2025/10/16

289)シゲルとサナエ

  「 高市さん、真っ先に自民党の本領発揮で清々しいですね。公明党が気高く見えるような展開に目が離せません。野田さんの節操のなさも印象深いことです。次々善の政治で未来につながればまだしもです。」とは 友人T君の弁です。「大津通信」の専属無給カメラマンでもある彼は、きのう秋の写真を4分割してメールで送ってくれましたが、各メールに1行ずつ上記の言葉が付されていました。

 また友人O君は、わが家の修繕費と総裁選の結果を嘆いた前回記事(番外編)を読んで次のメールをくれました。「1000万のほうが高市よりタイヘンや。その営業マン、ようまあ、そんな金額をシレっと言えたもんやな。立民の本庄が『麻生家に嫁入りした高市さん』と云うて、女性蔑視やと責められとる。俺は上出来のレトリックやと思うけどな。『嫁』の一文字は高市の立場を射抜いて雄弁やで。茂呂の高市論はいかに?」とあります。

 T君もO君も私の気のおけない友人であり二人ともうまい書き手ですが、おかしいほど文体が違います。考えてみると私を含め大抵の人はT君のように「書き言葉」で書きますから、肉声をそのまま文字に移した「テープ起こし」のような文章をつづるO君を異才と呼ぶべきかも知れません(彼は記事287でも活躍しています)。二人の声を受け私も政局について少し書きます。

 「公明離脱」に色々と裏事情があるにしても、同党が裏金問題を重要視していることは間違いないでしょう。「政治とカネ」は大きくは政界全体の課題ですが、自民党においてはそれが体質と化しています。だから反省しようがないのでしょう。このままでは泥船だと公明党が考えたのは当然です。もちろん四半世紀にわたり与党であった公明党がひとり清廉潔白であったとは思いません。

 ヘリコプターの尻尾の先についている小さなプロペラの役割を公明党は果たしていました。本物のヘリなら墜落しますが、自民党は落ちないかわり右旋回するでしょう。「えいくそ、こうなったらとことん行ったるでえ」と奈良の女は思っているかも。参政党は「ええぞええぞ」と喜んでいます。現金なもので玉木氏は急に態度が大きくなりました。節操がないとT君に評された野田氏にとっては野党第一党の真価が問われる正念場です。

 この騒ぎをよそにペキンダックの石破首相が輝きを増しています(消える前に強く光る星のように少し切ないけれど)。石破氏の戦後80年の談話は、いくつか問題があるにしても全体として良かったと思います。いまに生きる私たちは、日本が負けると分かっている戦争にレミングの群れのように突っ込んでいった恐ろしい過去を「知識」として知っていますが、その歴史を決して忘れてはならないと石破氏は強調します。

 そんなこと当たり前と言ってしまえばそれまでですが、「議会やメディアが政府を監視すべきこと及びその基盤には歴史に学ぶ姿勢がなければならないこと」を首相が語った意味は決して小さくありません。彼はまた「無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たねばならない」と訴えました。これは首相自身のこの一年の反省であり、同時に後任者に向けたメッセージでしょう。高市氏は「そんなもん知るかい」と言ってはなりません。

 この談話には欠落もありました。先の大戦をめぐって帝国憲法下の議会、政府、軍などを論じる際に天皇制を避けて通れません。「天皇陛下バンザイ」と叫んで戦死した兵士が何人いたか知りませんが、そうした行為が推奨、称賛されたという事実一つとってもそのように思います。しかし石破氏は「天皇機関説」について少し触れただけで「天皇」についてはまったく言及しませんでした(やはり言いにくかったでしょうか?)。

 近代の天皇は明治の国づくりの中で「誕生」しましたが、当時の社会に広く共有されていたであろう封建的精神の残渣と新国家への期待感がそれを後押ししたはずです。ゆえに天皇は西洋の君主と少し異なる力を有していたと思います。こうした国民感情(崇拝の念)とアメリカの打算とにより1945年に「国体」が護持されました。そんな日本を外から見ると、「戦争の落とし前を国民が自力でつけることなく、戦前戦後の苦しい断絶も経験せず、ひたすら繁栄を求めてきた自分勝手な国」と映るかも知れません。どの国も利己的であるとはいえこの見方は実態に近いと思います。靖国神社や慰安婦の問題がいまだに「尾をひく」原因はこれでしょう。

 戦後50年に出された「村山談話」は、こうした海外の眼(とりわけアジアの眼差し)に向き合い、日本の行った植民地支配と侵略を謝罪したうえ平和憲法のもとで国際協調の道を歩みつつある日本の姿勢を説明する点に意義がありました。戦後70年に際し、安倍首相はこの言葉のニュアンスを変えつつ「子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と言いました。そして石破氏もまた、戦争の歴史を語るうえで避けて通れないアジア(とくに朝鮮半島、中国大陸)に言及しませんでした。これも石破談話の欠落です。

 政府は「いいかげんに謝罪をやめたい」と考えているでしょう。しかし最近の報道をみても、朝鮮半島出身の戦死者の靖国合祀を取り消して欲しいと遺族が訴え、また、1942年の長生炭鉱の落盤事故で生き埋めとなった労働者183人(うち136人が朝鮮半島出身者)の遺骨を回収して欲しいと関係者が切望していますが、政府はまともに取り合っていません。これでは近隣国から「まだケリがついていない」と言われても仕方がありません。思いを態度で伝えるべきことは個人も国家も同じだと思うのです。

 ホメたりケナシたりしましたが、日本が置かれる安全保障環境が厳しいからこそ歴史に学ぶべきだという石破氏の言葉を銘記したいと思います。どの国もそうあるべきです。被害国である韓国も一方で加害の歴史を持っています。朴正熙政権はベトナム戦争(1955~1964年)に32万もの兵士を繰り出し、その一部が民間人を虐殺しました(ソンミ村事件と同様)。この事実は軍事政権下で長く伏せられていましたが、1999年、韓国の研究者であるク・スジョンの調査により明るみに出て社会に衝撃を与え、国の歴史に位置づけられました。

 第2次大戦末期、日本の占領下にあった仏領インドシナが「解放」されたあと、独立を宣言したホーチミンと再占領をめざすフランスとの間に戦闘が起こり、ベトナムは北緯17度線で南北に分断されます。北は社会主義陣営、南は自由主義陣営がテコ入れして大戦争になりましたが、これは朝鮮戦争と同じ構図です。朴正熙大統領は、朝鮮戦争を経済発展の足がかりにした日本を見倣うかのようにベトナム戦争に参戦しました。その過程で現れた戦場の野蛮と狂気です。

 この韓国軍の蛮行をいかに償うかについて韓国内で謝罪と慰霊の運動が広がり、2020年、韓国政府を相手どって「ベトナム戦争民間人虐殺」をめぐる国家賠償訴訟も提起され、2022年、韓国軍が70人余の民間人を虐殺した事件で家族を失い、自らも重傷を負ったベトナム人のグエン・ティ・タン(当時8歳)に対し、ソウル中央地裁は「被告大韓民国は原告に3000万ウォンとこれに対する遅延損害金を支給せよ」との判決を下しました。

 これら一連の経過については「韓国の今を映す、12人の輝く瞬間」(イ・ジンスン著、伊藤順子訳、クオン発行)に収められているク・スジョン(韓国軍の虐殺を明らかにした研究者)のインタビュー記事で知り、それに寄りかかって書きました。ク・スジョンのほかに11人の「輝く人」が登場し著者のインタビューに答えます。

 この本の帯に「誰の人生も完璧に美しくはない。だが、誰にも美しく輝く一瞬がある。韓国社会の片隅で確かな光を放つ122人の声を拾ったハンギョレ新聞の連載の一部を書籍化。」とあります。本の表紙に印刷された12のワードの幾つかは次のとおりです。「セウォル号」、「救急医療の最前線で」、「官僚のジレンマ」、「映画監督イム・スルレ」、「性的マイノリティ」、「民主化後の学生運動」、「障害者と生きる」、「フェミニズムアート」など。

 日本にも韓国にもすごい人がおり、誰の人生にも輝く時があると分かって言うのですが、韓国のすごい人って本当にすごいなと私は感じ入りました。著者(聞き手)のイ・ジンスンもすごい人です。よい本でした。話があらぬほうに行きました。記事を書くのに手間どっていたら、またO君から「おはよう。参議院で自民党がNHK党と会派を組んだな。これもびっくりやった。」とメールが来ました。








 

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