ボランティア活動は「よいこと」とされており私もそれに賛同しますが、活動の主体が私自身である場合は少し話が変わります。なぜか「私もボランティアをしています」と言いにくい居心地の悪さがあるのです。そこでタイトルも括弧でくくりました。これは「公」と「私」の関係をめぐってブログのテーマにも関わる問題ですが説明が易しくありません。ボランティア初心者の私に力みがあるのでしょうか。
とりあえず活動報告です。私は草津市社会福祉協議会の事業への協力を主目的とする2つのグループ(いずれも数人規模)および「フードバンク事業」に参加し、これらと別に草津川公園「であい広場」を管理する市民グループ「グラッシー」のメンバーになったので出かけ先が4つになりました。一見多忙ですが、それぞれの活動は月1回(たまに2回)なので出ずっぱりではありません。
まだ2か月の活動で気づいたことを書きます。先日、フードバンクの食品の賞味期限の確認と数量カウントを手伝って寄付品が雑多なのに驚きました。缶詰、レトルト食品、乾物などはいいとして、「駄菓子」のたぐい(ミシン目で数珠つなぎになったお菓子で袋の数が減っているもの、「あてもの」の景品みたいなもの等)や1個ずつ包装された丸餅(大きな袋を破いてバラバラにしたもの)、その他いろいろあって「こんなものまで寄付するのか」と思いました。
捨てるのがいやだから寄付しておこうと考える人があるのでしょう。貧者の一灯も混じっているかもしれません。そして社会福祉協議会はその性格上、市民の善意を取捨選択することができません。チリも積もれば山となって必要な人に分配されるし(これもボランティアが従事)、全体としてフードロスも減ります。「三方よし」だがそれにしても、、、と私は考えます。これらの中にキャビアやフォアグラの缶詰、伊勢海老のレトルトスープがあってもいいではないか。
そんな高級品を寄付したことのない自分を棚にあげて言いますが、社会のさまざまな「福祉」の場面において「けち臭さ」や「みみっちさ」を感じることが少なくありません。「福祉」を受ける側の人々に対して「ありがたく思え」というその他大勢の集合的な意識(むしろ無意識)が存在しているかのようです。これは健康で文化的な最低限度の生活(憲法25条)とは何かという問いにつながります。ボランティアの意義を問うことでもあります。「私たちはどこまで分かち合えるか」という問いです。
これに対し「ガザやウクライナを見ろ。そんな贅沢が言えるのは平和ボケの証拠だ」という意見も出るでしょう。戦争は止めるべきだし人は殺されてはなりませんが、それとこれとは話が違います。これはここ2か月の意見ではなく私が長く感じてきたことです。もちろん福祉の多様な担い手をけなすつもりはなく、むしろそうした人々に私は親愛の情をいだいています。しかし福祉にたずさわる人はこの問いを忘れてはならないと思います。「これってダサくない?」と自問することでもあります。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」と聞いて「そうですコメです。備蓄米や新米です!」と言うのはぶっ飛び農水大臣ぐらいのもので、ふつうの人は(私も)、これは精神の重要性を説く言葉であると了解しています。しかし人において肉体(物質)と精神は相互補完的ですから、草の根をかじって心の安寧を保つことは困難です。パンも食べたいし心の充足も得たい。胃袋と心を充たすために「福祉」はいかにあるべきか。このように問うこともできます。アウシュビッツやラーゲリの中に崇高な行為や自由、不屈の精神が存在したことを私たちは知っています。しかし、それとこれとも話が違うと思うのです。
また別の日、公園の草刈り作業でえらく腹を立てている人がいました。臨時の招集(ラインの案内)があって私が出かけると、その人はもう作業を始めていました。定刻になって事務所の前に集合すると彼は事務所の人に食ってかかりました。作業を呼びかけた人が来ていない、開始時間に会議が行われているのはおかしい、どこを作業するのかの説明がない、すべて無責任である等。実はこれらは主に彼の勘違いによるものだとわかり作業が始まりましたが、彼の怒りはしばらく収まりませんでした。
その様子をみて、この人は現役の時もこの調子でやっていたんだろうと私は思いました。「俺がちゃんとやってるのになぜお前たちはちゃんとしないんだ」という発想です。正義は自分にあると信じる分だけ憤りが増します。これらはあくまで私の想像ですが、そんな「義憤パワー」を彼は発していました。もしボランティアで過去を引きずっているならみっともない話です。課長だの部長だのは組織内の暫定的役割(ごっこ遊びのようなもの)に過ぎません。
またある日、私は、高齢者施設が地域に開放しているサロンにでかけてギターを弾きました。ここは毎月の出前先なのですが(ゲームやヨシ笛。お客さんも熱唱)、新メンバーの私が伴奏に加わることになったのです。曲目はポピュラーなものばかり(平和堂の歌を含む)でコードも単純なので何とかなると思ったけれど、ヨシ笛と音が合わないので慌てました。ヨシ笛の「ド」はピアノの「ミ」の音程なのです。
打ち合わせの時にこれが分り、家に帰ってからヨシ笛の楽譜コードをすべて(正常に)書き変えました。しかしヨシ笛の中には「ファ」の音を「ド」とする別の流派があると知り、念のため二回目の音合わせをお願いして当日を迎えました。さて結果はどうであったか。ヨシ笛2本とお客さま(私と同年配か年長の女性達)の大合唱にかき消され、マイクなしクラシックギターの音が聞こえたのは前奏部分だけ!という始末でした。いやまったく。
別の日、ある町内会(夏の終わりの3世代交流会)に風船をふくらましに行ったら、世話役の人が市役所の先輩でした。採用3年目の私は社会福祉課保護係のケースワーカー、先輩は老人係(今はこの名前はないはず)の係長、何年か近くで仕事をさせていただきました。30年か40年ぶりの再会でしたが、先輩の元気よくテンポよい話し方が変わっていないことは何よりでした。
風船(ペンシルバルーン)はふくらませてから口を結ぶのが大変です。私の役目はお手伝いにすぎないけれど前日に自宅で30本ほど作って会場に行きました(リーダーも同様)。これは大盛会のうちに終わりました。当初、私はこうした「出前」はせずにキラリエ(社協の入る複合施設)内での単純作業にだけ従事するつもりでしたが、2団体ともメンバーが少ないため、なかなかえり好みしにくい雰囲気なのです。
また、月1回の定例会議の時に当てられたら発言もしますから、「いいですね。じゃあご当地クイズは茂呂さんやってください」といった具合になります。そこで9月は「にこにこカフェ」のクイズ担当になりました。こうして「深み」にはまってきましたが、個人活動として始めたことなので、今後どこまでグループとして動くかが問題です。ボランティアを募ったり招いたりする側はグループを相手にする方が都合がよいという現実もあります。
続報は以上で、しばらくはこの話題からはなれます。いま記事を読み直すと、私もまた昔の経験をかざして若い人々に講釈を垂れています。しかも「公私論」はきわめて不十分です。しかし言いたい放題は隠居の特権とさせてください。始めると止まりにくいのです。ご当地クイズもすでに作ってしまいました。
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