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2025/07/08

281)センタクの夏

 抜けるような青空いっぱいに無数の白シャツがはためく映像。それはかつて洗剤のテレビCMの定番でしたが、あの画がもたらす爽快感や清涼感は夏の暑さが尋常である時代の産物であったと今にして思います。「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山」にさかのぼる感覚です。昨今の夏はここから逸脱し禍々しいほどの暑さです。「地球温暖化」という表現を私たちは改めるべきでしょう。

 今年は「選択の夏」でもあります。参院選の投票日を迎える前に思うことを少し書きます。時節がら各党とも物価対策と生活支援を重視し、方策として給付金と減税のどちらがよいかが議論になっています。確かにこれらは当面の課題ですが、どうして物価が高く、賃金が低いのか、すなわちなぜ日本はうまく回っていないのかという「そもそも論」を説明する責任が政治家にあります。しかし先日のNHKの党首討論で各党首は、ガマの油売りのような口上を言うばかりでした。

 「これでいいのか日本」と思うことは多々あるけれど、私はトラック転落事故に衝撃を受けました。本年1月、埼玉県八潮市の町なかで県道に突然、穴があき、たまたま通りかかったトラックが転落した例のいたましい事故です。壊れた下水道管に周辺の土が流れ込んで地下に大きな空洞ができていました。転落の翌日、穴は直径40メートルに広がって救助は困難をきわめました。トラックと運転者が引き上げられたのはなんと3か月後でした。

 救助のため真摯な努力がなされたことに疑いはありませんが、山でも海でもない街のど真ん中の県道を走っていたトラックが下水道でできた穴に落ち、衆人は環視するばかりでその人を救えませんでした。これは「下水道の点検不足」や「救助技術の不足」以前の問題、すなわち私たちの社会の在り方の問題ではないかと考えます。このような社会が道路に穴を開け、落ちた人を無策のうちに見殺しにした、とは言い過ぎでしょうか。

 近年、道路の陥没は各所で起こっています。地下鉄工事やトンネル工事も原因の一つでしょう。水道管の破裂もめずらしくありません。ガス管の事故もありました。管渠ばかりでなくトンネルは崩落しないか、橋は落ちないか、線路はゆがまないか心配はつきません。そもそも日本は国土の大半が軟弱地盤であるうえ地震大国です。さまざまな現場で技術の伝承が困難になっているとも聞きます。事故の手前のニアミスはいくらでもあるでしょう。

 もちろん自治体や国には図面と修繕計画があり、それにもとづき年次的に維持管理が行われているはずですが、実際にはどことも予算と人手が圧倒的に足りません。すでに出来上がって何とか機能を果たしている(ように見える)構造物より、医療、福祉、介護、教育など「人がらみ」の施策の優先度が高いでしょう。うちの道路や橋は大丈夫と胸をはって言える都市はないはずです。

 日本のインフラは戦後復興期から経済成長期にかけて多く整備されました。それらはそろそろ寿命です。一斉更新など不可能ですから、だましだまし、かしこく、地道に維持管理を続けていかなければなりません。そうした維持管理は現に行われているはずです。しかし八潮市でトラックが転落しました。偶然が重なったのではなく、起こるべくして起こった事故のように見えます。

 この社会(私たち市民、とりわけ政治家)は、あまりに将来への想像力に乏しいと思います。形ができればハイおしまい、今日がよければそれでハッピー、国債が増えても何とかなるさと世の中が回ってきました。ふりかえれば15年戦争につっこんでいった時も、おなじノリではなかったでしょうか。トラック転落で私はこんなことを思いました。暗い気分です。

 そうしたら作家の高村薫が朝日新聞(7月3日朝刊)で同じテーマを深く鋭く論じていました。タイトルに「穴は至る所に」とあり、見出しには「 〈今〉に興じる我ら、先見通せぬ残念気質、なにもかもガタがきた」とありますが、これらは編集者がつけたのでしょう。うまく中身を切り取っています。

 同氏は、「くだんの陥没事故を目の当たりにした時、私は一抹の淋しさとともに突如、これこそ自分が生きている社会の掛け値なしの実相というものだと腑に落ちていたのだ」、「一言で言えば、何もかもが古くなってガタがきている感じ・・・だろうか」と述べたうえ、例をあげて日本の国力の衰退を指摘しています。残念だけれどすべて指摘の通りです。

 終わりの方を引用します。
 「最新の日本の相対的貧困率はアメリカや韓国にも抜かれて15.4%であり、先進国でもっとも貧しい。それでも群を抜いて国内の治安はよく、私たちは生活不安を抱えながらも、グルメだの『推し』だのとそれなりに生活を楽しみ、街ゆく人々の表情も明るい。
 しかしそれもそのはず、私たちはそうして〈いま〉だけを見、見たくもないものは見ない。その結果全盛を迎えているのがフェイクニュースであり、切り取り動画である。
 〈いま〉を大切にしたい老若男女が日々の刺激を求めてウェブに集まり、それが時に一過性の潮流をつくったりもする。おそらく日本の社会も政治もそうして漂流していくのだと思うが、では厳しい現実はどこへ行くか。どこへも行きはしない。」

 高村氏は、言いっぱなしで終ってはいません。日本の現実(1323兆円の政府債務残高、国家の信用力の低下、気がつけば台湾防衛の最前線に立たされていること、戦争するカネがないこと、狭く逃げ場のない国土などの事実)を肝に銘じておけば、〈いま〉しか見ない私たちでもたぶん、なんとかなると語り、参院選に話をつなげています。

 さて、すべての議員は政治的理念をもっているとします。とするなら彼らは、理念の実現には議員の身分が不可欠であると考えているに違いありません。それは正しくないけれどきわめて現実的な考えです。そこで議員にとって当選することが何より重要になります。理念の実現は時間がかかるから当選を続けなければなりません。そこで議員には「当選=理念」となります。政党レベルでみても同じことでしょう。議員という職業がオイシイことも背景にあります。

 いまさら当たり前のことを書きましたが、私は政治家(政党)が本当に理念を持っているかどうか疑っています。もし政治家としての理念があるなら、それは必然的に歴史的認識(過去があって今があり、今が未来を準備するという客観的認識)に裏付けられたものでなければならず、また30年、50年先をリアルに思い描く想像力を伴うものでなければなりません。それに加えて他者の痛みに共感する力が政治家の基本的資質として求められます。

 このように考えると、トラック転落事故を自己の政治的理念に関わる重大問題だと捉え、社会に警鐘をならす議員が百人単位でいてもいいはずですが、私の知るかぎりそんな人物はいません。とすれば、ほとんどの議員は理念を持っていないことになります。これが政治の劣化なのでしょう。コメも賃金も社会保障も大事だけれど各論です。まずは理念に基づいて総論を語るべきではありませんか。政治家だけに要求してはなりませんが、選挙に出るなら国のビジョンを持つべきでしょう。

 私には最善の政党と候補者が見当たりませんが、すでに投票を済ませました。棄権すればずるずる後退してあとがなくなります。このブログをご覧の方々、すなわち一個人のたわごとにお付き合い下さる限りにおいて世の中に絶望していない人々は、きっと棄権されないでしょう。それ以外の人々(ほとんど社会全体)が、よく品定めをして投票されるように祈ります。
 

 【棚から言の葉】

 ~ くり返して申しますが、私たちは『とにかく治す』ことに努めてきました。いまハードルを一段あげて『やわらかに治す』ことを目標にする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は『心の生ぶ毛』という言葉を使いましたが、そのようなものを大切にするような治療です。そのようなものを畏れかしこむような治療です。(中略)分裂病の人のどこかに『ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ』を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。 ~
 
 精神科医・中井久夫の神戸大学医学部での最終講義の一部です。「中井久夫拾遺」(高 宣良・金剛出版)の中に、「みすず書房『最終講義』」からの引用として書かれていた部分を孫引きしました。素人の私の胸に迫りました。これから時おり、たまさか出会った言葉をコラムのように書き留めたいと思います。これが第一号です。





2025/07/01

280)宙ぶらりんに耐える

 たまたま読んだ本「ほんとうの会議」が良かったのでさっそく記事(276277)にしましたが、さらに他の本を読み友人らの話を聞くにつれ、私が感心したネガティブ・ケイパビリティ(negative  capability・消極的能力)の概念は日本でも以前から広く論じられていると分かりました。知らぬは私ばかりです。前回の友人の意見に続き、今回はI君の見解をご紹介して一連の記事を終わります。

 I君は浄土真宗のお寺に生まれ、高校の世界史の先生になりました。そのかたわら大学院で心理学を学び、カウンセリングの知見を教諭の仕事に生かしました。いまはお寺一本となり檀信徒を集めて真宗の勉強会を開いていますが、ネット視聴できるその講義が面白いのです。彼は勉強家で専門家です。その昔、仲間内でのマージャンに負け、罰ゲームとして電車通りを前転(でんぐりがえり)して渡った人ではありますが、今はカソケキ威厳を漂わせています。

 I君の意見の要旨はこうです。 
~  カウンセリングはネガティブ・ケイパビリティ(NC)そのものだといってよいですね。不登校の子ども・親御さんとの対話はもとより、カウンセリングが深まれば深まるほどNCの要素が強まり、両者とも底の見えない池の藻のように絡まっていく感じがします。絡まったままでは共に溺れてしまう。カウンセラーの専門性は「絡まりながら絡まっていることに気づけること」にあると思います。

 このようにカウンセラーとクライエントの間の境界があいまいになる程に治療効果も上がりますが、クライエントの精神状況と問題の深さにカウンセラーの能力が見合っていないと、カウンセラーが精神をやられることがあります。その際の危機管理の手立てもあるけれどそれはさておき、NCは「諸刃の刃」です。ギャンブラーズ・アノニマス等のグループも同じで、ファシリテータの管理能力とカウンセリングや教育分析の経験量が求められるでしょう。

 私(I君)の体験を二つ書きます。カウンセリングのトレーニングとして教育分析を20回ほど受けたことがあり、分析者は私のカウンセリングの師匠でした。ある時、私の一人語りのあとに長い沈黙がきました。私は空っぽの状態で下を向きカウンセラーも黙ったまま。10分も過ぎたころふと顔を上げたらカウンセラーと目が合いました。その時の目や表情、後ろの背景まで今も脳裡にくっきり残っています。ついで「では終わりましょう、、お気をつけて帰って下さい」と言われました。その場を辞し、身体と心の疲れと一種の高揚感を感じながら夜の烏丸通を歩いたことを覚えています。

 この体験は、「絡みつく藻」の感触と少し異なっていて、「中身がいっぱい詰まった空洞」みたいな感じです。そして「藻」や「空洞」が得体の知れない何かをはらんでいる。次に何かが生み出される。それがNCの産物であるかもしれません。そしてこのような事情と言語とはどのように関係するか。この「言語化」をめぐって私の二つ目の体験を述べます。
 
 大学院での面接の際、確かカウンセリング場面での子どもの「語り」について問われた時でした。私は、ある生徒さんとの相談場面を想起しながらこう話しました。その人の中で何かが生まれようとする時って、深い井戸につるべを垂らし、それを引き上げるような感じがします。何が出てくるかわからない。思い出したとか、隠していたことを明かすのでもない。言葉になる以前の何かが二人の前に現れてくる。整った文章はありえず、単語の羅列、同じ言葉の繰り返し、宙を見つめるようで交じり合わない視線・・・。それでいて新たに何かに遭遇したような感覚、・・・と言えばいいでしょうか」~

 ここでI君の意見の引用を終わります。なるほどそうか、さすがにI君。素人目には「石のお地蔵さん」のようなカウンセラーですが、つるべを引き上げてのぞき込むには専門家の助けが大切だし、私たちは「あいまいさを同定する」うえでも他者の存在が必要である気がします。I君はよい教師であったろうと思います。彼はNCの観点から見た浄土真宗についても感想をくれましたが、それはいずれ宗教の記事でふれたいと思います。

 ところで鶴見俊輔もNCに言及しています。関川夏生との対談「日本人は何を捨ててきたのか」(筑摩書房・2011年)において「受け身の知的能力」について語り合っていますが、その一節を引きます。

 ~ ネガティブ・ケイパビリティというのは、パアーッと投げられた時に柔道でいう受け身ですね。自分の思想をグッと押し出すのはポジティブ・ケイパビリティなんだけれども、ここにいる人の影響を受けて、自分を変えていく能力がネガティブ・ケイパビリティです。両方とも大事なんです。このネガティブ・ケイパビリティを尊重することが、日本の文化の重大なものを保つ所以だと思う。連句などもそこから出てくる。イギリスの批評の中に「ポジティブ・ケイパビリティというのはキャラクター」で、「ネガティブ・ケイパビリティはパーソナリティ」だとね。(中略)パーソナリティというのは自分を変えていく能力でしょう。それなんですよ。~

 鶴見俊輔はこのように述べています。連句の話は象徴的です。一座のなかで前の人の句を受けて自分も即興で句を詠む。一回の句は五・七・五または七・七の短さです。興趣を深めるためのルールが幾つも設けられており、それに従いつつ何巡も繰り返して長い「巻」にします。前の人の句を受けるといっても、付きすぎるのは野暮だし、離れすぎては物語にならないし、しかし時に飛躍や転換が好ましいし。友人を招きアヅマや私で素人歌仙を巻いたことを思い出します。(連句については記事199「夢は枯野を」に書きました。同じことを書くところでした)

 ネガティブ・ケイパビリティから多くのことが論じられそうですが、このあたりで終了します。「ほんとうの会議」で、多くの場合まとめは不要であることを教えられ、また「答えは質問の不幸である」という言葉を学んだので、書きっぱなしにします。










 

 
 

 


私には新発見ですからもう1回だけ書きます。


(私が知らなかっただけですが

に学ぶところが多く感激して記事にしましたが、その後あれこれ読むにつけ皆さま先刻ご承知のことばかりだと知りました。これはいつものことで何事もひとさま(他人様)の肩車に乗っかっているわが身であります。今回は友人I君のネガティブケイパビリティについての感想を中心にすえます。

 

 

(ほんとうの会議:

2025/06/21

279)老人と山

 久しぶりに桐生の話題です。ここは私たちの庭でした(何度も恐縮です)。もう20年ほど前、山の斜面を横切っていくイノシシの親子に出会いました。ママが先頭、よちよち歩きの子どもが数匹の一列縦隊で、時おりピタリと立ち止まって周囲の様子をうかがいます。歩いたり止まったりをくり返し、舞台で見得を切る役者のように上手から下手に消えました。私たちは笑いをこらえながら小さな谷をはさんでその一部始終を見届けました。

 ああ、あれはどこであったか。およその見当はつくけれど木々がずいぶん成長して景色が変わり、記憶も薄れつつあるので、それらしき三つの地点から一つに絞ることができません。ここしばらく、その道を通るたびに、あれはここだったっけ、いやあこっちかな、やっぱりわからんねえとアヅマと会話します。人から見れば独り言をいいながら歩く少しおかしな老人です。

 遊歩道の奥に林野庁がたてた大きな丸木柱のモニュメントがあり「治山の森」と大書されています。これをアヅマは「治の森」と読んで笑っていました。昨今のこと、そのモニュメントに歩みよると、手前に張り出した紅葉の枝先が「山」の一文字を隠してアヅマの読み方どおりに見える絶妙ポイントがあると気づきました。モニュメントの下まで行き、丸木柱の根元をぽんと叩いて挨拶をおくることが習いとなりました。

 6月に入ってアブやハエがうるさいのです。また山ふかくのシダの生い茂る日陰には薄茶色の蛾が無数に潜んでいます。そこを通ると前後左右から湧きあがって私の周囲を無音で飛び回るのです。まるで慕うように取り囲んできます。鱗粉を吸いそうなので足早に通りすぎますがしばらく追われます。毎回きまってそうです。

 たしかファーブル昆虫記に、かごの中で飼われている一匹の蛾が森の奥の仲間の存在を感知してばたばた騒ぐという記述がありました。繁殖期におけるフェロモンの作用だと書かれていたように記憶しますが(不確か)、私の体から類似物質が出ているかと思うほどです。蝶にかこまれて微笑む少女なら絵になりますが、ときおり独り言ちて蛾の群れの中を急ぐ老人はいただけません。直言トークのO君なら「そら気色わるいで!」と言うでしょう。

 さて先日、駐車場までもどったところで保育園児の一団に会いました。お揃いの帽子をかぶって20人ほどがお散歩中、彼らにはよく出会うのです。地元のお寺が運営する桐生の保育園は、園庭が広い、プールも大きい、駐車場も広大、スピーカーは大音量、お花見も川遊びもし放題といいことづくめで、園児たちのごあいさつもバッチリです。おはようございます、こんにちは、と使い分けて叫んでくれます。こちらも笑顔で挨拶を返します。

 この日もひとしきり挨拶を交わし合ったところで最後尾の男の子から「おじいちゃん」と呼ばれました。「はあい」と答えてすれ違いましたが、待てよ。私の服装は長袖シャツ、長ズボン、帽子、メガネ、軽登山靴で露出が少なく、すたすた歩くので一見して年齢不詳のはずです。現に「であい広場」でブルドッグを連れていたおじさんは「ホラお兄ちゃん(私のこと)に撫でてもらい」と寝そべる犬に言ったほどです。でも保育園児は私の顔のしわを見て瞬時に識別したのでしょう。おそるべし幼児の目。

 帰宅途中に栗東の平和堂でストロングチューハイを買いました。この店で酒類を買うといつもレジで「年齢確認おねがいします」と言われます。私も「20歳以上ですか・はい・いいえ」という画面に機械的にタッチするのですが、この日ばかりは、見りゃ分かるだろ、これが未成年の顔か?と言いたくなりました。いやほんまに。

 今回の標題は「老人と山」としました。ヘミングウェイをもじるとは不届き千万とお怒りの声が聞こえそうです。名作「老人と海」が世に出た1952年はサンフランシスコ条約発効の年で、その6月21日(本日)が私の誕生日です。「成人」となって53年たちます。いやはや。

 ところで先日の記事(ほんとうの会議)でオープン・ダイアローグ(OD)とネガティブ・ケイパビリティ(NC)について書きました。私はこれらの考え方(手法)に深く感銘を受けたのですが、友人はいったいどう思うか聞いてみました。私自身の勉強のため少し紹介させてください。

 Nさんいわく。OD、NCともエッセンスはシンプルだ。大切なことは昔も今も、どんな場面においても共通しているが時代や領域によって実践が難しい。とくにわが国では「名前」(それもカタカナ言葉)がつかないと注目されにくい。ODは発祥の地であるフィンランドにおいて精神科の長期入院や多剤処方(薬漬け)に一大変革をもたらした。日本ではまだまだであるが、精神科医の斎藤環氏などがその価値を積極的に発信している。

 NCをめぐる状況もよくはない。ネット検索ですぐに解決、うまくいかないとすぐにリセット、タイパ重視で即決が当然という環境で生まれ育つ若い人々には、「答えのない曖昧さに耐える力」が育まれにくい。私(Nさん)は、講演や相談の機会に親世代に対し「子どもに試行錯誤する経験を保証しましょう」と伝えている。ダイアローグについても、会話と対話が異なることを指摘した上で対話の大切さを強調している。(以上がNさんのコメント。斎藤環氏の名前がでて成程そうかと思いました。この人については過去の記事もご覧ください)

 T君いわく。うん、それもそうだが、金銭バラマキや減税を「物価高対策」と表現する与野党には心底落胆している。どう思う? 日本の物価は先進国レベルでは明らかに安い。もし一流国(?)への到達を求めるなら、目指すべき目標として 5キロ5,000円 のコメを普通に買える賃金上昇への施策こそ必要ではないか。

 農業政策等の不備あってのコメ価格上昇に拘泥して問題を矮小化することなく、今や力ずくの競争社会である世界に大きく後れを取った昨今の過程や現状をどう考えどう対応するのか。この国を構成している人々の今後の選択に私は安心できない。(以上がT君のコメント)

 バラマキについては私も怒っています。あまりに露骨な選挙対策です。「あんたらどうせあほや」と私たちは言われているようなものです。2万円はトヨタの会長にも麻生太郎にも渡るのでしょう。税収が上振れしたならば今後は下振れの可能性もあるはず。いっそそのまま残したほうがマシです。トランプとの関税交渉にしても選挙にらみの説明に終始しているものと想像します(用心深く行われている隠蔽、弥縫、変形、作話、言い換え、小出し等々)。

 T君に引っ張られ脱線しました。ネガティブ・ケイパビリティ等についてはNさんの指摘どおり今日的な重要な課題であると思うので改めて書きたいと思います。そもそも人間存在そのものが「答えのない宙ぶらりん」ではありませんか。カウンセラーで真宗のお寺の住職でもあるI君からたっぷり見解を聞きました。その質・量とも私にヘビーであったので再読のうえ記事にする予定です(このところ友人に頼りっぱなしです)。









2025/06/13

278)兵庫県はあかんたれ(?!)

 また梅雨がやって来ました。どこにも豪雨被害が出ないことを祈ります。豊かだけれど湿潤な東アジアモンスーン気候です。西洋にジューンブライドなる美しい言葉があるのは、かの地に梅雨がないことと関係しているでしょう。アヅマも私も同じ年の6月生まれですがこの時期ばかりは「西洋いいじゃないか」と思います。アヤハディオで「お花・苗木2割引き」のプレゼント券をもらいブルーサルビアを買いました。しばらく室内で楽しんで庭におろします。

 バンダナ教授・上脇博之氏が兵庫県知事らを刑事告発したので「桐生あれこれ」を延期します。告発は誰でもできることといえ、私なら目立つことのリスクや慣れない手間ひまを思うだけで気が萎えます。思い切って清水の舞台から飛びおりても一市民の告発などスルーされるかも知れません。というわけで私は上脇氏に心から敬意と謝意を表します。同氏については記事262・裏金講演会をご参照下さい。

 おさらいですが第三者委員会は、「知事らはパソコン内の元県民局長の私的情報をつかんだ」、「元総務部長はそれを議会筋に流せば内部通報の信用性が薄れると考えた」、「知事も同じ考えで元総務部長に根回しを指示した」、「ついで副知事も同じ指示を出した」、「そこで元総務部長は複数の議員に情報を伝えた」と認定し、知事一人が関与を否定しています。

 以下は私見です。元県民局長が公用パソコンで私的文書を作成したのは目的外使用であり、それが執務時間内に行われていたなら「職務専念義務」の違反です。本来なら知事はこの点を本人に確認し注意するべきでした(懲戒マターではありません)。しかし知事はこれを飛ばして保身に走りました。議会への「根回し」の後も当該情報について「わいせつな内容であった」との見解を公けにしました。

 第一に、知事が指示したのは間違いないでしょう。知事部局と県議会は、県民の幸いをめざすという高い目標で一致しますが、仕組み上は完全な別組織であり、またそうでなくては双方の職責が果たせません。もし両者が「なあなあ」、「ずぶずぶ」の関係にあっても、一職員が独断で知事サイドの重要情報をもらすことはありえません(根回しが成功するかどうかもその時点で不明だったはず)。これは公務員の常識だし部外者にも頷ける話でしょう。

 しかるに斎藤氏は「自分は指示したという認識はない」と言い続けています。彼がいちいち「認識」の言葉を使うのは、本件を事実でなく認識の問題にすり替えることが目的で、バレた時への備えです。彼は元官僚ですが、官僚という人種が自己保身のためにいかに驚くべき知恵を発揮するか、私は市役所時代の見聞により嫌というほど知っています。これは知事主導の組織犯罪(守秘義務違反)です。

 第二に議会のだらしなさに落胆します。上述のとおり知事を糺すのは議会の役目ですが、兵庫県議会はSNS世論にたじろいで責任を放棄しています。事態収束を図ろうとする知事の給与削減提案は何とか継続審議としましたが、姑息な時間かせぎをすることなく知事に辞職勧告を行うべきです。その際に議会全会派の総意として「SNSなどによる言論の暴力を断固として許さない」とのコメントを出すべきです。

 あきれたことに県は県で、内部情報が漏れたことについて容疑者不詳のまま刑事告発を行っています。知事らが内部通報者(元県民局長)を探し出した経過が週刊文春に漏れたことと、元県民局長のパソコンの中身がSNSで拡散されたことが許しがたいというわけです。しかし一つ目(情報漏洩)は、それ自体が「公益通報」です。二つ目(情報拡散)は、維新からNHK党にくら替えした二人の「恥知らず県議」の仕業であったはず。県の告発は斎藤知事の目くらまし戦法でしょう。

 ここまで書いたところで斎藤元彦に厳しくビワマスに優しいO君からメールが来ました。私が「おい今回の件どう思う?」と聞いたので、いつものべらんめえ口調で(しかし丁寧に)答えてくれました。彼の了解を得てその返事をのせます。どうみてもこれがメインディッシュです。

<O君のメール>
 ~ 斎藤元彦の悪徳性はとっくにもう確定済みやんか。あいつがどう悪いかはいろんな人がちゃんとしたこと言うてはる。俺がいまいちばん考えたいのは、なんで兵庫県はあんなにあかんたれやねん?ということ。
 
 82人の弁護士さんが違法と考えてはるわけで、それだけでめっちゃ違法やてわかるやんか。
そこまでの出来事、ほんまは自浄作用で乗り越えなあかんのに、情けない話や。上脇先生のおかげで県議会は楽できたやろと思うわ。むしろ地方自治体ってそんな程度の正義感か?と俺が茂呂から教わりたいくらいやで。
 
 ベランダ越しに、いや越しはあかんな、ベランダの向こうにしとこ。近所の屋根やら道路やら見てるわけや。雨は降っとるけど穏やかで安心できる光景や。理不尽発生を予測しようもない景色で、なんの心配もない。兵庫県のことがあって以来、この安心感は市政のおかげやと思い始めてん。草津市が法令遵守で公正に仕事してくれてるちゅうこと、べつにわざわざ思わんでも思うてるやんか。法が法の通りに実現されてこそのもんやで。法を法の通りに実現するのが行政の役割やと思うねん。
 
 県議の内心は多かれ少なかれ斎藤元彦かもしれへん。職員の内心は多かれ少なかれ井ノ本千明(元総務部長)かもしれへん。そやし、元県民局長とか竹内県議とか、真っ直ぐな人の知事批判が命と引き換えにならざるを得んかった。そういう気がするわ。けど、兵庫県だけやないやろ。現に大津市がそうやったわけで、真っ直ぐな人は天職を捨てて戦わざるを得んかった。

 会社でもそうやった。支店長と所長が手を組んで伝票操作をして、実際以上の営業成績を作っとった。そんなん絶対にあかんと俺が言うたら、一発アウト。めっちゃイジメられたで。的確な叱責もあったけど。
 
 これな、言うたら叩かれるかもしれへんけど、兵庫県の場合、阪神淡路大震災の復興と無関係やろか? 道徳の尊重とともに結実した復興もあれば、道徳の乱れとともに実現した復興もあった、と思う。きれいごとだけでは復興が進まへんたやろし、大きなお金が動き続けたやろし、誰がどれだけ得できるかの競争もあったと思う。

 あっちを立てればこっちが立たずで、職員や県議は何が最善かわからんままに、理念をだいじにしながら仕事する余裕がなかったと思うわ。これが30年間続いて来た。どう言うたらええのか、花より団子というのか、マキャベリズムというのか、黒いネコでも白いネコでも鼠を捕るネコがいちばんええネコの処世訓が広がっていったかもしれへんなと思うねん。これが斎藤元彦誕生の胎教やったかもしれへんし、斎藤元彦続投の生育環境かもしれへんなあ。あんまりまとまりのない話やけど俺はこう思うなあ。~

 以上がO君のメールです。市役所OBの私にも耳の痛い話です。一見して草津市職員にマルが、兵庫県職員にバツがついているようですが、注意深く読むと、彼が両者を等分に眺めていることは明らかです。私は、公務員の「隠れた労苦」にも思いをはせようとするO君の親身なマナザシを感じます。阪神淡路大震災における公務員の殉職(警察、消防に限らず)も踏まえてのことでしょう。

 それにしても「ベランダ越し」には思わず苦笑しました。ギャンブル症者のミーティングにならって聞きっぱなしで終ります。





 

 
 


 
 
 

 

 

2025/06/09

277)「ほんとうの会議」その2

 李在明氏が大統領になりました。「日本は敵性国家だ」と述べた人ゆえ日韓関係の悪化を心配する人もいますが、それは二の次の問題です。韓国の有権者の8割が投票し、前大統領の発した戒厳令を強く批判した李氏が当選したという事実が重要であり、隣国のことながら良かったと私は思います。同氏は高潔な印象がなく刑事被告にもなっていますがトランプよりましでしょう。

 「敵性国家」発言について思うには、日本は、敗戦という「歴史の事実」と、昭和天皇の戦争責任を不問にした「国民の態度」によって、被侵略国から無期限で苦情を言われる可能性があります。こちらが済んだ話にしたくても先方は忘れません。これに反発することが愛国の心情であると勘違いする人が少なくないけれど、こうした「事実」と「態度」があったことを心にとめおき、現在の友好関係の構築に努めることが国益にかなうと思います。

 今回の韓国の選挙で若い女性が「革新」支持、若い男性が「保守」支持とくっきり分かれました。専門家が驚くほどですから私に分かるはずがありませんが、政策レベルの問題ではない気がします。足を踏まれてきた側に溜まった集団的記憶のフタが戒厳令によって持ち上げられ、若い女性世代に噴出したような印象です。若い男よしっかりせよと思います。とうの昔に「私は女性にしか期待しない」と松田道雄(「育児の百科」のお医者さま)が喝破していますけれど。
 
 さて今回のテーマは前回の続きです。「ほんとうの会議」の著者である帚木蓬生は、ギャンブル症者の自助グループによる「言いっぱなし、聞きっぱなし」のミーティングこそ本当の会議であると言いました。これに対し「それも分かるが世の中には『商品開発』や『不祥事対策』などさまざまな会議がある。全部を一律に論じられない」という意見も出るでしょう。もっともな話ですが著者はこの差異を説明していません。

 そこで私見ですが、会社や役所で行われている一般的な会議は「組織の課題や目標について参加者が知恵を出し合うこと」が目的であり(伝達だけの会議も多いけれど)、自助グループの会議は「参加者個人の回復」が目的であって、そもそも出発点が違います。両者を「公的な会議」と「私的な会議」に分けてもよいでしょう。スタイルも「きっちり」対「ゆるゆる」です。水と油です。

 しかし問題の次元を繰り上げてみるとどうでしょうか。一般の会議はその母体である組織(会社や役所)の維持・発展をより高次の目標としており、ギャンブル症者の会議もまた参加者一人ひとりの回復を支える唯一の場である組織(自助グループ)の維持・発展を目ざしているはずです。ともに組織が衰退・消滅したら会議も参加者もあったものではありません。この点で両者は共通しています。

 こう考えると「会議はどれだけ参加者を成長させうるか」という問いが立てられます。何といっても人あっての組織です。この尺度ではかるとどちらが「ほんとうの会議」であるか自明でしょう。帚木蓬生が言いたいのは第一にこれだろうと思います。SNSの隆盛で相手をやりこめる議論に拍手する人が多いけれど、この世はしょせん寄り合い所帯ですから議論や対話は「共なる成熟」を頭の隅に置いて行われるべきだと思うのです。

 以上は私の感想ですが、帚木蓬生は精神科医として次のように指摘しています。すなわち、ギャンブラーズ・アノニマスの自助グループ会議は「オープン・ダイアローグ」の一種であるというのです(開かれた対話とでもいうのでしょうか)。彼によるとこれは1980年代にフィンランドの無医地区で始められた精神医療の取組みであり、「SOSが入ったら直ちに看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーなどが患者・家族の自宅に駆けつけてひたすら話を聞く」というものです。

 当時この地域は失業率が高く、精神の不調を訴える人が多いのに専門病院がないことが大きな課題でした。しかし、投薬や入院などは後回しにして「とにかく話を聞くだけ」で大きな効果が現れ、これに行政が着目してシステム化が図られました。患者・家族の話を聞く、時間は決めない、強制はしない、医療スタッフは二人以上が関わり個人として意見を言う、医師が加わる場合も診断を下さず参加者の一人として発言するというルールです。

 スタッフの身になるとしんどい気もするし、ある意味で専門性の棚上げなのですが、こうした取組みは1995年以降に「オープン・ダイアローグ」と命名され、いまでは教育や就労の場にも応用されているのだそうです。オープン・ダイアローグは参加者全員の発言(多声性:ポリフォニー)によるミーティングであり、どの発言も平等に扱われる場であって、自助グループの会議もこれだと帚木蓬生は言います。

 今ではオープン・ダイアローグは7本の柱に整理され、「今すぐの援助」、「社会とのネットワーク構築」、「柔軟な対応と流動性」、「チーム全体で責任をもつ」、「心の流れを断ち切らない」、「あくまで対話が中心」、「ネガティブ・ケイパビリティの視点」が重要であるとされています。このうち最後の項目に著者は注意を促しています。

 カタカナばかり続きますが「ネガティブ・ケイパビリティ」は英国の詩人キーツが初めて用いた概念で「不確実さや神秘さ、疑いの中に、事実や理屈に早急に頼ることなく居続けられる能力」のことであり、20世紀になって精神分析家のW・ビオンがこれに注目し、深化させたことにより医療をこえて一般的に広まったと著者は説明しています。

 帚木蓬生は、「何の結論もないけれど何やら心地よい会議に参加している自助グループのメンバー全員がネガティブ・ケイパビリティを発揮している、知らず知らずのうちに答えのない事態に耐える力を高めている」と指摘しています。さらに彼は「評価を行わないこと」の意義や「答えは質問の不幸である」という言葉にふれて論を進めていきますが、ここでは追いきれません。

 以上が帚木蓬生著「ほんとうの会議」の要約と読後感です。この本の値打ちの十分の一も書けませんでした、ああ残念。私は仕事の関係で何人もの精神科医と親しくなり内輪話も聞かせてもらいました。そして、メンタルヘルスの領域では「対話こそツール」であると理解していましたが、この本に示された対話はツールの域をはるかに超えています。

 前記のW・ビオンは弟子たちに「精神分析の理論、知見は邪魔になる。患者をこう治したいという欲望を捨てるべきだ。答えのない世界で徒手空拳で患者と向き合いなさい。対話を通して見えてくる世界があるはずだ」と指導したそうです。常識的には「治療の初期の段階における患者と治療者の相互理解を深め信頼関係を醸成するための手段」と解されますが、それにとどまらない話です。帚木蓬生は、「人の薬は人である」という言葉も引いています。

 私は後学のため、といっても先は短いけれど「ネガティブ・ケイパビリティで生きる」という本を読みました(谷川嘉浩ら哲学者3人の著作・さくら舎)。高度な統治、圧倒的な企業パワー、無法なネット空間が共存している現代社会に人間味のある視点を提示しています。小見出しのいくつかを書くと雰囲気が伝わるでしょうか。「陰謀論」、「SNSの告発」、「一問一答の習慣」、「業界人にならない」、「共感の時代と共感の危険性」、「アルゴリズム民主主義の落とし穴」等々。これも一読に値する本です。

 「平安の祈り」について書き忘れました。「神様、私にお与えください。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。そして二つのものを見わける賢さを」という短い祈りです。ギャンブラーズ・アノニマスは米国発祥でキリスト教の影響を深く受けており、「神と対峙する卑小な私」という認識が治癒プログラムの随所に現れています。それが「自助」の原動力となっていることは私にも想像がつきます。

 では日本のギャンブル症者はどうか、無神論者はどうかという話になりますが、「平安の祈り」に示された理知的で謙虚な態度は普遍性を有しています。そこで呼びかけられる「神様」は日本古来の神にも仏にも置き替え可能でしょうし、浄土真宗の他力本願(念仏によってのみ救われる)の思想とも相性がいいでしょう。現に日本でギャンブラーズ・アノニマスが定着していることが何よりの証拠です。

 友人I君はカウンセリングの資格をもつ真宗の住職ですから一度意見を聞かなければなりません。T君とNさんはそれぞれ総合内科と児童精神科が専門であったし(たぶん)、先日久しぶりに電話で話したSさんは「越時代」に苦労を共にした戦友でかつ教育の専門家ですから、「ほんとうの会議」についてこれらの人々の意見を聞いてみたいところです。

 前回記事を見たRさんから、大谷選手の通訳を思い出したとメールをもらいました。私も水原一平氏のことが頭にありました。彼はサラリーマンの生涯賃金の何十人分かを盗んでつかまりました。今はおそらく本場のギャンブラーズ・アノニマス(GA)に入っているでしょう。しかし罪は消えません。大谷選手のとるべき態度について私は考えます。

 まず大谷氏は、安易に水原氏を許してはなりません。できる範囲でよいから一生かけて償いを続けるよう弁護士同席の上で伝えるべきです。水原氏が20数億円を返すには宝くじを買わない限り(それはあきまへん)数百年かかるでしょうから、いま完済を論じてもしかたありません。そして大谷氏は別途、アメリカのギャンブラーズ・アノニマス(GA)に寄付をするのです。10億円ほどがよいでしょう。

 勝手ながらその際の大谷選手のコメントを用意しました。
~  今回の出来事で私はギャンブル症が病気であることを学びました。これは決してミスターミズハラの免罪を意味するものではありません。犯罪は犯罪として扱われるべきあり、彼は自らの罪と向かい合わなければなりません。しかし私の国には「罪を憎んで人憎まず」という格言があります。私は彼を憎んでおらず、その病気の回復を願っています。そして同じ病気と闘っておられる多くのアメリカの友人の皆さまにも心からのエールを送ります。私のささやかな気持ちがギャンブラーズ・アノニマスの活動のお役に立つなら、こんな大きな幸いはありません。~(ショウヘイオオタニ)

 次回は久しぶりに桐生の話を書きたいと思います。






 
 

2025/06/03

276)「ほんとうの会議」

 「ほんとうの会議」は本の名前です。世の中の会議は全部ニセモノだと言わんばかり。実際、本の帯に次のとおりの言葉が並んでいます。~ 討論なし。批判なし。結論なし。「言いっ放し、聞きっ放し」の会議が、なぜこれほど人生を豊かにするのか? 私たちが囚われている「不毛な会議」観を根底からひっくり返す! ~ 

 ジュンク堂でこの本を見つけ、新書版ゆえ断捨離を気にせず買いました。著者は帚木蓬生、講談社現代新書、2025年3月刊です。多くの人と同じく私は何百回、何千回と会議に参加したし、ふりかえって思うところは色々あります(もう会議はないけれど)。この本を一読し、再読して、ううん、そうかあと教えられたことを書きます。

 帚木蓬生(ははきぎほうせい)は作家ですが、経験豊富な精神科医でもあると知りませんでした(現在は福岡でメンタルクリニックを開業)。彼は長年ギャンブル症の治療にもあたり当事者による自助グループのミーティングに関わっているうちに、「ほんとうの会議とはこれだ」と気づきました。まずギャンブル症とはどんなものか、著者はおよそ以下のように語っています。

 ~ ギャンブル症は、なるのはいとも簡単、そこからの回復はとても困難な病気である。患者は例外なく、自分の病気が見えない、人の助言を聞かない、自分の考えを言わないの三ザル状態であり、さらに自分だけ、金だけ、今だけよければいいという三だけ主義になっている。だから犯罪がつきもので、妻の財布から札をぬく、子どもの貯金を盗む、家財を売るは序の口で同僚からの借金、職場での横領、詐欺、闇バイトでの強盗などに手を染める。

 もっとも顕著な症状は、嘘と借金で、お金を手に入れるために朝から晩まで嘘をつく。嘘八百どころか八千、八万、いや八十万で、本人にも嘘と事実の境目があやふやになっている。また妄想じみた思考が特徴的で、「手元の1万円を賭ければ10万円、20万円になる」と思う。また「ギャンブルでこしらえた借金はギャンブルで勝って返さなければならない」と考える。これがギャンブル脳である。

 アルコールや薬物の過剰摂取によっても脳は変質するが、ギャンブル行為の反復によって意思決定や報酬に関する脳の回路(ドーパミン性の放射経路)が変質する「ギャンブル脳」の方が脳へのダメージが大きい。特定の経路が蓄積し固定すると元に戻らない。ピクルスはきゅうりに戻らないと表現する脳科学者もいる。要するにギャンブル症は治ることはない。治療によって回復(改善)が望めるだけである。

 現在ではうつ病、統合失調症、認知症、パニック症、不安症など多くの疾患に対して有効な薬があるがギャンブル症の薬はない。できるとしたらカウンセリング(認知行動療法や森田療法)くらいだが、三ザル・三だけ主義のギャンブル症者は受けつけようとしない。そもそもギャンブル症者には家族が何百回も説得を試みており、私(筆者)が知るかぎりこの説得が成功した例は一つもない。

 熟練した精神療法家の働きかけも効果がない。要するに聞く耳を持っていないので何を言っても無駄である。そうしたお手上げ状態の中で唯一ギャンブル症者を救うことができるのが自助グループである。自助グループのミーティングこそギャンブル症者をギャンブル地獄から救い上げるクモの糸である。~

 いったん引用を中断します。ギャンブル症がとても厄介で治りにくい病気であるという事実が「ほんとうの会議」の有効性を裏書きしているようなものですから長く引用しました。肝心の中身はこれからなのですが、この調子では先が見えないので以下はポイントのみ記します。

~・代表的な自助グループは米国発祥の「ギャンブラーズ・アノニマス(GA)」であり、いま日本では230のグループが活動している(厚労省調査によるとギャンブル症の有病者数は全国で196万人)。医療従事者の中には「素人が集まってガヤガヤ語り合って何ができるのか?」と考える人も少なくないが、実際に見学すると誰もが目からウロコである。

・GAのミーティングはふつう週に何度か開かれる(多いところは週6回)。著者の患者には、ギャンブルを「やめ始めて」から毎日どこかのミーティングに出ている人もいる(そうでないとボートやパチスロに行ってしまう)。ギャンブル症者を入院させている病院では3か月の入院中に毎日ミーティングを開いている。

・机はロの字型に並べ、和室なら円く坐って上座も下座もなし。ミーティングは1時間から2時間までで進行役は回り持ち。順番に自己紹介するが各自が「アノニマス・ネーム」を名乗る。それにより属性が消えみんな対等になる。

・まずテキストの読み合わせを行う。テキストは「GAの成り立ちと歩み」、「回復のためのプログラム」(12のステップからなる)、「20の質問」(ギャンブル症の判定項目でもある)、「新しいメンバーへの提案」(該当者がいる場合)の4つである。

・ついで「回復のためのプログラム」からその日のテーマを選んでみんなで体験談を語り合う。例えばステップ1ではギャンブルに対する自己の無力性、同2は自己を超えた大きな力の存在、同3は自己の生き方を大きな力にゆだねる決心、というように認識の段階が示される。それぞれにいくつかの話し合いの項目(視点)が例示されており、参加者は自分の選んだ項目に関して思ったことや体験談を語る。

・発言(3分~5分程度)が終わると全員が拍手し、次の人が自分の選んだ項目について発言する。その際に決して他の人の発言に言及しないルールになっている。あくまで「自分はこう思う。こうしている。こんなことがあった」と語る。

・一巡すると進行役は「まとめ」や「むすび」の言葉を言わず、次回の日時を確認し、進行役の希望者をつのる。手が上がらなければ指名して閉会となる。閉会のまえに全員で「平安の祈り」を読み上げる(たいていの人は暗唱する)。その祈りは次の通りである。

・「平安の祈り」
神さま、私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものは変えていく勇気を。
そして二つのものを見分ける賢さを。

・こうした言いっぱなし、聞きっぱなしの会議がギャンブル症者の「三ザル状態」、「三だけ主義」を跡かたなく消し去る。他人の話は身につまされることばかりである。軽症者の話は自分の過去を、重症者の話は自分の未来を思わせる。やっぱり自分は病気だと納得する。一方で横領で刑務所に入った人が今はギャンブルをやめて10年たつ等の例も耳にする。

・発言しなくても拍手をもらい、何を言っても批判されない経験をするうちに貝のようだった人に発言しようという気持ちが芽ばえる。うそをつく必要がないので本音を語るようになり、本音トークが快いと知る。やがて他のグループから依頼されてスピーチに行くような人も出てくる。

・ミーティングは「今だけ」でなくずっと継続することが前提となっている。自分以外のメンバーは「断ギャンブル」に向かってともに進む仲間であると意識される。かつて自分が周囲から浮いていた分だけこの意識は強まる。またGAに加わった時、すでに金銭管理は親族に任せているので「金さえあれば」という状況と縁が切れている。

・GAの全国大会の際に著者(帚木蓬生)が「あなたにとって自助グループとは何か?」というアンケートを行ったところ「心の家族」、「孤独からの脱出」、「仲間の力」などの答えが最多であり、次が「自分の性格の欠点の確認」、「自分をふりかえる場所」、「生き方を見つめ直す場所」などであった。

・その他には「人間回復の場」、「自分が真実の姿でいられる場」、「自己肯定の場」、「永遠のワクチン」、「予防自覚薬」、「自分の体の一部」などの答えがあった。こうした感想が出てくる会議など例が少ないのではないか。また自助グループが掲げる最終目標は単にギャンブルをやめることではなく「思いやり」、「寛容」、「正直」、「謙虚」という徳目である。このことに私(著者)は感銘を受けている。~

 「ほんとうの会議」の第1章の要旨は以上のとおりです。えらい分量になってしまいました。著者がさらに言いたかった「ネガティブ・ケイパビリティ」や、私自身の感想については次回に書くこととします。ご覧のとおり「読みっぱなし」ですが、それもアリだと思わせる本でした。








 








2025/05/27

275)米劇場と膝腰サプリ

  小泉進次郎氏が農林水産大臣になりました。この人も前任者と同じく政治家としての見識を感じさせませんが、政権はともかく流れを変えたいのでしょう。そろそろ潮目は変わるだろうし、少なくとも「何かやってる感」は出せるはずとの魂胆です。小泉氏もそれを承知で走り出しました。パフォーマンス倒れにならないよう祈ります。

 小泉農相の示した新たな方針は、備蓄米を30万トン放出する、60キロ1万円(5キロあたり833円)とし店頭価格は5キロ2000円をめざす、大手小売りと随意契約を結ぶ、輸送費は国が負担する、買い戻しはしない、今後必要があれば無制限に放出するというものです。私も2000円の米があれば買います。古々米と古々々米らしいけれどチャーハンや炊き込みご飯ならいけるでしょう。

 それにしてもこれまで備蓄米の放出とは最高値をつけた集荷業者に売り渡すことだったわけで、まるで火事場泥棒です。いつぞや国有地を大幅値引きして安倍晋三ゆかりの人物に随意契約で売り飛ばした時の損失(8億円)を少しでも取り戻そうと画策したのでしょうか。 たとえ入札が原則であっても今回の随意契約には大方の理解を得られるはずです。どうせなら肉も野菜も加工食品もビールも安くしてほしいものです。

 先回りしてケチをつけるようですが、これから安い米が店頭にならび、やがて米価全般を押し下げたとしても、それは無理を承知の大盤ぶるまいの結果であり政策の成功とまで言えません。しかし恐らくネットには「進次郎、突破力はんぱない!」、「さすがジュニアや、血は争えん」、「参院選の投票先きまったあ」といった声が流れるでしょう。国民なんてちょろいもんだと政府に思わせてはなりません。米騒動の根本原因は農政にあることを忘れないでおこうと思います。

 国が誤りをおかし、後にその過ちを正したときに、それをいかに評価するかについて私は思います。闇を見るか光を見るか、過去を見るか未来を見るか、一部を見るかすべてを見るか、天秤皿の右と左に何をおくか、天秤は釣り合うか、判定者は誰か、時は癒すことができるか、そもそも国は何か、私は何か等々。

 いま私は袴田事件、水俣病、黒い雨訴訟、福島第一原発事故、沖縄の基地などを念頭においていますが、言うまでもなくこれらは、「正しようがない(元には戻せない)」か、「いまだ正されていない」か、「何万年もにわたり正されない」ことが明らかな課題です。これらに比べたら「米騒動」は小さな問題であって政府には誤りを正す道が残されています。この場合の「正す」とは、マイナスをゼロに戻す以上のことを意味していませんけれど。

 話は変わって、 腰の痛みや脳の委縮について先の記事に書いたら、友人O君は「どもないか? 頭が鈴みたいカラカラ鳴ったらことやで」と心配し、Rさんは「老化はみんなに等しく来るけれど治さんは大丈夫」と励ましてくれました。T君(写真をくれるドクター)は、椎間板サプリに関する私の質問に対し4回にわたり学術論文のような人生相談のような答えをくれました。まことに持つべきは友。私事は控えると言いましたがこの流れで少し書きます。

 股関節の痛みは走りすぎ、首の痛みは大昔のプロレスごっこの後遺症だと勝手に思っていましたが、各種検査の結果、椎間板が老化により「へたって」神経を刺激していることが原因だと判りました。ついでに脳の萎縮まで見つかりましたが、「齢相応ですよ」と先生は優しく説明してくれました。脳はさておき椎間板の「へたり」は困ります。いま歩くことを取り上げられたら私に残る物はほとんどありません。

 折から膝と腰に効くというあるサプリメントの広告が目に入りました。米国有名大学との共同研究により「次世代型非変形性Ⅱ型コラーゲン」の配合に成功した、コンドロイチンやグルコサミンの比ではない、女優の誰それさんも愛用、今なら初回限定70パーセント引きの1980円という内容に私はふらふら来ました。これはいいかも。そこでT君に尋ねたわけです。

 サプリメントとうまく付き合うヒントに満ちた彼の答えをかいつまんで書きます。

 ~「コラーゲン」は長い繊維性タンパク質であり、人体はこの大きな分子をまるごと吸収することができない。アミノ酸またはペプチドに分解することにより初めて摂取可能となる。これが消化である。この消化吸収の段階ではロース肉も豆腐も「アミノ酸」という点で変わりはない。通貨であるお金に色がついていないのと同じことだ。~

 ~貴君お尋ねの「非変形性Ⅱ型コラーゲン」については、領域の専門家の見解等を紹介する「日本医事新報」で以下の問答が行われている。
質問「このサプリは膝や腰にきく機能性表示食品として販売されているが医学的効果はあるか?」
順天堂大学医学部N教授の回答「機能性表示食品として届け出ができるのは、疾病に罹患していない人の 健康の維持・増進に適するか役立つものに限られる。治療効果、予防効果を暗示する表現も許されていない」~
(茂呂解釈:病気が改善されるなら「薬品」として承認されているはずだ、したがって「健康食品の一つに過ぎない」ということでしょう)

 T君の答えを続けます。~  健康食品は嗜好品だと考えた方がよい。効き目があると信じる人、半信半疑の人、だまされたい人、一縷の「期待行動」だと自覚している人など様々である。メリット・デメリットの比重は人により異なるが、その利用の是非を他人が決めつけることはできない。趣味や道楽の一種で本人の思い入れや財力により各々がつき合い方を考えることだと思う。~

 ~ 効かないというエビデンスもないのだから改善が見込めない現状に一つの変化を取り入れ、少しでもよいと感じることがあれば未来に小さな灯がともったと思い、それが明日を少し明るく生きるきっかけともなれば、それまたよい「薬」かも知れない。逡巡、熟慮することは高齢者の脳トレにもなるのでゆっくり最適解を考えられよ。いささか上から目線でごめん。~

 引用は以上です。彼は紳士なので表現はもっとマイルドですがざっとこんな要旨でした。私はサプリを買わないことにしましたが、人によっては「それじゃ買おう」となるでしょう。その後に(今日から5日まえ)私はぎっくり腰になりました。一時は困り果てましたがたっぷりある時間を味方につけ、T君のメール見舞いを受けつつ(さっそく私がしゃべったので)今日は桐生のソロソロ歩くまでに回復しました。

 治りきったら体幹をきたえるつもりです。「君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思う」ほどの人はありませんが、私には、10歳をこえてなおご飯の催促ばかりする白猫がおり、アヅマの愛した庭と家があります。かなう限りコケないようペダルを踏んでいかねばなりません。つまるところ老化のなせるわざですが、抗わずにつき合っていきます。末筆ながらご同輩の皆さまの一層のご健康をお祈り申し上げます。サプリは飲むもよし、飲まざるもよしということで。




 


2025/05/19

274)米騒動

 トランプ騒動ではなく主食である米の騒動について書きます。これまた「食えない」話です。スーパーから米が消えたと報じられたのは二月ごろでしたか。でも私が住んでいるのは米どころ近江、全国屈指の水田率を誇る滋賀県です。ここはまだ大丈夫だろうとたかをくくって失敗しました。気がつくとハズイ西店(湖南地域の台所)にもアルプラザ(平和堂基幹店)にもお米がないのです。

 ものがなくなって買いに走る「後手後手ショッピング」を反省しつつしばらくお餅とパスタでつなぎましたがやはりご飯がほしい。農協直営の「青花館」に行っても無駄足でした。朝から並んではりまっせとお店の人に教えられ、翌朝、私もその行列に加わりました( まるで配給米!)。常連らしき人同士が「わしら銭(ぜん)ないぶんヒマあるしな」と話しています。たしかに私をふくめ勤め人らしき人の姿はありません。私は列をなして待つことが人一倍嫌いですが背に腹はかえられません。

 「米」と大書したプラカードをもった人が行き来して人数を数えていますが、「何人いける?」、「ひとりなんぼ?」、「何時あくの?」など質問が飛ぶうえ人が次々に来るので収拾がつきません。係の人は何度も数え直したうえで最後尾の人に「お客さん45番。おぼえてね」と下駄をあずけました。なるほどみんなが証人だし、次は46番から数えれば足ります(われらは競争原理のはたらく運命共同体)。同様に何人かが番号をもらい70人で関門閉鎖となりました。

 私は首尾よくお米をゲット、5キロの玄米を精白して4.3キロに減ったミルキークイーンが4,400円でした(ほかの銘柄は売り切れ)。そうだ息子一家に送ってやろうとこの日をふくめ4回の早朝出勤をしました。ヒマならあるし。しばらくたって5月なかばのお昼前、「青花館」に野菜を買いに行ったらまだお米が残っていました。値段は高いままですが極端な品薄は収まりつつあるようです。

 この米騒動で政府の危機管理の甘さ(短期課題)と食糧安保の危うさ(政策課題)が浮きぼりになりました。副食の豊かさが「米離れ」の要因とすれば米の消費量が減ったことを嘆かなくてもよいけれど、小さな川が簡単に溢れたり干上がったりするように流通量の減少は不安定さを伴います。だから備蓄米があるのにどうしてうまく使えないのか?

 私は経済にとんと弱いのですが、農水省にとって備蓄米は自在に使える「武器」だし、米の流通になお中心的な役割をはたしている農協は「仲間内」でしょう。日銀が通貨を操作するよりずっと簡単かつダイレクトに市場に働きかけられるはずです。それなのに何十万トンもの米を複数回放出しても一向にスーパーまで届かず、値段もつり上がったままではありませんか。

 なんと農水省は、一年後に同等同量の米を卸業者から買い戻す条件をつけていたそうです。つまり今年の秋にできる米はあらかじめ何十万トンだか(数字を忘れました)が国庫に入って品薄になると決まっているわけだから、卸業者はいま保有している貴重な米を市場に出す気になれません。一年で安易に帳尻を合わせようとした農水省の役人は、国民の食卓より自分の仕事のラクさを重視したわけです。

 すったもんだの末に「一年しばり」は五年に延長されましたが米騒動はまだ終息していません。農水省および政府は、この米不足の発生のメカニズムを分析、公表し、あわせてその対策(危機管理)の検証も行うべきであると思います。今回は小さな危機です。こんなざまではトラフ地震を乗りこえられません。大きな危機に対して国民的な備えは必須ですが、政府にはもっとピリッとして欲しいのです。「やってるふり」でなく「やって」もらいたい。

 もう一つは食料安保(農業政策)の問題であり、米騒動は日本の食糧事情の縮図だといえます。よく知られるようにわが国の食糧自給率はカロリーベースで37%です。米は、ミニマムアクセスやTPPによる輸入があるにしてもまだ国産が主力ですが、小麦、とうもろこしなど他の「腹の足しになるもの」はすべて輸入に頼っています。

 生産額ベースの自給率は60%をこえるし野菜にかぎってみれば80%になりますが、なにかの事情で海外調達ができなくなった時にイチゴやレタスばかりで飢えをしのぐわけにいきません。地球規模では明らかに食糧不足だし(飢餓人口は8億とか)、国際緊張がさらに高まればどの国も自国を優先しますから、車を売って食料を買うスタイルはもう危険です。

 自給率の高い野菜といっても種(タネ)は90%が輸入です(種苗会社が海外へ生産委託している)から、正味の自給率は80% × 10% = 8% となります。いまの野菜は交配による一代かぎりの品種(F1)であるため毎年タネを買う「自転車操業」にならざるをえません。化学肥料(リン、カリウム、尿素)もほとんど輸入です。卵は純国産ですがヒナ鳥は大半が輸入、エサのとうもろこしも100%が輸入です。危なっかしい状況だと言わざるをえません。

 幸いここ80年は国民規模での飢えはありませんでしたが、いまや抜本的な路線転換が必要です。アメリカとの関係を例にとっても、野菜の種子は同国のモンサント社(枯葉剤も製造。いまは社名変更)に牛耳られ、穀類も米国依存、ICTの根幹部分も米国大手企業の独占ですから、わが国の胃袋も頭脳もアメリカの支配下にあるようなものです。対米貿易は黒字だと安心していられません。

 井上ひさし(なつかしい名前!)が農業、農村、農家の意義をくりかえし語っていたことを思い出します。社会インフラのなかに不要なものはありませんが、たとえば道路敷、鉄道敷、工場の敷地など比較すると農地は「それ自体」がきわめて大きな価値を有しています。すなわち農地は米や野菜を生み出すばかりでなく、環境保全、生態系維持、景観形成、防災などの重要な役割を果たしています。

 だから本当はすべての土地を公有にすべきでしょうがそうもいかないから、山や川を保全するように国全体で農地を守る必要があります。政府はこれまでの減反、転作奨励、所得補償などの効果を検証し、農地保全と自給率向上をめざす農政の基本方針を明確にするべきだし、細かい点では農家はもっと農薬の使用を控え、消費者は作物の「見てくれ」に惑わされない眼をもつべきだと思います。

 おりから昨日(5月18日)、江藤拓農水相が「私は一度も米を買ったことがない。支援者が持ってきてくれる。わが家には売るほど米がある」と自慢しました。それを知って私の頭に「極刑ニ処ス」という言葉が浮かびました。これまでに書いた通り私は死刑廃止論者ですが脳内の反射は制御できません。こんな大臣がいることを一市民として情けなく思います。首相が厳重注意したそうですが、「もっと空気を読めよ」とでも言ったのでしょうか?

 今回もまた更新に手間どってしまいました。足の痛みで受診したことがきっかけで首(椎骨動脈)の検査まで受けることとなり、結果的に各所が老化している(脳も萎縮)ということが分かって、これに時間をとられてしまいました。ちょっとおもしろい経緯ですがあまりに私事なのでやめておきます。しかし私のどんなアホらしい話でも江藤拓よりマシでしょう。




 

 

2025/05/02

273)会津隆吉と青梧堂

 『会津隆吉と青梧堂』という本(清水久子著、ネコオドル発行、2025年4月刊)が大変よかったので感想を記します。「会津隆吉」はペンネームで本名は石原直温、彼が興した出版社が「青梧堂」。石原直温氏は東京帝大仏文科を卒業後、横光利一に師事し作家・社主として活躍します。ところが昭和19年(1944)に33才で応召、補充兵として中国に送られ翌年に戦病死しました。光芒は一瞬です。

 当時、日本軍は中国内陸部にある米軍航空基地の攻略と南北陸路の確保を目ざし、51万の兵力で2400キロにおよぶ「大陸打通作戦」を展開しており、会津隆吉はここに動員されました。兵士らは重い装備をかついでひたすら歩くばかりの毎日、補給がないため食料は現地調達(つまり略奪)によらざるを得ず、栄養失調と病気により多くの兵が亡くなりました(今回の記事中、事実に関する部分は『会津隆吉と青梧堂』から引用しています)。

 こうして否応なく国家に奪われた人生がどれほど多かったことか、その無念と残された家族の悲嘆はいかばかりであったかと思うけれど、その私の「思い」がうわすべりした観念的なものに過ぎないとの自覚もあります。ともあれ死者は足早に遠ざかっていくし、敗戦からすでに80年、戦争で亡くなった一人ひとりの輪郭は百万、千万の数字のなかに溶融しているというのが一般的な状況でしょう。

 いや死者が遠ざかるというより、私たちが死者を遠ざけているという方が正しいかも知れません。それが証拠に政府は被爆者の支援(これも本来は贖罪と補償)に一貫して消極的であり、また国内外の海や野に捨ておかれた兵士らの遺骨を省みようとしません。戦時を比較的平穏に過ごし得た人々もありますが、そうした一族の歴史においてすら、今を生きる人は自身の祖父母(わずか2世代前!)がどんな日常を生き、何を感じ、何をなしたのかについて往々にして無頓着であると私は考えます。

 この本の著者である清水久子さんは「死者を省みるにいたった人」です。もちろん私はだれもが先祖のことを知るべきだと主張するものではありません。良し悪しは別の話です。清水久子さんは会津隆吉が亡くなって三十数年後に会津の娘の娘(孫)として生まれました。そして中学生の時、祖父の五十回忌の際にその代表作とされる『北京の宿』に出会います(祖母すなわち会津の妻が復刻版を作って親族に配布したもの)。

 これがきっかけで清水さんは祖母から断片的な話を聞くばかりであった祖父について興味を持ち会津隆吉の文献調査を始めました。町立図書館の司書となり専門スキルをみがいたことも助けになったと本にあります。さもありなん。巻末に示された参考・引用文献の数は134にのぼり官公文書、研究論文、組織内資料(記念誌、校誌等)、小説、随筆、書簡集など多岐にわたります。それらも一次資料、二次資料といった区分により厳密に扱われているもよう。

 じつは私は会津隆吉を知りませんでしたが、彼の周辺に横光利一をはじめ川端康成、菊池寛、中山義秀、金子光晴、住井すゑ、、吉屋信子、宇都宮徳馬、青野末吉など私も知る著名人がいたことをこの本に教えられました。第一回の芥川賞(昭和10年)は石川達三がとりましたが、「次は君だよ」と選考委員の一人であった横光が会津に予言(激励)したという逸話が紹介されています。会津はそれほどの書き手であったのでしょう。

 ちなみにこの時、選にもれた太宰治がたいへん悔しがった話が有名です。かつて太宰ファンであった私は石川達三より太宰治のほうがずっと才能があったと思うのです。選者の一人であった川端康成が太宰の破滅的な生活ぶりを「暗雲がたちこめている」と評したことに太宰がつよく反発しました。私も作品に無関係な話を持ち出した川端は間違っていたと思います。太宰も会津も芥川賞と無縁で終りました。ところで近年の芥川賞受賞作はもう読む気が起こりません。

 会津は他に2つのペンネームがありました。本名で発表した作品を含めて短い生涯に発表した作品は74。清水久子さんは本名から筆名への変更と作品および周辺状況を丁寧にたどりながら会津の作家活動、出版活動を紹介しています。その中で会津が「日本赤十字社の従軍看護婦である宮川マサ子」という架空の人物になりすまして『大地に祈る』という記録小説を書いて一大ブームを巻き起こしたことが明かされています。時に昭和15年。

 「奥地従軍看護婦芸術的感涙文学」と銘うたれて版をかさねたこの小説は戯曲化・映画化され、慰問袋に入れて戦場に送られ、いっとき日本を染めました。そして2002年に「戦時下の女性文学」シリーズの第3巻として復刻され、その後に「従軍看護婦と南方慰問作家ー女たちの見た戦場と異郷」(沼沢和子)や「銃後ー利用された言葉の力」(和佐田道子)でも取り上げられ、あらためて近代文学史に位置づけられました。

 清水久子さんはこの経緯を克明に調査、検証したうえで「(前略)だから女性文学シリーズに『女性になりすました男性作家』が書いた小説がまぎれ込んでしまったとしても、しかたのないことだ。ただ、身元不明の無名作家の作品を復刻することには、このようなリスクもあるということだ。」とサラリと書いています。ことの真相は、まず戦意高揚という国家の要請があり、文壇がそれに応じ、大御所を通じて秘かに会津に依頼が届いたもののようです。

 それにつけても「正しく知ること」は重要このうえないけれど容易くもないということでしょう。会津が中国大陸で落命した3か月後、家族が住んでいた広島に原爆が投下されました。家は跡形もなくなりましたが、幸いにも嫁いでいた会津の姉と妹、出征中の弟、宮島にいた弟は難をのがれ、妻と娘も無事でした。その娘を母として戦後かなりたって生まれたのが清水久子さんです(清水さんは私の子どもくらいに当たる世代だと思われます)。

 彼女はこの本を文献調査によって書き上げました。事情を知る人への聞き取り(取材)を行わなかったのはコロナの影響にくわえて時間的な制約があったと明かしています。調査手法の両輪のうち片方が抜けているという見方もありえますが私はそう思いません。人間の脳の分泌物という点で両者は同じだし、文献は写真のように当時の姿を固定して提示します。話が飛びすぎるけれど、イエスの存在も福音書を始めとする「文書調査」の結果として人類の財産となりました。

 この本の最後で著者が広島を訪れます。一族の家はとうになく、あたりの景色も80年分の変化をとげています。中国で無念のうちに亡くなった会津のたましいはどこへ帰ってくるのだろう。大学入学以降、作家、出版社主として過ごした東京にいまはよるべがない。広島に帰ってきても迷子になってしまうのではないかと孫は懸念します。そして平和公園に移植され青々と繁っているアオギリを見て、おじいちゃんが帰って来るならここだと直感しました。アオギリには梧桐(ごとう)という名前もあります。

 この本を教えてくれたのは畏友早田リツ子さんで、彼女もまた近代史の中から大津の出版社を「発掘」しました。その記録である『第一藝文社をさがして』(早田リツ子・夏葉社・2021年)は前に書きました(記事170・第一藝文化社のこと)。清水さんも早田さんも腕利きの探偵です。1冊の本のうらに膨大な作業が潜んでいるでしょう。

 ところで「ネコオドル」は清水さんの営む書店の名前でもあります。ネコオドリでもオドルネコでもなく、主語プラス動詞であるところに私は面白みを感じています。郵送いただいた本にそえられたカードには頭に本をのせて踊るネコのイラストがありました。清水さんは同名のブログも書いています。

 最後に私と会津隆吉のエニシを書きます。会津が通学した広島第一中学校は現在の国泰寺高校で、アヅマは一年生までここに在籍、二年生のときに大津に引っ越してきて私の高校の同級生となりました。それが私の人生を左右したこともすでに書きました。会津が進学した広島県高等学校は現在の広島大学で、私の親しい友人はここの卒業です。このエニシは漱石との縁よりまだ薄いかも知れませんけれど。

 もう一つ、『介護民俗学へようこそ』(六車由美・新潮社)について。グループホームでの「聞き書き」を通して介護の現場が見違えるほど変わった(利用者もスタッフも)という話ですが、高齢女性二人が「女学生のころ風船爆弾を作った」という思い出を語ったそうです。昭和19年に作られた秘密工場は千葉、茨城、福島にあり、私の祖父は三か所を統括する立場でしたから、いずれにせよその女性らにきつい作業を強いた総責任者であったわけです。

 こうした経緯を記した本もありますが(『風船爆弾』鈴木俊平)、いま読み返してみると清水久子さんのような克明な調査にもとづく記録とは隔たりのある物語だと感じられます。私もまたわずか2世代まえの先祖について深く知らない人間の一人です。人は記憶のなかに生き続けます。会津隆吉こと石原直温氏は、なかなか孝行者のできた孫娘であることよと喜んでいるでしょう。いっぽう孫娘は孫娘でまみえることのなかった祖父への情愛を抱いており、それがこの本に温かみを添えています。





 



 

 

 

 

 





2025/04/23

272)かなかな話法はアリですか

 「月の石が見れたらいいかなと思って来ました」、「お昼はやっぱしご当地ラーメンが食べたいかな」、「少しでも安いお米をお売りしたいかなと考えています」、「はやく日本語を覚えて介護現場で活躍してほしいかなと思います」等々。近ごろニュースで聞いた「まちの声」です。自分の意志を疑問形で話す人が感染症のように増えています。歯に衣きせぬ友人O君なら「誰の話や自分のこっちゃろしっかり喋らんかい」と言いそうです(私はそこまでよう言いまへん)。

 この4例とも「かな」を抜いて十分に通じるどころか抜いた方が文法的に正しいでしょう。「かな」は助詞の「か」と「な」に分かれますが、問題は「か」です。漢字で「乎」と書くこの助詞は、広辞苑(第2版補訂版)に「自己の疑問をそのまま表現する。また自分の迷い・惑いをこめた感情を表現する意」とあります。いっぽう「な」は、「文節の切れ目、また文の終止した所へ接続して、軽く詠嘆し念を押す気持ちをあらわす」と説明されています(ネット辞書も大筋でこれに倣っています)。

 したがって(と言うまでもなく)先の文例で「かな」の所に念押しの「な」を入れることはアリですが、「か」や「かな」を入れると「自分の意志を述べながら自らそれに疑問を呈する」ことになってしまい普通はアリえません。理屈上は「自問自答」や「自己否定」があるけれど、これらの文脈に沿わないことは明らかです。なぜ「月の石を見たいと思って来ました」と言わないのでしょう。「どっちでもいいじゃん、言葉は生き物だし」という意見はもっともながら私は半分反対です。

 言葉は時をつなぎ人を結ぶものゆえ「通用してなんぼ」です。その基本条件が「変わらないこと」であるのは言うまでもありません。この条件が守られているからこそ私たちは古事記、日本書紀、万葉集、源氏物語などを(専門家の助けを借りれば)読むことができます。言葉が猫の目のように変わっては(最近は使われない言い方)、私たちの共有財産である日本語のアーカイブはすかすかになります。

 私たちが意思を通じ合うばかりでなく文化の恵みに浴するうえで言葉というツールが変わっては困ります。しかし一方で、私たちの祖先は舶来の事物や思想、すなわち新しい言葉を取り入れて世の中を進めてきたし、平安期の「今様」のように内から湧いてくる新たな表現スタイルもあるわけですから言葉は変わらざるを得ません。イエスも新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだと言いました(マタイ福音書9章14節)。

 「ほんならどっちやねん」とO君に突っ込まれそうですがここが難しいところです。抽象的な言い方になるけれど、言葉の変化は古い秩序(規範)と新たな息吹(逸脱)が衝突した結果としてもたらされる一種の「実り」であることが望ましいと私は思います。冒頭にとりあげた「かなかな話法」は言葉の「幹」や「枝」でなく「葉っぱ」の変化に過ぎませんが、その背後にある時代の空気は「逸脱」というより「萎縮」です。衝突の結果は「実り」ではありません。

 例によって私は調べたり考えたりせず思いつきのままに書いています。それにしても言葉は大事だと実感します。感情があってそれを言葉に表現するのではなく、言葉によって自分の感情を教えられるのだとエラい人が言っていましたが納得です。また、語彙の豊富さ(多いか少ないか)と犯罪行為の発生率(とくに若者)には明らかな相関関係があるとNHKのテレビ番組が指摘していました。一言でいうなら何でも「やばい」のひと言で済ませていると他人どころか自分の心さえ理解できなくなってしまうということ。私はこれを差別の発想だとは思いません。

 ともあれ。私は言葉に関して年ごとに保守的な感覚が増してきたと自覚しています。心は青年のまま(のつもり)ですが言葉に関しては頑固じいさんになってきたかも知れません。もちろん若い人との会話は内心の赤ペンをもたずに楽しんでいますし、そもそも自分自身が青臭い言葉を使っていた記憶も確かです。しかし個人レベルはさておき、社会の言葉の変容については私なりの感想を抱かざるをえません。どうあればよいか。言葉はほどほどに(ややゆっくりと)変わっていくのが好ましいかな。

 今回の写真は友人I君の撮ったヤマツツジです。先日、彼の要望に応えて桐生を一緒に歩きました(もちろん初心者コース)。カメラが趣味の彼は「なんでシャッターが下りひんにゃろ」とつぶやきながら一眼レフをのぞき込んでいましたが、その作品は私の目に beautiful です。ちなみにT君は対照的にカメラを持つと考え深そうな表情で言葉少なにシャッターを押します。T君の写真も美しいと思っています。映像について私の語彙が少ないことが残念です。






2025/04/13

271)羽柴秀吉のこと

 いまや乗っ取られたジャンボ機のような世界です。たった一人の犯人が震えあがる乗客にいくら出せるか尋ねています。彼は粗雑な米国人ゆえ「呉越同舟」の故事を知りません。奇しくも呉だか越の末裔と思しき一人の乗客が立ち上がって犯人に文句を言いました。何を、とすごむ犯人。どちらも腕力に自信がありそうですが果たしてどうなる。旅客機は飛行を続けられるか。恐ろしい上に不愉快きわまりない事態です。世界の関節がはずれたと誰かが書いていました。

 こんな非常時にのんきな昔話をしてよいのかと思いながら、さきの「漱石」につづいて「羽柴秀吉」とのエニシを書きます。わが家に伝わってきた羽柴秀吉の感状(であると代々の先祖がかたく信じ、かくいう私もつい一獲千金を夢みたことのある古い掛け軸)がいま大津市歴史博物館に展示されているという事情があります。

 秀吉が西国合戦のおり近江長浜城にやって来ました(たぶん1582年)。いまを時めく武将に多くの鷹が献上されました。ところが中の一羽が小鳥のむれをめがけて不意に飛び立ち行方知れずになったのです。従者らが必死に捜しまわり少し離れた寺の境内のケヤキの高枝に足ヒモを絡めてもがく鷹を見つけました。誰かあの鷹を救うものはおらぬかと秀吉が問います。

 そこで居あわせた先祖(茂呂宋春)が秀吉に「ご挨拶申しあげ」たうえ半弓で狙いを定め足ヒモを射切ったのです。矢はケヤキの枝に残り、鷹は鷹匠の手元にもどりました。秀吉は大いに喜んで当座の褒美として宋春に黄金五枚を与え「木下姓」を名乗ることを許しました。また後日、秀吉は摂津の城(大坂城)で引見する際に宋春を「弓矢の名人」とたたえ、宋春は「粟津八郷」を安堵されました。

 この次第を宋春は慶安元年(1648)に紙片に書き留め、その曽孫が1761年から1766年にかけ作成した冊子「家の記」に紙片を「貼り紙」として貼付しました。そして先祖はちゃっかり何代かにわたって木下姓を名乗り家紋も改めたのです。「粟津八郷」は松本、馬場、西の庄、木の下、鳥居川など足利尊氏から1350年ごろに「下賜」された村であり、宋春はその領主としての地位を秀吉に確認してもらったわけです。(『家の記』は「命の船」にも書きました)

 関ヶ原の合戦で徳川の世になって木下姓が「はばかられる」ようになり姓と家紋を元に戻したことや世の転変のなかで「粟津八郷」を失った顛末が「家の記」に書かれていますが、それと合わせて伝えられてきたのが秀吉の感状でした。そこには「弓」、「感心不斜(感心斜めならず)」の文字や「十月三日」の日付が見えますが、鑑定してもらうまで慶長5年(1600)の作であると私に判りませんでした。

 秀吉は1598年に没していますから感状が本物であるはずがありません。歴史博物館の説明パネルには「偽文書ではあるが家の由緒を語る上で作成された点で興味深い」とありました。ニセモノだが他の一連の資料とあわせ史料的価値があるという意味でしょう。学芸員さんの広いお心に感謝しなければなりません。同館には数回にわたって古い資料などを引き取って頂いており、今回の展示は近年の寄付品の「おひろめ」でした。

 「感状」とともに展示されている肖像画の一枚は7代目勝吉を描いたもので、いったん古美術商の手に渡ってネットオークションにかけられました。驚いた学芸員の方が購入手続きを始めた時にオークションが閉じていたため、私が買い戻して「追加寄付」させていただいた経緯があります。愚か者、何をしておるかと天から声がしそうです。

 博物館では数多い資料の整理、解読などの対象にわが家の献上品(?)も加えていただいている模様で(整理作業にはボランティアも活躍)、私はありがたいと思っています。もちろん個人的な事情がありますが、そればかりでなく、博物館の表に出にくい重要な業務が地道にきちんと進められていることを嬉しく思うのです。

 図書館もそうです。科学館もそうです。これらの公共施設を5年10年のそろばん勘定だけでジャッジしたら、愚か者、何をしておるかと天から怒られます。一方で大津市では4月から新しい部署がスタートしたようです。人にもお金にも限りがある中でウィングを広げ今のニーズに応えられる仕事をするのは大変だろうと思いますが、諸般うまく進むよう祈らずにはいられません。

 先日は博物館のあとで三井寺に行きました。円珍や紫式部や芭蕉が愛でたであろう桜は年々歳々変わりません。古いお寺の落ち着いた佇まいと淡い花々。煎茶の会場で昔の仕事仲間に出会いました。人もまた変わらず。このブログの写真はいつもT君の作品で、先日も「春シリーズ」を送ってくれました。ただ今回は私の写真です。更新をぐずぐずしているうちに展示は今日(4月13日)で終了となりました。





2025/03/29

270)第三者委員会の報告について

 ビワマスにやさしく斎藤元彦にきびしい熱血漢のO君が、兵庫県の第三者委員会の会見動画を見るようにメールしてきました。あいかわらず深夜まで怒りながら動画を見ているらしく発信時刻は午前4時すぎです。「知事のパワハラが職員の意欲をそこなう。それが県政の停滞につながる。藤本委員長はそう言うてはった。大津通信でも書いてたなあ、思い出すわ。あれとおんなじや!」とありました。

 私は朝にメールに気づいて動画を見ました。及び腰だった百条委員会とは違い、第三者委員会は、知事のパワハラ・おねだり疑惑は一部真実であったことと、知事らが行った「告発者つぶし」は違法であることを明瞭に認定し、そのうえで県政運営に言及しています。藤本委員長の情理をつくした説明を聞いて、この人が知事ならよかったのにと私は思いました。

 「ほんまに無理がとおって道理がすたる世の中や!」と嘆くO君は、その憤懣を分かちたい思いとブログのネタを提供してやろうという親切心からメールをくれますが、斎藤問題は書いたばかりだし(記事267)、それをとうに先取りしていた越問題(拙劣市政運営)もすでに昔話です。そこでトンデモ首長の話はやめ、藤本委員長が語った組織論について少し述べます。

 第三者委員会の報告書によると、同委員会は所属事務所の異なる6人の弁護士で構成され、6か月にわたって兵庫県職員(元職員を含む)116人からの聞き取り、各部局から提供された120の資料、百条委員会との共通資料などに基づいて調査を行い、県庁の知事室・秘書課・保管庫などの視察を実施、12回の委員会を開催して216ページの報告書を作成しました。
 
 報告書は、元県民局長の通報内容には「真実」と「真実相当性のある事項」が複数あり、県政に対する重要な指摘を含むものであったと指摘した上で、「うそ八百」、「公務員失格」などと知事がコメントしたことは、通報者に精神的苦痛を負わせるばかりか職員一般を委縮させ勤務環境を悪化させるものでそれ自体がパワハラであると認定しました。また県職員がパソコン内の通報者の私的情報を流出させたことも重大視しています。

 なぜこんなことになったのか。報告書の一部を要約すると次のとおりです。~ 斎藤知事は、就任後に「新県政推進室」を新設して以前から面識のあった職員らを中心に若手を登用した。話をする相手は推進室メンバーばかりで、自分の施策や思いもメンバーを通じて庁内に発信した。職員からの報告や意向伺いも彼らを通じて受けた。同時に知事はこれらの側近に対して過酷、理不尽な要求を行ったが誰も反発せず忠実に従った。そこで知事と側近の同質化、一体化が進んだ。

 職員は知事と直接のやり取りができず、県庁内のコミュニケーション不全が進行した。その結果、知事協議の場で認識の違いが明らかになったり、知事の知らない報道がなされるという事態が頻発した。そんな時、知事はいらだって事情を聞かずに叱責し、机をたたき、協議を打ち切る等の行動に走った。このようなコミュニケーションの不足とギャップがパワハラの素地となった。

 一方で兵庫県の職員は総じて仕事熱心で、無理をしてでも上司の要求に応えようとする傾向が強い。しかし高すぎる要求や過剰な要求はすでにパワハラである。それに応えると次には更に高い要求がなされる。職員の無理な頑張りはパワハラの連鎖を生む。一人の問題ではなく周囲の職員まで委縮させ勤務環境を悪化させる。たとえ自分は我慢できてもパワハラは許すべきではない。この点で兵庫県職員の我慢の風土とパワハラ感覚の低さが問題を深刻にした。~

 以上は第三者委員会の指摘、以下は私の感想です。報告書に示された知事と職員の関係は真実に違いありません。20年続いた井戸県政を引き継いだ斎藤知事が、刷新を急ぐあまり従来の県庁の情報共有の手順や指揮命令の系統を無視し(うまく使えばよかったのに)、お気に入りの若手グループを重用し過ぎた結果、「知事・側近」と「一般職員」の間に乖離と相互不信が生じたのでしょう。これは原理的に知事が悪いのであって、しかも斎藤元彦という人間の資質が拍車をかけました。

 職員にとって知事(首長)は選挙によって県民の信任を得た特別な存在です。社員にとっての社長よりずっと重い存在だろうと私は思います。地方自治法に職員は首長のために働くべしと書かれていますが、言われなくても知事のために働きたいというのが職員の基本的心性です。しかし兵庫県職員は、「知事が何を考えているのかよく分からない。せっかく協議の機会を得ても話が通じないし理由もなく急に怒り出す。これでは仕事にならない」と感じたでしょう。

 知事にとって職員はどのような存在だったでしょう。斎藤元彦には兵庫県庁が伏魔殿に見えていたと思います。「古池にすむ背中にコケの生えた亀みたいな職員が県民ではなく自分たちの都合いいよう仕事をしている。とくに幹部連中は井戸県政の残党で油断できない。比較的ましな若手グループを使って『維新』を進めるしかない。いまの主人は誰かを全職員に思い知らせてやる」と斎藤は思っていたはずです。

 本来なら副知事がパイプ役を務めるべきところですが、片山副知事にその意志は弱かったようです。そこで見かねて立ち上がったのが元県民局長でした。元局長にしてみれば知事は話して分かる相手ではないし手段は公益通報しかなかったでしょう。その心情は察するに余りあります。それを踏みにじったのが被通報者である知事本人ですから、O君のいうとおり無理が通って道理が引っ込む世の中です。

 知事の側近グループは職員から裏切り者とみなされているでしょう。白羽の矢を立てられて高揚し、必死で働き、害悪の拡散に手を貸すことになった彼らもまた大きくは被害者だと思います。第三者委員会は兵庫県職員の中にパワハラを容認する風土があったと指摘しますが、私の見方は少し違います。先述したとおり職員にとっては知事は「県民の代表者」であって、知事がふっかける無理難題は「県民のお叱り」に見えるのです。パワハラでなくカスハラです。だからよけいに我慢してしまうのです。

 報告書の最後の「まとめに代えて」はよい言葉です。「県当局の仕事は、住民の多様な願いを受け止め、複雑に絡み合う利害を調整し、光の当たらないところにも目を配り、取り残される者のない社会を実現していくことである。政治は、少数のエリートだけで行いうるものではない。現場の職員が献身的に働くことにより初めて実を結ぶものである。そのためには、職員がやりがいをもって職務に励むことのできる活力ある職場でなければならない。活力ある職場であるためにはパワハラはあってはならない。」

 全文を引用したいぐらいですが、私はこの意見に200パーセント賛成です。市役所職員として40年働いた実感そのものです。考えてみれば当たり前の言葉であって地方自治体に限らず中央官庁にも当てはまります。斎藤元彦はもちろんですが、兵庫県以外の公務につく全ての人に読み直してほしいと思います。

 先日、ひさしぶりに桐生の頂上まで行きました(いつもは山すそか中腹まで)。あちこちでウグイスが鳴き始めています。稜線に出て風に吹かれ湖南平野を見ていたら、「はい、こんにちは」と声をかけられました。ふりかえると中年の女性二人です。こちらも挨拶したら「お兄さん一人ですか?」と聞きます。はいと言うと「そっか、それは淋しいねえ」と言われてしまいました。やんぬるかな!

 私は「ジモティ」で不用品をもらいに来たベトナム青年から「おじいさん」と呼ばれ、訪問セールスの人から「お父さん」、桐生では「お兄さん」と呼ばれています。それはどうでもいいけれど、二人称の呼称が多様なのはいかにも日本的です。学校では「あなた」だと教わりますが、婉曲をよしとする世間の感覚に照らすと「あなた」は、指示・限定のニュアンスが強い(ストレートすぎる)と感じられます。主語がしばしば省略されることも関係するでしょう。

 ところで「はい、こんにちは」という挨拶はなんら不適切ではありません。しかし私には「どうしてか説明しにくいけれど何だか馴れ馴れしくて押しつけがましい感じがする」のです。といって私は山の上で行き会った女性に悪い印象を持ったわけではなく、むしろ元気でいいなと思いました。私が腰を上げかけたらその女性が「耳岩はどこですか?」と聞くので「あなたがいまご覧になっている岩ですよ」と返事したら、二人で手を叩いて笑い出しました。陽気な二人は白石峰へ、私は天狗岩にむかい「お気をつけて」と言い合って別れました。

 天狗岩でお茶を飲んでいたら今度は背後の絶壁から人が現れて驚きました。私は人の顔が覚えられませんが、さわやか、機敏、日焼けの3拍子そろったこの人は以前にも出会った岩登り名人のO氏であるとすぐ分かりました。今日は生徒を教えているとのこと、岩に打ち込まれたボルトにカラビナをひっかけあっという間に断崖に消えました。もし、仮に、この人を斎藤の代わりにすえたら兵庫県庁はきっとうまく行くはずです。

 一晩たって追記します。書くほどのことでもないけれど橋下徹が「斎藤元彦は知事の資質に欠ける」と評したそうです(ネットではこの手の短信を避けられません)。おまえはぬるぬるして気持ちわるいとナメクジがナメクジに言うがごとし。吉本新喜劇なら全員がずっこけるところです。普通はおらんかと思ってしまいます。





 
 
 

2025/03/19

269)漱石のこと

 今回は夏目漱石と私との個人的な関係(!)について書きますが、まず「商品券」、「公認」、「襲撃」についてふれます。どれもため息のでる話です。首相から新人議員に渡された10万円の商品券は「家族にハンカチでも買ってあげて」という趣旨だったとの説明がなされました(何枚買えるねん?!)。ブルータスよ、お前もかと嘆く支持者は多いでしょうが、こんなものは氷山の一角に違いありません。

 杉田水脈の公認は旧安倍派の議員の要望によるのだとか。ここに見る公正の感覚のまったき欠如、なりふり構わぬ選挙対策、あてにされている「岩盤支持層」の存在を思うとアンタンたる気持ちになります。地中ふかくの水脈は思想的に貧しいくせに大変しぶとく、自民党をうるおし続けています。所属議員はそろって「反省」の二文字を口にしますが、何を規範として反省するのか、その基準点をまず明らかにしてほしいものです。

 立花襲撃ですっとしたという人がいるかも知れません。しかし、いったん暴力を肯定したらとめどありません。いや立花の行為だって刃物をつかわない暴力だと反論する人もいるでしょうが、それなら彼の言動に賛同する不特定多数の責任も同時に問うべきです。立花が軽傷で済み、この事件を解釈する機会を持ちえたことはひとまず幸いでした。SNSのブーメランであると彼に理解できればよいけれど。

 杉田も立花も差別と憎悪の感情をあおることに長けています。ともに家でソファに寝そべりながらSNSの過激発信をおこない、その反響を力にしてリアルな表の世界で一定の自己実現を果たしています。しかし彼らをそこまで「育てあげた」大衆の顔は見えません。これが何とかならないものかと年甲斐なく憤慨する私であります。彼らをアイコンとして政治利用する人々も許せません。

 世の中の悪人をひとまとめにして島流しにしたいと思うことがあります。悪人全員が協力して狩猟採集を行えば食うには困らないような無人島に流すのです(外部との接触を絶つ仕掛けがいりますが)。なぜ司法に任せないかというと、悪人でも死刑にしてはならないと思うし、そもそも法の網に引っかからない極悪人が多数いるからです。そこで私が、悪人たちの公平性、公正性、倫理観、弱者に対する姿勢などを総合判定して処分を決めることになりますが、これは危険思想でしょうか。

 冗談はおいて本題に入ります。漱石、鴎外が近代文学の双璧であるという評価はいまも健在でしょう。私もそうですが特にアヅマは漱石が好きで学生時分に箱入りの漱石全集を揃えていました(うらやましかったものです)。彼女は「門」の主人公である宗助と御米が「崖下の家」にひっそり暮らすそのありように憧れ、私もそれに大いに影響されましたが、これは私たちの若き日のロマンチシズムです。

 漱石は明治29(1896)年、熊本第五高等学校の英語教師になってほどなく鏡子と結婚しました。学問に忙しいのでお前のことに構っていられないことを承知してくれ、と新妻に宣言したといいます。一方、友人であり俳句の師であった正岡子規への手紙に「衣更へて 京より嫁を 貰ひけり」の句を添えています。

 3年後に長女筆子が誕生しますが、この時には「安々と 海鼠の如き 子を生めり」の句を詠んでいます。わが子をナマコに例えたことに拍手をおくる人もありますが、漱石の母子に対する観察者のまなざしが私は気に入りません。しかしさすがに文豪はよい句をたくさん残しています。「叩かれて 昼の蚊を吐く 木魚かな」など佳い味わいです。

 筆子誕生の前に鏡子夫人は第一子を流産しました(プライバシーゼロ)。その頃だったでしょうか、彼女はつわりに悩まされ一時的に精神に変調をきたして川へ身を投げたことが知られています。当時、私の曽祖父は漱石の同僚教員だったのですが、急に家から姿を消した鏡子の行方を漱石とともに探し回りました。これは後年、曽祖父が長女である祖母に語った話です。

 祖母は私に「夏目さんの奥さんが行方知れずになった時、岩田の父(曽祖父)もいっしょに探したそうよ。奥さんは無事だったけどね」と言っていました。曽祖父の姓は岩田、佐賀の生まれで、その長女である私の祖母は、「むすめ時代に鍋島のお殿さまの前でお琴をひいた」とも言っていました。お琴は100年前のエピソードです。

 この記事を書くにあたり証拠があればと熊本県立図書館にメール照会したところ、「熊本第五高校の職員名簿は国会図書館デジタルコレクション『五高五十年史』(1939年)で公開されている、その504ページをご覧あれ、その他の資料はどこそこにある」と返信をいただきました。たしかに夏目金之助が明治29年から36年まで英語教師として、岩田静夫(巌次郎)が明治31年から32年まで独逸語教師として在籍していたことがわかります。

 そういえば思い出せなかった曽祖父の名は「静雄」でした。だから祖母の名は「静枝」です。私の断片的な問い合わせ対して打てばひびくように応じて頂いた熊本県立図書館のレファレンスサービスには感謝の言葉しかありません。県外からの問合せですから念のため電話で補足説明を行ったところ、こみあっているけれどちゃんと順番に処理しますという回答を得ていました。さすがに「公」のサービスです(熊本図書館の方、ありがとうございました)。

 漱石と私の縁といっても実はこれだけのことなのです(どうも済みません)。しかし時空のゆがみが生じて私が漱石に出会ったなら、「その節は曽祖父がお世話になりまして」というぐらいの挨拶はできるのです。漱石は、「いやあ世話になったのはこちらの方さ」と言ってくれるかも知れません。「では恐れ入りますがこの全集にサインをお願いいたします」と私は言いましょう。

 「三四郎」は明治38(1905)年から朝日新聞で連載されました。その中で「広田先生」は日清、日露の戦勝に沸き立つ日本を「滅びるね」と評して三四郎を驚かせます。欧米を深く知る漱石の実感だったのでしょうが、この予言は40年後に的中しました(その後に復興した日本はいま間氷期にあります。また滅びないようしなければなりません)。

 同じ小説で与次郎が、「Pity is akin to love 」 を「可哀そうだた惚れたってことよ」と訳したのを、広田先生が「いかん、下劣の極だ」と 苦笑まじりに退けたシーンも印象的です。与次郎を通して漱石は「この訳もありだぜ」と言い、「憐憫は愛に似ている」という直訳から洩れているニュアンスを提示しています。こうした細部も漱石の魅力です。

 先日読んだ「日本習合論」において著者の内田樹(また出た)がこの二つの挿話を取り上げているのに驚きました。彼は、漱石の日本語の素地、すなわち二松学舎で学んだ漢籍、子規に指導された俳句、少年期に親しんだ落語や俗謡、長じて学んだ謡曲などを列挙し、こうした豊かなアーカイブがあったから英文学を中心とする欧米の学知を母語で受け止めることができたと指摘しています。「鋭く、尖った学知を、柔らかく、穏やかで、深い教養で受け止め」たとも評しています。

 さらに武道の「小拍子・大拍子」にふれ、柳生宗矩の兵法家伝書中「拍子があえば敵の太刀が使いやすくなる。こちらの太刀は敵の太刀が使いにくいように使うのがよい。すなわち無拍子に打つことだ」という箇所を紹介します。そして、きりきり音を立てて飛んでくるヨーロッパの学問芸術という「小拍子」の太刀を外して、漱石はゆったり悠然と「大拍子」に太刀を使っていると言っています。

 さすがに内田さん。明治期の社会や文化の状況をおさえつつ漱石の骨法を手のひらにのせて見せてくれます。内田樹もまた日本語の豊かなアーカイブを有し、レヴィナスを始めとするフランス思想に通じ、人間の身体と精神の関わりを考察し、ものごとの習合を深く論じる人であって、彼自身が漱石のような「知」のありかたを目ざしていることは間違いありません。この人のユダヤ文化論を手引きにして私もユダヤ人について書こうとしていますが、いまだ手がつけられず見当もつかないのは仕方ありません。







 

 

 

の中で広田先生が「日本は亡びるね」と言って三四郎を驚かせます。

 

2025/03/11

268)「私利道」を行く

 海の向こうでドナルド・トランプが、こちらで斎藤元彦が「公の毀損」に精を出しています。二人が有している権力と迫力は月とすっぽんですが、共に同じ砂利道ならぬ「私利道」を突き進む義兄弟、濃い顔と薄い顔が交代でニュースに出ない日はありません。かくも多くの不適格者が集団のリーダー(首相、首長、社長など)となっているのを見ると、きっと不適格者ほどリーダーに選ばれやすい「民主的メカニズム」があるはずです。

 トランプ暴言が止まりません。パナマ運河の奪還、グリーンランドの領有、カナダの併合、ガザ住民の追放、ウクライナの採掘、諸国の防衛費増額など言いたい放題。ひょっとしたら石破首相にも「51番目の州にならないか」と持ちかけたかもしれません。悪いことに暴言はリアリティがあります。関税もふくめ米国が「私利道」を進んで孤立主義に戻ったら日本はもちろん多くの国々が困るでしょう(米国自身もいずれ困るだろうけれど)。

 イーロン・マスク率いる政府効率化省(維新が好きな名前)は、連邦職員に「大統領への忠誠と激務の受入れ」を求める宣誓書を書かせ、拒否したら解雇すると発表しました。彼はツイッター(現「X」)でも同様の脅しをかけて8割のクビを切った「実績」があり、それを国家公務員にも適用しようというわけです。浮いたカネは法人税の減税に回すと見られていますがまことに露骨な「私利道」です。

 それにしてもトランプ・ゼレンスキーの喧嘩別れには驚きました。この二人を私は報道の範囲で知っている(つまりほとんど知らない)けれど、「人としてのまともさ」はどう見てもゼレンスキーが上でしょう。それにしても相手が悪かった。トランプは「礼儀知らずの恩知らずだ」と怒りました。ゼレンスキーは「進むべき道を進まなかった」という反省の弁をSNSで述べました。たしかに彼は失敗したのでしょう。

 こんなとき日本人だったらどうかと私はつい想像します。まず日本の首相ならふだん着で海外訪問を行いません。非常時であろうと、いや非常時ならなおさらのこと、礼を失しないようにとスーツを着るはずです。そしてホワイトハウスに着くやいなや、「おおきに、すんまへん、おおきに、すんまへん」と繰り返すでしょう(関西出身なら)。会談でもホメ殺しから始めます。「おかげさんで私ら生きさしてもろてます。いよっ、大統領!」

 これに比べてゼレンスキーは堂々としています。外国の軍事支援は当然だと思わないにしても、自分たちが西側の最前線で身体をはってロシアを食い止めているという思いが強いでしょう。米国にしてもロシアの版図が広がることは防ぎたいし、「黙認は譲歩だ」と考えているはずです。兵器を実戦消費して軍事産業の活力を維持する狙いもあるでしょう。そもそも純粋に理念のための他国支援などあるはずがありません。

 したがって米国・ウクライナの関係は非対称ではあるものの日米関係より対等に近いと思います。それでも(鉱物資源の決裂もあり)トランプとバンスは立腹しました。ゼレンスキーの立場で考えると、すなわち外国を訪問して自国の運命にかかわる会談にのぞむ政治家の身になると、「自分の背後にいる自国民をより強く意識する」か、「目の前の相手国の首脳をより強く意識する」かという二方向に心が動きます。

 どちらも大事なことは言うまでもないけれど、ゼレンスキーは前者に流れました。日本の首相なら逆であったと思います。仮定と推測で書いていますが、これは自他意識の差によるものでしょう。いまウクライナは修復に努めていますが国民は大統領を責めてはいないようです。それにしてもどこの国のリーダーもSNSの政治利用が当たり前になっています。これが「今どき」なのでしょうが私には公私溶融に見えます。

 さて兵庫県知事です。百条委員会の見解、すなわち内部告発者への対応、通報者の公表と処分、その個人情報の暴露、パワハラ等におおいに問題ありとする報告書は、事実にもとづく客観的な判断であったと思います(もっとしっかり断定せよと言いたいけれど)。一連の出来事のなかで県職員2人、県議1人の3人が亡くなっています。痛ましい怖ろしいことです。職員の「公僕パワー」はだだ下がりに違いありません。

 斎藤氏は報告書を「一つの見解」だと矮小化し、「最終的には司法の判断」だと繰り返しています。こういう人物のメンタルはいったいどうなっているんだろうと思います。「蛙の顔になんとやら」ですが蛙は邪悪さと無縁です。友人O君の怒りは沸点に達していることでしょう。あとは司法が頑張るしかないとすれば、地方自治はもうアウトです。今後も注視です。

 前回記事をアップした後にO君に「書いたぞ」とメールしたら「おっきに。おもろかったわ。ユダヤ人のことが分からんて I が言いよったのがおかしい。O先生ならどう言わはるやろ」と返事がありました。一方で I 君からは「O先生に申し訳ないほど世界史が悪かったのに自分が人を教えてたんやからな、、。それにしてもOとのやりとりは面白かった」とラインがありました。

 内輪の昔話で恐縮ですがO君とI君とは高校以来の友人です。二人とも前回記事にちょっぴり登場しましたが、それを読んでお互いに相手のことを可笑しがっていることを、私は面白く思いました。クラス担任であったO先生は世界史を教え、生意気ざかりの生徒たちから尊敬されていました。ユダヤ人とはいかなるものかについてO先生のご意見を聞いてみたいとO君は言っているわけで、それは私も同じです。







2025/03/02

267)斎藤知事を内田樹氏が論評したこと

 友人O君は思いこんだら一直線の熱い男です。高校時代から今にいたるも変わりませんが、それを私はなかば呆れつつ賞賛しています。愛知川流域のビワマスやイワナも彼をほめたたえていることでしょう(記事「ビワマスの通い路」)。彼は「斎藤元彦には腹立ってしゃあない。立花もひどい。維新もあかん。もう危ないで」と怒っています。先日わが家で食卓を囲んだ友人たちも私もまったく同意見です。

 そのO君が電話してきて、「兵庫県政を正常に戻す会」で内田タツキさんが講演してはる、斎藤元彦は組織マネジメント原理主義者やと斬りすてた、よう分かる、賢いなあ、すっきりした、ニコニコ動画のURL送ったし見てみ、そこ押すだけ、人のコメントが流れてうるさいけど画像がましやねん、と言いました。私は、ああ内田タツルさん、確かにすごい知性だねと紳士的に応じました。

 O君は、斎藤も越直美も一緒、ひどい奴っちゃ、職員は浮かばれん、公共を踏みにじっとる、選挙違反せんかっただけ越のがマシかもしれんけどなと畳みかけ、これを「大津通信」に書けと言うのです。しかし斎藤氏のことは前に少し書いたし、越氏は表も裏も書いてウンザリです(邪悪、愚昧な点で稀有の人)。私はO君にとにかく内田樹さんの講演だけは見ると返事しました。内田樹ならおもしろいと思ったのです。

 内田氏がずっと以前、武道における身体操法について書いた短い文章を新聞で読み、私は、武道という特殊な領域を一般社会に「通訳」して見せるその手際にびっくりして、以後この人を読むようになりました。知れば納得でフランス文学者、思想家、合気道師範(居合道にも通じている)など多彩な顔でばりばり活躍している人です。「憲法の『空語』を充たすために」(かもがわ出版・2014年)はいつかの記事にも書きました。

 アヅマは私ほど「内田ファン」になりませんでした。どこか右翼チックで信用できないというのです。確かに内田樹は「わが国において現にうまく機能している二重構造の一極である」との理由から天皇制をよしとする意見を表明し、辺見庸が小さな失意をこめそれを批判したことがあります。私も「内田さんそれは少し違うでしょ」と感じましたがアヅマの感想はそれより前のこと、やはり鋭敏であったと思います。とはいえ私は今も内田樹の読者のかなり熱心な一人です。

 本題にもどってさる2月24日、「兵庫県政を正常に戻す会」が県民集会をひらき(900人満席)、話者の一人として内田樹が最初に登壇し30分ほど話しました。私はその部分だけ動画で見ましたが画面の右から左へ視聴者の文字コメントがひっきりなしに流れます。「これは反斎藤の集会?」、「偏った人たちを見るのは面白いけどね」、「老人会だっけ」、「日本人ではないんか」、「黒幕協賛・共産党」、「アカ」、「カルト集会だな」等々。

 私は主催団体について知りませんが、団体の名称はもっともだし、そもそも集会の自由は憲法で保障されています。前出の内田氏の本によって立つなら、集会を行うことによって私たちは、憲法に書かれた「そらごと」(いまだ実現されていない言葉)の中身を充填する行為の一端を担っていることになります。一方で自由な意見の表明も憲法は保障していますからコメントも制限されてはなりません。しかるになぜSNSは、多様な意見を総和・調整するより二極化・先鋭化する方向に働くのでしょうか。

 私がこの動画で見たコメントに、「日本人ではない」、「共産党である」などの古典的な決めゼリフがあり、かつて安倍晋三に強く現れていた復古的なタマシイがいまも根強く残っていることを実感しました。いやまったく馬鹿ばかしいと私は思っています。もとに戻ります。
 内田氏は神戸に合気道道場「凱風館」を構えており兵庫県の縁者でもあります。その主張をざっと紹介します。かなり大幅に意訳、補足をしていますから正確には動画をご覧ください。

 ~ 斎藤氏の1期目の実績に良くも悪くも目だつものはなかった。県政の基本方向は長年のうちに大筋で合意されているし、そもそも自治体の施策は「悪」でありえない。ゆえに斎藤氏にも大きな失政はなかった。そうした県政の流れに乗っかって斎藤氏が注力したのは、兵庫県庁を自分流にカスタマイズすることだった。

 すなわち知事を頂点とする強固なピラミッドをつくり、上意下達を徹底させること。自治体がとかく非効率なのは細かい法令にしばられ、職員が既得権益に守られているためである。だから行政改革が進まない。全国の自治体はすべて社長の指一本で動く株式会社のようであるべきだ。組織が何をするかよりも組織がいかに動くかこそ重要である。こうした考えをもつ斎藤氏のような人物は「組織マネジメント原理主義者」と呼ぶべきだ。~

 以上が内田氏の主張の骨子であり、斎藤氏が模範としたのは卒業式で君が代を歌わない公立高校の先生を「業務命令違反」の理由で処分した橋下徹元市長(知事)であったろうと推測します。そして斎藤氏は予測のつかない幼児のような行動によって周囲を混乱させ(トランプのように)、職員に理不尽な要求をくり返すことによって(20メートル歩行事件、エレベータ押しボタン事件など)自らの権威を強化していったと指摘しました。

 引用はここまでです。私も内田氏の見解に賛同するもので、斎藤氏は「新自由主義的な考え方を至上のものと考え、かつ、その資質に欠陥のある近視眼的・利己的なポピュリスト政治屋」であると考えます。これは私の「越直美評価」と同一であることを本ブログの古い読者はご存知でしょう。まったくO君の言うとおり公共の危機です。

 なぜこうした人物が票を集めるのでしょう。それが投票の自由だし、十人十色だと言ってしまえばそれまでですが、こうした斎藤人気(あるいは石丸人気)の背景にはやはり今どきの事情があると思います。マイケル・サンデルが「それをお金で買いますか」と問うとおり世界は資本主義にすみずみまで浸され、消費者が市場の最高審判者であると擬制され、ほとんどの人の最初の社会的行動体験が買い物(消費行動)であり、会社が代表的な組織モデルと認知されている現代において「公共的感覚」は縁遠くなるように見えます。前も同じことを書きました(記事「市役所と株式会社は同じ?」)。こわれたレコードで恐縮です。

 結局O君の勧めどおりに書いてしまいました。実は昨年から内田樹著「私家版・ユダヤ文化論」の感想を書こうとして果たせません。とても鮮やかで面白く難しい本です。難しいならよせばいいのですが、聖書の周辺を眺めるうちにユダヤ人が古く特異な歴史のもとにあると分かったし、ホロコーストを経由して今のイスラエルの侵略があります。

 また、かつて高校で歴史を教えていた友人I君が「大きい声で言えないが今もユダヤ人のことが分からない」と言っていました。逆説的ですが知識が豊かであるほど「ユダヤ人とは何か」について明瞭に述べることが難しいようです。私のにわか勉強ではまだ玄関の前にも立っていませんけれど(中でもロジャー・パルバースと四方田犬彦の対談は興味深かったけれどすべて忘却のかなたです)。

 前回記事で「日本人らしさ」について書いた時、私は「ユダヤ人らしさ」を念頭に置いていました。乱暴な対比ですが両者は明らかに異なっており、並べてみると双方が分かるような気がします(そういえば「日本人とユダヤ人」という本があったような)。今後、公共はもちろんですが、宗教について、ユダヤ人あるいはユダヤ文化についても手のとどく範囲で書きたいけれど先の長い話です。

 話は変わって、わが家のキッチンに小麦粉の容器があります。中に入っている樹脂製のスプーンに細かい穴が開いていることに気がついて胸に迫ったのがもう3年前でしょうか(前に書いたかも)。なるほど小麦粉をふりかけるために穴があいている、でもそんなことを自分は知らなかった、今はじめて知った、そんな生活の細部をアヅマがにこやかに担い、彩りとうるおいをもたらしてくれていたと改めて知った。そんな思いです。

 それから私も生活の細部を大切にするよう(多少は)心がけています。花をかざるのはもともと欠かしたことがないし、掃除、洗濯はひんぱん(ビールは毎日)で時にアイロンもかけます。そして最近、洗濯物を干すときハンガーを5つ6つまとめて使えば乾きが早いと気づきました。洗濯物が少ないかハンガーが多ければぜひお試しください。洗濯は人まかせの方はそこから是正しなければなりません。番外編(括約筋トレーニング)に続くお役立ち情報です。








 


 

2025/02/21

266)金時鐘講演会(続き)

 金時鐘講演会「済州四・三事件犠牲者慰霊祭に思うこと」の続きですが、これがメインディッシュです。2月8日の東成区民センター6階ホール。大きな拍手に迎えられて登場した詩人は、客席に向かってずらりと並んだ若者の中央に着座し、一呼吸おいて静かに話し始めました。まず取り上げたのは時鐘さんが毎朝聞くというラジオ番組。1月14日の放送によると「66年前の今日」は南極犬タロ・ジロの生存が確認された日であったそうです。

 若い人はご存じないでしょう。かつて日本の南極観測隊は、犬ぞりに使役していたカラフト犬15頭を昭和基地に残したまま帰国したのです。カラフト犬は暑さに弱いので赤道を越えるには専用の冷蔵庫がいる、船にはそのスペースがない、氷が海面をおおう前に出航するには犬を安楽死させる時間がないといった理由があったようです(すべて予見可能なはずですが)。

 15頭は野犬化を防ぐために鎖でつながれ極寒のなか当分の餌と共に放置されました。一年が過ぎ昭和基地に戻った部隊が生き残っていたタロとジロを発見します。それが1959年1月14日のこと。そばに7頭の死体があり、首輪だけ残る6頭は脱出したのか仲間に喰われたのか不明のままです(時鐘さんは「共食いだった」と見ています)。衰弱していたタロとジロは隊員に「お手」をし、新聞は「かしこい犬」と書きたてました。この奇跡の生存劇に日本中が感動にわき、さなかにいた時鐘さんは「息が詰まった」と語りました。

 いともやすやすと感動になだれをうつ日本人よ、それでよいのか、犬を死地に追いこんだのはそもそも誰であったか。カラフトから極地に連れていかれ、重いそりを曳き、主人とあおぐ隊員に去られ、わけの分からぬまま鎖につながれ放置された『物を言わない』犬たちの『あがき』や『もがき』にどうして日本の人たちの思いは及ばないのか。自分の生理が反発するものをなぜ置き去りにするのか、と時鐘さんは言います。
 
 以下は私見ですが、時鐘さんが問う「日本あげての感動」は想像力の乏しさに由来し、「きずな」や「ふれあい」を留保なく受け入れる私たちの心性と地続きです。さらに言えば多数になびく個のありよう、弱い者に強く、強いものに弱い卑小な根性、よく考えずに賛同する軽薄さ等々。これらは私自身から敷衍した「日本人らしさ」です。もちろん私は日本人代表ではないし国民を一括りにもできません。しかしこのような「日本人らしさ」が存在しており、時鐘さんはそれに言及しているのだと思います(しかし私は惑星探査機が帰還したといって泣くタイプではありませんが)。

 その日本人が同胞(すなわち在日朝鮮人)に向ける眼差しは「差別」ではなく「蔑視」だと時鐘さんは指摘します。上下の区分である以上に蔑みであるとの意味です。そして「いまだに祖国の統一を果たしていない自分たちは責められるべき存在かもしれない。しかしそれを日本からどうこう言われることはない」と述べ、「それにしてもお互いに尊敬しあう関係を結べないものだろうか」と結びました。

 ついで時鐘さんは、1929年1月17日生まれの自分は、尊敬する李陸史(イ・ユクサ)先生の命日である1月16日を越えなければ自身の誕生日に行きつけない、これが毎年のことだと言います。抗日独立の運動家・詩人であった李陸史は、自分の囚人番号「264」の読みをペンネームとして活躍し、何度も逮捕されついに獄死しました。一か月後の2月16日は尹東柱(ユンドンジュ)の命日で、彼は朝鮮語で詩を書いたために逮捕され福岡刑務所で獄死しました(獄死が虐殺であったことは小林多喜二と同じです)。

 時鐘さんによると、尹東柱の家族が刑務所から受け取った通知には「期限までに引き取りに来なければ遺体は解剖用に九州大学に提供する」とあったそうです。自分の人生に重なる日付けの記憶によせて時鐘さんは二人の詩人にふれ(思わず絶句する場面もあった)、「私は日本が憎い。日本は大好きであるが憎い」と言葉をつぎました。日本人は折り目正しい、行きずりのことに優しい、深く交わらない、やすやすと感動する、日本軍の所業を知って知らないふりをする、とも言いました。

 このあたりから話は四・三事件に移りますが、概要は不十分ながら前編のとおりです。事件のさなかに身を置いた時鐘さんは「強いられた死のむごさ」を具体的に語りました。それは身の毛がよだつほどの醜悪な腐乱死体である、蛆が日に映えて黄金のしっぽをくねらせている、臭気は耐えがたい、自分は日本に来て長いが今でも眠りにつくと惨殺体の映像にしばしば脅かされる。これらの死体は果たして犠牲者か。

 犠牲者とはもともと大義名分に殉じることを指す言葉であり、さもなくば人の力の遠く及ばない地震、津波、洪水など天災による死者たちに当てはまる言葉である。あの虐殺は人為そのものであった。そのどこに大義があったか。逃れることもできず恐怖のうちに殺された人は無念を抱えて蛆に喰われた。これらの人々を「犠牲者」と呼び敬虔な気持ちにひたることが私たちに許されるか。

 いま私は、当日のメモと配布資料(金時鐘・「敬虔に振り返るな」)を参照しており、「すべて時鐘さんの発言どおり」ではないけれど大体は再現できていると思います。犠牲者とは?との問いに私は宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を思い出しました。飢饉を回避するには火山を噴火させ、噴煙で気候を変えるしかない。しかし噴火を仕掛ける最後の一人は島を脱出できない。その役目をブドリは買って出ました。時鐘さんのいう「犠牲」にふさわしいあり方です。思えば宮沢賢治自身も自己犠牲の人でした。

 時鐘さんは次のように締めくくりました。~ 記憶は薄らいでいく。四・三慰霊祭は済州でも日本でも行われ、年と共に死者への敬虔な気持ちだけがつのっていく。しかし、何によって死者は死ぬことになったか。どのように死んでいったか。その『実態像』を思い描くことを怠ってはならない。済州島5万の無辜の死者を、身ぎれいなかたちで、神聖なかたちで祭ってはならない。私たちが抱えている犠牲者は腐りに腐って、近づくこともできないほど醜い肉体を晒して息絶えた浮かばれない死者たちである。私にはその犠牲者たちを敬虔に祈ることができない。~

 休憩をはさんだ第2部は、若者と時鐘さんのトークイベントでした。若者は「済州四・三を考える会・大阪」のメンバー30人で、年に一度は済州島に出かけ、月に一度の学習会を開いています(もちろん「金時鐘」も読んでいる)。そのうち5人がそれぞれ選んだ時鐘さんの詩を朗読し、感想をのべ、ご本人に質問するというスタイルで私は引き込まれました。若い人々は、そこらの大学の先生のように自分を賢く見せようとする邪念がないし、何より言葉が新鮮です。

 残念ながら朗読された詩も詩人とのやりとりもここに書き切れません。質問のほんの一部ですが「作中人物が居場所をさがしているのは詩人が在日コリアンとして自らの居場所を探してきたことの反映か?」、「故郷を意味する言葉が何種類も出てくるが、その使い分けの意図は何か?」、「背後をふりかえれないとはどういう意味なのか?」などが印象に残りました。

 詩人の答えのうち、在日同胞のよって来たった年月への思い、一世に強く見られた回帰思想、在所の生活臭への執着、時鐘さん自身の少年期に染みついた済州島の言葉や食べ物、身体で受け継いでいる衣食住すなわち文化、などの言葉を私は記憶しています。全体をふりかえってみると、人はさておきまず自分が想像することの大切さを時鐘さんは説き、それは若者によく通じたし、そんな若者に共感する客席にもよく伝わったと思います。

 在日コリアンが済州四・三事件を語ることは、自分のアイデンティティにじかに触れることであろうし、長い歴史のなかで朝鮮(さらには中国)から文物の豊かな恵みを受け、近代に入って恩を仇で返した日本人にとっても他人事ではない話です。こうした物言いを自虐的だと批判する人も日本人の中にいますが、私はこれを客観的な見方であると思っています。

 アヅマが「松明をうけとる」という言い方をよくしていました。直接には、むのたけじ氏の「たいまつ新聞」に喚起された言葉でしたが、彼女の社会を見る眼と心のありようをよく示していたと思います。バトンやタスキは渡した後に「手ぶら」になりますが、松明の火は先行走者も次の走者も共にかかげることができます。隣の人に分けることも可能です。この講演会において時鐘さんは、壇上の若い人々と客席の聴衆とに松明を渡されたのだろうと私は思いました。

<四日後の追記>

 記事を読んでくれた二人の友人のコメントをうけ少し追記します。二人とも長年、文学と共にある人で、女性史研究者のAさん(「裏金講演会」で一緒だった人)、時鐘さんにとても近い詩人Bさん(「金時鐘講演会」で一緒だった人)です。

 Aさんのメールには、『恩を仇で返した日本人』の一人という自覚とともに生きてきた、自分の小さな松明を誰かに受け取ってもらうべく努めているとありました(この人の松明は決して小さくありませんが)。また、在籍していた北海道大学の付属植物園でお散歩中のタロ(もしくはジロ)を何度か見た。初夏で、抜けた毛のかたまりが体にくっついていたとも書かれていました。ちょいといい話です。もう1頭もきっと安楽な余生を送ったのでしょう。

 Bさんとは電話で話しました。記事中の「アヅマ」の意味を問われたので私は、ヤマトタケルの妻恋の嘆きである「吾妻はや」を踏まえていると説明しました(大きく出ましたが)。分かる人には分かるだろうし、分からない人に分かるよう書くのは野暮ですからあえて注釈なしに使ってきた心深くからの言葉です。今その野暮なことを書きました。

 またBさんから、第2部の若い人々の言動をもっと書けばよかったのにという感想をもらいました。確かにそれをしっかり書いてこそ「松明」も輝くのですが、私の文章はとかく長くなるので端折ってしまいました。いま少し足しておこうと思います。

 若者はもう在日3世か4世ぐらいにあたるでしょう。韓国からの留学生もいたし、日本人も混じっていたと後で聞きました(四・三事件をメインテーマとする開かれた学習グループのようです)。詩の朗読には大きなスクリーンにハングルの字幕が映され、韓国語による朗読(美しい朗読でした)には日本語が添えられました。その他さまざまな資料も示され、心のこもった周到な準備によって充実したトークタイムとなりました。

 前回も書きましたが、若者らは時鐘さんの本をよく読んでおり、また時鐘さんにむける眼差しと言葉からその親愛の情がよく分かるのです。それが講演会をさらに忘れがたいものにしました。時鐘さんが若者に伝えたかったのは、朝鮮半島にルーツをもって日本で暮らしている事実を歴史の中でとらえること、とくに四・三事件や朝鮮戦争の実態を知ること、自分たちをとりまく(自分たちも共有しているかもしれない)集団的な感情を相対的に眺めてみることであったと私は思います。「慰霊祭についてもその上で考えてごらん」と先達は後輩に言っているかのようです。

 しかし、こうした視点はどこの国籍の所有者にも必要であろうと思います。その上で握手や抱擁をしたいものです。いやいや誠に言うは易し、行うは難しでありますが。やはり長い追記になりました。





 
 
 

 



に急かされ

の状況が張りかけ時間がなかった

昭和基地を引き上げる際に犬ぞり用のカラフト犬15頭を放置してきたのです。、船に積めないため

(そりを引かせていた)を鎖につないだまま置き去りに

2025/02/18

265)金時鐘講演会(四・三事件をめぐって)

   2月8日、大阪の東成区民センターで開かれた金時鐘講演会「済州四・三事件犠牲者慰霊祭に思うこと」について書きます。これは、在日コリアンを中心とする大阪の若者ら約30人が、敬慕する先達である96才の詩人を書斎から担ぎ出し、自分たちも一緒にステージに上がって思うまま意見を述べる場でした。かたや孫のような若者に囲まれた詩人は、歴史の証人として、また類のない日本語の表現者として胸に蓄えてきた思いを若者と聴衆に語りかけた場でもありました。参加してよかったと私は思いました。

 済州島でなぜ同族間の大量虐殺が起きたか、40年も過ぎて「慰霊祭」が開始されたのはなぜか、それが日本でも行われる意味は何か等を考える上でも、まず「事件」の経過をふり返っておきます。ちなみに殺された人は政府見解では約3万とされ、研究者は5、6万人と推定しています。罹災者は10万人以上、被害地域は130の集落で島全体の3分の2におよび、親戚や知人を頼って日本(中でも大阪)に逃れた人が4万人ほどと言われます。

 1945年の日本敗戦後、朝鮮半島は38度線を境に米国とソ連に分割占領され、南の沖合に浮かぶ済州島は米軍統治下に入りました。米ソは「朝鮮全土を治める朝鮮人民臨時政府の樹立を認める。ただし5年間は英・中を加えた4大国が信託統治を行う」と合意しました。朝鮮人民は置いてけぼりの火事場泥棒みたいな決定です(ならば日本は放火犯ですが)。この合意はすぐに決裂して暫定的な分割占領が恒久的な南北分断に向かいます。

 1946年、ソ連支配下の北では金日成が「北朝鮮臨時人民委員会」を組織し「民主基地路線」の全土拡大に乗り出しました。すなわち社会主義による南北統一ですから米国や南部の民族主義者には容認できません。1948年、米国は南だけの総選挙の実施を企てますが、これは国土分断の固定化につながります。こうした米ソの思惑、人民勢力の争い、日本統治時代の下請け人(戦後に民族反逆者と指弾された旧軍、警察、右翼ら)の復権の動きが錯綜するなか、人々は「信託統治」と「単独選挙」の踏み絵の前に立たされました。

 信託統治は「解放」を待ちわびた人々の感情を逆なでするものであったはずですが、皮肉にもその間は祖国分断が回避(先のばし)されます。米ソ決裂によりその実現性が薄らいでいるところに単独選挙を行い南政府を作ってしまうと分断が決定的となります。一方で北は、金日成がソ連軍を後ろ盾に土地改革(小作農に土地をあたえる)を行うなど社会主義の国づくりを進めています。南の左派勢力の中に、米国や右派とは協力をせず、北の「民主基地」と呼応して統一をめざす動きが生じたと時鐘さんは指摘しています。

 38度線はかつて日本の関東軍と大本営の区分線であったため米ソの「折り合い線」に採用されました。国土の真ん中に線を引かれた朝鮮の人々には断絶であり、乗り越える希求の対象でもあった38度線。これを東にのばすと海を越えて新潟に達します。金時鐘さんは初期の長編詩集「新潟」の冒頭に「切り立つ緯度の崖よ わが証の錨をたぐれ!」と書きつけました。それはさておき。

 米軍政は統一と自由を求める民衆運動を力づくで押さえ込みます。モグラたたきのように鎮圧をくり返すうち、1947年の三・一記念節に参加した済州島民に警察が発砲して6人が死亡しました(これは日本統治下の1919年3月1日に行われた「三・一独立運動」の記念日。ここにも日本の爪あとが残っています)。これを機に米軍と島の左派勢力の対立が激化し、「赤狩り」に名をかりた警察や右翼による住民への暴力が苛烈をきわめました。

 ついに1948年4月3日、単独選挙に反対する済州島の住民の一部が武装蜂起しました。本土からは国防警備隊が「討伐」に駆けつけ、ついで韓国軍(第九連隊)が加わって村に火を放つ焦土化作戦を展開します。力の差は圧倒的ゆえ「蜂起側」には地の利を生かしたゲリラ作戦しかなかったでしょう。彼らは「山部隊」と称し、島の中央にそびえる漢拏山を本拠地として抵抗を続けました。ベトナム戦争を想起します。

 「討伐」は朝鮮戦争をまたいで6年にわたって続けられ、1954年、漢拏山の禁足令解除をもって終わりましたが、この間に多くの住民が文字どおり惨殺されました。討伐隊には誰が敵か判別しにくかったろうし、島じゅうが血縁と地縁で結ばれています。拷問、凌辱、なぶり殺し、公開処刑もありました。殺された人の9割は軍、警察、右翼によるものとされていますが、ゲリラ側による残虐行為もあったことが分かっています。

 金時鐘さんがじかに目撃した討伐隊の行為は、たとえば数人の手首を針金でつないで海につき落とす(つながれたまま岸辺に打ちあげられる)、首を括ってずらりと吊り下げておく(胴体は腐って落下し、宙づりの頭部の眼窩に尻尾の長いウジがわく)、耳や鼻をそぐ、腹をさく(時鐘さんの知る人は腸を引きずったまま生垣まで走った)、銃撃された人の脳が目の前のガラス戸に飛び散った(次に時鐘さんも撃たれるところだった)等々です。講演の内容や私が過去に伺った話をあえて記しました。

 これほどの殺りくを李承晩は「共産暴動」の鎮圧であったとして省みず、島民も多くを語らなかったので(生存者ゆえの罪悪感もあったでしょう)、四・三事件は長く闇の中に置かれました。民主化が進んだ1990年ごろから世間の関心が高まり、2003年には盧武鉉大統領が国家権力の誤りであったと公式に謝罪しました。ついで文在寅大統領も真相解明と犠牲者の名誉回復は後退させないと決意をのべました。こうした流れで韓国「慰霊祭」が行われ、いまは日本でも開催されています。

 済州島にルーツをもつ金石範は、四・三事件の場にいあわせなかったことの無念さを創作のバネとしてこの事件について書き続けてきました。南朝鮮労働党の一員としてこの蜂起に直接かかわった金時鐘(当時19才)は命からがら日本に逃れ、詩人として名を成してからも事件を語りませんでした。もちろん二人には長年の交流があって、1996年、時鐘さんは四・三慰霊祭の場ではじめて自身の体験を語りました。2001年には二人の対談が本になりました。書名は「金石範 なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか 金時鐘」・平凡社。今回の記事を書くにあたり主としてこの本を参考にしました。

 さて、講演会で時鐘さんは、何をもって「犠牲者」とするのか、「慰霊」とはどういうことかと問いかけ、さらには自分が日本にいだく愛と憎しみの感情や日本人について思うことを明瞭に述べました。公の場でここまで踏み込んだ発言をされるのは知るかぎり初めてです。ああ、これは若い人々に向けておっしゃっているなと私は思いました。ここからいよいよ本題ですが長くなりすぎたので区切りを入れます。後編はこれから考えますが、ぜひ両方ともお読みいただきたく思います。






2025/02/07

番外)明け方にトイレに起きる方へ

 「21世紀日本の『公』を考えます」と大見得を切っておきながらこんな記事を書くのはさすがにアウトだろう、しかしこれまでから脱線すれすれだ、そういえば「笑って許して」という歌があったな、和田アキ子だったか(昔はよかったがもう身を引けばいいのに)、今回は一つ「許して路線」で行くか等と考えながら番外編を書くことにしました。私くらいの年齢の方のお役に立つことが万一あれば幸いです。

 私はもとはアヅマもうらやむ「安眠人間」でしたが今は睡眠薬が欠かせません。山歩きも晩酌増量も効果がないけれど、お風呂で温まり「ゾルビデム」を一錠のんで布団に入ると何とか眠りにつけます。ところが朝まで寝ることはまず無理で大抵トイレに起きるのです(トイレを必死に探しまわる夢もよく見ます)。時計を見ると3時とか4時。後はもう眠れません。これも齢だ、仕方ないと諦めていた私です。ところがある日のこと。

 身体のある部位の筋力をきたえることによって過敏な尿意を抑制できるという記事を見ました(私がよくやり玉にあげるネット情報です)。その記事をマイルドに表現すると ~ 人には大小二つの「出口」があるが、その周囲に出口の開閉に関与している括約筋がある。これを収縮させる(あたかも門を鎖すように力をこめる)、ついで緩めるという筋トレを行う。くり返すことにより筋力が増し結果として尿意が軽減される ~との説明です。「筋力」と「尿量」は関係がないけれど「蛇口を固くする」ことが決め手のようです。

 さっそく私はこの筋トレをやりました。失敗して損はありません。腕立て伏せやスクワットと勝手が違うけれど、トイレで温水シャワーを使用している時や無念無想でベッドで横たわっている時に相手の「存在」は感知できます。こちらが欲すれば随意筋のサガで素直に応えてくれます。いったんコツを飲み込んだら歩いてもよし座ってもよし。強弱、長短、緩急も自在です(変化をつけた方が目的に合いそう)。音楽に合わせるならウィーンフィルのニューイヤーコンサートでよく演奏されるラデツキー行進曲がお勧めというのは冗談ですが。

 これをひと月ほど続けるうち、私はトイレに起きなくなりました。不思議だが本当です。原因は筋トレ以外に考えられません。そこで昨年11月、うなぎを食べながらT君に意見を求めました(うまい具合に彼はお医者さんです)。T君は、「うーん、それもそうだねえ、、」と思慮深そうに答えましたが、にこやかな表情の下に一瞬、驚嘆の色が浮かんだのを私は見逃しませんでした。彼がこの新事実に心を動かされたことは明らかです。これで筋トレはお墨付きを得たと私は思いました。

 見解を聞きたいお医者さんがもう一人いますが、その人は上品で繊細な女性なので私も括約筋の話など気安くできません(T君が下品で粗野だというわけではないけれど)。そこで今のところセカンドオピニオンは得られていませんが、少なくとも私において顕著な効果がありました。似た悩みをお持ちの方には試される価値があるかもしれません。また、トイレの回数を控えるのも手だそうです。膀胱を膨張させるとその柔軟性が多少は回復するのだとか(これも筋トレのようなもの)。もちろんやりすぎはいけません。

 勢いにまかせてあと二つ。
 アヤハディオのトイレに「従業員もトイレを使わせていただきます。なおトイレでのご挨拶は遠慮させていただきます」というプレートが貼ってあるのを私は前から面白く見ていました。内容はもっともです。そんな場で「まいど有難うございます」とは言うのも聞くのもお笑いです。でもそこまでお客に気を使わなければならないのか。アヤハの従業員も平和堂で買い物するときは威張るのでしょうか。私はこうした貼り紙の裏に潜んでいる事情にいつも腹を立てています。

 話は変わって人間ドックを受ける際、「前もって二日分の検体を採取・格納してある緑色の樹脂製の小袋」を提出するのは、私の年齢になっても微かな緊張を伴う行為です。先方は仕事だから平気だとしても、こちらは少し申し訳ないような恥ずかしいような気分で、こんな時に気の利いた言葉の一つも添えたいものだとかねて思っていました。すると1月のドック受検の前日、「つまらないものですが」というセリフが浮かんだのです。うるわしく伝統的な言葉です。これはいいかも。

 相手が冗談の好きな人なら「わーありがとうございます。お昼にみんなで頂きまーす」などと調子をあわせてくれ笑顔のうちにことが運ぶ。しかし人によっては本物の「差し入れ」と勘違いするかもしれない。万一に備えて「たぶんお口に合わないと思います」と釘をさしておいた方が無難か、などと様々な想念が巡ります。しかし空振りに終わりました。一夜あけた病院の受付で係の人は瞬時に「つまらないもの」を回収し、開いている手のひらで待合スペースを示しました。名前を聞かれて答えただけの私は脱力してソファに座りました。

 コースの最後に控えている胃カメラで今年も七転八倒しました。看護師さんはすぐに「ああこの人はあかんな」と思ったのでしょう。ずっと私に声をかけ、背中を優しくさすってくれました。私は涙とよだれにまみれながら心の中で手を合わせました。受付も検査室もプロの仕事は頼りになるものです。とすると、上品で繊細な彼女も括約筋の話などへいちゃらだろうか。これは慎重な検討を要する事項です。次回は身を清めて金時鐘さんの講演会の報告を行います。

<追記>
 記事をアップした後、二人の友人に「あなたのことがブログに書かれているよ」と通報しておきました。Nさんからの返事に「自分は残念ながら上品でも繊細でもない」と前置きがあり(それが上品繊細の証拠なのですが)、「過活動膀胱の原因の一つに骨盤底筋の筋力低下があり、筋トレは理にかなっているようだ」と書かれていました。心強いセカンドオピニオンです。

 T君からは返事なし。というのもつい先日、彼が送ってくれた「肉とすっぽん ~日本ソウルミート紀行~」(平松洋子・文春文庫)についてメールのやりとりをしたばかりです(これは自治体職員OBとしても心惹かれる肉と地域と人々のドラマ)。彼はヒマ人の私より多読で「縄文人」や「暗闇ハイキング」のことまで知っています。無類のエッセイスト伊藤礼(伊藤整の子息)を教えてくれたのも彼です。まあいずれにしてもファーストオピニオンはゲット済みです。