公務員をさす公僕(public servant)という言葉をあまり聞かなくなりました。僕(しもべ)の文字が今どきの感覚に合わず「別称」ならぬ「蔑称」と感じられるのかも知れません。では、「神の僕」や「芸術の僕」はどうでしょう。仕える相手が至高の存在ならこの語の印象も変わるはず、「公」は「それなみの概念」であるべきだと考えます。その限りにおいて私は「公僕」という言葉が好きです。
憲法15条2項は「公務員はすべて国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と言い、さらに99条で「天皇又は摂政及び国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と念を押しています。「国民」と「公務員」が区別され対置されているのは国民主権の原理に照らして当然ですが、これらの条文が憲法における「公僕」の淵源でしょう。
その点を承知しつつ少し緩やかに考えてみたいのですが、「すべて国民全体」の中には「公務員」も含まれます。したがって公務員は「自分自身に奉仕する」者でもあります。また、公務員が「国民の奉仕者」なら「民のしもべ」すなわち「民僕」と呼ぶべきところですが現実には「公僕」と称されます。「民僕」と「公僕」の違いは何でしょう。そもそも公務員の奉仕の客体たる「国民」とは何でしょうか。
私は「国民」を静止画のように見ず、憲法の3原則、つまり国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の実現に自らも参画し、その果実をより豊かに享受しつつある動的存在と捉えてはどうかと思います。この場合、公務員は、そのベクトルの向きに従って国民に奉仕する者となります。その奉仕の対象は未来の国民であり、外国籍市民でもあります。さらに社会資本の維持、環境の保護、国土の保全も含まれます。
以上は思いつきの拡大解釈ですが、「公務」の定義からあまりそれていない気がします。私は、国民=主人、公務員=奉仕者という図式から肝心かなめの「公」の位置づけが明確に見えないことが惜しいと思っています。このように考えると「公僕」とは言い得て妙です。今回のテーマは「省庁職員のモラル向上を図るための研修」であり、前置きとして「公僕」に触れたのですが長くなり過ぎました。「研修」は次回にまわします。
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