2015/12/05

59)大津のまちの歩み(その4)

 越市長が「結の湖都」のまちづくりにどこまで迫れたかが今回のテーマです。結果から申し上げると100点満点の5点でしょうか。これでもかなり好意的な採点です。越市長はトップダウンで熟議を経ない(いわば問答無用の)節約改革を進めておられますが、このことだけでも協働のまちづくりの視点から見ると完全アウトです。

 これまでブログの各所で述べてきましたが、行政は、市域内の相互に対立する多種多様のニーズを十分に知り、可能な限りそれらの調整を図り、時代の要請を踏まえつつ市民満足度の向上を目ざす仕事だと思います。しかも、まちづくりはすぐに答えが出ないこともある息の長い営為です。
 そこで基本となるのは、まず様々な意見、主張にじっくりと耳を傾ける姿勢です。仮に市長が内心で結論を決めている場合であっても、謙虚に聞くところから新たな認識が生まれることもあるでしょう。聞く姿勢が理解と歩み寄りを生んで新たな解決に繋がるかも知れません。集団の英知を動員するとはそういうことです。

 市民センター、幼稚園、保育園、図書館、ケアセンターのあり方検討など昨今話題になったことだけでも越市長の結論ありきの性急な姿勢が目立っており、市民の間に不安や不満が広がっているように見受けます。大津駅の改修や観光振興策をめぐる経済団体との埋まらぬ溝も越市長の姿勢によるところが大きいと考えます。
 まちづくりを担う多様なセクターと真面目に丁寧に対話することは、協働のまちづくりのイロハのイ、五十音のあ、アルファベットのAです。

 これまで越市長は、協働のまちづくり推進条例にも市民活動センターの育成・活用にもほとんど関心を見せてこられませんでした。
 市民の多様な活動である自治会、NPO、社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会、生涯学習、文化、防犯、:防災、交通安全、図書館運営、公民館運営、日赤奉仕団、女性団体、スポーツ団体、環境保護団体等々。
 いま思いつくまま並べましたが、「大津のまちのために、対価や名声を求めず、それどころか何がしかのリスクを背負って、貴重なそれぞれの人生の時間をさいて、誰かのようにマスコミ受けを狙わず、地道に黙々と続けられている市民の活動」に対する共感も敬意も持ち合わせていないのが越市長であると私は考えています。
 もし越市長がこの指摘にご異存があるならば、改めて各団体の人々に聞いてみてください。
 私を含めて三者会談の機会があれば喜んで参加します。市長にも4年間の評価をじかにお聞きになるよい機会です。

  これらの団体は性格、目的が違うのでまとめて論じられません。時代の変化の中で新たな組織のあり方を模索する団体、自らの存在意義を問い直している団体もあるかも知れません。
 しかし、基本的に市民の自主性、自発性により支えられているこれらの組織は、事実として大津のまちづくりに極めて大きな貢献をしています。これを金額に置きかえることは不適切かも知れませんが、総活動量を民間サービスで賄うと仮定すると百倍前後の経費がかかるのではないかと思います。
 私は試算もせず当てずっぽうで言っていますが、こうした表現をすれば少しは越市長に有難味を感じていただけるでしょうか。

 ここでは三師会や観光・物産協会のように業にもとづく団体にふれませんでしたが、こうした団体においても事情は同じことです。いずれも大切な大津のまちづくりのパートナーです。
 なれ合いは厳に慎むべきですが、行政にとって大切なこれらの各種団体に対する越市長の対応は、距離をおいた心の通わない冷たいものであったと思います。
 これでは前市長の時代に次第に盛り上がってきた協働の気運も尻すぼみにならざるを得ません。

 これらとは位置づけや性格がまったく異なりますが、議会にしても大きく言うとまちづくりの一つの機関です。市長の部下である職員についても同じ言い方が可能です。これらの組織や人々に対する越市長の向き合い方も、いま述べたことと根っこはひとつです。これが越市長の基本姿勢であると思います。パートナーシップが発揮されなければ協働のまちづくりが進むはずがありません。

 越市長はマニフェストを掲げて当選されましたが、市長である以上、大津市政の最上位の計画である基本構想と総合計画を何よりも優先して実行しなければなりません。そこに謳われているまちづくりの理念、将来都市像の実現もまた然りです。
 しかしながら、「結の湖都」が目ざす協働のまちづくり(お互いさまのまちづくり)は、相手を認め、差異を容認し、大同につくことで進められます。
 越市長は協働のまちづくりの理念から非常に遠い市長であると言わざるを得ません。

ところが越市長は、どういうわけか任期の終わりにさしかかったある日突然、これらの団体の重要性に気がつかれたようです。遠ざけていた団体に会い、自らも出向いて交流を深めようとされているようです(先方は大人の対応をしておられると思います)。
 さてこれを率直と言うべきか現金というべきか何とも表現しがたい点がありますが、私は、大局的に悪いことではないと思うことにしました。これがプラス5点の理由です。

 ここまで私は越市政をめぐって様々な発言をしてきました。その目的は市政運営の実態を広く知っていただくこと、それを契機としてまちづくりに関する議論が活発化することの2点であり、それが大津市民の利益にかなうともの考えて行っています。
 ところが最近、選挙が近づいてきたせいか、私の発言を抑制しようとするコメントが増えてきました。越市長を支援する方々のあせりのようなものさえ感じます。とはいえ投稿者は自ら信じる正義の実現を願ってのご意見を寄せられたのでしょうし、それが情報広場だと思います。
 しかし私が虚心に拝見してお答えしようとしても、その答えはブログの最初のページから今日まで書き綴ってきたことの中に全て含まれているのです。お手数ながらもう一度読み直して下さるようお願いするしかありません。

 また、ここにきて「守秘義務」という言葉が出てきました。
 カルテの情報は患者のものか病院のものかという設問に似ていますが、市政情報は原理的に公のものであり市民のものです。その中で守秘すべきものとして個人情報、交渉中の案件、未決定事項などがありますが、私はこれらを踏まえ自分の立場も自覚し、法律家の助言も受けて発言しています。どうぞご心配下さいませんようお願いいたします。

 話を越市長に戻します。
 世間から色々な意味で注目され、私が辞めてなおブログで論じようとする越直美氏とはどのような市長なのか。ここでまた私は既に行った定義を繰り返します。
 すなわち越市長とは、「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に大きな問題を抱えた首長である」  ⇒ 大津市政21~つまるところ越氏はどのような市長か~
 
 このような越市長の市政運営を考える上で極めて重要な要素となるのが「いじめ事件」です。
 若い命が断たれたことはまことに痛恨の極みであり、すべての関係者がこの出来事を胸に刻み、真摯な思いで再発防止の努力を続けていると思います。
 しかし一方で、当時、全国から非難と怒りが集まる中、越市長は市と教育委員会を分断するかのような発言をされ、当時の教育長が暴漢に襲われる無念の事態となりました。
 警察の捜査、第三者委員会の調査、卒業式、裁判、関係条例の制定、国の議論、いじめ防止対策等々、各方面の注目を浴びながら事態が進んでいくうちに、市役所内にこの件に関して自由に考え語ることをはばかる空気が醸成されていきました。

 たいへん深刻な事件があったわけですから「自粛ムード」もある意味で当然なのですが、こうした思考は、この事件で積極的な言動を続ける越市長に対して何も言ってはならないという過度の自制心を市役所内に生じさせることとなり、その雰囲気は議会にも及んでいたと思います。
 言ってみれば市役所に魔法がかかっていたような感じです。
 それは、反省と自粛に基づくものではありましたが、一方で客観的な見方や自由な考察を抑制する方向に働いたという気がします。この中で越市長の施策が進められていきました。
 私はことの善悪を云々するのではなく、当時の市役所内部の状況を説明しているに過ぎませんが、この状況が越市長の市政運営の考え方に大きな影響を及ぼしたと思います。
 いま結論めいたことをいうだけの考えは持ち合わせませんが、今後越市政を考えていく上で考慮すべき特殊な事情であると思います。
 
 付言しますが、教育長が襲われた件について、当時の庁舎の安全管理体制に不備があったと思います。庁舎管理に関することは私の所管であり、当時の状況を踏まえて適切な体制をとるべきであったところ、それが出来ていなかったことを反省しています。この事件後に管理体制の見直しを行いました。



1 件のコメント :

  1. 若手市議の会レポートその4

    ◯職員との信頼欠如

    茂呂氏は、職員と市長をつなぐパイプ役を充分に果たせなかった反省を最初に述べました。市長だけがわるいのではない、一生懸命にやったけれども、職員と市長の間をつなげなかった自分もわるい、市長からの信頼をなかなか得られず力を奮えなかった、とくに最後のほうは奮えなかったと述懐し、その責任をとるために辞職したのだと話しました。

    大津市職員の数は3000人、非正規雇用まで含めれば5600人、全部で5600対の目と耳がある。この5600対の目と耳を信頼して得るものを得れば、市長の力はそれだけ広がり、ひいては間接的に市民との対話を進めることにもなる。そのように茂呂氏が話すのを聞きながら、職員は市民の声の受信アンテナというところがユニークな発想だと思いました。だから、越市長も現場の意見にもっと耳を傾ければいいと茂呂氏は言います。

    そして、茂呂氏は、こうまとめました。

    「(市長は)コンダクターなんだから、うまく働かせてくれたらみんな働きたいんですよ。それをやっていただけてないってことを痛感しました。もちろん、市長がよかったってわるかったって、地方公務員は法律に基づき、しっかり働かんならん、怠けてはいかん。市長のために働くと義務付けられてますから、やるんですよ。市長がわるいからサボろうなんて職員はいないと思うんです。でも、職員が規定通り100の力を出せるところを120にも130にも出させて市民のために働かせるってところが、やっぱり市長の責務なんです。それが、残念ながらできてないっていう風に私は思っています」。

    ◯行財政改革のゆくえ

    レクチャーも終盤、持ち時間の40分はとっくに過ぎてアディショナル・タイムでのトーク。急ぎ足の茂呂氏ですから、論旨の節目を見つけづらい展開となりました。

    はじめに茂呂氏は、行財政改革には理念がとても大切だということを取り上げました。
    理念というのは、しょっちゅう顔を出すくせに、分かったようで分かりにくい言葉です。茂呂氏のトークから類似の言葉を探ると、「ビジョン」、「方向性」、「目的」が見当たります。さらには、このような言い方もしています。
    「行革はともすると手段が目的になっちゃうんですね。何人減らしたからマルだ、何万円減らしたからマルだ。じゃあ何のために?っていうそこがとてもだいじだと思うんですね、そこを常に問い返していく。じゃあ何を以って問い返していくのかといえば、まちづくりの理念だし、市民の幸福は何かっていう自問だと思うんですね」。

    しかし、その理念とやら、実にやっかいであることを茂呂氏は充分に承知している様子です。
    人口減少と超高齢化という未曾有のダブルパンチ。「いままでになかったことをしていかなあかん」がゆえに「これまでの行革の理念を転換していかなあかん」と茂呂氏は考えています。しかし茂呂氏にも明確な答は見つかりません。「幸福の国ブータン」とワンセットで話題を呼んだ「GNH(国民総幸福量)」のような価値観はおさえておくべきだろうといいます。量的拡大が終わりこれまでと質の違う時代の到来を迎えて社会のありようも変わる。市民の価値観も変わらない訳がない。そのなかでの行革の理念は何かということのようです。
    丁寧に遺産相続し、丁寧に市民の声を聞き、丁寧にやっていくなかから答を探し当てるしかないということで、ひとまず理念の話は終わりました。

    越市長の財政改革に関しては、「大津の行革には3つの目標があるなか、節約の部分しかやってらっしゃらない」だけでサラリと流しました。
    私の場合、ここにもっと時間を割いて欲しかった。行政改革は越市長の看板になっているくらいですから、本当に意義のある行政改革が進められたのかを見直して越市長の存在価値を評価して欲しかった。というのも、市民の目線がまず行く先は市長の政策だからです。

    <越市政で結の湖都のまちづくりは進んだか>

    ひとことで言うと進んでいない。これが茂呂氏の結論です。

    こんな抽象的な目標なのに、進んだとか進んでないとか、何かを尺度に評価できるの?という声もあると思います。実は私もそう思いながら聞いていました。
    茂呂氏が判断基準としたのは、市民と行政の協働効果を生かそうとする市政であったかどうかです。茂呂氏の言葉では「まちづくりを担うそれぞれのセクターを認めて、尊敬して、尊重して、いかに誠実に向き合ったか」ということになります。
    セクターというのがこれまた分かりにくい。茂呂氏が挙げたセクターは、市民個々人、事業者(企業)、市民団体(医師会、歯科医師会、薬剤師会など)、自治連合会、です。越市長はそうした各セクターとの信頼関係が構築できていない、向き合えてないと、茂呂氏の評価はそう高くありません。協働の基礎条件が成り立っていないというのです。

    そのいっぽうで、茂呂氏は、越市長のトップダウン的行政改革を評価する声があることにもふれました。そして、ここまでのトークは私見だから決して断定的に捉えていただかず、ここからのパネルディスカッションで越市政がどうであったかを話し合おうと語りかけました。

    「最後にひとこと」。いよいよレクチャーのクライマックスです。
    茂呂氏は、行政の果たすべき役割は市民の声にしっかり耳を傾けながら相反する利害のバランスを調整していくことだと、持論を短く述べました。行政の運営手法をまちづくりの哲学が支えると聞いて、ベテランならではの見識だと感心しました。

    「大津は、やはり、ポテンシャルあるんですよ。だから、行政がいろいろ混乱したって土台はしっかりしてるし、大津に住んでる人はやっぱり大津を愛してるんですね。これを生かしていいまちになっていく、私、絶対にさらにいいまちになっていくと確信してます。大津に住んでる人たちがまちを愛して、よりよくしていく。行政の職員が頑張るのはもちろんですけども。で、議員の皆さんが、そうした声を反映させてしっかりやっていく。絶対いい大津になると思います」

    茂呂氏はこのようにレクチャーを結びました。茂呂氏、おつかれさまでした。

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