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2020/10/03

128)真っ赤な

 大変遅くなりましたが9月24日の公判の模様をお伝えします。同時進行する2つの裁判において共通して問われているのは「越市政における公文書の取り扱いの是非」、当面のテーマは「大津市の行った内部調査の結果」ですから、簡明を期して2つの法廷を区分せずに書きます。公判で明らかになった事実については原告代理人弁護士のお話に基づいており、私なりの説明を加えた部分もあります。

 まず初めに、問題となっている公文書とは何か?これまで何度も書いてきましたが改めて整理しておきます。それは、「セクハラ疑惑をめぐる職員への聴き取り調書」、「セクハラ職員の処分を求める匿名の怪文書」、「職員が右翼関係者を伴って自らの異動とセクハラ職員の処分を求めて行った不当要求の記録等」の3つです。当該文書の主張にそって「セクハラ職員」と表記しましたが、これは「濡れ衣」で既に裁判で無実が確定しています。その時の裁判の証拠とするためにこれらの公文書の公開請求が行われましたが越市長はこれを拒否。その背景で許しがたい公文書の隠蔽、捏造、廃棄が行われていました。

 今回の市の調査で「越氏が不当要求の記録等を綴じた自分のファイルの廃棄を職員に指示したこと」及び「それが2017年5月頃であること」が明らかとなりました。前後関係を見ると市の非公開決定は違法であるとの最高裁判断が示されたのが同年2月、市が「文書はこれしかない」として「A4一枚」を公開したのが同年6月、まさにこの中間の時期において請求対象となっていた公文書がごっそり廃棄に回されたというわけです。つまり越市政は文書を捨ててから「文書が存在しない」と説明したことになります。越氏の廃棄指示を受けた職員が訴訟関連資料であると気づいて保留扱いとし,今回の調査で証言したことからこの事実が判明しました。

 少し前から経過をたどると「原告が公文書公開請求」 ⇒「市が拒否」 ⇒「原告が個人情報開示請求」 ⇒「市が拒否」 ⇒「弁護士会照会」⇒「市は無視」⇒「原告が提訴」⇒「市が一審で敗訴」⇒「市が控訴」⇒「市が2審も敗訴」⇒「市が上告」⇒「最高裁判断で1審判決が確定」⇒「越氏によるファイル廃棄指示」⇒「市による紙1枚の公文書公開」という流れです。

 越氏は在任中に原本は廃棄したことを認めていますが、一方で今回の市の調査結果を報じた京都新聞の取材に対して「指示した覚えはない」と答えています。また、「ファイル自体に覚えがない」、「文書管理は部下に任せており廃棄の指示は絶対していない」とも説明しています(京都新聞9/24配信記事)。

 越氏は、「大津市役所は訴訟対象となっている公文書を市長に無断で廃棄するずさん極まりない不法組織である」と主張しているのと同じです。それなら8年間市長を務めた越氏自身の監督責任も問われます。しかし私は断言します。大津市役所の職員が市長の指示なしに重大な公文書を捨てるようなことはあり得ません。いや私が力み返るまでなくこれは「組織の常識」です。

 ある職員の良心により不法廃棄から免れた越氏のファイルの写しを原告代理人から見せてもらいました。私もよく知る不当要求の時系列記録や「怪文書」が綴じられており、私への接触も試みた検事と越氏のやりとりメモもありました。あちこちに越氏の特徴ある筆跡の書き込みもありました。このファイル自体を覚えていないと越氏が仰るのは不可解です。

 「文書管理は部下任せ」との説明は一般的な説明として頷けるところもあります。確かに文書の作成、仕分け、編綴、保管、廃棄などの実務は職員がルールに基づいて行っており、市長どころか部長でも直接に手を出すことはありません。しかし、問題となっている公文書は、私が繰り返し述べている通り原告と被告(市)の攻防の焦点となっていた文書であり、市の内部でも一時は越市長一人が非公開を主張し、当然ながらそのとおりに組織決定がなされた文書です。このような重大文書を、しかも保存期間中に市長に無断で職員が捨てることは絶対にありえません。今回の市の調査結果が示すように「越市長が廃棄を指示した」と考えるのが自然です。

 越氏は、ガラスの天井挑戦記でも「市長の仕事は決めることだ」と語っています。その言葉どおり「公文書廃棄」も決定し、指示をしたのではないか。この点について越氏には重大な説明責任があります。越氏は公の場で包み隠さず明瞭に説明をされるべきであると思います。それも「公務」であり「残務」ではありませんか。

 今一度、越市政において蹂躙された公文書を掲げます。人に名前があるように文書にも文書名があります。訴訟上の分類で整理します。
 公文書1「セクハラ関係文書」
 公文書2「不当要求関係文書」、うち文書ア「不当要求の録音」、文書イ「不当要求の録音反訳」、文書ウ「時系列の記録」、文書エ「不当要求の報告書」、文書オ「不当要求者持参の書面」
 公文書3「怪文書」

 これらは私が在任中に主として元人事課長らから報告を受けた際にコピーも受け取り何冊かのファイルに綴じて副市長室の書庫で保管していたもので法廷でも証言ずみです。越市長も同様に保管をしていたはずで、このうち公文書2の文書ウ、エ、オと公文書3が、越氏が廃棄を指示したファイルに綴じられていました。
 ちなみに文書ウは、市が今回の準備書面で「いまだに存否すら明らかにできない」と主張する一方、越氏のファイル中の文書として公開されています。担当部局には、越市政の残滓と決別して風通しよく、また筋も通った対応をお願いしたいと思います。

 その他の報告です。今回の裁判では、市から再調査結果をまとめたものや認否のやり直しについて提出されませんでした。そこで、市の再調査を時系列で確認し、不法行為についての議論を再整理して進行スケジュールを決めるということになりました。 市としては、調査は行ったもののすでに辞めている越氏と元人事課長を調査対象としなかったため、一般職員の聞き取りだけでは、根幹部分が詳しく分からなかったとのことです。

 また、原告代理人から「原告以外の文書は今も残っているのか。原告の文書だけがないのか。他の同種の文書も同じように廃棄されているのか客観的な事実を示してほしい」との主張があり、市の代理人からは「原告の文書だけは何故か本来のあり方とは違う。通常のとりあつかいとずれているという認識を持っている」との見解が示されましたが、何故そうなったかは把握できないとのことでした。

 こうしたやり取りを踏まえ、裁判所からは、具体的な判断材料として大津市から客観的事実を提出するよう促されたことに加え、今回の内部調査だけでは不明点が残ることから、市の判断材料の提出もふまえて争点を整理し、原告側の求める越直美氏の証人尋問について今後しかるべく判断をする方向となりました。

   次回は11/13(金)10時30分から第二次公文書部分公開決定取消訴訟、11時から国賠訴訟(弁論準備のため非公開)となりました。今回の裁判の結果をふまえて原告が書面提出し、大津市が応答することになっています。 今度こそ大津市から客観的事実を記載した報告書が提出されることを期待するものです。




2020/09/19

127)公文書裁判~9/24に弁論

 隠蔽・改ざん・廃棄の3拍子が揃った公文書疑惑。その焦点となっている越直美前市長および元人事課長の関与の実態。これらを巡る「大津市公文書裁判」の弁論がきたる9月24日に大津地裁で開かれます。前回の7/16から2か月。この間に大津市が行ってきた内部調査の結果が明らかになります。

 9/24(木)10時から第二次公文書部分公開決定取消訴訟(傍聴可能です)。10時30分から損害賠償請求訴訟(非公開で弁論準備手続きが行われるため傍聴できません)。

 これら2つの裁判は深く関連するため今回も引き続いて行われます。本ブログ(記事120)でも触れたとおり、原告側から大津市に対し、「質問への回答だけでなく調査報告書全体を提出すること」、「事実の再確認(認否の整理)を行うこと」の申し入れが行われ、市は8月末までにこれに応じることとなっていました。この流れから9/24は「夏休みの宿題」が地裁の机の上に広げられることになるでしょう。

 はたして新たな事実が明らかになるのか?裁判に大きな動きがあるのか?真実の解明に向けて大いに期待が高まります。この裁判で明らかになったことについては原告の代理人弁護士から詳細を伺い、報道の有無に関わらず「大津通信」でお伝えする予定です。

                        トサミズキ


2020/09/18

126)それにつけても

 越氏の挑戦記に小さからぬ紙面をさき、継続掲載している朝日新聞大津総局への疑問を書きます。本筋の裁判とは関係のない話ですがメディアの見識が問われる問題です。この連載の趣旨は、地元女性の活躍紹介、辞めたばかりの市長の回顧録、「アリス」が遭遇した男社会の不思議さといったところでしょう。この中で「市長の回想録」の要素が疑問です。

 越氏は回想録の中で内発的な動機や市政運営の成果をめぐって「物語の修正」を試みていると私は解釈しています。「人の話を聞くことが喜びだった」、「やり切った満足感がある」、「最初から期限を決めていた」等々、越氏の言動を見聞きし、それにつき考え続けざるを得なかった私が仰天するような記述に満ちていることが一つの証左です。前の記事では越氏の誇大広告についても指摘しました。

 それらをあえて不問に付すとして、それを新聞が垂れ流していることに大きな問題があります。時おり滋賀版に登場する武村元知事はすでに評価の定まった方で、その「昔語り」は歴史的な証言たりえますが、越氏はそうではなく、それどころか公文書疑惑の渦中の人物です(不祥事隠蔽、パワハラ疑惑など他にも色々あります)。

 権力を監視すること、事実を正しく報道することはマスメディアの重要な仕事のはずですが、辞めたとはいえこのような市長の「言いたい放題」に対し、ノーチェックで公的拡声器を無償提供している朝日新聞大津総局は弛緩し切っています。まして同局は8年にわたる越市長の動向を取材、調査し、市民が普通は知りえない多くの事実をつかんでいます(新聞社として当たり前のことです)。それをもって越氏を断罪すべしとは言いません。しかし、せめて複眼的な視点に立って事実の報道を目ざすべきだと思うのです。

 日本のマスメディアは権力に弱いと言われます。政府の記者会見ひとつを見てもそう思います。歴史的、構造的な問題も背景にあるようですが、こうした体質が地域の日常をフィールドとする地方版の片隅において露頭したのが「ガラスの天井~越直美の挑戦記」であると思います。これは「公のワタクシ化」の現象でもあります。私はひとりの購読者として大津総局に対し、新聞の使命に照らしてこうした記事が問題ないかどうかを再検討されるようお願いしたいと思います。「大津市公文書裁判」は今後も続きますが、はたして朝日新聞滋賀版は、越氏への忖度なしに公正な報道をすることができるでしょうか。





2020/09/12

125)志は本物か?

 ガラスの天井挑戦記への最終コメントです。この挑戦記で、政治に興味をもち市長を目ざすに至った経緯について、越氏は私が知るご本人とは別人のように雄弁に語っています。3月22日の記事では、越氏が敬愛する祖母(おばあさま)に可愛がられた日々、おばあさまが骨折のため歩けなくなられたこと、ご母堂が仕事を辞め10年にわたり介護されたこと、近所の人も車いすの外出を手伝ってくれたこと、ふとしたきっかけで祖母の秘めた胸の内を知ったこと等がつづられ、こうした子供時代の体験により市政への関心が芽生え、市長となったのちに「自宅で最期を迎えられる仕組みづくり」に取り組んだと記されています。

 これを読んで私が不思議でならないのは「越市長はなぜ職員に向けてその熱い思いを語ろうとしなかったのか」という点です。努力が実って市長となり何千人の組織の頂点に立って「さあ、これから夢の実現だ!」という大きな節目にあたり、自分の原点というべき貴重な体験ならびにそれを萌芽として自己の内部に育んできた「強い願い」を目の前にいる職員に肉声で語りかけようとしないことの不思議さ。

 行政経験のない新市長からまとまった市政運営方針や主要施策を伺おうと職員は思いません。まず知りたいのは新しいリーダーがどのような情熱と覚悟を持っているか、何を大切にしたいのか、その「思い」です。市長にとっても自分の理想を職員に正しく伝え、大きな組織に自分の血を通わせて仕事を進めていくうえで「自己表白」あるいは「決意表明」は必須です。「わが思想を語る」といってもいいでしょう。聞く者の耳にタコができるほど伝えようとするのが普通です。

 ところが越氏の場合、市長就任直後から在任の期間中、就任式・歓迎会・二役会・部長会・所属長会・庁内放送・予算や事業ヒアリングなど様々な機会において、この挑戦記(市長を辞めてから不特定多数の人に向けて書いた回想記)ほどの「深い思い」や「強い願い」を聞いた職員は誰一人いないと思います。当初2年間、副市長であった私さえ同様です。職員はマニフェストを読んで越氏の「志」をエピソードとして知っていましたが、市長をトップとする「公務遂行集団」の一員としてそれで十分と考える者はおりません。

 政治家の常識に照らしても組織論から見ても理解できないこの「不思議」は、越氏の資質や姿勢に深く関わる問題です。そして私は、越市長が職員に自らの「思い」を語ろうとしなかった理由は次のいずれかだと推測しています。一つは、越市長の職員に対する距離感、より正確にいえば不信感のゆえに「自分の大切な思いを分かち合うに値しない」という考えたのだろうとの推測です。越氏の政治上の先達にあたる人が自ら首長となった経験を踏まえ、「職員を信用してはならない」と越氏に助言したと聞いています。「先達」に近い筋から私が聞いたこの話の真偽は不明ですが、さもありなんと感じます。先達自身は老練でそつなく組織を運営しましたが、越氏の方は助言の呪縛から逃れられなかったのかもしれません。

 越市長が職員に対し連帯感の代りに不信感を抱いていたとすれば傍証はいくらもあります。「市のことを考えている職員はいない」という部外者への発言(本ブログ122)、人事のやり方、庁内協議の進め方等は市長時代の話であり、最近はこの挑戦記(5月3日掲載「コロナとたたかう」)で新型コロナ感染症についてニューヨークの事例まで含めあれこれ述べた際に、地元大津の保健所や病院等で働く職員への言及が一切なかったことも傍証です。コロナとたたかう市職員をねぎらえとは言いません。それは本来の仕事です。しかし、ついこの間まで8年にわたって市長を務めていた身であれば、現場の担う責務の重さ、業務の多さは肌身で分かるはず。まして彼らは、市長退任の日に越氏がカメラの列を従えて庁内を歩き、その手を握って回った「仲間」ではありませんか。皆の顔を見に駆けつけたい気持ちを抑えていた私からすれば、いま挑戦記を書いている越氏の気持ちのありよう(遠距離感)に大きな違和感を感じないわけにいきません(もっとも緊急時にOBに駆けつけられても迷惑千万ですが)。

 いま私は信頼について述べています。越市長が職員を信頼していなかったゆえに「思い」を語らなかったのではないかと推測しています。これは「信用できない職員の方が悪い」という問題ではありません。そうではなく、「信じる」ということは、信じる人自身の責任において行われる極めて主体的、能動的な行為であり、「相手がどうか」は副次的な問題であるということです。信頼して自分を開くことが他人なり組織を動かします。だとすれば職員を信頼せずに自分の期するよい仕事を成し遂げることが可能でしょうか。「日本人は疑わないのに信じない」とは敬愛する在日の詩人金時鐘さんの言葉です。日本人にも色々ありますが、越氏は「信じない市長」であったと思います。

 二つ目の理由は、越市長の「思い」が実はそれほど重く切実なものではなかったのではないかとの疑いで、これも傍証があります。越市長の就任時に私は健康保険部長であり、越市政において在宅介護や認知症対策などの所管事業が進むことを期待していました。ところが実際は後退です。私は、祖母の介護が原点で高齢者福祉の推進をめざすと書かれた越市長のマニフェストを政策監と読み返し嘆きあったことを忘れません。そして平成26年度予算編成時、自宅でおむつを交換する際に使うビニール手袋を「紙おむつ補助事業」の対象に加えることを越市長は認めませんでした。これは在宅介護を行う市民の方々の切実な願いであり事業費は200万円。予算要求した担当課は必死に訴えましたが、越市長の理解を得ることはできませんでした。

 越市長のイメージする市民とは子育て世代の女性であると、傍で仕事をしながら私は考えていました(前にも書きました)。介護をする人々、される人々に向かう想像力や情念のようなものを感じたことも一度もありません。つまるところ越氏の「思い」は実体験をもとにしたフィクションであろうと私は解釈します。それは責められるべき話ではなく個人の自由です。しかし、自分自身に深く内面化された(血肉となった)思念ではないゆえ、外部に放射、伝導されることもなかったと判断せざるを得ません。

 以上2つの理由(推測)を並べましたが、実際は両者のミックスだったでしょう。詮ない昔話と知りつつ長々と書いてしまいました。越市長は「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」であるとかつて本ブログ(記事45)に書きました。その後の越氏の振る舞いはこの見方の正しさを証明し続けていますが、つけ加えれば越氏の「政治目的」自体も自らの信念にもとづく確固たるものではなく、公的な使命感とも無縁であったと思われます。こうした人物にとって公文書の蹂躙など何ほどのこともなかったでしょう。大津市は「公文書疑惑」という負の遺産といかに本気で向き合うでしょうか。


                 クワズイモ




2020/08/30

124)市役所と株式会社は同じ?

  越氏の挑戦記は毎回首をかしげる記述ばかりですが、申し上げた通り一つずつ論評していたらキリがありません。今回は6月14日の記事から。越氏は弁護士として企業の経営破綻をつぶさに見た経験にふれ次のように書いています。~破綻の背景に粉飾決算があることもあります。違法行為が会社を潰し、従業員の生活を変えてしまうことを知りました。市長になって市職員のコンプライアンス(法令順守)に力を入れましたが、背景にこの体験がありました。~

 一体この人の頭の中はどうなっているんだろうと思います。お時間のある方はこのブログの過去の記事をご覧いただきたいのですが、越氏には市長としてふさわしくない数々の行為があります。公文書公開をめぐっては弁護士会照会の拒否、最高裁判決にそむく非公開、審議会への虚偽説明、係争中の公文書廃棄等があり、私の作成した公文書の回収・廃棄・データ破壊もありました。一部は時効としても明白な法令違反があり、法の精神に背く行為がありました。どのような理路で「コンプライアンスに力を入れた」となるのでしょう。

 また、越氏はこう述べています。 ~しかし日本では、終身雇用、年功序列の雇用体系の中、通常は従業員が昇進して取締役になります。そうすると外部の提案には何でも反対となりがちです。市長になってこれを市に置き換え、市民が株主、市長は市民に対する義務を果たさなければならないと常に考えていました。~ 私はこれを読んで、「民間では考えられない」とか「文句があるなら次の選挙で落とせばいい」という越市長の決め台詞を思い出しました。いやはやまったく。

 「市民」を「株主」とみなすことは、一見すると行政サービスの究極の姿勢であるように思われます。すなわち市役所は株式会社であり、市長をはじめとする社員一同、至上の目標である株主の利益のために全力で奉仕しなければならない。結果がダメならトップは次の選挙の審判を受けるまで。こうした物の考え方は、近年、国や地方政府の長をはじめ社会の中でかなり広まっています。しかし、少なくとも公務に携わる者はこうした分かりやすい例えを鵜呑みにせず、もう少し深く考えなければなりません。市長であればなおさらです。

 株式会社の責任の限界は「株主の総出資金額」であり、それを超えることはありません。つまり株式会社は有限責任の組織体です(前にも書いたような。重複ならご容赦下さい)。実際には従業員の失業、法人税収の消失、地域経済の衰退など無視できない社会的影響がもたらされる場合がありますが、経営者はそこまでの責任を問われません。それゆえ原発事故で国土の一部を損壊し人命を奪った東京電力からは一人の逮捕者も出ておらず、株式会社という「法的擬制」ゆえに責任の追及を免れています。そして原発事故による緊急事態宣言はいまだに解除されず、メルトダウンした炉心から止まらぬ出血のように汚染水が流れ続けています。東電が仮に破産しても尻ぬぐいは全て税金。原発推進が国策であるとはいえ、こうした現実が許容されるのは株式会社が「有限責任」であるという約束事のもとに失敗のコストを外部転嫁できる組織であるためです。

 さて、市(大きくは国家)の責任は有限でしょうか。市政運営や政策判断のミスがもたらす損害を外部化する(よそにツケを回す)ことが可能でしょうか。もちろんそれは無理な相談で、直接には政策判断に関与することのなかった全市民(国民)が損害を受忍せざるを得ません(国の場合は極端な事例として開戦の責任があります)。市や国家は、株式会社と異なって「無限責任」を負う組織です。大津市長の責任の範囲は、大津に住む住民の生命財産、将来世代の利益(端的には教育を通じて)、社会資産、環境などに及びます。越氏はこれらを幾らに見積もるでしょう。

 また、すべての株主の利益は「株価の上昇」で一致しますが、全市民のニーズがはたして一点に合致することがあるでしょうか。活気と賑わいのあるまちづくりを求める人がいれば静かで落ち着いた雰囲気を守りたい人もいます。高齢者福祉の優先を主張する人がいれば何をおいても学校の先生を増やせという人もいます。このこと一つをとっても、株式会社を経営するように都市を運営することはできません。株式会社はトップダウンで組織化されていますが、それを担保するのは、社長決定の適否を審判する市場(マーケット)の「正しさ」に対する皆の信仰です。このように、売れたらすべてOK、株価が上がればすべてOKという単一目的の組織は民主的であることを必要としません。これに反して多様な価値観とニーズをもつ市民に対し行政サービスを提供する市役所は、それゆえにこそ民主的な組織であることを根源的に要求されています。

 このように見てくると「市民は株主だ」とか「市役所も会社のようにトップダウンでスピーディーに経営されるべきだ」という考え方の愚かさが分かります。こうした主張をする人には政治家の資格はありません。チコちゃんなら「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と怒鳴るところです。しかしこうした人物が首長に選ばれるのです。民主主義的制度は今日の私たちの社会の到達点でしょうが、常に空洞化する契機を内に抱え持つ危うい制度でもあると言わざるを得ません。背景に「社会の市場化」という悪しき大きな潮流があります。

 今回の記事は内田樹著「憲法の『空語』を充たすために」を参照しています。私は「市場至上主義」や「ポピュリズム政治」などの影響で「公」の存立がますます危うくなりつつあることを懸念する者ですが、内田氏は独自の視点からこうした状況を分かりやすく解説しています。若い市職員の方々がこのブログをご覧になり、この本に関心を持たれるとしたらまことに幸いです。

                シコンノボタン



2020/08/27

123)人口増加の立役者?

 ガラスの天井挑戦記の第1回「やり切った8年 顧みて」(1月26日掲載)で越氏は次のように書いています。~当選後は、全国で人口が減る中、子育て施策を充実させ、「大津に住む人を増やす」ことを一番の目標として働いてきました。(中略)一番うれしかったのは、16年から市の人口が増加したこと。「大津に住む人を増やす」という一番の目標が現実になりました。~

 連載は誇らしげな「勝利宣言」から始まります。これを読んだ人は文脈に導かれ、「大津市の人口は全国と同じく減少傾向にあったが、越市長が子育て施策の充実を図ったおかげで出生数や転入世帯が増え、ついに2016年から人口増加に転じた」と解釈するでしょう。しかし事実は全く違います。

 順調に増え続けてきた大津市の人口も近年は伸び率が鈍化し、2014年をピークとして停滞局面に入りました。詳しく見ると越市長就任後の2012年度は340,339人(前年比1,588人増)、翌13年度は341,489人(1,150人増)、14年度は342,343人(854人増)と微増を続け、15年度は342,031人(312人減)と減少に転じました。しかし16年度に342,163人(132人増)と増加に反転。その後17年度は342,154人(9人減)、18年度は342,088人(66人減)と減少し、19年度(越市政最終年度)は342,695人(607人増)とやや持ち直しました。

 繰り返します。①大津の人口は増加を続けていた。②越市政になっても増加を続けたが4年目に初めて減少した。③しかし、5年目にわずかに増加した。④6年目、7年目は再び減少し、8年目には増加した。以上が事実経過です。これにより、越市政5年目となる2016年から「市の人口が増加した」と言えるのでしょうか。

 次に増減の中身です。もし、越氏の「子育て施策」が多少とも功を奏したなら、この間の「出生数」や「転入者数」が増加しているはずです。ところが2012年度から19年度までの年間出生数は、13年度を除いて毎年減り続けており(3,062人から2,541人まで減少)、転入者数も増えたり減ったりの横ばい状態です。

 ここでもう一度、冒頭の「挑戦記」をご覧ください。「大津に住む人を増やすという一番の目標が現実になった」とまで書かれています。たしかに単語レベルで明白な嘘はありませんが、事実とまったく異なるイメージをふりまく手法は悪徳業者も顔負けです。しかし一番の問題は狡猾な言葉のテクニックではなく、わずか3~4年の施策実施で人口を増やすことができるという安易で不遜な発想です。市長として目標を掲げ努力するのは当然ですが、その結果、短期間のうちに統計数値に現れるほど人々の行動、しかも出産や転居という重要な行動が変容すると考えるのは余りに短慮、人間存在への理解が足りません。権力者のおごりも見え隠れします。

 大津市市民意識調査を見てみましょう。市民の方々が感じる大津のまちの魅力ベスト3は、「琵琶湖や山並みの自然」、「お寺や神社など歴史遺産」、「京阪神等への交通の便利さ」であり、子育てや教育の環境、高齢者や障害者への福祉施策などを大きく引き離して不動、断トツの3要素です。中でも「交通の便利さ」(加えて地価の安さ)は京阪神大都市圏から人々を引き付ける大きな要因になっており、似通った条件の草津、栗東、守山でも人口が増加を続けています。政策に工夫を凝らして「選ばれる都市」をめざす努力も大切ですが、自然・歴史文化・広域交通の3要素(自然の恵みと先人の遺産)には敵わないなあと、私は現役時代に痛感していました。

 さらに付け加えると毎年度の人口は4月1日現在の「瞬間値」です。たとえば大津市では、陸上自衛隊駐屯地(教育大隊)の多数の方々の転入・転出の一括手続きが何かの事情でずれ、数字が大きく変わったことも過去にありました。人口の増減は、あくまで複数年の推移で判定するものです。これでもまだ越氏は「私が人口を増やした」と豪語されるのでしょうか?「市長になって一番嬉しかった」とまでおっしゃる越氏のご意見をぜひとも伺いたいところです。次は越氏と「公」の問題を取り上げます。


                 (ウラムラサキ)



2020/08/20

122)机を叩いたのは誰?

  越直美氏の挑戦記についてもう少しコメントします。「よくもこれだけ好き勝手に書いたなあ」と感心しますが、あくまでご本人の自由です。私としては越氏の本質に関わると考える数点に絞って(書き出すとキリなし)個人的な見解を表明します。

 まずは小さな点から。「ガラスの天井への挑戦の成功者」として自他ともに認める越氏ですが、若い女性ならではの苦労があったと市長時代を振り返っています。「市役所での協議で机を叩かれたり、ドアをバンと忌めて出て行かれたりしたことがあります。必ずしも、私が若い女性だから相手がそんな態度を取ったとは言えません。でも、もし私が相手より年上の男性なら対応は違ったのでは、と思います。」(挑戦記2月23日掲載)

 これは越氏が繰り返し紹介するエピソードの一つで、失礼きわまりない「相手」とは私のことです。副市長であった時、私は一度だけ市長との協議のテーブルを叩いたことがあります。長い役所人生の中で数少ないことですからよく覚えていますが、教育委員会等との協議の際、越市長が(例によって)部局の意見を聞かずに強引に進めようとされるので、私は熟議が必要と感じました。そこで折を見つつ何度か発言したのですが全て黙殺、挙句に「副市長は黙っていてください。」とダメ押しをされました。我慢の最中のひと言に私は思わず机を叩き、「意見を言うために座っています。私は飾りではありません。」と言ったのです。

 実はこれに至る経緯が色々とあって、法に定められた教育委員会制度とその独立性を尊重すべきであると考える私と、選挙で選ばれた市長が積極的に関与することが許されると主張する越市長の意見の相違がベースにあり(議会質問でも取り上げられました)、さらに「いじめ事件」の対応等をめぐる様々な見解の違いも重なりました。私の副市長就任時、越市長は、互いに意見の相違があったとしても、しっかり議論をしたうえで最後は一本化しようと提案され、私も当然のことと同意しました。ところが現実には「しっかり議論」をしないまま力ずくの「一本化」が繰り返され、私は自分の力不足を責めつつ懸命に努力したものの事態は悪化するばかりでした。

 越市長のたっての要請により就任された教育長も私と同じ道を辿られました。市長と副市長(国出身の方)の訪問を受け、「市役所の中で大津市のことを真に考えている者は私たち二人だけだ。力を貸していただきたい」と聞かされて、教育委員会を立て直す覚悟で重責を引き受けられた方です。就任後、いくつもの課題について議論を交わすうち多少とも私を信頼して下さるようになりました。そして、「火中の栗を拾うつもりで来たけれど、えらく話が違いますなあ。就任前に市長から伺ったことと現実がまったく違います。」と嘆息しながら私に話されたことがあります。また別の折、「幼稚園児がダンプを運転しているようだ!」との名言(?)も残されました。

 ある日、この教育長と市長との協議に私も同席しました(かつて教育委員会を所管していた国交省出身の副市長は既に市役所を去っていました)。議題は教育委員会がまとめた「いじめ問題」への評価や対応策に関する資料の確認であったと記憶します。こうした協議は小刻みに繰り返し行われ、細かく出される市長の指示・要請に教育委員会が誠実に対応していましたが、越市長が満足されるような場面は多くありませんでした。この日も市長と教育長の間で同じようなやり取りが繰り返されました。その中で教育長が何か返答された途端、越市長が思い切り机を叩かれました。手の平というより前腕部を勢いよく机に振り下ろす叩き方で、バーンという音が市長室に響きました。一同絶句。

 私は瞬時に頭に血が上りましたが何も言わず、越市長の横顔と私の正面の教育長の顔を見比べていました。越市長は怒気を含んだ無表情、教育長は一瞬驚いた表情をされ(当然です)、三呼吸ほど置いてから静かに言葉を続けられました。同席した秘書課や教育総務課の職員にとっても忘れられない経験となったでしょう。越氏は、「人は自分より年上の男性に対して机を叩くような失礼な振る舞いはしないものだ。」との見解をお持ちのようですがご自身だけは例外なのでしょうか。

 この教育長は教育の専門家ではありませんでしたが、ご自身の技術者、経営者としての経験と熱い心をもち、組織の先頭に立って尽力されました。しかし激務のせいでしょうか次第に体調を崩され私より少し先に退任されました。その後、一時健康を回復されたものの遂に還らぬ人となられました。本当に惜しまれます。思えば過去8年の間、先代の教育長、市民病院長、その他の職員の方々も含め優れた人材が多く市役所を去りました。これも大きな損失であったと思います。

 最後は自己弁護です。市役所も会社も大掛かりなロールプレイだと私は思っています。職務上の地位はそのゲームの中だけのこと。当然、演者であるその人の値打ちとは関係がありません。そして各人の価値は平等であり、これが民主主義の理念的な到達点でもあると考えます。しかしながら組織に身を置きプレーヤーとしてゲームに参加している以上、職位は大いに尊重しなければなりません。まして市長といえば、選挙で選ばれた最高権力者であり組織の顔です。私はつねに礼節を尽くして歴代市長に仕えました。市長の職位の重さに比してその人自身の年齢や性別は、とるに足りないささいな属性に過ぎません。机を叩いた失礼は申し開きのしようがありませんが「相手が若い女性ゆえの行為である」という越氏の見解は見当違いもいいところです。

 なお、私は「ドアをバンと閉めて出て行った」記憶がないのです。机を叩いて抗議するのと怒りをぶちまけて立ち去るのとでは五十歩と百歩の差がありますが、越氏に不快な記憶を残したこの人物が若い女性を軽んじていたのか、止むを得ない状況にあったのかは知る由もありません。次回はもう少し大きな話をしたいと思います。


                 (ガガブタ)









2020/08/14

121)ガラスの天井挑戦記

 越直美氏はなぜ大津市長になろうとしたか、市長になってみてどうだったか、どうして市長を辞めたのか、、、朝日新聞の日曜版でご本人がたっぷり語っておられます。題して「ガラスの天井~越直美の挑戦記」。これは本年1月に始まった不定期のコラムで10回を超えてなお続いていますが、公文書裁判の報告の合間に「裏事情を知る読者」として少しばかり感想を書かせていただきます。

 まずお断りしておきますが、私も「ガラスの天井」はあってはならないと考える人間の一人です。この目に見えぬ天井を、越氏のようにごく一部の女性が格好の「ジャンプ台」として利用してしまう皮肉な現実もありますが、私は有形無形の不利益を受けている大多数の女性の代弁者としてではなく、男性たる自分自身の問題として、むしろ性別を問わぬ人間の在り方の問題としてこうした不平等はあってはならないと考えています。

 また、このコラムは、越氏が一向に応じようとしない証人尋問のように真実を述べることを義務づけられたものではありませんから、ここで語られた事柄を一々取りあげてウソかマコトか吟味するのも野暮な話です。つい揚げ足をとりたくなる気持ちをぐっと抑えて虚心に越氏の文章を読むと、越氏が「何を物語りたいのか」が浮かび上がってきます。同時に「公」に対する越氏の失礼ながら浅薄な考え方が見えてきます。この感想文は何度かに分けて書く予定です。


 (カランコエ)


2020/07/19

120)公文書裁判~7/16公判の結果

 公文書の廃棄・捏造・隠ぺいはあったのか?越直美前市長はどう関わったか?疑惑に満ちた「大津市公文書裁判」が7/16、大津地裁で開かれました。判決がまだなので「疑惑」と書きましたが越市長のもとで公文書の廃棄・捏造・隠ぺいが行われたことは事実で、それゆえ私も昨年11月に証言を行いました。まず、その後の経過を振り返っておきます。

2019.11.19 損害賠償請求訴訟の証人尋問。結審。判決日は2020年2月25日と決定。

     12.26 第2次公文書非公開取消訴訟の口頭弁論。大津市の書面回答が決定。

2020. 1.19  市長選挙。佐藤健司氏が元人事課長を破り当選。

    1.30  原告が最終準備書面を提出(元人事課長が虚偽証言を行ったと指摘)。

    2. 3  第2取消訴訟において原告から市に当事者照会(内部調査を要請)。

    2. 4  市が第2次取消訴訟の口頭弁論延期を申し出。 

    2.13  地裁から原告に損害賠償請求訴訟の判決延期の通知(3月17日に)。

    2.19  大津市の訴訟代理人弁護士が交代。

    2.28  情報公開にかかる議員研修。講師(情報公開審査会元会長)が本訴に
         関わる越市政の対応を強く非難。「我々は騙された」と発言。

    3. 3    市議会で本訴にかかる市の内部調査につき質問。対応すると市長答弁。

    3. 5   地裁で訴訟進行協議。当事者照会(市の内部調査)の回答期限の延期に
        ついて合意。原告が既に結審した損害賠償請求訴訟の再開申し立て。

    3.13  地裁が3月17日予定の損害賠償請求訴訟の判決取り消し(延長決定)。

    4.13  原告が損害賠償請求訴訟についても当事者照会を大津市に提出。

    7.16  第2次公文書非公開取消訴訟、損害賠償請求訴訟。

 終わりかけの訴訟(損害賠償請求)と始まったばかりの訴訟(第2次公文書非公開取消訴訟)。ともに問われているのは越市政下における公文書の廃棄・隠蔽・捏造の有無と態様ですから、これらを一体的に審理しようという今回の決定は合理的です。市長交代に伴って「隠ぺいから究明へ」と大津市の姿勢が変化したことが背景にあるものと考えます。

 さて、今回の裁判の内容(原告代理人弁護士から伺った話)です。
 2013年3月に大津市職員と右翼団体が市役所内で不当要求を行った記録の公開請求を受けた大津市は、これまで「記録が有るか無いかも答えられない」→「記録はない」→「あったけれど廃棄した」と説明を翻してきました。市長交代後の内部調査の結果、この記録の存在が明らかとなりました(元人事課長が作成して供覧され、私を含め複数の職員が写しを保管していた公文書ですから当然の話ですが)。

 また、市長であった越直美氏から公開請求文書の廃棄を指示されたにも関わらず、心ある職員の手によってそれが密かに保存されていたことが分かりました。おそらくこの職員は深く悩んだことでしょう。その結果、市長の利益ではなく市民の利益を守る道を選びました。そのことに私は敬意を表します。それが公務員だと思うのです。
 したがって元人事課長は公務員(正確には元公務員)と呼べません。その責任は本人にありますが、その地点まで彼を導いてしまった(或いは追い込んでしまった)うえ、自分の後継者に指名したのは越直美氏です。後継者が選挙に負けたことは、大津市にとって幸いであったと思います。
   
 裁判の今後ですが、原告側から市に対し、質問への回答だけでなく調査報告書全体を提出すること、事実の再確認(認否の整理)を行うことの申し入れがあり、市は8月末までにこれに応じることとなりました。越直美氏は当時の市長として一連の疑惑について説明責任を負っています。越氏は法廷で証言を行うべきです。


<タケニグサ>












 



2020/07/16

119)7月16日は公文書裁判です!

 前大津市長越直美氏による公文書廃棄・改ざん疑惑をめぐる裁判が、本日(7月16日)大津地裁で開かれます。市長交代などの理由から延期されていたもので、原告代理人弁護士にお尋ねしたところ、「原告の照会に対する大津市の回答は、前人事課長が証人尋問で証言した事実を完全に否定する内容であり、それ以外にも重要な事実が含まれている。公文書廃棄については前市長が関与した可能性も窺われるらしい。」とのことでした。

 7月16日(金)大津地裁 10時30分~ 第2次公文書公開取消訴訟 口頭弁論
             11時 ~  損害賠償請求 口頭弁論

 記事アップが一日遅れてしまいました。私は傍聴できませんでしたが、情報を得たらここに掲載します。

 <オオフサモ>



2020/07/15

118)コロナお見舞い

 大津市職員の皆さん、お元気でしょうか?110年を超える市の歴史で初の庁舎閉鎖という緊急事態があり、その後も大変な状況が続いています。医療、衛生、保健その他の部門で働く方々のお顔を思い浮かべ遠方から声援を送っていました。また、ブログをご覧の市民の皆さまにもお変わりはございませんか?昨年末に記事を中止してからずいぶん多くの出来事があり、本当に何から始めてよいやらわかりませんが、ざっと振り返ります。

 市長選挙で越前市長の後継者が敗れ、佐藤健司氏が当選されました。市民の皆さまが正しい選択をされた結果だと私は思います。越氏は、自分が後継者を応援していることを市民が知らなかったことが敗因だと語りましたがそれは負け惜しみ。もしそうならば票差はもっと開いたでしょう。

 佐藤市長は就任後すみやかに前市政のいびつな過不足の修正に着手され、存続が決まった市民センターはコロナ禍の中でさっそく安心の地域拠点として機能しました。教育委員会との相互不信も解消されたでしょうし、病院、企業局、市場などとの関係も健全化に向かっていると思います。杉江副市長も佐藤市長を支え職員とのパイプ役となって活躍されることと存じます。私の8年の憂いが晴れました。

 さて、このブログは「公」の視点から越市政(私自身が2年にわたり深く関与し責任の一半を負っている越市政)について考えることを目的としており、越氏退陣によって一段落しました。佐藤市長の市政運営について私が論評する資格も筋合いもなく、今後は一人のOBとして大人しく応援させていただきたく思います。
 越市政の継続を阻止するため出馬された佐藤市長ですから、集団の英知を尊重し、目的と手段の双方を大切にし、丁寧な市政運営を進めていかれるものと信じております。
 もう一つ、佐藤市長におかれては、越市政の置き土産、すなわち公文書廃棄や改ざんの数々についても厳正に検証し対応されるであろうと信じます。それは市民に対する大津市の責務であると考えます。

 今後、このブログは継続中の二つの裁判の動向についてご報告します。(近く公判があります。)裁判で真実が明らかとなり正義が回復されたら、私も心置きなくページを閉じることができます。
 ついでながら、越氏の新聞連載記事(ガラスの天井への挑戦記)は、ご本人の意図とは別に、個人の動機と公務の公正性をめぐるケーススタディとなっており、日を改めて一言述べたいと思います。
 メディアにとって越氏は依然として「利用価値」があるとしても、相対化の視点を欠いたまま、この手の私的な物語を連載することの妥当性に疑問を感じます。そういえば滋賀の暮らしを始めた「エッセイスト」の日記風地域紹介も同類で、滋賀版であることを差し引いても紙面がもったいない。朝日新聞大津総局の紙面づくりのセンスは疑問です。

 これからポツポツと書く記事の同伴者は、昨年の「動物シリーズ」の撮影者である友人の写真で今度は「葉ものシリーズ」です。存在の尊さによる生物ランキングでは、食物連鎖と逆に、植物、動物、人類となるというのが私見です。しかも2位と3位の差が大きい。海、陸、大気と、地球環境を乱されても植物、動物は受忍するのみです。しかし、異常気象やコロナウイルスの形で私たちも罰を受け始めているのかもしれません。
 これは何かの葉ですが、友人の教えをまって名前を添えたいと思います。
 (→たぶん「クワズイモ」だが大きな声で言わない方がいいかも、とメールにありました)