2022/03/04

170)第一藝文社のこと

 これは「第一藝文社をさがして」という新刊を取り上げた記事で、3月4日に公開した後、間違って「下書き」に戻してしまいました。すぐに復元すると進行中の「公文書隠ぺいシリーズ」に割って入るので今まで待っていました。私には昔と今の滋賀に関わる大切なテーマゆえ「再公開」しますが中身は前とまったく同じです。ついでにこの間の反響を著者に尋ねると、多くの声が寄せられた中、ある若い編集者が「誠実な本」と評してくれたことが嬉しかったとの弁。映画監督をめざす俳優がこの出版社(とうに廃業)の本を探し出して読んだとも聞きました。以下が元の記事です。

 米国コロンビア大学東アジア図書館が所蔵する「マキノコレクション」の中に大津市出身の詩人・映画評論家である北川冬彦の「純粋映画記」(1936年)があり、図書館司書として勤務していた一人の日本人が書誌を作成しました。彼女は滋賀県の出身で、その本の版元が「大津市桝屋町14、第一藝文社」であることを心に留めていました。そして2015年、滋賀に住む友人に第一藝文社を知っているかと米国からメールで問い合わせたのがことの発端です。

 尋ねられた友人は滋賀の農山村女性の生活史を記録したり、市民のための図書館のあり方について発言してきた早田リツ子さん(私も親しくお付きあい頂いている方)。彼女も興味をそそられ調べ始めたものの出版社はすでになく社主の消息もつかめません。そこで草津市立図書館に問い合わせ、1週間ほどで綿密な調査記録と参考文献リストを手にします。草津の図書館はよいお仕事(レファレンスサービス)をされたと思います。

 その結果、第一藝文社は確かに大津市桝谷町、いまの大津市立図書館のあたりに確かに存在したこと、1934年(昭和9年)の創業であること、社主は真野村大字谷口(真野谷口町)出身の中塚悌治という人で後に「道祐」、「勝博」と名を変えたこと、彼が若いころ詠んだ啄木風の短歌が戦前の滋賀県歌人の歌集に収録され、晩年は「勝博」名で歌集を残したこと等が明らかとなりました。

 ふつうはここで調査終了となるでしょうが、この出版社が刊行した書籍が戦前、戦中の歴史を伝える貴重な史料であると考えた早田さんは、つとに第一藝文社に注目していた京都の古書店主山本善行氏の「関西赤貧古本道」を読んでその思いを強くし、中塚悌治の子孫を探します。そしてその子息にめぐり逢って中塚悌治の私家版自伝「思い出の記」にたどりつき、彼と北川冬彦、重森三玲、伊丹万作、今村太平、織田作之助など当時活躍した映画・文芸関係者との交流のもようを垣間見ることとなりました。

 ついで早田さんは、国会図書館を始め各地の図書館のデータ検索や自ら開拓した古書店ネットワークを活用して散逸、埋没した資料をかき集め、丹念な裏付けを行いながら第一藝文社をめぐる人々と時代をたどります。そして友人への回答レポートのつもりで書き始めた原稿の枚数がどんどん増え、ついに四六版300ページの本となって昨年末、夏葉社から刊行されました。タイトルは「第一藝文社をさがして」。以上の記事はすべてこの本から得た情報によります。

 さて、中塚悌治は120年まえ真野村に生まれた人。志をいだいて出版社を起こしましたが一般の歴史年表にのるような人物ではありません。その人を追って1冊の本を書いた早田リツ子さんも淡麗辛口の達意の文章、長年の業績ともに並はずれているものの、著作や研究を職業とする人ではありません。その意味でこの本は、在野の人のために在野の人が建てた顕彰碑です。それは冷たい石柱ではなく、中塚悌治および彼と関わりのあった人々と出来事が熱をおびてページに立ち現れます。芸術と理想、若き日の友情、小林多喜二虐殺の衝撃、召集令状、紙の配給、検閲統制、「新しき村」等々。

 私は、その人の記憶、ということを考えます。一緒に生きた者にはそれが自分自身の記憶として刻印されますが、後続の世代に向けては口伝とならざるをえません。「直接記憶」から「間接記憶」へのリレーとでもいうのでしょうか。ここに文字が介在し、各種の文献が縦横の糸をつなぐにいたって個人史は社会史の広がりを持ちます。早田さんの本は、昭和前半、日本が戦争にむけ傾斜していく中で映画を始めとする表現に携わる人々が何を感じ、どのように生きたかをリアルに伝えています。かくして私も中塚悌治の記憶を共有することとなりました。ところで彼は一時期、真野村役場の書記をしていました。大津市職員の先輩筋ということになります。 

 「大津の出版社」には私もささやかな思い出があって、十数年前のこと「ヒトラーに抗した女性たち」(マルタ・シャート)を書名に惹かれて買いました。ヒトラーの第3帝国は、社会が行き着く究極の姿のひとつを体現したといえるでしょうが、それが最も民主的とされたワイマール憲法下で芽生え、民衆の支持を得て肥大化したという事実を忘れてはならないと思います。ナチスへの抵抗として「白バラ運動」が知られていますが、そのゾフィー・ショルを含む多くの女性の勇気ある行動を記録した本です。

 私には、本の内容とともに、奥付に版元「行路社」の所在地が大津市比叡平と書かれていたことが印象に残りました。その後、たまたま山中比叡平学区自治連の会長さんと懇談する機会があり、行路社を知っていますかとお尋ねしたら、それは私の出版社ですと即答されて驚いたことがあります。行路社は近現代の思想(宗教、政治、フェミニズム、死生観など)を中心として興味深い本をいくつも出しているところ、これも大津人(おおつびと)の活躍ですから私には嬉しい話です。
 音楽の世界ではかつてレコードを駆逐したCDが今やネット配信に駆逐されつつあります。文字の世界はどうなるでしょう。紙の本がいつまでも健在であることを願わずにはいられません。

(追記)
 一晩寝て書き足したくなりました。人生は物語です。時代も国も年齢も問わず、すべての人は例外なく一冊の書物に相当する物語を生きています。こうした認識は、齢をとるほど深く私の身に迫るのです。ウクライナの人々にもロシア兵にも一人一つの物語があります。それを破いて火にくべているプーチンの物語は血で綴られています。

 戦争は絶対悪ですが、そこに至る道筋が平和であった日々と切れ目なくつながっていることは歴史にみるとおり。独裁政治では「ある日開戦」ともなりましょうが、民主主義体制のもとでは、特に初期段階において緩慢に進行するように思われます。わが国の改憲論議をそうした視点からも眺めてみる必要があると考えます。










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