2022/12/21

195)ケアをめぐって 8(終わりに)

 この「ケアシリーズ」は、「介護」も「被介護」も人生の当たり前、自然の道筋であると今さらながら思い至り、私の小さな体験を少し遠くから眺めようと書き出しました。もとより手のとどく範囲は限られており更新にも時間を要しましたが、道中で何冊かの本( エヴァ・キテイ 、小堀鷗一郎、中井久夫...
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2022/11/28

194)ケアをめぐって 7(個人的なこと)

 これが初めてではありませんが今回はきわめて個人的な内容にわたります。背伸びをして「公」の看板を上げているとはいえ所詮は個人のブログ、こんな「お断り」は大げさかもしれません。しかし、不特定多数の人が共有するネット空間に私ごとき者の「私事」をのせることにいつも気がひけます。「公私入...
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2022/11/13

193)ケアをめぐって 6(訪問の仕事)

  この9月に96才の誕生日を迎えた母の話から始めます。病気と付き合いつつ独居を楽しんでいた母が心不全で入院したのは4月のこと。一命はとりとめたものの寝たきり状態となり、翌5月、退院してそのまま娘の夫である私の家で療養生活を始めました。最初の2か月は読書三昧(1日1冊読了)の日々...
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2022/11/03

192)ケアをめぐって 5 (在宅ケア)

 なかなか捗らない「ケアシリーズ」も何とか終盤に入りました。今回のテーマである「在宅ケア」は、自分の住まいで病気をいやすという点で「自宅療養」と同じですが、ここ20年ほど、高齢者の終末期医療の場を病院から自宅へ移行させようとする国の方針のもとで多用された言葉で、当然ながら「みとり...
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2022/10/12

191)ケアをめぐって 4 (地域包括ケア)

 これまで人間の本来的な在り方としての「依存」と「ケア」の問題を眺め、ついで家族介護のシーンで存在感を増しつつある「男性介護」にふれました。今回はケアが行われる「場」と「仕組み」である「地域包括ケアシステム」について考えます。このシステムはまだ理念の段階から大きく前進していません...
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2022/10/01

190)ケアをめぐって 3(男性介護)

 ~  介護をしない男を人間と呼ばない。介護は人間しかしない、他の動物は決してしない営みです。ですから介護することは人間の証明です。性別役割分業のもとに育てられた男性は、具体的な介護の仕事に戸惑い、悩むことが多いでしょう。しかし一方で男性には長年にわたって築き上げた社会的スキルが...
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2022/09/24

189)ケアをめぐって 2 (ケアの倫理)

  私と家族の事情により「介護」、広くは「ケア全般」について考えることとなりましたが、私たちが夫婦として過ごした最終の日々がその契機となったわけではないことを言い添えたいと思います。私たちは一貫してケアを「する者」と「される者」という関係になく、それまでからずっとそうであったよう...
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2022/09/18

188)ケアをめぐって

 このブログでは、いまだにメインテーマである「公」について系統立てて論じていません。たとえば、「公」の定義や概念の変遷(「公儀」という語もあったように)、民主主義や社会正義さらには政治と「公」との関わり、さまざまな表現活動に見る「公・私」関係の変容、情報通信技術(ICT)や人工知...
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2022/09/09

187)出るわ出るわ

 「お通じ」に悩む人が多いのでしょう、ネット上には「朝イチどっさり」とか「出るわ出るわ」とミもフタもない便秘薬のCMが流れています。しかし最近は自民党から「出るわ出るわ」。ひどい悪臭がただよっています。これでスッキリしたと党幹部は言いますが、懐中電灯で暗闇をさっと掃いたほどのこと...
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2022/08/28

186)原発事故 5(追記)

 話題を変えようとしたら政府が「原発推進」のノロシを上げました。岸田文雄首相は「大津通信」を読んでいないのか! と書くと「コイツは大丈夫か?」と心配くださる向きもありましょうが、いえ大丈夫ではありません、私はキレています。「ごまめ」どころか「めだか」の歯ぎしりにも及びませんが追記...
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2022/08/16

185)原発事故 4(国策のわけ)

 「国策」である原発が国と事業者なれあいの「無策」の末に爆発し、いまも国土と海を汚染し続けています。11年たって溶け落ちた核燃料(デブリ)の状況すら把握できず処理方針は未定。原子炉(1~3号炉)の底が抜けたため、チェルノブイリのように「石棺」で覆って放射能の減衰をまつ「時間かせぎ...
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2022/07/29

184)原発事故 3(地裁判決)

 東電旧経営陣、勝俣・清水・武藤・武黒の4名は13兆円を賠償せよ。株主訴訟の東京地裁判決(7月13日、朝倉佳秀裁判長)はもっとも至極の一語につきます。判決から日にちが過ぎて後味はなお爽やか。原発が国民の命と暮らしを「いかに損なわないか」との観点から社会的公正の範が示されましたが、...
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2022/07/09

183)原発事故 2(原発との「出会い」)

 メインテーマの「公 (おおやけ) 論」は歩みが遅く未だに周辺を手さぐりしている状況ですが、この「公」とは、若い人や生まれてくる人によりよい形で私たちの社会を引き継いでいくための手順であり思想でもあるということができます。そして「未来へのバトンタッチ」という観点からも、私は「原発...
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2022/07/03

182)原発事故(最高裁判決)

 原子力発電は子々孫々にわたる禍根である、いやそれどころか、子々孫々までこの社会を引き継ぐことを危うくする危険物であると私は思っています。正確には「思う」というより、地球が丸いのと同じくシンプルな客観的事実であると認識しています。それゆえ、「原発推進政策」をあえて選択し、科学的な...
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2022/06/23

181)公文書裁判判決に対する市の見解

 大津市は「公文書裁判」の敗訴を一体どのように受け止めているのか。大津市議会6月通常会議で八田憲児議員がこの点を質問され、佐藤健司市長が答弁されました。このブログでは前市長越直美氏の公文書不正をはじめ市民と法にそむく市政運営についての論評を終了していましたが(怒りと徒労感を感じつ...
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2022/06/09

180)恥ずかしい資本主義

 また私事で恐縮ですが、体調不良を実感するこのごろ、自分の代でカタをつけておきたいことが幾つかあるのに寄る年波に負けてはおれぬと一念発起してウォーキングを再開し、受診のかたわら湖南アルプスと呼ばれる桐生の山すそをふらふら彷徨っています。そんなある日、起伏の多いコースを歩き終えてベ...
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