関係者にははた迷惑、本来平等であるべき人間の存在に照らせば救いがたい愚かさの現れということになるでしょう。さて、越市長ひきいる今の大津市役所には、虎やキツネがいるのでしょうか、いないのでしょうか。

急いで付け足しますが、私自身が組織の中で虎ともキツネとも無縁であったと胸を張るつもりは全くありません。長い役所生活ではさまざまな職務を経験し、後悔することも多々あります。ただ、いつも民主的な職場を作りたいという気持ちを忘れなかった(ような気がする)ことだけがささやかな誇りです。長い道草になってしまいました。
次回は、一連の出来事を時系列で整理、確認したいと思います。



2019/10/19

86)陳述書(2/2) ~なぜ隠すのか~


<公文書を不存在と主張する理由>
大津市が最高裁の判決を無視してまで存在する文書を「存在しない」と主張するのは到底信じがたいことです。公的機関の見本のような市役所が、なぜそのような虚偽を申し立てるのか、信じがたいことに直面して、私はどうしてもその理由について考えざるを得ません。「公文書が存在するかどうか」を述べることが陳述の主旨ですが、あまりのことに、市の主張の理由についても私の考えを申し上げたいと思います。
理由を考えることはこの異常事態の解釈に多少とも役立ち、ひいては越市長が自らの市政運営の姿勢について反省される契機となるかもしれません。それを祈りつつ申し上げます。

まず初めに、公文書不存在の主張は越市長の意思のみに基づいており、ことここに至っては正直に真実を述べるしかないという職員の進言はすべて斥けられているであろうことを私は確信しています。市役所において白を黒と言えるのは市長だけであり、特に越市政が行われている大津市役所においては尚更のことであるからです。
次に確認しておきますが、これらの公文書の保存期間が過ぎていることは万が一にもありません。そもそも不当要求行為に対する処分はいまだ保留中であるため当該文書は完結しておらず、保存期限のカウントダウンすら始まっていないのです。

また、不当要求行為が平成25年3月、同年12月には公文書公開請求が行われていますから、もし仮に完結文書であったとしても1年足らずで廃棄ということはありえません。繰り返し述べているようにこれは重要案件であり、少なくとも10年、あるいは更に長期にわたり保管すべき記録であると思います。
そのような公文書を越市長があえて存在しないと主張しなければならない理由は以下の4項目に整理できると私は考えます。

理由① 不当要求行為を放置している事実を知られたくないこと

この不当要求行為を誘引したうえ積極的に加担したと判断されるAおよび父に対し、市長は動機などを十分に調査し適切な処分をおこなう必要があります。
懲戒はする方にもされる方にも重い負担を強いますが、組織の長は事案の未然予防に尽力するとともに、いったん事案が発生すれば速やかに適切な対処をとる義務があります。不当要求行為が発生して1年3か月後に私は退任しましたが、この間市長に対し、関係者から十分な聴取を行いすみやかに処分すべきであると何度も申し上げました。これに対する市長のお答えは「Aと父の行為は確かに良いことではないが動機には酌むべき事情がある。少なくとも裁判(AがBとCを強制わいせつ罪で訴えた刑事事件)の結果が出るまでは様子を見る。その後に適切に対応する」との一点張りでした。

他の多くの職員の処分に関しては、「そこまでなさるのか」と私が何度も感じたほど一貫して厳しい処分を下してこられた越市長です。それは市長の認識においては組織内にたまったウミを出すための断固たる措置であったと思いますが、そうした現状認識および処分の考え方があまりに一面的であると私は考え、もっと慎重に判断されるよう市長にお願いしたことも一度ならずありました。幹部職員の多数も私と同様の認識をもっていました。また、ある職員の処分に関し、情状酌量のうえ寛大な処分を望む旨の多くの嘆願書が提出されたケースがありましたが、これらのことからも市長の「厳罰主義」に対する職員の思いをくみ取れると思います。

そしてこの「セクハラ事件」でも、職員BおよびCは起訴された時点で休職処分を受け、Cはその後懲戒免職となりました。このように見てくると、越市長がこの不当要求行為をいかに特別視されていたかということがよく分かります。
その理由について以下は推論ですが、越市長の頭の中では、Aは何の落ち度もないのに辛い目にあった同情すべき被害者であり、一方、BやCは弁解の余地のない非難されるべき加害者であるという単純な構図が固定化されていたと思います。
越市長は一度ある認識を得られた場合、その修正が容易ではないという傾向を有しておられますが、こうした特徴も影響したでしょう。
 さらに越市長は「ガラスの天井」に悩む女性の代表者であると自らを位置づけておられましたが、こうした自己規定がA、B、Cに対する公平な評価に影響を与えた可能性が大いにあると私は考えています。

 もう一つ付け加えると、Aは、切羽つまると自制がきかず予測不能の行動をとることが記録にも明らかです。仮に市長がAや父を処分した場合、Aがどのような反応を見せるかはまったく未知数であり、それを危惧して越市長がAを刺激することを回避されたのだと私は見ています。背後には外部の不当要求者2名の影が見え隠れしていたかもしれません。
また、平成26年1月のことですが、Aが同月末に市役所を退職したいと職員課に相談しているとの報告がありました。退職すれば不当要求行為に関する調査や処分が不可能になりますが、その報告を受けても越市長は動こうとされません。

そこで退職直前の130日に職員課が二役協議をセットし、市長、私、職員課で協議を行いました。その場で私および職員課は、重大な行為を不問のまま退職させることは不適切であると繰り返し越市長に申し上げました。それに対し市長は「このままでいいです」と突っぱねられ、そのままAは退職の日を迎えました。
それから今に至るまで、この不当要求行為はまるで無かったかのように取り扱われています。
「組織のウミを出す」と公言している越市長としては、ご自身が率先してかかる重大な行為を放置し、なすべき義務を果たしていないことを人に知られたくはないでしょう。これが公文書不存在の主張の1つ目の理由です。

 
理由② これら一連の出来事に対する不適切な対応を知られたくないこと

 不適切な対応は他にもあり、実は私もその片棒をかつぎました。それについて述べる前に当時の状況を振り返っておきます。
職員Aは、平成24年9月にBおよびCを刑事告訴したものの、時間の経過とともに考え直すところがあったのでしょうか弁護士を通じ和解の動きを模索します。
そして平成251月、Bに対し謝罪要求文書を内容証明付で郵送しました。Bは自らの行為を深く反省しつつも、Aの主張があまりに一方的であると考え、私にもそのように訴えていました。職員課はこのトラブルの発生直後から関わり、関係した職員の心情や健康面に配慮しつつ丁寧な事情聴取を進めていましたから、Bは職員課にも同様の認識を伝えていたと思います。

さて、平成25年2月ごろ、「怪文書」が市長や議会に届き、私も秘書課職員および議会事務局職員からコピーの提示と共に報告を受けました。そして3月に不当要求行為が発生しました。こうした経緯があり、4月にはついにBがAを虚偽告訴罪で告訴しました。これが新たな動きを呼びます。
6月、Bは大津地方検察庁の検事から呼び出しを受け、「裁判になったら失職することを理解しているのか。虚偽告訴を取り下げるように」と「助言」を受けました。
その検事から市長や私にも複数回接触があり、平成25年9月の私への電話ではつぎのような趣旨のやり取りがありました。

検事:「Aの弁護士から聞いたがAは和解を待っていた。精神的苦痛を受けている」
茂呂:「Bは真実を明らかにしたいと告訴している」
検事:「そんなことならすべての女性は被害届を出せない」

ちょうどこの頃から市長のBに対する「和解勧告」が始まりました。
市長の論拠は、もし起訴されたら99.97パーセントの確率で有罪となる。それを避けるためには和解しかない。必ず和解をするべし、というものでした。市長は自らBに会わず、いつも副市長である私を通じて説得を試みられました。私は、Bがやむにやまれず「逆告訴」に踏み切った心情を理解していましたが、他ならぬ市長の指示であり、私自身もまた起訴を避けることが得策だと判断していたため市長の言葉をそのままBに伝えました。ところがBがいっこうに和解に向け動かないため、市長は大変気にしておられました。私が呼ばれて市長室に行くと、Bの件はどうなっているか、まだ和解しないのかというお尋ねばかり、市長と協議しなければならない重要案件は当時いくつもありましたので、「またこの話か」と内心思ったものです。

時期を同じくして市長と検事の会談があり、市長はその結果にも触れながら和解の必要性を説いておられました。私は市長とBの間に立って双方の主張を曲げずに伝えましたが、最後はBが判断することだと考えていました。市長は思うように事が進まないため、私や職員課に対しBに和解させるよう繰り返し指示されました。私に対し「虚偽告訴など論外です」と強い口調で仰ったこともあります。
これらを受け、私がBを自室に呼んだり勤務時間外に電話して市長の意思を伝えた
回数は少なくとも6~7回になるでしょう。重大な一身上の出来事に対して上司から繰り返し指示を受けなければならなかった当時のBの心中は察するに余りあります。
これは明らかに職位を利用したBへの強要に他ならず、市長と職員とのパイプ役であるべき私として痛恨の過ちでした。市長の責任も大きいと考えます。
さらに、市長と検事との複数回の面談についても、双方の守秘義務や権限行使の観点から大きな疑問が残ります。

平成2510月、検察庁がBを起訴しました。その報を受けて越市長は深夜にBを呼び出して休職辞令を交付し、続いて記者会見を開いて起訴状を公開すると公言されました。その後、Bに対し職務命令として起訴状提出を求められました。
これら一連の動きにおいて、越市長の判断や言動には明らかに行き過ぎや不適切な部分がありました。それらがどこまで記録されているか私は細部まで知りませんが、「叩けばホコリが出る」の言い回しどおり、越市長が文書を公開したくない気持ちはよく分かります。これが公文書不存在の主張の第2の理由であると考えます。


理由③ 本件原告であるBに対し良い感情を持っていないこと

度重なる指示に従わなかったBに対し、越市長がよい感情を持たれるはずがありません。人は誰しも自分の思い通りに動いてくれない他人を肯定的に評価しませんし、大きな力を持っている人ほどそうした傾向が顕著です。
もちろん世の中のすべてが思い通りに行くはずもなし、相手にも事情があり、自分だって時には間違いを犯す、大抵の人はそのように考える分別があります。ところが越市長におかれてはこうした場合において、逆らった相手に対する否定的、拒否的な感情ばかりが高まり、それが持続するように思います。そして、ことの是非、善悪に関係なく、自身の意に沿わなかったり指示に従わない職員に対しては大変手厳しい対応をとられます。それは私自身の体験であり、私のよく知る職員の話でもあり、かなりの人数の職員の処遇にも反映されています。人それぞれの性格の問題と言ってしまえばそれまでですが、越市長の場合はそれに加えて権力者であることへの強い自負と、公僕を私僕とみなす重大な錯覚があると思います。

さて、AがBを強制わいせつ罪で訴えた裁判が進行していた平成2512月、Bは市に対しAの供述、3月の不当要求、「怪文書」等の文書公開請求を行いました。
これらは真相を究明するうえで極めて重要な記録であるため、A、Bのいずれから要請があっても市は積極的にこれに応じるべきでした。特にAの訴えに虚偽が含まれていると認識するBにとってこれらは命綱のような記録であったはずです。
この重大な公文書公開請求に対し市は平成26年1月非公開の決定を行いました。
いまだに非公開をつらぬく越市長の意図はこの時にすでに明らかであったわけです。これに対してBは異議を申し立て、個人情報の開示請求を行いました。

その後は大津市の拒否、Bの異議申し立てや再請求が繰り返され、その過程でBの無罪判決が確定します。少なくともこの時点で越市長はBに対し、執拗に和解を迫ったことを謝罪するのが本来であったと思うのですが、市長にはその気配さえありませんでした。
そのような越市長ですから、市の拒絶にも負けず公開請求を繰り返すBに対し、許しがたいという感情を募らせたであろうことは想像に難くありません。それはもはや私怨です。越市長のBへの私怨が不存在主張の第3の理由であると私は考えます。


理由④ 以前から都合の悪い情報をひた隠しにして乗り切ってこられたこと

越市長は、これまでも隠ぺいに成功してきたのだから今回の公文書不存在もごり
押しで通そう、これで行ける、と判断されたのだと思います。
「市役所の隠ぺい体質」を問題視される越市長は、実は、この公文書不存在主張より以前にも公文書の廃棄を自ら主導しておられます。廃棄されたのは私が副市長として行った最後の仕事で、主要事業ヒアリングの実施に伴う部局長意見の集約文書でした。
私は退任直前にこの文書を取りまとめ、市長および副市長にペーパーで提出するとともに各部局長にメール送信しました。ところがこれに不快感を示された市長は、各部局長がメール受信しプリントアウトした文書については中身を見ずに封筒に入れて即刻提出するよう指示するとともに、庁内のネットワーク上から当該メールを完全に消去してしまわれました。平成26年6月2日の出来事です。

その時点で私は退任していましたが、議会でも、これは公用文書等毀棄罪にあたるのではないかと質問が出ました。これに対し執行部から紙ベースでは残しているので問題はないという趣旨の答弁がなされました。私は、電磁記録の消去は違法であると思いますが、越市長がそこまでして部局長意見集を隠ぺいしようとされたのは、そこに市長自身に対する率直な意見が多数含まれていたためでした。といってもそれらは各部局長の業務に付随する見解で、抑制的かつ客観的に記載され、各自の真摯な思いに基づくものでしたが、越市長はこれを謙虚に受け入れることができず、無視するどころか「文書抹殺」という究極の手段を選ばれました。

こうした違法もしくは違法すれすれと思われることは他にも複数あることを私は知っています。それでも今のところ表面上は何事もないという越市長の「成功体験」が今回の虚偽の主張の後押しをしたのだと思います。これが理由の第4です。
他にも私の知らない事情があるかもしれませんが、少なくともこれらの理由により常識では考えがたい越市長の虚偽の主張がなされているものと考えます。


<おわりに>
元副市長である私が市役所と市長の批判を展開していることについて違和感をもつ方がおられるかもしれません。しかし、私は、昔も今も大津市および大津市役所を大切に思っていますし、いまだに大津市のニュースから目が離せません。
そして越市長には「大津市長」の名に恥じない真に市民のためになるお仕事をしていただきたいと心から願っています。
率直に申し上げて、越市長の資質、考え方、行政運営の手法などには大きな問題があります。そのため越市長は、真に市民のためになる仕事をなし得ていません。
(例えば最近の事例として、地域自治と防災の拠点である市民センターの統廃合について、住民の声に耳を傾けず結論ありきでひたすら先を急ぐ稚拙な手法など)

越市長は、真に市民のための仕事ができているか、市長としての重大な責任を果たせているかについて、くり返し自らに深く問うべきですが、市長を支える副市長もまた大きな責任を免れません。平成26年5月に私は「一身上の都合」で辞任しましたが、実のところ「市長にまともな仕事をしてもらえない副市長」としての責任を、自ら身を引く形でとるしかありませんでした。
しかしながら私は越市長に対して個人的な遺恨はまったくありませんし、そもそも越直美氏は私の個人的な情念を振り向ける対象たりえません。

何といっても私の関心事は日本全体が様々な深刻な課題を抱えている今日において、この大津市が今後とも活力と魅力を失わず市民が満足できる都市であり続けること、そのことに最大の責務を持つ大津市役所がしっかり機能し続けること、それを担う職員が自らの仕事に誇りと意欲をもって市民のために働き続けられること、これに尽きます。
そしてその第一歩は、越市政の隠ぺい体質をただすことであり、市民が知る権利を行使することであり、市役所を風通しよいものにして市民の手に取り戻すことであると考えます。こうした目的から、私は退任後に「大津通信」というブログを始め、多くの方から頂いたご意見をすべて公開してきました。いまブログの記事は更新していませんが、この陳述書に記載した事柄の一部はすでにブログでも公表している周知の事実です。

本件の公文書隠ぺいは、それ一つとっても信じがたい暴挙ですが、同時に、越市長の市政運営の悪しき側面を象徴する事例の一つに過ぎません。それゆえ問題の根は深いのです。まずは本件において越直美市長が虚偽の主張を撤回し自らの過ちを深く反省されますよう、大津市民のため、そして越直美市長ご自身のためにも切に願うものであります。 

 
  
                       2018年(平成30年)8月大津地裁提出







 

2019/10/18

85)陳述書(1/2)~何が起きたのか~

大津市の公文書非公開等の処分は不当であるとして訴訟が提起されており、私は原告側証人として、本年11月19日、大津地裁で証言を行うことになっています。この陳述書は、それに先立って昨年8月に裁判所に提出したものです。私の体験したことをありのままに書いていますので、思い切ってそのままブログに掲載することにしました。2回にわけてお読みいただきます。                               


 ~陳述書~

<はじめに>                                 
私は39年にわたり大津市役所に勤務した元職員です。昭和50年の採用後まもなく福祉事務所に配属され、生活保護ケースワーカーとしてさまざまな困難を抱える方々のために働いたことが長く職務上の財産となりました。最後の10年余は企画調整課長、健康保険部長、総務部長などを歴任、平成24年6月に副市長を拝命しましたが、平成26年5月、任期半ばで退任しました。
大津は父祖の地、私もまた長く公私にわたり恵みを受けてきた大切なまちです。
職員バッジをはずして大津市を外からながめ、また昨今の政治・社会状況も考えあわせ、改めて公務とは何か、この時代に「公」はいかにあるべきかといった課題について思いを巡らせる毎日です。

そうした中、私のよく知る大津市の不当要求事件について、越直美市長が最高裁判決に反してまで公文書公開請求に応じようとしておられないことを知りました。
副市長退任に際し、私は、自分の所管のうち越市長が関与された重要な2つの未解決案件が放置されることを懸念していました。これらの案件は性格上、職員課作成の総括的な副市長引継文書に記載されなかったため、私は別に平成26年5月31日付で「副市長事務引継ぎにかかる特記事項」という1枚の引継文書を作成しました。それを後任の副市長に手渡し適切な対応を依頼したのですが、この不当要求事件はまさにそのうちの1つです。
 越市長がこの事件にかかる公文書を存在しないと主張されるのは事件の隠ぺいを図って虚偽を申し立て、市民の知る権利を真っ向から否定する行為です。
同時に議会を軽視し、情報公開審査委員会を愚弄し、顧問弁護士との信頼関係を踏みにじるふるまいです。これらは行政の公正性を大きく損ないます。

 しかも最高裁の判決が出た後まで職員に虚偽の説明を強いることにより、その公務員としての誇り、人としての尊厳を深く傷つけています。このような越市長の組織運営により「公務集団」としての大津市役所の健全性が損なわれることについて、私は危機感をもっています。そこで、この憂慮すべき事態の改善に少しでも資するため私が越市長のもとで副市長として体験した事実について陳述を行います。

<発端となった出来事について>
 まず、発端となった職員間のトラブルにつき簡単に申し上げます。
 平成24年8月、女性職員Aが複数の男性職員からセクハラを受けたと職員課に申し出ました。その概要は、「職務時間外に飲食店や自宅において意に反し身体に触れられるなどの被害を受けた。加害者は合わせて4人の男性職員である」というものでした。職員課は直ちに本人及びやはり市職員である父親から丁寧な聞き取りを行いましたが、「加害者への接触は待ってほしい」との本人の要請により男性職員への聞き取りはすぐに行われませんでした。

 この件はただちに市長および副市長であった私に報告されました。市長はもともと職員の動向について関心が大きかったことに加え、そのころ職員の不祥事が続いていたため、不祥事やその疑い例をすぐトップに報告することは当然の流れでした。 
一口に不祥事といっても本人のモラル欠如を厳しく問うべきもの、注意不足が重大な結果を招いたもの、不運な事故によるものなど様々な態様がありましたが、越市長は「市役所にたまったウミを出さなければならない」と公言し、全てのケースに一貫して厳しい対応をとられました。ところがこの案件の一報を聞いた市長が「職務時間外のプライベートな出来事なので不問に付す」との考えを示されたため、私も職員課の職員も何やら拍子抜けの気がしたものです。

 しかし平成24年9月にAが男性職員のうち2人を大津署に告訴したため、11月に任意聴取が行われ、翌25年2月には男性職員に対する市の厳正な処分を求める差出人不明の手紙(いわゆる怪文書)が市長や議会に郵送されます。こうした経過のなかで当初は静観の構えであった市長も本件への関心を深めていかれ、ついには後で述べるように男性職員への過度の関与に至ります。 
なお、告訴された職員の1人であるBは十分な審理を求めて大津市に対する情報公開請求を行い、市はこれに応じなかったものの無罪判決を得て、現在は本訴の原告となっています。残る1人の職員Cは執行猶予つきの有罪判決を受け、市職員の身分を失いました。
以上が事件の発端となった職員間のトラブルの経緯です。

<平成25322日の不当要求行為について>
 次に、セクハラ被害を訴えたAおよび父が引き起こした事件の概要です。
平成25年3月22日、平成26年度人事異動の内示が行われました。Aは異動希望が叶えられなかったことに激高し、秘書課前で「市長に会いたい」と大声で騒ぎ立てました。秘書課職員から報告を聞いた私は驚きとともに怒りを覚え、思わず「すぐにつまみ出せ」と指示したものです。
私は越市長の人事異動について、一人を見て組織を見ない、今年を見て来年を見ない、威嚇はあるが激励がない等の偏りあると考え、より多面的に検討されるよう進言したこともありますが、それとこれとは話が別、内示を不服として市長に直談判を迫ることは組織のルールに照らし許されることではありません。Aの所属部署の職員も駆けつけその場は収まりましたが、これが次の不当要求行為に発展します。

 同日午後、部外者2名が市役所を訪れ、Aの異動およびセクハラ事件の対応について話が聞きたいと市長への面会を要求しました。この要求は市長に伝えられる前にまず職員課が対応しましたが、対応した職員から私が受けた報告によると、Aが部外者の1人に電話をかけ、その者がもう1人を呼んで、A、父、部外者2人がまるで4人一組のごとく職員課に対し苦情を述べたといいます 。
長いやりとりの後で部外者が「これからセクハラした職員の顔を見てくる」と言って職員Bの執務室に押しかけ、大声でその名を呼びました。自席から立ち上がって部外者に近寄ったBが、「これは不当要求ですか。不当要求なら帰ってください。」と応答したため部外者が激高し、廊下で緊迫した押し問答になりました。
そこへ総務部の不当要求等専門監が割って入り、ようやくのことで事態が収束しました。彼らが市役所に来てから帰るまで3時間を超えていたと後で知りました。  
対応した職員課職員はルールにもとづいてやり取りを録音し、すぐに記録文書を作成しましたがそれは次に述べます。
これは市役所で起きてはならない残念な出来事でしたが、そうした中でも職員課が冷静かつ丁寧な対応に終始したこと、職員Bが脅しに屈せず毅然と対応したことがせめてもの救いでした。以上が不当要求事件の概要です。

<越市長への報告および公文書について>
 平成25年3月22日午後、この不当要求事件が収束して間もなく、職員課の職員より私に口頭で報告がありました。部外者の一人は前市長の時代によく市役所を訪れていた人物、もう一人は団体代表者の名刺を持ち、市内の出来事について時おり意見を述べに来る人物でいずれも私が知る名前でした。
市職員がこうした部外者を利用して人事異動や職員への指導、処分等について働きかけを行おうとしたことは前代未聞です。しかも勤務中であり、また部外者の言動は脅迫的なものであったと複数の職員から聞きました。これは極めて悪質な不当要求行為であると私は考え、市長にもすぐ報告するよう指示しました。

それから日を置かず、私は職員課の職員から詳細な記録を受け取りました。職員課は不当要求対応の原則に従って一部始終を録音しており、それを文字に起こしたリアルな記録です。また、添付書類として、部外者が作成し当日持参して職員課に手渡した書面(Aおよび父からの相談内容を記したもの)の写しも付されていました。Aおよび父が以前から部外者に対し、男性職員の処分につき相談していたことはその書面に明らかであり、「異動内示を見たAが泣きながら電話をしてきた」という部外者自身の発言を裏付けるものでした。

私は当時総務部を所管する副市長であり、職員課が扱う職員間のトラブルや不当要求行為など本件に関する一切の報告を受けていましたが、これらの報告文書を受理するたびに「これも市長に上がってるね」と尋ねていました。職員の返答は「これからすぐに市長室に入ります」とか「すでに市長報告を済ませました」などというものであり、市長への報告と書類提出が常に怠りなく行われていることを私は確認していました。
職員課が作成した文書はこの日の記録にとどまらず、Aが職員課にセクハラ被害を申し出からの時系列の報告書もありました。何といってもこれはセクハラが疑われる継続案件であり、しかもAの言動が感情的で主張が一定しなかったため、職員課としては詳細な記録を残して後日に備えようとしたもので、当然のことであったと思います。さらには、不当要求行為があった際の所定の様式による市長決裁文書も回覧されており、私は閲覧のうえ決裁印を捺しました。

 そもそも市長は何事によらず副市長や部長に任せられる範囲が少なく、すべて自ら目を通し判断されることが常でしたから、これらの書類についてもしっかりとご覧になったことは間違いありません。まして当時は目まぐるしい展開を見せ、どちらに転んでも職員の誰かが処分の対象になるような重大案件です。しっかりした報告書がいくつか作成され、それらは詳細な説明とともに市長や私に提出されました。
平成25年3月末から4月初めにかけ、市長、副市長、職員課等による協議も何度か行われました。協議は報告書等に基づいて行われましたが、これは市役所では当たり前のことです。
ところが、これらの記録文書が存在しないと大津市は主張しています。市長室や職員課の書庫に間違いなく保管され、ことによるとAや父の当時の所属部署にも写しが保管されている可能性があるこれらの文書が存在しないと主張しているのです。
最高裁の判決は、文書の存否さえ明らかにせず非公開決定とした大津市の行為を厳しく戒めるものでした。これに対して市は、すでに公開した文書1点のみしか存在しないと返答したわけです。
平成30年6月18日の準備書面で大津市は、甲56号証および甲57号証を「公文書として保有していない」と主張しています。これは公文書以外の文書として保有していることを示唆するものでしょうか。

また、市は、平成29年5月9日に最高裁判決を受け部分公開を決定しましたが、主管課である人事課は「平成29年5月9日時点において甲56号証および甲57号証を保管していない」とも主張しています。これまた、その日以前には人事課が保管していたと認めるものでしょうか。あるいはもし市長、副市長、総務部長等が保管していたとしても、これらの職位は「人事課ではない」ため無関係であるという趣旨なのでしょうか。いずれも早手回しの言い逃れのように私には見えます。
私はこの陳述に際しBの代理人弁護士から甲45号証(怪文書)、甲56号証(報告書)、甲57号証(録音反訳)を見せてもらいました。すべて墨塗りをしていないオリジナルの文書のコピーであり、私は慎重に目を通し、いずれも本物であることを確信しました。これらが真正の公文書であることをここで明確に申し上げます。
残念ながら、これらの公文書が存在しないという大津市の主張は明らかに事実に反します。れは虚偽です。


(※)これは2018年8月、私が大津地方裁判所に提出した陳述書の前半部分。ボリュームがあるので分割掲載します(証人尋問は来月の予定です)。
 不祥事の発生が2013(H25)年3月ですから既に6年半の時間が経過しています。この間、私はブログで少し触れたほか沈黙をまもり、越市長がどのように対応されるか注目してきました。そして法廷で証言することを決意したものです。
 私はブログ記事を書くにあたって、事実に基づくこと、節度を守ることを念頭においてきました。不特定多数の方がご覧になるため法律の専門家にも相談しています。「一時再開」ではありますが、今後ともその姿勢を守っていきたいと思います。





2019/10/13

84)大津市の公文書が危ない!


「服務の宣誓」を行い、税金から給与を頂いている公務員にとって、公文書はエリをただして市民に提出すべき「業務報告書」です。それを違法に棄てたり改ざんしたりすることは市民への重大な背信であり、公(おおやけ)を土足で踏みにじる行為です。ところが越市政8年目となる大津市において、不祥事の隠ぺいとセットにこうした行為が行われています。

支所および公民館をめぐる市民不在のドタバタ劇、市民病院に対する手のひら返しの兵糧攻め、県を置いてけぼりのガードレール陳情など人目をひく活動(なりふり構わぬ集票パフォーマンス)の陰で公文書の恣意的な処分が行われています。これらは稚拙で強引な越市政というコイン(鐚銭)の表と裏です。何より残念なのは、ごく一部の職員もこれに積極的に加担していると考えられることです。

こうした行為のうち少なくとも公文書の改ざん廃棄について大多数の職員は何も知りません。
ことによると担当部長すら蚊帳の外かも知れません。しかし、あえて厳しい言い方をさせていただくと、もはや大津市役所は、「知らないから無実である」と言えない状況になっているのではないでしょうか。職員も目を開くべきだし、議会においても事実を踏まえた真摯な議論が尽くされるべきだと思います。そして市民の皆さまにおかれては、テレビに映像が映っていることのみをもって良しとする安易な人物評価を再考される必要があるのではないかと考える次第です。
大げさな物言いですが、私は公文書の改ざん・廃棄は民主主義の危機だと思います。

「一時再開」の投稿に添える映像は動物シリーズ、遠方に住む友人の写真です。年を経るにつれ動物がますます高貴な存在であると感じられます。私のつづる文字は人の世のよしなき事ばかり。その点で文章は写真の価値に遠く及びません。







83)各紙が報じたこと


私がコメントしようとしている出来事について、2018年12月以降十数回にわたって各紙が報じています。いずれの記事も事実に基づき書かれています。議会での質問も行われました。ここでは各紙の見出しのみご紹介します。

大津市 職員不当要求 隠蔽か/13年 右翼関係者伴い異動迫る/詳細文書を「廃棄」/市長も把握 組織ぐるみ?(2018.12.23京都新聞)

職員不当要求/大津市、組織的隠蔽否定/「該当せず」根拠不明瞭(2018.12.24京都新聞)

大津市職員不当要求/公文書廃棄、公開請求後か/市「意図的でない」(2018.12.26京都新聞)

職員不当要求/大津市長「対応問題ない」/公文書廃棄 調査せず(2019.1.12京都新聞)

職員不当要求/大津市の文書廃棄「遺憾」/審査会答申「10年保存相当」(2019.9.11京都新聞)

職員不当要求「対応問題ない」/大津市長(2019/1/12京都新聞)

大津市の文書廃棄に「遺憾」/情報公開・個人情報保護審査会が答申(2019.9.12産経新聞)

職員不当要求の公文書廃棄/大津市長「問題ない」/審査会意見受け入れず(2019.9.14京都新聞)

大津市 問われる公文書管理/強制わいせつ事件関係資料「廃棄」/係争中?市「問題ない」(2019.9.14朝日新聞)

大津市男性職員 市を提訴/不当要求事案 文書公開求め(2019.9.19読売新聞)

部分公開取り消しを 男性が大津市提訴/公文書破棄(2019.9.19産経新聞)

大津市 職員不当要求の公文書廃棄/市長「議事録確認を」/定例会見 答申への見解答えず(2019.9.20京都新聞)

公文書公開求め職員が大津市提訴(2019.9.21中日新聞)