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2021/03/26

139)記憶にございません

  お父さん、大丈夫?ほんとに全部わすれちゃったの?

 心配ないよ。記憶はね、頭の引き出しにしまう、何年も残しておく、必要な時に引き出しから取り出すの3段階からなるんだ。どれか一つでも調子が悪いと人間は物を覚えられない。むしろ忘れることの方が多いんだ。ひとつ聞くがスネオは先週金曜の給食、何を食べたか覚えてるかい?

 給食のメニューと会食は別でしょ。大切なことは覚えているのが普通じゃない?だいたいお父さんはいつも遅くまで飲み歩いて車で帰ってくるじゃないか。

 野党のようなことを言うねおまえは。お父さんぐらいになると会食も給食も似たようなもんだ。毎日あるしタダみたいなもんだし。だから忘れたって全然フツーだよ。

 でも思い出さなくていいの?何回も聞かれてるのに同じ答えばっかりしてさ。給食なら献立表があるしお父さんには黒い手帳があるじゃない。運転手さんに聞いたらわかるかもしれないよ。

 子どもは余計な心配をしなくていい。スネオは自分のことだけ考えればいいけどお父さんは国民ぜんぶのことを考えてる。省の仲間はみんなそうだ。そのためにみんな助けっこしてるんだ。クラスでも助け合いなさいって先生が言うだろ。

 先生は何でも正直に話しなさいって言うよ。みんながかばい合ってウソをついたら正しい人がワルモノになる。このクラスでそんなことはさせないって前もすごく怒ってたよ。

 あの若い先生だな。元気はいいが経験がない。まったく若気の至りというやつは。いずれ思い知るがいい。なに独り言だ。いいか。「廊下を走らない」というルール、「友達のものを取っちゃいけない」というルール、どっちが大切かわかるな?大人の世界も一緒なんだ。大きな物事のために小さなルールを破ることもある。お父さんが守ろうとしてるのは総務省だ。それが政府のため、国民のためなんだ。おまえも大きくなったらこの苦労がわかる。

 お父さん!まさかして総務省を守るためにウソついてるの?

 もしかして、だ。そんなことより塾はどうした?

 ビネツがあるんだ、37度シー。コロナ疑いで今日はお休み。お父さんのうわさをする子もいるし。

 7度は微熱じゃない。噂をする奴にはかまうな。だいたいスネオは自分に甘すぎる。そんなことでは開成は無理だ。正月にお父さんと約束したろう。あのときおまえはなんと言った。東大に入ってお父さんの後輩になりたいと言ったな?そのためには塾を休まない、友達と遊ばない、一日5時間勉強する。よく言った、けっこうけっこう。それからなんだ。大好きなゲームについても何か言ったな。お父さんは思わず涙がこぼれた。さあ、ゲームは一日何分までだった?どうだ、おまえの約束を言ってみろ。

 じゃあ僕も言おうっと。なにを言ったか記憶にございません。(おあとがよろしいようで)

 国会で連発される「記憶にございません」。動機、物証、目撃者があってアリバイがなくても平然と、あるいは愚直に繰り返されるこのセリフ。口にするヤカラが必死に守ろうとしているのが国民の利益ではないことは明らかです。しかし厄介なことに発された言葉はその場をひとまず充填し、メディアにのって社会に流通します。かくして見かけの上では国会の論議が「成立」し、わきおこる批判や疑問の声をよそに政権は維持されています。

 もちろん与野党の勢力差が背景にありますが、このように政治でもっとも大切であるべき議論の空洞化を招いているのは、実はその場に行きかう言葉の劣化ではないでしょうか。政治家や官僚は自らのよって立つ言葉に信をおかず、内実を伴わない言葉を意図的に、あるいは無自覚に使用しています。それがまかり通るわけですから、私たち有権者の言葉に対する感受性にも問題は及びます。

 言葉が流通する公共財である以上インフレ、デフレがあり、悪貨が良貨を駆逐することもあります。また、言葉と個人と社会は三位一体ですから、言葉の変質は個人、社会の変化の結果であり原因でもあるでしょう。ならば今日の社会状況のなかで私たち自身が語る言葉は、はたして大丈夫でしょうか。「記憶にございません」という誠に腹立たしい言葉。しかしこの言葉を、遠く、薄く、広く支えているのは私たちに他ならないのではないか。言葉の地殻変動が起きつつあるのではないかと思わせる昨今の情勢です。








 

2021/03/20

138)住友活機園

 紫式部が源氏物語の想を練ったと伝えられる石山寺に連なる木立の中に住友活機園はあります。洋館、和館、庭園からなる見事な邸宅は明治後期の代表的建築として重要文化財に指定され、今も住友林業により大切に守られています。大津市の数あるお宝の一つ、一般公開されていますからご覧でない方はぜひお運びいただきたいと存じます。

 かつてここに住まいしたのは近江八幡出身の実業家、住友第2代総理事の伊庭貞剛。別子銅山の煙害解決のため社運をかけて精錬所を無人島に移したり、「別子全山を元の青々とした姿にしてこれを大自然に返さなければならない」と採掘跡地の100万本植樹に取り組み、日本初の公害とされる足尾鉱毒事件を告発した田中正造をして「別子銅山はわが国銅山の見本である」と言わしめた人物です。

 また銀行を設立したり住友のお家騒動を収めるなど大きな仕事をなしたあと58才で後進に道を譲り、ここで余生を送りました。「活機」とは俗世を離れながら人情の機微に通じるの意だとか。この傑出した実業家には「事業の進歩発展に最も害するものは青年の過失ではなくして老人の跋扈である」との名言があります。「事業」は「社会」「国家」にも通じるでしょう。今の世に跋扈する老人の顔、顔、顔が浮かびます。

 この言葉は、伊庭正剛が「実業の日本」誌に寄せた一文「少壮と老成」の中にあります。いわく、老人の力の源泉は経験である。老人は経験という刃物を振り回して青年をおどしつける。しかし戦時の経験と平和時の経験はまったく別だし、時勢は日ごとに進歩、よろず新陳代謝の世の中である。一方、これから経験を積んでいこうとする青年が頼みとするのは敢為の気力である。困難や多少の危険があってもぶち当たって実験してみなければならない青年には、挑戦する気力こそ必要である。

 老人の保守と青年の進取はとかく相容れないものだが、両者が衝突してはどんな事業も発展するものではない。その調和を図るために老人は若者の邪魔をしてはならない。老人は注意役、青年は実行役と心得るべきである。また、青年は成功を急いではならない。頭ばかり先へ出ようとすると足元が浮く。あるひとつの目的を確固と握って、一代で叶わなければ二代、三代でもかけて成し遂げる決心をせよ。

 ここから私見ですが、経験には大まかに言って「人間関係や状況に関する体験の集積」と「知識や技能の蓄積・習熟」の要素からなり、両者が一体となって時の流れと共に人に古酒の熟成をもたらします。伊庭貞剛はこうした経験の価値を十分に認めたうえでそれを自らの認識において相対化すること、進歩の早い社会情勢を考慮することが肝要だと指摘します。

 その後も社会変化のスピードは増すばかり。情報通信技術(ICT)が世の中を動かす今日では経験の価値が大幅に目減りしています。特に2つ目の要素の外部化が進んでむしろ若い人の方が有利な場合が多いくらい。これを進歩と呼ぶべきでしょうが、一方で脳の機能の外部化による弊害も懸念されます(これについては改めて書きます)。

 老人の跋扈はダメ、青年の闊歩はよし。私は伊庭貞剛の言に深く賛同するものですが、何事にも例外はあります。浅はかな考えに基づく愚かな行為、人を踏みつけにする利己的な行為、バレなければ何でもありの不法行為については、たとえ行為者が青年だからといって決して許されるものではありません。私はつい大津市前市長を想起するのですが、ブログの現行方針に反しますのでこのあたりで終わります。それにしても昔の人は偉かった!





 

2021/03/14

137)10年前のこと

  東日本大震災の際、大津市は全国の自治体と同じように各部局の職員を被災地に派遣して復旧支援にあたりました。当時私は健康保険部長として保健師チームの派遣に携わりましたが、10年の節目に思い出すことを記します。当時も今も感じることは、国民の生命・安全にかかわる情報(特に原発関連情報)をもれなく収集、分析し、広く国民に伝えようとする政府の意思の希薄さです。

 震災まもなく、大津市は厚労省保健指導室から福島に保健師を派遣するよう要請されました。爆発した第一原発から30キロ圏内の被災者は自衛隊が救護する。保健師は30キロ圏外で被災者の健康管理活動を行ってほしいというものでした。しかし、放射性物質は風の向くままに拡散しますからこの線引きは単なる目安に過ぎません。そこを国はどう考えているのか。

 私は厚労省保健指導室長に対し、ホットスポットの有無を含めその時点で分かっている情報を提供するよう求め、汚染状況を正しく知ることが被災者および支援者の健康管理に不可欠であると訴えました。いくら待てども返事なし。代わりに行き先を石巻市に変えて派遣要請があり大津市はこれを受諾、一方で滋賀県保健所チームは当初の予定どおり福島県入りすることとなりました。

 ついで私は、京大原子炉実験所のK先生に保健師派遣にあたっての留意事項をメールでお尋ねしました。国は「ただちに健康への影響はないと考えられる」というコメントを繰り返し、引き合いに出すのは宇宙から降り注ぐ放射線の年間量やレントゲン検査の被ばく量。私はもっと過酷な現実に即した情報を求めていました。実験所の研究者グループはすでに現地調査を始め、その経過をネット配信していたのです。

 返信メールでK先生は国際放射線防護委員会のリスク推定を厳しく評価されたうえ、自身は米国の研究者J.W.Gofmanの評価が妥当だと考えるとして被災地における健康上のリスクをご説明くださいました。そして重要な支援活動を行うにあたり、可能ならば年配の職員から順に現地入りすることが適切であるとのご意見。放射線の感受性は年齢と共に大きく低下するとの理由からでした。

 こうした中、大津市保健所は保健師2名・事務職2名のユニットを編成して1回6日間(車で移動1日、現地支援3日、後続チームへの引継ぎ1日、戻り1日)の活動を行うことを決定し、震災6日目の3月17日に1次隊が出発しました。保健師のうち管理職の人々が先陣を切ってくれたので私が年齢順を唱える場面はありませんでした。出発日の早朝、佐藤副市長に続いて私もご挨拶しましたが、ヘルメット姿で並んだ4人のお顔をみて胸が詰まりました。当時は汚染情報が不足していたことに加えて余震が頻発、道路は渋滞。被災地の方々には本当に申し訳ないのですが、私は仲間を戦場に送り出すような心持ちでした。京大原子炉実験所のチームが30キロ圏外にある飯館村の高濃度汚染を確認したのが3月28日、政府発表はずっと後であったと記憶します。

 これを皮切りに保健師チームが次々に出発、他部局の応援も得てのべ百数十名が石巻市で活動しました(結果的にはすべての保健師が複数回現地入り)。私は5月中旬に派遣されたチームに加わりましたが、そのころには復旧した新幹線を利用し仙台で車に乗り換える方式になっていました。活動の内容は当初の避難所回りからスタートして被災した親せきや知人を受け入れている一般住宅、自宅にもどり浸水を免れた2階で生活を始めた世帯、仮設住宅に入居した世帯へと広がっていきました。自治体職員はみな所属する自治体名が書かれたゼッケン(ビブス)を着けていましたが、大津市などの応援組は住民の方々から感謝の言葉をいただく一方、同じように活動する疲労困憊の石巻市職員に手厳しい言葉が浴びせらることがあり、私は同じ公務員として複雑な思いにとらわれました。

 その後厚労省から派遣延長の要請があった時、私は再度問い合わせのメールをしました。震災後3か月が経過したなかで恒常的な人員不足に悩む自治体が、国家的要請である被災地支援と自らの本来業務のどちらを優先するかという厳しい選択を行うにあたり、国の延長要請はあまりに無機的で紋切り型、説明不足、熱量不足でありました。これが未曽有の災害に向き合う国の保健部局の態度か。派遣の終了と継続のはざまで悩む自治体の背中を押すような発信を国はすべきであると私は考えており、そのことを伝えようとしたのです。

 いまは昔話です。他の多くの自治体と同じように大津市の保健師チームの派遣は6月末で終了しました。もちろん厚労省からの返事はありませんでした。私は国に過大な期待をしていたのかも知れません。10年前、大震災に遭遇して国も地方も力を尽くしたはずですが反省点はいくらもあります。大津市は石巻市をいつまでお手伝いすべきであったか(他部局はまた別の都市の支援を行っていました)。それに伴う大津市民へのサービス低下はどこまで許されるのか。職員派遣の後にはどのような支援策が可能か。いまもって未解決の課題です。

国の仕事ぶりはどうであったか。特に原発関係において意図的な情報統制が行われていた(今も行われている)と感じます。知らせるべからず依らしむべしの「親心」なのでしょうか。「権力」と「隠ぺい」の親和性の強さは本質的なものであると思います。そして私が関わった厚労省保健指導室に関して言えば、全体を掌握し保健支援の今後の大きな方向性を示すという役割を十分に果たし得なかったと思います。これは今のコロナ対応に直結する問題でもあります。

(10年前、献身的に活動された大津市保健所および各部局の職員の方々に改めて敬意を表します。帰路で追突事故にあったチームもありました。公務の原点のような仕事であったと思います。そして現在のコロナ。兼務辞令をうけ掛け持ちで働いている人も多いでしょう。どうか健康にご留意いただき精励してくださいますよう!)



                              おきなぐさ

2021/03/07

136)野の言葉

 前々回(No134)、「公共の敵が公共であるとき」という言葉をご紹介しました。引用元のブログ「あざみ日和」によると、韓国の作家、パク・ミンギュがセウォル号の沈没は事故であると同時に国家が国民を救助しなかった「事件」でもあるとしてこう語ったのだといいます。なるほどそうだったか。それが発せられた文脈や背景を超えて訴求力を持つところに言葉の妙味があると感じます。

 語られた言葉は公憤の表明ですが、それを紹介した「あざみ日和」も公憤のブログであると私は考えています。書き手は女性史の在野の研究者で長年にわたり農村の女性の聞き書きや図書館活動を行ってきた人。「在野」とは文字の通りですが、世の権威や権力から距離をおいて市民の日常の場から発する言葉には力があります。「野の言葉」です。

 ~「ガラスの天井」には昔から有名無名多数の人々(フェミニズムを唱える人もそうでない人も)が「挑戦」し、タンカーのごとく容易に動かぬ世の中を少しずつ引っ張ってきた歴史があります~。コ氏のパフォーマンスをめぐりこのように書きましたが(No129)、「引っ張ってきた一人」としてこの人が念頭にありました。「野」については改めて考えていきたいと思います。