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2025/05/27

275)米劇場と膝腰サプリ

  小泉進次郎氏が農林水産大臣になりました。この人も前任者と同じく政治家としての見識を感じさせませんが、政権はともかく流れを変えたいのでしょう。そろそろ潮目は変わるだろうし、少なくとも「何かやってる感」は出せるはずとの魂胆です。小泉氏もそれを承知で走り出しました。パフォーマンス倒れにならないよう祈ります。

 小泉農相の示した新たな方針は、備蓄米を30万トン放出する、60キロ1万円(5キロあたり833円)とし店頭価格は5キロ2000円をめざす、大手小売りと随意契約を結ぶ、輸送費は国が負担する、買い戻しはしない、今後必要があれば無制限に放出するというものです。私も2000円の米があれば買います。古々米と古々々米らしいけれどチャーハンや炊き込みご飯ならいけるでしょう。

 それにしてもこれまで備蓄米の放出とは最高値をつけた集荷業者に売り渡すことだったわけで、まるで火事場泥棒です。いつぞや国有地を大幅値引きして安倍晋三ゆかりの人物に随意契約で売り飛ばした時の損失(8億円)を少しでも取り戻そうと画策したのでしょうか。 たとえ入札が原則であっても今回の随意契約には大方の理解を得られるはずです。どうせなら肉も野菜も加工食品もビールも安くしてほしいものです。

 先回りしてケチをつけるようですが、これから安い米が店頭にならび、やがて米価全般を押し下げたとしても、それは無理を承知の大盤ぶるまいの結果であり政策の成功とまで言えません。しかし恐らくネットには「進次郎、突破力はんぱない!」、「さすがジュニアや、血は争えん」、「参院選の投票先きまったあ」といった声が流れるでしょう。国民なんてちょろいもんだと政府に思わせてはなりません。米騒動の根本原因は農政にあることを忘れないでおこうと思います。

 国が誤りをおかし、後にその過ちを正したときに、それをいかに評価するかについて私は思います。闇を見るか光を見るか、過去を見るか未来を見るか、一部を見るかすべてを見るか、天秤皿の右と左に何をおくか、天秤は釣り合うか、判定者は誰か、時は癒すことができるか、そもそも国は何か、私は何か等々。

 いま私は袴田事件、水俣病、黒い雨訴訟、福島第一原発事故、沖縄の基地などを念頭においていますが、言うまでもなくこれらは、「正しようがない(元には戻せない)」か、「いまだ正されていない」か、「何万年もにわたり正されない」ことが明らかな課題です。これらに比べたら「米騒動」は小さな問題であって政府には誤りを正す道が残されています。この場合の「正す」とは、マイナスをゼロに戻す以上のことを意味していませんけれど。

 話は変わって、 腰の痛みや脳の委縮について先の記事に書いたら、友人O君は「どもないか? 頭が鈴みたいカラカラ鳴ったらことやで」と心配し、Rさんは「老化はみんなに等しく来るけれど治さんは大丈夫」と励ましてくれました。T君(写真をくれるドクター)は、椎間板サプリに関する私の質問に対し4回にわたり学術論文のような人生相談のような答えをくれました。まことに持つべきは友。私事は控えると言いましたがこの流れで少し書きます。

 股関節の痛みは走りすぎ、首の痛みは大昔のプロレスごっこの後遺症だと勝手に思っていましたが、各種検査の結果、椎間板が老化により「へたって」神経を刺激していることが原因だと判りました。ついでに脳の萎縮まで見つかりましたが、「齢相応ですよ」と先生は優しく説明してくれました。脳はさておき椎間板の「へたり」は困ります。いま歩くことを取り上げられたら私に残る物はほとんどありません。

 折から膝と腰に効くというあるサプリメントの広告が目に入りました。米国有名大学との共同研究により「次世代型非変形性Ⅱ型コラーゲン」の配合に成功した、コンドロイチンやグルコサミンの比ではない、女優の誰それさんも愛用、今なら初回限定70パーセント引きの1980円という内容に私はふらふら来ました。これはいいかも。そこでT君に尋ねたわけです。

 サプリメントとうまく付き合うヒントに満ちた彼の答えをかいつまんで書きます。

 ~「コラーゲン」は長い繊維性タンパク質であり、人体はこの大きな分子をまるごと吸収することができない。アミノ酸またはペプチドに分解することにより初めて摂取可能となる。これが消化である。この消化吸収の段階ではロース肉も豆腐も「アミノ酸」という点で変わりはない。通貨であるお金に色がついていないのと同じことだ。~

 ~貴君お尋ねの「非変形性Ⅱ型コラーゲン」については、領域の専門家の見解等を紹介する「日本医事新報」で以下の問答が行われている。
質問「このサプリは膝や腰にきく機能性表示食品として販売されているが医学的効果はあるか?」
順天堂大学医学部N教授の回答「機能性表示食品として届け出ができるのは、疾病に罹患していない人の 健康の維持・増進に適するか役立つものに限られる。治療効果、予防効果を暗示する表現も許されていない」~
(茂呂解釈:病気が改善されるなら「薬品」として承認されているはずだ、したがって「健康食品の一つに過ぎない」ということでしょう)

 T君の答えを続けます。~  健康食品は嗜好品だと考えた方がよい。効き目があると信じる人、半信半疑の人、だまされたい人、一縷の「期待行動」だと自覚している人など様々である。メリット・デメリットの比重は人により異なるが、その利用の是非を他人が決めつけることはできない。趣味や道楽の一種で本人の思い入れや財力により各々がつき合い方を考えることだと思う。~

 ~ 効かないというエビデンスもないのだから改善が見込めない現状に一つの変化を取り入れ、少しでもよいと感じることがあれば未来に小さな灯がともったと思い、それが明日を少し明るく生きるきっかけともなれば、それまたよい「薬」かも知れない。逡巡、熟慮することは高齢者の脳トレにもなるのでゆっくり最適解を考えられよ。いささか上から目線でごめん。~

 引用は以上です。彼は紳士なので表現はもっとマイルドですがざっとこんな要旨でした。私はサプリを買わないことにしましたが、人によっては「それじゃ買おう」となるでしょう。その後に(今日から5日まえ)私はぎっくり腰になりました。一時は困り果てましたがたっぷりある時間を味方につけ、T君のメール見舞いを受けつつ(さっそく私がしゃべったので)今日は桐生のソロソロ歩くまでに回復しました。

 治りきったら体幹をきたえるつもりです。「君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思う」ほどの人はありませんが、私には、10歳をこえてなおご飯の催促ばかりする白猫がおり、アヅマの愛した庭と家があります。かなう限りコケないようペダルを踏んでいかねばなりません。つまるところ老化のなせるわざですが、抗わずにつき合っていきます。末筆ながらご同輩の皆さまの一層のご健康をお祈り申し上げます。サプリは飲むもよし、飲まざるもよしということで。




 


2025/05/19

274)米騒動

 トランプ騒動ではなく主食である米の騒動について書きます。これまた「食えない」話です。スーパーから米が消えたと報じられたのは二月ごろでしたか。でも私が住んでいるのは米どころ近江、全国屈指の水田率を誇る滋賀県です。ここはまだ大丈夫だろうとたかをくくって失敗しました。気がつくとハズイ西店(湖南地域の台所)にもアルプラザ(平和堂基幹店)にもお米がないのです。

 ものがなくなって買いに走る「後手後手ショッピング」を反省しつつしばらくお餅とパスタでつなぎましたがやはりご飯がほしい。農協直営の「青花館」に行っても無駄足でした。朝から並んではりまっせとお店の人に教えられ、翌朝、私もその行列に加わりました( まるで配給米!)。常連らしき人同士が「わしら銭(ぜん)ないぶんヒマあるしな」と話しています。たしかに私をふくめ勤め人らしき人の姿はありません。私は列をなして待つことが人一倍嫌いですが背に腹はかえられません。

 「米」と大書したプラカードをもった人が行き来して人数を数えていますが、「何人いける?」、「ひとりなんぼ?」、「何時あくの?」など質問が飛ぶうえ人が次々に来るので収拾がつきません。係の人は何度も数え直したうえで最後尾の人に「お客さん45番。おぼえてね」と下駄をあずけました。なるほどみんなが証人だし、次は46番から数えれば足ります(われらは競争原理のはたらく運命共同体)。同様に何人かが番号をもらい70人で関門閉鎖となりました。

 私は首尾よくお米をゲット、5キロの玄米を精白して4.3キロに減ったミルキークイーンが4,400円でした(ほかの銘柄は売り切れ)。そうだ息子一家に送ってやろうとこの日をふくめ4回の早朝出勤をしました。ヒマならあるし。しばらくたって5月なかばのお昼前、「青花館」に野菜を買いに行ったらまだお米が残っていました。値段は高いままですが極端な品薄は収まりつつあるようです。

 この米騒動で政府の危機管理の甘さ(短期課題)と食糧安保の危うさ(政策課題)が浮きぼりになりました。副食の豊かさが「米離れ」の要因とすれば米の消費量が減ったことを嘆かなくてもよいけれど、小さな川が簡単に溢れたり干上がったりするように流通量の減少は不安定さを伴います。だから備蓄米があるのにどうしてうまく使えないのか?

 私は経済にとんと弱いのですが、農水省にとって備蓄米は自在に使える「武器」だし、米の流通になお中心的な役割をはたしている農協は「仲間内」でしょう。日銀が通貨を操作するよりずっと簡単かつダイレクトに市場に働きかけられるはずです。それなのに何十万トンもの米を複数回放出しても一向にスーパーまで届かず、値段もつり上がったままではありませんか。

 なんと農水省は、一年後に同等同量の米を卸業者から買い戻す条件をつけていたそうです。つまり今年の秋にできる米はあらかじめ何十万トンだか(数字を忘れました)が国庫に入って品薄になると決まっているわけだから、卸業者はいま保有している貴重な米を市場に出す気になれません。一年で安易に帳尻を合わせようとした農水省の役人は、国民の食卓より自分の仕事のラクさを重視したわけです。

 すったもんだの末に「一年しばり」は五年に延長されましたが米騒動はまだ終息していません。農水省および政府は、この米不足の発生のメカニズムを分析、公表し、あわせてその対策(危機管理)の検証も行うべきであると思います。今回は小さな危機です。こんなざまではトラフ地震を乗りこえられません。大きな危機に対して国民的な備えは必須ですが、政府にはもっとピリッとして欲しいのです。「やってるふり」でなく「やって」もらいたい。

 もう一つは食料安保(農業政策)の問題であり、米騒動は日本の食糧事情の縮図だといえます。よく知られるようにわが国の食糧自給率はカロリーベースで37%です。米は、ミニマムアクセスやTPPによる輸入があるにしてもまだ国産が主力ですが、小麦、とうもろこしなど他の「腹の足しになるもの」はすべて輸入に頼っています。

 生産額ベースの自給率は60%をこえるし野菜にかぎってみれば80%になりますが、なにかの事情で海外調達ができなくなった時にイチゴやレタスばかりで飢えをしのぐわけにいきません。地球規模では明らかに食糧不足だし(飢餓人口は8億とか)、国際緊張がさらに高まればどの国も自国を優先しますから、車を売って食料を買うスタイルはもう危険です。

 自給率の高い野菜といっても種(タネ)は90%が輸入です(種苗会社が海外へ生産委託している)から、正味の自給率は80% × 10% = 8% となります。いまの野菜は交配による一代かぎりの品種(F1)であるため毎年タネを買う「自転車操業」にならざるをえません。化学肥料(リン、カリウム、尿素)もほとんど輸入です。卵は純国産ですがヒナ鳥は大半が輸入、エサのとうもろこしも100%が輸入です。危なっかしい状況だと言わざるをえません。

 幸いここ80年は国民規模での飢えはありませんでしたが、いまや抜本的な路線転換が必要です。アメリカとの関係を例にとっても、野菜の種子は同国のモンサント社(枯葉剤も製造。いまは社名変更)に牛耳られ、穀類も米国依存、ICTの根幹部分も米国大手企業の独占ですから、わが国の胃袋も頭脳もアメリカの支配下にあるようなものです。対米貿易は黒字だと安心していられません。

 井上ひさし(なつかしい名前!)が農業、農村、農家の意義をくりかえし語っていたことを思い出します。社会インフラのなかに不要なものはありませんが、たとえば道路敷、鉄道敷、工場の敷地など比較すると農地は「それ自体」がきわめて大きな価値を有しています。すなわち農地は米や野菜を生み出すばかりでなく、環境保全、生態系維持、景観形成、防災などの重要な役割を果たしています。

 だから本当はすべての土地を公有にすべきでしょうがそうもいかないから、山や川を保全するように国全体で農地を守る必要があります。政府はこれまでの減反、転作奨励、所得補償などの効果を検証し、農地保全と自給率向上をめざす農政の基本方針を明確にするべきだし、細かい点では農家はもっと農薬の使用を控え、消費者は作物の「見てくれ」に惑わされない眼をもつべきだと思います。

 おりから昨日(5月18日)、江藤拓農水相が「私は一度も米を買ったことがない。支援者が持ってきてくれる。わが家には売るほど米がある」と自慢しました。それを知って私の頭に「極刑ニ処ス」という言葉が浮かびました。これまでに書いた通り私は死刑廃止論者ですが脳内の反射は制御できません。こんな大臣がいることを一市民として情けなく思います。首相が厳重注意したそうですが、「もっと空気を読めよ」とでも言ったのでしょうか?

 今回もまた更新に手間どってしまいました。足の痛みで受診したことがきっかけで首(椎骨動脈)の検査まで受けることとなり、結果的に各所が老化している(脳も萎縮)ということが分かって、これに時間をとられてしまいました。ちょっとおもしろい経緯ですがあまりに私事なのでやめておきます。しかし私のどんなアホらしい話でも江藤拓よりマシでしょう。




 

 

2025/05/02

273)会津隆吉と青梧堂

 『会津隆吉と青梧堂』という本(清水久子著、ネコオドル発行、2025年4月刊)が大変よかったので感想を記します。「会津隆吉」はペンネームで本名は石原直温、彼が興した出版社が「青梧堂」。石原直温氏は東京帝大仏文科を卒業後、横光利一に師事し作家・社主として活躍します。ところが昭和19年(1944)に33才で応召、補充兵として中国に送られ翌年に戦病死しました。光芒は一瞬です。

 当時、日本軍は中国内陸部にある米軍航空基地の攻略と南北陸路の確保を目ざし、51万の兵力で2400キロにおよぶ「大陸打通作戦」を展開しており、会津隆吉はここに動員されました。兵士らは重い装備をかついでひたすら歩くばかりの毎日、補給がないため食料は現地調達(つまり略奪)によらざるを得ず、栄養失調と病気により多くの兵が亡くなりました(今回の記事中、事実に関する部分は『会津隆吉と青梧堂』から引用しています)。

 こうして否応なく国家に奪われた人生がどれほど多かったことか、その無念と残された家族の悲嘆はいかばかりであったかと思うけれど、その私の「思い」がうわすべりした観念的なものに過ぎないとの自覚もあります。ともあれ死者は足早に遠ざかっていくし、敗戦からすでに80年、戦争で亡くなった一人ひとりの輪郭は百万、千万の数字のなかに溶融しているというのが一般的な状況でしょう。

 いや死者が遠ざかるというより、私たちが死者を遠ざけているという方が正しいかも知れません。それが証拠に政府は被爆者の支援(これも本来は贖罪と補償)に一貫して消極的であり、また国内外の海や野に捨ておかれた兵士らの遺骨を省みようとしません。戦時を比較的平穏に過ごし得た人々もありますが、そうした一族の歴史においてすら、今を生きる人は自身の祖父母(わずか2世代前!)がどんな日常を生き、何を感じ、何をなしたのかについて往々にして無頓着であると私は考えます。

 この本の著者である清水久子さんは「死者を省みるにいたった人」です。もちろん私はだれもが先祖のことを知るべきだと主張するものではありません。良し悪しは別の話です。清水久子さんは会津隆吉が亡くなって三十数年後に会津の娘の娘(孫)として生まれました。そして中学生の時、祖父の五十回忌の際にその代表作とされる『北京の宿』に出会います(祖母すなわち会津の妻が復刻版を作って親族に配布したもの)。

 これがきっかけで清水さんは祖母から断片的な話を聞くばかりであった祖父について興味を持ち会津隆吉の文献調査を始めました。町立図書館の司書となり専門スキルをみがいたことも助けになったと本にあります。さもありなん。巻末に示された参考・引用文献の数は134にのぼり官公文書、研究論文、組織内資料(記念誌、校誌等)、小説、随筆、書簡集など多岐にわたります。それらも一次資料、二次資料といった区分により厳密に扱われているもよう。

 じつは私は会津隆吉を知りませんでしたが、彼の周辺に横光利一をはじめ川端康成、菊池寛、中山義秀、金子光晴、住井すゑ、、吉屋信子、宇都宮徳馬、青野末吉など私も知る著名人がいたことをこの本に教えられました。第一回の芥川賞(昭和10年)は石川達三がとりましたが、「次は君だよ」と選考委員の一人であった横光が会津に予言(激励)したという逸話が紹介されています。会津はそれほどの書き手であったのでしょう。

 ちなみにこの時、選にもれた太宰治がたいへん悔しがった話が有名です。かつて太宰ファンであった私は石川達三より太宰治のほうがずっと才能があったと思うのです。選者の一人であった川端康成が太宰の破滅的な生活ぶりを「暗雲がたちこめている」と評したことに太宰がつよく反発しました。私も作品に無関係な話を持ち出した川端は間違っていたと思います。太宰も会津も芥川賞と無縁で終りました。ところで近年の芥川賞受賞作はもう読む気が起こりません。

 会津は他に2つのペンネームがありました。本名で発表した作品を含めて短い生涯に発表した作品は74。清水久子さんは本名から筆名への変更と作品および周辺状況を丁寧にたどりながら会津の作家活動、出版活動を紹介しています。その中で会津が「日本赤十字社の従軍看護婦である宮川マサ子」という架空の人物になりすまして『大地に祈る』という記録小説を書いて一大ブームを巻き起こしたことが明かされています。時に昭和15年。

 「奥地従軍看護婦芸術的感涙文学」と銘うたれて版をかさねたこの小説は戯曲化・映画化され、慰問袋に入れて戦場に送られ、いっとき日本を染めました。そして2002年に「戦時下の女性文学」シリーズの第3巻として復刻され、その後に「従軍看護婦と南方慰問作家ー女たちの見た戦場と異郷」(沼沢和子)や「銃後ー利用された言葉の力」(和佐田道子)でも取り上げられ、あらためて近代文学史に位置づけられました。

 清水久子さんはこの経緯を克明に調査、検証したうえで「(前略)だから女性文学シリーズに『女性になりすました男性作家』が書いた小説がまぎれ込んでしまったとしても、しかたのないことだ。ただ、身元不明の無名作家の作品を復刻することには、このようなリスクもあるということだ。」とサラリと書いています。ことの真相は、まず戦意高揚という国家の要請があり、文壇がそれに応じ、大御所を通じて秘かに会津に依頼が届いたもののようです。

 それにつけても「正しく知ること」は重要このうえないけれど容易くもないということでしょう。会津が中国大陸で落命した3か月後、家族が住んでいた広島に原爆が投下されました。家は跡形もなくなりましたが、幸いにも嫁いでいた会津の姉と妹、出征中の弟、宮島にいた弟は難をのがれ、妻と娘も無事でした。その娘を母として戦後かなりたって生まれたのが清水久子さんです(清水さんは私の子どもくらいに当たる世代だと思われます)。

 彼女はこの本を文献調査によって書き上げました。事情を知る人への聞き取り(取材)を行わなかったのはコロナの影響にくわえて時間的な制約があったと明かしています。調査手法の両輪のうち片方が抜けているという見方もありえますが私はそう思いません。人間の脳の分泌物という点で両者は同じだし、文献は写真のように当時の姿を固定して提示します。話が飛びすぎるけれど、イエスの存在も福音書を始めとする「文書調査」の結果として人類の財産となりました。

 この本の最後で著者が広島を訪れます。一族の家はとうになく、あたりの景色も80年分の変化をとげています。中国で無念のうちに亡くなった会津のたましいはどこへ帰ってくるのだろう。大学入学以降、作家、出版社主として過ごした東京にいまはよるべがない。広島に帰ってきても迷子になってしまうのではないかと孫は懸念します。そして平和公園に移植され青々と繁っているアオギリを見て、おじいちゃんが帰って来るならここだと直感しました。アオギリには梧桐(ごとう)という名前もあります。

 この本を教えてくれたのは畏友早田リツ子さんで、彼女もまた近代史の中から大津の出版社を「発掘」しました。その記録である『第一藝文社をさがして』(早田リツ子・夏葉社・2021年)は前に書きました(記事170・第一藝文化社のこと)。清水さんも早田さんも腕利きの探偵です。1冊の本のうらに膨大な作業が潜んでいるでしょう。

 ところで「ネコオドル」は清水さんの営む書店の名前でもあります。ネコオドリでもオドルネコでもなく、主語プラス動詞であるところに私は面白みを感じています。郵送いただいた本にそえられたカードには頭に本をのせて踊るネコのイラストがありました。清水さんは同名のブログも書いています。

 最後に私と会津隆吉のエニシを書きます。会津が通学した広島第一中学校は現在の国泰寺高校で、アヅマは一年生までここに在籍、二年生のときに大津に引っ越してきて私の高校の同級生となりました。それが私の人生を左右したこともすでに書きました。会津が進学した広島県高等学校は現在の広島大学で、私の親しい友人はここの卒業です。このエニシは漱石との縁よりまだ薄いかも知れませんけれど。

 もう一つ、『介護民俗学へようこそ』(六車由美・新潮社)について。グループホームでの「聞き書き」を通して介護の現場が見違えるほど変わった(利用者もスタッフも)という話ですが、高齢女性二人が「女学生のころ風船爆弾を作った」という思い出を語ったそうです。昭和19年に作られた秘密工場は千葉、茨城、福島にあり、私の祖父は三か所を統括する立場でしたから、いずれにせよその女性らにきつい作業を強いた総責任者であったわけです。

 こうした経緯を記した本もありますが(『風船爆弾』鈴木俊平)、いま読み返してみると清水久子さんのような克明な調査にもとづく記録とは隔たりのある物語だと感じられます。私もまたわずか2世代まえの先祖について深く知らない人間の一人です。人は記憶のなかに生き続けます。会津隆吉こと石原直温氏は、なかなか孝行者のできた孫娘であることよと喜んでいるでしょう。いっぽう孫娘は孫娘でまみえることのなかった祖父への情愛を抱いており、それがこの本に温かみを添えています。