これもAさんとします。炭鉱の閉山で無職となった夫と共に福岡に住んでいたAさんは、夫に先立たれ、大津に暮らす子息の家に身を寄せました。しかし子息一家の生活も楽ではないため、世帯分離によりAさんだけに保護を適用しました。初動調査で聞くAさんの人生は苦難の連続でしたが、あくまで語り口は柔和であったことを覚えています。 保護開始から2、3か月たった頃だったでしょうか、突然Aさんが市役所にやってきました。 面接室で向かい合うとAさんは、ようやく大津での生活に慣れてきたと日々の暮らしの様子をあれこれ語るのです。私もよかったですねと相槌を打っていたのですが用件がなかなか始まりません。やがて帰るそぶりさえ見せるので、今日はどうされました?と尋ねると、Aさんはようやく意を決したように手提げ袋から卵一パックを取り出してそっと机の上に置きました。「いつもお世話になってばかりで、、、、」。
たいてい鈍い私にもその意味は分かりましたが、あえて「お買い物ですか」と聞いたのです。
するとAさんは、本当につまらないものだが日ごろのお礼の気持ちとして受け取ってほしいと熱心に繰り返しました。 職務に付随して、しかも困っている人から物をもらうわけにいきません。私も負けじと熱心に断りの言葉を並べ始めたのですが、ふと考えが変わりました。そしてお礼を言って有難くタマゴを頂いたのです。Aさんはにっこり笑って帰っていきました。
私の対応は公務員としてマルかバツか、人間としてマルかバツか、そもそも「公務員として」と「人間として」という二つの尺度が併存し得るのか、わずか卵一パックの贈与ですが人によって評価は分かれるでしょう。 また、小さな物であっても貰うという行為には心理的負担が伴いますから、前回の話(強者の立場と弱者の立場)に通じる部分もあると思います。しかしここでは、そうした点に触れません。
私は、その時、相手が差し出したものを受け取ることが自然であり礼儀にかなうことだと感じたのです。家でおいしく卵を頂き、しばらくたった日曜日、Aさん宅に立ち寄りささやかなお返しを渡しました。 お返しの品を買った西武百貨店は開業して間もないころで大賑わい、今は昔の話です。
庭の住人です |
茂呂さんは、素晴らしいケースワーカーであり、よい先輩でありました。お説教ではなく、後ろ姿で、生活課題を持つ人たちへの接し方を教えていただきました。茂呂さんの姿勢は、いつまでたっても忘れることはできません。
返信削除