2015/08/16

2)自己紹介をかねたエピソード ~女性の誘惑にも負けず~


 自己紹介をかねて在職中の思い出を少し書きます。
 私は新採まもなく希望がかなって社会福祉課に異動し、生活保護ケースワーカーとして7年間勤務しました。三十数年まえ、私がまだ二十歳代のことです。直属の上司はT係長、ついでN係長。いずれも生活福祉への熱意と知識を兼ね備えた方で、お二人の指導を受けられたことは若い私にとって本当に幸運でした
 私が担当していたAさんは離婚歴のある50代の単身女性。
手首を浅く切る、距離をとって自動車の前方に飛び出すといった問題行動が見られ、保健所や医師と連携し対応していました。ある日、またAさんが車とニアミスを起こしたので私が駆け付けたところ、彼女は万年床の上に一人ボンヤリ座っており、文字どおり身体から孤独が染み出すような風情でした。 
 私がひと通り確認し話を済ませて帰ろうとすると、突然Aさんが思いつめた口調で「私は口が固い」と言い出すのです。只ならぬ様子に思わず私が座りなおすと、続けてAさんは「誰にも絶対話さへん。私を抱いてちょうだい!」と声を絞るのです。
 あまりに突然で私は言葉を失いましたが、その瞬間、Aさんと私の立場がゴロリと逆転し、先方が強者、こちらが弱者になったと感じました。私の対応が次にAさんのどんな行動を招くのか。私は、命を担保にAさんに迫られたように感じたのです。しかし「分かりました」と言うわけにいきません。
 拒絶的な私の反応に早くも涙を流すAさんを刺激しないよう注意しつつ、私はあなたの身を案じている、軽はずみなことをしないように、次の通院日も決まっている、十分大切にして下さい等と途切れなく話し続けました。話し続ければAさんは動かないと思ったのです。そして後ずさりに玄関を出たところで、「だれも私を構ってくれへん!」という彼女の叫び声が追いかけてきました。
 構わず公用車に飛び乗り、鹿跳橋を渡ったあたりで汗が噴き出したことを覚えています。
 家庭訪問では色んな体験をしましたがAさんの思い出は今も鮮明です。

 生活保護は恩恵でなく権利であり、かつ公務員たるものは民主的に仕事をすべきであると私は考えており、Aさんにもそのように接していました。しかし、ケースワーカーの仕事は法に基づき対象者を差配する側面があり、くわえて「お世話をする側」と「される側」では心理的な負担も違います。
Aさんの突然の「攻勢」で防戦一方となった私は、それまで意識せず自分が強者の立場にいたことに改めて気づかされたというわけです。
これは、福祉、介護、医療など「お世話系」サービス全般につながる話だと考えています。
 よく病院や福祉施設などでサービス提供者がクライアントに対して過剰に親しげに振る舞う光景を見かけますが、私はその背景に強者の余裕と驕りを感じることがあります。まず基本となるのは目の前の個人に対する尊重であり敬意であるべきでしょう。さすれば「おじいちゃん、よう出来たねえ」などと気安く言えないはずです。
 親しさの表現が良質のサービス提供の保証あるいは証明であるという発想は思い上がりです。
 それは信頼関係を築いた後の、第二ステージにおけるオプションに過ぎないと私は思います。重要なこととはいえ「二の次」であると考えます。
 現役のころ、そうしたサービス提供の心構えを仕事仲間に説いてきましたが、私の「原体験」まで語る機会は多くありませんでした。
 ちなみにAさんは、その後大きな事故を起こされることはなく、晩年は福祉施設に入所されたと聞きました。



                                セミも豊作です

0 件のコメント :

コメントを投稿

1月9日をもってコメント受付をすべて終了しました。貴重なご意見をお寄せ下さったことに心からお礼申し上げます。皆さまどうも有難うございました!なお下の(注)はシステム上の表示であり例外はございません。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。