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2021/11/24

161)選択のゆくえ

  少なくとも週に1回の投稿と決めて再開したブログですが、元からの遅筆にくわえて机に向かわぬ日々が続いてあっという間に1か月、たいへんなご無沙汰となりました。この間に行われた衆院選の感想をつづります。この選挙で、なんと「民意」は現状維持を求めました。この結果に対する失望と無力感は日ごとに増すばかりです。

 野党共闘が進んで「政権選択選挙」と位置づけられた今回の選挙において真に問われたのは「政治のあり方」であったはず。徹底した情報公開と活発な議論にもとづく政治が行われているか、そもそも政府は民主主義を重んじているか、それを評価するための選挙であったことは、ここ数年の政権運営の状況からみて理の当然です。

 たとえば安倍政権は、戦後長きにわたって紆余曲折を経つつも維持されてきた集団的自衛権をまるで夜盗のごとく骨抜きにし、菅政権は日本学術会議の会員の任命を拒否して理由も明かさず、両政権とも野党の国会開会要求を無視し続けるという憲法違反を犯しています。もっとも開催されても既に国会は言論の場ではなく「行政独裁制」が続いています。これらは本来なら政権が「ひっくり返るべき」事態です。

 さらに森友学園、加計学園、桜を見る会(と言い飽きましたが)等に露骨に示された政治の私物化も同様に政権の腐敗であり「公」の危機です。こうした体質の安倍・菅政権はコロナ対応でも客観的思考の欠如、判断の遅れ、対応の誤りによって国民に大きな犠牲を強いました。さあどうしてくれる。これを問うのが今回の選挙でした。しかし「民意」はこれを問うことを放棄したかに見えます。

 そして勢力を伸ばしたのが維新、公明、国民民主などの自民補完勢力で、改憲が現実味を帯びてきました。まことに理念なき現状維持。戦争の記憶とも憲法の哲理とも遠く隔たって私たちの社会はなしくずしに漂流を始めつつある気さえします。戦後の経済復興を謳歌した時代に「もはや戦後ではない」という自己認識が社会を覆いました。この認識は多少なりとも戦争体験を基軸にしています。しかし今は、戦争は「なかったも同然」であり、これはとても危険な兆候です。戦争と一対となっている憲法がこれほど軽んじられるのも故なしとしません。

 「しょんべかけられて、おおきにぬくおす、とは言うてられへんわな!」

 人から小便をかけられて「ありがとう、温かいです」などと言ってられるか!てやんでえ、、、これは私が40数年前に生活保護ケースワーカーであった時の上司、反骨精神とユーモアにあふれたT係長の名言の一つです。ついでながら当時の査察指導員は正義と律儀が服を着たようなN主任。お二人を中心とする保護係の議論はつねに熱く、毎週のケース会議がスリリングであったことを覚えています。

 昔話はさておき、今回の選挙において、主権者たる国民は、自分自身および民主主義の原理をかくも軽んじている政府に対し「おおきにぬくおす」と礼を言ったのだと私は思います。自民がどうの立憲、共産がどうのという以前の話です。私たちはこの選挙結果、より正確には民意というものについて検証しなければならないと考えます。

 その一方、悲観する必要はないと自らに言い聞かせています。11月6、7日に行われた朝日新聞の世論調査では、自民党が過半数を大きく超える議席を超えたことをよしとする人が実に47%に上りますが、積極的か消極的かを別として残りの人は「よしとしない」と考えていることになります。民意の振り子は逆にも振れるでしょうし、世の中にはT係長のような人もたくさんいます。

 私がよく知らないだけで若い人々のうちに新しい可能性も育まれているはずです。そのあとを追って日々、新しい命もこの世に登場してきます。なにより希望を失わないこと、考えること、人と語ること、日々の暮らしをたゆまず重ねること。身辺の些事にかかることですが個人としてまずそのように思います。寒くなってきましたが皆さまにはどうかご自愛のほどを! 






  

 

 

  

2021/10/23

160)労連ニュース

 大津市労連の発行する「労連ニュース」(10月14日付)を読みました。大津市の公文書疑惑をめぐる国家賠償請求訴訟の公判を報じています。そこから市職員の方々が公務の在り方について鋭く深く自問しておられることが伺え、不肖のOBとしても一言書かずにはいられなくなりました。そう思い立ってからあっという間に半月が過ぎてしまいましたけれど。

 職員諸氏は、越直美前市長のもとで行われた公文書の隠ぺい・改ざん・廃棄の真相を究明することにより、いったん損なわれた市民の信頼と自らの公務に対する誇りを回復したいと願っています。なぜならそれが公務員として当然の心情でありますし、公判には毎回少なからぬ現役・OB職員が傍聴席で耳を傾けてこられたという事実がその証拠である、私はそのように考えています。

 そして10月7日、衆人環視のなか前市長越直美氏が出廷して証言台に立ちました。その証言について労連ニュースは詳細に報じています。書き手の義憤が伝わってくる数か所を紹介します。

「公文書を隠ぺい?・・(中略)・・当初、市は、『存否について答えることができない』と主張していましたが、審査会には『公文書は存在しない』、続いて『作成したが1年の保存期間後に廃棄した』と答えました。そのような市の態度に対し、審査会は2019年6月の答申で『審理を徒に遅延させることになったことは否めず、遺憾』と述べています。これらの経過について、越氏は、審査会や訴訟への対応は『人事課に任せていた』、それらについての相談や協議についても『なかったと思う』、人事課からは最高裁判決の説明も『なかったと思う』、その後の対応も『人事課に任せていた』・・(中略)・・と証言しています。」

「公文書の廃棄を指示?・・昨年7月、前市長は廃棄された公文書のコピーを個人ファイルに保管していて、最高裁での市の敗訴後、そのファイルの廃棄を秘書課の職員に指示していたことがわかりました。越氏は、個人ファイルは『職員が持参した資料や秘書課に差し入れられた資料で、秘書課の職員がファイリングしていたもの』で、”差し入れられた資料”は重要なものではなく『あまり確認していなかった』とのこと。(中略)問題のファイルの廃棄を指示したことは『覚えていない』、問題の資料が含まれていたことは『認識していない』、隠ぺい目的で廃棄を指示したのでは?との問いには『そのような事実はありません』との証言でした。」

「感想『そんなはずがない、あまりにひどい』・・(中略)・・裁判官が証言をどのように判断するのかわかりませんが、『良心に従って真実を述べる』と宣誓した直後の証言とは信じられず、前市長の下で仕事をしてきた私たちには、『そんなはずはない、あまりにひどい』と感じられました。一人の市民である原告とその家族に長期間に多大な困難を押し付けたことへの謝罪の気持ちや、関わってきた多くの職員への誠意や敬意も全く感じられませんでした。」 

 すでに申し上げたとおり私はコ氏について論評をする気はもはや全くありません。法廷で問われていることの真相はこのブログ(記事85以降)で詳細に説明ずみで付け足す何物もありません。労連ニュースでは、コ氏が「良心に従って真実を述べる」と宣誓したあとに繰り広げた「知らない・指示していない・覚えていない」の「3ない作戦」を手厳しく批判しました。もっともな話です。

 どうしてこれが偽証罪に問われないのか。それは、証言は「証人の主観的事実」を述べることで良しとするという暗黙の前提があるためであると私は思うのです。裁判所は証人の「記憶違い」や「忘却」まで責めることはない。これら証言は物証という「客観的事実」と合わせて比較考量され、最後に総合的な見地から判決が導かれるのであろうというのが私の素朴な考えです。

 もしその通りなら、証人が自分の証言を「信じ込んだふり」をすれば、それが法廷で通用することになります。かといって拷問して自白させるわけにもいかない。なんとも歯がゆい話ですが、私の証言とコ氏および元人事課長の証言が相反するのはこうした事情によります。「良心に従って真実を述べる」と宣誓させたところで良心のない人間には何の足かせにもなりません。おっと、この辺で止めておきます。「労連ニュース」の後半は、公務員が全体の奉仕者であると憲法および地方公務員法で規定されていることを指摘した上、次のように続けています。

「たとえ市長の指示であっても、私たち職員は『全体』への奉仕になるのか『一部』にしか奉仕しないことになるのか、指示が『公共の利益』のためになるのか、見極めなくてはなりません。また、地公法第32条には『職員は(法令等に従い)かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。』とあります。上司の命令に対しても、法令に照らして『できないことはできない』と言わなければならない時があるのは当然です。」

 よく言った!それが公務員だ!赤木氏を追い詰めた財務省は大津市労連ニュースを読め!偉そうな言い方ですみません。しかし、これが公務に携わる者の矜持だと思うのです。このニュースを読めたのは近来になく嬉しいことでした。労連ニュースの末尾をご紹介して記事を終わります。

「先の証人尋問で元人事課長は『市長からの指示はなかった』と言い、前市長も『人事課に任せていた』とのことで二人の証言に食い違いはありません。前市長は『忖度』したであろう職員さえ守ろうとしませんでした。長への『忖度』は国でも問題になりました。大津市でもこの件を特異な2人の例と捉えるのではなく、どうやって『全体の奉仕者として公共の利益のために勤務』することを実践していくのか、職員一人一人が考えていく必要があります。」













いま大切なことは、大津市の公文書の隠ぺい・改ざん・廃棄 

2021/10/12

159)たとえば「愛国心」について

  高校新教科「公共」に関連してもう少し書きます。為政者が「愛国心」の涵養、発露を国民に求めるのは、それが人権主張のブレーキになると期待してのことでしょう。何といってもその方が政府に好都合ですから。したがって教科書に載せる近現代史の「史実」は入念に取捨選択されており、教育現場への「指導」も行き届いているはず。しかし、それにも関わらず若い人々が真に「愛国的」な物の見方を獲得した時、その政権こそが「非愛国的である」という認識に到達する場合もあるだろうと私は想像します。それが授業の可能性でしょうし、本来知識とはそのようなものであるはずです。

 そもそも「国」とは何でしょうか。一般的な定義はさておき一人ひとりの国民が愛(もしくは憎)の情念を抱きうる対象としての国とはどのようなものか。それは「ひとりの人間」に近い存在であるように私には感知されます。その「ひと」はどのような思想を持ち、いかに生きていくのか。はたして弱いものを助けるか、仲間を大事にするか、よその人とも仲良くするか、力を恃んで人を脅すことはないか。こうして見ると、日本という国にとって憲法の存在が限りなく重要であることに気づかされますし、それが私にとって「愛国」の大きな理由でもあります。そんな私には、改憲を主張する人々が愛国を説くことが論理矛盾の見本のように思われます。

 また別に私の生活実感に即して「国」を定義するなら、それは「日本語で満たされ、その状態が継続している空間」ということになります。サンマを値切るのも日本語、愛を語るのも日本語、芭蕉も漱石も日本語、私が手探りで「公共」を考える手立ても日本語です。山紫水明よし、炊き立ての新米の香りもまたよし。しかし、私という卑小な存在が細々と根を下ろして養分を得ている地層は、つまるところ日本語という言葉の堆積ではないか。したがって私にとっての「国」の実体は、「日本語で満たされた空間」であるとしか言いようがないのです。これもナショナリズムの一形態ですから更に大きな視点からは一つの「腐れ縁」だということになるのかも知れませんが。

 日本はかつて韓国を植民地化して言葉を奪いました。その非道を改めて思います。しかもこの「国」は、自国民および他国民に対する戦争責任をあいまいにしたまま朝鮮戦争特需を皮切りとして経済繁栄の道を歩みました。それが朝鮮半島の人々の「愛国心」に火をつけるのは自然の理です。どうして「愛国的な」日本の政治家はこの歴史的事実に鈍感なのか。そのような人々には愛国を語る資格はないと思うのです。まずは国民に愛国を求める日本の政治家自身の「愛国」の論理をとくと聞いてみたい。それに比べて国民の「愛国」は、もう少し上等なのではないかと想像するものです。









2021/10/03

158)「学ぶ力」によって

 あらためて新科目「公共」の成立過程を振り返ります。前回お伝えしたとおり2006年の教育基本法「改正」で、「公共」、「道徳」、「家庭」、「愛国」といったキーワードが表に出てきました。ついで2010年の参院選において自民党は、「道徳教育や市民教育、消費者教育等の推進を図るため新科目『公共』を設置する」という公約を掲げました。2012年の衆院選でも、「規範意識や社会のルール、マナーなどを学ぶ道徳教育や消費者教育等の推進を図るため、高校において新科目『公共』」を設置する」ことを公約しました。

 さらに2013年、自民党文部科学部会の「高校新科目『公共』に関するプロジェクトチーム」が、新科目「公共」の設置を文科大臣(下村博文氏)に提出。こうした流れを受け2015年に中央教育審議会が「論点整理」を行い、ついに「公共」が高校公民科の共通必修科目として設置する方針が明確化されました。それは「主体的な社会参画に必要な力を、人間としての在り方、生き方の考察と関わらせながら実践的に育む科目」とされ、「社会的・職業的な自立に必要な力をはぐくむキャリア教育の中核となる時間として位置づけることを検討する」とされました。

 これを受けて中教審教育課程部会の「社会・地理歴史・公民ワーキンググループ」が具体的検討に着手、その検討結果が2016年の中教審答申に取りまとめられ、高校現場のカリキュラムや授業内容を規定する学習指導要領が作られることとなりました。この経過から明らかなように、新科目「公共」は政治家の敷いた路線にそって設置され形作られてきたことがわかります。それを牽引したのは「大日本帝国」にノスタルジーをいだく自民党の政治家たち、中でも教育勅語の実質的復権を目論む安倍晋三氏であったと私は思います。

 しかし、こうした時代錯誤の連中の思惑はさておいて、「公共」の学習内容はなかなか面白そうなのです。概要は以下の通りです。

 A 公共の扉

 (1)公共的な空間を作る私たち

 (2)公共的な空間における人間としての在り方生き方

 (3)公共的な空間における基本的原理

 B 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち

 C 持続可能な社会づくりの主体となる私たち

 A「公共の扉」では、個人の尊厳と自主・自立、幸福、正義、公正、権利と義務、法の支配、民主主義などの概念を学ぶことになっており、ベンサム、J.S.ミル、カント、フロム、ロールズ、ホッブズ、ロック、アリストテレスなどが出てくるようです。

 Bでは政治参加、世論の形成、消費者の権利と役割、国家主権と領土、安全保障と防衛、国際社会における日本の役割、職業選択、雇用、市場経済の機能と限界、グローバル化と相互依存の深まりなどを学習。

 Cは「公共」全体のまとめと位置付けられ、A、Bを踏まえて生徒自身が課題を見つけ、調べ、討議し、自身の考えを論述する(レポート作成、クラスでのプレゼンテーションなど)時間とされています。

 たとえばこの十年、慰安婦や領土問題に関して教科書の記述はずいぶん変わってきたことでしょうし、基礎的な知識の刷り込みは生徒の思考を左右すると思います。その一方、授業は生徒の考える力をはぐくむ場でもありますから、そうした目で「公共」の教科内容を眺めると、来年度の導入以降、各地の高校の教室で政治家の目論見を軽々とこえるシーンが出現することもあるのではないかと私は想像します。この問題は継続してみていきたいと思います。





2021/09/26

157)教育基本法の「改正」

  われらは、さきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。ここに日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して新しい日本の教育の基本を確定するため、この法律を制定する。

 これは1947年に制定された「旧」教育基本法の前文ですが、敗戦の焼け野原を踏みしめて立ち、明日を見つめる熱気のようなものが感じられます。軍国主義教育への反省から生まれたこの法律は権力が教育をゆがめ得ることに自覚的であり、国家の責務を規定することに重点が置かれていました。例えば第10条(教育行政)。教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。第10条2。教育行政はこの自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 こうした国家の責務は、安倍政権による2006年の教育基本法「改正」により大きく後退し、それを補うように「家庭教育」や「学校、家庭、地域住民の連携協力」の条項が新設されました。これは「自助、共助、公助」の人材育成を目ざすものと言っていいでしょう。そして、第2条(教育の目標)で、「道徳心」、「愛国心」、「公共の精神」という文言が出てきます。これらの言葉はプラスの価値を有し、当然ながら前後の文脈にほころびはありませんが、これが教育基本法の規定であることに留意しなければならないと考えます。

 もちろん家庭教育は重要であり子に対する親の責任は重大です。しかし、そもそも教育は現行世代が次世代の成長を支える「世代間支援」の営みでもあり、その端的な事例が奨学金制度であると思います。貧富の格差が拡大する中、この「法改正」によって親の「第一義的責任」だけが強調されて国や自治体の責任はどこかに隠れてしまいました。不思議なことに政府の好きな「自己責任」という言葉を支持する人々が少なくありません。そういう人々はもう少し自分の頭でものを考えた方がいいと私は思っています。

 「道徳」、「愛国」、「公共」。誰がそれを唱えるかという点が何より重要ですが、これらはおいおい考えてまいります。



2021/09/20

156)公共の授業

 来年度から高校で新科目「公共」の授業が始まると知りました。教科書は読んでいませんがざっと調べた限りでは「自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち」や「持続可能な社会づくりの主体となる私たち」のあるべき姿を模索すること、その過程において「答えを教えることから問いを探させること」にシフトすると説明されています。

 公共の新しい姿を追求することが社会的課題であると考える私はこれを歓迎すべきか、はたまた憂うべきなのか、にわかに判断がつきません。新教科の導入を決めた政府の意図は、「自己責任」の十字架を背負う国民の育成であることに間違いありませんが、その意図に反し、教室においては若者の思索の機会になる可能性もなしとしません。公共の教科書ではナチズムと対峙したハンナ・アーレントや天皇制を深く考察した丸山真男も紹介されるのです(学習指導要領は彼らをどのように「料理」するのでしょうか?)。

 素人考えですが、教育は教育者の意図と生徒の意思が必ずしも一致しない領域に可能性があるのかもしれません(先生方、どうもすみません)。この問題を正面から論ずる力は私にありませんが、何度かに分けて感想めいたことを書きたいと思います。ことの発端は2006年の教育基本法「改正」です。安倍政治の負の遺産は「戦争OKの憲法解釈」や「税金垂れ流しのオリンピック」ばかりではありません。自民党の議員諸氏はこれをどう見るのか。総裁選で政権与党の自浄機能が多少なりとも働くことを期待するものです。

 ところで大津保健所でコロナが発生したとか、佐藤市長から市民に向け丁寧なご説明がありました。職員のみなさんは臍を噛む思いでしょう。しかし現場の最前線にリスクはついてまわります。どうか萎縮することなくこれまで通り業務を継続してくださいますようお願い申し上げます。本日はこれにて失礼いたします。



                    夏の花が終わろうとしています

2021/09/12

155)誰かおらぬか

 滋賀版は低品質、全国版は煮え切らない良識路線、中でも昨今の天声人語はあまりに凡庸などと悪態をつきながら朝日新聞を読み続けてきた私ですが、9月12日の朝刊の「朝日歌壇」に掲載された短歌を目にして一言書きたくなりました。選者は高野公彦氏、作者は戸沢大二郎さんという方。

 その一首。「英雄を欲する時代(とき)は危うしと言えど何処かに誰かおらぬか」

 とりわけ東日本大震災が起きてからというもの、それまで以上に明るい未来を想像しにくくなった私たちの社会は昨年来の疫病流行にあえいでおり、政治の貧困が浮き彫りになっています。そのさなかの自民党総裁選です。まことに「誰かおらぬか」。公共について書くつもりがつい脱線しました。




2021/09/11

154)手段と目的

  自民党総裁選に出馬する者にとって勝つことがすべてだということは理解できます。自分の理想を実現するためには総裁になり首相にならなければ何もならない。そのためになりふり構わず票の獲得に動くのは「手段」、その先にある至高の「目的」が当選というわけです。しかし、果たして目的のために手段は正当化されるのか、手段が目的を規定することはないのか?

 最近の河野氏、岸田氏らの言動を見て、資質・志ともに史上最低であった大津市前市長の市政運営について以前このブログで取り上げたことを思い出しました。手段は目的に奉仕するがその目的はより高次の目的の手段となる、手段と目的はマトリョーシカのように順次包摂されていく、と書いた記憶があります。

 原発の廃止や政権中枢の腐敗解明が国益につながるという信念がもし候補者にあるなら、「今は封印するが当選のあかつきに堂々と表舞台に出す」などと考えるのは夢想であり自己欺瞞です。河野氏は安倍氏に「ご懸念には及びません」と言ったとか。両人とも恥ずかしい。こうした人々が政治の中心にいることを情けなく思います。

 うそも方便。勝てば官軍(ふるくさい言い回しですが)。自民党がそう考えても国民はそれを許さない。目的も大事、手段も大事、それが政治だと声高に要求する。こう期待するのも夢想でしょうか。つぎは少しまともなテーマ(公共の教科書)について書きます。





2021/09/06

153)池のかわず

 1年前にトノサマを襲名した一匹のカエル、本名はスガエル。目に光なく皮膚に張りなし、もっと鳴けと突っつかれてもカエルの面に水とばかりに知らぬ顔。池をゆるがす流行りやまいに際しては、それを収めるどころか「遊泳促進」「池間交流」と逆さまの号令を連発して病蛙が激増、治療院はふらふら。

 さすがに疑問の声がふくらんでその座を追われそうになったとたん、表情とぼしい仮面をかなぐり捨てて一つ大きくカエル跳び。裏ボスの首をちょん切り、子分をおどしつけ、池役員の総替えを宣言するなどミチガエルばかりの果敢なふるまい。けれども近く行われる水抜きに備えて隠れ場さがしに余念のない仲間の総スカンをくって、ついに自分から錦の座布団を下りることとなりましたとさ。

 今回もまたコロナと向き合い緊張つづきの現場の皆さまから遠く離れた笑い話で相済みません。しかし私はあまりに内向きで利己的な自民党(「責任政党」の自称の前に「無」の一文字をつけたい)の現状に怒りを通り越してしまいました。

 いま行うべきは、遅まきながらコロナ禍における私権の制限と社会の安全に関する真摯な議論と具体策の検討であり、そのため国会での議論が欠かせません。野党議員が議員総数の4分の1以上の名を連ねて臨時国会開会要求書を出したのが昨年7月のこと、時の安倍首相は憲法53条に反してこれを無視しましたが、菅首相も違憲路線を踏襲して今も国会を開こうとしていません(政権投げ出しも踏襲しました)。

 森友、加計、桜を見る会、公文書廃棄など由々しき問題も手つかずで残されたままです。さらには学術会議の任命拒否の理由や河合杏里氏への法外な支援金の出どころ等々。野党の力不足を指摘する声もありますが、まずはカネまみれ、利権まみれの自民党が自らのウミを出し切る努力をすべきだと思います。

 それにしても権力は、それを持つ者にとってこれほど蠱惑的なものはなさそうです。官房機密費しかり、政党交付金しかり、サラリーマンが一生かけて稼ぐほどの金(税金)を週単位、月単位でじゃんじゃん使って領収証1枚、メモの1行もいらないなんて私利私欲のある人間は三日やったら辞められないはず、官僚の忖度や業界の低頭もさぞ快いことでしょう。この醍醐味が自民党はじめ政治家の権力闘争の大きなエネルギー源となっているに違いありません。

 マイクを向けられ「菅さんは携帯料金を下げてくれたからよかった」と答える若い人をテレビで見ました。いやはや! 若い世代は変化をきらい現状維持をのぞむゆえに自民党に投票するのだと聞いたことがあります。この見方の是非は別として今の政治状況においては「現状維持」は無理です。「さらなる悪化」しかありえません。

 コロナは抑えられるか、公と私の折り合いをどうつけるか、明日の暮らしは大丈夫か、当選後も市民の声に耳を傾けるか。来るべき選挙ではこうした観点から政治家の言葉を吟味しようではありませんか。そして棄権はしないこと。若い人々に向かって以上のように申し上げたいと思います。

     熊蜂(くまばち):名前と姿は強そうですが蜜が好きな温和なハチです。



2021/08/29

152)野戦病院

  コロナ専用の医療施設を新たに設けるべきだという主張(いまさら何だと思いますが)のなかで突然「野戦病院」という言葉が出現し、首相や知事らが一斉に飛びつきました。聞く方も恥ずかしくなる政治家の言葉づかい。この期に及んで彼らはなお「自分が何をなしたか」より「自分がいかに発信したか」という観点から逃れられないようです。こうした軽薄さがコロナ対策の遅れにつながっており、前回とり上げた「コロナに打ち勝った証し」や「安全、安心の大会」も同類であると思います。

 そもそも彼らは「野戦病院」の意味を知っているのでしょうか。辞書では「傷病兵の収容のために戦場の後方に設置された施設で軍医や衛生兵が治療にあたった」というナイチンゲール時代の一般的定義が書かれています。しかし、先の戦争で母国を遠く離れて大陸や南方に戦線を広げた旧日本軍の野戦病院においては、人員、物資の不足が常態化し、銃創、爆傷、熱傷、不安障害、マラリア、低栄養などの傷病兵に十分な治療を行えなかったと言われています。

 特に戦争末期は、ジャングルや山岳地帯の一角を簡単に整地して天幕を張って患者は地面にごろ寝、末期の水さえもらえずに次々と息絶えていったという生存兵の証言が複数あります。こうした悲惨な状況は大岡昇平の小説からも読み取ることができます。すなわち日本における野戦病院の「直近の実例」は、「なすすべなく傷病兵を放置し、救える命を救うことができなかった名ばかりの病院」です。野戦病院は病院ではありませんでした。

 そこで戦後において大規模な災害や事故により病院が機能不全におちいった状態を「野戦病院」と表現する例がありました(これでも十分に不愉快です)。そしていまコロナ禍における「野戦病院」開設の大合唱。菅さん、小池さん、吉村さんらは少し勉強してからものを言うべきです。彼らは事態の緊急性を強調したいのでしょうが、そもそも後手後手の対応でこの状況を招いたのはいったい誰か。こんな時にオリンピック、パラリンピックを強行したのはいったい誰か。二重の意味で腹が立ちます。

 「酸素ステーション」、「入院待機ステーション」、「若年者向け予約なしワクチン接種」などの新たな取り組みもニーズの読み違いや現場管理の不手際から混乱を招いており、野戦病院と同じく「名ばかり」の施策です。貴重な税金と人材を浪費して看板を掲げ「やっている感」を出そうと画策するのはいい加減にやめていただきたい。これも「公」の私物化の一例ではありませんか。国民と政治家の距離が地球と月ほどある国において感染症を克服するのは至難の業です。

 ついでながらメディアや政治家は勇ましい言葉が好きなようです。野戦病院、さむらいジャパン、日の丸飛行隊等々。感性の劣化だと私は思います。









2021/08/23

151)政治家の言葉

  西武1階の食品売り場のレジの列に並んだら前に立つのは見覚えのある紺のスーツの背中に脂っぽい髪、思い切って安倍さんですかと声をかけると振り向いたのはまさにその人。よしこの際だと思い、人類が新型コロナに打ち勝った証しとしてオリンピックを開くと言ったことの責任をどう取るのですかと問いかけると、私はですね、人類に、人類にですよ、新型コロナが打ち勝った証しとして開催するとこう申し上げたわけであります、と淀みない答え。なんとそうであったかと合点したら枕がはずれて目が覚めました。外は薄明、激しい雨音、まったく寝覚めの悪いことで、、。

 菅首相も施政方針演説でこのセリフを本来の形で踏襲、世界規模の人の流れを引き起こし税金も医療資源も吸い上げて五輪が開かれ、次はパラリンピックが控えています。極上の羽毛より軽い昨今の政治家の言葉ではありますが、安倍氏、菅氏はじめ政権内部の人々は、この言葉の責任をいかに引き受けるのでしょうか。未知のウイルスとの戦いには誤算がつきものとは言わせません。政府は国民の数十倍、数百倍の情報を有し、絶大な権力を握っています。それを国民のためにいかに適切に行使するか、諸外国の実例をざっと眺めただけでも日本政府が逸したあの手この手が並んでいます。

 とりわけ問題なのは、政府の諸対策のスピードの遅さ(検査体制、ワクチン接種、病床確保、困窮者支援など)と、国民へ語りかける言葉の貧しさ(人との接触を最低限にすることについての心に響く真摯な要請と理由の説明の欠如)です。ちなみに「県境を越える移動の自粛要請」も県内移動を許容するメッセージとなりかねません。

 いま東京では感染者の9割以上が入院治療を受けられないと言われていますが、このままでは他の都市もそうなるでしょう。入院できない人を「自宅療養者」と称する政府の報道を垂れ流すマスコミも問題です。バファリンとアイスノンと体温計だけで一体どんな「療養」ができるのか。臥して重症化を待ち、失われた命が既にいくつもあるではありませんか。

 一人暮らしの人の心細さはどれほどか、一方で家族のある人は自宅が「感染媒介所」となりかねません。先日は「自宅療養中」の出産で赤ちゃんが亡くなりました。こうした事態をどのように受け止めているのか、これからどうするのか、菅首相の棒読み、誤読ではない自前の言葉を聞きたいと切に思います。それがあなたの責務でしょう。昨日の横浜市長選で菅首相の推した小此木氏が敗れました。当たり前です。みんな怒っています、深く悲しみながら。




 

2021/08/08

150)8月8日

  やれやれ、やっと閉会式までこぎつけた。国民の皆さまお楽しみいただけましたかな?疫病に負けず世界から人を集めて祭典を開く!これが政治の力です。エラそうに反対をぶち上げたマスコミ各社は一体どうだ。声をひっくり返して日本選手の応援、お涙ちょうだいの家族ものがたり、メダルの色・数の重大発表。あんたら恥ずかしくないのか。わしが「安全、安心の大会だ」と保証したのだからその通り書けばよい。報道とは聞いたことをそのまま伝えること、勝手な見解を加えてジャーナリズムを気取ってはいけない。パラリンピックの時は気をつけた方がいいぞ。恥の上塗りだ。

 さて五輪成功、政権安泰。どっちみちパンデミックなら五輪はないよりあった方がいいに決まってる。そこを見極めて一歩も引かないのがリーダーというもんだ。しかし河村さん、あんたはあんまり正直すぎる。なに、日本選手の活躍は政権に大きな力となる?五輪がなければ国民の不満が政権に向かうだと?なんで内輪の話を外でしゃべる。さっそく蓮舫に噛みつかれたじゃないか。だから官房長官も1年どまり、わしは8年こなしたぞ。この違いがわかるか河村、メダルを噛んでる場合じゃないぞ。おっとこれは河村ちがいだ。はは、は(ひとり笑い)

 ところで広島の読み飛ばしはしくじった。ノリがくっついたということにしたが世間の大方は真に受けたようだ。わしも人間、言い間違いやめくり間違いはたまにある。一般人とは仕事の質・量がちがうことを分かってもらいたい。それにしても読みたくないところをうまく飛ばしたなあ。これも結果オーライというやつか。バイデンはわしからのメッセージと受け止めたかもしれんな。ふふ。

 これは私が憶測するさる人の胸の内。選手のパフォーマンスは別として意義や企画の面において満身創痍の東京オリンピックが感染爆発まで加速させて幕を閉じました。組織委員会は大会関係の陽性者が71日から87日までで436人(国内在住者286人、海外在住者150人)にとどまりバブル方式が成功したと発表しました。そもそも陰性の人のみ参加させる前提からすれば436人はあまりに多く、しかも今後さらに増える可能性のある数字です。彼らのまき散らしたウイルスのゆくえも追いかけようがありません。

 五輪に伴い海外から入国した人は42,000人。これだけの人数が自国内を移動し、来日後は日本国内を移動しました。紆余曲折をへて競技は無観客となりましたが、競技場には関係者も無関係者もつめかけ、会場周辺や沿道では人々の団子ができました。これほど大がかりに人の流れをつくり出し、医療関係者7,000人を国民のコロナ治療の現場から引きはがした東京オリンピック。菅首相の唱える「安全、安心」は原理的に破綻した呪文です。

 そして今度は中等症患者の入院拒否。これは「医療崩壊の制度化」であり「棄民」ではありませんか。コロナがはじまって1年7か月。この間に政府は何をしていたか。GO TOキャンペーンで人流をつくり、ワクチンや事業者支援をとどこおらせ、コロナ専門病院ひとつ作らず、貴重な資源を使って感染のさなかのお祭りを挙行しました。私たちはいまかなり危険な状況にあると思います。金メダルを祝うのも結構ですが、政府のコロナ対策の真剣さの欠如とその根底にある国民への軽視を忘れてはならないと思います。




2021/08/02

149)反日をめぐって

 先ごろ安倍晋三氏が櫻井よしことの仲よし対談で、オリンピックに反対する人は反日的だと発言しました。モリ・カケ・サクラでは社会より自分の仲間が大切だという「うるわしい身内愛」を発露させた安倍氏ですから(でもそれって反日的じゃないの?)、オリンピックを踏み絵とする彼我の区別(愛国、反日の二極構図)が頭の中に描かれているのでしょう。彼が4年前の都議選の応援演説で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と批判的な聴衆を指さしたことが思い出されます。

 思うにこうした安倍氏の思考の問題点は3つあって、まず社会の動向も個人の思想も決して単純ではなくシンプルな二分法になじまないものであるという大人の認識に欠けること(認識の幼稚性)、とりわけオリンピックから戦争にいたるまで様々な段階がある国家の行為に対してその構成員たる国民一人ひとりが下す評価や抱く感情がきわめて多様かつ重層的でありうるという認識に欠けること(人間性への洞察の欠落)、三つめは個々の違いをみとめ議論を重ねることを通じて社会・個人の幸福をめざすという民主主義的手続きにおける政治家の役割に対する認識に欠けること(資質の欠如)。

 この3要素は相互補完的に作用して安倍氏の思想的バックボーン(?)となっていますが、似たような物の見方、考え方は自民党の憲法草案にも見うけられ、菅氏にもきっちり引き継がれており、さらに政府のコロナ対策の本質(国民に語りかける言葉の貧しさ、地方自治体への責任転嫁、政治日程の優先、場当たり的対策の連発等々)にも深く影響を与えていると私は考えます。さすれば「安倍晋三」より「安倍晋三的なもの」が実のところ始末におえないのかも知れません。

 ところで「反日」という言葉は現在どのような文脈で使われているのか、それを確かめようとネットを検索してげんなりしました。「反日芸能人ランキング」、「反日企業一覧」、「日本のマスコミの反日性」、「支那・朝鮮はなぜ反日か」、「憲法29条を狂信的に信仰している云々」、「偽装保守で反原発である云々」等々の言葉の行列、それぞれの主張はお粗末ながらネット社会における「反日」というワードのもつ情念の惹起力の大きさを思いました。安倍氏の「反日」もこれらネット言論と同じレベルです。

 ここでゆくりなく思い出したのが「NATIONAL」という言葉をめぐる開高健のエピソードです。いうまでもなく開高健はベトナム戦争の従軍記録においても銘記されるべき作家ですが、彼が戦場に持参していたトランジスタラジオは当時のナショナル製。その小さな機体に貼られたNATIONALのシールを見て南ベトナム政府軍の兵士が「何といい言葉だ」と夢見る目つきで語り、また別の時、敵対するベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士がまったく同様の反応を示したことを作家は印象深く記録しています。分断された国家で相戦う兵士たちが追い求める「国民」あるいは「国家の」という一つのイデア。書名は忘れましたがそれを掬い上げた開高の豊穣な文章が記憶に残っています。

 さらに話は飛んでその昔、開高健がわが敬愛する詩人金時鐘さんのお宅を訪問した際、金氏夫人への手土産に日替わりで身に着ける「七色パンティ」を持参したと金さんご夫妻から伺ったことがあります。色がわり7着の下着は当時も今も一般的な手土産とはいえませんがいかにも開高らしいプレゼント。大阪の砲兵工廠跡地から深夜に金属くずを持ちだす男たちの物語「日本アパッチ族」の取材訪問であったということです。ちなみに金時鐘さんは日本の皇民化政策のもと済州島で少年時代を送り、日本の敗戦により自身が「祖国に突き戻された」ところからハングルを学びなおした経歴があります。これまで金さんからNATIONALをめぐるお話を伺う機会に恵まれたことを私は有難く思っています。





2021/06/27

148)権力者のウソ

  いま一度ふりかえりましょう。2017年2月の衆院予算委員会において安倍首相(当時)は、「私や妻が森友学園の認可や国有地払下げに関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と明言し大きく報じられました。そしてこれが前代未聞の組織ぐるみの公文書改ざんの引き金となります。発言の勢いまかせの杜撰さからみて、この時点では安倍氏自身の判断にもとづく一人芝居であったと思われます。

 それにしても学園の名誉校長が昭恵夫人であったこと、彼女の学園礼賛の熱烈な言葉とともに籠池夫妻とのスリーショットが報道されたこと、何より国有地払下げが異例ずくめであったこと等を見れば「無関係の証明」が至難のわざであることは誰の目にも明らかでしたが、安倍氏は、ここは気合いで乗り切るべしと考えたのでしょう。忖度風呂の長湯で身体にしみ込んだ全能感も後押ししたはずです。

 しかしその勢いは続きません。安倍氏は、2018年5月の参院予算委員会において次のように述べました。「不正というのは何でしょうか。不正というのは、例えば金品を授受をして、授受をしてですね、行政にこれはこういうふうに政策を変えろと、こういうことであります。これがまさに今まで政治の世界においては大きな問題になってきた、贈収賄として問題になってきたところであります。まず、それでは全くないということは申し上げておきたいと。そして、そういう私は文脈の中において、一切関わっていないということを申し上げているわけでございます。、、、」いやまったく、聞いているこちらが恥ずかしくなる弁明ではありませんか。

 安倍氏の第一発言をうけ、財務省理財局長佐川宣寿氏が近畿財務局に対し決裁文書改ざんを指示したこと、すなわち安倍氏の発言に合わせて事実を書き換えるよう命令したことが「赤木ファイル」で改めて明らかとなりました。財務省の報告によると、佐川局長は「文書は外に出せないと『反応』した」のだそうです。「反応」というこれまた気恥ずかしく意味不明の言葉はリトマス試験紙を想起させますが、佐川氏は酸にふれても決して赤くなることはないでしょう。

 安倍氏が二つの発言の間に財務相麻生氏と対策を練ったこと、麻生氏が佐川氏に「善処」を指示したことは間違いありません。そして佐川氏は指示がなくても自らの権限で「善処」する気でいたであろうことも私は疑いません。かくして首相が真っ赤なウソをつき、財務相が追随し、担当局長が命令を発し、組織ぐるみで決裁文書の改ざんが行われました。そして、国民に仕えることを本分と考える赤木俊夫氏に対し、公務員の道を踏み外すよう強いて死に追いやりました。

 この件では政府の使った二枚舌も鮮やか(?)でした。訴訟でファイル公開を求める赤木雅子氏に対しては、「文書改ざんの経緯や内容については争いがないので回答の必要がない」と主張し(2020年12月大阪地裁提出書面)、衆院の予備的調査でファイル提出を求める野党に対しては、「訴訟に関わることであるため回答を差し控えたい」と存否すら明らかにしませんでした。

 まだあります。赤木氏の元上司の証言などにより国はようやくファイルの存在を認めましたが、このほど地裁に出した意見書では「ファイルは行政文書ではなく個人的に作成した文書である」と主張しています。もちろん公開されたファイルは予想のとおりバリバリの行政文書。「すみません。嘘でした」と言わないためなら二枚舌、三枚舌も平気、明日には虚偽とわかる言い訳も厭うものではありません。いやはや。組織防衛が正義であるという信仰を「選択」した政府関係者の視野には国民の影ひとつ映ってはいません。  

 安倍晋三、麻生太郎、佐川宣寿ら権力者の嘘は国民に対する重大な背信です。嘘や詭弁を弄する政治家、役人は枚挙にいとまがありませんが彼らを決して許してはならない。真相は徹底的に究明されるべきであると考えるものです。事情を知る人がもっと声をあげることも必要であり、それも公務員の務めであると思います。

 このところパソコンに向かうことができず、気になりつつも間があいてしまいました。なんの制約もない個人のブログとはいえ、ご覧くださっている皆さまに対しては無断欠席した生徒の心境です。どうもすみません。読者の多くは大津市職員の方々だと思われますが、自分の都合でラッパを吹くだけの国に振り回されて毎日が大変でしょう。どうか健康に留意いただき市民のために本分をつくされますように。いずれまたこの場でお目にかかります。








2021/05/30

147)嗚呼、大関朝乃山

 朝乃山が夏場所前の深夜、相撲協会の禁を破ってキャバクラにかよい、現場を週刊文春に押さえられて協会の調べを受けました。「事実無根です」。きっぱり否定した朝乃山ですが翌日の再聴取で一転して事実を認め、途中休場することとなりました。夏場所は復活した照ノ富士が連続優勝をとげ両大関が大きく明暗を分けました。

 過去の例から朝乃山に厳罰が下されることは必至で、複数場所の出場停止どころか解雇の可能性もありそうです。私の相撲熱も近頃はさめ加減ですが朝乃山は魅力ある四つ相撲の力士で、心・技・体の一番目が充実すればさらに強くなると期待していました。この件で感じたことを記します。ことの責任はもちろん朝乃山にありますが、彼を取り巻く世間の状況をどう見るべきでしょうか。

 まず相撲協会。すでに写真が流れ文春からも掲載まえの接触を受けて行った内部の聞き取り調査において、協会は朝乃山の見えすいた否定を受け入れる道をえらび、結果的に「虚偽申告」の事実づくりに加担しました。この選択には人情味もなければ人への洞察や組織としての危機回避の意思も見当たりません。

 そもそも力士と夜の街とは縁あさからぬ仲、だから協会も外出自粛のルールを定めたはずです。土俵際に追いつめられその場逃れのウソをつくことは誰にでもあり得ます。まして調べを受けているのは相撲一筋の27歳の青年。「文春砲」が映像や音声データをもとにタイミングよく放たれることも周知の事実です。協会は朝乃山を諄々と諭すべきであったと私は思うのです(懲戒処分全般にもつながることですが)。

 一説には「のちに事実と分かれば大変なことになる」と念押ししたそうですが朝乃山を正気に戻すことができず、一夜明け、芝田山広報部長がウソはけしからんと「激怒」してみせました。幹部の人材不足によるものか以前から不思議な判断をする相撲協会ですが今回も黒星、一人の青年の未来を閉ざすこととなりました。もし朝乃山が今後も相撲界に残ることとなれば、第2の照ノ富士を目ざして努力してほしいと思います。

 政官界はどうでしょうか。思いつくまま上げますが、コロナとたたかう総本山、厚労省の職員が23人で送別会を開いたのは記憶に新しいところです。彼らは午後9時までの時短要請を受けている飲食店に11時をこえ居すわっていました。菅首相も5人以上の飲食(この線引き自体おかしいけれど)を控えるよう呼びかけながら自身は8人でステーキ会食、加わっていた二階氏が「飯を食うために集まったのではない」と居直りました。

 石破氏は福岡で大人数のふぐ会食、松本純氏はイタリア料理を食べた後に銀座のクラブをはしご(しかも仲間がいたのに一人で行ったと虚偽説明)。石原伸晃氏は派閥の会合のあと複数でレストランの昼食。こうした人々が緊急事態宣言について論じているわけですが、さて朝乃山とどちらが罪深いのでしょうか。

 ウソという点では安倍氏の国会答弁を忘れるわけにはいきません。一例にすぎませんが、彼は国有地の8億値引きに関し「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」と大見得を切り、つじつま合わせのために財務省が文書廃棄や改ざんを行い、抵抗した近畿財務局職員を結果的に死に追いやりました。キャバクラに行っていませんという力士の嘘など可愛らしいものです。

 権力者のとてつもない嘘や間違いがまかり通り、一般市民はささやかな嘘や間違いで再起不能になる。コロナはこうした社会の現状も浮き彫りにしています。朝乃山まけるな、ガンバレ!

                   花がおわりレモンの赤ちゃんの顔見せ





2021/05/19

146)コロナと社会 3

 「全て」と等価である唯一無二の「個」、その集合体である「全て」の「個」に対する優越性、この二つの相容れない理念を包摂するより高次の理念を「公」とするならば、「公」は社会の成員により果てしなく追求されるべき至高の目標であるということになります。それはちょうど内田樹氏が言う「憲法の『空語』を充たす」ための営為に似ています(記事No124にも書きました)。

 そこで憲法12条です。「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」素人解釈ですが「不断の努力により保持」するよう求められる「国民」のなかに統治機構である国を含むとするなら前段はよく腑に落ちるし、後段は「義務」でなく「責任を負う」というところがいいと思います。

 問題は自由、権利の行使の目的たる「公共の福祉」ですが、これは13条(幸福追求権)にも出てきます。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。もしコロナ撲滅が「公共の福祉」だとすれば個人の不自由は甘受されるべきである、という理屈です。もっともコロナ撲滅とはどの程度までを想定するか、個人の自由制限の程度はどうかという問題がありますけれど。

 さて、憲法がいう「公共の福祉」とは、「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」であるとされています(一元的内在制約説)。そう言われるとより適切な説明を思いつきませんが、なにやら喧嘩の仲裁の大元締めのごとき定義で、私のイメージする「公」と似て異なる気がします。それは「個」と緊張関係にある「国家権力」、「国家の利益」などの概念との関係がこの定義からは見えてこないからかもしれません。

 また、コロナをめぐっては憲法25条。「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」朝日訴訟で知られるこの条文は生活保護ケースワーカーであった私になじみ深いものですが、コロナで社会的な経済・文化活動が制限され「最低限度の生活」の維持が構造的に困難となっている今、生活保護があるからセーフティネットは問題ないとする政府見解には簡単に同意できません。

 憲法をめぐっては多様な学説があり、中でもここに引いた3つの条文には解釈の幅が大きいようです。私は学説を知らず日本語の意味に頼って私見を述べているにすぎませんがやはり次の2点が重要であると考えます。まず継続的な問題としては「憲法の『空語』を満たす」意思が私たちにあるかということ、そして喫緊の課題としては、コロナ禍の社会においていかに「公」を追求し、いかに個人の幸福と社会の安寧を図るかということ。

 後者の課題は政治の場面で端的に示されますが勿論それがすべてではありません。私は政府のコロナ対策とあわせ、個人として何を感じ、どう振舞ったかについて忘れないでおこうと思います。意のままにならない移動、顔を見られない面会、切り詰められる営業時間、補償がなく頭をかかえる知人、車内で咳きこむ人へのまなざし、濃厚接触者や陽性者にいだく感情等々。

 20204月、イタリアの作家パオロ・ジョルダーノが「コロナの時代の僕ら」(早川書房)で書きました。「僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。」1年まえに書かれたこの言葉が過去のものになるどころか、ますます妥当性を強めることになろうとは作家本人も予期していなかったのではないかと想像します。

 最後にメルケル首相の言葉を引きます。メルケル氏は2020318日、テレビ演説で現状に対する政府の認識と決意を伝え、広く国民に理解と協力を呼びかけました。

 (前略)日常生活における制約が、今すでにいかに厳しいものであるかは私も承知しています。イベント、見本市、コンサートがキャンセルされ、学校も、大学も、幼稚園も閉鎖され、遊び場で遊ぶこともできなくなりました。連邦と各州が合意した休業措置が、私たちの生活や民主主義に対する認識にとりいかに重大な介入であるかを承知しています。これらは、ドイツ連邦共和国がかつて経験したことがないような制約です。

 次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。(後略)

 ドイツ大使館の記事から引きましたが、省略した多くの部分を含め、メルメル氏の言葉は深く、肉声と呼ぶにふさわしい身体性を帯びています。これこそ難局において「公」を希求する言葉であり、「個」に届く言葉だと思うのです。いま、ワクチンも欲しいけれど一国の指導者からこうした言葉も欲しい。その両方を欠いている日本であることをまことに残念に思います。 


                                                                                       レモンの花


2021/05/09

145)コロナと社会 2

 人生で遭遇した大きな災厄は何かと問われたら、私は迷わず阪神淡路大震災、東日本大震災と福島第一原発事故、新型コロナのパンデミックをあげます。一つ目は自然現象、二つ目は自然現象と人為である未必の故意の複合、三つ目は地球規模の生命現象と態様は異なりますが、いずれも多くの命と暮らしが犠牲となり、それを守るためにこそある政治の機能不全を私たちは目の当たりにしてきました。ここで政府の対策に3つの疑問を呈しますが世の多くの見方も同様だと思います。

<PCR検査の不実施>

 感染症対策は迅速な検査により一人を救い、伝播をとめて社会を守ることが重要ですが、感染力が強く無症状者も多いコロナの場合は尚更です。国内で初の感染事例(武漢のツアー客から日本人へ)が確認されたのが昨年128日、翌2月にはもう経路不明の感染が広がり始めました。国は、遅くともこの時から全力をあげてPCR検査や抗体検査の体制整備に着手すべきであったと思います。その代わりに行われたのが37度5分の熱が4日続くまで自宅待機を呼びかける「受診の目安」の公表で、それを守って亡くなる方も出ました。

 当時トランプ大統領は「混乱するから検査をするな」と指示しましたが日本政府も同じ考え方であったようです。検査には手間がかかり熟練した技術者の大量動員が必要との説明もありましたが言い訳にすぎません。そのころ国内のベンチャー企業が開発した全自動PCR検査機と試薬キットがフランスで大活躍し、同国大使から感謝状を贈られたとの報道がありました。「まず日本で使ってほしかったが誰も取り合ってくれなかった」とは社長の弁です。

 早い時期にPCR検査を健康保険の対象として国民の選択に任せた(放り投げた)ことも問題でした。他の感染症検査の兼ね合いもあったのでしょうが、一方で、国が10万円や布マスクをばらまいたのは新型コロナが「別格」であるとの認識に基づいていたはずです。その後、さすがに検査数は増えたものの発症者の検査⇒コロナ診断⇒濃厚接触者の検査という「後追いスタイル」は基本的に変わらず、限定的検査の結果が対策の基礎となっています。そして現在、全国民を対象とする予防的検査の実施に程遠いまま医療体制が危機的状況を迎えています。そもそも国にはまともなPCR検査を実施する意思がないのだと私は考えています。

<火に油のGO TOキャンペーン>

 この事業に関する不透明な金の流れや実施のドタバタ劇を忘れてはなりませんが、それはさておき、感染予防と経済対策を天秤にかけて間を行き来する対策の立て方にまず問題があります。そして全国でコロナが流行っているさなかに広域・大量に人の移動を促したこと常軌を逸しています。「検査の手抜き」と「人流の促進」。菅内閣は国民のために働く内閣だと自称していますが、これでは「新型コロナウイルスの繁栄のために仕事をしている」と言われても仕方ありません。

 Go To事業が政府の説明どおり観光関連産業を救うためなら人を動かさず金だけ動かす、つまり手厚い補償しかなかったであろうと思います。緊急事態宣言や蔓延防止措置による移動抑制もバランスの悪い中途半端な施策に終始しています。これは後知恵の批判ではありません。すでにコロナ500日です。政府は感染状況と対策を並べ効果を検証した報告書を作成し国民に説明すべきです。そうでなければ日本のコロナ克服は困難であると思います。

<五輪中止の不決断>

 東京オリンピックの延期決定は昨年324日、開幕まで残り4カ月の決定に遅すぎるとの声が国の内外から上がりました。ちなみに当時の感染者は国内で約1千人、世界で約40万人。現在は国内で約63万人、世界で約16千万人。「復興五輪」を標榜した際には安倍首相が「福島原発はコントロール下にある」と表明し、1年延期した今は「人類が新型コロナに打ち勝った証」として五輪を行うと菅首相が発言しています(4月の会見時にもなお)。私はこうした人々の頭の構造を見てみたいとつくづく思います。

 はじめから大義なき五輪ですが、さすがに今は政府も内心は開催を諦めているでしょう。先日の二階氏の「中止発言」も観測気球と後日の言い訳(柔軟かつ多角的に内部検討を行っていた証)の二つの狙いがあると思われます。開催予定まであと2か月余。もはや将棋の投了前の「形作り」の状況ではないでしょうか 。はやく投了して感染拡大の上乗せをやめ、医療体制の維持に注力すべきだと考えます。

 そのほかにも日本のコロナ対策に関して私たちが忘れてはならないことは沢山あります。国の報告書とは別に全体を視野におさめた客観的なレポートが出てくることを期待したいと思います。次回は社会と個人の関りについて書く予定です。




2021/05/02

144)コロナと社会

「銀河の微塵と浮かぶ地球。その表皮にひしめくミジンコのような人の群れ。それをたやすく分断し恐慌におとしいれた究極の微塵の毒。新型コロナウイルスなるものが出現し、またたく間に多くの命が失われ、社会のありようが変わりました。それが生命の歴史であり、ヒトの遺伝子の少なからぬ部分が外部由来、すなわち感染の置き土産だと学者は言いますが、歴史はさておき今を生きる私たちは所かまわず降りかかってくる火の粉を払わないわけにいきません。

そして、こうした時こそ社会の安寧と個人の幸福に重大な責任を負う政治が機能し政治家が責務を果たさなければなりませんが、果たして現実はどうでしょうか。五輪延期の迷走、屋形船や豪華客船の怪、マスクの品切れ、パチンコの行列、咳へのまなざし、テレワーク、内定取り消し、雇い止め、倒産、救急室の疲弊、保育所で一人ぼっちの子ども、保健所の不通電話、家庭ごみの山、DVの増加、死者の棒グラフ、754日の『誤解』、宣言の発出と解除、知事の腕くらべ、気の緩みへの『戒め』、再配達中の『安心』布マスク、来ないヘルパーを待つ人、、、

現在進行中のこれらの問題の多くは、まず政府の責任において早急に解決されるべきであり、その他関連する様々な事象と共に後日しっかり検証される必要があると考えます。同時に、私たちが個人としてどう考え、振舞ったかについても簡単に忘れるわけにはいかない。そのような『コロナ問題』ではないでしょうか。」

以上ながながと引用したのは昨年5月、近しい人と4人でポツリポツリと編んでいる冊子「一微塵」でコロナを取り上げようということになり、友人知人に寄稿を依頼した際の呼びかけ文の冒頭です。それから1年。いま改めて皆さまに同じことを申し上げたくここに載せました。1年の間にこの感染症は「降ってわいた災厄」から「居すわり程度を増し続ける脅威」に変わりました。しかるに政府の対応はどうか。改善されたのは唯一「マスクの品切れ」だけ、ワクチン接種がはじまったとはいえ大きく見て事態は悪化しています。

ここで政府の悪口を言うのが「主たる」目的ではありません。いま私たちが目にしているのは政治家の質の低下のみならぬ政治の貧困であり、社会システムの不適合であり、私たちのありようを含む「公」の危機であり、総じて言えば、命の選別が公然と語られ始めたことが端的に示すように民主主義を標榜する社会の変容です。その全体像にはとても手が届きませんが、昨年来私が感じていることを一つ二つ書きたいと思います。今日はこのあたりで。

 


 

2021/04/24

143)呼出状

 大津市が被告となっている民事訴訟について時おり経過報告を行ってきましたが、このたび越直美氏の尋問が決まりました。同氏が市長として行った公文書の改ざん・廃棄や不祥事の隠蔽についての指示が争点である以上当然のことですが、事実関係を踏まえた地裁のご判断に敬意を表するものです。越氏の尋問は7月15日、大津地裁。はたして氏は証言台に立ち真実を話すのでしょうか。

 原告代理人弁護士に伺ったところでは、呼出状の強制力や拒否した場合の罰則などについて民事訴訟法190条以下に規定があり、正当な理由なく出頭を拒否した場合には過料や罰金が科される可能性があります。極端な場合には手錠をして法廷に連行する「勾引」もあるとか。もっとも実際に過料や罰金が科されることはほとんどなく、民事事件で勾引まですることはまずありません。また、証人尋問に出頭した場合であっても正当な理由なく証言を拒絶した場合には過料や罰金が科される可能性がありますが、これまた実際に罰金等が科されることはまず無いということです。

 「ガラスの天井」への挑戦者を自称して売名活動に余念のないコ氏ですが、私の目にはガラスの天井を踏み台にして「公」への挑戦を試みた「公共犯罪人」です。こうした見方が全体主義的であると私は思いません。コ氏の言動を間近に見たものの実感です。したがってこれは民事事件、刑事事件とは異なる重大な「公事事件」。張本人が逃げを打つなら腰縄手錠の勾引が相当です。

 すでに申し上げた通り、私はコ氏をあれこれ論評することがわが人生における時間のムダと考えて中止しました。それは今後も変わりありませんが、今回は大津市(越直美前市長)に全面的な非があることを私が確信している、いや、より正確には「事実として知っている」ところの訴訟における重要な節目として言及しました。次回は「公をめぐる話」に戻ります。




2021/04/17

142)「琵琶湖大津」である理由

 大津市でもワクチン接種が始まりました。担当される方々の精励、ご健康をお祈り申し上げます。非常時に浮世離れした話で恐縮ですが、また芭蕉です。「行く春を  近江の人と  惜しみける」。元禄3年、唐崎の舟遊びで詠まれた句。これに対し、なぜ「行く春」に「近江の人」か。「行く年」に「丹波の人」ではいけないかと弟子尚白が疑問を呈しました。近江人の末裔として無視できないところです。

 さて汝はどう思うかと芭蕉に問われた去来が答えます。尚白の問いは愚問です。湖水がぼんやり霞んでいる景色こそ春を惜しむにふさわしく、まさにその場に臨んで生まれた一句であると思います。芭蕉いわく、その通りだ。古人も近江の地で春を愛でることは都において春を愛でることになんら劣るものではない。

 そこで去来は返します。お言葉が心にしみます。もし師が年の暮れに近江におられたならどうしてこの感興がありましょう。また行く春に丹波におられたなら惜春の情すら浮かびません。このように風光が人を感動させるとは全くもって真実であります。芭蕉は大いに喜んで、去来よ、おまえは共に風雅を語ることができる者である。

 以上は「去来集」の現代語訳を私が勝手にアレンジしたもので文献的な厳密さはゼロですが、「近江」と「惜春の情」の組み合わせに芭蕉がある種の必然性を認めていたことを示す記述です。これは近江の門人たちへの挨拶句ですが、より本質的には、先人を偲びつつ脈々と続く文芸の到達を踏まえるという伝統的な作法にならって作られた一句と見るべきでしょう。

 すなわちこの地にかつて都(大津京)が置かれたこと、湖水を望んで延暦寺、三井寺をはじめ多くの名刹があること、古来多くの歌に詠まれてきた土地柄であること、源氏物語ともゆかりがあること等々、歴史・文化の分厚い集積が句作の背景にあるはずです。そしてこれらを大きく包み込むのが琵琶湖と山々からなる近江の自然であり、その典型例が大津市であると私は考えます。

 県内各市が「琵琶湖はわが物」とアピールをするのは自由ですが、その主張がもっともふさわしいのが大津であるというのが私の持論です。たとえば私は大津と草津に長年住んでいますが、日常生活の中で琵琶湖の存在を感じるのは圧倒的に大津です。都市計画法では市街化区域(多くの人が住み活動する都市的エリア)と市街化調整区域(自然ゆたかなエリア)の区分がありますが、大津市は市街化区域の面積が広いうえ長い距離で湖水に接しており、これは県内各市と比べて際立った特徴です。つまり一口に言うと大津市は「町」が琵琶湖に接し、他市では「田んぼ」が接しています。また、山と湖水の距離が近い湖西地域、なかでも大津市(北部、中部)は「傾斜都市」であり、いたるところから青い湖面を望むことができます。

 中国の瀟湘八景になぞらえて江戸初期に選定されたとされる近江八景が大津の地からの「見立て」であることもうなずけます。石山、瀬田、粟津、三井、唐崎、堅田、比良の7景は大津なのに矢橋だけは草津で残念と言う人もいますが、それは見当ちがい。「矢橋の帰帆」は、打出浜あたりから対岸に戻る船(私の想像では輝く西日に白帆を染めて)を見送る景色であり、主体が大津にあることに留意すべきです。以上が「琵琶湖大津」の理由です。「まちづくり」を考える上でいかに自然や歴史の要素が大きいか、大津の人々はいかに大きな遺産を相続しているか、職員であった頃はこのことを痛感したものです。

 ちなみに冒頭の句のピーター・J・マクミランによる英訳が朝日新聞(4月11日朝刊)に載っていました。

 With the people of Oomi

 ―ancient and now

 I lament the passing of spring.

 ―昔も今も― という説明を間に入れて訳者は歌枕をふまえた芭蕉の意図を伝えようとしています。私たちが読むシェイクスピアもこのようなものでしょうか。これは訳者というより読み手側の問題ですが、原文にない挿入句は翻訳の可能性と限界を感じさせます。






2021/04/10

141)切れて、つながる

 人工知能や通信技術の進展と共に社会のオンライン化が急速に進み、いまわしいウイルスがそれに拍車をかけています。距離や時間の壁を押し下げ、一人の知を速やかに社会の知となしうるインターネット。こうした可能性に付随するマイナス面を考慮しても利点がはるかに大きいというのが社会の常識で、最近はコロナを奇貨としてオンライン社会をさらに進めるべきだという主張を多く見受けます。

 私はそれに半ば同意しますが、一方で、回線を通じて、いや、むしろ回線を隔てて繋がることの「間接性」に関する議論が世の中に不足していると考えます。いまやオンラインゲームからミサイル攻撃に至るまで数々の指令はイスに座って指ひとつ。目の前に相手の生身がおらず見つめるのはモニター画面、計算と思考はすべて機械まかせ。これらは「脳ミソの外部化」、「直接性・肉体性の収奪」ではないでしょうか。

 社会の様々な場面でこうした状況が進んでいくと、人を支える要素の一つである「感性」に影響が及ぶのではないかと私は思うのです。たとえば民族・性・貧困などを理由とする差別、いじめ、パワハラ、DV等々の拡大再生産。これらの行為の根底にある「他者の痛みへの感覚の鈍麻」は、今日のオンライン・バーチャル社会の進展と無関係ではありません。

 いや我々には「想像力」という力があるではないか、との反論もあるでしょう。しかし、想像力は私たちのもつ自然性、身体性の深部に根を下ろしており、それこそ問題の根は深いのです。「身体性」の重視はそれ自体が差別の契機となりうることに留意すべきですが、人間において精神性と身体性が相互依存的(相互支援的)な関係にあることを無視してはならないと考えます。

 小学校では、政府方針により生徒すべてにタブレット端末が行きわたったことと思います。それは重要な施策ですが、次世代の健全な育成を目ざす総合的な施策として多面的な検証がなされているかどうか疑問です。こうした懸念は若い人にシーラカンスの愚問に見えるでしょう。私自身もやや古臭いという自覚がありますから。それにしても留めようのない社会のオンライン化をいかに評価すべでしょうか。

 敬愛する詩人、金時鐘さんに「切れて、つながる」という言葉があります。日本占領下の済州島で少年時代を過ごした金さんは、日本の敗戦後、母国語を学ぶことから自己回復の歩みをはじめました。やがて4・3事件に関わって来日、南北に分断された同胞が日本という第三の場所で肩をよせあい、遠く海を隔てて二つの祖国を等距離に眺めるありようから「在日の思想」を紡ぎました。日本語の現代詩における孤高の詩人。この人の語る「切れて、つながる」ことの意味を自問せずにはいられません。




2021/04/03

140)蝶の見た夢

  人生を夢と見なすことは、ある年数を生きた人間にとって何がしかの実感と共に受け入れ可能な見立てでしょう。「人生五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」は幸若舞、「粟飯一焚之夢」は謡曲「邯鄲」、「処世若大夢 胡為労其生」は私の好きな李白の詩(春日酔起謂志)の冒頭。浦島太郎やリップ・ヴァン・ビンクルの異界体験(つかの間の不在のあと家郷に戻ったら何十年も過ぎていた)も同根だと思います。

 さらに古くは紀元前の荘子の夢。みずから蝶となりヒラヒラ舞い遊んだ夢から覚めた哲人は、「もしや今が夢の中ではないか。わが人生は蝶が見ている夢に過ぎないのではないか」と自問しました。この存在論には人を魅了する何かが含まれています。蝶の夢。これを俳号とする一人の僧が江戸後期に現れ、俳聖芭蕉の追慕、顕彰に尽力したことを大津市歴史博物館の展示で知りました。

 この間の日曜、開館30周年記念事業(おめでとうございます)の特別企画展「芭蕉翁絵詞伝と義仲寺」に出かけ、歴史博物館の名に相応しい見ごたえのある展示に時を忘れました。以下の記事はパンフレットからの抜き書きです。松尾芭蕉(1644~94)の葬儀には300人が弔問に訪れたそうですが、18世紀中葉には墓所義仲寺の荒廃が進み、世から忘れられた存在となり果てました。

 これを嘆き、生涯をかけてその復興に努めたのが文人僧の蝶夢(1732~96)。彼は芭蕉の百回忌に向けて義仲寺の復興整備に着手し、翁堂に安置された芭蕉像に奉納するため11年の歳月をかけ三十三段からなる松尾芭蕉伝を編集執筆、狩野至信による挿絵を加えて絵巻三巻(延長40m)に仕立て「芭蕉翁絵詞伝」を完成させました。この絵巻は義仲寺の門外不出の宝として長く守られてきましたが、近年、歴史博物館に寄託されました。

 「絵詞伝」を収めた木箱に俳人57人の名が墨書(今なお鮮やか)されていることが端的に示すように絵巻は芭蕉を蕉門俳諧の祖師と仰ぐ視点で編まれ、彼の俳文や紀行文を抜き出し時系列で並べて物語の中心としています。さらに当時の流行であった名所図会(旅行ガイドブック)の要素がふんだんに盛り込まれ、木版増刷の流布により俳諧文学に疎い庶民にも浸透しました。明治以降は活字翻刻本が出版され、幸田露伴も校訂、解題に関わります。かくして「芭蕉翁絵詞伝」は、今日の私たちの芭蕉理解に大きな影響を及ぼすこととなりました。

 その功労者である蝶夢は、義仲寺復興に際し全国をまわって募金活動を展開、集めた大金の管理は商人に委ねるなど精力的、合理的に事業推進に取り組みました。一方、自分の庵を俳諧の「交流センター」として提供しつつ各地からの序文、跋文、発句の依頼に応じて地方俳壇の活動支援を行いました。芭蕉の真筆の鑑定、保存活動にも取り組んでいます。

 以下は私の素人感想。蝶夢は、芭蕉の没後38年に現れた俳諧の守護神であったと言えるでしょう。彼の芭蕉に対する畏敬、追慕の念の深さは絵詞伝の文章からも察しられます。その芭蕉および俳諧のため、内奥から湧きあがる抑えがたい力につき動かされ、多事多難の中にも大きな喜びをもって彼は生涯を捧げたのであろうと想像します。江戸時代に一匹の蝶が見た大きな夢。その幻が豊穣なうつつとなって今の私たちの前に広がり、中で芭蕉がみずからの人生を生きている。芭蕉翁絵詞伝を見て私はそのように感じました。

 当日は企画展の隣で高校書道部の発表会が開かれていました。江戸の絵巻と今どきの若者の伸びやかな書。楽しさが倍になりました。こうした展示活動ばかりでなく、歴史博物館の役割は市内の有形無形の歴史的資産の保護など広く館外に及びます。その30年の歩みを見て、やはりこれは「公」の施設として維持すべき博物館であると強く思います。

 縮小のバイアスがかかる社会のなかで「公」を健全なものとして維持していくためには、私たち一人ひとりに幅広く柔軟な思考をする態度と、公私のより高次な調和をめざす志が求められます。こうした資質に欠ける新自由主義の信奉者や同調者が「公」を理解できないのは理の当然かもしれません。コ氏 VS 歴史博物館・図書館・公民館。維新橋下 VS 文楽・保健所。こうした蒙昧の人々に学びの機会を与えるため芭蕉展の招待券を送ることを博物館に提案します。

 この企画展はあと1週間、4月11日まで。招待券をもらえなかった方もお運びくださいますよう!

 



2021/03/26

139)記憶にございません

  お父さん、大丈夫?ほんとに全部わすれちゃったの?

 心配ないよ。記憶はね、頭の引き出しにしまう、何年も残しておく、必要な時に引き出しから取り出すの3段階からなるんだ。どれか一つでも調子が悪いと人間は物を覚えられない。むしろ忘れることの方が多いんだ。ひとつ聞くがスネオは先週金曜の給食、何を食べたか覚えてるかい?

 給食のメニューと会食は別でしょ。大切なことは覚えているのが普通じゃない?だいたいお父さんはいつも遅くまで飲み歩いて車で帰ってくるじゃないか。

 野党のようなことを言うねおまえは。お父さんぐらいになると会食も給食も似たようなもんだ。毎日あるしタダみたいなもんだし。だから忘れたって全然フツーだよ。

 でも思い出さなくていいの?何回も聞かれてるのに同じ答えばっかりしてさ。給食なら献立表があるしお父さんには黒い手帳があるじゃない。運転手さんに聞いたらわかるかもしれないよ。

 子どもは余計な心配をしなくていい。スネオは自分のことだけ考えればいいけどお父さんは国民ぜんぶのことを考えてる。省の仲間はみんなそうだ。そのためにみんな助けっこしてるんだ。クラスでも助け合いなさいって先生が言うだろ。

 先生は何でも正直に話しなさいって言うよ。みんながかばい合ってウソをついたら正しい人がワルモノになる。このクラスでそんなことはさせないって前もすごく怒ってたよ。

 あの若い先生だな。元気はいいが経験がない。まったく若気の至りというやつは。いずれ思い知るがいい。なに独り言だ。いいか。「廊下を走らない」というルール、「友達のものを取っちゃいけない」というルール、どっちが大切かわかるな?大人の世界も一緒なんだ。大きな物事のために小さなルールを破ることもある。お父さんが守ろうとしてるのは総務省だ。それが政府のため、国民のためなんだ。おまえも大きくなったらこの苦労がわかる。

 お父さん!まさかして総務省を守るためにウソついてるの?

 もしかして、だ。そんなことより塾はどうした?

 ビネツがあるんだ、37度シー。コロナ疑いで今日はお休み。お父さんのうわさをする子もいるし。

 7度は微熱じゃない。噂をする奴にはかまうな。だいたいスネオは自分に甘すぎる。そんなことでは開成は無理だ。正月にお父さんと約束したろう。あのときおまえはなんと言った。東大に入ってお父さんの後輩になりたいと言ったな?そのためには塾を休まない、友達と遊ばない、一日5時間勉強する。よく言った、けっこうけっこう。それからなんだ。大好きなゲームについても何か言ったな。お父さんは思わず涙がこぼれた。さあ、ゲームは一日何分までだった?どうだ、おまえの約束を言ってみろ。

 じゃあ僕も言おうっと。なにを言ったか記憶にございません。(おあとがよろしいようで)

 国会で連発される「記憶にございません」。動機、物証、目撃者があってアリバイがなくても平然と、あるいは愚直に繰り返されるこのセリフ。口にするヤカラが必死に守ろうとしているのが国民の利益ではないことは明らかです。しかし厄介なことに発された言葉はその場をひとまず充填し、メディアにのって社会に流通します。かくして見かけの上では国会の論議が「成立」し、わきおこる批判や疑問の声をよそに政権は維持されています。

 もちろん与野党の勢力差が背景にありますが、このように政治でもっとも大切であるべき議論の空洞化を招いているのは、実はその場に行きかう言葉の劣化ではないでしょうか。政治家や官僚は自らのよって立つ言葉に信をおかず、内実を伴わない言葉を意図的に、あるいは無自覚に使用しています。それがまかり通るわけですから、私たち有権者の言葉に対する感受性にも問題は及びます。

 言葉が流通する公共財である以上インフレ、デフレがあり、悪貨が良貨を駆逐することもあります。また、言葉と個人と社会は三位一体ですから、言葉の変質は個人、社会の変化の結果であり原因でもあるでしょう。ならば今日の社会状況のなかで私たち自身が語る言葉は、はたして大丈夫でしょうか。「記憶にございません」という誠に腹立たしい言葉。しかしこの言葉を、遠く、薄く、広く支えているのは私たちに他ならないのではないか。言葉の地殻変動が起きつつあるのではないかと思わせる昨今の情勢です。








 

2021/03/20

138)住友活機園

 紫式部が源氏物語の想を練ったと伝えられる石山寺に連なる木立の中に住友活機園はあります。洋館、和館、庭園からなる見事な邸宅は明治後期の代表的建築として重要文化財に指定され、今も住友林業により大切に守られています。大津市の数あるお宝の一つ、一般公開されていますからご覧でない方はぜひお運びいただきたいと存じます。

 かつてここに住まいしたのは近江八幡出身の実業家、住友第2代総理事の伊庭貞剛。別子銅山の煙害解決のため社運をかけて精錬所を無人島に移したり、「別子全山を元の青々とした姿にしてこれを大自然に返さなければならない」と採掘跡地の100万本植樹に取り組み、日本初の公害とされる足尾鉱毒事件を告発した田中正造をして「別子銅山はわが国銅山の見本である」と言わしめた人物です。

 また銀行を設立したり住友のお家騒動を収めるなど大きな仕事をなしたあと58才で後進に道を譲り、ここで余生を送りました。「活機」とは俗世を離れながら人情の機微に通じるの意だとか。この傑出した実業家には「事業の進歩発展に最も害するものは青年の過失ではなくして老人の跋扈である」との名言があります。「事業」は「社会」「国家」にも通じるでしょう。今の世に跋扈する老人の顔、顔、顔が浮かびます。

 この言葉は、伊庭正剛が「実業の日本」誌に寄せた一文「少壮と老成」の中にあります。いわく、老人の力の源泉は経験である。老人は経験という刃物を振り回して青年をおどしつける。しかし戦時の経験と平和時の経験はまったく別だし、時勢は日ごとに進歩、よろず新陳代謝の世の中である。一方、これから経験を積んでいこうとする青年が頼みとするのは敢為の気力である。困難や多少の危険があってもぶち当たって実験してみなければならない青年には、挑戦する気力こそ必要である。

 老人の保守と青年の進取はとかく相容れないものだが、両者が衝突してはどんな事業も発展するものではない。その調和を図るために老人は若者の邪魔をしてはならない。老人は注意役、青年は実行役と心得るべきである。また、青年は成功を急いではならない。頭ばかり先へ出ようとすると足元が浮く。あるひとつの目的を確固と握って、一代で叶わなければ二代、三代でもかけて成し遂げる決心をせよ。

 ここから私見ですが、経験には大まかに言って「人間関係や状況に関する体験の集積」と「知識や技能の蓄積・習熟」の要素からなり、両者が一体となって時の流れと共に人に古酒の熟成をもたらします。伊庭貞剛はこうした経験の価値を十分に認めたうえでそれを自らの認識において相対化すること、進歩の早い社会情勢を考慮することが肝要だと指摘します。

 その後も社会変化のスピードは増すばかり。情報通信技術(ICT)が世の中を動かす今日では経験の価値が大幅に目減りしています。特に2つ目の要素の外部化が進んでむしろ若い人の方が有利な場合が多いくらい。これを進歩と呼ぶべきでしょうが、一方で脳の機能の外部化による弊害も懸念されます(これについては改めて書きます)。

 老人の跋扈はダメ、青年の闊歩はよし。私は伊庭貞剛の言に深く賛同するものですが、何事にも例外はあります。浅はかな考えに基づく愚かな行為、人を踏みつけにする利己的な行為、バレなければ何でもありの不法行為については、たとえ行為者が青年だからといって決して許されるものではありません。私はつい大津市前市長を想起するのですが、ブログの現行方針に反しますのでこのあたりで終わります。それにしても昔の人は偉かった!





 

2021/03/14

137)10年前のこと

  東日本大震災の際、大津市は全国の自治体と同じように各部局の職員を被災地に派遣して復旧支援にあたりました。当時私は健康保険部長として保健師チームの派遣に携わりましたが、10年の節目に思い出すことを記します。当時も今も感じることは、国民の生命・安全にかかわる情報(特に原発関連情報)をもれなく収集、分析し、広く国民に伝えようとする政府の意思の希薄さです。

 震災まもなく、大津市は厚労省保健指導室から福島に保健師を派遣するよう要請されました。爆発した第一原発から30キロ圏内の被災者は自衛隊が救護する。保健師は30キロ圏外で被災者の健康管理活動を行ってほしいというものでした。しかし、放射性物質は風の向くままに拡散しますからこの線引きは単なる目安に過ぎません。そこを国はどう考えているのか。

 私は厚労省保健指導室長に対し、ホットスポットの有無を含めその時点で分かっている情報を提供するよう求め、汚染状況を正しく知ることが被災者および支援者の健康管理に不可欠であると訴えました。いくら待てども返事なし。代わりに行き先を石巻市に変えて派遣要請があり大津市はこれを受諾、一方で滋賀県保健所チームは当初の予定どおり福島県入りすることとなりました。

 ついで私は、京大原子炉実験所のK先生に保健師派遣にあたっての留意事項をメールでお尋ねしました。国は「ただちに健康への影響はないと考えられる」というコメントを繰り返し、引き合いに出すのは宇宙から降り注ぐ放射線の年間量やレントゲン検査の被ばく量。私はもっと過酷な現実に即した情報を求めていました。実験所の研究者グループはすでに現地調査を始め、その経過をネット配信していたのです。

 返信メールでK先生は国際放射線防護委員会のリスク推定を厳しく評価されたうえ、自身は米国の研究者J.W.Gofmanの評価が妥当だと考えるとして被災地における健康上のリスクをご説明くださいました。そして重要な支援活動を行うにあたり、可能ならば年配の職員から順に現地入りすることが適切であるとのご意見。放射線の感受性は年齢と共に大きく低下するとの理由からでした。

 こうした中、大津市保健所は保健師2名・事務職2名のユニットを編成して1回6日間(車で移動1日、現地支援3日、後続チームへの引継ぎ1日、戻り1日)の活動を行うことを決定し、震災6日目の3月17日に1次隊が出発しました。保健師のうち管理職の人々が先陣を切ってくれたので私が年齢順を唱える場面はありませんでした。出発日の早朝、佐藤副市長に続いて私もご挨拶しましたが、ヘルメット姿で並んだ4人のお顔をみて胸が詰まりました。当時は汚染情報が不足していたことに加えて余震が頻発、道路は渋滞。被災地の方々には本当に申し訳ないのですが、私は仲間を戦場に送り出すような心持ちでした。京大原子炉実験所のチームが30キロ圏外にある飯館村の高濃度汚染を確認したのが3月28日、政府発表はずっと後であったと記憶します。

 これを皮切りに保健師チームが次々に出発、他部局の応援も得てのべ百数十名が石巻市で活動しました(結果的にはすべての保健師が複数回現地入り)。私は5月中旬に派遣されたチームに加わりましたが、そのころには復旧した新幹線を利用し仙台で車に乗り換える方式になっていました。活動の内容は当初の避難所回りからスタートして被災した親せきや知人を受け入れている一般住宅、自宅にもどり浸水を免れた2階で生活を始めた世帯、仮設住宅に入居した世帯へと広がっていきました。自治体職員はみな所属する自治体名が書かれたゼッケン(ビブス)を着けていましたが、大津市などの応援組は住民の方々から感謝の言葉をいただく一方、同じように活動する疲労困憊の石巻市職員に手厳しい言葉が浴びせらることがあり、私は同じ公務員として複雑な思いにとらわれました。

 その後厚労省から派遣延長の要請があった時、私は再度問い合わせのメールをしました。震災後3か月が経過したなかで恒常的な人員不足に悩む自治体が、国家的要請である被災地支援と自らの本来業務のどちらを優先するかという厳しい選択を行うにあたり、国の延長要請はあまりに無機的で紋切り型、説明不足、熱量不足でありました。これが未曽有の災害に向き合う国の保健部局の態度か。派遣の終了と継続のはざまで悩む自治体の背中を押すような発信を国はすべきであると私は考えており、そのことを伝えようとしたのです。

 いまは昔話です。他の多くの自治体と同じように大津市の保健師チームの派遣は6月末で終了しました。もちろん厚労省からの返事はありませんでした。私は国に過大な期待をしていたのかも知れません。10年前、大震災に遭遇して国も地方も力を尽くしたはずですが反省点はいくらもあります。大津市は石巻市をいつまでお手伝いすべきであったか(他部局はまた別の都市の支援を行っていました)。それに伴う大津市民へのサービス低下はどこまで許されるのか。職員派遣の後にはどのような支援策が可能か。いまもって未解決の課題です。

国の仕事ぶりはどうであったか。特に原発関係において意図的な情報統制が行われていた(今も行われている)と感じます。知らせるべからず依らしむべしの「親心」なのでしょうか。「権力」と「隠ぺい」の親和性の強さは本質的なものであると思います。そして私が関わった厚労省保健指導室に関して言えば、全体を掌握し保健支援の今後の大きな方向性を示すという役割を十分に果たし得なかったと思います。これは今のコロナ対応に直結する問題でもあります。

(10年前、献身的に活動された大津市保健所および各部局の職員の方々に改めて敬意を表します。帰路で追突事故にあったチームもありました。公務の原点のような仕事であったと思います。そして現在のコロナ。兼務辞令をうけ掛け持ちで働いている人も多いでしょう。どうか健康にご留意いただき精励してくださいますよう!)



                              おきなぐさ

2021/03/07

136)野の言葉

 前々回(No134)、「公共の敵が公共であるとき」という言葉をご紹介しました。引用元のブログ「あざみ日和」によると、韓国の作家、パク・ミンギュがセウォル号の沈没は事故であると同時に国家が国民を救助しなかった「事件」でもあるとしてこう語ったのだといいます。なるほどそうだったか。それが発せられた文脈や背景を超えて訴求力を持つところに言葉の妙味があると感じます。

 語られた言葉は公憤の表明ですが、それを紹介した「あざみ日和」も公憤のブログであると私は考えています。書き手は女性史の在野の研究者で長年にわたり農村の女性の聞き書きや図書館活動を行ってきた人。「在野」とは文字の通りですが、世の権威や権力から距離をおいて市民の日常の場から発する言葉には力があります。「野の言葉」です。

 ~「ガラスの天井」には昔から有名無名多数の人々(フェミニズムを唱える人もそうでない人も)が「挑戦」し、タンカーのごとく容易に動かぬ世の中を少しずつ引っ張ってきた歴史があります~。コ氏のパフォーマンスをめぐりこのように書きましたが(No129)、「引っ張ってきた一人」としてこの人が念頭にありました。「野」については改めて考えていきたいと思います。




2021/02/27

135)伊勢神宮のおふだ

 「ところで先日、ご子息とご一緒しました。あいかわらずご活躍で、、」「そうか。ま、よろしくな。」、、、文春の次号スクープはこれだと聞かされても私は驚きません(秋本局長は天を仰いだそうですが)。いやまったく。一般的に国家公務員は極めて高い保身能力を有しています。私は身近な場でその実例も見ました。森友文書の改ざんの責任を我が身に引き受けようとされた近畿財務局職員の痛ましい事例は銘記すべき例外です。

 こうした国家公務員の中でも特に「能力」すぐれたエリート達がそろって子息詣でを繰り返したのはなぜか。それは言うまでもなく「その行為が自らの保身に役立つとその時点において彼らが判断した」からに他なりません。これが今回の接待騒動の一番の問題であり、安倍~菅政権の責任は重大です。エリート官僚らは、長髪、くわえ煙草の長男の背後に鎮座する菅氏を遥拝したわけです。その昔、かまどの後ろの白壁に「伊勢神宮」と墨書したすすけた紙きれが貼ってありましたが、久しぶりにその風景を思い出しました。

 国会で「行政が歪められたかどうか」が問われていますがピンボケの議論と言わざるを得ません。たとえば山田真貴子広報官の場合は、業者が待ち受ける和牛ステーキ(および海鮮料理)のレストランに入った時点で既にアウト、ほかの官僚も同様です。公務員の務めは、行政は公平・公正であるという理念を身をもって体現すること、現実的には一致しない理想と実態の距離を縮めるために身を呈することに尽きます。いま問われるべきはこの一点。収賄罪が成立するか否かは次の問題です。

 OBだから気楽に言えるよなあ、という現役公務員のつぶやきが聞こえてきそうです(仰るとおり、どうもすみません)。しかし改めて「公務員の誓い」を思い出してください。私はありきたりの意見を申し上げているに過ぎません。公務員が身をもって示すべき大切な規範を足蹴にして汚物をかけた総務省(農水省)幹部の罪は「本質的に」重大です。彼らは「公」の職業的担い手である使命を放棄しました。

 ならば「減俸10分の1、2~3か月」などという処分は妥当でしょうか。おそらく人事院規則に基づくのでしょうが、まるでバラエティー番組の罰ゲームです。私には、政治の中枢にいる人々の「集合意識」が劣化しているように思われます。彼らは、国民のために動くのではなく、国民を動かすのが自分の仕事と心得ている。山田報道官の給与自主返納など茶番もいいところです。

 「行儀わるいことをして指をつめた」人の話を聞きました。生活保護ケースワーカー時代の話です。その指先の断端がなめらかなのを見て、それまでにいかほどの心身の苦痛の時間が流れたのだろうと私は思いました。昨今報道される官僚らの謝罪ぶりを見て、またもや昔話を思い出した次第。官僚らが「指づめ」に匹敵するような「生涯の刻印」を自らに刻むことはないでしょう。

 誤解なきよう申し上げますが、こうした私刑は忌むべきもの。決して許されるものではありません。掟やぶりの官僚といえども生命、身体の安全は保証されるべきですし、もし仮にこれを適用しようとしても指の数が足らないでしょう。私は、彼らには千日回峰がふさわしいと思います。ふところの深い延暦寺も受け入れてくださるでしょう。もちろん経費は自分もちです。 



2021/02/21

134)公共の敵が公共であるとき

  このタイトルをご覧になって、本ブログは早くも越批判に回帰したかと思われたやも知れません。確かに「大津通信」は、公共の敵許すまじという思いからスタートしました。そして当該人物は、「一部の市民」の「一時の利益」しか目に入れず、目的のために手段を択ばぬ強引・稚拙な手法で「公」を踏みにじった張本人です。しかも今は、朝日新聞滋賀版で自分史の修正に余念がない。コ氏が故紙でコスいコジつけ。そんなヒマがあるなら、いやヒマがなくても、大津地裁に出廷して自らの行為を証言すべき人物です。

 しかし、私はすでに述べたとおりこの人物への言及を止め、もう少し広い世界で「公」考えたいと思っています。朝日地方局への論及も時間のムダです。これらにはもう煩わされることなく論を進めていくことを改めて申し上げます。内容の不出来、不十分は重々承知していますが、今後とも平気の体で綴ってまいります。

「公共の敵が公共であるとき」とは韓国の作家パク・ミンギョの言葉であるとブログ「あざみ日和」に教えられました。私はこの作家を知らずフレーズを孫引きしていますが、かの国もこの国も似た政治状況にあるものと推察します。公の敵が公自身であるとは由々しき事態ですが、考えてみれば自身の中に敵を内包していることが「公」の基本的な性格なのかも知れません。

 本来「公」は「民」より生まれ、「民」に尽くすことによって「公」に昇華するものであり、その過程には「反公共」の契機がいくらもあると考えます(そうした意味では「公」の対義語は「民」でなく「反公共」?)。しかし一方で、今日の「市場化社会」や「オンライン社会」に大きく広がる影の部分を見ると、いま述べた「公」の解釈はいかにも古くさいと自分でも思います。グーグル、アマゾン、フェイスブック、アマゾンなどの巨大企業が公共の敵となり得る時代です。

 これらの企業は「民」ですから話の筋が不明瞭になってきました。やはり順をおって「公」の定義づけから始めるべきでしょうが、論考でなくお喋りしかできませんのでご容赦ください。近年における「公共の敵である民」の代表格は東京電力でしょう。おおもとの問題はコントロール不可能なものを扱い、かつ産み出していく原子力発電そのものにあって、国、規制を行う機関、リスクを評価する機関などひっくるめて同罪。「官民一体」が公共の敵です。

 コロナウイルスや大地震は社会の脅威ですが公共の敵ではありません。公共の敵の「適格性」はそれが人為であること。したがってこうした社会の脅威に対していかに立ち向かうかという場面から「公共の敵」が立ち上ります。したがって政治も「敵」となりかねません。これよりは小さな話ですが首相の子息が役人を接待したと報じられています。当人らが認めているので事実なのでしょう。決して驚きはしませんが恥ずかしいことです。このケースにおいて公共の敵はいったいどこまで及ぶでしょうか。







2021/02/14

133)男の長風呂なにわ節

  五輪・森会長は、今回の発言およびその源となった「女性」や「会議」に関する自らの認識に根本的な欠陥があることを理解していないようです。そもそも民主主義という思想の埒外にいるわけですが、こうした人がかつて首相であり、今なお政財界に大きな影響力があるらしい。だからこそ会長に祭り上げられ、余人をもって代えがたいと慰留された。二階氏も菅氏も慰留組でした。私たちはこうした経緯を忘れてはならないと思います。

 ヒトラーが政治利用の先鞭をつけた五輪は、いまや「市場の論理」に引き回されています。森氏に引導を渡したのは正義ではなく、消費者の好悪を気にかけたスポンサーの損得勘定でありました。その観点に立って今年の真夏の東京五輪は引き合うのか引き合わないのか。政府は「復興五輪」や「コロナ撲滅五輪」という空虚なスローガンを掲げており、一方で選手は「国民に感動と勇気を与えたい」と意気込んでいます。こうした事態をどのように考えればいいのでしょうか。

 もとに戻って、いったん社会的成功を収めた人間には、長くその余禄がついて回るのが世の習いのようです。森氏然り、川渕氏然り。特に森氏は、「女の長話」を云々する資格もありません。自分は心地よく長湯をして浪花節をうなり、あろうことか後継指名までやってのけました。一緒にうなった川渕氏も同類ですが、不思議とその印象はあまり悪くありません。それが「政治と非政治の分かれ道」なのか。そう言ってしまうと、多くのものがこぼれ落ちる気がしますが、今日はこの辺で。








から事態収拾を。が、この手の政治家は珍しくありません。こういう人々が「公のワタクシ化」に「貢献」してもいます。

2021/02/07

132)宮沢賢治と「公」

 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、、あらゆることを自分を勘定に入れず、、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、、皆にでくの坊と呼ばれ、、そういうものに私はなりたいと 宣言した詩人。「星めぐり」の作詞作曲者。風変りだけれどすごく偉い人だと生徒の尊敬を集めた教師。妹の最期の喉を潤すため「曲がった鉄砲玉のように」雪の中に駆け出した兄。読む者の魂に深く届く固有の声をもった作家、宮沢賢治。

 彼の作品においては、火山を爆発させて冷害を食い止めたしたブドリ(グスコーブドリの伝記)、川に落ちた同級生を救ったカムパネルラ(銀河鉄道の夜)に見るように、我が身を賭して他者を救う自己犠牲が重要なモチーフとなっています。一方、「よだかの星」や「土神ときつね」では、自分の命をつなぐため、或いは一時の激情によって他者の命を奪った者の悔恨が痛切に描かれています。

 そして「世界ぜんたいが幸福にならないうちには個人の幸福はありえない」という「農民芸術概論要綱」の言葉。また、「本当の幸いとは何だろう」と繰り返される問いかけ。こうした表出に触れ、また、周囲を照らし続けて早く燃え尽きたろうそくのような彼の生涯を思うと、この不世出の詩人が短い人生をかけて希求したのは、利己と利他を超越した大きな人間集団(人類)の幸福に他ならなかったということができます。

 彼が帰依した日蓮宗の影響は大きいでしょう。法華経1千部を印刷して友人知己に配るよう言い遺した事実は知られるところです。しかしそれだけではない。生家が裕福であったのに、いやそれだからこそ、身売りや口減らしと縁が切れない当時の農村の人々の苦しみに子供の時から心を寄せた人物です。宮沢賢治は、まるで遺伝子に刷り込まれたように生来的に他者の幸福を考える人間であったと私には思われてなりません(裕福な家庭に生まれ、それと格闘した太宰治の生き方とは少し似て大いに非なるものがあります)。

 私は、宮沢賢治こそ「公」の人であったと言いたいのですが、「公」はシステム論でもあります。そこで少し控えめに、賢治の本質であり、同時に彼が命をかけて追求した至高の目標でもあった「まことの幸い」と「公」を基礎づける思想とは、深く相通じるものだと申し上げます。私たちの国にはこうした稀有の人がありました。彼が設計した花壇が花巻に復元されています。そこを訪れ満開の花々を眺めたことがあります。彼が人々に見せようとしたのは「幸いの花」であったと思うのです。


  
 結婚式で「ミニ植樹」をしたあるカップルがそれを新居に持ち帰り、もし枯れても二人の未来には関係ないと言いかわしつつ、土をかえ場所をかえて育てました。それから数年。鉛筆ほどだった苗木が次第に伸びて、ついに十数年に一度しか咲かないという花が咲き、我が家に写真が送られてきました。香りもよいとか。名前は「幸福の木(ドラセナ)」だと聞きました。     

 


 

2021/02/01

131)届く声を持つということ

  いまに始まったことではないけれど国会で発せられる言葉の軽さ、特に政府答弁の虚しさは異常です。コロナ対策にかかる菅氏の声明もメルケル氏のそれと比べて恐ろしい落差があります。日常生活でも政治の世界でも「言葉の力」は重要この上ありません。民主主義あるいは公の問題と深く関わる言葉の問題については、今後少しずつ書きたいと思います。

 本日は京都市はぐくみ局のある係長のお話です。この方が大勢の民間事業者に対して事業説明および協力要請をされる場に、私は事業者の一人として居合わせました。こうした場における役所の話は紋切り型で退屈な場合が少なくありませんが、この係長の言葉は粒立って訴える力があり印象に残りました。その後何度かお話を聞く機会があり、この方は自分の言葉が相手に届くかどうかを明確に意識しながら話をしていることが判りました。

 親しい二人の会話ならいざ知らず、一人対多数の対話においては言葉の訴求力が減衰することがありがちです。それは話し手が「あなた」という個人に言葉を伝える意志をはなから放棄して集団に向き合っているからだと思うのです。まさに森を見て樹を見ず。一人にさえ届かない言葉が多数に響くわけがありません。ところがこうした「集団話法」が正当な話し方であるという誤解が根強く残っています。市議会も国会も然りです。

 さきごろ、私が京都での仕事を終えるにあたって担当課にご挨拶する機会があり、係の方々にお世話になったことを謝しつつ、係長には今後とも肉声でお話いただくよう勝手なお願いをさせていただきました。民の立場から官を見ることは私にとって興味深いのですが、この3年余、官の第一線で仕事をする人々から期待を裏切られたことはありませんでした。いずこも体をはって前線を支える人々がいます。











130)見切り発車

 前回の記事をもって大津通信は「中締め」とあいなりました。振りかえれば現役のとき、中締めの挨拶(皆さま、宴たけなわではありますが、、、という例のセリフ)を何度耳にし口にしたことでしょう。終了を告げつつ継続を否定しないという両義的な態度表明をこのブログでも踏襲しました。

 これまでのように「公を踏みにじる悪の権化」に触れることなく記事を書くことは爽快である反面、何だか筆が進みにくいというのは誠に皮肉なものです。これからは私の「目の付け所」を皆さんにジャッジされることとなります。いまさら格好のつけようもありませんが。

 今後書く記事は「あるべき公の姿」、より広くは「社会と個人の関わり」をめぐるところの、シワが浅くなり容積も次第に減りつつある私の脳ミソが見る夢物語のようなもの。毎回の記述の断片で一定の進捗を刻んでいくことは困難ですが、半年、一年たって何がしかの筋道が見えるならもっけの幸いです。お忙しい皆さまのご健勝をお祈りしつつ、この回り道や道草にお付き合いくださることをお願い申し上げます。




2021/01/24

129)中締めのご挨拶

 お久しぶりです。大津市職員の皆さま、特に保健所や市民病院の方々にはコロナ対応で心身がすり切れるような日々だと思います。それがたやすくないと知りつつ、皆さま、どうぞ一層ご自愛のうえ精励されますよう心からお願い申し上げます。

 長らくのブログ中断に「いったいどうした」、「変わりはないか」などのお声を頂きました。有難いことです。しかし、「大津通信」のテーマが「公」であってもブログはもともと私的なもの、私も「駅前広場に立って通り過ぎる見知らぬ人に語りかける」つもりで書くと説明してきました。

 一方で、私が元大津市職員として「公」の職業的担い手である現役職員の方々に「越市政の真実をお伝えしたい」と念じてきたことも事実です。何といっても「知ることは力」であり、また、越直美氏は「公」の何たるかを考える上で格好の反面教師です。特に越氏の行った公文書の隠ぺい・廃棄は、今の国政のありようにもつながる腐敗、すなわち民主主義の根腐れの一形態だとしか言いようがありません。こうした観点から私は、越市政の問題点を指摘し、大津市公文書裁判の経過を報告してきました。

 それを急に放り出してしまった理由を申し上げつつ「中締め」をすることが今回の目的です。このたび私は、越直美氏のごとき虚飾に満ちた浅薄な人物についてこれ以上考えたり書いたりすることは、残る人生における時間の無駄遣いに他ならないと強く思うに至りました。越氏について論評することには常に怒りと不快感を伴いますが、今般、ある私的な動機によってそれが耐え難くなり、「こんなことをしていられない」と考えました。そこで今後は越氏について書くことを止めることにしました。私にとり憑いたゾンビとの決別です。

 ではどうするか。今後はブログの本来の目的である「公」に絞ってボツボツ記事を書いていこうと思います。いってみれば「小悪から大義への視点の移動」です。とはいえ正面から取り組むには大きすぎるテーマ、せいぜい月に1回か年に数回、「公」をめぐる言葉の断片を連ねるのが精いっぱいでしょうが。前にも書きましたが、今日の社会・政治・経済情勢は「公」の維持・存立に逆風として働いています。公が最も必要とされるときに公が危うい。私たちはそんな時代に生きているのではないでしょうか。でも悲観ばかりしていられません。いまさら気負わず、自分にできることを続けようと思います。ここで区切りとしていくつか書いておきます。

<越直美氏とガラスの天井> 

 越氏に触れるのはこれが最後です。越氏はガラスの天井に挑戦し、自分ならではのやり方で見事成功を収めたと自身で考えています。成功とは市長選を制したこと、市長としていくつかの「誇るべき成果」を挙げたことであると「挑戦記」から読み取れます。しかし「ガラスの天井」には、昔から有名無名多数の人々(フェミニズムを唱える人もそうでない人も)が「挑戦」し、タンカーのごとく容易に動かぬ世の中を少しずつ引っ張ってきた歴史があります。男性の中にも自身の問題としてガラスの天井と取り組んできた人が少なからず存在します。

 私の知るこうした人々はパフォーマンスや違法行為と縁遠く、地道で誠実な自己の生き方を通して周囲への息の長い働きかけを行っています。これらの人々と比較すると、越氏の「挑戦」は「ガラスの天井」の否定派・肯定派双方に足がかりを作って「良いとこ取り」を狙う、まことに器用でちゃっかりした取組です。今後の飯のタネにもしたいのでしょう。越氏のパフォーマンスは政府の唱える「女性活躍」と底の浅さにおいて似通っています。

 しかし私は、越氏が本当に挑戦したかった分厚い天井は「公」そのものであったと思います。この人物の目には、行政の弊害は、「機械的平等と公平の墨守」、「費用対効果の無視」、「非効率な意思決定」、「行動の遅さ」等であると映っています。これらの「弊害」は、市場論理、すなわち「公」の「私化(ワタクシ化)」によってこそ克服されるべきであると考えているところに越直美氏の本質があります。まことに浅慮!

  すこし勉強のできる小学生と一緒です。こうした人がマスコミへの発信力を唯一の武器に「市政刷新」を図ったのが越市政「混迷の8年」でした。ちなみに小学生が成長の過程でそうした見方をすることはある意味で自然です。大人になってもそのレベルでとどまっているところが救いがたいのです。

 こうした「思想的バックボーン」をもつ越直美氏が公務員を軽んじたり、公文書を棄損することに何の不思議もありません。越氏は「確信犯」であったというのが私の見方です。そこに「不都合な真実の隠蔽」、さらには「なりふり構わぬ保身」という強烈なバイアスがかかっていますから、白黒が明白であるはずの公文書裁判の審理がかくも長引くこととなりました。越氏は自ら法廷で思うところ、為した事がらを証言するべきです。新聞紙上で歴史修正の画策をする暇があるならば、法廷で堂々と自己主張をしてください!


<佐藤健司市長へのお願い>

 佐藤健司市長は越氏とは違い見識のある政治家です。公文書疑惑についても真相究明に力を入れると議会で言明して内部調査を実施され、越氏の公文書廃棄指示が明らかになるなど一定の前進がありました。しかし残念ながらその後の裁判での主張は後ろ向き、真実から遠ざかろうとしているかに見えます。その背景について私は色々推測していますがここでは書きません。コロナ対応をはじめ課題山積の市政を預かる身として「過去の問題はそこそこにしておきたい」と思うのも人情でしょう。とはいえ、この裁判だけは真実に基づいて正義を貫かれるようお願いをいたします。それが「公」を守り、ゆえなく不利益を被った原告の「当然の権利を回復すること」に直結します。

 私は以前このブログで、佐藤市長に何かのお願いをする立場にないと書きました。いまもそれに変わりはありませんが「中締め」に免じて一つ書かせていただきます。これは越氏に仕えた体験の反動であると自覚しています。「羹に懲りて膾を吹く」ことをご容赦ください。公務は市役所の内外において必然的に民主主義的に行われることを要します。どうか佐藤市長におかれては、市民のお声をしっかり受け止めることはもとより、職員の声も十分に聴き、集団の叡智を生かして市政を運営していただきますようお願い申し上げます。釈迦に説法ですみません。


<大津市職員の方々へ>

 越市政の負の遺産である「大津市公文書裁判」の経過にご注目ください。私の知る限りにおいて原告の主張は100%事実に基いています。しごく当たり前の主張です。この裁判では、越氏と元人事課長が市役所を舞台として行った不適切きわまりない行為の数々が問われています。過去の話ではなく未来の教訓です。

 さて、世の中に様々な職業があり全てに優劣はありません。職種を問わず真面目に働く人は等価です。そうした中、公務員は、職業として「公」に携わっていることに常に自覚的であることが大切であると思います。繰り返し述べてきたとおり、いま、新しい「公」を模索することが求められています。どうか皆さんにはお元気で、市民のために良いお仕事をしていただきたいと思います。本当に大変な時ですが、皆さんのご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。