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2020/09/19

127)公文書裁判~9/24に弁論

 隠蔽・改ざん・廃棄の3拍子が揃った公文書疑惑。その焦点となっている越直美前市長および元人事課長の関与の実態。これらを巡る「大津市公文書裁判」の弁論がきたる9月24日に大津地裁で開かれます。前回の7/16から2か月。この間に大津市が行ってきた内部調査の結果が明らかになります。

 9/24(木)10時から第二次公文書部分公開決定取消訴訟(傍聴可能です)。10時30分から損害賠償請求訴訟(非公開で弁論準備手続きが行われるため傍聴できません)。

 これら2つの裁判は深く関連するため今回も引き続いて行われます。本ブログ(記事120)でも触れたとおり、原告側から大津市に対し、「質問への回答だけでなく調査報告書全体を提出すること」、「事実の再確認(認否の整理)を行うこと」の申し入れが行われ、市は8月末までにこれに応じることとなっていました。この流れから9/24は「夏休みの宿題」が地裁の机の上に広げられることになるでしょう。

 はたして新たな事実が明らかになるのか?裁判に大きな動きがあるのか?真実の解明に向けて大いに期待が高まります。この裁判で明らかになったことについては原告の代理人弁護士から詳細を伺い、報道の有無に関わらず「大津通信」でお伝えする予定です。

                        トサミズキ


2020/09/18

126)それにつけても

 越氏の挑戦記に小さからぬ紙面をさき、継続掲載している朝日新聞大津総局への疑問を書きます。本筋の裁判とは関係のない話ですがメディアの見識が問われる問題です。この連載の趣旨は、地元女性の活躍紹介、辞めたばかりの市長の回顧録、「アリス」が遭遇した男社会の不思議さといったところでしょう。この中で「市長の回想録」の要素が疑問です。

 越氏は回想録の中で内発的な動機や市政運営の成果をめぐって「物語の修正」を試みていると私は解釈しています。「人の話を聞くことが喜びだった」、「やり切った満足感がある」、「最初から期限を決めていた」等々、越氏の言動を見聞きし、それにつき考え続けざるを得なかった私が仰天するような記述に満ちていることが一つの証左です。前の記事では越氏の誇大広告についても指摘しました。

 それらをあえて不問に付すとして、それを新聞が垂れ流していることに大きな問題があります。時おり滋賀版に登場する武村元知事はすでに評価の定まった方で、その「昔語り」は歴史的な証言たりえますが、越氏はそうではなく、それどころか公文書疑惑の渦中の人物です(不祥事隠蔽、パワハラ疑惑など他にも色々あります)。

 権力を監視すること、事実を正しく報道することはマスメディアの重要な仕事のはずですが、辞めたとはいえこのような市長の「言いたい放題」に対し、ノーチェックで公的拡声器を無償提供している朝日新聞大津総局は弛緩し切っています。まして同局は8年にわたる越市長の動向を取材、調査し、市民が普通は知りえない多くの事実をつかんでいます(新聞社として当たり前のことです)。それをもって越氏を断罪すべしとは言いません。しかし、せめて複眼的な視点に立って事実の報道を目ざすべきだと思うのです。

 日本のマスメディアは権力に弱いと言われます。政府の記者会見ひとつを見てもそう思います。歴史的、構造的な問題も背景にあるようですが、こうした体質が地域の日常をフィールドとする地方版の片隅において露頭したのが「ガラスの天井~越直美の挑戦記」であると思います。これは「公のワタクシ化」の現象でもあります。私はひとりの購読者として大津総局に対し、新聞の使命に照らしてこうした記事が問題ないかどうかを再検討されるようお願いしたいと思います。「大津市公文書裁判」は今後も続きますが、はたして朝日新聞滋賀版は、越氏への忖度なしに公正な報道をすることができるでしょうか。





2020/09/12

125)志は本物か?

 ガラスの天井挑戦記への最終コメントです。この挑戦記で、政治に興味をもち市長を目ざすに至った経緯について、越氏は私が知るご本人とは別人のように雄弁に語っています。3月22日の記事では、越氏が敬愛する祖母(おばあさま)に可愛がられた日々、おばあさまが骨折のため歩けなくなられたこと、ご母堂が仕事を辞め10年にわたり介護されたこと、近所の人も車いすの外出を手伝ってくれたこと、ふとしたきっかけで祖母の秘めた胸の内を知ったこと等がつづられ、こうした子供時代の体験により市政への関心が芽生え、市長となったのちに「自宅で最期を迎えられる仕組みづくり」に取り組んだと記されています。

 これを読んで私が不思議でならないのは「越市長はなぜ職員に向けてその熱い思いを語ろうとしなかったのか」という点です。努力が実って市長となり何千人の組織の頂点に立って「さあ、これから夢の実現だ!」という大きな節目にあたり、自分の原点というべき貴重な体験ならびにそれを萌芽として自己の内部に育んできた「強い願い」を目の前にいる職員に肉声で語りかけようとしないことの不思議さ。

 行政経験のない新市長からまとまった市政運営方針や主要施策を伺おうと職員は思いません。まず知りたいのは新しいリーダーがどのような情熱と覚悟を持っているか、何を大切にしたいのか、その「思い」です。市長にとっても自分の理想を職員に正しく伝え、大きな組織に自分の血を通わせて仕事を進めていくうえで「自己表白」あるいは「決意表明」は必須です。「わが思想を語る」といってもいいでしょう。聞く者の耳にタコができるほど伝えようとするのが普通です。

 ところが越氏の場合、市長就任直後から在任の期間中、就任式・歓迎会・二役会・部長会・所属長会・庁内放送・予算や事業ヒアリングなど様々な機会において、この挑戦記(市長を辞めてから不特定多数の人に向けて書いた回想記)ほどの「深い思い」や「強い願い」を聞いた職員は誰一人いないと思います。当初2年間、副市長であった私さえ同様です。職員はマニフェストを読んで越氏の「志」をエピソードとして知っていましたが、市長をトップとする「公務遂行集団」の一員としてそれで十分と考える者はおりません。

 政治家の常識に照らしても組織論から見ても理解できないこの「不思議」は、越氏の資質や姿勢に深く関わる問題です。そして私は、越市長が職員に自らの「思い」を語ろうとしなかった理由は次のいずれかだと推測しています。一つは、越市長の職員に対する距離感、より正確にいえば不信感のゆえに「自分の大切な思いを分かち合うに値しない」という考えたのだろうとの推測です。越氏の政治上の先達にあたる人が自ら首長となった経験を踏まえ、「職員を信用してはならない」と越氏に助言したと聞いています。「先達」に近い筋から私が聞いたこの話の真偽は不明ですが、さもありなんと感じます。先達自身は老練でそつなく組織を運営しましたが、越氏の方は助言の呪縛から逃れられなかったのかもしれません。

 越市長が職員に対し連帯感の代りに不信感を抱いていたとすれば傍証はいくらもあります。「市のことを考えている職員はいない」という部外者への発言(本ブログ122)、人事のやり方、庁内協議の進め方等は市長時代の話であり、最近はこの挑戦記(5月3日掲載「コロナとたたかう」)で新型コロナ感染症についてニューヨークの事例まで含めあれこれ述べた際に、地元大津の保健所や病院等で働く職員への言及が一切なかったことも傍証です。コロナとたたかう市職員をねぎらえとは言いません。それは本来の仕事です。しかし、ついこの間まで8年にわたって市長を務めていた身であれば、現場の担う責務の重さ、業務の多さは肌身で分かるはず。まして彼らは、市長退任の日に越氏がカメラの列を従えて庁内を歩き、その手を握って回った「仲間」ではありませんか。皆の顔を見に駆けつけたい気持ちを抑えていた私からすれば、いま挑戦記を書いている越氏の気持ちのありよう(遠距離感)に大きな違和感を感じないわけにいきません(もっとも緊急時にOBに駆けつけられても迷惑千万ですが)。

 いま私は信頼について述べています。越市長が職員を信頼していなかったゆえに「思い」を語らなかったのではないかと推測しています。これは「信用できない職員の方が悪い」という問題ではありません。そうではなく、「信じる」ということは、信じる人自身の責任において行われる極めて主体的、能動的な行為であり、「相手がどうか」は副次的な問題であるということです。信頼して自分を開くことが他人なり組織を動かします。だとすれば職員を信頼せずに自分の期するよい仕事を成し遂げることが可能でしょうか。「日本人は疑わないのに信じない」とは敬愛する在日の詩人金時鐘さんの言葉です。日本人にも色々ありますが、越氏は「信じない市長」であったと思います。

 二つ目の理由は、越市長の「思い」が実はそれほど重く切実なものではなかったのではないかとの疑いで、これも傍証があります。越市長の就任時に私は健康保険部長であり、越市政において在宅介護や認知症対策などの所管事業が進むことを期待していました。ところが実際は後退です。私は、祖母の介護が原点で高齢者福祉の推進をめざすと書かれた越市長のマニフェストを政策監と読み返し嘆きあったことを忘れません。そして平成26年度予算編成時、自宅でおむつを交換する際に使うビニール手袋を「紙おむつ補助事業」の対象に加えることを越市長は認めませんでした。これは在宅介護を行う市民の方々の切実な願いであり事業費は200万円。予算要求した担当課は必死に訴えましたが、越市長の理解を得ることはできませんでした。

 越市長のイメージする市民とは子育て世代の女性であると、傍で仕事をしながら私は考えていました(前にも書きました)。介護をする人々、される人々に向かう想像力や情念のようなものを感じたことも一度もありません。つまるところ越氏の「思い」は実体験をもとにしたフィクションであろうと私は解釈します。それは責められるべき話ではなく個人の自由です。しかし、自分自身に深く内面化された(血肉となった)思念ではないゆえ、外部に放射、伝導されることもなかったと判断せざるを得ません。

 以上2つの理由(推測)を並べましたが、実際は両者のミックスだったでしょう。詮ない昔話と知りつつ長々と書いてしまいました。越市長は「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」であるとかつて本ブログ(記事45)に書きました。その後の越氏の振る舞いはこの見方の正しさを証明し続けていますが、つけ加えれば越氏の「政治目的」自体も自らの信念にもとづく確固たるものではなく、公的な使命感とも無縁であったと思われます。こうした人物にとって公文書の蹂躙など何ほどのこともなかったでしょう。大津市は「公文書疑惑」という負の遺産といかに本気で向き合うでしょうか。


                 クワズイモ