ページ

2023/08/27

213)汚染拡散

  8月24日、政府と東京電力は、福島第一原発の「処理水」の海洋投棄を開始しました。今年度は3万1200トン(トリチウム総量5兆ベクレル)を放出し、すべて捨て切るのに30年かかるとのこと。これは、核種の大半が除去されている点で「処理水」ですが、なお処理しきれず放射性物質が残留している(ゆえに400倍に薄めざるを得ない)事実を踏まえると「汚染水」です。この件はすでに記事203「処理水のヒラメ」に書きました。

 政府は海外の原発もトリチウムを流していると言いますが、通常運転に伴う海洋汚染に加えて東電の爆発事故による海洋汚染をドカンと上乗せするわけですから、居直りとしか言いようがありません。核種の放射能は時と共に減衰するとはいえ、汚染水放出は室内のゴミを往来に掃きだすようなもので「場所」が変わったに過ぎません。ALPS(核種除去装置)をはじめ、除染、デブリ取り出し(100年以内にできるか?)、中間貯蔵、最終処分など全て、厄介きわまりない放射性物質の「場所替え」であって「処理」ではありません。

 岸田政権が「聞く力」を呪文のように唱えつつ無理無体を通して道理が引っ込むばかりの昨今、「現状認識」と「現状肯定」の境界さえ曖昧になっていますが、汚染水に関して忘れないでおこうと思う数点を書きます。

 一つ目は、かかる事態を招いた責任を誰が如何にとるのかという問題です。タンクがあふれそうな緊急時に「そもそも論」を言うなとの意見もあるでしょうし、私も「原発を建てなければよかった」という時点までさかのぼる気はありません。しかし、大規模地震の長期予測を無視して防潮堤のかさ上げを行わなかった東京電力およびそれを放任した国は、今回の爆発事故に直接的な責任を負っています(記事182~186「原発事故」)。この「出発点」を抜き何も語ることはできません。

 そして事故後12年も経つのにいまだ建屋への地下水流入を制御できず、これが汚染水のもとになっています。事故から5年目にやっと国費3百数十億をかけて「凍土壁」を造ったものの、これは壁でなくフェンスだとの指摘もあるとおり遮水効果が疑問です(なぜすぐに鋼矢板で建屋を囲わなかったか?)。東電は、「凍土壁の目的は地下水の流入を現状より増やさないことにある。燃料デブリは水に浸しておく必要があるから汚染水は今後も発生する」と評論家のようなことを言っていますが、地下水対策の拙さと遅さが汚染水を増やし続けました。

 国も東電もこの事態を不可抗力のように語る神経を疑いますが、原発事故も汚染水も彼らが惹き起こした人災です。こうした事実を直視し心からの謝罪と反省の上で海洋投棄の説明を尽くすなら話はまだ分かります。岸田首相や西村経産相が地元や漁連との信頼関係を構築したいと口にするのがウソでなければ、まずこの「挨拶」から入るべきだと私は思います。

 二つ目ですが、国も東電も、漁連の理解を得られないうちは放出しないと言っていたにも関わらず外堀をどんどん埋め、この事態を「漁連の利益」対「公益」の構図に仕立てました。まことに卑劣でずる賢いやり方です。そのあげく漁連に「寄り添う」とか「救済する」と言っていますが、「加害者」が「被害者」に対しこのような言葉を発する資格はありません。

 国などが多様する「風評被害」という表現も問題です。これは「本当は安心、安全なのだけれど無知蒙昧の大衆が噂を信じて生産者に損失をおよぼす」という意味です。しかし、例えばトリチウムの排出基準値について、少なくとも30年(次世代を含む最短の年月)、規模にして数十万人レベルの国際的な疫学データの裏付けがあるのでしょうか。信頼できる根拠なしに人々の行動を「風評」呼ばわりするのは科学的かつ謙虚な態度とは言えません。

 わが家では長年、福島の農家からリンゴを送ってもらい(この2年は中断ですが)、今後も福島の産物をおいしくいただくつもりです。しかし、これは科学的知見に基づくものではなく考え方もしくは感覚の問題です。多くの人も同様でしょう。一方で離乳食を作るのに福島産品をさける親がいたとしても、それを非難することができるでしょうか。もちろん生産者の「風評被害」が「救済」される必要があることはいうまでもありません。これは政府のつけるべき当然の「落とし前」です。

 三つ目に中国への対応のまずさです。中国は海洋汚染に反対すると主張して日本の水産物の全面禁輸に踏み切りました。中国は最大の輸出先であり年間8百数十億円の減収となります。日本政府は科学的根拠に基づくよう抗議していますが、海水や魚のサンプリング調査くらいで相手を納得させることは無理でしょう。そもそも汚染水が政治問題と化したのは、米国の属国のような主体性ゼロの日本外交の帰結です。中国が正しいとは決して言いませんが、政府の誤ったかじ取りにより日中の緊張が増し、今回の経済損失を招きました。

 四つ目に、IAEA(国際原子力機関)による「お墨付き」の問題です。IAEAは大きな存在意義を有していますが良心的な科学者集団ではありません。広島、長崎に原爆を投下して絶対的な「核大国」となった米国が、戦後もその立場を維持するため国連に働きかけて「原子力の平和利用の促進」(裏を返せば「限られた国による核兵器の囲い込み」)を目ざして作った組織です。すなわちIAEAは原発推進の機関であり、日本は加盟145か国中、米国につぐ有数の資金提供国(スポンサー)でもあります。

 だからIAEAの査察が不正であるとまで言いませんが、彼らにとっては「各国民の健康リスクの低減」や「地球環境のさらなる悪化防止」よりも「原子力の平和利用の促進」の優先度が高いはずです。要するに「原子力ムラ」の国際版です。私たちは、政府、東電はもちろんIAEAの言うことも眉に唾をつけて聞かなければなりません。医療や生産分野にも適用される「平和利用」は大切ですが、核物質を拡大再生産する原発だけは認めるわけにいきません。

 いま汚染水の問題でこんな大きな騒動になっていますがこれはほんの序の口。ALPSの後始末、廃炉、核のゴミの中間貯蔵、最終処分など少なくとも数世代にわたって実現が見通せない難題が控えています。政府や電力会社がどのように国民に対して責任をとることが出来るか、それは原発からの撤退しかないと私は思います。
 しばらく前、変化のない日常を区切るようなささやかな出来事が1週間ごとに3つあったので、それを書こうと思っていましたが汚染水に流されました。次回にまわします。





 

2023/08/15

212)戦う老人

  自民党副総裁の麻生氏が台湾に出かけ、「戦う覚悟が必要だ」とぶち上げました。中国が攻めてきたら台湾政府と人民は迷わず武器をとれ、日本も他人事ではないから参戦する、米国が駆けつけてくれるから心配はいらない、民主主義陣営の本気度を示すことが大事だ、と言いたいのでしょう。戦う老人・麻生太郎82才。パナマ帽の下は日の丸のハチマキです。好きな散弾銃を持たせたら、贅沢三昧の身体に自らムチをいれ「捧げ銃」で行進を始めること間違いありません。

 1940年生まれの麻生氏は戦後民主教育のいわば第1期生ですが、平和の大切さを説く先生の話をちゃんと聞いたのでしょうか。彼より少し年上のジャズ・サックス奏者渡辺貞夫さんは、「当たり前のことなど何ひとつなくて、僕たちが手にしている平和が、どれほど貴重なものかとありがたく思います」と語っています(朝日新聞8月13日「折々のことば」鷲田清一より引用)。二人のこの落差。政治家と音楽家の違いだけではないはずです。

 麻生氏は、軍備を増強し戦う覚悟をもつことが今日の世界情勢における平和への道だという意見です。1年前のペロシ米下院議長の訪台にも刺激されたでしょう(俺も一発かましにいくか)。「積極的平和主義」や「敵基地攻撃能力の保持」が昨今の政権の方針ですから岸田首相もニコニコと送り出したはずです。
 麻生発言に対し、中国外務省は日本が台湾を植民地支配した過去をあげ「最もなすべきことはわが身をかえりみて言行を慎むことだ」と指摘しました。これは正論です。台湾や香港を力で従わせようとする中国も自省の必要がありますけれど。

 かつて元が攻めてきた九州から南にむけ、沖縄、台湾、フィリピン(いずれも先の大戦で軍靴に踏みにじられた地)にいたるラインは中国艦隊の太平洋進出を多少なりとも抑止する役割が期待されており、麻生氏の訪問には砦どうしの連帯確認の意味もあったでしょう。政府は膨大な情報(多くは非公開)をもち、専門家がそれらを客観的に分析して外交・防衛政策を練り上げているはずですから、私ごときの感想は素人の世迷言に過ぎないと重々承知をしていますが、それでも素朴な疑問が消えません。

 政権の主張するとおり「リアルで大きな軍事力」を持つことが相手国の「攻撃の抑止」に本当につながるのでしょうか。言い方を変えると「開戦の意志決定」は、「自国の勝利を間違いなく保証する冷静かつ客観的な情勢分析」に基づいて行われているのかどうか。すなわち「勝てると分かっているから喧嘩をするのか」。
 それは違うと歴史が教えています。他ならぬ日本が行った真珠湾攻撃がそうではありませんか。当時は大東亜共栄圏を守るという大義名分がありました。すべての戦争は正義の名のもとに行われます。麻生忘れたか。(これは米国の銃規制にもつながる問題だと思います)

 事情は少し異なるもののウクライナ侵攻も同様です。ロシア(プーチン)は完全に読み誤りました。これはもちろん「必勝を期せ」と主張するのではなく「戦争は理性的に始められるものではない」という事情を示しています。したがって理性的な判断が行われることに依拠する「軍備の抑止力」はアテにできません。何より忘れてはならない重要なことは「勝つ」にしても「負ける」にしても命を落とすのは多数の無辜の国民です。

 私が足しげく通う桐生の田んぼに、ずっと昔から大きな「反戦老人クラブ」による「反戦看板」が立てられています。何年かに一度くらいのペースで文言は変わりますが「戦争反対」の主張は一貫しています。私たちは桐生に行くたびにその看板を眺めるのを楽しみにしていました。最新の看板は「戦争したがる政府はいらない!原発=環境破壊、今すぐやめよう」と訴えています。かつて「反戦老人クラブ」とあった下のスペースには「子ども教科書 市民・保護者の会」とありました。

 この看板を記憶の限り20年以上前から好意と共感をもって眺めてきました。「反戦老人」もその目的のために「戦う老人」ですが(私も列に加わらなければなりません)、今は世代交代したのでしょうか。或いはその過程で教科書を考える人々にもウィングを広げたのでしょうか。いずれにせよ麻生氏や岸田氏にもこの看板を見て欲しいと思います。税金と時間を使って海外に行くより意義があります。そのついでに足を伸ばしてオランダ堰堤を見学しましょう。明治の「お雇い外国人」デ・レーケが自然石で作った現役の砂防ダムです。

 ちなみに渡辺貞夫は私たちが好きであったサックス奏者です。その昔、すでにアメリカで活躍していた秋吉敏子に「リリカルな音を出す若手がいると」評されたこと、バークレー音楽院から戻って新宿ピットインで伝説的な演奏をしたことなど、彼にまつわるエピソードを覚えています。今はなき大津の西武ホールのコンサートにも行きました。
 また、議会視察に随行して彼の出身地である宇都宮市に行った際には、市役所のトイレに入ると彼の代表曲である「カリフォルニアシャワー」のメロディーが流れてきたことが忘れられません。

 今回は開高健の愛したバーのこと、彼が「アパッチ族」の首領として小説に描いた金時鐘さんのことなどを書きたかったのですが、いったん区切って今日この日にアップします。先ほど終戦記念式典のニュースを見ましたが、岸田首相はじめ政治家のスピーチは揃ってお粗末です。そもそも、伝えようとする心の中のダムの水位が低いのだと思わざるを得ません。







2023/08/07

211)花火大会ほか

 ずいぶん間が空いてしまいました。前回記事から半月ほどの間に、汚染水放出の免状を米韓にねだったり、「風力」で袖の下をふくらませたり、除草剤で街路樹を枯らしたりと官民で驚き呆れる出来事が報道されました。こうした世相を「公」の切り口から縦横無尽に論じたいのはやまやまですが、私の手の届く範囲でボツボツ書きます。3つあります。

<後日譚>
 前回記事は「節目にあたっての閲覧御礼」のつもりで書き始め、そこでようやく過去の記事の消失に気づいた次第です。これまでの経過を振り返った箇所を読んで「(私の妻の)声が聞こえるようだ」とメールを下さった方があり嬉しく有難く思いました。一方、大津市政の記事が読めなくなった件については予想外の(勇ましい)メールや電話を頂きました。「あの人物ならやりかねないな」、「被害届を出してはどうか。少なくとも警察に相談だけしては」、「被疑者不明で刑事告訴せよ」等々。

 私も、これは人為によるものと考えていますが確証はなく、まずは友人の尽力で記事を復元できたので「これでよし」と思っています。クリスマスキャロルの主人公スクルージのように過去の亡霊に出会った気がしますが、私の「応援団」がいて下さることも改めて分かり心強く思いました。今後も変わらず書いていきます。

<躓きの石>
 私のつまづきの石は、いつもは歩かない山道に積もった枯れ葉の下にありました。靴底の半分でその石を踏み足首を捻挫をしたのが7月中旬。過去の経験から腱が伸びただけと判断して自家療法につとめ、先日からようやく「桐生彷徨」を再開しました。山の上からいつも琵琶湖の対岸を眺めていたので、しばらく何か欠け落ちた気がしていました。大津よい町です。

 岸田氏のつまづきの石は沢山あります。子息や閣僚の質の問題は小石に過ぎません。大きな石は「敵基地攻撃を含む軍備増強」と「原発回帰」です。これで彼がコケるのかどうか。それを審判する側の「評価時間の長さ」が問われています。「日本よい国」になってほしいと切に思います。

 ちなみに政府は、「汚染水」や「マイナカード」などについて「国民の不安解消」という言い方を多用します。まるで国は正しいことを進めようとしているのだが意図が十分に国民に伝わらず無用な混乱を招いている、という口ぶりです。そうじゃないだろ、国の取組そのものが問題だと言ってるんだ、国民をバカにするな、と私は思うのです。

 特にマイナカードについて、国は不具合の責任を地方自治体に押し付けようとしています。制度設計、点検項目、スケジュールなど全て国が決めたことであり、自治体の責任は皆無とは言いませんが問題は国にあります。全国知事会や市長会にストライキ権があればいいのにと私は夢想します。あるべき「地方自治」はまだ先です。

<花火大会>
 大津の花火大会に地元の中央学区が反対声明を出したことを知っているか。これこそ「公」の問題だから大津通信に書くべきだ、と友人が言ってくるまでこの件を知りませんでした。なるほど「全体」と「一部」との利益の調整という構図において友人の指摘は当たっており、いわゆる「迷惑施設」の建設問題にも通じます。私は今も報道されている以上の情報がありませんがその範囲で書きます。

 明日(8月8日)は久しぶりの琵琶湖大花火大会。実行委員会は1万発確保のため有料観覧席を大幅に増やした。例年以上の人出を見込んで「有料チケット」を持たない人は来ないでくれと市外にPRした。人の滞留を防ぐため(有料席の値打ちを高めるためにも?)高さ4mの目張りを延長した。地元はゴミと混雑だけ押し付けられ、花火の視界を奪われたと受け取めて学区自治連として反対の申し入れを行った、ということです。

 いまは草津住民である私としては、安全で持続可能な大会運営をめざす実行委員会の意図も分かるし地元の気持ちも分かるし、間をとって何とか折り合えればいいのだがいう中立的な気持ちがわきます。花火大会を明日にひかえ実際にどんな動きになっているのか知る由もありませんが、今後に向けて幾つか再確認すべき点が明らかになったと思います。

 まずは市民にとっての花火大会の意義です。琵琶湖は絶好のキャンバスだし回数を重ねてきた催しですから今後も続けばよいと私は思っていますが、年に1回、1時間のための無駄遣いだという意見もあります。コロナだって無くなったわけではありません。観光振興の面では通年のリピーター増加に対する貢献度も知りたいところだし、ライトアップ補助金など一連の観光施策の中で捉えなおす視点もあります。

 1万発を小分けにして会場や日時を分散させる案もありえます。千発では花火の気がしないという意見もあるでしょうが、私は昔、近江八幡の小さな神社で地元の花火師(といっても趣味でやっている人)が打ち上げる数十発の花火を真下から見たことがあり、頭上に火の粉が降りかかる光景に息をのんだことを覚えています。こんなレトロな花火はもうできないでしょうが、大規模化以外にも道があるかも知れません。

 今回は、地元の人が「締め出された」と感じた(であろう)ことが問題です。浜大津の歩道橋付近には以前から危険防止のため目張りがされてたものの、湖岸一帯に視界をさえぎるものはなかったと記憶しています。花火は夜空という「公共空間」に打ち上げられるもので有料観覧者だけのものではないという点がホールやアリーナでの催しと大きく異ります。そして花火が見えない場所にも音は届きます。それが心身にキツいという人だっているはずです。様々な人が受け入れることで大会がなりたっています。

 難しいことを言い出したら何にもできませんが、かといって様々な見地から検討せざるを得ないのが社会的・公共的な活動です。だいぶ昔の話になりますが、音楽家の冨田勲氏から琵琶湖を舞台に「サウンドクラウド」をやりたいとの申し入れがあり、所管の決まっていない仕事は企画課が引き受けるということで私が担当になりました。冨田氏がシンセサイザーを操作、湖上高く釣り上げたピラミッド状のガラス箱から大音響を流しつつレーザー光線を空中で交錯させるという音楽イベントでドナウ川や長良川での実績がありました。

 騒音と光害の苦情が来てもこれはぜひ実現したいと私は思い、長良川イベントの自治体視察をしたり市長に冨田氏と面会していただいたりと動きかけたのですが、ちょうどその時、最大スポンサーの屋台骨を揺るがす内紛が発生してプランが吹き飛んでしまいました。この時、冨田氏が市に求めていたのは地元自治体としての事業承認と人的な応援、関係機関との調整、地元住民への説明でした。今回の花火の件でこのことのを思い出しました。

 以下は8月8日の付け足しです。高さ4メートル、延長2キロ目隠し幕とそれに囲まれた有料席の映像を見ました。「只見はするな」とのメッセージになりかねません。また、比較的スペースのある有料席を増やしたことにより、それ以外のエリアにおける人の密度が増す可能性があります。従来も湖岸は人であふれていましたが、部分的にさらに危険度が上がることが懸念されます。

 デッキチェアのような「エグゼクティブシート」の写真も見ました。それ自体はステキだし奮発して優雅に花火を楽しむのもアリなのですが(各席とも既に完売)、全体的に「市民に開かれたイベント」から離れつつある気がしました。何はともあれ4年ぶりの開催です。休場明けの大相撲力士のように「勘がもどらない」ところもあるでしょう。今夜が無事に終わり、来年以降にさらに良い形で継続されるよう期待したいと思います。