2015/10/18

38)教育行政はこれで終わります

 教育行政と首長との関係に始まり給食や公民館にまで話が及んで長くなりました。後半部分で私は社会教育の重要性について書きましたが、例えば今の公民館のありかたについて言えば、これを全面的に良しとしているわけではありません。館によるバラツキがあり新たな運営を追求する姿勢に欠ける施設もあるようです。施設運営はとかく守りに入る傾向がありますが、公民館に限らず他の施設においても、アンテナを磨いて市民のニーズにしっかり応える努力を怠らないでほしいと思います(偉そうなことをいって済みません)。
 一方で首長は教育の専門家である必要はないものの、学校教育、社会教育、より広くは文化政策等に関する哲学、見識のようなものが求められると思います。

 また、この中で「いじめ対策」を一つの項目として取り上げませんでした。
 その契機となり象徴ともなった大津市における無念かつ重大な事件を行政関係者は忘れてはならないし、現実に忘れることは到底不可能であろうと考えます。
 しかしながら、
①関係者(ご家族はもちろん友人、同窓生など出来事を痛切に記憶している方々)の心の傷がまだ癒えるはずもないこと、
②いじめ対策は「事案の早期発見と発生後の速やかな対応」に劣らず「未然防止ための日常的な働きかけ(命を大切にする教育の充実など)」が重要です。前者に比べると後者が十分だと言えないことから総合的評価は少し待ちたいと思うこと、
③こうした事情にも関わらずマスコミが紋切り型の報道に走りがちであることなどを勘案し、あえてここでは触れませんでした。
 子どもは大人を見て育ちますが、大人の世界においてもパワハラやセクハラなどが後を絶ちません。社会全体で次世代を守り育てる努力が求められていると思います。

 さて、教育委員会と首長が互いの意見を述べ知恵を出し合う、互いの責任を果たすという関係性は戦後の教育委員会制度において大切にされてきた考え方だと思います。
 それなのになぜ大津市においてはこれほどまでに両者の対立構造が露わとなるのか。
 越市長のたっての要請で就任された教育長と市長の関係が悪化し、ついには教育長の退任にまで至るのか。
 教育委員会もよりよい教育を目ざす努力を続けるべきですが、予算権や任命権を有する越市長におかれてもこのことを真摯に考えられるべきでしょう。制度改革論者であっても、今は今の制度に基づいて行動すべきであることはコンプライアンス以前の常識問題です。
 また制度は、誰がそのポストに座ってもうまく行くよう設計されなければなりません。一方でそのポストにつく人には、制度の趣旨を忘れることなく自らの適格性を自問し続ける姿勢が求められると思います。
 これでいったん教育シリーズを終わります。
 次は越市長と職員の関係について記述します(歴代市長との比較についてもその中でふれることができればと思っています)。



2 件のコメント :

  1. 教育は終わりとの事。
    残念です。
    出来れば幼稚園教育を取り上げていただきたかったです。
    現在、再編計画の素案がホームページにアップされてます。基本ほうしんでは3年保育を具体的に検討と記載があり、こども園も民間も含めて検討します、との公立こども園に含みを持たせた書き方でした。
    やっぱり、説明会などで辛抱強く要望し、市役所の幹部の方も間違いなくニーズがあり、必要だと言ってくださって、新聞にも報道され、期待していました。
    凄く期待して具体的な計画を待っていたのですが、非常に残念な内容でした。
    結論からいいますと、統廃合てなくなる公立幼稚園は
    伊香立が廃止で民営化。
    真野北、真野が統廃合。
    仰木、仰木の里、仰木の里東から2園が廃止。
    坂本、雄琴が統廃合し、日吉台は民営化。
    藤尾、富士見、大津が廃止。
    田上、上田上が統廃合。
    結局、統廃合と民営化で、3年保育は表現さえ全く前進せずに、隅の方に申し訳程度に書かれただけ。公立のこども園も一切なし。
    何も意見が取り入れられず、3年保育をやる気は全くない事がわかりました。
    市長さんは公約にあげていたのに、統廃合だけ。やる気ないんでしょうね。
    これも空手形ですか、、、
    子育て支援、教育、に力を入れてくれてるはずなのに。酷い計画です。
    結局、意見を取り入れるなんてポーズだけなのかと、残念です。


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  2. 10月3日に、「図書館を考える大津市民の会」主催の学習会に参加した市民です。
    この日の講師、滋賀大名誉教授の住岡英毅氏の公教育のお話は、とても分かりやすく心にストンと落ちました。
    曰く、「人が生きていくということは、何らかの課題・問題に直面することで、それら問題を解決しながら生きていく。その問題解決を如何にするか?本で学んだり、人に聞いたりしながら、人は、問題・課題解決しながら生きていく。
    そのことが生涯学習といわれる所以である。また、その地域、その民族には、長い年月をかけて培った来た文化がある。その文化とは、何も文学・音楽・美術というわけではなく、その地域・民族の生きていく上に必要な文化のことで、それを次世代へとつなげていくために教育がある。
    その教育の中には、家庭教育と公教育があり、公教育の中に学校教育と社会教育がある。
    この学校教育と社会教育が車の両輪のように機能しているとき、学校教育は、知識や学力を育むことに専念していられる。しかし、社会教育が疲弊してくると、その役割も学校教育で担わなければならなくなる。すると、教師は疲弊し、その地域の文化は疲弊していく。文化が滅ぶと、やがて、その民族も滅ぶ」
    まさに、今私たちが直面していることではないだろうか?
    教育は、100年先も見据えて、私たちの生きてきた文化を次世代へとつないでいくためにも、首長が変わるたびのコロコロ変えてはいけないというので教育の継続性・独自性が教育基本法でも述べられている。
    その前に、日本国憲法ですべての国民に保障された教育の機会均等・基本的人権・・・・具体的に一人一人の国民がその受益者となるために保障する機関が地方自治体であり、知る権利、学ぶ権利を保障する機関のひとつに図書館もある。うまくまとめられませんが、また次回こんな学習会があれば参加したい、もっともっといろんなことを知りたいと思ったのです。首長には、市民ひとりひとりにこれらの権利を保障する責任があります。
    市民にとって、必要なこと、行政の責任でもってやらなければならない基本的なこと、それらは行政改革云々とは、まったく異次元のこと。・・・・いじめ問題でも心を砕いて働いてこられた教育部長が突然秋に異動になったり、
    図書館でお世話になっていた司書さんたちがいなくなってしまったり、私たち市民の立場でものを言ってきた方々が私たち市民の前から去っていきました。なぜ??越市政に???と思っている一市民です。

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