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2019/12/31

117)終了のご挨拶

<皆さま有難うございました!>
 長く休止していた本ブログ「大津通信」を再開したのは、越直美市長による公文書蹂躙や不祥事隠ぺいをこれ以上黙って見ていられないと思ったからです。「公益通報のつもり」と書いたことに偽りはありません。そして当初は、「陳述書」や「意見書」を公開したのち、11月19日の証人尋問を最後にブログを閉鎖するつもりでした。そこまでが自分の役目だと考えたからです。

 ところが、証人尋問における大津市証言が不明瞭、不正確、不真面目なものであったことに加え、被告である越直美市長から腹心の元人事課長に政権移譲が進められていることを知ってすぐに筆を措くわけにいかず、年末まで書き継いで来ました。そして幸いにも驚くほど多くの方々にご覧いただくこととなりました。

 しかしながら、そろそろ引き時です。大津市を自分の居住地より大切に思い、市職員の味方であると公言してきた私ですが、辞めて6年がたっており、越市政もようやく終わりを迎えます。スタンドからの声援もあまり長く続くと「はた迷惑」になりかねません。

 ブログ前半では様々な市政データを示すとともに、閲覧者のご意見をすべて掲載しました。後半は私に時間的余裕がなかったため一方通行とせざるを得ず、また公文書問題しか取り扱いませんでした。しかし今、全体を振り返ってみると、かなりの分量の市政記録となりえた気がします。ひとえにご覧いただいた皆様方のおかげです。電話やメールでも応援いただきました。皆さまに心からお礼申し上げます。

 私は、在職中の業務日誌(ビジネスダイアリー)など幾つかの書類を保管しています。また、人脈や派閥をつくることをしませんでしたが、今も信頼できる多くの仲間(内情をつぶさに見てきた人々)がいます。今後もし必要が生じれば、越市政8年間の検証を行うことが可能です。裁判でいうなら「書証」と「証人」は揃っていると認識しています。


<表現上の配慮>
 ネット社会もまた、公と私の線引きが課題となっています。私は、駅前広場で拡声器に向かって話すような気持ちでブログを書いてきました。わからないところは断定を避け、できる限り事実に基づき、節度を保って表現するよう心掛けました。また、私自身と公人を除きすべて実名を伏せました。越市長の後継者は新聞にも名前が載って活動も盛んに行っていますが、他の候補者も含め、ブログには書きませんでした。これらの結果、全体的にシャープさに欠ける文章となりました。


<公を考える> 
 いま、この時代に真に必要とされる「公」とはなにか。いかにしてそれをめざすのか。これが私にとって最も重要なテーマなのですが、とても一人で考え書く力はありません。そこで友人と話し合うように、あるいは知らない人の意見を聞いてみるために、「公をともに考えるブログ」をやってみたいと思っています。しかし、人頼みにしても多少の用意は必要であり、まだそれが整っていません。仕事の合間にぼつぼつと準備を進めたいと思っています。いつスタートできるやら分かりませんが。

 「公」を考えるとき、私はいつも内田樹の著書「憲法の『空語』を充たすために」を思い浮かべます。この本の中で、著者は「押しつけ憲法論議」を踏まえ次のように述べています。

~憲法というのはその国家の「あるべき形」を指示するものである。「あるべき形」である以上、それは「まだない」。でも方向性だけは明らかにしなければならない。その方向性についての国民的な合意さえもしばしばいまだ存在しない。あるのは「こちらに向かっていけば国民的合意が取り付けられるだろう」という見通し程度のものである。憲法制定時点ですでにその内容についての広範な国民的合意があったというケースは、歴史上ほとんどなかったのではないか。

 憲法のリアリティはその方向性についての国民的合意が「すでにあった」という事実によって基礎づけられるものではない。そうではなくて、憲法に示された国家像を身銭を切って実現しようとしている生身の人間がいるという原事実が憲法のリアリティを担保する。そういうことだと思う。

 アメリカの独立宣言は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命、自由および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という堂々たる宣言から始まるが、奴隷制が廃されたのは南北戦争後で独立宣言から90年後であった。人種間平等が法的に実現するまでにはそれからさらに100年を要した。その意味ではアメリカ独立宣言もフランス革命の人権宣言も「空語」である。

 同じ意味で日本国憲法も「空語」である。問題はその空隙は事実の積み重ねによって充填しなければならないという強い責務の感覚がアメリカ人やフランス人にはあったが、日本人にはなかったということである。~

 長い引用になりました(原文は敬体。若干省略もしました)。憲法に関する考察として鋭く、また耳の痛い話ですが、こうした事情が「公」の構築についてもいえると私は考えます。いまだ実態として存在しておらず、およその方向性が明らかになっているように見える「公」の実現のため、社会の成員が「身銭」を切らなければならない。そのことによっていまだ「空語」である公のリアリティが僅かずつ充填されていく。

 納税は文字通り身銭を切って公を担保する行為ですが、それ以外に差し出すべきものは何か。差し出す一方で、私はどのようにして「公」を構成する一微塵のような主体となれるのか。それによっていかに次世代を支援するのか。市場原理とはどこで線を引くのか等々、考えると際限のないテーマです。

 また、こうした問題の立て方が全体主義的であるという批判も十分にあり得ます。私自身、若いときはもっと個人主義的でしたが、齢を重ねるにしたがって社会全体の利益(取り扱い注意の概念ですが)を思うようになりました。なんだか自分は「全体の中で結果的に生かされている」という感覚が強まったからかもしれません。いずれにしても「公」への道のりは無限に思われます。 


<写真のこと>
 大津通信のトップページや前半部分を飾ってくれた写真は、ブログ「棚田日誌」で印象深く田園風景を紹介している友人の手によるもの。本業は別なのですが、民間組織のトップである彼の仕事や職員に対する姿勢に私は学ぶところがありました。

 後半の「動物シリーズ」は別の友人の作です。学生時分に共通の親しい友人T君を介して遠方に住む彼と知り合い意気投合しました。程なく互いの人生が忙しくなって行き来が絶え、40年を経てT君の葬儀で再会しました。T君がその存在と不存在で我々を2回引き合わせてくれたこと、残った我々がT君の思い出を語っていることに何やら人の世の不思議を感じます。彼もまた本業は医師で写真は余技ですが私にとってプロ同然。ブログ再開時、頼み込んで画像データを送ってもらいました。文より写真がよいとの声もありましたが、そこはぐっとこらえ、二人の友人に心から謝意を表します。


<新しい市長となる方へ>
 言う資格も聞く義務もありませんが、ここまで書いてきた勢いで元職員として一言だけ言わせて頂きます。どうぞ職員の声に耳を傾けてください。もちろん何でも聞き届けるということではありません。市長退任の日までよく耳を傾けて集団の英知を生かしてください。よろしくお願いいたします。


<職員の皆さんへ>
 ブログでは広く世間に語りかけてきたつもりですが、いつも大津市職員の方々が念頭にありました。辞めてから強く思うことですが、私としては自分が公務員であって幸いでした。皆さんには「公」と「まち」と「市民」のためによいお仕事をされますようお祈りしています。どうぞお元気で。



(最後はストックホルムの友人Benkeの作品。クリスマスカードに添えられた写真のコピーです。)





2019/12/30

116)越市長と後継者~目的と手段~

 ここに書くのは事実ではなく私の推測です。越市長と後継者はずっと以前から密室協議を重ね、両者の間で市政を引き継ぐこと、その大義名分の説明の仕方、発表の時期などを細かく相談してきたのだと私は考えるに至りました。越直美氏の母だと名乗る嘉田由紀子氏や後継者を支援する職員OBも早くから協議に加わっていたことでしょう。

 本ブログ(No100「後継者」)で私は、越市長の庇護を失うこととなる後継者が一か八かの大勝負に出たと書きましたが、その後の動きを見ていて、実はもっと周到な計画が練られていたことに気づきました。もちろんこうした動きは謀議ではなく選挙戦略ですから何の問題もありません。むしろ「よくやるなあ」と感心するほどです。

 しかし、この推測が事実であるなら(事実と多少離れても以下の論旨に変わりはないのですが)、ここに、目的のために手段を択ばない人々の面目躍如たるものがあります。そして後継者が当選した場合、こうした政治哲学(?)が大津市政にも避けがたく反映されるであろう。これが私の最大の懸念です。

 越市長は「やりたいことを全てやったので後継者など必要としない。後継者に委ねるくらいなら自分自身でやる。」と述べました。後継者は「有力な候補者が現れたので職員を守るために立候補を決意した」と説明したそうです。これらの発言と矛盾する私の推測が見当違いなのでしょうか。それとも、越市長や後継者陣営にとっては、この程度のフィクションは「あり」なのでしょうか。

 一般的に、「目的」は、その自己実現を図るための「手段」に奉仕されつつ、自ら、より高次の目的の手段となります。目的と手段とが互いを孕みあって連鎖的に育つ「マトリョーシカ構造」は、特に「まちづくり」の分野で重要な意味を持っています。なぜなら、市政運営の最大の目的は「市民福祉の増進」(あるいは「公の実現」)であり、その実現は遥かに先のこと。そこに最接近するまで「全てが手段」です。多数の手段を順番に次の暫定目標に変えつつ、私たちはマトリョーシカを育てなければなりません。

 株式会社の場合、株主の利益確保という最終目標までの「距離が近い」という点において、市役所と比較になりません。もちろん法人の社会貢献や従業員の生活保障もありますが、株式会社という仕組みにおいては二次的な問題に過ぎず、目的と手段の関係もずっとシンプルです。

 こうした事情に加え、市役所の場合は、相反する多数の利益の調整を図ることが主要な業務の一つです。したがって、行政においては「手段」こそ重要であると私は思うのです。「目的のために手段を択ばない手法」と「公務」とは原理的に相いれません。これは「市場原理」と「公」の問題にもつながります。

 さて、越市長は「行財政改革」の一環として市民センター(支所および公民館)の統廃合を試みました。その途中、所管部長が忖度に走ったか市民の請願書を突っ返すという恥態をさらしました(その後受け取りに転換)。越市長にとっては行財政改革が「目的」、市民センター統廃合が「手段」だったのでしょうが余りに粗雑な見立てです。(越市長の就任当初、私がまだ総務部長であった頃から、行財政改革は目的か手段か、が議論のネタになっていたことを思い出します)。

 この問題では、市民センター自体を一つの目的であると感じる人が多数おられることが明らかとなり、越市長の強引な手法に対する批判も続出して結論は先送りとなりました。これを傍で見ていた後継者は、市民センター存続の方向を打ち出したようです。さきほど述べた、「目的も手段も相対的なものである」という観点からは、一つの立場が絶対的に正しいことはあり得ません。何といっても手段を重視すること、現場の声を聞くこと、丁寧に物事を進めることが大切だと思います。

 一方、後継者において目的と手段はいかに意識されているのでしょうか。私の見聞の限りでは、越市長の市政運営のやり方と後継者の考えは同じではありません。しかし彼はまず職員として市長に仕えなければならない。そして長期展望のもと、自分の目的の成就の手段として越市長に評価されるような仕事をしようと努めたのではないか。これは後継者に対するとても好意的な一つの見方です。

 しかし、後継者は、公文書および不祥事の隠ぺいに深く関わることとなりました。越政権下において信念を曲げないため、あるいは正直であるためにトバされたりヤメたりした職員は少なくありません。一方で「過剰適応」して重用されている職員もおり、後継者がその最右翼であることは衆目の一致するところです。

 そして公文書裁判において、越市長と後継者は運命共同体となりました。もし、それゆえの後継指名、すなわち「越市長の軟着陸」と「後継者の安全確保」を図るバトンタッチであるならば、これまた目的のためには手段を択ばない「模範事例」としか言いようがありません。「公」から「私」への「換骨奪胎事例」ともいえるでしょう。私には彼らの動きがそのようにしか見えません。
 特に行政の分野において「手段」を重視しない人は信頼に値しないと私は考えます。



 




 

2019/12/29

115)公文書裁判⑭~問われているのは何か~

 大津市の「公文書廃棄」と「不祥事隠ぺい」をめぐる裁判(非公開処分取消訴訟)は最高裁まで争われ、三審とも市の敗訴に終わったのはご承知のとおりです。ついで提起された損害賠償請求(本訴)は、既に証人尋問を終えて来年2月の結審を待つばかり。並行して、越市長が最高裁や審査会を無視するかのように隠蔽を続けることに対して第2次となる非公開処分取消訴訟が提起されており、来年2月に第2回公判が開かれます。

 既に終わった訴訟、終わりかけの訴訟、これから本格化する訴訟と3つの裁判がありますが、共通して問われているのは「市民の知る権利の保障」と、それを担保するべき「市長の姿勢」です。

 大津市は、市の憲法ともいうべき総合計画において「知る権利を尊重した情報公開の推進」を掲げ、また、情報公開条例第1条で「公正で透明な信頼される市政の運営に努め」ることを宣言しています。ところが、市長の判断一つで、これらの根幹的な理念が空文化されました。

 また、越市長は、マニフェストで「大津市の見える化『市民への情報公開と情報発信』」を掲げていますが、これもあっさり反故にされました。折から国レベルでは、森友学園、加計学園、イラク日報、桜を見る会などの公文書の隠ぺい・廃棄が問題となっています。これらに比して大津市の問題は至って小規模ですが構図は同一です。

 共通して根底に権力の腐敗があり、それは厳しく指弾されるべきですが、その培地となっているのはタガが外れてしまった私たちの社会ではないでしょうか(こうした状況について選挙、民主主義、公などの問題と絡めて論じたいのは山々ですが、残念ながら力が及びません)。いま、政治家の質と共に国民の意識も問われていると思います。

 さて、越市長の姿勢について、第2次訴訟の訴状は次のように述べています。

~越市長は自身の極めて偏った観点から物事を判断して公文書の非公開を決め、その後に何度もあった軌道修正の機会を無視して非公開路線を続けた。そして、思い通りにならないと税金を使って上訴を繰り返し、そのくせ最高裁決定には従おうとしなかった。

 また、行政の公平性を担保する機関である情報公開・個人情報保護審査委員会の答申もどこ吹く風。さらに、公開請求や異議申立のさなかに対象公文書を廃棄したことを「適正だ」と強弁し、その経過を調査をする気もまったくないと広言している。

 こうした姿勢には弁護士市長のコンプライアンスのかけらも感じられない。市長の指示ひとつで担当職員の対応が180°変わることになるのに「私はまったく知らない」と責任を転嫁している。このような市長が、市民の知る権利を尊重する気があるはずがない~

 勝手ながら表現をマイルドにしましたが、訴状の要旨は以上のとおりです。そしてこの要旨に私は全面的に賛同するものです。なぜなら、それが事実に即していると私が知っていますから。さらにつけ加えるなら、この一件では、税金ばかりでなく職員も浪費されました。
 人事課、総務課、市政情報課、その他関係職員の人々のパワーが、筋違いである本訴の対応に充てられました(元人事課長だけは別です)。私は、正義にもとる訴訟を長年にわたって恣意的に継続することが関係職員の意欲とモラルを大いに削いできたと思います。このことも鋭く問われるべきです。トップの責任は限りなく重いと考えます。







2019/12/28

114)公文書裁判⑬~法廷外の証人~

 越市長は「臭いものにフタ」の悪癖がある上、それを周囲に強要しますが、公文書を消去したように人々の記憶を消し去ることは出来ません。問題の「不当要求行為」はまず5階会議室で一部始終を録音された後、2階フロアに移動して多数の「観衆」の前で繰り広げられました。

 元人事課長(後継者)が「単なるミスによるもの」と説明している個人情報開示に関する奇妙キテレツな起案にしても、私を含め多数の決裁者がいます。このように市役所には真相を知っている職員が何十人といるのです。

 もし、これらの人々が1119日の尋問に揃って出廷してありのままの事実を証言したら越市政はひっくり返ったことでしょう。ところが、ほぼ全員が証人となることを拒否しました。その結果、真実を述べた証人は原告と私のたった二人。これを私の自己宣伝だと思われる方は、110日に公開される証言記録を書証と読み比べてください。

 しかしながら出廷しなかった証人を責めることは決して妥当ではありません。これらの人々は少なくとも現段階において公然と真実を語ってはいませんが、越市長のために虚偽の証言をすることを回避し、公務員としての誇りを守りました。越政権下の市役所職員として簡単な選択ではなかったと思いますが、彼らは「踏み絵」を踏みませんでした。

 そしてやがて、これらの人々が閉ざしていた口を開く時が来るかもしれません。現にいま私のもとに多数の人から様々な声が寄せられています。越市長の組織運営に対する批判や後継者に対する辛口の評価があり、自らの辛い「体験談」があります。「いずれプレスにぶちまける」とか「パワハラ被害者の会を結成したい」との声さえあります。一足先にブログに書いてくれという注文も受けました。

 血気盛んな年齢を過ぎた私として、すぐに「どうこうしよう」という気はありませんが、彼らの主張は痛いほど分かるのです。越市長の不出馬表明で明らかに空気が変わっています。これを組織再生の兆しと見るべきでしょうが、新しい市長は8年間にたまった組織のひずみや職員の声なき声を決して軽視すべきではありません。越市長も8年間を省みることを忘れてはなりません。また後継者は、越市政が12年に及んだ場合に自分がどのように振舞えたであろうかについてリアルに想像しておく必要があります。私は、すべての職員の皆さんのモラルによって職員間の亀裂が修復されるであろうことを念じ、かつ固く信じています。




113)公文書裁判⑫~第2次訴訟速報~

 12月26日、大津地裁において、大津市による公文書非公開処分の取消を求める第2次訴訟の公判が開かれました。この訴訟は始まったばかり。証拠として提出されている公文書(市自身が「ない」と説明していた文書)は本物であると市が認めるかどうかが問われています。市は、来年1月末までに「本物と認めるか否か」を書面で地裁に提出することになっており、それに基づいて2月に公判が開かれます。

 さて、12月26日の公判終了後、原告側代理人弁護士が報道陣に対し、「被疑者不詳のまま公用文書毀棄罪の刑事告発をすることを検討している」と発表しました。その趣旨は、大津市において公用文書の毀棄・隠匿が行われたことは疑いの余地がなく、それが何者かの過失によって行われた可能性は限りなくゼロに近い。つまり何者かの故意によって行われた犯罪行為である可能性が極めて高い。よって刑事告発を検討している、ということだと聞きました。

 「検討している」理由は、今後さらに精査をおこなうとともに、本来は大津市において調査が行われることが望ましいことから、その動向を注視する趣旨であると聞きました。以上、私の知った事実を速報としてお伝えします。



2019/12/26

112)公文書裁判⑪~茂呂証言~

この裁判は、原告が大津市に公文書の開示を請求しましたが、市が、存在する文書をないと言ったり、開示すべき文書を開示したりしなかったため、原告が損害を被ったことによる裁判であると認識しています。

 当時、大津市の女性職員Aさんが「セクハラを受けた」として原告を告訴し、反対に、原告は虚偽告訴罪でAさんを告訴していました。二人の職員がお互いを訴え合うという状況の中、市長から私に対し、「原告の告訴を取り下げて和解するよう原告に伝えて下さい」と指示がありました。

 弁護士でもある市長から「起訴されたら99.97%の確率で有罪になる」と言われたので私自身もそれは避けた方がよいと考え、市長の指示をそのまま原告に伝えました。大津市長からの指示を、私は少なくとも6、7回は原告に伝えました。実はもっと何度も言われましたが私の中でとどめたこともあり、一回ごとに残さず伝えたわけではありません。

 市長が繰り返し原告に取り下げと和解の指示をすることは、明らかに行き過ぎだと思っていました。私としては、市長から原告への指示は1回で充分だと考えていました。市長の指示を副市長から繰り返し聞くことは、原告にとり大変なプレッシャーであったと思います。
そこで市長には「いくら何でも行き過ぎです」と意見を述べましたが、市長は「副市長の伝え方が悪いに違いない」という感じで不満感を示されました。そして、原告が自分の思い通りにならないことにいら立っておられました。

平成25322日の不当要求行為の現場を直接には目撃していません。この事件直前に、女性職員Aさんが秘書課の前で「市長と話したい」と騒いでいるとの報告を受け、秘書課職員に「つまみ出せ」と指示しました。その後に外部の人間までやってきて大騒ぎとなったことは、職員課の職員から後で報告を受けました。

まずは、口頭で報告を受け、その後に報告書やテープ起こしの資料を受け取りました。これは前年の「セクハラ相談」から続く継続案件でしたから一連の報告書や決裁の写しを綴じたファイルがあり、それを副市長室に保管していました。その後の報告と共に受け取った資料もそのファイルに継ぎ足していました。当時、市長も私と同じファイルを持っておられたことは間違いありません。重要な報告の場合、市長、副市長、部長など幹部職員は手元に関係資料を保管するのが習わしであり、また、私が本件の報告を受けた際には、必ず市長にも報告するよう職員課に指示していました。

私は、これを悪質な不当要求事案であるから然るべき処分をすべであると考えていました。市長には、再発防止のためにもよく検証した上で関わった職員を処分すべきだと申し上げましたが、「情状酌量の余地がある」とのご意見でいまだに処分はされていません。これは、情状酌量の範囲を大幅に超えた事案であり、原告への態度と対照的であったと思います。
Aさんの父に対し厳重注意があったと説明されているそうですが、私は懲戒審査委員会の委員長でしたから私の関与しない処分はあり得ません。いまだに本来の処分は行われていないと思います。

各文書の開示請求について、一つ一つを細部まで覚えていません。起案書の8ページを見たはずだと言われても分かりません。しかし、大きな流れはしっかり記憶しています。当時、私も職員課も、請求に応じて公文書を公開すべきであると考えていましたが、市長一人が絶対反対でした。そのため、市長の指示により、公開されることはありませんでした。原告および代理人弁護士は様々な方法で公開請求を行いましたが全て越市長が拒否しました。

 市長とは、文書の公開について随時協議していました。私は、文書は開示すべきであると進言していましたが、市長は、「女性職員の個人情報の保護が一番である」との一点張りでした。その理由については、市長は、「女性の味方」を標榜されていたので、その影響が大きかったと思います。

 元人事課長は、原告から出された個人情報開示請求に関して、当初は「一部開示」の方針で決裁文書を回していたが、決裁をすべきいずれかの職員から疑問を呈されたと陳述書で述べていますが、それはあり得ません。当時、越市長以外は、全員開示すべきであるという意見であったからです。

 個人情報開示請求の前に公文書公開請求が出された際、越市長の指示で非公開としました。しかし今度は、原告が自分自身の情報を請求するのだから「個人情報の保護」という拒否の理屈は成り立たない。今度こそ越市長も了解されるだろうと職員課の複数の幹部職員から私は聞いており、私も、今度こそと期待していました。

 そういう状況のもと、「部分開示」の決裁を見て、これはおかしいと反対する職員などいるはずがないのです。万一そうした意見が出されたとしたら、まず私に相談があるはずですが、まったく何もありませんでした。部分開示に疑義を出す者がいるとすれば越市長以外にはありません。

 甲45号証(怪文書)、甲56号証(不当要求の報告書)、甲57号証(不当要求の録音反訳)は、いずれも見たことがあります。見たどころか、既に述べたように職員課からもらった関係ファイルに綴じて副市長室に保管していました。甲45号証(怪文書)は、議会からも秘書課からも報告がありました。秘書課で受け付けており、保有していないはずがありません。それらの文書の保存期間は、その重大性に鑑みて少なくとも10年が妥当です。

 訴訟の対象になっている公文書を廃棄することは、断じてありません。そもそも市役所には「記録はわが身を守る」という考え方があります。法にしばられ、市民の視線を感じつつ仕事をする公務員にとって、「自分が公平・平等・適正に市民対応し、事務処を行った」という事実を証拠立ててくれるものは第一に記録です。それは、公務の正当性を担保し、職員および組織を守ってくれる絶対的な「お守り」です。人によっては保存年限を過ぎても残しています。大津市は被告なのに、どうして自分を守ってくれる公文書を廃棄するのですか。あり得ません。

テープ起こしには決裁印がありませんが、こうした記録文書にハンコがあるかないかよりも中身が重要ですから、ハンコの有無で保存年限を決めたりしません。懲戒処分を検討する場合もこういった詳細な記録が根拠というか決め手となります。それを廃棄することは考えられません。

 大津市が、開示すべき文書を開示しなかったり、有るものを無いと言って隠そうとしたりするのは、結局のところ越市長が不適切なことをしてきたことを知られたくないからだと思います。具体的には、「市長が原告に示談するよう何度も圧力をかけたこと」、「検察官とやり取りしたこと」、「起訴状をマスコミに公開するといったこと」、「不当要求行為を野放しにしたこと」などが、芋づる式に明るみに出ることを恐れたのだと思います。

 さらに言うと、もしこれらの文書が実際に公開され、適切にマスキングされて人目に触れた場合、それを見た人は残らず「これがそこまでして隠すべき公文書か?」と驚くはずです。そして、「被害女性の保護」という越市長の理屈にまったく正当性がないこと、すなわち越市長が不当にも隠ぺいを押し通してきたことが明るみに出ます。すなわち、非公開の不当性が明らかになること自体を越市長が恐れていることも隠ぺいの理由だと思います。

 最後に言うことといえば越市長の職員の扱い方です。大津市の職員が越市長によって踏み絵を踏まされています。この法廷で職員同士が争うことになりました。出廷しなかった職員も含め市役所に亀裂が入っています。元は仲間でしたし、今後とも共に協力して公務に励むべき間柄です。越市長のために大津市役所の組織が損なわれていることが私は一番残念です。


<後記>

 話の継ぎ目が飛んでいるところがありますが、様々な質問に対する答えだけ並べたことによります。自分の証言を自分で記録するわけにいかず「逐語訳」ではありませんが、証言の要旨としてお読みください。申し上げたとおり証人尋問の記録は110日以降、大津地裁で公開されます。

 私の証言はすでにご紹介した「陳述書」と「意見書」に沿ったものです。新たに加えるとすると、陳述書の中で、公文書の公開について「市長がどうしてもあかんと言ってはります」と残念そうに報告にきた職員は、当時主幹であった元人事課長であり、先ごろ越市長の指名を受けた後継者です。従ってこの人は、市役所と大津市の今後を左右することになるかも知れない重要人物であり、「見きわめられる必要」があります。そこでその証言の要旨の一部を改めてここに再現しておきます。

~私(元人事課長・後継者)は、一部開示の起案を作成し持ち回り決裁を受けた。その途中で、今となっては誰だかよく覚えていないある人物から、一部開示はおかしい疑問が出された。
 そこで、人事異動で多忙を極める年度末であったが、関係職員で協議を重ねた。その結果、やはり全面非開示とすべきであるという結論を得た。

 それに従い起案書を手書き修正したが、肝心の標題部分の『一部開示してよろしいか』という箇所を『非開示としてよろしいか』に書き直すことを忘れてしまった。
 また、請求者あての通知書も『一部開示決定通知書』から『非開示決定通知書』に差し替えるべきところも忘れてしまった。

 さらに他にも修正を忘れた箇所がいくつかあるが、すべて事務処理上のミスである。そして、修正した決裁は一から回しなおしたが、決裁者の誰もがこのミスに気付かなかった。それも持ち回り決裁の場合にはあり得ることで、特に不自然なことではない。~

 この証言は、他の証言と同様司法の厳正な審判を受け、さらに法廷が公開であることから多数の市民および市職員の評価を受けることとなります。その結果は果たしてどのようなものとなるのでしょうか。

 そもそも証言は(原告・被告とも同様ですが)、事実発生から「すったもんだ」があり時間が経過してから行われます。そこで後知恵によって取り繕ったり、言い訳をしたりということもあり得ます。しかし裁判では、証言は、証拠として採用されている大量の文書と照合され審理されます。ひょっとすると一般の方々は証拠書類をご存じありませんから、虚偽証言もフムフムと聞かれるかも知れません。ところが本訴の場合、11月19日に大津地裁に足を運ばれた方々の感想(複数の人から聞きました)は、「元人事課長の証言は全く信用できない!」という点で一致していました。

 元人事課長・後継者がこのような証言を行ったことについては、他の証人のように「踏み絵」を踏まされたのではなく、越市長と意を通じあったうえで自ら「踏み絵」を踏んだのであろうと私は推測します。後継者ですからそれくらい当然でしょうし、何といっても当事者が証言拒否するわけにはいかなかったでしょう。共通して深刻な課題を抱える越市長と後継者については今後触れる予定、類は友を呼ぶ話です。







2019/12/22

111)公文書裁判⓾~原告の証言について~

原告の証言は、私の知る限りの事実と整合しており、うそ偽りはありません。苛酷な体験と切実な感情が言葉に力を与えています。元人事課長の口先だけの言葉とは雲泥の差があります。原告と私とは昔の仕事仲間であり、その後、原告には申し訳ないことに越市長のもとで一時「被害者」対「加害者」の立場になりました。

 しかし、共に、行政は法に基づき公平・公正に行われるべきであるという至極当然の主張で一致し、事実を隠ぺいし公文書を廃棄する越市長の不正を質してきました。私が原告側の証人となったのもこれが一番の理由です。越直美市長および越市長の片棒を担いだ元人事課長(いまや越市政の後継者)は、この原告の言葉をどのように聞いたでしょうか。私は、後継者の訴えや越市長の応援演説の前に、まずその感想を聞きたいと思います。
 
 越市長が最高裁決定、すなわち市が行った「公文書非公開決定の取り消し審判」を受けてもなお、公文書の存在を明らかにせず隠ぺいを続けたことから、原告が情報公開・個人情報保護審査会に審査請求を行ったことはすでに述べました。

 審査会が答申の中で市の対応を厳しく批判したにも関わらず、市長がそれさえ無視したことに対して、原告は「第2次公文書非公開処分取消訴訟」を提起しました。
 その公判が明日、12月26日の10時から大津地裁で開かれます。これまで越市長や元人事課長が存在を否定していた公文書が既に証拠として提出されています。

 この動かぬ証拠を突き付けられて、大津市は、「原告側が一体どういう経路でその文書を入手したか?」と問うばかりで、「無いはずの文書を大津市が作成し保有していた」という核心部分の説明はいまだに棚上げしたまです。そこで原告側は市に対し、「この公文書は真正なものと認めるのか」釈明を求めています。それが明日です。

 公文書を自ら廃棄、隠ぺいし、それが明るみに出たら、今度は「誰がコピーを持ち出したか?」と犯人探し。疑いの目を向けられているのは現職・元職の幹部ら10名前後だと思われます(私の推測ですが)。もとはと言えば、市民の知る権利を無視して隠ぺいする方が悪いので、それゆえ内圧が異常に高まってあらぬところからコピーが飛び出してきたのでしょう。それが路上に撒かれたなら許せませんが、きちんと原告側に渡って証拠採用されています。本来は褒められた行為ではありませんが、大本の責任は越市長にあります。その人物が犯人探しとは。「盗人猛々しい」とはこういうことを言うのだと思います。

 また脱線しそうになりました。こういうわけで、12月26日10時から第2次訴訟の公判が開かれます。越市長および後継者は、なお当分の間、法の審判を待つことになります。












2019/12/21

110)裁判報告⑨~原告証言~

<お断り>
 原告は他の証人よりずっと長い尋問時間の中で詳細、克明な証言を行ったので、寡黙
元人事課長のように一問一答形式で再現すると嵩張ってしまいます。そこで、ここで
証言要旨のみ取り出して掲載しますが、修正などは一切行っていません。ご自身
確かめたいと仰る方は、1月10日から大津地裁で公開される証言内容をあわせてご覧
ださい。なお、以下の文章で「私」とあるのはもちろん原告をさします。

<原告の証言概要>

 平成25年3月22日、現職の大津市職員親子が右翼団体構成員らと勤務時間中に、
当時の私の職場にいきなりきて、右翼団体連合体幹部の名刺を差し出し、「俺は右翼の
〇〇や!」と大声で騒ぎたてました。私は、胸ぐらをつかまれ、「この場で辞表を書
け!」、「お前が辞めるというまで、毎日くる!」などと大声で恫喝され、フロアは騒
然とした状況でした。

 この前に、大津市職員親子と右翼団体構成員らは、秘書課で「市長を出せ!」などと
騒いだ後、職員課(現在の人事課)に不当要求をしました。職員課から、このときの記
録はすべて録音してあるし、テープ起こしもしてあると言われていました。怪文書を含
めて、私は、これまで大津市が存在しないとして一切公開に応じなかった文書を直接見
ていましたし、存在することを知っていました。説明も受けていました。

 私が、不当要求を受けた際に、右翼からは「今度は自宅に行ってやる」、「今度は街
車をまわしたる」などと脅かされ、身の危険、家族の危険を強く感じ、大津市の顧問
弁護士(当時)のすすめもあって、Aからのいやがらせに歯止めをかけたい一心で、A
らの強制わいせつ罪の告訴に対して、Aを虚偽告訴罪で告訴しました。

 ところが大津市長は、検事と深く通じて、副市長を介し、何度も繰り返し私に「命令
して」虚偽告訴罪を取り下げるよう指示してきました。大津市の名前が不名誉な形で
プレスに出ては困る、正義より安全が優先だ、市長はそう言われていると聞きました。
あまりにも一方的な圧力で、強要を受けていると感じていました。

  大津市長からは、「裁判になれば有罪率99.9%だから、必ず有罪になる。」、検察官
 からは、「裁判になればあなたは仕事を失うことをわかっているのか。」と何度も脅し
 のように言われて、取り下げて和解するよう決断を迫られました。それでも私は、大津
 市長の強要には応じませんでした。なぜなら大津市の職員課には、私にとって有利な証
 拠がたくさんあることを知っていましたので、法廷で真実を明らかにしたいという思い
 でした。

  私を被告とする刑事裁判になり、私に起訴状が届く前に、大津市は、大津市長の指示
 で記者会見を開き、大津市長は起訴状を記者の皆さんに公表すると約束しました。その
 後、職員課から私に起訴状を提出してほしいと再三にわたり、督促の電話がありまし
 た。大津市長は「職務命令だからどうしても起訴状を出せ」と言ってきかないそうで、
職員課から頼むから出してくれと何度も連絡を受けました。

 裁判になるまでは、職員課など大津市は、Aの不都合な真実を明らかにしてくれと応
援していただいていましたが、広報や議会などでの市長のコメントは、私を有罪と決め
つけた発言ばかりでした。刑事裁判の証拠とすべく、弁護士法に基づく弁護士会照会を
していただいたのですが、大津市からたくさんある証拠文書を一切出せなくなったと電
話で連絡を受けました。「大津市長が絶対出さないと言っているので、出すことができ
なくなった」と。

 私は、大津市にたくさんの証拠文書があるからこそ、刑事裁判になって無罪になると
和解しなかったのに、それが証拠提出できないとなって、本当に目の前が真っ暗という
か、愕然という気持ちでした。真実を明らかにするために必要なのに、なぜその証拠を
出さないのかとても私には、理解できるものではありませんでした。市長の言うことを
聞かないと、ここまでされるのかと背筋が寒くなりました。

 大津市長は、裁判に職員課の文書を証拠としてだせば、女性が裁判で不利になると言
っていると聞きました。あまりに一方的で、偏見にみちていると思いました。真実を明
らかにするのが重要なのに、はじめから一方の職員のみに、異常に肩入れするというこ
とが、ただただ不可解でした。大津市長によって有罪にさせられると思うと、本当に恐
怖でいっぱいでした。

 公文書公開請求をすると、すでに大津市が他の請求者に公開されている文書なのに、
私の請求では、非公開とされました。保有個人情報開示請求は、本人の個人情報である
ので、大津市は絶対拒否できないと大津市職員から進言されましたが、結果は全面不開
示でした。私自身の個人情報がなぜ全面不開示なのか、なぜこんなことがまかり通るの
かという思いでした。

 当然異議申立てしましたが、大津市個人情報保護条例では、異議申立てがあれば速や
かに審査会に諮問することになっていますが、約6か月の間、審査会にかけられること
なく不当に放置されました。無罪判決が確定してから、人事課から異議申立ての件はど
うしますかと連絡がありましたので、大津市は裁判が終わるのを待っていたんだなと思
いました。大津市長の公文書隠ぺいの意思が本当にかたくななのがわかりました。

 裁判が長期間にわたったのは、大津市がどのような手段に対してもたくさんある証拠
を一切ださなかったからです。刑事裁判が長引くことで有罪になるという恐怖、大津市
職員でいられなくなるという恐怖、有罪になれば実名が報道されるという恐怖、そうな
った場合に家族がどうなってしまうかという恐怖、先の見えない恐怖が、時間ととも
に、日に日にどんどん増していく心境でした。

 刑事裁判の判決をみると、大津市が、一部でしたが最後に出した証拠は、やはり決定
的な証拠になりました。一部だけでも決定的な証拠になったのですから、はじめから出
してくれていたら、ここまで苦しまなくてすんだのにという思いでした。
 刑事事件の判決時に、裁判長が「この日の青空のように晴れやかな気持ちで、ご家
族」や同僚に報告してください」と言ってくださったのをよく覚えています。

 休職の辞令をもらうときは、深夜に市長、副市長以下多くの幹部職員が出席し、マス
コミを別室で待機させてまま、ものものしいかんじで市長から辞令を受けました。復職
のときは、市長からの辞令交付どころか、人事課から私服でいいから辞令を取りにきて
くださいと連絡を受けただけでした。

 あまりにも違う対応に、私の復職が歓迎されていないことがよくわかりました。大津
市長は、あれだけ私の有罪を前提としてマスコミなどに公表していましたから、私が有
罪にならなくて大変都合が悪かったのだと思います。
 復職の辞令をもらった後、人事課長から、別室に連れて行かれて、大津市長はあなた
がたとえ無罪になっても処分すると言っていると伝えられました。正直、もうむちゃく
ちゃだと思いました。

 大津市長に一度逆らうと、無罪判決をいただいても、まだ犯罪者扱いされるのかと愕
然としました。私が職員でいられなくなるように、延々といじめが続くのかと思いまし
た。無罪判決のときの裁判長からの言葉に安堵したのは一瞬でした。

 その後、公文書非公開決定処分取消訴訟を提起しましたが、これは刑事裁判での大津
市長の対応があまりにも理不尽で、故意によるものでしたから、大津市長の不当な行為
を少しでも明らかにしたかったという気持ちでした。

 市長から私は、侮辱され続けてきましたが、一寸の虫にもという気持ちでした。泣き
寝入りできないという気持ちでした。文書が存在しているのに存在しないと言う、当時
警察OBで不当要求対策をされていた職員の陳述書でも前代未聞の不祥事と断言されてい
るのに、不祥事でないと言う、文書を廃棄などできるはずがないのに廃棄したと言う、
すべてが虚構のストーリーです。

 こんな見え透いたストーリーを誰が考えたのでしょうか。私は、実際に文書が存在す
るのを知っていますし、作成した側から説明を受けたものも見たものもあります。不当
要求については、当時あれほどの騒ぎになり、多くの目撃者がいます。すべて私の実体
験に基づいています。

 最高裁の結果が出たとき、ほっとしたと同時に、最高裁決定までいただけば、さすが
に、大津市長もこれで適正な対応をしてくださると思いました。大津市は、最高裁に上
告までして、非公開をとおそうとしたのに、最高裁判決で非公開決定が取り消されて、
大津市が公開した文書は、すでに公開済の文書だけで、本当に不自然でした。最高裁決
定までいただければ、さすがの大津市長も適正な対応をすると思っていましたのに、本
当にどこまで私を侮辱するのかというか、どこまで軽く見られているのかと思いまし
た。

 足掛け7年になりますが、大津市長の対応は、一貫して不当で、理不尽なものでし
た。あるものをない、すでに公開したものを公開しない、公文書を改ざんする、不祥事
をかくす、調査もしない、最高裁にも従わない、権力というのは、本当におそろしい
と思いました。もう司法以外に、公平に見てくださるところはないという思いです。

 真実はひとつです。
あるものをないことにはできませんし、起こったことをなかったことにはできません。
大津市が今まで私にどんなことをしてきたか、まず真実に向き合ってほしいと思いま
す。大津市は、文書が存在するというなら証拠を出せと威嚇しておいて、その求めに
じて証拠を出したら、今度は誰から手に入れたのかと威嚇します。証拠を突きつけられ
たら、今度は存在したが廃棄したと主張をころころ変える。
 あまりにもむちゃくちゃで、ただただ、やるせない思いです。実態と大きくかけ離れ
たストーリーです。

 平成30年12月に大津市の不当要求隠ぺいのスクープ記事が出た際に大津市は記者
見を開きましたが、大津市は、はじめから、私を犯人扱いし、虚偽の記者会見をする
もりだったことがよくわかります。想定問答を見ると、記者会見の準備段階から意図
に私を貶めようと計画していました。本当に腹立たしいかぎりです。

 刑事事件の判決文では、私の供述は一貫していますが、Aの供述に数々の重大な疑問
あり、その信用性は低いと断じて犯罪の証明がないと無罪判決となったものです。
津市は、その根幹をひた隠しにて、実際にセクハラ事件があったようなウソの説明を記
者会見の場で意図的に行いました。

 最高裁決定後の大津市の決定について、審査請求し、審査された情報公開・個人情報
保護審査会は、その答申で「大津市がはじめは存在しないと言っておきながら、証拠が
突きつけられるやいなや、実は存在していたが廃棄したと言い分を変えたこと」や、
「重要な証拠文書であり、1年で廃棄できるような文書ではない」ことなど、大津市の
姿勢を厳しく批判しました。審査会がここまで答申で行政を批判するのは大変珍しいと
聞いています。それだけ大津市の対応はひどかったのだと思います。

 刑事裁判の期間が長期に及んだのは、大津市が存在する文書の公開を拒否し続けたか
らです。もっと早く、弁護士会照会、公文書公開請求の段階で、公開されていれば、も
っと早くに職場復帰がかない、経済的損害が少しでも救われたのにと思います。私が、
大津市長から度重なる強要を受けても従わず、真実を明らかにしたいと刑事裁判に及ん
だのは、大津市に決定的な証拠がいくつもあったからです。

 まさかそれらの証拠が、全面的に非公開とされて、しかも、ないことにされて、
判を闘うことになるとは、本当に夢にも思いませんでした。私の無実を証明する文書が
一切公開してもらえず、有罪にさせられる、大津市職員をクビになるという恐怖が、長
期にわたりました。刑事裁判で無罪判決をいただいても、大津市長から犯罪者扱い
れ、無罪になっても処分すると言われ、いまだに記者会見という公の場でも犯罪者扱い
されています。

 今日まで、長年にわたり、大津市長から犯罪者扱いされ、また意図的な公文書や不祥
事の隠ぺいなど理不尽な対応により、大津市から長期間大変な苦痛を味わってまいりま
した。大津市の度重なる不法行為によって、私も家族も追い詰められ、経済的にも精神
的にも大きな損害を被りました。
  どうぞ正義にかなった適切な判決を賜りますよう、よろしくお願いいたします。 








2019/12/20

109)裁判報告⑧~元人事課長証言「弁護士会照会」~

<事実経過>
平成2511月、京都市弁護士会は、大津市に対し、弁護士法第23条に基づく「弁護士会照会」により、裁判の証拠とするために公文書公開などを求めました。これに対し大津市は、「存否すら明らかにできない」として全面的に拒否しました。そこで同弁護士会は大津市長に対し、厳重な抗議を申し入れましたが、大津市長はこれも無視しました。そしてその後、あろうことか最高裁の決定まで無視することとなります。

<尋問概要>
平成2511月に弁護士会照会がありましたね?

「元人事課長」
・はい

「質問」
大津市は拒否しましたね?

「元人事課長」
・はい

「質問」
誰の指示ですか?大津市長の指示ですか?

「元人事課長」
・市長の指示というわけではありません。

「質問」
私は京都弁護士会の副会長をしていますが、弁護士会照会をいったん拒否して、違法だと判断した場合はあらためて、弁護士会から申し入れをします。それをも無視したのは大津市だけです。まして地方自治体でほかにありません。弁護士会の照会を無視しろと言ったのは大津市長の指示ですか?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

<最後に一言>
 被告である大津市の証人は、まず市側の弁護士から「主尋問」を受けた後、原告側弁護士から「反対尋問」を受けます。ここに掲載したのは元人事課長に対する「反対尋問」の模様ですが、残念ながら曖昧な答えや沈黙が目立ちます。また、重要な部分で私の認識する事実と一致せず、裁判所に提出されている証拠(膨大な書証)とも整合しません。しかしながら証人は法廷で宣誓を行っています。このような証言を世間ではいったい何と呼ぶのでしょうか。

 一方、原告および私は、市側弁護士からの反対尋問にしっかり答え得たと私自身は思っています。そもそも大津市の尋問は訴求力に欠けており、法廷で真実を語ると決めていた私としてはいささか拍子抜け、「もっと、ど真ん中を聞いてくれ!」と思った次第です。証言記録は来年1月10日に公開されますから、それをご覧いただければ、これが手前味噌ではないとお判りいただけると存じます。次回は原告の証言を掲載します。






2019/12/19

108)裁判報告⑦~元人事課長証言「記者会見」~

<事実経過>
平成301223日、京都新聞が「大津市が不当要求を隠ぺいか」とスクープ記事を報じ、大津市は緊急記者会見を開きました。そこで市は、「来訪者が右翼だと確認できなかった」、「不当要求だと確認できなかった」、「女性職員Aさんの供述の根幹部分が判決で認められた」、「裁判所などの文書公開には応じている」と次々に虚偽の説明を行いました。

<尋問概要>

「質問」
あなたは記者会見をする前に判決書を確認しましたか?

「元人事課長」
・2、3時間の間で準備したので充分な準備はしていません。
・12月というのは、3月もそうですが大変な繁忙期で時間がありません。

「質問」
刑事裁判の判決書では、公訴事実から争点として、「被告人が起訴状記載の強制わいせつ行為をしたか、被告人に強制わいせつの故意があったか」が争われた結果、公訴事実を認めず無罪判決が下されました。それが根幹であるので、「Aの主張の根幹が認められた」というあなたや弁護士の主張は間違っています。

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
公訴事実が認められなかったから原告に無罪判決が出たのではありませんか?それなのに、いかにもAさんの主張が認められたかのように記者会見で説明しましたね?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
被害を訴えている女性がいて、加害者とされる男性がいて、刑事裁判で女性の主張の根幹部分が認められたといえば、女性の訴えている被害が実際にあったと判決で認められると誰でも思いますよね?はじめからそう誘導するつもりでしたね?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
平成251011日に大津市は記者会見を開いて、双方の主張は食い違っていたことを発表しておきながら、平成301223日の記者会見では、Aさんの主張の根幹部分が認められたと発表しましたね?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
前代未聞の不祥事を隠ぺいしたことを正当化するために、マスコミにAさんが被害者であると印象づけて、被害者のしたことだから不当要求ではないし、不祥事の隠ぺいにならないというストーリーを考えたのではありませんか?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
あなたは警察OBの職員に確認したが、右翼と確認できなかったと言いましたね?

「元人事課長」
・はい

「質問」
あなたが右翼でないと確認した警察OBは、統括調整監の〇〇さんのことですね?なぜならこのとき大津市に警察OBの職員は一人しかいませんでしたから。

「元人事課長」
・はい

「質問」
〇〇さんは、陳述書で「名の通った右翼」と言っていますね?

「元人事課長」
・・・・(沈黙)

「質問」
右翼をつれてきて人事に対する要求をしたら、不当要求でないというのは無理だから、右翼だと確認できなかったことにしようとなったのではないですか?それは市長の指示ではないですか?

「元人事課長」
・市長からそういうことは言われていません。

「質問」
Aさんや父親を処分したのですか?

「元人事課長」
・Aさんの父親は〇〇(所属名:茂呂注)なので、〇〇で厳重注意されたと聞いています。

「質問」
それは決裁をとったのですか?懲戒委員会に諮ったのですか?

「元人事課長」
・委員会に諮らない厳重注意もあります。