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2022/10/12

191)ケアをめぐって 4 (地域包括ケア)

 これまで人間の本来的な在り方としての「依存」と「ケア」の問題を眺め、ついで家族介護のシーンで存在感を増しつつある「男性介護」にふれました。今回はケアが行われる「場」と「仕組み」である「地域包括ケアシステム」について考えます。このシステムはまだ理念の段階から大きく前進していませんが、人口減少・高齢社会の地域づくりの点で重要な意義をもっています。それにしてもギクシャクしたこの名称。お役所のネーミングは、生硬な漢字、説明のいるカタカナ、手前勝手な標語と相場が決まっていますが、もっとセンスを磨いてほしいと思います。

 そういうおまえはどうだ、と言われる前に本題ですが、いわゆる「近代化」は、世の中を遠景でとらえて社会資源を配置しそこに人を集めるという「集約」と「誘導」により進められてきたと言えます。たとえば巨大な工場、店舗、病院、テーマパーク等のように、、。交通、物流のインフラ整備もあいまって日常生活のエリアは拡大を続けました。効率第一の資本の論理であり、東京一極集中をこの側面から論じることも可能でしょう。こうした流れは私たちに豊かさを提供しつつ、一方で様々なレベルにおける格差をもたらしました。

 地域包括ケアシステムは、少し大げさかも知れませんが、この世の「近代化」に伴って生じた健康、福祉サービスの偏在を、高齢者を中心とした個々の市民の立場から是正する試みであると評価することができます。いわば、わが身の移動がままならない時に介護・医療サービスを近くに手繰り寄せる仕組み。とても良いではありませんか。厚労省はこう言っています。「重度な要介護状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい、医療、介護、予防、生活支援が一体的に提供される地域システムである。」

 具体的には、おおむね中学校区(約30分圏内)を一つのエリアとし、高齢者(ケアを要する人)の住まいのバリアフリー化、サービス付き高齢者住宅の整備、訪問サービス(診療・看護・介護・リハビリ等)の充実、通所サービス(予防・日中介護等)の整備、さらには地域の診療所と大病院との連携強化や老健施設・グループホームなど居住系施設の整備を図ると例示されています。またこれらのサービスは、利用者からみて一体的に提供されることが重要であること、また一方、利用者たる市民は、健康寿命を長く保つために定期健診をうけ、生活習慣病に留意し、活動的な日々をおくって介護予防に努めることが「推奨」されています。

 こうした地域づくりは、介護保険の保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていく必要があり、介護保険を母体としつつ、より広く地域の健康づくりに取り組むことを国は求めています。地域の特性とは、都市の性格(近郊都市や山間地など)や土地柄、人口や年齢構成、社会資源の状況などで、土台は共通でも全国一律のシステムとはなりえません。当初、目標年次として戦後のベビーブーム(夢のよう)の主役であった「団塊の世代」が75才以上となる「2025年」の実現をめざしていましたが、現在は「団塊ジュニア」が65才以上になる「2040年」(このあたりが国民の死亡数のピーク)に繰り延べられています。

 国にとって地域包括ケアシステムを進める目的は第一に社会保障費の抑制でしょう。高齢者の激増を主因とする社会保障費の増大は半世紀も前から自明のことであったはずです(そのために人口推計をはじめ各種の予測がある)。しかし、時々の政権は将来に備えるより、その時点での票の獲得を優先してきました(いまも同じ)。ようやく2008年、厚労省に「地域包括ケア研究会」が設置され、「なるべくカネのかからない高齢者のケアシステム」が議論されて今日にいたっています(防衛費増額のしわ寄せにされてはたまりませんが)。

 したがって「自助、互助、共助、公助」が重視されるのも自然の流れで、インフォーマルサービスと呼ばれる「互助」には、時にサービスの利用者自身も「担い手」として参加することが期待されています。「地域包括ケアシステム」は、こうした多様なサービスを引き出す場としても存在します。悪口のようなことを言いましたが、私は、このケアシステムに期待を寄せています(システムというよりビジョンやネットワークの方が中身に近いと思います)。

 その胴元である地方自治体は、地域福祉の維持増進に関する国からの責任転嫁(丸投げ)に注意しなければなりませんし、私たち高齢者(さらには地域住民)は、行政の「自助努力」や「自己責任」の押しつけをはねのける気概を持ちたいところですが、いずれにせよ今、日本の福祉、介護は大変厳しい状況にあります。そして、このシステムをよりよく運用することにより、私が言うところの「公」(個人と集団との幸福な関係)が地域的、局部的に出現するかもしれません。ささやかでもよいから成功事例を作りたいところです。

 このシステムにおいて重要な役割を果たすのが、私にもなじみ深い「地域包括支援センター」です。大津市は、従来から乳幼児・母子保健の拠点となる「すこやか相談所」を7つの福祉圏域に設置し、ここを基地として保健師が活動してきました。2000年の介護保険法の施行により「地域包括支援センター」を設置する際、「すこやか相談所」との併設を決定したことがとてもよかったと思います。これにより赤ちゃんから高齢者まで一貫した地域保健サービスを提供することが可能となりました。民間事業者からの出向人材も受け入れました。

 ただ、大津市民の方々に「地域包括」の名前がいつまでたってもピンとこないと私たちは感じていて(私は所管課長でした)、公募の結果「あんしん長寿相談所」に改名した経緯があります。「すこやか」と「あんしん」の所長は一人の保健師が兼務しており計7名、私は勝手に「セブンシスターズ」と名づけ、彼女らとの定例会議をいつも楽しみにしていました。その場では地域の様子が手に取るように分かったのです。まったく現場の人々の努力のお蔭であったと思います。

 いま、大津市のホームページを見ると、高齢者人口の増加している地区に「あんしん長寿相談所」の「第2センター」が設けられ、拠点数は11か所になっています。今後こうした場において、地域福祉の担い手たち(医療、介護、福祉、企業、自治会、NPO関係者等)の交流が日常的に行われることを祈るものです。大津の民・官の人材は豊富ですから地域包括ケアシステムの前途は明るいと信じています。

 一晩寝て書き足します。

 地域包括ケアシステムの進め方私案ですが、原案をつくり、各方面に声をかけ、進行管理していくのはやはり市町村ということになります。段取りとして、① 対象地域の地図をつくる(福祉・医療機関などサービスの担い手をプロットする)。 ② 地域内の担い手の顔合わせを行う。イメージを共有できる資料も配布(可能ならば一堂に会して)。 ③ 担い手が情報共有できるサイトを作る。 ④ いくつかのモデルケースに取り組む。 ⑤ 以上のプロセスから改善点を整理し共有する。 ⑥ 自治会等を通じて地域の住民への情報提供(安心の地域づくりを皆で進めています、という趣旨の周知)。

 以上は大津市の現状も知らないまま私の頭の中だけで書いています。慢性的な人手不足に加えてコロナ対応がありますから現場はさぞ大変でしょう。どうかすべての「担い手」が疲弊することなく、安心の地域づくりが進むことを祈っています。




 

 

 


 

 




2022/10/01

190)ケアをめぐって 3(男性介護)

 ~  介護をしない男を人間と呼ばない。介護は人間しかしない、他の動物は決してしない営みです。ですから介護することは人間の証明です。性別役割分業のもとに育てられた男性は、具体的な介護の仕事に戸惑い、悩むことが多いでしょう。しかし一方で男性には長年にわたって築き上げた社会的スキルがあります。孤立していてはその力を発揮できませんが、まとまれば社会を動かせます。(中略)男性諸兄、介護の世界にようこそ! 真人間の世界にウェルカム! ~

 これは、2009年3月、樋口恵子氏(高齢社会をよくする女性の会理事長)が、「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の発足によせた応援メッセージの一部。同ネットワークの事務局長をつとめる津止正敏氏(立命館大学産業社会学部教授)の著書「男が介護する」(中公新書)から転載しました。男をすこし持ち上げ励ましながらバチンと正論をぶつけており、男の私が読んでも気分爽快で、依存とケアの「正義」を論じるエヴァ・キテイの主張と深く通じるものがあります。
 ついでながら、私は元来、男だ女だという意識があまりなく、まずは「人間」だろうと思っています。早くに父を亡くし母の「女手ひとつ」で育ててもらった「恩恵」かも知れません。
 
 さて、いまや介護は完全に私の生活の中心となりましたが、まだ「介護歴」は5か月ですから何かを語れるほどの中身がありません。それにしても人の介護の話が身に染みるようになりました。ああそうだ、わかるわかる、という感じです。「男が介護する」という本もそのように読みました。著者は、かつて実母の介護問題に悩み、ゼミのフィールドワークとして地域の男性介護者の聞き取り調査を行い、各地の男性介護者のコミュニティ(会や集い)のネットワーク化に尽力してきた人です。今回はこの本をネタにさせて頂くこととし、以下に「はじめに」から抜粋して引用します。

 ~ 「女性介護者」とあえて呼ばないように長く介護を支えてたのは女性だが、近年では介護する夫や息子などの実数は100万人を超え、男性が主たる介護者の3人に1人を占めるに至った。ワーク・ライフ・バランスや男女共同参画の観点から歓迎すべきだが、一方で介護心中や虐待などの不幸な事件は増加しており、加害者の多くが男性家族である。その背景には、介護は、そればかりでなく男性の苦手な家事の負担(炊事、洗濯、買い物、掃除など)を伴う場合が多い、これらと仕事との両立は容易ではない、困難を抱えても人に助けを求められず孤立する男性が多い、といった事情がある。

 介護はつらくて大変だというのは厳然たる事実だ。ただ留意したいのは取材に応え体験記を記した多くの介護者が異口同音に「でも、そればかりでもない」と発したことだ。介護はささやかなりとも希望にも喜びにも浸れるような、直面して初めてその価値に気がつく生活行為でもあるというのだ。社会の主流である介護を排除してこそ成り立つような暮らしと働き方への異議申し立てだろう。本書が提起する「介護のある暮らしを社会の標準に」という主張は、こうした介護者の両価的感情との出会いから生まれた。

 男性を介護の射程に収めることは、視点を変えると男女がともに介護を担う時代を見据えることにあり、男女が手をたずさえ家族と自分の老後を安心して託すことができる新しい介護社会のシステムを創造していくことに他ならない。これは家族介護を礼賛しそこに誘導することとは一線を画し、「介護の社会化」の延長線上で家族と介護とを捉えようというものだ。いわば、家族等をいたわり気遣う権利(ILO156号条約)の観点から介護の社会化を考えてみたいのだ。

 万全の準備をして介護に臨んだ人、備えなく突然に介護場面に押し出された人、これまでの愛情や支えの恩返しを胸に一歩を踏み出した人、家族責任の思いからすべてを引き受けようと覚悟を決めた人、仕事と介護の両立に難儀している人、離職を余儀なくされた人。家族を看取った人もいれば新たに次の人生を歩き始めた人もいる。いわば、時代のフロントランナーとして戸惑いながらも介護者の道を歩むことになったすべての男性たちに心からのエールを送ろうと思う。 ~

 以上はこの本の趣旨を端的に語っている前書き部分の要約で、涙あり笑いあり読み応え十分の本編はこのあと続きます。世帯人数の減少や高齢者の増加により男性介護が増えるのは道理ですが、新参者である男性介護者が地域の介護者の集い(女性の割合が多い)に参加しても馴染めないことがよくあり、各地で自然発生的に男性介護者の交流の場ができているのだとか。そうしたグループが、「認知症の人と家族の会」や「男性介護研究会」の呼びかけに応えて「男性介護者ネット」を設立した経緯があり、今ではすべての都道府県に会員がいると記されています。

 それを知って、これは男性のワクに閉じこもったネットワークかと思われる方があるかも知れません。しかし、著者は次のように書いています。 ~ 介護・育児のために職場から排除されキャリアを剥奪されることが、女性ならば当然視され、社会から支援の対象として認知されることもなかった。いざ男性が当事者となると、なぜに社会問題と化すのか。場合によっては特段に注目され、さらには賞賛されるのか。この社会に深く根を下ろすジェンダー規範を乗り越えていくにはどうすればいいのか。この課題に男性たちのケアのコミュニティはどう関わり得るのか。ネットワークの10年は、いつもこうした問いに向き合いながら交流する日々だった。~

 引用ついでに本編からいくつかの報告やデータを転記します。

・男性介護者の介護困難の内容は、身の回りの世話および家事労働であった。中でも特に排泄や食事の介助が最も多く、問題行動は少なかった。男性介護者は女性介護者に比べて介護に時間がかかり、介護負担がいっそう強くなっていると考えられた。(本書P70。小和田・中山による1992年アンケート調査結果)

・男性介護者は介護を一身に背負い、精神的負担が非常に強いことや、周囲への援助要請が消極的であること、痴呆や介護への知識不足が介護への負担感を強くしていることなどが推測される。高齢者介護問題を取り上げた従来の研究では、介護が伝統的な性別役割規範のもと、嫁や娘といった比較的若い女性によって担われてきたため、高齢配偶者間介護、特に高齢の夫が介護者である場合の介護問題については研究が不十分である。(P72。一瀬による2002年「高齢者の心中問題に潜む介護問題」)

・同居の主たる介護者の続柄(1968年~2019年の割合変化)
  嫁 (1968年:49.8%  ⇒  2019年:9.8%)
  妻 (20.5%  ⇒ 25.9%)
  娘 (14.5%  ⇒ 16.1%)
  夫 (  4.5%  ⇒   14.3%)
  息子(  2.7%  ⇒ 14.9%)
  婿 ( 0.4% ⇒  0.3%)
(P85。著者作成データ。「その他家族」を除いた数値。中間年の数値を省略して引用しましたが、どの続柄の増減もほぼ直線的な動きを示しています。「嫁」の激減と「男性」の激増が明らかです)

・要介護者と同居の主な介護者の年齢組み合わせ(2001年~2019年の割合変化)
  60才以上同士 (2001年:54.4% ⇒ 74.2%)
  65才以上同士 ( 40.6% ⇒ 59.7%)
  75才以上同士 ( 18.7% ⇒ 33.1%)
(P87。厚労省データより著者が図表作成。ここ20年で介護の「老々化」に拍車がかかっています)

・男性介護者のシンポジウムにおける支援者(社会福祉協議会職員)の発言
 「徘徊に悩まされたり、夜中に何度もトイレに起きて大変なんだという会話を傍らで聞いていた、介護5の寝たきりの妻をみている人が、『妻のそういう状態(徘徊やトイレ介助)を何年も見たことがありません。私にとってはそのような状態は逆にうらやましいです』と話された。こういうのが大切かと思った。聞いていて思わず泣けてくるような場面もある。こういう気付きは私たちが支援できるものではなくて、介護者同士だから言い合えるものだと思ってそっと聞いている。」(P161)

 長々と引用しましたが、最後に収まりよく「まとめ」らしいことを書くことができません。しかし、この本「男が介護する」は、男性介護、老々介護のただなかにあるわが身につまされます。私も時間を使い手抜きをせずに介護と家事をやっていますが、どうも投じたエネルギーにみあう結果を得られていません。要領が悪いという自覚はあるので(特に母のための家事や買い物に関して)、今後、少しは進歩の可能性もあると思いたいところです。次回はケアシステムについて考えます。