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2015/12/31

77)まとめ

 これが最終回です。この4か月半、私にとって時に苦痛であっても書かずにいられないこのブログが生活の中心を占めてきました。つたない記事をご覧くださった方々(21万ビュー)、率直なご意見を寄せて下さった方々(600コメント)に心から御礼を申し上げます。本当に有難うございました。

 私の記事は「ホーム」77、「大津市政」24、「関係資料」9、「ごあいさつ」1で、番外編3つを入れて114件です。いずれも市政運営の実態を客観的・中立的にお伝えすることを目ざしてきました。
 市役所の内部事情は外から分かりにくいものです。すこし輪を広げて職員以外の関係者が直接に見聞されたことについても、34万市民への浸透は不可能です。
 大多数の市民は、テレビ、新聞、ネットの二次的情報によって得た「イメージ」によって市政のトップにいる市長を評価されるのであり、それが投票行動に反映されます。

 実態とイメージに多少ズレはつきものでしょう。しかしズレすぎると間違った選択に行きつきます。私は、最年少女性市長・弁護士という金看板をもつ越市長を2年間支え、その後は外部から注視してきました。一方で越市長の対外的パフォーマンスと報道の関係についても注目してきました。
 また、様々なパイプを通じて大津市の世論を探ってきました。
 そして実態とイメージのズレが時間の経過とともにますます大きくなりつつあることに気づきました。幅広い市民に実態をしっかり見て頂きたい、これがブログを始めた動機です。

 いまだに世間では、「祖母の家族介護の体験から出発した政治家、教室のいじめと戦う市長、涙をのんで断固たる行革を進める改革者」という越市長のイメージが優勢かもしれません。
 しかし、その実態は、少なくとも私の直接知る限りにおいて、高齢者福祉のお金を子育て支援に回すことを協議で公言し、庁内連携と費用対効果に大きな疑問符がつくいじめ対策に大金を投じ、弱者直撃であると議会も危ぶむ国保料の大幅値上げを主張し、トップダウンで地域の力を削ぐような施設統合を進めようとする市長です。

 つまるところ越市長はどのような市長か。これについて最後にもう一度、記事45の定義を繰り返させていただきます。
 越市長は、「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」です。
 ブログによって私自身を曝したため、ずいぶん多くの方々から面談のお申し出を受け意見交換する機会を得ました。こうした機会によって、また多くの方からコメントを頂くことによって私の物の見方も多少は鍛えられてきましたが、いま平静な心で考えて越市長に関する私の定義に間違いないと思います。

 この定義の中で最大の問題が「資質に問題を抱えた」という部分です。
 ここで資質というのは、ホームの記事12から16あたりに書いたとおり、「聞く」、「信頼する」、「任せる」、「自省する」、「共感する」といった社会生活を営む人間にとってごく基本的な資質です。
 市長という存在は一人で市役所を体現するわけですから、内外に対して少なくとも人並みの資質を発揮することが求められます。
 なぜなら、これまた繰り返しになりますが、職員のモチベーションとトップの人間性が深く関わっていること、まちづくりはプロセスが極めて重要であること、組織や機関相互の一見無機的に思われる接点で人間性がモノをいうことによります。
 この見方にうなずく職員や関係者は多数おられると思います。それよりさらに「外側」におられる方々にとってはどうでしょうか。私は実態とイメージの不幸なズレが少しでも小さくなることを祈るものです。

 話は変わります。皆さまのおかげで「情報広場」が立ち上がったことにも感謝しております。
 本日の私の見解に対しても、1月9日まで忌憚のないご意見をいただきたく存じます。
 この情報広場が次の二つのことに役立つなら本当に幸いです。
 まず短期的に「市長選における適切な個々の選択に資すること」、そしてより長期的に「大津のまちへの関心が深まること」の二つです。

 最後に皆さまに申し上げますが、市役所は市民のためにあるもので職員はそのつもりで日々仕事をしています。「何でも右肩上がり」の時代が過ぎて少子高齢・人口減少社会を迎えることとなりましたが、これまで記述してきたとおり、大津の人、まち、自然は安泰だと思います。
 職員の方々には、時にハラハラさせられるブログであったかも知れません。職員であれば「市長が悪い」で済ませられません。それを承知であれこれ批判もいたしました。今後のプラスになる部分だけお心にとめて頂ければ幸いです。私も資格があって言うのではなく、やむにやまれず発言してきました。失礼の段はどうぞご容赦ください。

 市長選挙まで17日です。
 このブログの情報広場に立ち会われた皆さまには、ご自身のご感想・ご意見を多くの方々にお伝え下さるようお願い申し上げます。それが口づてに広がって明日の大津をどうするべきかの議論が深まり、よりよい選択に結びつきますよう、他ならぬ大津のまちのために心から祈念申し上げるものです。
 最後の写真は「棚田日詩」からいただきました。棚田もひと・まち・自然のすばらしい協働の産物と言えるかもしれません。


 







 

(番外) 記事一覧

 パソコンと違ってスマートフォンの画面にはホームの「記事一覧」が表示されないため、そのページを用意しました。各表題をクリックすると該当ページに飛びます。ぜひご利用くださいますよう!

1)はじめまして ~波まかせの心~ 

2015/12/30

76)まちづくりの課題解決に向けて(後編)

 前回は越市長が策定された大津の今後5年の活性化方針である「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(平成27~31年度)をテーマに国と地方の関係を考えました。地方の立場から「国こそしっかりしてくれ」と注文をつけましたが、もちろん地方も頑張らなければなりません。その頑張りどころとして地域コミュニティの再生を考えたいと思います。

 越市長の「まち・ひと・しごと戦略」は国の基本目標を受け、「子育て支援・女性活躍の推進」、「近隣と市内就業 '' 快適家族 ''」、「インバウンド魅力倍増」、「持続可能なまちの再構築」という4つのテーマを掲げています。スポットライトを浴びているのは「子育て世代」、「働く女性」、職住接近の「快適家族」であり、少子化対策が喫緊の課題であるとはいえ、越市長の興味・関心が自分と同じ年代層に集中していることが伺えます。

 高齢社会であるにも関わらず高齢者自身は施策の対象にさえならないのか(?!)と目をこらすと、「持続可能なまち」のテーマに位置づけられた「その他大勢」的な施策の中に申しわけ程度の記述がありました。
 高齢者は若者と同じく今の社会に生きる主体(まちづくりでも大活躍している)であり人口比の大きい年齢層ですが、いくら何でもその扱いとして軽すぎるのではないかと感じます。
 これでは一線を退いた後、生涯現役をめざして張り切るシニア世代から「越さんは高齢者に無関心である」「高齢者に冷たい」などという苦情の一つや二つ出ても不思議ではありません。

 4つのテーマに戻りますが、これらはすべて地域コミュニティの健全性を拠り所としています。
 「戦略」の記述を見ると「子育て」のテーマでは、安心して生み育てられる社会の実現を支えるものとして「地域内で助け合うコミュニティ」の重要性が指摘され、「快適家族」では「住民同士の心が通い合う風土の魅力を高める」とされています。
 さらに国外から誘客をめざす「インバウンド魅力」では、おもてなし(見る間に手垢のついた言葉です)の基礎として「あたたかさを意識したコミュニティの絆」が、また「持続可能なまち」では「地域への関心を高め愛着心を育む」ことの重要性が強調されています。こうした考えは妥当なものだと思います。

 そこで今後ますます地域づくりの重要性が増してきますが、越市長に行政のトップとして地域コミュニティの再生の旗振り役を期待することはまず無理でしょう。
 越市長が、地域を支える住民の活動に対していかに無関心・無理解であるか、地域の財産である市民センター(支所+公民館)の機能をいかに軽視しているか等々、繰り返し書いてきたとおりです(先日、公民館のあり方協議の議事録を読み返し、越市長の浅慮と強引さを再確認しました)。

 ここから本論です。人口減少・少子高齢時代の社会づくり、地域づくりにおいて高負担高福祉の北欧流も一つの解ですが、低負担で安心社会を実現している沖縄がむしろ日本型モデルになるかもしれません。以下、沖縄の事例を簡単にご紹介します。
 なお、昨日の記事におけるわが国の動向や諸外国の例、これから記述する沖縄の話などは大津市の中心市街地活性化基本計画(第1期)の策定でお世話になった立命館大学の高田昇教授の論文「大都市圏における『地方創生』」からの引用や、最近お目にかかってお伺いした内容です。 体系だった高田教授のお話から私が任意にピックアップさせていただいたことのお詫びとお断りを申し上げます。

 非婚、晩婚、晩産などが少子化の要因とされていますが、少子化を克服しているフランスや北欧では「非婚」による出産・子育てを社会が支え、結果として出生率の低下を食い止めている側面があります。沖縄の離婚率は全国平均の1.7倍と群を抜いて1位ですが、それでも安心して生み育てられる地域社会があり、出生率は12.2人(人口千人比)とこれまたダントツの1位です。
 ここでシングルマザーを奨励するつもりはありませんが、結婚と少子化をセットで考えるだけでは女性への責任転嫁に終わりかねません。
 
 子どもを生み育てたいと望む女性が、どんな境遇にあってもその望みを叶えられる環境づくりが重要ではないか。そして問題の核心は、安心して生み育てられる社会をどう作るかであり、その主な要素は、人生のライフステージの各段階をクリアして健やかな高齢期を迎えることのできる「社会のあり方」である。とは高田教授のご指摘であり、私もそのように思います。それは制度設計と地域づくりの併せ技で目ざすべきものであると思います。

 沖縄は年少人口の割合(18%)も全国(13%)に比べ格段に高く、若者が転出しない、むしろ転入するという傾向があります。これはその背景に地域経済、文化、医療、コミュニティ等の面で希望をもって暮らせる環境が整っていることを示唆するものです。
 県民所得は低いのですが家賃が東京の半分であるように物価水準も低く、貯金に頼らなくても不安が少ないという利点があります。
 基地経済に支えられているとの指摘もありますが、県内総生産に閉める基地関連収入は終戦直後に50%、本土復帰時に15%、現在は5%にすぎません。国庫支出金と地方交付税の合計も全国17位、人口当たりでは6位です。

 また沖縄は、今の日本経済の弱点となっている製造業、輸出産業への依存度が低い反面、年間観光客数は15年間で300万人から600万人に倍増、外国人観光客も今年上半期で既に66万人を数えておりたいへん好調です。
 また、IT産業に県独自の優遇策(通信コストの7割削減)をとることやインターネット接続拠点(GIX)の構築を進めることで、IT関連産業はここ10年余りの間に52社(2002年)から346社(2014年)まで7倍増し、県の目玉産業の一つとなっています。
 地域経済の構造自体がすでに全国を先取りする形で若者の誘因に一役買っています。

 こればかりでなく、沖縄の強みは共助のコミュニティがいまもしっかり引き継がれていることにもあります。地域の「子育て力」や高齢者を支える「地域包括ケア」が重視される中で沖縄が共助社会を維持している事実に注目すべきであると思います。
 さらに、いつでも誰でも受け入れる医療の独自体制も注目に値します。その中核を担っているのは県立中部病院で、ここは縦割り組織を越えて病院の全診療科が連携して患者を診るシステムを構築しており、24時間365日受入れOKをうたっています。
 いろんな患者に対応することで研修医希望全国一でもあるようです。設備や金ではなく、人の協力により医療不安のない地域社会を実現していることも、安心して生み育てるための条件となっています。

 これらの土台に、独自の高い食文化や芸術文化、日々のゆとりある生活時間、やわらかでぬくもりある地域の人間関係、自然と生きるスローライフの遥かな先取り等が、子どもの成長、若者の活躍、高齢者の現役生活の源泉であり、生活習慣病やがん死亡者数で群をぬく好成果につながっている点も見逃せません。
 そうした土壌は450年不戦の琉球王国の平和主義に培われ、その理念がいまに受け継がれて命どう宝(命こそ宝)という県民共通の価値観となっていることはよく指摘されるところです。
 幼いころから競争にさらされてストレスのたまる人生と社会、食べ物から環境、医療にいたるまで身の安全を守るのに苦労する日々、あまりに重い子育てと教育の負担、こうした社会からの脱皮こそ少子化・人口減少を乗り越える道ではないか。沖縄はこのような問いかけを発しています。
(少子化・人口減少問題をめぐる諸外国の政策や沖縄の状況及びそれらをどう読み解き方については高田先生のご教授によります)

 こうした沖縄の良い所をそのまま大津に移植するわけにはいきません。沖縄県と大津市では自治体としての区分も規模も違いますし、歴史、文化の背景も異なります。
 しかし、向こう三軒両隣、遠くの親戚より近くの他人、地震や土砂崩れの助け合いはまず近所同士です。大津市基本構想は「結の湖都」を掲げて「助け合い・お互いさまのまちづくり」をうたっています。新たな「総合戦略」の底流をなすのは地域コミュニティへの期待です。
 このように考えてくると、「沖縄のまちづくりをいかに地域コミュニティが支えているか」という関係性を学ぶことは大いに可能かつ有効であり、それは大津の個性ある各地域の潜在力を正しく評価するためにも役立つと思います。

 越市長が地域に根ざした優れたリーダーでないことはきわめて残念ですが、地域にとって、市民にとっては、市長が唯一無二の絶対権力者ではありません。
 市内各地域に蓄積された力や主体性、自発性により大津のまちづくりが進んでいくことと思います。
 そしていずれ、そのような地域を尊重し、まちづくりを担う人々に敬意と共感を寄せるまっとうな市長・行政とのパートナーシップにより各種課題の解決が図られていくことと思います。
 本格的な少子化・人口減少時代を迎えて、すべての市民がライフステージの各段階をクリアして安全に健やかに高齢期を迎えることのできる社会を構築することは行政の使命です。
 国も地方も協力してこれを追求していかなければならないと考えます。


 


 





 
 

2015/12/29

75)まちづくりの課題解決に向けて(前編)

 大風呂敷のタイトルで恐れ入ります。まちづくりの課題は大きく深い話であり、一個人の私に妙案があるはずもありません。ここではネット上の「情報広場」に向け、謹んで私の感想を提出するだけです。本来、課題解決の第一歩は①市長がまちづくりの哲学あるいは理念を持つこと、②それを市民に語りかけること、③それに市民が応じることであると思います。
 
 条件①および②は現状ではとうてい困難です。越市長は資質、姿勢、実績においてとてもその域に達しておられないというのが私の意見です。もし越市長にご異論があるならば是非伺いたいところです。越市長の哲学の開陳をもっとも待ち望んできた者の一人が私です。
 しかし、今ここで述べようとするのは大津市の内部事情ではなく、「国の政策」や「国と地方との関係」です。これを前編とし、後編には地方の問題として「大津の可能性」を考えたいと思います。

 いま国は本格的な人口減少社会を迎えて「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」を打ち出し、日本の一大事に際して地方も頑張れとラッパを吹いています。全国の自治体がこれに呼応し、大津市も「総合戦略」をつくって対策に着手しようとしています(この戦略については前々回、73の記事で少しふれました)。それはさておき、そもそも論を考えてみたいのです。
 
 国の長期ビジョンは「人口減少・少子化対策」、「成長戦略」、「地方の活性化」の3つの狙いがあり、中でもクローズアップされているのが人口減・少子化です。その原因は地方にはなく、非婚、晩婚の女性にもありません。ひとえに国の人口政策によるものです。
 また、東京一極集中にしても、故郷を後にする若者に責任はなく、国の都市政策の結果です。
 その後始末のため国が「長期ビジョン」のラッパを吹き鳴らしているように見えます。
 
 かつて、社会が成熟し活力を失うことは先進国の避けがたい道とされ「英国病」の言葉もありましたが、1980~90年代に有効な対策を講じた国とそうでない国の二極化が進んでいます。
 北欧諸国は税率を上げる一方、出産、子育て、教育、医療の負担をゼロ近くまで引き下げ、フランスは経済支援より保育の充実や出産、子育てと就労に幅広い選択肢を用意しました。この結果、スウェーデン、米国では人口が1985年ごろに人口が回復に転じ、フランスは1990年頃、イギリスは2000年頃に立ち直って、合計特殊出生率は1.9~2.0を維持するようになりました。
 このように先進国の宿命とされていた少子化・人口減少はすでに世界的に克服されつつあります。

 それに引き換えわが国の無策ぶりは目に余ります。人口の急減は世界のワーストグループで、特に大都市ほど子どもを生み育てにくい状況となっています。一極集中の東京の合計特殊出生率はわずか1.15であり、これが全国の少子化の原因であることを国も認めています。
 国は地方創生を言う前にまず、これまでの無策を懺悔し、「国策」として少子化・人口減の歯止めに全力をあげる必要があります。
 ちなみにいつも感じるのですが、国とは、あまり反省を語らない存在のようです。人口政策だけでなく原発政策、年金記録、長く人権を無視した「らい予防法」、国立競技場の問題等々、責任ある人から真摯な反省の弁を聞いた試しがありません。
 
 話を戻しますが、大都市圏VS地方(地方都市や田舎)という枠組みで考えないと、地方は小さなパイを奪い合って共倒れになりかねません。記事73で書いたように、地域共闘によりもっと大きなパイを寄こすよう国に求めることもありだと思います。もっとも国は、地方にいわれるまでもなく都市政策として人口と経済活動の極端な偏在を是正すべきです。地方への税源移譲も積極的に進めるべきです。

 この10年で人口が増加したのは滋賀県を含め幾つかの県や都ですが、今後10年の増加見込みは東京だけ、その中身は社会増(毎年10万人!)であり、この首都圏への人口集中(30%)も世界的に見て異常です。より早くに強力な首都圏を形成した英、仏では10数%、独、伊、米はそれ以下。日本は半世紀をかけてせっせと特異な一極集中を進めてきた歴史があり、併行して他の大都市圏と地方の衰退が進んできました。

 一方、国の調査では東京に集まった住民の4割が脱出を希望しており、国の総合戦略でも受入れ体制をとるよう地方に求めています。しかし地方にとって、働き疲れて戻ってくる人々は基本的にウェルカムながら、医療、介護の問題がすぐ後を追いかけてきます。頼みの綱の国の社会保障政策も、これまで場当たり的な対応を重ねてきたと思います。

 何やら年末放談の様相を呈してきましたが、要は大津市にとってもたいへん重要な「地方創生」の取組みに際して、国と地方の役割の区別を見極めること、国の役割の遂行に対し地方が束になってものを申すこと、その上で地方は自分の役割をきちんと引き受けることが大切です。そうでなければやがて日本全体が「じり貧」になりかねません。
 越市長の作られた「まち・ひと・しごと創生総合戦略」には、こうした問題意識が薄く、施策も厚みを欠いたものとなっています。

 ではどうすべきかと問われると私も困るのですが、少なくとも地域コミュニティの意義を正面から論じ、その再生を図ることを基本に据えるべきであると思います。
 越市長にはこの視点も希薄です。市民センター(支所・公民館)の統廃合への姿勢をみるだけでよく分かります。
 前半はこれくらいにして、次回は地域コミュニティの再生について考えてみたいと思います。







 

2015/12/27

74) ブログの今後について

 様々な出来事があったこの年も終わりに近づきました。今日は多くの職場で仕事おさめ式が行われることと思います。みなさま1年間本当にお疲れ様でした。ブログをご覧くださったことにも心からお礼申し上げます。

 ブログの今後の予定を申し上げます。
 メインテーマは越直美市長の1期における市政運営を考えることですから、その任期満了日(平成28年1月24日)をもってブログを閉鎖します。
 それまでの予定として年内にあと3回記事を書きます。「まちづくりの課題の解決に向けて」を上下2回に分けて記載、最後に「まとめ」(まとまるかどうか分かりませんが)を書いて除夜の鐘を聴きたいと思います。
 1月1日以後は記事を更新しませんが、皆さんからのコメントは1月9日(告示前日)までお受けしたいと思います。
 1月17日の選挙結果を踏まえて「最後のご挨拶」を書き、1月24日にブログを閉鎖しネット上から消去します。
 皆さまにはあと少しのおつきあいですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。




 

73) まちづくりの課題(市役所パワーの維持・増強)

 個別の課題は他にもありますが、少し切り口を変え「行政の出力」について考えたいと思います。すなわち「市役所パワー」の考察です。大きなトレンドで見ると、少子高齢・人口減少時代を迎えて生産年齢人口の割合と絶対数が減るわけですから税収の減少を前提にものを考えなければなりません。
 したがって税収に基づく「公助」や個人の活力による「私助」に対して、中間領域である「共助」の役割がおのずと比重を増してきます。これは「公」がお役御免になるということではなく、反対に限られた資源の中で行政が如何に高度のパフォーマンスを発揮するか、あわせて如何に「共助」を豊かにするための働きかけを行うかという面で「公の使命の追加」であるということができます。
 市役所パワーの重要性が増すゆえんであり、越市長のリーダーシップと職員のモチベーションが問われます。

 ここで越市長の組織マネジメントについて考えるわけですが、幾つかの大きな課題があると思います。
 人事では、もの申す職員を遠ざける、1所属の大幅入れ替えも辞さない、人材育成の視点に乏しい厳罰主義といった傾向があります。
 予算編成においては細かな「万円査定」や、カットと押し付けの「併せ技」等により部局や財政課の判断が軽視されがちです。
 庁内協議では、二役会・部長会が不活発なことにくわえ、周囲の意見をかえりみず先入観に頼る、外部人材への信頼と対をなすごとき職員への不信頼といった傾向を否定できません。

 時には多数の協議等の際「私は商店街が滅びてもいいと思っている」、「高齢者福祉のお金を削ってでも子育て支援に回す」、「教育委員会は不要だと思う」などと不用意な本音発言をされることもありました。
 これらの結果、すでに私の在任中から市役所内に閉塞感が広がりつつありましたが、今はその程度が確実に増しているようです。
 こうした中、職員の皆さんは法令と使命感に基いてそれぞれの持ち場で頑張っておられるわけですが、この状況が継続するとモチベーションの低下が懸念されます。
 市長をトップに市役所が一丸となってパワーを発揮することが強く求められる時代において、これは大きな課題であると考えます。
 

 「共助」を強く豊かにするための市の働きかけはどうでしょうか。リーダーである市長の対外的な言動が問われるところです。
 すでに書いたことですが、越市長は市民団体や地域組織(防犯、防災、女性、市民スポーツ、文化、生涯学習などの諸団体、さらに公的な機関である学区社会福祉協議会や民生委員児童委員協議会など)に対しては、従来、大きな関心を払われませんでした。
 そうした人々の話を聞いたり共感を寄せる姿勢に欠け、それらの人々がボランティア精神に基づいて行っている「共助」の活動を鼓舞しようとされないことを私は常に残念に感じていました。
 また、経済団体、三師会、大学など関係機関とのお付き合いも極めて淡白で、どちらかというとギクシャクしたものであり、対話の不足や杓子定規の対応によって不信を買うこともありました。
 住民への説明(例えば教育問題や廃棄物処理に関する地元協議)においては、市の最高責任者として正面から向き合う姿勢が弱く、部下まかせとなりがちでリーダーシップにかける点があったと私は感じています。
 
 さらに「共助」の考え方を市外に拡大すると近隣市との連携協力の問題になります。
 ここでも越市長の大津市代表としての働きぶりはあまり芳しくありません。
 まず、市長会など県内他市長との公式会議(会場はほとんど大津市)への欠席が多いことが気にかかります。出席された際の発言やそれ以外のトップ同士の接触の場においても、他都市の首長の印象はよくありません。基本は「よそはよそ、うちはうち」ですが、広域的な課題(琵琶湖、交通、防災、観光、後期高齢者医療など)の解決に他都市との連携協力は欠かせません。
 こうした局面で越市長のお得意の「トップセールス」は一向に発揮されません。

 ついでながら、新たなまちづくりの指針である「大津市まち・ひと・しごと創生総合戦略」のなかで転入人口の増加を図るべく「県内や近隣の都市から若い家族に大津に移り住んでいただいて、、」という記述があり、その了見の狭さにガッカリしました。
 都市間競争とはいうものの、本来、地域創生は東京一極集中に代表される大都市圏と地方との構造的構図的課題に向き合うべきもので、そのための地域共闘があってもいいとさえ思います。ここは、「京阪神から誘因する」という表現だけでよいと思うのです。

 脱線しましたが話をまとめます。
 私は越市長の市政運営により行政の出力が大きく低下しつつあると感じています。客観的評価にはなじみませんが、庁内外の多くの人々から同様の感想を聞きます。
 職員はじめ関係者の努力は大いに多とすべきであり、あまり悲観的になってはいけませんが、長のマネジメントは組織を大きく左右します。
 こうした状況が「普通」にならないよう祈らずにはいられません。


2015/12/26

72)まちづくりの課題 (市立幼稚園のあり方)

 「理念なき行革」を進める越市長が市立幼稚園の統廃合に際し掲げる大義名分は「教育的観点からの集団の適正規模の確保」です。たしかに教育委員会も、1クラスの園児数として4歳児は20人以上、5歳児は25人以上、各学年で2クラス以上の規模が望ましいとしており、一定規模の集団に揉まれることの教育効果は常識的にも理解可能です。
 しかし、市民ニーズの多様性や地域との関わりなどを考えると、集団確保一辺倒で十分なのでしょうか。さらに、幼稚園の在り方検討においても「階段の2段目」から踏み出す越流スタートを切ったことにより保護者の不信を招いているように見受けられます。

 市は、10月下旬から12月にかけ、「市立幼稚園の規模適正化に向けた実施計画案」の保護者や地域に対する説明会を行い結果を公表しています。説明会では参加者から次のような意見が出されました。
・3年保育をすれば園児も増える。統廃合の検討を行う前に3年保育を優先して実施してほしい。
・子どものためと言うのであれば1年でも1日でも早く3年保育の実施が必要。
・統合しても従来の2年保育であれば園児数は増えずに同じことが繰り返されるのでは。
・預かり保育の時間延長をしてほしい。実施日も増やしてほしい。
・小規模園には小規模園の良さがある。画一的に基準を設けるべきでないと思う。
・園が小規模になったのは市がニーズを捉えていなかったからではないか。
・集団行動になじめない子どものためには小規模園も必要ではないか。
・集団生活を体験するために幼稚園に行くので、ある程度の集団規模は必要だと思う。
・一定の集団規模が必要なのは理解できるが、解決方法は統廃合だけか。
・市立幼稚園、小中学校は地域の核であり、出来れば残してほしい。
・地域との連携というが統廃合された地域からなくなれば連携も難しくなる。
・学区に1つは幼児教育施設が必要だと思う。
・(統廃合されると)小学校との交流、学びの連続性が失われる。
・市民の意見をしっかり取り入れてほしい。等々

 かなりの部分を引用しましたが実際にはもっとこれら多くの意見が出されています。
 越市長は、まずこのような意見をしっかり聞いたうえで適正化計画の作成を指示するべきではなかったでしょうか。階段の2段目とはこのことです。
 「意見を聞くには手ぶらで地域に出かけられない。たたき台を示す必要があった」と越市長は反論されるかも知れません。しかし適正化計画はすでに具体的な実施計画のレベルになっています。これから市民の意見をきちんと反映することが現実的に可能なのでしょうか。また、越市長にその意思があるのでしょうか。

 実はこれらの市民意見は「現場の認識」とも共通している部分が多いのです。
 これまで担当課は、3歳児保育の実施をはじめとして多くの意見具申を行ってきましたが、越市長はまったく聞く耳を持たれませんでした。その模様は私の記憶ばかりでなく、教育委員会の会議録にもしっかり残されているはずです(公民館のあり方協議でもまったく同じ状況でした)。
 その結果として、適正化計画は越市長の意図を色濃く反映したものとなり、それに対して上記のような市民意見が出されたわけです。

 先の記事で市民センター統廃合を理念なき改革と言いましたが、幼稚園、小学校の在り方を検討する際にも、その根本に「これから地域はどうあるべきか」というビジョンが欠落しています。
 もちろん、教育については「まず子ども自身にとってどうか」という視点が重要であることは言うまでもありません。しかし「集団の確保」を最優先することについて、どれほど多角的、専門的な検討がなされたのか、市民の要望との調和を図ることについてどれだけの工夫がなされたのか大いに疑問です。小学校1年生からの英語教育にしても同じことが言えると思います。
 越市長の「理念なき改革」は一体どのように評価されるのでしょうか。














2015/12/25

71) まちづくりの課題(乳幼児健診)

 市長の「失政」とは何か、とは重大な問いです。「目立った失政がないから越市長を応援する」という考え方が政界の一部にあるようですが「首長の役割」や「市民の利益」を顧慮しない考え方であると思います。

 昨日は越市長が進める「市民センターの統廃合」をテーマとしましたが、これに対し「越市長の理念なき行革は失政である」であるとのコメントをいただきました。私も同感です。
 また、「越市長が進めてこられた行革がらみの各種検討がこのところストップしている。選挙後が心配である」という趣旨の職員の方のコメントがありました。この話は各方面から聞くので間違いないと思います。これらこそ、いま、市民に対してしっかり説明すべき事項だと考えます。
 昨日の記事にも書きましたが越市長は市民への説明責任を果たされるべきでしょうし、そのことを議会も市民もしっかりと問うていくことが重要だと思うものです。

 さて今回は「乳幼児健診の委託」を取り上げます。
 大津市は、かつて複数の専門職(医師、歯科医師、保健師、発達相談員、歯科衛生士、栄養士など)による連携対応システムを構築し、健康カード(乳幼児期の個人カルテ)やボイタ診断法を導入して障害をもつ乳幼児の早期発見・早期対応その他に大きな成果を上げました。
 これは「乳幼児健診大津方式」と呼ばれて全国的に注目され、安心して子どもを産み育てられるまちとして広く知られるところとなり、わざわざ大津に引っ越す人々も現れました。
 当時、私は福祉の分野にいましたが、この健診があるから大津に転入したという家族を何例も知っています。

 それから年月が経ち大津方式はとうに全国標準になっていますが、伝統というのは不思議かつまことに有り難いもので、本家である大津市においては依然として直営により高いレベルの乳幼児健診が継続されてきました。三師会との連携も良好であり、保健所の職員の問題意識も高いと私は思います。
 こうした風土が母子保健、さらには市民の健康づくりの地域拠点である「すこやか相談所」を生み出したことは間違いありません(市内7か所)。
 そして介護保険法がスタートしてからは、ここに「あんしん長寿相談所」(法の位置づけは地域包括支援センター)が併設され、赤ちゃんからシニアまで(正確には出生前から看取りまで)を地域で支えるための行政サービスの仕組みが整いました。これは大津の財産だと思います。
(「整った」と言っても完成品ではありません。地域や関係機関との連携・協力により市民のニーズにきめ細かく応えていくことが重要だと考えます。)
(私の在任中の見聞の限りでは、越市長は「すこやか」、「あんしん」の二つの相談所の判別が出来ておられませんでした。さすがに今は理解されたと思いますが)

 
 前置きが長くなりましたが本題の「乳幼児健診の委託」です。
 越市長はこのことについて対外的には何も語っておられませんが、今後「理念なき行革」のメニューに上がるのは間違いないと思います。そして私は専門職を何人削ったと胸をはられるかも知れません(ああ勿体ない!) こうしたことを想定して委託の適否を考えたいと思います。

 乳児は1歳未満、幼児は1歳以上6歳未満、小学校に入るまでが乳幼児ですが、大津市ではこの間に4か月児、10か月児、1歳9か月児、2歳6か月児、3歳6か月児の5回の健診と「赤ちゃん相談会」を実施しています。
 このうち出産後まもない4か月児健診だけは登録医療機関に委託していますが、それ以外は大津方式のスタイルに基づく多職種対応の集団検診を直営で行っています。

 乳幼児健診の委託とは、この直営部分を個別に病院や医院に委託することになります。
 つまり、直営か委託かという選択は、「多職種連携による集団健診」と「医師による個別健診」のどちらにするかという選択です。
 そして乳幼児健診の重点は、医療技術の進歩や社会環境の変化により「障害をもつ乳幼児の早期発見・対応」に加えて「育児が困難な親子の支援、虐待防止、発達障害への対応」などが加わりました。
 また近年の傾向として、高年齢出産、不妊治療などに伴う多胎児出産、支援者のいないシングルマザーや外国人の出産、DV、貧困などが増えており、健診を契機として複雑、深刻な課題が芋づる式に現れ、各行政機関や地域の連携がなければ太刀打ちできない事例が増えてきました。
 医師は高度専門職の代表格ですが万能ではありません。医師単独と、医師を含む多職種連携のいずれが今のニーズに適合した体制といえるでしょうか。

 集団検診は、「親の学校」でもあります。他の親と交流したりよその子どもと触れ合う中でわが子の発達課題に気づいたり、自分の育児の悩みを相対化してみる契機ともなります。孤立のなかで子育てに悩む親にとって心強い出会いの場になる可能性もはらんでいます。こうしたメリットは日時や会場が決まっているとか待ち時間があるというデメリットをおぎなって余りあると思います。

 もし今後、越市長が乳幼児健診の委託方針を表明された場合、その目的は何なのか?いまの
直営・多職種連携・集団による乳幼児健診のどこを問題視されているのか?しっかりお尋ねする必要があります。
 合併を機に乳幼児健診を全面委託したさいたま市では、平成24年度の乳幼児健診において「発達の問題に気づかれた子ども」の人数がわずか0.68%(受診者40,201人に対して275人)。これと別に育児相談など他の手段を加えた数値でも2.04%と報告されています。
 一方、学齢期に達した時の「行動面で著しい困難を示す」とされた児童の割合4.7%とされており、この差である2.66%の子どもたちが乳幼児期に早期発見・早期支援の手を差し伸べられず学齢期を迎えたと指摘されています。
 さいたま市に関する報告書では、発見もれの背景として、多職種連携による集団健診の利点が委託により失われたことへの課題認識が慎重な言い回しで指摘されています。

 大津方式の本家だからそれを守るべきだと単純に主張するものではありません。
 しかし、市の様々な取組みやシステム、体制にはそれなりの理由があります。過去の全否定からスタートするアメリカのビジネス流儀を以前に紹介しましたが、大津市政でそれをやられてはたまりません。不利益をこうむるのは市民です。
 今回も越市長にお尋ねしますが、今後、乳幼児健診の委託を検討されるおつもりでしょうか。その際の理念は一体何でしょうか。
 もし検討されるなら、今の市民のニーズをしっかり見極め、現場の意見に耳を傾けて、集団の英知を集めてそれを行うことが市長の責務であると思います。
 
 先日、新聞で知りましたが、大津の乳幼児健診を考えるシンポジウムが明日開かれるようです。
 これから子どもを生み育てようとする方、お孫さんのいらっしゃる方、保健衛生のお仕事をなさっている方などもお越しになってはいかがでしょうか。越市長も何かとお忙しいでしょうがぜひお運びくださると大いに勉強になると思います。

 シンポジウム 大津市の乳幼児健診:歴史に学び未来を語る
          ~ 子どもと子育てを支える大津市を願って ~

         <日 時> 12 月 26 日(土) 14 時~16 時
         <場 所> 明日都浜大津 中会議室 





 





 















2015/12/24

70) まちづくりの課題(市民センター)

 8月の暑い日に始めたブログのページビューが20万を超えました。テーマこそ公共的ですが個人のつたない表現の場にお付き合い頂いている皆さまに心から御礼申し上げます。今回は越市長が進める「市民センターの見直し」を取り上げます。あっと驚くお粗末な内容です。

 「大津市市民センターの在り方検討について」という資料をベースに記述しますが、その骨組みは次のとおりです。
 まず、市民センターの機能を支所、公民館、地域自治、防災の4つに大別しています。
 次に「支所機能」を見直す要因として「コンビニなど民間の窓口を利用する環境が整ってきたこと」や「市民センター間の業務量やコストの不均衡」が示されています。
 そしてこれらをもとにした庁内委員会および自治連分科会での意見が紹介され、それをどう受け止めたかの見解がないまま、今年度内に「市民センター機能の将来像案」を策定するスケジュールが示されています。
 これらの行間からうかがえるのは、支所間のコストの均一化と全体のコスト削減という越市長のそろばん勘定だけです。

 市民センターの4つの機能のうち「地域自治」と「防災」についてはどのように検討されたのかまったく不明です。これらの検討を行わず住民票の発行枚数だけ数えたり、支所間のコストの不均衡を論ずることは無意味です。
 これで議論せよと言われた庁内委員会も自治連分科会も気の毒であり、出された意見は施設の管理運営や執務スペースに関することなどハコモノをどうするかという視点に引きずられていたように思われます。

 越市長の改革は常に階段の2段目からスタートします。
 1段目で行うべき理念・目的の確認と熟議がなく、いきなり「いかに手っ取り早く経費節減をアピールするか」という方法論から始まります。市民センター、図書館、幼稚園すべて同じです。
 
 今回も越市長にお尋ねしますが、
①人口減少・高齢社会を展望して、②コンパクトシティを目ざすうえで、③公助に比べて共助の比重がます中で、④「地域包括ケア」や「地域の子育て力」や「地域防災」が喫緊の課題となっている今日において、大津市の社会的ストックというべき「小学校区」という概ね徒歩圏の地域ユニットの潜在力をどのように評価しておられるのか、そしてその評価を踏まえて地域をどのように経営していくお考えなのか?

 こうした地域経営の理念があって初めて階段の1段目が踏み固められるのです。
 在り方検討において問題視されている市民センター間のコストや事務量の不均衡(それらを小さくする努力は必要であるにしても)や、さらには統廃合そのものにしても、この理念なしに評価することはナンセンスです。
 この理念を持たない越市長は、その代替物として「さしあたっての経費削減」を唯一のモノサシに行革を進めようとされる、だから2段目スタートと申し上げるのです。

 これでは担当部長以下の職員がいくら優秀であっても良い検討書は作れません。それを持たされ地域に出かけて説明を行う彼らの胸中はさぞ苦しいであろうと思います。ここにも越市長が職員を消耗品のようにみなす姿勢があらわれていると私は思います。そうした職員の努力に支えられていることをどれほど深く越市長が理解されているでしょうか。

 あと3か月で市民センター機能の将来像(案)が策定されます。実務的には大枠は固まっているでしょう。1期目の終わりの時期であるからこそ、越市長は重要な施策について、その方向性だけでも説明する努力を怠ってはならないと思います。
 市民センターしかり、庁舎整備も中心市街地活性化もケアセンターも、この4年間の宿題提出として、結論は無理にしても方向性や考え方を明確に市民に説明すべきであると考えるものです。
 説明責任を果たされていない事項は他にもありますが越市長はご記憶のことと思いますので繰り返しません。


 

 

2015/12/21

69) コメントを頂いて 

 次は市民センターと予告しながら一向に記事が進みません。お忙しいところアクセスして下さった方には申し訳ありません。私も何やら多忙になりましてパソコンの前を離れます。2、3日後には復帰しますので、もうしばらく情報広場の運営にご協力くださいますようお願い申し上げます。

 このブログに掲載したコメントは580に上ります。多くの投稿に改めてお礼申し上げます。最近いただいたコメントに「候補者のことを書いてもよいか」というお尋ねがありました。告示日まえの個人のブログですから本来なら「どうぞどうぞ」と言うところですが、ここで、以下に述べる趣旨をご理解くださいと申し上げるにとどめます。

 これまで何度か書いてきましたが、私がブログを始めた動機は、市政運営の実態を客観的に多数の市民にお知らせすることにあります。ところが世間には「ぬるま湯につかった公務員が急激な改革について行けず、辞めてからまだブツクサ言っている」という先入観まじりの見方があり、私の記述を眉唾で読まれる方も少なからずおられると思います。
 そうした方々に門前払いされることなく、少なくとも私の見聞きした情報だけはお伝えしたい、その上で自由に批判をしていただきたいというのが私の願いです。

 そこでなるべく中立的、客観的な記述により「一応は読んでみようか」と思っていただけるようなブログを目ざしてきました。これが「コップの嵐を外に出す」唯一の方法だと私には思われます。
このブログの表現の中で私が特定の候補者のことを云々するとこのスタンスが崩れます。市政運営の実態を報告するという行為が、特定候補の支援業務と見なされかねません。私は(勝手ながら)ある種の使命感をもってブログを運営していますから、こうした見方は何としてでも避けたいところです。したがって私は現役の市長である越直美氏の市政運営以外のことにはふれないように心がけています。

 これは私自身のことであって、投稿される方々を縛るものではありません。しかし、仮に投稿欄で候補者の品評会が行われるとしたら、ブログ自体もそれなりの色彩を帯びてきます。世間にはそんなブログもあってよいのでしょうが、このブログではそれを避けたいと思います。こうした考えをお伝えして改めて皆さまのご理解をお願いしたいと存じます。

 また、最近のコメントに「市長対策として切られたくない予算を目立たなくする」という記述があり、別の方が「情けない」と評しておられました。
 実は私には、この職員(と思われます)の気持ちが良く分かります。確かにあまり褒められた話ではありませんが、この背景には、職員の意見や提言を斟酌せず、ひたすら関心の薄い分野の経費節減を図ろうとする越市長の姿勢があると思います。
 情けないのは職員か市長か。それが問題です。


 

2015/12/19

68) まちづくりの課題(競輪場もうひと言)

 「公」を持ち出して足どりが重くなったところに個人的な用事が重なって間があいてしまいました。遅れついでに競輪場跡地利用に関する越市長の基本姿勢について思いをめぐらせてから先に進みたいと思います。

 越市長の行われた跡地利用の検討においては「将来的には公園とする」すなわち「当分の間は公園にしない」ことが前提条件とされています。委託業務においても第2次マーケットサウンディング調査を踏まえた整理においても同様です。
 公園では金儲けにならず民間事業者の参入が望めない(民活は無理)という認識から出発されたのだと思います。限られた貴重な財源をどこに使うかを必死に考えるべき状況ですからそれも現実的な選択だと思います。しかし、越市長はそのことをきちんと説明され、市民の理解を得ておられるのでしょうか。

 「当分の間」として想定されている期間は20年間だと思われます。その間も「一定程度」は多目的広場として一部利用される見込みですが、20年後にこの土地が都市計画にもとづく本来の用途である「都市公園」として利用される保証はあるのでしょうか。
 もっと「そもそも論」をいうと、公費投入ゼロとされている条件はまったく問題がないのか?たとえ一部でも公費投入することで現実的な選択肢がぐんと広がるのではないか?そのような疑問も湧きいてきます。
 公費ゼロの妥当性は、他の大きな経費支出、例えば中学校給食の実施、小学校1年生からの英語教育、たとえ一時的にせよ待機児童ゼロを目ざそうとする保育所建設、いじめ対策事業などにかかる経費と比較検討してはじめて市民が納得できるものとなります。もちろん、有利な財源活用の期限が迫っている庁舎整備にしても同じことです。

 越市長のなさり方を率直に申し上げると、まず放置しておき(意図的にか結果的にかは別として)、お尻に火がついてから検討を開始し、しかも極めて重要であるその前提条件の説明は十分に行わず、その後の検討の経過や結果については対照的に十分な説明を心がけるというパターンのように見受けられます。競輪場跡地も庁舎整備も同様の経緯をたどっていると思います。これらは本市の将来にわたる重要な案件です。そういえば国体主会場の誘致で後れをとったことも似た出来事として思い出されます。

 その一方で市民センターや幼稚園の統廃合検討、図書館やケアセンターなどの民営化検討は失礼ながら「拙速」に進めようとされる。どうも市政運営がバランスを欠いているのではないかと言わざるをえません。「市民のため、まちのために本当に何が良いか」という検討に英知を集めて熟議していればすべて違った展開になっていたと思います。
 これを失政と断ずるかどうかは人により見方が様々でしょう。少なくとも私は、越市政が1期の終わりに近づいているにもかかわらず、競輪場も庁舎整備も一向に展望が開かれていないことを大変残念に思っています。




 
 

2015/12/16

67) まちづくりの課題(競輪場その2)

 まちづくりの課題を論じかけるとつい自問自答の脇道に入り込み、短い記述にも時間がかかって尺取り虫の歩みです。そんなところに競輪場の跡地利用に関して考えさせられるコメントを頂いたので立ち止まって競輪場の補足をしたいと思います。 
 跡地利用に際して民間のノウハウと資金活用の可能性を追求すべしと私が書いたことに対し、投稿者はまず、あの一体をどういう空間にしたいのか町のデザインを考えるべきだと述べた上、民間活用はあなた任せになりがちだと述べておられます。まことにもっともなご指摘だと思います。

 まちのグランドデザインである第4次大津市国土利用計画はコンパクトなまちづくりを志向し、大津市を多様な地域の連合体と見たて、琵琶湖と山並みにより保たれているまちの一体性を重視しながら各地域の個性の発揮をめざす方向性を打ち出しています。
 その中で競輪場一帯は、大津京駅、皇子山駅周辺の「西大津都市核」を中心とする「西大津地域」に位置づけられ、皇子山総合運動公園や近江神宮などが地域資源とされています。また、大津・浜大津地域、膳所地域とともに市全体の中心的エリアとして都市機能の集積をはかるべき地域であるとも位置づけられています。
 それに加えて山と湖の距離が近いという地理条件を考えると、自然の潤いと都市機能の高次の調和が自ずから求められる地域だと思います。その中における競輪場跡地です。 

 私が「民活」の可能性も追求すべしと言ったのは、まちづくりにおいても市場原理が有効である(もちろん100%ではないけれど)と思うからですが、これを突き詰めると「公」と「私」の問題に行き当たります。
 公(あるいは公共)という言葉について、私も長年公務員でしたから幾つもの解説が頭に浮かぶのですが、自他ともに納得できる定義を語ることはなかなか難しいと感じます。このブログで越市政を論じてきましたが心の底にはずっと公とは何かという自問がありました。
 ちなみに越市長には「目立った失政がない」という見方があり、私は正反対の解釈なのですがこれもまた公の概念と深く関連する問いであると考えます。皆さんのご意見を伺いたいところです。
  
 まちづくりをめぐる公と私の関係をめぐって、私はよく西欧の街並みの美しさを思い浮かべます。資本主義の先達であり個人主義の牙城のようなかの国々において、個人や企業が強烈な自己主張を控えて町全体の美観に協力するという羨ましい構図。それに比べてわが国の街並みにみるなりふり構わぬ自己表現の猥雑さ。限られた見聞による感想にすぎませんが、ここに彼我の公共感の相違がよく現れていると思います。多数の「私」の少しずつの我慢の総和に支えられる「公」の利益、逆に「公」によって多数の「私」が受益しているという感覚、これらを基盤とする地域の申し合わせや法規制。このように考えてくると、行政の責任に劣らず住民の責任も重要であると改めて思います。
 競輪場跡地にしても庁舎整備にしても十分な情報提供をもとに「そもそも論」からスタートし、議論をつくして進めるべきですが、そこで公と私のあり方が問われていくと思います。
 今回、足踏みをしたものの大したことが書けませんでした。次は市民センターの予定です。




 

 




2015/12/14

66) まちづくりの課題(競輪場跡地)

 バブル崩壊後、ファンの高齢化やレジャーの多様化で全国の公営競技は冬の時代に入りました。西の宮や門司に続いて平成23年3月にびわこ競輪場が閉鎖となりましたが、今後も川崎、小田原、平塚、千葉競輪などが閉鎖されると聞きます。各地で跡地利用が問題になっているようです。
 こういうと跡地は何やら「厄介なお荷物」のようですが、60年の歴史をもつびわこ競輪はG1レース「高松の宮記念杯」競輪の開催場として人気を博し、大きな売り上げによって大津市財政を助けてくれました。公営競技ですから事務方はもちろん市職員。「おとうさん、きょうもけいりん?」土日に遊んでやれない子供の声を背中で聞いて(実話です)職員は売り上げ向上に努めました。
 私個人としてはこれらの先輩職員や選手、ファンのおかげで市財政が潤った時期が確かにあったことを覚えておきたいと思います。
 
 さて、競輪場が閉鎖され町なかに広がる6万5千平米の土地をどうするか。一等地であるうえ施設解体費も巨額ですから簡単に利用方法を決める訳にいかず、これまで市は内部検討を重ねてきました。しかしもう閉鎖後5年近く経つのですからそろそろ方針を出さないと、競輪場跡地利用が庁舎整備と並んで越市政の「二大先送り事業」になりかねません。
 いま、市は第2次マーケット調査を実施中と聞いており、ここで私ごときが用途を云々する気はないのですが思うところを少しだけ書かせてもらいます。

 ここは「近江神宮外苑公園」として都市計画決定された土地であり、公園的な利用が原則であろうと考えます。公園と言っても樹木とベンチばかりでなく、もっと多様な機能が盛り込めると思います。既存施設を転用できるといいのですが恐らく解体・撤去になるのでしょう。国体関連の活用方策を考える場合は国体後の「後利用」の見込みが大事だと思います。民間事業者のノウハウと資金活用の可能性は大いに追求すべきだと思います。
 市の中心部にあり国道沿いで琵琶湖も近いので、いずれの用途を考えるにしても防災拠点としての機能の検討が大切だと思います。
 いずれ方針が出たら、しっかりした情報提供がなされることと思います。
 市民センターについてもふれるつもりでしたが時間が取れませんでした。次回に回します。





2015/12/13

65)まちづくりの課題(庁舎整備)

 前回は地域の課題をざっと眺めましたが、これから数回にわたって個別の課題を記述します。関係資料がとぼしく、仮にあったとしても外に出すレベルに達しない検討もあるでしょう。ここでは周知の事実によりながら簡単な情報提供を行います。ご覧の方に「なるほど大津にはそんな課題もあるのか」と感じて頂けたらと思います。

 まず、庁舎整備です。今議会では谷議員が質問されました。
 大津市庁舎は建物、設備とも老朽化が進み、昭和42年の本館建設当時から人口が2倍以上となり職員も増えているため大変手狭になっています。
 さらに耐震性能の不足(基準耐震指標が0.9必要であるところ最低箇所はわずか0.1)が大きな課題となっており、いずれは(早いにこしたことはないのですが)、根本的な対応が必要です。
 いま、志賀町との合併による「合併特例債」を活用できるうちに整備するか、それを見送って先延ばしにするかの選択に迫られています。

 合併特例債は国から借りる「住宅ローン」です。建設費の95%に充てることができ、返済の75%を国が負担してくれる(地方交付税を増額)たいへん有利な財源で、償還は3年据置の25年返済です。この利用は合併から10年(平成18年度~27年度)ですが、大津市は「合併建設計画」を延長する議決を受けており平成32年度が期限となっています。
 つまり、平成33年3月末までに新庁舎が完成していることが条件ですが、いま白紙の状態から建設の是非を問い、起債の協議、備えるべき機能の検討、基本設計、実施設計、建築・設備工事等の業者選定および施工期間を考えると、本当に間に合うのかどうかが危ぶまれます。
 現在、市は24通りの案を示して市民の意見を求めておりこれは重要な手順ですが、なぜこれをもっと早くしなかったか、施設な見直しなど拙速と表現してもよいほどの速度と比較して、庁舎整備の是非を問おうとする決断の遅さがひときわ目立ちます。

 合併特例債が適用されると決まったわけではありませんが試算をすると次のとおりです。市の検討資料では概算事業費の最高額が約180億円と想定されており、これを例にとります(設計もしないうちの金額ですからあくまで概算です)。
 市の当座の支払い⇒ 180億× 5%=  9億
 合併特例債     ⇒ 180億×95%=171億
 このうち75%は国が実質肩代わりしてくれるので市の負担額は⇒ 171億×25%=42.7億
 これを25年返済するとして1年あたりの返済金額⇒ 42.7億÷25=1.7億(利息は別)
これで180億の庁舎がたつことになります。たいへん有難い財源であると思います。
 
 なお、市役所の建物は著名な建築家佐藤武夫氏の設計によるもので、丸柱と通し梁の特徴的なデザインは、昭和建築の例として評価されてもいます。しかし保存論議には、耐震強度確保の費用対効果や設備老朽化などの問題がある気がします。
 いずれにしても放っておけない重要な課題で、大変大きな「買い物」でもありますから、市民のご理解を得てまず特例債をどうするか見極める必要があると思います。







 

2015/12/12

64) 大津のまちづくりの課題(概観)

 このブログで越直美市長の市政運営を論じているのは「本当に大津の人とまちの幸いにつながるのか?」という私の問題意識によっており、それが大きな問題を孕んでいることを事例をあげて指摘してきました。しかし、いずこの市長も「有期業務」。退陣後も依然としてまちは残るわけですから、ここで角度をかえて大津のまちづくりの課題を眺めたいと思います。

 おりから国が「まち・ひと・しごと創生」なるものを唱え、地方も頑張れと号令をかけています。まず国は、自らの人口政策、都市政策を深く懺悔してから地方に物を言うべきだと(今や気楽に)指摘しますが、自治体としては当然こうした動きをふまえておく必要があります。
 ブログでまちづくりを考え始めた成り行きでこのようなテーマを扱いますが、私は実務者でしかも元職です。専門家の論考レベルに及びようがないことをお断りし、感想めいたことを数回に分けて短く記述しようと思います。
 まずは地域課題の概観、続いて個別課題をとりあげ、最後に「まとめ」を書けたら考えます。皆さんの補足コメントをお願い申し上げます。
 
 地域課題の概観
<志賀・北部地域>
 全市的な防災政策が重要ですが、とくに北部では琵琶湖西岸断層帯地震のリスクマネジメントを念頭においたまちづくりが求められます。市全体のコンパクトシティ化を進める中で葛川や志賀地域の過疎対策も重要だと考えます。 
 葛川は人口約260人、高齢化率も高くコミュニティの維持が課題となっており、市民センターのあり方とも深く関わってきます。
 志賀地域ではデマンドタクシーの試行運転や近江舞子駅のバリアフリー化など一定の施策効果がみられます。
 堅田駅西口の開発が一段落する中、近接する「湖西台」が今後どうなるのか気にかかるところです。北部クリーンセンターの建て替えが計画されています。
 市民意識調査(27年1月)の「暮らしの環境の評価」では志賀、北部地域とも「自然の豊かさ」を第一にあげる住民が多く、また志賀地域では「鉄道やバス等の公共交通が不便」「買い物が不便」と考える人の割合が多いという結果がでています。

<中部地域>
 市庁舎の整備、競輪場の跡地問題は全市的な課題でもあります。
 また玄関口といえる大津駅前から浜大津の中心市街地の活性化が年来の懸案であり、市は計画的な事業推進に努めてきました。その結果、中心部の人口微増など「ドーナツの真ん中」が埋まる兆しが見えるのは何よりだと思います。
 大津駅横手の土地区画整理事業は進んでいますが、大津駅周辺、県庁周辺の整備に関してJRや県との連携が不足しているのはトップの姿勢によるところが大きいと思います。
 活性化計画にもとづき設置された協議会やまちづくり会社との連携不足も懸念されます。
 これらとも関係して、歴史的資産の宝庫である中部の魅力を観光やまちづくりに十分に生かしきれていません。疏水観光もいかに大津が果実を得るかがポイントとなります。
 環境美化センターの建て替えが計画されています。
 市民意識調査では「京都・大阪に近く便利である」ことを第一にあげる住民が多いという結果です。

<南部・東部地域>
 東部学校給食調理場の老朽化による移転新築は全市的な課題です。候補地での事業実施が難しいことから、越市長は別の場所で中学校給食を含む巨大給食センターを建設する方針を突然に表明されました。
 瀬田地域で子どもの数が急増しており、保育施設の配置の偏りと不足が懸念されます。
 老朽化による石山団地の建て替えは計画に位置づけられていたものの進んでいません。
 国による大戸川ダム建設計画については、国県の動向(治水計画、検証、河道改修など)に加え経費負担をする京都大阪の動向にも注目する必要があります。
 第2名神スマートインター(サービスエリアにETC専用の出入口をつけた簡単IC。滋賀では蒲生と湖東三山が運用)の計画があり、関連市道(2028号)の用地買収が遅れています。本体工事はまだ先のようですが、将来の地域の活性化のため事業推進が期待されます。
 市民意識調査では、南部地域で「自然の豊かさ」、東部地域で「自然災害や火災が少なく安全である」を第一にあげる住民が多いという結果です。




2015/12/09

関係資料 9 「公文書消去事件」平成27年11月議会の質問・答弁

 さる12月7日のネット中継からの聞き書き(問答の要旨)です。

伊藤副市長
  当時、市長、茂呂前副市長及び私が協議し、当該文書は二役の共有する文書としてのみ扱うこととした経緯から、取り扱いの管理上の措置として当該文書を回収し、文書は全て紙媒体として保存しているものであり、公文書は消滅していない。

藤井議員
  2014年4月10日に茂呂副市長が、伊藤副市長の了解の下、春季主要事業ヒアリングの参考材料とするため、懸案の課題についての意見と市政運営についての意見を忌憚なく述べるように求める春季主要事業ヒアリングの実施等にあたってお願いという文書を、当時の部局長に照会をかけられた。4月から5月にかけ各部局長はこれに答え、率直かつ真摯に各自の意見を提出され、全員が提出された。茂呂副市長は各部局長の氏名をふせた上、5月中旬に自らの文責でこれらをとりまとめた。退任式の行われた5月30日、茂呂副市長は取りまとめた部局長意見を午前中、市長と副市長に提出され、市長は取りまとめた意見を部局長に共有するのであれば退任式を行わず、受け取らないとの立場を示された。

 先程副市長が述べられたのがここの一部の部分かと思う。しかし協議不十分であり、最終的に部局長意見を受け取られ退任式が夕刻行われた。その後、5月31日庁内ネットワークで各部局長及び政策監10数名の方へ送信され、6月2日このメール等が削除された。
 実際、二役の協議であったとしても、公用文書を電磁的記録としても、廃棄するということはこれは法令違反である。その部分についてもちょっとご見解をお伺いしたい。
 またなぜその二役だけの協議にする必要があったのかあという疑問もある。

 これはそもそも前副市長がそのセクションを超えて市政全般について意見をとりまとめて、それを全員で共有して大津市のためにみんなで考えていこうという目的をもった取りまとめ集であった。
 そして実際これを部局長全員に投げられたが、その点において私はなぜ二役だけにこれを限定する必要があったのか。ここのところが本当によくわからない。
 しかもいつその協議がされたのか、事前のその5月30日の段階では、茂呂さんが辞められる当日だが、協議が不調であったけども結局受け取られて、退任式も行われた。
 であれば、その時点においては全く問題なかった行為じゃなかったかと思う。この点についてお伺いを出来ないか。

伊藤副市長
  経緯的な部分についてはその通りかと記憶している。一方で5月30日の協議において、二役限りにするというお話は不調であると議員はおっしゃられたが、少なくとも私どもはそういう文書の扱いをするということで協議が整ったと認識している。
 そしてまたその理由として、なぜ二役の文書にしなければならなかったということについては、当時、二役の間でいろんな議論があった中で、議事録等も残っていないので、正確なところははっきりしないが、私の記憶の中で一つだけ申し上げるとすれば、主要事業ヒアリング等について担当部においてそれぞれの準備を進めていたところ、各部長に担当を超えて意見を集めている、このことであるが、まずはそういった主要ヒアリングにおいては担当部長と二役が協議をして担当部長が責任を持って事業を進めるという方針、こういった方針に非常にあわないというようなこともあって、市長と副市長限りの文書とするということにしたと記憶している。

藤井議員
  私はこれは最高責任者である市長が答えるべき、しかもこういう時期なので市民に開かれた、そして負託を受けようとする立場であるのであれば、自ら答えなければいけない問題かなと私は感じる。
 この問題というのはもう一人の伊藤副市長は了解していたわけである。ここに文書があるが副市長が了解を得た上で、主要事業ヒアリングの照会をされたということであった。そもそもなぜこれが行われたといえば、市長が部局長の新規事業ヒアリングのとき、これまでもその主要事業ヒアリングなどの場では、ほとんど発言の機会を与えずに、自分のまあ言ったら興味がある、関心があるテーマばかり取り上げようとする、言ってみれば市に関する市政というのは、本当にそれだけじゃなくて、様々な問題があるが、そういった問題を広く取りまとめて市長に対して提言書、そしてそれをセクションを超えて、セクショナリズムが弊害だということもあるので、より部長級の中で意見、理解を深めていこうということから行われた問題であったはずである。そこで、副市長自体はこういったことはよく理解された上であったと思うが、市長自体はどういう見解なのか。

越市長
  まず事実関係については今、伊藤副市長にも確認したが4月10日の時点で伊藤副市長は了解をしていない。全く私や伊藤副市長に相談や連絡がなくてされたものである。そういった中で主要事業ヒアリングについては、先程副市長が言った通り、担当部が責任を持って進めるという方針とあわないため、二役での協議の文書としたということである。
 それ以外でそこで議論されたことを私が記憶している限りで申し上げると、そのように私や伊藤副市長に相談や連絡がなく一方的に部局長に対して意見照会を行われたということで、部局長からもそのことに対して疑念やまた不安の声が私にも寄せられた。
 したがってそのような部局長の声を聞いてやはりこれは二役限りの文書とするべきだというふうに考えた。
 そして、法令違反じゃないかというところについては弁護士にも照会し、こちらは文書として今も保存しているので、そういった法令違反はないということであった。

伊藤副市長
  私は全く了解をしていないと言ってしまうとちょっと語弊があるので補足をさせて頂く。この主要事業ヒアリングを始めるに当たり、私の方から担当部署に事前にヒアリングをして、市長との主要事業ヒアリングの議論を深めたいという思いがあり、当時の茂呂副市長に相談した。そしたら茂呂副市長の方からはそれはいいことだと励ましを頂き、さらにでは私も色んなことについて各部長の意見を聞きたいので、私の担当の部長にも色々話を聞くということについて、いいかというお話しがあったので、それはどうぞということで了解をさせて頂いた。
 したがって、そういうようなことをしていくということについては、確かにそういう了解ということはあった、あの照会文書で照会をかけていくという形については、そこまでは了解をしていないということである。

藤井議員
 先程市長からは、これは公文書としては消えていないからオーケーじゃないか、セーフじゃないか、というふうなことがあったが、公文書とご存知の通り公用文書、若干違い、公用文書自体はいかなるものであっても廃棄してはならないという判例・通説がある。
 実際、その現物が残っていても、コピーを丸めて捨てた、こういった問題だけであっても、懲役刑になってるということがある。もう一度、問題ないのか見解をお伺いたい。

伊藤副市長
  この件については、公文書としても扱うということにしているし、またそういう意味では文書自体は保存しているので法令上問題があるとは考えていない。

62) 越市長にお尋ねします

 多数のコメントを拝見して感じたことを記します。知ることの善し悪しの話です。
 私は越市長の議会答弁を聞いて、関係者である私の視点からの事情説明を行うことも許されるかと考えて、二役協議の次第を記述しました。数時間後に予定されている退任式を取りやめるとか、会議室の使用は許可しないといった越市長のご発言に驚かれた方もあったことと思います。
 私自身にとっても婉曲にいうと「愉快な思い出」ではありませんでした。
 
 このブログは暴露や告発を目的とせず、「行政運営の実態を広く知らしめて大津市政に資する」ために行っていますが、舞台裏をさらけ出して何のメリットがあるのかとお感じの方もあるでしょう。
 また、隠れた美談を知って感激するならともかく、お粗末な真実にふれて失望や不快感を感じられる向きも多いと思います。少し控えてはどうか?言わぬが花。沈黙は金。
 そうした疑念への答えは一つ、プロセスの重要性ということです。
 これまで繰り返し書いてきましたが、市政運営、より大きく言うと「まちづくり」には、結果と同様にプロセスが大事です。それは、プロセスが結果の質を左右するうえ未来まで左右しかねないこと、プロセス自体がとりもなおさず成果である場合があることの二つの理由によります。
 本日のコメントに「正しいことは正しい手法でやるべし」とのご指摘がありました。私もまったく同じ意見です。

 だからこそ、主要事業や予算ヒアリングなどの協議経過(行政の意思形成過程)や市民センター、幼稚園、図書館のあり方の検討過程などが重要なのです。
 これらと比べると、昨年5月30日の二役協議の経過は些細なものですが、その背景に越市長は職員の声に耳を傾けてほしいという多くの職員の切実な願いがあったのです。
 4年で目に見える結果を出したいという越市長のお気持ちは理解しますが、それになじむものとなじまないものがあることを見落としてはなりません。

 本ブログをご覧の越直美市長にお尋ねますが、税金と職員という大切な公共財を使って自らの政治目的を達成しようとする首長が備えるべき「責任感」、「自制心」、「自分の権限に対する畏れ」をあなたはお持ちなのでしょうか?
 就任4年目にしてかつて副市長であった者からこのような問いかけを受けるという事態をどのようにお感じでしょうか?
 次も同じような市政運営を続けられるおつもりなのでしょうか?
 多くの市民や職員が知りたいのはこういうことであると私は思います。 

 私はブログの記述にあたって名誉棄損と守秘義務違反に最大限の注意を払ってきました。専門家の意見も仰ぎましたが、私自身が基本とするのは、事実に基づくこと、「守秘」によりもたらされる利益と損なわれる利益を比較衡量することの2点です。今後もこうした方針でやっていきます。

 ご参考までに越市長の指示に基いて行われたと推定される「公文書消去事件」をめぐる議会でのやりとりを掲載します。
                   ⇒ 平成27年11月議会会議録(要旨)








2015/12/08

61) 問われているのは何か?

 公文書消滅事件の市長、副市長答弁をネット中継で拝見しました。紙ベースで残しているから公文書毀棄には当たらないとの説明を聞き、メールについてはやはり「意図的な消去」であったのだと考えざるを得ません。そうすると刑法258条の「公務所の用に供する文書又は電磁的記録」を毀棄した者は3月以上7年以下の懲役に処する」との規定が思い浮かびます。
 しかし、藤井議員は、そうした法律論の前に、まず越市長がこの出来事(公文書消去)をどのように考えておられるか、その認識を問われたのだと思います。

 この問答の中で昨年5月30日に行われた二役協議(市長と両副市長)の意義が焦点となりました。越市長によると、私が取りまとめた「部局長意見集」を二役限りとすることで合意したという話です。こうなった以上、これに対して私からも発言した方がよいと考えます。今まで黙っておこうと1年半は外に出してこなかった話です。

 退任式前のあわただしい時に二役協議が行われたのは、退任式での私の発言を越市長が前もって確認しておきたいと思われたことによります。
 私は、経過をきちんと説明すべきだと考えていましたが、越市長は、「私が感謝の言葉で送れるよう一身上の都合に徹してほしい」と要望されました。 
 既に私は「一身上の都合」という辞職届を提出していたので大枠はその通りだが、それではあまりに漠然とし過ぎている。私には仕事を途中で辞めることの説明責任がある。一応の経過を説明したうえで職員に贈りたい言葉がある、と申し上げました。
 こうしたやり取りが続いた後、越市長は、私の言うことを聞かなければ退任式を行わないと宣言されたので、売り言葉に買い言葉で私も、勤務時間後に自分で挨拶会を開くといいました。これに対し越市長は「退職する人に市の施設は使わせない」とおっしゃいました。
 
 このブログでも書いてきた通り、たしかに「一身上の都合」に間違いはありません。お世話になった皆さんにご挨拶する機会を失くないたいと考え、私は越市長に従うこととしました。
 しかし、部局長が真摯に意見を述べた「意見集」だけは、せめて二役と部局長の共有を図りたいと主張したのです。これに対し越市長は「部局長にまくなら私はいらない」と受け取りを拒否されました。部局長の意見を市長に届けることが私のパイプ役としての最後の仕事だと考えていたため、私はそれ以上主張することを止めました。その結果、市長と伊藤副市長のお手元に部局長意見集が残ることとなったのです。
 そして、退任式の翌日(5月31日土曜日、在任最後の日)に、私が各部局長に、彼ら自身が語った言葉を私が取りまとめた「意見集」をメール送信した、これが事実経過です。

 越市長の答弁では、私からの異例の意見照会について越市長に「不安や疑問」を訴える部局長があったといいます。私が取りまとめに際して部局長と直接面談した際には感謝とねぎらいの言葉しか聞きませんでしたが、越市長の言われる通り「不安や疑問」を訴えた人も1人や2人おられたかもしれません。その方々には遅まきながら私の説明不足を謝らなければなりません。

 しかしその後、越市長が大切な部局長意見集の電磁記録を消去し、印刷物の提出を命じられたことは、彼らに何の「不安や疑問」も与えなかったのでしょうか。私の退任前の部長会において、越市長は「茂呂なきあとは私が一層しっかり職員の言葉を聞いていく」と言明されました。その直後の出来事です。彼らは、改めて越市長の聞く耳を持たない姿勢を痛感して落胆を覚えたのではなかったでしょうか。
 越市長、私が訴えたいのはまさにこの一点です。
 市役所内部の出来事で、しかも市民に不利益を及ぼさない程度であれば、誰も法文を振り回してしゃくし定規の主張をしたりしません。越市長に問われているのは、本当に集団の英知を集めてよりよい市政を行うことができるか否か、この一点です。
 その答えが今回の市長答弁で明らかになったと思います。

 もう一つ言います。記録消去、資料提出指示、資料処分、答弁作成、答弁など一連の行為を越市長は職員の補助を受けて行っておられるものと考えます。職員の魂を損ないかねない行為は厳に慎まれるべきではないでしょうか。
 もちろん、私は職員がこうしたことに負けず、プロ意識と自負心を奮い立たせ、明日を見つめて市民のために働いていると信じます。そしてそれを励ますのが市長の仕事だと思うのです。

 なお、藤井議員はご自身の考えにより質問されました。私がお願いしたわけではないことを藤井議員の名誉のために申し上げます。先日、このブログに藤井議員の質問を抑制する趣旨のコメントが投稿されましたが、私がこれを削除したことも申し添えます。
















 
 

2015/12/05

59)大津のまちの歩み(その4)

 越市長が「結の湖都」のまちづくりにどこまで迫れたかが今回のテーマです。結果から申し上げると100点満点の5点でしょうか。これでもかなり好意的な採点です。越市長はトップダウンで熟議を経ない(いわば問答無用の)節約改革を進めておられますが、このことだけでも協働のまちづくりの視点から見ると完全アウトです。

 これまでブログの各所で述べてきましたが、行政は、市域内の相互に対立する多種多様のニーズを十分に知り、可能な限りそれらの調整を図り、時代の要請を踏まえつつ市民満足度の向上を目ざす仕事だと思います。しかも、まちづくりはすぐに答えが出ないこともある息の長い営為です。
 そこで基本となるのは、まず様々な意見、主張にじっくりと耳を傾ける姿勢です。仮に市長が内心で結論を決めている場合であっても、謙虚に聞くところから新たな認識が生まれることもあるでしょう。聞く姿勢が理解と歩み寄りを生んで新たな解決に繋がるかも知れません。集団の英知を動員するとはそういうことです。

 市民センター、幼稚園、保育園、図書館、ケアセンターのあり方検討など昨今話題になったことだけでも越市長の結論ありきの性急な姿勢が目立っており、市民の間に不安や不満が広がっているように見受けます。大津駅の改修や観光振興策をめぐる経済団体との埋まらぬ溝も越市長の姿勢によるところが大きいと考えます。
 まちづくりを担う多様なセクターと真面目に丁寧に対話することは、協働のまちづくりのイロハのイ、五十音のあ、アルファベットのAです。

 これまで越市長は、協働のまちづくり推進条例にも市民活動センターの育成・活用にもほとんど関心を見せてこられませんでした。
 市民の多様な活動である自治会、NPO、社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会、生涯学習、文化、防犯、:防災、交通安全、図書館運営、公民館運営、日赤奉仕団、女性団体、スポーツ団体、環境保護団体等々。
 いま思いつくまま並べましたが、「大津のまちのために、対価や名声を求めず、それどころか何がしかのリスクを背負って、貴重なそれぞれの人生の時間をさいて、誰かのようにマスコミ受けを狙わず、地道に黙々と続けられている市民の活動」に対する共感も敬意も持ち合わせていないのが越市長であると私は考えています。
 もし越市長がこの指摘にご異存があるならば、改めて各団体の人々に聞いてみてください。
 私を含めて三者会談の機会があれば喜んで参加します。市長にも4年間の評価をじかにお聞きになるよい機会です。

  これらの団体は性格、目的が違うのでまとめて論じられません。時代の変化の中で新たな組織のあり方を模索する団体、自らの存在意義を問い直している団体もあるかも知れません。
 しかし、基本的に市民の自主性、自発性により支えられているこれらの組織は、事実として大津のまちづくりに極めて大きな貢献をしています。これを金額に置きかえることは不適切かも知れませんが、総活動量を民間サービスで賄うと仮定すると百倍前後の経費がかかるのではないかと思います。
 私は試算もせず当てずっぽうで言っていますが、こうした表現をすれば少しは越市長に有難味を感じていただけるでしょうか。

 ここでは三師会や観光・物産協会のように業にもとづく団体にふれませんでしたが、こうした団体においても事情は同じことです。いずれも大切な大津のまちづくりのパートナーです。
 なれ合いは厳に慎むべきですが、行政にとって大切なこれらの各種団体に対する越市長の対応は、距離をおいた心の通わない冷たいものであったと思います。
 これでは前市長の時代に次第に盛り上がってきた協働の気運も尻すぼみにならざるを得ません。

 これらとは位置づけや性格がまったく異なりますが、議会にしても大きく言うとまちづくりの一つの機関です。市長の部下である職員についても同じ言い方が可能です。これらの組織や人々に対する越市長の向き合い方も、いま述べたことと根っこはひとつです。これが越市長の基本姿勢であると思います。パートナーシップが発揮されなければ協働のまちづくりが進むはずがありません。

 越市長はマニフェストを掲げて当選されましたが、市長である以上、大津市政の最上位の計画である基本構想と総合計画を何よりも優先して実行しなければなりません。そこに謳われているまちづくりの理念、将来都市像の実現もまた然りです。
 しかしながら、「結の湖都」が目ざす協働のまちづくり(お互いさまのまちづくり)は、相手を認め、差異を容認し、大同につくことで進められます。
 越市長は協働のまちづくりの理念から非常に遠い市長であると言わざるを得ません。

ところが越市長は、どういうわけか任期の終わりにさしかかったある日突然、これらの団体の重要性に気がつかれたようです。遠ざけていた団体に会い、自らも出向いて交流を深めようとされているようです(先方は大人の対応をしておられると思います)。
 さてこれを率直と言うべきか現金というべきか何とも表現しがたい点がありますが、私は、大局的に悪いことではないと思うことにしました。これがプラス5点の理由です。

 ここまで私は越市政をめぐって様々な発言をしてきました。その目的は市政運営の実態を広く知っていただくこと、それを契機としてまちづくりに関する議論が活発化することの2点であり、それが大津市民の利益にかなうともの考えて行っています。
 ところが最近、選挙が近づいてきたせいか、私の発言を抑制しようとするコメントが増えてきました。越市長を支援する方々のあせりのようなものさえ感じます。とはいえ投稿者は自ら信じる正義の実現を願ってのご意見を寄せられたのでしょうし、それが情報広場だと思います。
 しかし私が虚心に拝見してお答えしようとしても、その答えはブログの最初のページから今日まで書き綴ってきたことの中に全て含まれているのです。お手数ながらもう一度読み直して下さるようお願いするしかありません。

 また、ここにきて「守秘義務」という言葉が出てきました。
 カルテの情報は患者のものか病院のものかという設問に似ていますが、市政情報は原理的に公のものであり市民のものです。その中で守秘すべきものとして個人情報、交渉中の案件、未決定事項などがありますが、私はこれらを踏まえ自分の立場も自覚し、法律家の助言も受けて発言しています。どうぞご心配下さいませんようお願いいたします。

 話を越市長に戻します。
 世間から色々な意味で注目され、私が辞めてなおブログで論じようとする越直美氏とはどのような市長なのか。ここでまた私は既に行った定義を繰り返します。
 すなわち越市長とは、「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に大きな問題を抱えた首長である」  ⇒ 大津市政21~つまるところ越氏はどのような市長か~
 
 このような越市長の市政運営を考える上で極めて重要な要素となるのが「いじめ事件」です。
 若い命が断たれたことはまことに痛恨の極みであり、すべての関係者がこの出来事を胸に刻み、真摯な思いで再発防止の努力を続けていると思います。
 しかし一方で、当時、全国から非難と怒りが集まる中、越市長は市と教育委員会を分断するかのような発言をされ、当時の教育長が暴漢に襲われる無念の事態となりました。
 警察の捜査、第三者委員会の調査、卒業式、裁判、関係条例の制定、国の議論、いじめ防止対策等々、各方面の注目を浴びながら事態が進んでいくうちに、市役所内にこの件に関して自由に考え語ることをはばかる空気が醸成されていきました。

 たいへん深刻な事件があったわけですから「自粛ムード」もある意味で当然なのですが、こうした思考は、この事件で積極的な言動を続ける越市長に対して何も言ってはならないという過度の自制心を市役所内に生じさせることとなり、その雰囲気は議会にも及んでいたと思います。
 言ってみれば市役所に魔法がかかっていたような感じです。
 それは、反省と自粛に基づくものではありましたが、一方で客観的な見方や自由な考察を抑制する方向に働いたという気がします。この中で越市長の施策が進められていきました。
 私はことの善悪を云々するのではなく、当時の市役所内部の状況を説明しているに過ぎませんが、この状況が越市長の市政運営の考え方に大きな影響を及ぼしたと思います。
 いま結論めいたことをいうだけの考えは持ち合わせませんが、今後越市政を考えていく上で考慮すべき特殊な事情であると思います。
 
 付言しますが、教育長が襲われた件について、当時の庁舎の安全管理体制に不備があったと思います。庁舎管理に関することは私の所管であり、当時の状況を踏まえて適切な体制をとるべきであったところ、それが出来ていなかったことを反省しています。この事件後に管理体制の見直しを行いました。



2015/12/02

58)大津のまちの歩み(その3)

 またしても間があきました。将来都市像を手がかりに大津のまちづくりを考える小さな試みに戻ります。まず「結の湖都」の簡単な説明ですが、ご存知の方は飛ばしてくださいますよう。「市議の会参加コメント」のほうがきちんと書かれているのでご覧ください。私の出る幕がないくらいです。

 「結(ゆい)」は、今はすたれた地域共同体の相互扶助の仕組みのことで、私の中学時代には社会の教科書に「昔話」として載っていました。田植えや稲刈りのなどの大仕事の際、近所の人が我が事のように手伝うのですが日当なしが大原則。その代わり助けられたら助けに行く。お互いさまの助け合いです。世帯によって労働力の差がありますから「助ける分量」と「助けられる分量」が厳密に同じではなかったでしょう。働き手の少ない世帯の受益が大きかったと思われますが、これが本当の助け合いだと思います。近年の概念である「協働」を象徴する言葉です。

 「湖都」は、琵琶湖に接するすべての市町がそのように自称していますが、その名にふさわしいのは(すみませんが)大津だけだと思います。大津は、よそと比べて市街化区域(住宅の多い都市的地域)の接水距離が圧倒的に長いという特徴があります。加えて中北部が琵琶湖を一望する「傾斜都市」であること。都市空間と広大な内水面の併存が大津の都市構造の最大の特長です。琵琶湖が市民の心のオアシスとなっているのは当然で、観光資源としても不動の一番でしょう。
 ちなみに県庁所在市で類似の条件を持つのは他に松江市(宍道湖)だけだと思います。

「人を結び」は地域住民の連帯であり、広域交流も展望する言葉。
「時を結び」は悠久の歴史性。有形無形の歴史文化資源を受け継ぎ、引き渡していく心。
「自然と結ばれる」は説明不要ですが、ここだけ受身形になっているのは母なる琵琶湖をはじめとする自然の大きさとその懐で暮らす人間との関係性を示しています。
 これが大津の将来都市像~人を結び、時を結び、自然と結ばれる 結の湖都 大津~です。

 総合計画審議会(市民はじめ各界の代表者で構成)の審議の賜物なのですが、フレーズ自体は審議会の部会長を務められた龍谷大学の富野暉一郎先生の発案です。私をはじめ事務局が百をこえる原案を作成してすべて不採用、最後に富野先生にお助けいただきました。
 この経過は審議会の方々はすべてご存知ですし基本構想もラスト1年になったことから、こぼれ話としてご紹介する次第です。

 次期基本構想で新たな都市像がどのように描かれるか知る由もありませんが、大津がこれから向き合っていく課題、すなわち人口減少、少子高齢、災害対策、活力維持等々を考えるとき、結の湖都に示された「お互いさまの助け合い」の理念は依然として重要であると考えます。
 「お互いさま」というからには、まちづくりの多様な担い手の間の相互理解と相互信頼がきわめて大切です。理解と信頼に基かない「協働」は「経費節減の行革」に堕落しかねません。
 それを左右するのが行政というセクターのトップである市長の姿勢です。
 次回は、越市長が「結の湖都」のまちづくりの実現にどこまで迫れたかを考えたいと思います。






 

2015/11/29

57)越市長と本ブログについて

 明日の市議会で越市長が正式に出馬報告をされると聞きます。越市長が市長の重責をさらに担い続けようとのお考えならこの4年をどのように総括されるか、その上で次の4年をどんな姿勢で取り組まれるのか、聞く人の心の底に届く言葉できちんと語っていただきたいと思います。
 改革を後戻りさせないと仰るなら改めていまこの時代における越市長の改革とは何なのか、その先にどんな世界が待っているのかを明確に市民に伝えるべきでしょう。
 また、改革をうんぬんされる越市長の自己変革こそ重要であると私は考えており、いつぞやの市長への手紙でもそのことをお伝えしました。もし、万一、越市長に真に謙虚な自省があるならば反省のポーズなどは不要だと思います。

 このブログで候補者を論評しないことを既に書きました。しかし、その後も何人かの知人からより良い市政の実現を望むなら態度を明確にすべきだとの意見をもらいました。
 ここ2~3日の投稿コメントでも、今後の市政に関してかなり踏み込んだご意見がありました。
 例えば「越直美氏のような市長に正当性を与えることがないまちづくりを茂呂は目ざしているのではないか?」、「新しい市長によるマネーロンダリングのような『市政洗浄』を経て3年保育の中身をこしらえるべきである」、「教育委員会と力を合わせようとしない姿勢で本当にいい教育ができるのか?落選させた方が早い」等々。
 私も心を許す内輪の集まりでは率直に意見を言いますし、その中身はもっと厳しく悲観的です。なぜブログで旗色鮮明にしないのか。もう一度ここでご説明したいと思います。

 と書いたところで私より先に辞任したもう一人の副市長とかつて交わした会話を思い出しました。
 越市長と私たちの3人の協議が済み市長室を退出してからのことです。彼は「茂呂さんが市長に反対するときの根拠は何か?」と聞きました。私は「市民にとって良いか悪いかが判断基準だ」と答え、以下、次のようなやり取りが続きました。
 彼「市長のやりたいことが、あなたから見て市民の利益に合わないと思ったらどうするか?」
 私「市長に理解してもらえるよう説明をつくす」
 彼「市長があくまでやりたいといったらどうするか?」
 私「市長に反対する。逆に聞くがあなたはどうか?」
 彼「自分は市長を補佐するために副市長をしている。市長の思いを叶えてあげたい」
 私「市民か市長かの二択になったらどうするか?」
 彼「究極のところで市長のいうところに従うのが副市長の役割だと思う」
 私「究極の二択になったら当然市民だ。それが公務員の役割だ」

 再現するといい歳をして何やら青臭い議論をしたように思えてきますが、越市長にどのように向き合うかという話の成り行きでこうなりました。「市長か市民か」などという二択は通常あり得ませんし、それを回避して市政運営の安定を図るのが副市長の務めであることは言うまでもありません。
 彼も私も市長の方針に反対せざるを得ないのはよほどの事態であると考えていましたが、二人の基本スタンスの違いが明らかになったやり取りでした。2人の副市長がこのような会話を交わすような市政運営でもありました。彼も私も市役所を去ったのでここに記す次第です。
 
 私は、このブログも市長のためではなく、市民のために行っているつもりです。
 今の越市政においては「市長のため」と「市民のため」が乖離しています。
 私の辞任理由もそれ、ブログ運営の理由もそれです。
 しかし既に述べたように市の施策はどれも「悪い顔」をしておらず、市政運営の問題点を市民に分かりやすくお伝えすることは容易ではありません。加えて世間では公務員に対して「親方日の丸でぬるま湯につかっている」という類型的な見方があります。改革を唱える若い女性市長について行けない職員あがりの副市長が辞めた後でまだぶつくさ言っている、と捉える方がおられたとしても私は一向に驚きません。
 そうした中で越市長の市政運営の現状をそのままの形で市役所の外にお伝えすることは困難です。市民の利益、不利益に関わる問題であってもコップの中の嵐と言われかねません。
 その壁を越えてきちんとした言葉を届けるためには、私自身がニュートラルな立場で冷静、客観的に事実を並べていくことしかないと思い、そのように努めてきました。
 繰り返しますが私が特定候補をブログ上で応援すると、そのためにブログを始めたのであろうという見方が必ず出てきます。そうなると「越市政の現状を認識していただく」というブログの目的が色眼鏡で見られます。そのことはブログを読む人にとって客観的な現状認識の妨げとなります。

 私は、(越市長には余計なお世話かも知れませんが)自分の知り得た事実をきちんとお伝えすることが公務員としてやり残した使命であると考えてこのブログをやっています。実はけっこう切実な気持ちでやっているのです。偏らず開かれた場であると認められてこそ「情報広場」も立ち上がるのだと思います。おかげでブログがある種の公共性を帯びてきているとも感じます。
 このようなブログの目的を僅かでも損ないたくないと考えるゆえ、候補者の評価も行わないというスタンスを守りたいと思います。
 したがって越市長についても、1月の市長選の候補者ではなく現職の市長として、1期4年間の市政運営を取り上げて論じるつもりです。同一人格ですから分離が難しい点もありますが、越市長の掲げられる2期目に向けての理念や政策については論評しません。何といっても現職ですから今の姿をしっかり眺めることが大事であり、論より証拠だと思っています。

 コメント投稿してくださる方々に対して「言論統制」はできませんが、こうしたブログの趣旨をご理解くださるようお願い申し上げます。
 なお、公務員に対するステレオタイプの解釈にふれました。
 私は身びいきで公務員を擁護するものではありませんし、越市長と同様に職員も常に自分を省みてあるべき公務を追求すべきだと思っています。とはいえ、世論がこうした先入観に頼ることは生産的ではなく公共サービスの貧困化にもつながっていきます。越市長が保育士、保健師、教諭、司書等々の専門職を減らしていこうとお考えのようですが、私にはコインの裏表のような気がします。
 市民から見てどうか?という視点から常に問い返されなければならないと思います。
 皆さんと共に明日の越市長の言葉をかみしめたいと思います。




 

2015/11/27

56)越市長の3年保育発言など

 にわかに多数のコメントが寄せられたので私も参加したいと思います。
 改めて「3年保育」の意味についてですが、保育園が0歳から5歳児までを対象とするのに対し市立幼稚園は4歳と5歳児が対象(2年保育)です。しかし幼稚園に3歳児を預けたいという声は根強く、制度的にも可能です。幼稚園で3歳児を受け入れることが「3年保育」です。
 いままで3年保育に否定的であった越市長が突然、保護者に対してその実施を予告されたことが波紋を広げています。

 ことの次第は、11月24日、志賀南幼稚園でさわやかミーティングがあり越市長と保護者(他園の保護者も参加)の意見交換があった。そこで越市長は平成29年度から3年保育を実施する考えを表明された。市の「あり方検討」で3年保育への言及はあるものの結論に至っていなかったので担当課があわてた、ということのようです。この事実関係にもし誤りがあればご指摘ねがいます。
 志賀地域では以前に行われていた3年保育の復活を望む声が大きく、保護者は急な方針転換に戸惑いつつも大いに喜ばれたことと思います。経過はともかく、良い結論に達したのだからそこを評価すべきだというコメントもありました。私も結果オーライだと思いつつ、ここにも越市政の特徴が出ていると思わざるをえません。

 前回も書きましたが、市立幼稚園での3年保育の必要性は教育委員会がずっと越市長に真剣に訴えてきたことです。その理由は市民ニーズがある、幼稚園教育の面で利点がある、待機児童解消に役立つ、しかも保育所新設より格段に安い(2歳児以下には対応できないが)等というものであったと思います。
 これに対し越市長は一貫して、幼稚園は定員割れしており再編が第一の課題である、3年保育もエアコン設置もその後の話である、ともかく保育園を優先したいとのスタンスをとってこられました。紆余曲折の後エアコン設置には理解を示されましたが、3年保育の協議は私の知る限り常に「門前払い」でした。
 それがどうしてこんなに急に変わったのか?
 変わった結果が保護者から歓迎されることであったとしても、どうも腑に落ちません。

 確かに「幼稚園のあり方検討」は行われたようですが、3年保育に限らず他のテーマでも結論ありきではなかったか?保護者や現場の声が反映されたかどうか?このあたりは内部事情であり私の知るところではありません。
 しかし11月24日の市長発言が、必要十分な検討の結果を踏まえ、きちんとした意思決定の過程を経て、議会にも説明ずみの内容、すなわち外に出して差し支えない段階に達した情報であったとは、私にはとても考えられません。
 別の角度から見ると、3年保育を望んでいる保護者に対し、市政の最高責任者が29年度にそれを実現したいと語ったわけです。ところが来年1月には市長選がある。3年保育の実現はその後の話である。この話を聞いた保護者は胸の中でどのように考えられたでしょうか?
 これらのことについて、私は担当課のけなげな職員の見解ではなく越市長ご自身の見解を伺いたいところです。越市長、いかがでしょうか?

 越市長の言動に一々ケチをつける気持ちはありませんし、誰しも時に喋り過ぎたりするものです。しかし私は、今回の件が公民館、図書館、ケアセンター等のありかた検討と相通じるものがあると思っています。これらは越市長の結果への訂正要求、検討動機の曖昧化、結果ありきの検討の実例集だと私は考えます。そして今回は結果説明のフライングというべきでしょうか。私はこうした越市長の様々な検討が本来の目的からそれて世論をミスリードすることを恐れます。トップダウンで丁寧な議論をすっ飛ばして速さを誇示する「越流改革」は禍根を残します。
 この意見に対して越市長のご意見を伺いたいと思います。
 ついでながら、越市長が適切な時期に説明責任を果たされるべきであると私がブログで指摘した案件もあります。ブログへの投稿ではなく市民への説明としてなされるものと考えています。

 いただいたコメントの中に「アンチ越は極左の集まり」という表現がありました。「アンチ越」にも「極左」にも失礼だと思いましたが、これも情報広場の多様性と自分を納得させて公開しました。
今後このようなレッテル貼りは控えられるようお願いをいたします。

 「前副市長は越市長を責めるばかりで自分に非がないかの如くである」とのご意見を謹んで伺いました。私は越市長の市政運営に大きな問題があることについて、市長を補佐すべき自分の責任を免れないと考えて引責辞任をしたものです。いまも責任を痛感していることがブログ主宰の動機になっています。市民に市政運営の実態を客観的に冷静にお伝えすることが私の使命だと考えています。

 若手市議の会参加レポートで「結の湖都」の解説をしていただいています。次回の私の記事は、その後追いになってしまいますが負けないように記述したいと思います。