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2025/07/14

282)地域デビュー

  6月のある日、私は草津市の社会福祉協議会に行き「何かお手伝いできることはないでしょうか」と尋ねました。さんざん迷ったあげくです。係の女性にうながされカウンターをはさんで座りました。「ボランティアのご希望ですね?」、「はい、スキルはないけれど動くのは苦になりません」、「ご希望の分野などありますか」、「齢も齢ですが、できることなら何でも、、、」、「いっぱいあります。90歳の方も活動されてますよ」、「ぎょぎょ」

 こうして100以上あるボランティア団体の一つにつないでもらい、翌週から活動に参加しました。この団体は草津市社協の事業支援に特化したグループで「キラリエ」という複合施設で活動しています。当面の業務は、市内の小中学校はじめ各施設のトイレに配置する生理用品の小分け作業です。段ボール箱から取り出し1個ずつビニール袋に入れるのですが、SOSの連絡先が書かれたカードを同封します。単純きわまりない反復作業です。

 この日のメンバーは私をいれて4人でみんな手を動かしながら挨拶しました。代表者は私より一まわり上の男性、女性の一人は次に学童保育の仕事に駆けつける人、もう一人の女性は複数のボランティアを掛け持ちし、私に手話グループに入れと勧めてくれました(にこやかにお断りしました)。2時間作業してあっさり解散。なかなかいい感じです。この団体はバルーンアート(細長い風船細工)の出前もしていますが、私は今のところこの作業だけ参加するつもりです。

 草津市社協の人との立ち話の中で、大津市社協のXさんの名前が出て驚きました。Xさんは別組織から大津市社協に出向していた人で、私が高齢福祉担当課長であった時、出向期限の延長について「親元施設」に頼みに行ったことがあります。もちろんこの件は黙っていましたが世間は狭いものです。Xさんの名は草津市社協でも売れています。いまは新天地で活躍されているそうです。

 別の日、私は草津川の河川敷公園(であい広場)の管理事務所を訪ね、草むしりをさせてくださいと言いました。ここでは「グラッシー」という市民団体が活動しています。10数年まえのこと、アヅマと私はその団体の設立会議に参加しました。公園のグランドデザインに携わった人が私たちの知人であった縁によります。当時は時間の余裕がなく、いずれ参加しようという話で終っていました。

 さいわい私の申し出は笑顔で受け入れられ、次の土曜日に初出動しました。そのエリアを受け持っている数人の人と一緒に植栽の根元の雑草をぬきました。両側が堤防ですから、お湯を抜いた長い湯船の底で熱気につつまれ這いまわっている感じです。係の人が大丈夫かと声をかけてくれますが、私は家でもっとキツい作業をしているので平気です。

 2回目の活動では除草してから草花の苗の植えました。前回あいさつした女性から、あなたはぜひレイカディア(龍谷大学の市民講座)に行きなさいと言われました。いや勉強は苦手ですと答えたら、そんならガーデニングや陶芸教室が向いていると二の矢が来ました。ホームページを見て考えますと答えましたが、次回は態度を明確にさせなければなりません。

 こうして6月から地域デビューを果たしました。私は人嫌いではないけれど(むしろ逆)、これまでは家族との時間に満ち足りていたので友人以外にあえて世間の人と交流する気が起こらなかったのです。しかし世間なんてどうでもよいと思いません。人の役に立ちたい気持ちは人並みにあります。70歳で献血できなくなった時は門前払いをくった気がしました。ならばとユニセフのマンスリーサポート(毎月寄付)も始めました。

 一方で、アヅマの手さばきを思い出しつつ料理をつくり息子一家にクール便で送りつけています。毎回とても好評ですが、私の腕がいいのか彼らが優しいのかというファクトチェックが難しいところです。あまり調子に乗ってはいけないと自戒する間もなくメニューが尽きてしまいました。しからばいかがいたそう。私は要するに、自分のためにだけ時間を使うことに飽きたのです。結構な身分やなあと思う方がおられても甘受するしかありません。

 このような経過があって今回はじめて世間にアプローチしました。「迷ったあげく」と冒頭に書きましたが、実際に行ってみれば皆とても気楽そうに楽し気に活動しています。いや確かにこんな世界もありました。私の市役所時代(企画、協働、まちづくりなどの分野にいたとき)親しくお付き合いさせていただいた人々の世界です。あの時から時間がたち、立場が変わり、場所も変わって、「そちら側」に仲間入りした気持ちです。
 今週はもう一つの団体を見学させてもらう予定です。私事ばかり書いてしまいました。


【棚から言の葉】

~ いやあ、こんだけ暑いと帰ってシャワーあびて「これ」やらなあかんねえ!~

 桐生でいつもすれ違うおじさんの言葉。互いに名前を知りませんが、最初から「よい人オーラ」を発していたこの人は、最近私を見かけると旧友に再会したような笑顔をみせてくれます。先日はおじさんが東屋に座っており、私が前をとおり過ぎる間ずっと会話がありました。おじさんが「これ」と言いながらジョッキを傾ける真似をしたので、私もふりかえりつつ同じ仕草で答えました。もう友達です。







2025/07/08

281)センタクの夏

 抜けるような青空いっぱいに無数の白シャツがはためく光景。それはかつて洗剤のテレビCMの定番でしたが、あの映像がもたらす爽快感や清涼感は、夏の暑さが尋常である時代の産物であったと今にして思います。さかのぼると「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」につながる感覚です。昨今の夏はここから逸脱し禍々しいほどの暑さです。地球「温暖化」というマイルドな表現を私たちは改めるべきでしょう。

 今年は「選択の夏」でもあります。参院選の投票日を迎える前に思うことを少し書きます。時節がら各党とも物価対策と生活支援を重視し、方策として給付金と減税のどちらがよいかが議論になっています。確かにこれらは当面の課題ですが、どうして物価が高く、賃金が低いのか、すなわちなぜ日本はうまく回っていないのかという「そもそも論」を説明する責任が政治家にあります。しかし先日のNHKの党首討論で各党首は、ガマの油売りのような口上を言うばかりでした。

 「これでいいのか日本」と思うことは多々あるけれど、私はトラック転落事故に衝撃を受けました。本年1月、埼玉県八潮市の町なかで県道に突然、穴があき、たまたま通りかかったトラックが転落した例のいたましい事故です。壊れた下水道管に周辺の土が流れ込んで地下に大きな空洞ができていました。転落の翌日、穴は直径40メートルに広がって救助は困難をきわめました。トラックと運転者が引き上げられたのはなんと3か月後でした。

 救助のため真摯な努力がなされたことに疑いはありませんが、山でも海でもない街のど真ん中の県道を走っていたトラックが下水道でできた穴に落ち、衆人は環視するばかりでその人を救えませんでした。これは「下水道の点検不足」や「救助技術の不足」以前の問題、すなわち私たちの社会の在り方の問題ではないかと考えます。このような社会が道路に穴を開け、落ちた人を無策のうちに見殺しにした、とは言い過ぎでしょうか。

 近年、道路の陥没は各所で起こっています。地下鉄工事やトンネル工事も原因の一つでしょう。水道管の破裂もめずらしくありません。ガス管の事故もありました。管渠ばかりでなくトンネルは崩落しないか、橋は落ちないか、線路はゆがまないか心配はつきません。そもそも日本は国土の大半が軟弱地盤であるうえ地震大国です。あらゆる施設の経年劣化は着実に進行します。さまざまな現場で技術の伝承が困難になっているとも聞きます。事故の手前のニアミスはいくらでもあるでしょう。

 もちろん自治体や国には図面と修繕計画があり、それにもとづき年次的に維持管理が行われているはずですが、実際にはどことも予算と人手が圧倒的に足りません。すでに出来上がって何とか機能を果たしている(ように見える)構造物より、医療、福祉、介護、教育など「人がらみ」の施策の優先度が高いでしょう。うちの道路や橋は大丈夫と胸をはって言える都市はないはずです。

 日本のインフラは戦後復興期から経済成長期にかけて多く整備されました。公共事業のラッシュで手抜き工事が社会問題化したこともあります。これらのインフラはそろそろ寿命です。一斉更新など不可能ですから、だましだまし、かしこく、地道に維持管理を続けていかなければなりません。そうした維持管理は現に行われているはずです。しかし八潮市でトラックが転落しました。偶然が重なったのではなく、起こるべくして起こった事故のように見えます。

 この社会(私たち市民、とりわけ政治家)は、あまりに将来への想像力に乏しいと思います。形ができればハイおしまい、今日がよければそれでハッピー、国債が増えても何とかなるさと世の中が回ってきました。ふりかえれば15年戦争につっこんでいった時も、おなじノリではなかったでしょうか。トラック転落で私はこんなことを思いました。暗い気分です。

 そうしたら作家の高村薫が朝日新聞(7月3日朝刊)で同じテーマを深く鋭く論じていました。タイトルに「穴は至る所に」とあり、見出しには「 〈今〉に興じる我ら、先見通せぬ残念気質、なにもかもガタがきた」とありますが、これらは編集者がつけたのでしょう。うまく中身を切り取っています。

 同氏は、「くだんの陥没事故を目の当たりにした時、私は一抹の淋しさとともに突如、これこそ自分が生きている社会の掛け値なしの実相というものだと腑に落ちていたのだ」、「一言で言えば、何もかもが古くなってガタがきている感じ・・・だろうか」と述べたうえ、例をあげて日本の国力の衰退を指摘しています。残念だけれどすべて指摘の通りです。

 終わりの方を引用します。
 「最新の日本の相対的貧困率はアメリカや韓国にも抜かれて15.4%であり、先進国でもっとも貧しい。それでも群を抜いて国内の治安はよく、私たちは生活不安を抱えながらも、グルメだの『推し』だのとそれなりに生活を楽しみ、街ゆく人々の表情も明るい。
 しかしそれもそのはず、私たちはそうして〈いま〉だけを見、見たくもないものは見ない。その結果全盛を迎えているのがフェイクニュースであり、切り取り動画である。
 〈いま〉を大切にしたい老若男女が日々の刺激を求めてウェブに集まり、それが時に一過性の潮流をつくったりもする。おそらく日本の社会も政治もそうして漂流していくのだと思うが、では厳しい現実はどこへ行くか。どこへも行きはしない。」

 高村氏は、言いっぱなしで終ってはいません。日本の現実(1323兆円の政府債務残高、国家の信用力の低下、気がつけば台湾防衛の最前線に立たされていること、戦争するカネがないこと、狭く逃げ場のない国土などの事実)を肝に銘じておけば、〈いま〉しか見ない私たちでもたぶん、なんとかなると語り、参院選に話をつなげています。

 そこで私が思うには、すべての議員が政治的理念をもっているとします。とすれば彼らは、理念の実現には議員の身分が不可欠であると考えているに違いありません。この考えは正しくないけれどきわめて現実的です。そこで議員にとって当選することが何より重要になります。理念の実現は時間がかかるから当選を続けなければなりません。すると議員には「当選=理念」となります。議員という職業がオイシイことも背景にあります。

 いまさら当たり前のことを書きましたが、私は政治家が本当に理念を持っているかどうか疑っています。もし政治家としての理念があるなら、それは必然的に客観的な歴史認識(過去があって今があり、今が未来を準備するという認識)を基礎とし、同時に30年先、50年先をリアルに思い描く想像力を伴うものでなければなりません。それに加えて他者の痛みに共感する力が政治家の基本資質として求められます。なぜなら、政治的に右でも左でも、政治の根本目標は「人々が安んじて暮らし続けられる環境づくり」につきると思うからです。

 このように考えると、トラック転落事故を自己の政治的理念に関わる重大問題だと捉え、社会に警鐘をならす議員が百人単位でいてもいいはずですが、私の知るかぎりそんな人物はいません。とすれば、ほとんどの議員は理念を持っていないことになります。これが政治の劣化なのでしょう。コメも賃金も社会保障も大事だけれど各論です。まずは理念に基づいて総論を語るべきではありませんか。これを政治家だけに要求してはなりませんが、少なくとも選挙に出るなら国のビジョンを持つべきでしょう。

 私には最善の政党と候補者が見当たりませんが、すでに投票を済ませました。棄権すればずるずる後退してあとがなくなります。このブログをご覧の方々、すなわち一個人のたわごとにお付き合い下さっている限りにおいて世の中に絶望していない人々は、きっと棄権されないでしょう。それ以外の人々(ほとんど社会全体)が、よく品定めをして投票されるように祈ります。
 
 【棚から言の葉】

 ~ くり返して申しますが、私たちは『とにかく治す』ことに努めてきました。いまハードルを一段あげて『やわらかに治す』ことを目標にする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は『心の生ぶ毛』という言葉を使いましたが、そのようなものを大切にするような治療です。そのようなものを畏れかしこむような治療です。(中略)分裂病の人のどこかに『ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ』を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。 ~
 
 精神科医・中井久夫の神戸大学医学部での最終講義の一部です。「中井久夫拾遺」(高 宣良・金剛出版)の中に、「みすず書房『最終講義』」からの引用として書かれていた部分を孫引きしました。この一節は素人の私の胸に迫りました。これから時おり、たまさか出会った言葉をコラムのように書き留めたいと思います。これが第一号です。





2025/07/01

280)宙ぶらりんに耐える

 たまたま読んだ本「ほんとうの会議」が良かったのでさっそく記事(276277)にしましたが、さらに他の本を読み友人らの話を聞くにつれ、私が感心したネガティブ・ケイパビリティ(negative  capability・消極的能力)の概念は日本でも以前から広く論じられていると分かりました。知らぬは私ばかりです。前回の友人の意見に続き、今回はI君の見解をご紹介して一連の記事を終わります。

 I君は浄土真宗のお寺に生まれ、高校の世界史の先生になりました。そのかたわら大学院で心理学を学び、カウンセリングの知見を教諭の仕事に生かしました。いまはお寺一本となり檀信徒を集めて真宗の勉強会を開いていますが、ネット視聴できるその講義が面白いのです。彼は勉強家で専門家です。その昔、仲間内でのマージャンに負け、罰ゲームとして電車通りを前転(でんぐりがえり)して渡った人ではありますが、今はカソケキ威厳を漂わせています。

 I君の意見の要旨はこうです。 
~  カウンセリングはネガティブ・ケイパビリティ(NC)そのものだといってよいですね。不登校の子ども・親御さんとの対話はもとより、カウンセリングが深まれば深まるほどNCの要素が強まり、両者とも底の見えない池の藻のように絡まっていく感じがします。絡まったままでは共に溺れてしまう。カウンセラーの専門性は「絡まりながら絡まっていることに気づけること」にあると思います。

 このようにカウンセラーとクライエントの間の境界があいまいになる程に治療効果も上がりますが、クライエントの精神状況と問題の深さにカウンセラーの能力が見合っていないと、カウンセラーが精神をやられることがあります。その際の危機管理の手立てもあるけれどそれはさておき、NCは「諸刃の刃」です。ギャンブラーズ・アノニマス等のグループも同じで、ファシリテータの管理能力とカウンセリングや教育分析の経験量が求められるでしょう。

 私(I君)の体験を二つ書きます。カウンセリングのトレーニングとして教育分析を20回ほど受けたことがあり、分析者は私のカウンセリングの師匠でした。ある時、私の一人語りのあとに長い沈黙がきました。私は空っぽの状態で下を向きカウンセラーも黙ったまま。10分も過ぎたころふと顔を上げたらカウンセラーと目が合いました。その時の目や表情、後ろの背景まで今も脳裡にくっきり残っています。ついで「では終わりましょう、、お気をつけて帰って下さい」と言われました。その場を辞し、身体と心の疲れと一種の高揚感を感じながら夜の烏丸通を歩いたことを覚えています。

 この体験は、「絡みつく藻」の感触と少し異なっていて、「中身がいっぱい詰まった空洞」みたいな感じです。そして「藻」や「空洞」が得体の知れない何かをはらんでいる。次に何かが生み出される。それがNCの産物であるかもしれません。そしてこのような事情と言語とはどのように関係するか。この「言語化」をめぐって私の二つ目の体験を述べます。
 
 大学院での面接の際、確かカウンセリング場面での子どもの「語り」について問われた時でした。私は、ある生徒さんとの相談場面を想起しながらこう話しました。その人の中で何かが生まれようとする時って、深い井戸につるべを垂らし、それを引き上げるような感じがします。何が出てくるかわからない。思い出したとか、隠していたことを明かすのでもない。言葉になる以前の何かが二人の前に現れてくる。整った文章はありえず、単語の羅列、同じ言葉の繰り返し、宙を見つめるようで交じり合わない視線・・・。それでいて新たに何かに遭遇したような感覚、・・・と言えばいいでしょうか」~

 ここでI君の意見の引用を終わります。なるほどそうか、さすがにI君。素人目には「石のお地蔵さん」のようなカウンセラーですが、つるべを引き上げてのぞき込むには専門家の助けが大切だし、私たちは「あいまいさを同定する」うえでも他者の存在が必要である気がします。I君はよい教師であったろうと思います。彼はNCの観点から見た浄土真宗についても感想をくれましたが、それはいずれ宗教の記事でふれたいと思います。

 ところで鶴見俊輔もNCに言及しています。関川夏生との対談「日本人は何を捨ててきたのか」(筑摩書房・2011年)において「受け身の知的能力」について語り合っていますが、その一節を引きます。

 ~ ネガティブ・ケイパビリティというのは、パアーッと投げられた時に柔道でいう受け身ですね。自分の思想をグッと押し出すのはポジティブ・ケイパビリティなんだけれども、ここにいる人の影響を受けて、自分を変えていく能力がネガティブ・ケイパビリティです。両方とも大事なんです。このネガティブ・ケイパビリティを尊重することが、日本の文化の重大なものを保つ所以だと思う。連句などもそこから出てくる。イギリスの批評の中に「ポジティブ・ケイパビリティというのはキャラクター」で、「ネガティブ・ケイパビリティはパーソナリティ」だとね。(中略)パーソナリティというのは自分を変えていく能力でしょう。それなんですよ。~

 鶴見俊輔はこのように述べています。連句の話は象徴的です。一座のなかで前の人の句を受けて自分も即興で句を詠む。一回の句は五・七・五または七・七の短さです。興趣を深めるためのルールが幾つも設けられており、それに従いつつ何巡も繰り返して長い「巻」にします。前の人の句を受けるといっても、付きすぎるのは野暮だし、離れすぎては物語にならないし、しかし時に飛躍や転換が好ましいし。友人を招きアヅマや私で素人歌仙を巻いたことを思い出します。(連句については記事199「夢は枯野を」に書きました。同じことを書くところでした)

 ネガティブ・ケイパビリティから多くのことが論じられそうですが、このあたりで終了します。「ほんとうの会議」で、多くの場合まとめは不要であることを教えられ、また「答えは質問の不幸である」という言葉を学んだので、書きっぱなしにします。










 

 
 

 


私には新発見ですからもう1回だけ書きます。


(私が知らなかっただけですが

に学ぶところが多く感激して記事にしましたが、その後あれこれ読むにつけ皆さま先刻ご承知のことばかりだと知りました。これはいつものことで何事もひとさま(他人様)の肩車に乗っかっているわが身であります。今回は友人I君のネガティブケイパビリティについての感想を中心にすえます。

 

 

(ほんとうの会議: