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2024/07/26

242)ハリスの旋風

 このたびトランプ氏が命拾いしたのは(彼がどんな人物であるかを別にして)本当に幸いでした。抱えられ立ち上がった姿、顔の流血、何やら罵詈を吐くらしき口元、突き上げるこぶし、青空にはためく星条旗をテレビは何度も流しました。「ほどよい傷を負った奇跡」が彼の名を高めました。コメンテーターで食っている橋下徹氏が、トランプ氏の強運と迫力に畏怖せざるを得ないと言ったそうです。

 橋下氏は他にプーチンと習近平の名をあげ、独裁的指導者が身に帯びる圧倒的な迫力について語ったとか。彼は「政治をやったことがある者」の実感として学者を批判する文脈でこの意見を述べました。彼の言いそうなことだし確かにそれは一面の真実でしょう。ヒトラーやムッソリーニも凄まじいオーラを放っていたはずです。しかし重要なのは、そうした力を賞賛するか否か、その力の源泉を肯定するか否か、その力により社会が導かれることを是認するか否かという理念上の問題ではありませんか。

 この銃撃事件より少し前のこと、自民党の茂木敏充氏が、「もしトラ」になってもちゃんと手を打ってあるから日本は大丈夫だと語り、また自分自身もトランプ氏から「タフな男だ」と言われたことを自慢しました。まるで「お前って意外とけんか強そうじゃん」とジャイアンにおだてられ鼻を高くするスネオです。他人事ながら恥ずかしい。橋下、茂木ほか多くの業界人が力の信奉者であるようです。

 ところで茂木氏は米国の大統領が誰になっても日本の国益が(今より)損なわれないよう準備していると言いますが、では、駐留米兵による性犯罪にフタをして次の犯罪を呼び寄せたかのごとき政府の対応は、国益と人権を損なっていないのでしょうか。昨年12月、沖縄で米兵が女性に性的暴行を加え、本年3月に那覇地検が起訴、同時に外務省が駐米大使を呼んで抗議しましたが沖縄県はカヤの外。6月の県議選の後(!)にマスコミに突かれて政府は初めてこの経緯を認めました。

 この重大犯罪を隠していた理由は「プライバシーの保護」であると政府は言うけれど、小学生のヘリクツです(県職員の死亡の事実を伏せていた兵庫県も同じ)。社会に警鐘が鳴らされず沖縄でさらなる同種事件が起こりました。30年前に米兵3人が少女(小学生)への暴行事件が起こった時は沖縄はもちろん全国が怒ったはずですが、政府だけは忘れていたようです。
 総責任者たる岸田氏は事あるごとに「先送りにできない課題に全身全霊で取り組むのみ」と言います。どうも私たちは空疎な呪文に寛容すぎるのではないでしょうか。

 バイデン氏が撤退しました。他人が見る眼と自分の自覚は、とくに加齢の問題において大きく食い違うもののようです。私自身を振り返ってもそのように思います。権力者には極めて困難であろう決断を下したことは、長い目でみてバイデン氏の評価を高めると思います。私の子どもの頃、「ハリスの旋風(かぜ)」というちばてつやの人気漫画がありました。これから米国でカマラ・ハリスの旋風が吹くことを期待します。




 

 

2024/07/20

241)桐生雑感

  雨粒に叩かれ頭を下げっぱなしの庭の葉むらを横目に見ながらブログ(前回記事)を書き終えたらちょうど雨がやみました。7月12日の午後おそく。雲は厚いけれど出かけるなら今。パソコンのふたを閉じ、巨大なキュウリや黄色く熟れたゴーヤの始末はまた今度と決めて車に乗りました。めざすは桐生です。

 東に向かって空いた道を10分あまり走ると目的地ですが、駐車場には珍しく1台も車がなく、キャンプ場やオランダ堰堤にも人の姿はありません。歩き出すと木々の間に靄がかかって見通しがきかず、濡れた落ち葉からむせるような香気が立ちのぼります。いつもうるさいほどのウグイスも鳴かず聞こえるのは私の足音ばかり。今日は自然が濃いと感じたのは、いま思えば予感であったかも知れません。

 桐生には1時間ほどで1周できる遊歩道があって、そこから狛坂寺跡、天狗岩、落合滝、鶏冠山などにいたる山路が分岐していますが、この日は時間もないので「遊歩道プラス逆さ観音への寄り道」と決めました。雨で垂れ下がった枝をよけながら行程の半分まで来たとき、少し先を小型犬ほどの茶色い塊が横切って大木の向こうに回り込みました。イノシシの子どもです。足跡はよく見かけるけれどその主を見たのは10数年ぶりのこと。

 きっと近くにママがいるだろうと思って一瞬立ち止まると斜面の上で枯れ枝を踏むような音。すぐにリュックサックのベルトから唐辛子スプレーを引き抜いて手に持ちました。これは私の山林放浪を案じて息子が取り寄せてくれた熊にも有効だという逸品、一年近く携行していますが使ったことはありません(庭で試射しオレンジ色の霧が数メートル飛ぶと確認済)。周囲を見ながら歩き続けてその場を離れました。結局親イノシシの姿を見ることはありませんでした。

 近ごろ町なかにも現れるイノシシは、本来のすみかである山中でめったに見ることができません。用心深い彼らも、雨続きでしばらく人が来ないことに安心したのでしょう。私はスプレーの安全ロックをかけてホルダーに戻し、帰り道を急ぎました。逆さ観音を過ぎ遊歩道に戻って20分ほど進んだ時、今度はカーブのすぐ先で大きな鹿が3頭現れました。山から谷川に下りようとしたところに私が行き合わせたようです。お互いびっくりです。

 奈良公園にいるような茶色い綺麗な鹿が、遊歩道を横切って先を争うように急斜面を駆け下り姿を消しました。歩道の簡易舗装(粟おこしのようなコンクリート)を幾つもの蹄が蹴る音は荒々しく重量感があって、もし彼らがこちらへ向かってきたらとてもかなわないと感じました。今回はスプレーを取り出す余裕もありません。私が数メートル進むと右手の山にはやや小さい1頭の鹿がいて、あわてて上の方に逃げていきました。私が4頭の群れを分断したことになります。

 ほどなく山頂の方角から仲間をよぶ鹿の鳴き声が聞こえました。状況が分かるだけに哀切に響きます。「奥山にもみじ踏み分け啼く鹿」です。いまは梅雨のさなかだけれど。ところで彼らの五感は私たちの比ではないし、何といってもここは彼らの庭先ですから、ほどなく彼らは合流したに違いありません。

 家に帰って缶ビール片手に2つの遭遇を振り返りました。雨にとざされたと感じるのは当方の勝手な思いであり、森も生き物も、人が来ないために自由満喫、本性発揮です。「自然が濃い」とはそんな感じです。自分が知らなかった友人の別の顔を見た時、あるいは楽屋のドアが開いていて役者の素顔が見えた時の感覚に似ているかも知れません。それはなかなか良いものでありました。唐辛子スプレー持参で侵入して能天気なことを言うなとイノシシや鹿は怒るでしょう。そこはひらにお許しいただくしかありません。




2024/07/12

240)ついてけまへん

 ある日、散歩からもどった祖父が言うには、いま堤防で「Hマンに注意しましょう」という看板を見た、Hマンとは何か? 何かの頭文字らしいが狐は「F」だし狼は「W」だし、だいたいケモノが町なかに出るはずなかろう。母が笑ってそれは痴漢のことですよと説明したけれど祖父は一向に釈然としない様子でした。小学生の私も知っていた「H」という言葉。それから60年の星霜を経て因果はめぐる糸車、いま祖父と同じ道を歩く私です。

 「ぴえん」、「がん見」、「リア充」、「バズる」、「JK」等は見当がつかず、「推し」、「盛る」、「ドン引き」、「映(ば)える」等は字面から意味を憶測するばかり、「ざっくり」、「ほぼほぼ」、「どはまり」、「エモい」、「ささる」、「ディスる」、「バズる」、「ばり」、「まじ」、「やばい」、「~なう」等はどうにも語感が軽薄・下品です。しかもこれらの新語の多くはすでに死語だとか、もうついて行けません。

 私がついていけない、すなわち「今どきの言葉」になじめないのは、まず自分の年齢のせいだと自覚しています。これはいたしかたなし。
 理由の2番目は、「今どきの言葉」が身にまとっている「時代の空気」が私にはあまり快くないという事情があります。「それこそ年寄りの証拠だ」という人もいるでしょうが、実はそうとばかり言いきれないモヤモヤ感があるのです。説明が難しいけれどおよそ次のような次第です。

 歴史をヒモトクと一つの国がずっと発展し続けることはなく、内部の覇権争いをくり返しながら全体としては爛熟、停滞、衰退し、時に蘇ったりするようです。そして日本は近代国家となって160年、いまや人口や経済の指標に明らかなように後戻りのできない停滞局面に入っています。このまま衰退すると思いませんが、かつてのような「今日より明日が良くなる」という社会的気分はとうに失われ「内向マインド」が優勢になっています。

 とくに若い人々は炭鉱のカナリアのように鋭敏ですから、この気分を先取りしているように思います。例えば複数の意識調査(国際比較)によると、日本の若者は、欧・米・韓・中の若者と比べ社会志向、職業観、自己評価、自分や国の将来像などの面で顕著にネガティブな傾向を示しています。良し悪しを別に一言でいうと日本の若い衆は内向きで自信がなくペシミスティックなのですこのことに私たち大人が深く関与していますが、しかし、若い人はたとえ根拠に乏しくても楽天的であってほしいと願います。

 さて、こうした内向社会における仲間意識とナルシズム、その反面の排他意識、現世利益願望、刹那的感覚などのメンタリティが、若者言葉やネットスラング等の新造語の誕生・流通と深く関わっている。さらにはいじめや差別などの事象につながっている。これは好ましい状況ではないだろう。私はこのように(根拠に乏しくても)考えており、それがモヤモヤ感につながっているのです。私もその社会の一員だし、一方で日本社会に美点が沢山あることは言うまでもありませんけれど。

 次に「言葉の使い方」について感じるところを書きます。
 たとえば「大丈夫」という言葉。バナナの皮ですべって尻もちをついた、後ろを歩いていた人が駆け寄って「大丈夫ですか」?と聞く。 転んだ方も照れ笑いしつつ「いやどうも、大丈夫です」と答える。あるいは「これから鬼退治に行ってきます」、「お前一人で大丈夫かえ?」、「 大丈夫です、きび団子があれば十人力!」、、、これが本来の「大丈夫」です。
 しかし今どきの人は美味しいかと尋ねられて「大丈夫です」と答えます。毒見役でもあるまいし。「差し支えありませんか」に替えて「大丈夫ですか」とも使われます。

 「なります」も珍妙です。「これが四国霊場のジオラマになります」、「次にお見せするのが井伊家の家宝になります」、「お待たせしました、コーヒーになります」という具合。「なる」という言葉は「ヤゴはトンボになります」という時に使うものと決まっています。用例はすでに古事記に見えます。イザナミの身体の「なりなりてなり合わぬ」一部分と、イザナギの身体の「なりなりてなり余れる」一部分が結合してこの国が誕生したという国産み神話です。

 「かな?」も違和感に満ちています。「みんなが弾丸登山禁止のルールを守ってくれるとありがたいかな、と思います」のように。なぜ「ありがたいです」とか「ルールを守ってほしいです」といえないかな?

 「させていただく」も too much です。「お客様が新幹線に間に合うよう急がさせていただきました」、「この映画に出演させていただいて嬉しかったかなと思わさせていただきました」。

 「よろしかったですか?」や「よろしかったでしたか?」は不思議な過去形です。「よろしいですか?」が普通だと思うのですが。

 「私の中では」も聞きづらい表現です。「その話は私の中ではちょっとおかしいんじゃないかなーと思っていてー」と使われます。「の中で」という言葉は不必要、無意味、蛇足、冗長、無駄、邪魔でしかありません。

 「なってございます」は不快なうえ文法的に誤りです。たとえば「このドアは顔・音声・指紋の3重ロックの安心安全なシステムとなってございます」のごとく。「いる・います・おります」と、「ある・あります・ございます」の2系統の使い分けは小学校で習うでしょう。国会答弁でもよく耳にする間違いです。

 「どうぞこちらへ参られてください」も時おり耳にします。「参る」は「行く」の謙譲語で
すから相手に対しては「お越しください」と言うべきところ。お坊さんがいう「おまいりください」は「詣る」の方です。

 「いまお客さまが申されましたように、、」も同じことで、「お客さまが仰いましたように、、」と言わないと私のような年配客のカスハラを誘発します。

 「視聴者の皆さまもご参加してください」と先ほどテレビが言いました。「ご」は体言の前に置く接頭語ですから「ご参加ください」と言ってほしいものです。
 当たり前のことをクドクド言うな、あまり細かいことを言うな、とのお声が聞こえそうですからこの辺でやめます。

 これらの言い方には共通して表現の「間接化・婉曲化の意図」が感じられます。それは残念ながら礼節や洗練への志向ではなく、多数の人々の自衛意識の現れ、すなわち今の世の中は怖いという警戒感を示すものであろうと思います。その背景に前回記事(カスハラクレーマー)のような事象があり、またSNSがいつでも危険地帯に変わりうる現状があります。こうしたわけで時代の気分と深く結びついている「今どきの言葉」に私はよけいについて行けないのです。

 まるで自分一人が正しいように書いたけれど勿論そんな気はありません。折ふしに感じることどもを分かち合う無上の人がいないゆえ自然と溜まった小さな不満を連ねた次第です。今後は、海外からの移住者の増加が日常語の平板化をもたらすかも知れず、生成AIが従来とまったく異質の表現を普及させる可能性もあります。総じて言葉の変化は早まるでしょう。

 若者に楽天的になってほしいと書いた私ですが、こと言葉に関する限りあまり明るい未来を想像できないのです(文学ではなく言葉について語っています)。そして60年前、Hマンに首をかしげた祖父はおそらく一抹の寂寥を感じていたのであろう、いま私はそのように思います。

 <最後に都知事選の感想をひとこと>

 蓮舫氏は、候補者の中で一番よいと思っていたのに3位どまりで残念です。ささいな話ですが同氏が演説で若い人々のことを「若い子たち」とか「この子たち」と呼んだことが気になりました。これは親愛の情ではなく優越意識の表れでしょう。しかしそれでも、蓮舫氏には政治状況を変えるため今後も力を発揮してほしいと思います。

 小池氏(さらに自信と自己愛にあふれた人)は、現職の強みを存分に発揮しました。実績が一定の評価を得ましたが、そもそも行政は税金の再配分ですから住民に利益を供与して当然(積極的な不利益を与えることが不可能)だという基本的性格があります。この面から見て都民の目は少し寛大すぎると感じました。

 石丸氏(これまた自己陶酔の人)は、断片的な演説だけで無党派の若者を引きつけました。同氏の唯一の武器であるSNSは「劣情の培養装置」でもあるという負の側面をもっています(劣情とは文字の通りで性的なものばかりを意味しません)。今や「注目が力」の世の中です。石丸氏ばかりでなく都知事選全体がその様相を呈しました。まじやばい!

 若者が痛感しているのはここ10年から20年ほどの日本の政治の不毛でしょう。既成政党は信頼できないと思って当然だし、まったく豊かさを実感できない社会です。石丸氏はその不満をうまく掬いました。彼が今後どうするか私の知ったことではないけれど、165万票を得た者として、自己の政治思想について社会にむけきちんと語る責務があります。
 また野党には自民との対立軸だけに依らない自己改革が求められているし、海の向こうのバイデン氏は若手に道を譲るべきだと思います。

 暑さや雨で桐生に行かない日が増えてブログ更新がはかどりました。そろそろ息切れで月2ペースに戻しますが、時おり覗いて頂けたら幸いです。時節柄どなた様もご自愛くださいますよう。







2024/07/05

239)クレーマーと公務員

 「カスハラ」(前回記事)に続いて「クレーマー」です。どちらも似ていますが、常習性、不当性、強迫性などの点でクレーマーの方が厄介です。その要求が許容範囲かどうかを「お客さま目線」で見きわめる必要がありますが、ここでは疑う余地のないクレーマーについて地方公務員であった私の体験をふまえて書きます。不当要求への対応に尽力される市役所の仲間に向けたエールのつもりですが的はずれなら済みません。

 平等、公平、中立、適正、妥当であることを強く求められる公務職場は、クレーマーにとって攻め所が一杯です。小学1年生が後ろ向きに投げた小石でも、市役所職員が背負っている「公」の大看板のどこかにカツンと命中します。これは理念上は職員が誇ってよく、実感としてはなかなかシンドイことです。市役所のクレーマー対応策は充実しているでしょうが、私の経験を振り返っていま思うことを書きます。

 私が福祉関係の課長になった時、ある人物(A氏)に気をつけるよう前任課長から注意されました。A氏の親族が以前に高齢者施設で亡くなりましたが、A氏は施設の体制や救急搬送された病院の処置に不備があったとして提訴するとともに、施設への入所措置を行った市および上級官庁である県の責任を追及していました。前任課長の2年の在任中にA氏は現れず、その前の課長からの引継ぎ事項でした。このまま来ないで欲しいなと私が思っていたら、ある日A氏が来庁しました。
 
 それから2年か3年か、私が部長になった後もA氏との関わりが続きました。A氏は頭脳明晰で調査力と弁舌力に優れる一方、机を叩く、カウンターを蹴る、怒鳴る、脅す、居すわる、長電話するなど威力を行使して不当要求を重ねました。腕利きのクレーマーだと分かるのに時間はかかりませんでした。施設内診療所の嘱託医の出勤日数や勤務時間の細則を厚労省に電話照会し、それを元に市や県の見解を問い詰めることもありました。県の担当者がなぜか突然に退職するという出来事もありました。

 私は仲間の協力を得てA氏に対応しました。こちらが弱腰になるとA氏が喜ぶと分かっていたし、どのみち逃げられませんから、腹をくくって積極的に「お出迎え」しました。しかし、いくら時間をかけ話しても双方が合意できるはずもなく、よく市長を出せと怒鳴られました。私からは市長に絶対にA氏と会わないよう、私の所に戻して頂くようお願いしてありました。A氏はふらりと現れますがあらかじめ来所日が分っている場合もあり、その前夜はやはり憂鬱でした(この件だけは家で内緒にしていました)。

 A氏は非常に行動的でした。私を非難する看板を立てたこともあったし、施設、病院、診療所等にも出向いて主張をくり返しました。私は関係先からも情報を得ていましたが、A氏の精力的な活動ぶりによく驚かされました(それによってA氏が利益を得たかどうかは知りません)。A氏は何度も繰り返し来庁しましたが、2、3年して姿を見せなくなりました。その頃にA氏が裁判に負けたとの情報を得ました。A氏が市に苦情を申し立てた最大の目的は裁判を有利に進めるためであったと分かりました。私たちは最後まで不当要求には屈しませんでしたが、なんだか「引き分け」に終わったような感じでした。

 他にもいろんなクレーマー(と呼ばざるを得ない人々)に出会いましたが、振り返っていま次のように思います。いうなれば「クレーマー対応の心得」です。

 「公」と「私」に引き裂かれそうになったら「私」をとる・・・押し込まれた時に自分に正直になる、ということです。公務員としてそれでいいのか、公務員がこんなことも知らないのか、俺に言う前に違反者みんなに言ってこい等とキツく質されます。返答に困ったら「ていねいに尻をまくれ」ばよいのです。一度に全部できません、それは知りません、出来ることを順番にやります等と答えましょう。公務を支える自分の「生身」を大事にしないと明日出勤できません。私は「そんな細かいことまで知らない、私の仕事は判断することです」と突っぱねました。自分の腹から出た言葉にはやはりそれなりの力があります。

 「ふだんの声」で話をする・・・クレームの行われる場の雰囲気はやはり通常ではありません。クレーマーは演技者であり、本当に怒っている場合も多々あります。そんな相手の興奮を多少ともやわらげ、一方で自分を落ち着かせるために「通常の空気」をまとうことが有効だと思います。勿論うまくできなくても構いません。意識するだけで違うはずです。

 「それは不当要求ではありませんか」という事例集(紙1枚)を用意しておく・・・すでに役所内で共有されているはず。ファイルにはさんでおき、あなたは失礼ながら今これに当てはまるのではありませんかと見せるのです。私は、「あなたの言動に恐怖を感じているからこれは脅迫です」と伝えました。一覧性を重視してあえて「1枚」としましたが、それでも組織の見解を自分が再確認し、相手に知らせる効果があります。この他に個別面談の具体的ルールに関するペーパーも欲しいところです。

 「職場の人は下を向かない」・・・クレーマーの対応は次第に上席の職員に特定されていくことが多いと思います。それはそれでよいのですが、他の人々もクレーマーの来所時には、全員一斉に目で「お出迎え」しましょう。あなたの行動は見ていますよというサインです。その案件の概要を皆が知っておく必要があります。対応者の孤立を防がなければなりません。

 これら以外に、不当要求ケース専門官との連携(部内に待機してもらったり警察との情報交換をしてもらうなど大変お世話になりました)、時間を切る、録音する、複数で対応する等に心がけました。録音は毎回テープ起こしをしました。A氏の怒声と罵詈が延々と続くので作業にあたってくれた職員が「もうしんどいです」と根を上げたこともありました。

 これまで「公」について何度か書きました(記事124「市役所と株式会社は同じ?」、134「公共の敵が公共であるとき」167「公僕について」など)。公務員の「公」の文字は重い言葉です。しかし公務員も人間です。公務員が公務につぶされては市民のために働けません。このような意味において市職員の方々はどうか自分の「私性(わたくしせい)」を大事にしてください。これは民間の組織で働くひと全般に共通する話です。ユニフォームの中の一人の人間を、その人自身も組織も、大切に扱わなければならないと考えます。