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2019/11/29

101)後継者


 裁判報告の途中ですが今回は「番外編」です。越市長が不出馬を表明されるよりずっと前のこと、旧知の記者から「越さんは選挙に出ないらしい。後継者は誰だと思うか」と電話がありました。当時、私は3選出馬を予想していたので驚きましたが、それ以上に「後継者」の言葉に違和感を覚えました。

 私の感覚でいえば、「後継指名」は、それなりの政治理念と実績を有している前任者が、組織づくりにも一定の成果をあげ(さらに言うなら周囲からも惜しまれつつ)、身を引く時に行われるのが普通であり、越市長の場合はこれに該当しません。ですから越市長が後継者はいないと発言されたとき、そりゃあそうだろ、と思いました。

 ところが最近になって、実は後継者があり、それは越市長の側近といわれる職員であること、市長自身が密かに関係者への顔つなぎに動いておられることを複数ルートで聞きました。なるほど、やっぱりそうだったのか。動機は十分にあるのです。

 越市長の退任後は、8年間の市政運営の不適切な側面が表面化するはずです。
 例えば私が知る限りでも「市長からパワハラを受けた」という訴えは原告以外に複数あります。教委や病院に対する「横やり」や「裏工作」を許せないという関係者も少なくありません。こうした人々が重く閉ざしていた口を開くこともあるでしょうし、語られる事実は公平・公正に検証されることとなるでしょう。本訴の対象となっている公文書の隠ぺい、廃棄問題も同様です。このように見てくると、今回は、歴代市長の退任の時とはかなり事情が違います。

 こうした状況の中で去り行く人の身になれば、すべてを穏便に済ませるためには後継者の存在が必要です。臭いものにフタをし続けようということです。
 一方、「創造的破壊」のバトンを受け継ぐこととなる後継者自身にとっても、越市長なきあとの市役所生活がイバラの道となることは明白です。
 かくなるうえは一か八かの勝負に打って出て、当選すれば儲けもの、落選したら「栄誉ある敗者」の勲章持参で新たな仕事を探せます。広い世間には拾う神もあるでしょう。
いや、それどころか「早く拾いたい」と手を差しのべている「共闘陣営」がすでにあるのです。

 しかし、そうした陣営におかれては、面通しの際の当人の殊勝な口ぶりや、「あの子いいわよ」という妖婆の安請け合いを真に受けて神輿担ぎを始める前に、
「越直美氏はどのような市長であったか」、
「越市政の核心である創造的破壊とは一体どのようなものか」、
「創造的破壊路線を継承することにより初めてその地位を獲得することとなる後継者が、次の4年間どのような理念と手法で市政運営を行うか」、
「その後継者は側近としていかに振舞ったか。大きな権限を付与されて人格や仕事ぶりが変わったか。虎の威を借るキツネであったか否か」、
「今はよいことを言うに決まっている後継者からどのような担保をとるか」
といったポイントについて見きわめることが先決ではないでしょうか。

 もし仮に、共闘の実績をつくるため、あるいは次の選挙のために、陣営が確信をもてず責任もとれない候補者を擁立するならば、まさに前回の轍を踏むことになります。
 「後継者」もしかり。万一、退職の大義名分づくりや将来の選挙のステップとして立候補を考えるならば、公私混同もいいところです。
 大津市長選挙をこのような党利党略、私利私欲に利用されてはたまりません。まだどの筋からも正式表明が出されていない段階ですが、今日は私のあくまで個人的な見立てのもとに、やや悲観的な私見を述べました。
 杞憂に終わればいいのですが事態は進むでしょう。これも民主主義の劣化の一つの小さな表れだと思います。

 ちなみに「創造的破壊」とは副市長であった私自身も初めて聞く言葉であり、まことに新鮮、珍妙な心持ちがしました(一時は「想像敵破壊」の変換ミスかと思ったほど)。
 これについては後日あらためて書きたいと思います。










2019/11/28

100)裁判報告①~幻の告発状~


 今年の夏、枝の剪定中に塀から落ちた友人がいます。この度の証人尋問が無事済んだので、広島の山あいの町にその友人を訪ねました。私が持参した近江の酒「大治郎」と庄原名産「比婆美人」を盛んに呑み比べる彼の様子を見て大いに安堵しましたが、こうした事情で公文書裁判のご報告が遅れました。

 さて、11月19日の「大津市公文書裁判」の傍聴席には数名の市職員やOB、市議会議員の姿がありました。いずれも当時の状況をよく知る人や本ブログをご覧の方ですが、双方の証言を聞いてどのように感じられたでしょうか。このうちの一人である「I氏」が、原告(および私)あてに手紙をくれました。今回はそれに寄りかかって書きます。

 Iさんは現役時代に「鬼刑事」として恐れられ、敬われた人で、その後しばらく大津市の総括調整監(不当要求行為等担当)として活躍されました。私も課長や部長時代、Iさんの心強いサポートを頂いて不当要求者に対応したことが何度かあります。そのIさんが、私の証言を聞き、自分もこれだけは言っておきたいと寄こされた書面です。

 以下はIさんの言葉で、ご本人の了解を得て手紙から抜き出します。まず冒頭。
~ 勝ちましたね。傍聴してよくわかりました。〇〇さん(原告)、茂呂さんの証言は良かったですよ。〇〇さんの「真実は一つ」の最後の言葉。茂呂さんの「涙のフィナーレ」の意味するところは裁判官も感じ取ったはずです。それに比べ被告側の証人は失敗でした。~中略~

 〇〇氏も終始ボソボソと言い訳や逃げ口上の口ぶりだけでした。甲57号証でしたか、その場にいた者は記憶が残っていますし、雰囲気や情景が分かっていますから時間はかかってもテープ起こしは出来ますが、なかなか第三者ができるものではありませんし、結構な作業ですから何年たっても忘れることはありません。それなのに自分がしたのか、誰かに頼んだのかも明確に答えられない。
 甲56号証の報告書に〇〇の印鑑が押しているのに、本人自身が互助会会議室で上司と一緒に対応しているのに、作成したこともあいまいになってしまう・・・これでは裁判官の心証は得られません。~中略~ 

 昨日の茂呂さんの証言で越市長が「検察が起訴すれば99.97%有罪です」と言った、とありました。それは平成25924日のことで、実はそのとき私も一緒に市長室に入り、「99.97%だからこそ、この件は起訴できません。起訴すれば無罪になります」と市長に言いました。(茂呂注:当時、女性職員Aさんが本件原告を強制わいせつ罪で告訴していました)

 市長は当時の〇〇〇三席検事にべったりの感じで、私が「市長が検察と話をするのなら検事正か次席検事とするべきです」と主張しましたが、市長は「私は〇〇〇さんと会います」と言い張られ、翌925日にわざわざ検察庁に出向き三席検事と話をされました。
 三席検事はその前から告訴の取り下げ、和解について市長や茂呂副市長に圧力をかけていましたが、これが最終通告みたいなものになっています。

 私自身は〇〇さん(原告)がどのように判断するのか、もし市長の指示で告訴を取り下げるようなことになれば〇〇〇検事を「公務員職権濫用」で告発しようと本気で考えました。そこで急いで告発状を作りました。とりあえず告発事実まで書いたのですが、〇〇さんは市長の不当な指示に応じませんでした。(茂呂注:原告がAさんを虚偽告訴罪で告訴しました。これに対し市長および私が「逆告訴」を取り下げるよう何度も原告に迫りました。この事実を私は陳述書および証言で述べています)

 そうこうしているうちに1011日付で起訴されたことを知りましたので、告発状は陽の目を見ることがなかったのですが、私が本気であったのは、当時茂呂さんに「〇〇さんが取り下げれば〇〇〇検事を告発します」と言って告発状の案を見せた覚えがあるのと、そのころ警察本部に行ったときに当時の〇〇課長にもその旨を話したことがあるからです。思い出の幻の告発状ですが、当時作りかけたものがあるのでコピーして同封します。これが今回手紙にした理由です。~引用はここまでです。

 Iさんはこの時に限らず、不当要求行為や市役所の爆破予告などの対応協議の際、二役の協議に加わって常に自らの信念にもとづく意見を述べられ、私は深く信頼していました。この手紙の内容は事実です。私は陳述書(本ブログ記事85~86)でも証人尋問でも述べましたが、越市長が検事とやり取りをしつつ副市長であった私を通じて原告に対し執拗に告訴取り下げと和解を指示されたことを、この手紙は別の角度から証言しています。

 この手紙には、市役所以外の機関における当時の事情(驚きの事実)も書かれていますが、ここではご紹介しません。同封された「幻の告発状」を見て、私も当時のことをありありと思いだしました。このように市役所には気骨のある人、臆せずものをいう人、我がことのように町の未来を思う人など素晴らしい人材が多数いるのですが、それらの人々の姿が今は埋もれています。

 その一方で、被告側証人の出廷に象徴される「踏み絵」などによって職員の間に相互不信がもたらされています。私は証人尋問で「最後に言うことはないか」と聞かれ、こうした事情を説明しようとして不覚にも涙が出て言葉が途切れました。「涙のフィナーレ」はこれを指しており、翌日の新聞に書かれずにほっとしたのですが、行きがかり上ここに書いてしまいました。なお、引用した手紙の中で固有名詞を伏せたことを申し添えます。これから順次、裁判の模様を報告していきます。





2019/11/21

99)こいつだけは許せない!

 こいつだけは許せない。大人しいから副市長にしたら、うるさく意見を言ってくる。教委や病院との協議にくちばしを挟む。ついには部局長をけしかけて批判文書を配布する。やっと追い出したらヒマにまかせて悪口ブログを書きだして、近頃は大津の公文書が危ないと大騒ぎ。

 こちらにだって事情がある。裁判所、審査会を無視するわけではないけれど、辛い女性の保護優先がなんでそんなに悪いのか。個人情報の起案文書は決裁途中で疑問が出され、関係職員が慎重に協議を重ね、「一部開示」を「非開示」にササッと書き換え回しただけ。たしかに添付書類にも不整合が若干あった。そんな些細なミスを取り上げて鬼の首をとったような得意顔。こいつだけは許せない!

 これはあるお方の胸のうち、もちろん100パーセント私の想像です。しかし、もし真実がこの通りであるならば、「一部開示」を「非開示」に変更することについて慎重に協議を重ねた職員が、いわれなき攻撃から市役所を守るために次々に名乗り出て証言台に立ったはずです。公務に対する職員の忠誠心をよく知る私は、そう信じて疑いません。

 ところが今回の市側証人は踏み絵を踏んだ人ばかり。その踏み方が主体的であったか否か、自覚的であったか否かは今ここで問いません。問題はこのことによって職員間に生じた亀裂です。それは原告と被告に限りません。傍聴席には職員が詰めかけ、証人たちの一言一句に耳を傾けていました。その場にいなかった大多数の職員も、いま市役所を覆っている空気(組織運営の在り方に深く根ざした重苦しいムード)の中で一体感の喪失を嘆いています。

 そして肝心の越市長は最後まで出廷せずじまい。足かけ8年の創造的破壊の「成果」として、一丸となって市民に奉仕すべき公務職場に不毛の反目、亀裂、不信感がもたらされています。このこと一つをとっても、私は絶対に越市長を許せません。



2019/11/18

98)明日は公文書裁判です

 11月19日(火)10時から大津地裁で大津市公文書裁判が開かれます。「市民の知る権利」と「越市長の安泰」とが天秤にかけられる裁判だと私は考えています。正邪を裁くのは「公」の視点。私の認識は「陳述書」および「回答書」のとおりです。

 明日は双方の証人尋問が行われます。越市長は自ら出廷し、ご自分の考えられるところの正当性を主張されることが公人として最低限の務めであると思います。さもなくば、またもや職員が踏み絵を踏むことになります。

 大津地裁は不出馬会見をされたピアザよりさらに市役所から近い場所です。そこで越市長にお目にかかりたく存じます(なお法廷は公開であり大津市側の証言もこのブログでご紹介する予定です。ただ、私もなかなかに多用ですからアップまで少々お時間をいただきます)。


2019/11/17

97)30万ビュー御礼

 大津市と「公」とを考える「大津通信」の閲覧のべ回数が30万を超えました。ご覧の皆さまに心から感謝申し上げつつ、これまでの経過をざっと振り返ります。

 ブログ開始は2015(平27)年8月。翌年1月、第2期越市政スタートを機に終了しましたが、この間の閲覧数が23万。このブログ閉鎖に対し「市政情報として残してほしい」とのお声を多数いただき記事の復元だけ行いました。
 その後、本年10月に再開した時が28万でしたから、4年の休止期間に本ブログを5万回ご覧いただいた勘定になります。そしてこの度、再開後1か月で2万ビューを頂き30万を超えました。

 もちろん回数が多ければ良いというものではありませんが、この動向は、コミュニティーセンターを始めとする大津のまちづくりの課題や越市長の市政運営のあり方に、多くの方々が継続して関心を寄せておられる証しだと思います。これは決して私の希望的観測ではなく、過去に頂いた大変多くのコメント(すべて掲載しており今もご覧いただけます)に明らかです。

 開始当初は、「ご挨拶」でも申し上げたとおり暗い海にメッセージボトルを流すような心もとない思いでしたが、次々に頂くコメントを拝見するうち、「到着先」のイメージが出来てきました。つたない文章にお付き合いくださっているのは、やはり大津市職員とOBの方々、それに市議会議員各位、自治連はじめ各種団体の皆さまが大半かと思われます。

 いまは発信だけの一方通行ですが、あとしばらくの間、事実にもとづく丁寧な記事を書いてまいります。読者のお一人である(かもしれない)越市長がご覧になって、「ひょっとしてひょっとすると、自分にも反省すべき点が少しはあるのかもしれない」とお感じ頂けるならば、それは私にとって望外の喜びであります。



2019/11/14

96)雑詠

~傷つけし レンタカーをば 乗り捨てて 旅の成就を 宣言する人~

傷つけられたクルマとは大変失礼な譬えで申し訳ありません。しかし実のところ、公務を担う一人ひとりに支えられた組織の力を私は深く信頼しています。

スペアキーがあると聞きました。それを託すに足ると目された人が現れたならば、きっとその人も同じような運転をするでしょう。去りゆく人の総括はこれからです。




2019/11/10

95)回答書(2/2)~市の対応への感想~


~以下は「回答書」の後半部分です~ 

(7) 本件の公文書公開請求・個人情報開示請求に対する大津市の一連の対応について、どのような感想を持ちですか。


(回答)
これらの文書は、すべて一つの出来事を発端に次々と引き起こされた複数の事象に関する市の記録であり、市が作成していない「怪文書」も市が供覧、保管した事実があるため、これも含めて相互に密接な関連を有する一連の公文書です。
大津市が、これらの文書の存否すら明らかにせず非公開・不開示としたことの不当性はすでに陳述書で申し上げたとおりで、当時副市長であった私も責任を免れません。

私の退任後、市の処分は不当であったという最高裁の判断が示されましたが、せめてこの時点で越市長は自らの処分の誤りを認め、適切な措置を取られたらよかったのにと惜しまれます。

そして先ごろ、これらの文書はすでに廃棄処分したと市が発表しましたが、もし事実なら、惜しいどころか信じがたい暴挙です。繰り返しますがこれらの公文書は、職員同士の刑事訴訟に関わるもので、かつ処分未了の不当要求行為の克明な記録であり、さらに本訴の中心的な書証です。

一方、市にとっても、司法判断に優越する自らの判断の「正しさ」を証明する証拠書類です。これらの文書の保存年限も明らかにせず廃棄し、その時期も不明、携わった職員も不明だというのは、あまりに杜撰であり、かつ、きわめて不自然です。 
書類をシュレッダーにかけても通常はパソコンに元データが残っており、録音データも残っているはずです。それまで消去したとするなら、杜撰な反面、たいへん念の入った廃棄処分ということになります。市民への説明責任は一体どうなるのでしょうか。

私は元職員として断言しますが、大津市の公文書管理は適正に行われています。これは特異で少数の例外です(例外の中には、私が在任中に作成、配布した公文書が越市長の指示で回収、廃棄され、元データまで消去された事実もあります)。
市長が真実を明らかにしようと本気でお考えなら調査はいくらでも可能ですが、それにいっこうに着手されない以上、隠ぺいの意図があると指摘されても仕方ありません。
これらは公(おおやけ)をないがしろにし、市民に背く行為であると私は考えます。


3 平成25年3月22日の不当要求行為に関連して、以下の事項についてご教示ください。

(1) 同日の不当要求行為を行った大津市職員A又はその父親Bに対して、大津市が処分をした事実はありますか。


(回答)
職員AおよびBに対し処分がなされたという事実は、少なくとも平成25年3月22日の事件発生から平成26年5月31日の私の副市長退任までの間はありませんでした。
これは、職員が勤務時間中に外部の人物とともに威嚇的な言動により不当要求を行った悪質な事件です。

私は、市長に対し、この事実を隠さず正しい対応をすべきであると繰り返し進言しましたが、情状酌量の余地がある等との理由により聞き入れられませんでした。そこで私は退任の際、後任の副市長に対し特に留意するべき2つの重要案件の一つとして文書で引き継ぎました。
今日にいたっても、市長はこの案件に正面から向き合おうとされていません。


(2) 仮に大津市がA又はBに対して同日の行為について口頭注意処分をした場合に、その事実が当時の副市長であった貴殿に対して報告されないことはあり得ますか。


(回答)
AまたはBに対する口頭注意処分の事実が私に報告されないことはありません。
当時、私は大津市懲戒審査委員会委員長でしたから、私が関与しない処分はあり得ません。AやBの上司が「少しやりすぎだぞ」などと注意くらいはしたかもしれませんが、上司の指導と市の処分はまったく異なります。市は、処分が行われたとの誤解を招きかねない用語を使用すべきではないと思います。


4 大津市(職名省略)〇〇〇〇氏の平成31年1月31日付け陳述書(乙第2号証)には、貴殿について言及した記載もあります。
〇〇氏の陳述内容について感想等があればお聞かせください。

(回答)
かつての大切な仲間たちと対立の構図となることは極めて残念ですが、私はただ真実を申し上げるのみであります。3点に分けて申し上げます。

1.本件の非公開、不開示の決定に私自身も同意していたとの解釈について

本件については、公開・開示請求が出されたことを職員課がまず市長に報告していました。それは、公開、非公開の決定は市長の判断一つであることを職員が理解していたためで自然な流れであったと思います。
当時、職員課の職員は、Aおよび「加害者」とされる複数の男性職員の事情聴取を行ってメールや写真の提供も受けていたため、それらの情報を適正に公開することが事実解明に役立つと考えていました。職員課から詳細な報告を受けていた私も同様の考えでした。

「市長が公開は絶対あかんと言ってはります」という残念そうな職員の報告を、私は1度ならず聞きました。もちろん私も市長に対し、個人情報の保護などに十分に注意したうえで公開するべきであると申し上げましたが、まったく耳を傾けていただけませんでした。

副市長として決裁拒否をするわけにもいかず、表面的には混乱もなく非公開の決定が行われました。この決定には私も責任を負っていますが、当時の事情は以上のとおりです。(なお、保有個人情報開示請求に対しては部分開示の決裁文書に捺印したはずであることは、先に述べたとおりです。)

2.私のブログ(大津通信)と陳述書について

私は、ブログや陳述書を事実に基づいて記述し、客観性と公平性にも十分に配意しました。その目的は、前者においては市政運営の実態を広く明らかにすること、後者においては、司法の判断にまで反する市の公文書の取り扱いに関して私の体験に基づき意見を述べることであり、どちらも公務のつもりで取り組みました。

すでに現役を退いた私ですが、公への尊敬の念と、仲間である職員の皆さんへの連帯感は今も少しも失っておりません。ブログや陳述書が越市長への個人的な感情にゆがめられているとする〇〇氏の意見は見当違いです。
人を貶めるとはこういうことをいうのです。


3.〇〇氏と職員の皆さんへ

原告は、法に基づく権利の行使として大津市に要求を行っておりその主張は正当です。しかし現実問題として、市役所に身を置きながら絶対的な権力をもつ市長に異議を申し立てることには大きな精神的負担が伴い、また表立って応援してくれる仲間も少ないと思います。しかし、どう読んでも、原告の主張の中に職員を貶める意見は含まれていません(〇〇氏の陳述書に「原告の主張は職員を貶めるものだ」という趣旨の見解があったことを踏まえています)。権力を持つ者や側近は「強いものが正しい」と錯覚しがちであり、人一倍の自戒が求められると思います。

さて職員の皆さんは、日々の仕事の中でご自分が市民のために働いているのか、市長のために働いているのか、疑問に感じられる時があるかも知れません。その時にどう対処すべきか私見を申し上げます。
「市民のため」を全ての前提とする公務において、こんな疑問が生じるのはよほどの場合です。まずは法令等に照らし冷静に事態を見極めて下さい。

万一、自分の疑問が正しいと考えたら、信頼する上司に相談してください。上司の判断も同じなら、正しいと信じる方策を勇気と礼節をもって市長に進言して下さい。
万一、市長のご理解が得られない時は大いに悩まざるを得ませんが、その時に自分にできる最善の道を模索するしかありません。人によって道は様々でしょうが、真摯に考えることが公務員としての務めだと思います。

その際、あなたは、自分自身にもご家族にもかけがえのない存在であり、市民にとっても大切な人材であることをどうぞ忘れないでいて下さい。
偉そうな物言いは皆さんよりはるかに上の私の年齢に免じてお許しください。
以上
2019年3月26日

                            茂 呂  治

※以上が「回答書」です。




2019/11/09

94)回答書(1/2)~不可解な公文書処理~


 原告代理人弁護士は、大津市への公文書公開請求等により多数の文書を入手しておられます。そしてそれらを精査したところ不審な点があるとして、本年2月、私の意見を求められました。その際に示された公文書には私も知らなかった事実が記されており、私は本年3月、一問一答形式で「回答書」を作成しました(この「回答書」は、昨年作成した「陳述書」と同じく証拠として大津地裁に提出されています)。
 大津市の公文書管理の状況を理解する一助になると考え、ここに「回答書」を掲載します。ただし、回答書で取り上げた公文書(大量のコピー)はすべて割愛しますので、やや読みづらい部分があることをご容赦ください。青い文字の括弧書きは、ブログ掲載に際して加筆した説明書きです。分量が多いので2回に分けます。


回答書(原告代理人弁護士あて・2019年3月26日作成)

 貴職より去る2月12日付でお尋ねいただいた下記の事項について、私の元大津市職員としての経験と知識に基づいて回答させていただきます。

1 平成25年ないし26年当時の大津市における公文書の作成・保管について、以下の事項についてご教示ください。
(1) 大津市では公文書公開請求・個人情報開示請求に対する処分を通知する文書は様式が定められていますが、通常はどのように通知文書の作成の事務を進めますか。

(回答)
公文書公開請求・保有個人情報開示請求に対する決定通知文書の様式は、大津市情報公開条例、同規則、大津市保有個人情報保護条例、同規則で厳格に定められ、それぞれの決定に見合う様式が用意されています。これによらず事務を行うと結論である行政処分を誤るため、正しい様式を選択することが基本です。大津市職員はすべて庁内システムから行政処分の内容に対応する通知様式を選択し、個別にダウンロードして使用しています。


(2) 大津市の職員が処分を通知する文書を庁内システムに用意された様式のワードで作成する場合に、当該文書の表題を書き換えることはありますか。

(回答)
処分を通知する文書の表題を書き換えることはあり得ません。文書の様式は、処分内容ごとに、例えば保有個人情報開示請求の場合は「開示決定」、「部分開示決定」、「不開示決定」などと個別に定められているため、そもそも表題を書き換える必要がないのです。かりに表題を書き換える必要があるとすれば、それは異なる処分を意図するわけですから、改めてそれにふさわしい様式を選択したうえ決裁文書を一から作り直します。


(3) 大津市職員が決裁文書を起案する場合に、決裁区分が部長専決又は課長専決とされている文書について市長決裁とすることはありますか。

(回答)
大津市事務決裁規程で決裁内容に応じて決裁すべき専決権者が定められ、その決裁区分に基づき決裁が行われます。意思決定内容の重要性によっては、定められた決裁権者のさらに上位者に決裁をあおぐこともあり得ます。ただし、それも予め考慮して決裁区分が定められているので、通常の事務において部長専決を市長決裁とすることは例外的です。


(4) 公文書公開請求・個人情報開示請求に対する公開・部分公開・非公開等の決定が市長決裁とされることはありますか。また、貴殿の副市長在任中に市長決裁とされたことはありましたか。

(回答)
本件のように市長の関心の大きい事案等において、公文書や保有個人情報を公開するかどうかの決定が市長決裁とされることがあったと記憶しています。私も副市長として決裁印を捺したことがあります。


2 甲第76号証の2~5は当職が大津市に対して公文書公開請求をして入手した文書ですが、以下の事項についてご教示ください。
(1) 76号証の4(保有個人情報開示請求に対する処分を決定するための起案決裁文書)の1~5枚目の文書は、決裁区分が部長専決とされていますが、実際には越市長及び茂呂副市長の決裁印が押印されています。貴殿はこの文書を決裁した記憶はありますか。

(回答)
私が副市長として行った決裁は多数あり、年月も経っていますから全てを克明に記憶しているわけではありません。お示しの文書の決裁印は間違いなく私のものですが、正直に申し上げて、文書を見て、こんなこともあったなと想起する程度であり、決裁をしたときの鮮明な記憶はありません。


(2) この文書は1/3頁の本文の「部分開示」部分が手書きで「不開示」と訂正されていますが、このように本文の主要部分が手書きで訂正された文書が決裁に回されることはありますか。

(回答)
決裁文書の表紙に記されている処分内容が手書きで修正されて決裁に回されることはあり得ません。決裁は、例えば「Aという処分をしてよろしいか?」と決裁権者の判断を仰ぐものです。それと異なる「B」という判断を求める場合は、当然ながら、それにいたる論理、根拠、引用資料、参考文献なども異なることとなり、文書の一部修正では対応できません。
このような安易な修正は事務的なミスの原因ともなり、職員の姿勢としても考えられないことです。特に市長決裁の最重要文書となれば尚更です。

いずれかの決裁者の理解が得られなかったり修正を指示された場合は、起案文書を一から作成しなおしたうえ再度決裁を回します。私は職員として数えきれないほどの起案を作成し、決裁を行いましたが、この文書のように処分内容を手書き修正したことはなく、また、決裁者としてそのような文書を見たこともありません。


(3) この文書は、2/3頁に「部分開示とすることを決定し」との記載があり、3/3頁には「6 保有個人情報部分開示決定通知書」が「別紙(案)のとおり」と記載されています。ところが、添付されている別紙の通知書案は「保有個人情報不開示決定通知書」となっています。
このように決裁文書の処分決定内容と、別紙の通知書案の処分決定内容が異なることはありますか。
また、このような決裁を決裁者が見逃すことはありますか。

(回答)
このように決裁文書の処分内容と通知文案が異なることは絶対にあり得ません。そもそも、職員が本件のような出鱈目な起案をすることはなく、こうした文書が決裁に回されることはあり得ません。万一、決裁に回されたとして、これだけ多くの決裁者の誰もがそれに気づかないことなどあり得ません。

通常の事務において、決裁者は、細かい添付資料のすべてを点検する時間がなかったとしても、少なくとも決裁本文の表題、内容、結果である通知文を確認したうえで決裁印を押します。特に本件は市長決裁ですから、起案者も決裁者もその重要性をよく認識し、より慎重な処理を行います。

もし私のところにこのように根本的に誤った文書が回ってきたら(想像しがたいケースですが)、即座に起案者を呼んで文書の作り直しを指示するとともに、部長に対し重大な誤りを見逃したことを注意していたと思います。


(4) 76号証の4(前出:個人情報開示に関する起案決裁文書)の6~8枚目は、期間延長を決定していますが、他方で、「公開・非公開の区分」に「部分公開」と記載されています。この記載からは、延長決定の時点では部分公開を予定していたと考えて良いでしょうか。

(回答)
この記載から期間延長の決定時には部分公開を予定していたものと考えられます。
公文書公開請求や保有個人情報開示請求に対し、全面公開もしくは全面非公開とする場合は、実務上あまり時間がかかりません。期間延長が多いのは部分公開の場合であり、どの箇所をマスキングするか事由ごとに意思形成を図って決定し、実際にその作業を行うことに多くの時間とエネルギーを要します。定められた期間で処分決定するのが本来ですが、やむを得ず期間を延長する場合はこのような事情によります。

私は、この文書の記載どおり「部分公開」の方針のもと、多くの作業量を見込んで予め期間延長の決定をしたものであると判断します。
なお、当該起案文書の「公開・非公開の区分」覧に「部分公開」とあるのは、この文書自体が情報公開請求を受けた場合に部分公開とすることを作成時点で決定したことを示すものです。


(5) 76号証の5(個人情報保護審査会への諮問にかかる起案決裁文書)は、甲76号証の4(前出:個人情報開示に関する起案決裁文書)の決定に対する異議申し立てを審査会に諮問することについての決裁文書ですが、甲76号証の5の8枚目の文書(前出:審査会への諮問の起案文書に添付された文書。すなわち76号証の個人情報開示に関する起案決裁文書のコピー)76号証の4(前出:個人情報開示に関する起案決裁文書)の1枚目とは異なり、「部分開示」部分が手書きで訂正されていません。これは何を意味するのでしょうか。

(回答)
起案文書において、過去の経過を説明するため決裁済みの関連文書を添付することは実務上よくあります。甲76号証の5に添付された文書も同様で、これはその時点で正規に保管されていた決裁文書です。したがって、添付された決裁文書は、決裁された時点では手書き修正されていなかったものと考えられます。

申し上げた通り、大津市の意思決定過程において、決裁による処分の内容とそれに基づく通知文が異なることはあり得ません。本件は、決裁完了後に意図的な修正が施されたもので、残念ながら公文書改ざんの可能性が極めて大きいと言わざるを得ません。


(6) 甲76号証の4(前出:個人情報開示に関する起案決裁文書)が何者かによって決裁文書の本文が手書きで「改ざん」されたものであるとしたら、誰が、いつ、どのように行ったと考えられますか。

(回答)
この個人情報開示請求に対し、起案者および副市長以下の決裁者は法律、条例に照らして部分開示すべきであると判断しており、それは決裁文書に明らかです。「決裁上は部分開示ですが、実際の処分は不開示にします」などと言う職員は誰一人いません。私も当然、部分開示という認識で決裁印を捺したはずです。これを覆すことができたのは市長しかありません。

まことに不可解ながら、越市長が「部分開示」の起案文書に決裁印を捺し、同時に「不開示」を指示されたとしか考えられません。そして通知文書のとおり、その指示が実行されたのだと思います。

※以上が「回答書」の前半です。ここでいったん止めます。