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2025/09/27

288)ペキンダック

  友人O君(言文一致男)からメールが来ました。「石破さん、国連総会に出席してええこと言うとる。首相はこの人がいちばんええと思うたわ。石破茂のラストスピーチやなあ。」とありました。たしかに良い演説でした。石破氏は安保理がロシアのウクライナ侵攻を止められていないと指摘し、「この瞬間も罪のない人々の命が失われていることを我々は強く認識しなければならない」、「分断よりも連帯、対立よりも寛容を」と訴えました。

 それを言うならロシアと同様に拒否権を有するアメリカのせいでイスラエルのガザ侵攻を止められていないことも指摘するべきですが、まあよしとしましょう。しかし常任理事国という「勝ち組特権」が今も温存されていることについて、その他多数の国々は不満をつのらせているはずです。つまるところ国家間のエゴの問題ですが、その事実は国連という枠組みの重要性を逆説的に証しています。

 そのような場で石破氏は自分の見識を語りたかったのでしょう。国内の平和祈念式典では封印した思いでもあります。私の知るかぎりで石破氏は日本の行った戦争について客観的な認識を有し、それを政治に生かす志をもつ人であると思います。内では旧安倍派に忖度し、外では米国大統領の顔色をうかがっていた首相ですが辞めると決めて吹っ切れました(遅きに失したけれど)。彼をレームダックと呼ぶのは失礼です。ペキンダックの値打ちがあります。

 それにひきかえ5人の候補者は資質・見識の点で見劣りするうえ、失点を恐れて話が小ぶりになっています。とにかく総裁になろう、その後で好きにやればいい、今は我慢の安全運転だと彼らは思っているのでしょう。本来なら日本の現状をどう見るか(価値の創出がうまくいかず停滞基調にあると私は思うけれど)、自民党によるここ30年ほどの国家の舵取りをどう評価するについて自分の意見を述べ、それから具体論に入るべきでしょう。

 これで議員・党員・党友の支持が得られると候補者は思っているわけですから、投票権を持つ人は「馬鹿にするな、大きな話をせよ」と怒らなくてはなりません(1年前の総裁選も似たようなものでしたか)。ところで今回の総裁選は、参政党が主張する「日本人ファースト」に引っ張られている点に特徴があります。票を得たいという下心だけでなく、5人の候補が等しく持っている地金が現れたように思います。濃淡の差はあれ彼らは参政党に共鳴しています。

 ところでマスコミの一部が「進次郎さん」という呼称を使っていることに不快感を覚えます。かつては父親と区別するために姓でなく名を呼んだのかも知れませんが、いま当人は七光りでなくコシヒカリで頑張っています。他の人と同様に「小泉さん」と呼ぶべきです。マスコミのこのような節操のなさ、馴れ馴れしさが私は嫌いです。これも小さな偏向報道です。

 思うことはいろいろありますが、ぐずぐずしていたら総裁選が済んでしまうのでアップします。次回に記事を書く時には総裁が決まっています。議員・党員・党友のご判断を注目します。






 

 

2025/09/18

287)次はだれか?

 粘り腰の石破氏がついにギブアップし、待ちかねていた人たちが舞台に出てきました。次期総裁を決める必要があるのは百も承知だけれど、やれやれまたかという感じです。自民党と無縁な私ですが、どうせなら石破氏より政治家として優れた人がバトンを受け継いでほしいと思います。

 そんな目で候補者を見ると、逆に石破氏の美点が浮かび上がってきます。噛んで含めすぎる話し方はさておき、石破氏は自前の言葉で話せる数少ない政治家の一人です。議論低調の国会において、石破氏と立憲・野田氏の応酬は聞く人の耳を傾けさせるものがありました。自分の考えを人に通じる言葉で語ることは政治家の基本資質ですが、この点で石破氏に並ぶ候補者がいるでしょうか。

 かつて石破氏は自民党主流派に異論を唱えて党内野党と呼ばれました。多数に与せず正論を述べんとするその姿勢を評価する声は確かにあったし、党内の「リベラリスト」に擬せられる存在でもありました。また安倍、麻生、二階、萩生田氏などと比べて「金権度」が低くてクリーンなイメージがありました。1年前の自民党はこのような人物を求めていたわけです。

 しかし石破首相は「石破らしさ」を出せずに終わりました。党内の期待は第一に「選挙に勝つこと」だったでしょうし、国民(少なくとも私)は石破氏が「正論」を少しは実行することを期待していました。しかし、「日米地位協定の見直し」は米大統領との会談で「ほのめかし」すらされず、「核兵器禁止条約会議へのオブザーバー参加」は見送り、「選択的夫婦別姓」も先送りとなりました。「金まみれの腐敗議員」も不問のままです。

 いやそんなことより選挙に負けたことこそ問題だ、トップは責任をとるべしいうのが自民議員の本音でしょうが、そのような思考回路だから選挙に負けたのであって、2回の国政選挙の結果は、参政党が良かったのではなく自民党が悪かったことを示しているのだと思います。この結果を「党首の辞任」でチャラにできるという考えが虫がよすぎます。

 サントリーの新浪会長がややこしい薬に手を出して辞めたのは「引責辞任」として理解できるけれど、石破首相が辞めることは、いったい誰に対して、どのような責任を果たすことになるのでしょう。「けじめ」や「落とし前」のレベルを超えた論議が求められるけれど、いずれにせよ自民党内の話です。それよりこの2カ月ほどの政治の停滞については誰が責任をとるのでしょうか。

 自民党は自ら選んだ石破氏という人間を生かせずに終わった、という見方もできます。一年たって潮目が変わったとも思えないけれど、今度はどのような人を選ぶのか、選ばれた人はうまくやれるか、党はその人を生かすことができるのか。与野党の関係も変わるだろうし、国民の目先も変わります。とにかくマシな人が選ばれてほしいと思います。

 私は各候補者の政策を比較検討するつもりはなく(そこまで興味がない)、たんに彼らが石破氏より資質的に劣っているのではないかという私見により書いています。かといって石破氏が優れた政治家だとも言いません。世の中に本当に優れた高潔な人がいて、それを私は社会の一員として有難く思いますが、そのような人はたいてい政界の外にいます。政治とはなにか、いや権力とはなにかという問題につながる現実です。

 話は変わって、前回の記事(スマホ厳禁)を読んで友人O君が感想メールをくれました。彼は、うなぎ店主の頑固さに一定の理解を示したうえで、店主があわせ持っている独善性や偏狭さを指摘しています。そしてそんな店がつぶれず営業を続けているのは、店主の流儀を結果的に受け入れている「東京の客」の根性がないからだと論じています。以下にO君のメールを引用します(例のとおり驚異の言文一致体です)。

「うなぎ屋の記事おもろい。そんでもおやじに共感できるとこもあったわ。俺が鰻屋でもうまいもん食いに来たことを楽しんでほしいやろな。スマホさわってな済まんような気でおられたら場所と時間の意義を分かっとんかい、て感じ。そやけど、客ちゅうのは不特定多数の他人やんか。おやじには共感を伝える工夫が足りひんな。しかるべき表現手段できちんと客の理解を求めたら、社会への提言にできそうな気がするわ。それに茂呂のケースは必要に迫られたスマホの使い方で、おやじがそのニーズまでツベコベ言うたらアカン。その辺歩いとる奴らのすることにいちいち文句言えるの?やんか。

 おやじは視野が狭いし思考が鈍い、それが土台の横柄さがある。それが証拠に茂呂が食うのやめることまで、おやじは予測できとらへんた。ふつう食うのやめるに決まっとるやんけ。そいでもトラブルになる一歩手前で無関心に逃げ込むちゅうのが東京流で、客がおとなしいし従順や。『もうリピはないねえ』とかキザったらしい言い方しよって仕返ししたつもりになっとるねん。リピせん前にひとことおやじにひと言文句言うて来いと俺は言いたいわ。」(引用おわり)

 ご覧のとおりO君はばりばりの関西人ですが、東京の大学を出て関東圏で仕事をしていたので私より見聞が広く、また同い年と信じられないほどインターネットへの造詣が深いのです(凝り性で新し物好き)。たったいまO君に電話し、ブログで総裁選のことと君のメールを書きたいがいいかと聞くと「おお、かまへんで」と快諾し、同時に石破氏を惜しむような言葉を発しました。私と似たような気持ちだろうと推測しました。





 
 
 

 

2025/09/05

286)スマホ厳禁

 自由民主党はその素晴らしい党名にふさわしくない政党であると私は常々思っています(ほかの政党より名と実の乖離度が大きい)。この党の金権体質および強者優先の政治姿勢は、長く政権与党であることで強化されてきました。見方を変えれば最も力量のある政党でしょう。その党内で「解党的出直し」をめざす論争が盛んですが、党も議員もずいぶん小粒になり内向きになりました。東では「はやくしろよ」、西では「はよせんかい」とみんな怒っています。

 これを待つ間(?)にワタクシゴトを連ねます。私は桐生をさまよう体力があるのに不整脈をかかえています。これは明らかに労災ですが今は詮ないこと。何年も不整脈につきあって来ましたが、このたび根本治療を受けると決め、東京は井の頭沿線にある専門病院に出向きました。朝一から各種の検査を受け、今後の方針を相談し、納得して病院を出たら午後2時でした。そこで駅への道すがら小さなうなぎ屋に入ったのです。

 小さな引き戸を開けると狭い客席に店主が一人すわって新聞を見ながら遅い昼ご飯を食べていましたが、どうぞと立ち上がり、読みかけの新聞を寄こします。鰻丼か鰻重だけ、どちらも3800円ですと言われ、私は鰻丼を頼んで新聞に目をやりました。大谷選手の写真がでかでか載っていたので、大谷はやりますねというと、そうだよ凄いもんだよ体もひけとらないしさ、と応じる店主は70代後半と思われます。

 私がいま行ってきた病院の評判をきくと(ぬかりはありません)、はやってるねえ、外国からも患者が来てるよ、中国人とかヨーロッパとか、との説明でした。ふむふむ。出されたまずいお茶を飲んでいると、ご近所らしき女性がやってきて持ち帰りのかば焼きはまだかと腰をおろしました。店主は、はい仕込んでるよと答えて狭いカウンターでごそごそやっています。私はスマートフォンを取り出し、次の目的地である横浜への行き方を調べかけました。

 そこへ店主から声が飛びました。「この店はスマホ禁止です」。私は迷惑電話を注意された気になってあわててしまったのですが、まてよ、黙って見るには誰の迷惑にもなりはしないと思い直し、「ちょっと調べものですが」と説明しました。すると「それもだめです、店の写真をとる以外のスマホ使用はお断りしています」との返事。「このごろの人は座るやいなやスマホをいじくってる、うなぎ食べに来たんでしょう、その間ぐらいやめらんないかなあ」。

 私は言いました。その点は同感だけど、人にはそれぞれ都合がある。あなたの考えで人の都合を左右するのはおかしいでしょう。大切な用事だったらどうするんですか?店主いわく、それだったら店の外に出てやってください。ここで私は腹が立ちました。「この暑い中わざわざ往来に出てスマホをやれというんですか。食事中ならマナー違反かも知れないが、鰻丼が来る前に見てるだけでしょう」。これに対し、「これは私の店です、うちはこれで50年やってんだから」

 私は立ち上がってカウンター越しに言いました。「私もこの年だから大声は出しません、しかしあなたは間違ってるよ、なんの権限で人の都合を差配するのか、店の方針なら貼り紙しとけばいいでしょう、だいたい50年前にスマホがあったか?あなたはいい気になってる、少し考えたらどうです」。先方は、「ここはうちの店なんだから」と譲りません。「もういい、こんな店では食べられない、もう帰ります」と私。

 「ええ?もう用意はじめちゃったけど」、「もちろん払うよ」(と財布をだす)、「いや食べてないのにもらえない、うちはそんな商売やってません」、「どっちなんですか、請求するのかしないのか」、「一円も結構です」、「ああそう(と財布をしまう)、、、ではこれで帰る、お邪魔さま」、「はい、どーもありがとうございました(不承不承)」

 店を出た私は駅の手前のラーメン店に入りました。中華そば1000円。最初からここにしておけばよかったけれど後の祭りです。うなぎ店主は世直しがしたいのでしょう。気持ちは分からないでもないけれど、それは仲間うちのルールにすべきです。私は争いを好まないけれど、ごくたまに正面衝突を起こします。まあこの件は貰い事故ですけれど。

 ところで病院では医師から禁酒を強く勧められました。先生のご本にはタバコは厳禁とあったけれどお酒への言及はなかったですよ、冷蔵庫にビールを冷やしてきました、と私は抵抗を試みましたが、そのあとにアルコールの有害性の知見がふえたんです、心臓にはだめ、毒を飲んでるのと一緒です、今後の処置がおわって安定したら控え目に飲んだらいいんです、1年は禁酒、その後は節酒です!

 この日の夜、私は若い衆の家に行きましたが、そこで彼らの健康管理に意見をのべる場面が生じました。その時の勢いで「君らは育児、仕事にかまけて健康をおろそかにしてはならない、ぼくも酒をやめる」と啖呵を切りました。翌日、草津に戻ってきて今日で断酒8日目、これはこの半世紀で初めてのことですからブログに書かないわけにいきません。

 友人T君にこの次第をメールし、秋にお越しの際、私に構わずどうぞビールを飲んでねと早々と予告しました(2カ月先の話です)。T君の返事にいわく、1年は飲まないというところが正直というか、いじましいというか突っ込みどころだな、患者さんにはお酒を飲まない人もあって自分も反省することがある、11月には静岡のお茶をもっていくよ。
 すっぱりとお酒をやめた私に対し、T君が尊敬の気持ちを抱いた可能性が若干あると私は考えています。しかし1年の「暫定ゴール」はずっと先です。


【棚から言の葉】

~ それでも地球は回っている ~

 決心から8日がたった私の心境です。そういえばかつて同じ言葉を発した人がありました。ガリレオは異端審問をうけましたが、功罪ともに大きいキリスト教ではあります。