2015/12/02

58)大津のまちの歩み(その3)

 またしても間があきました。将来都市像を手がかりに大津のまちづくりを考える小さな試みに戻ります。まず「結の湖都」の簡単な説明ですが、ご存知の方は飛ばしてくださいますよう。「市議の会参加コメント」のほうがきちんと書かれているのでご覧ください。私の出る幕がないくらいです。

 「結(ゆい)」は、今はすたれた地域共同体の相互扶助の仕組みのことで、私の中学時代には社会の教科書に「昔話」として載っていました。田植えや稲刈りのなどの大仕事の際、近所の人が我が事のように手伝うのですが日当なしが大原則。その代わり助けられたら助けに行く。お互いさまの助け合いです。世帯によって労働力の差がありますから「助ける分量」と「助けられる分量」が厳密に同じではなかったでしょう。働き手の少ない世帯の受益が大きかったと思われますが、これが本当の助け合いだと思います。近年の概念である「協働」を象徴する言葉です。

 「湖都」は、琵琶湖に接するすべての市町がそのように自称していますが、その名にふさわしいのは(すみませんが)大津だけだと思います。大津は、よそと比べて市街化区域(住宅の多い都市的地域)の接水距離が圧倒的に長いという特徴があります。加えて中北部が琵琶湖を一望する「傾斜都市」であること。都市空間と広大な内水面の併存が大津の都市構造の最大の特長です。琵琶湖が市民の心のオアシスとなっているのは当然で、観光資源としても不動の一番でしょう。
 ちなみに県庁所在市で類似の条件を持つのは他に松江市(宍道湖)だけだと思います。

「人を結び」は地域住民の連帯であり、広域交流も展望する言葉。
「時を結び」は悠久の歴史性。有形無形の歴史文化資源を受け継ぎ、引き渡していく心。
「自然と結ばれる」は説明不要ですが、ここだけ受身形になっているのは母なる琵琶湖をはじめとする自然の大きさとその懐で暮らす人間との関係性を示しています。
 これが大津の将来都市像~人を結び、時を結び、自然と結ばれる 結の湖都 大津~です。

 総合計画審議会(市民はじめ各界の代表者で構成)の審議の賜物なのですが、フレーズ自体は審議会の部会長を務められた龍谷大学の富野暉一郎先生の発案です。私をはじめ事務局が百をこえる原案を作成してすべて不採用、最後に富野先生にお助けいただきました。
 この経過は審議会の方々はすべてご存知ですし基本構想もラスト1年になったことから、こぼれ話としてご紹介する次第です。

 次期基本構想で新たな都市像がどのように描かれるか知る由もありませんが、大津がこれから向き合っていく課題、すなわち人口減少、少子高齢、災害対策、活力維持等々を考えるとき、結の湖都に示された「お互いさまの助け合い」の理念は依然として重要であると考えます。
 「お互いさま」というからには、まちづくりの多様な担い手の間の相互理解と相互信頼がきわめて大切です。理解と信頼に基かない「協働」は「経費節減の行革」に堕落しかねません。
 それを左右するのが行政というセクターのトップである市長の姿勢です。
 次回は、越市長が「結の湖都」のまちづくりの実現にどこまで迫れたかを考えたいと思います。






 

13 件のコメント :

  1. 茂呂氏からおほめいただいて、かえってお恥ずかしいことで。当日の生の言い回しの前後に少し文章をくっつけているだけです。茂呂氏のトークが上出来だったから、ほぼ書き写しのこれも分かりやすいということです。

    さて、レクチャーは最終パートに入りました。茂呂氏はまず越市政をふりかえり、次に「結の湖都 大津」のまちづくりがどれだけ進んだかを評価していきます。

    <越市政をふりかえって>

    という配布資料の見出し。冒頭、茂呂氏は、越市政が「混乱の船出」だったことに言及しました。これは、ご承知の通り、平成24年のいじめ問題と未曾有の土砂災害を指します。

    ◯混乱の船出

    集中豪雨による土砂災害では、初めて他自治体の応援を仰ぐことになったと、その甚大さを茂呂氏が振り返ります。職員が一生懸命だったことも言い忘れません。翌年には台風18号の災害もありました。
    それまでこれだけ大きな自然災害がなかったというのに、発生したのがたまたま越市長の時期。市長とはなんと責任重大な仕事であることかと茂呂氏があらためて感じるなか、越市長は大変な事態への対応に熱心に取り組んでいたといいます。「性根が座っておられるといいますか、一生懸命に仕事にあたられた」と感服気味の表現が出てきたのもこのときです。

    いじめ問題のほうは、全国で類似の残念な事件が起きているなか、大津市においてとくに大きな社会問題になったと、茂呂氏はそこに焦点を当てました。それには複数の要因があるだろうとのことでした。(このときは「混乱の船出」でいじめ問題を取り上げていますから、あの問題がどういう風に船出を難しくしたのかという見方になってきます。)
    教育委員会や学校に責任がないとは一切言いませんと何度も繰り返し、聞く人の誤解を誘わないように言葉を選ぶ茂呂氏の姿が印象的でした。

    しかし、市の代表者はやっぱり市長だし、教育委員会に独立性があるといっても統括責任者は市長が務めるのだと、ここで茂呂氏は制度面に目をやりました。さらには、いじめ問題裁判の被告が市長であることを例証とし、このふたつから、あの問題の最高責任者を市長とするのは世の仕組みであることを説きました。

    ところが、越市長の場合、一方的に教育委員会と学校だけがわるいと対外的に強く打ち出していったと茂呂氏は指摘します。教育委員会には全国から何万件という苦情の電話やメールが寄せられ、最も長い電話は5時間に及んだそうです。茂呂氏は、お叱りの声は当然で教育委員会は真摯に対応していたと付け加え、それ以上はとくに何も言いませんでした。

    そこで私が考えるには、教育委員会と連携しつつ自らが先頭に立って責任を果たすというのが、世の仕組みから導き出される市長像です。けれども、越市長のスタイルはその想定に反していたわけです。普通のやり方では足りないほど教育委員会がわるいのか、大津の場合はそうなのかと、こうなってしまいますよね。
    越市長の責任回避姿勢によってターゲットは教育委員会だというように事態が単純化された。市長と教育委員会が善と悪に二分され勧善懲悪のストーリーが世間で共有された―――とまあ、このように図式化して考えることもできる話でした。

    茂呂氏の話に戻ります。彼は、学校のみならず、大人のパワハラのように、人の集団におけるいじめ発生は残念ながら不可避だと言います。いじめを決して許してはならないが、それは起きるものだと、それを厳然たる事実として受け止め、生命の大切さを教える教育を進めていくなどの事前対策がたいへん重要になってくるとのことです。いまの大津市にはいじめ対策室があり、教育委員会も事前予防に力を入れていると、そういう風に茂呂氏は言っていました。

    ◯見えないビジョン

    茂呂氏は、越市長が大津をいったいどういう町にしたいのかという明確なビジョンがないと指摘します。4年間で大津を変えるという意思以上のものが感じられないというのです。そして、市長から幹部職員(部長・課長)に向けて発せられる言葉にもビジョンが見えないと言います。では、見えないビジョンに対して見えるビジョンとはどういうことなのか。茂呂氏は目片前市長を実例に持ち出してきました。目片前市長はこんな風に語ったそうです。

    「大津は結の湖都を打ち出した。市民とか企業が元気に活動している町っていうのを自分は目指したい。だから、君ら、部長として、課長として、それを心に置いておけ。地域の特性を踏まえて施策を行え。とくに、うちは合併したばかりだ。そういうことも考えろ。その際に生活感がだいじだ。実感で施策を考える必要がある。市民の不満には自分が(市長が)ちゃんと応えるから、責任をもつから、思うようにしっかりやってくれ。そういう風な活気あふれる町にしたい。」
    「市民の不満には自分が応える」の言葉通り、市民からの手紙に自筆で返事を書く姿勢を守ったそうです。

    このような明確なビジョン提示が市政運営には不可欠だと茂呂氏は言います。職員にベクトルを与えることの大切さです。職員たちは市長を応援したい。その心理に応えるのが市長から強く発信されるまちづくりのビジョンだというのです。
    「しかし、残念なことに」と茂呂氏。越市長の場合は、マニフェストに掲げた「大津をもっと活気のある町にしたい」以上のビジョンを市役所内に発信することがなかったといいます。茂呂氏は、部長の立場、副市長の立場で越市長に仕えましたが、自分が知るかぎりでは方向性に関する発信らしい発信はまったくなかったという感じでした。

    ◯市民との対話不足

    市民との対話には直接の対話と間接の対話がある。直接の対話の機会は限られている。限られているけれども最大限だいじにすべきで、ひとりの市民に丁寧に接したら、口コミでそれが伝わり、信頼感の醸成にもつながる。
    茂呂氏は、まずそのように述べました。そして続けます。
    「越市長は、これを丁寧になさってないというところが・・・いまは知りません、選挙も近くなってきて、いまは知りませんけれども・・・ずーっと基本的な姿勢としてそれがある。残念だと私は思ってます」

    ホームページや広報といったツールを介して自分を発信するにとどまらず、face to faceの機会における発信がさらに大切だと茂呂氏は言います。「批判というのではなくて、事実こういうことがあったという例をお示ししますと」とことわり、東京の会議と大津市内の集まり(地道な地域福祉活動を行っている団体の集まり)が重なったときのことを話し始めました。東京のほうは任意参加で、大津のほうからは越市長への熱心な出席要請がありました。越市長は周囲の意見を聞かずに東京のほうに出席した。こういうことが何度もあったそうです。
    「どうしても全国レベルの出来事に軸足が向いちゃう」のが越市長だといいます。基礎自治体の長として地域を大事にすべきなのに、それよりは全国的に名前を売れる機会を重視するといいます。
    越市長はとても注目度が高い市長、歴代市長のなかでもうんと発信力のある市長、茂呂氏はそう考えています。それゆえ、全国に名前を売ることも市内各地に出かけていくことも両方とも大事にすべきだ。しかしそれが両立できない場合は地元を優先すべきだと思っていたそうです。
    この例が示唆する地元ネグレクト傾向が市民との対話不足につながりがちだというのが、茂呂氏の見方です。

    続いて茂呂氏はおよそ以下のような話をしました。

    「市長に会おうとして門前払いを食った団体や個人を沢山知っていますが、皆さんガッカリしておられました。不当要求でもない対話をなぜいつも拒否するのかという疑問や不満です。市長は多忙ではありますけれど、対話の姿勢をしっかり持つことは、哲学の問題だと思います。一方で運よく市長に会われた人のうち、やはりガッカリするケースも少なくなかったと思います。対話が成立しない、聞くふりだけで何も聞いておられないという訴えを私もよく聞かされました。こうしたことはいまだに残念だと思います。」

    越市長は「結の湖都 大津」への関心も低いと、茂呂氏は言います。それはそうだろうと私も思います。「結の湖都 大津」は市民と行政の協働を旨とするまちづくりです。市民と行政の協働を大切にする市長であれば市民との対話も大切にするはずです。茂呂氏の語る越市長からは市民との対話を尊重する姿勢が伝わってきません。

    茂呂氏のトークはさらに続きます。次回は、「職員との信頼欠如」、「行財政改革のゆくえ」、そしてテーマにもなっている「結の湖都のまちづくりは進んだか」です。そこまでいったら、茂呂氏のレクチャーが終わります。(続く)

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  2. 仕事がないと大津に住み続けるのは無理です。湖岸線に建っているのは非正規雇用の商いばかりです。市役所でそれなりの給料もらっている人は、結だ湖都だと考えているだけでそれなりの給料をもらえるのですが・・・うちの娘や息子に、琵琶湖が見えていいところだから貧しいのを我慢して暮らせと説得してくれますか?

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  3. 越市長になってから就任前の職員の不祥事がたくさん表面化されました。
    処分も厳しくなりましたね。
    これが普通なのに、こういったことを嫌う職員が反越市長ということですか?
    こういったような甘い組織にしたのは誰の責任なの?
    前市長?
    歴代総務部長?

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    1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    2. 職員の不祥事の最終責任者は市長です。越市長になってから不祥事急増ならば、それだけ越市長が監督不行き届きだということです。越市長になってから不祥事の温床だなあ、そんな市長ダメだなあと、こういう趣旨で受け取っていいんでしょうか。もし、越市長をよく言いたい目的でしたら、大失敗のコメントなんですが。

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    3. コメント主の方、越市長時代の不祥事が次の市長時代に発覚したとき、越さんの責任だと主張します?

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    4. 目方さんに責任持ってくれとお願いして、ついでに処分も下してもらうってことですか?。そんなアホな。
      過去の市長時代に生じた不祥事でも、発覚時の市長に責任。処分の権限も現市長。厳しい処分は私が下す、責任は前市長に持たせるなんて片翼飛行はあり得ない。

      厳しい処分が普通?その感覚でいいかどうか、問い直す必要があります。
      実例として思い出すのが、いじめ問題の担任教師。あの教師に対する処分を、当時の県知事や県教委は妥当と評した。越市長は甘すぎると不満を表した。
      どの程度の厳しさが普通なのかは市長の恣意で決めることができないという好例。よく考慮した家で他事例と整合性のとれた処分内容に落とし込まなければ、処分の軽重に不公平が生じます。

      じゃあ、なぜ、越市長はあの処分では不服だったのか。もっと厳しい処分を望んだのか。
      教育委員会と学校がもっぱらわるいというスタンスだったからと私は思いますねえ。その前提でいるから、担任教師に対してそれくらいの断罪では足りないと思えるのでしょう。
      それに反して、あれで妥当とした県知事や県教委には、いちばん大きな責任は市長にある、末端の教職員を厳しく罰しても真の責任を果たしたことにならないという考え方があったのでは?
      私の深読みかもしれませんが、県知事や県教委の判断には、越市長は自分の責任をどう考えているのか?という問いかけも入っていた気がします。

      ところで、不祥事に対する厳しい処分に対して、誰か不平不満を言ってる職員がいるんですか?その事実の有無をまず示してもらわないと、勝手な決め付けの域を出ません。

      はっきり言いますが、越市長を応援したい方々、どのコメントもきめが細かくありません。粗い、粗い。もっと理にかなったことを言わないと、越市長の評判をかえって落としてしまいます。

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    5. そんなにありましたっけ?
      記憶にあるのは市長のタクシー通勤とパワハラ疑惑と公文書廃棄疑惑ぐらいなんですが、、、

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  4. 茂呂さんのブログがあると聞き、やっと、探し当てました。
    1月中旬までは開店とのこと、初めから読んでみます。
    匿名の さざなみ です

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  5. 茂呂氏、広い視野に立って公共の観念を尊重しようと心がけるあなたのような人が大津バカ、行政バカになってはいけない。もったいない。

    琵琶湖岸を琵琶湖全体で考えてほしい。いろいろ多様だからいい。その知性と感性をもって近江の風土という視点から琵琶湖を見てもらえないものか。くれぐれもいうが、大津バカ、行政バカになってはいけない。

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    1. あなたは何をもって茂呂さんが大津バカ、行政バカと決めつけるのですか?
      日常的に多くの市民が琵琶湖に接することができる大津市の地勢が恵まれたものであると言っておられることをそのように理解できるものでしょうか。理由も示さずそのように言うのは見苦しい誹謗中傷でしかないですね。
                  ----- ギャベジン

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    2. ぎゃべじんとかいうあなた、読解力ゼロ、文章のニュアンスを解する感性ゼロ。

      茂呂氏への大きな敬意があるから言えること。茂呂氏ほどの知性と感性があるなら、大津の行政にとって都合のいい琵琶湖の解釈をせずに、近江と琵琶湖で見てくれ、湖を囲む土地利用の多様性を見てほしいから言っている。。
      この言い分のどこが誹謗中傷?どこが見苦しい?しかも、大津バカ、行政バカにならないでくれと言っている。バカとつくだけで誹謗中傷と感じてしまうあなたの幅狭さのほうがよほど見苦しい。

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  6. 「湖都」を目で感じられるといいますと、名神高速大津SAからの景観があります。みんな思わずスマホを構えています。比良比叡+市街地+琵琶湖のバランスはなんともいえません。よその人たちは「きれいだねえ」で去って行きますが、ジモティーの私は、かすんで見えない比良の方向に目を移し、「しかし、むちゃくちゃな町やなあ。ひとつの市にまとめてしまうのは無理や。ちゃんと考えて合併したんかい?」と思いながら見続けています。市政とひとくちにいうけれど、市政と町政と村政の混在が必要なまちではないかと思えます。
    そんな大津で、みんなに共通のアイデンティティーを設けようとすればかろうじて琵琶湖に助けてもらえますが、「結」のほうがどれだけ難しいことか。ほぼ毎日、大津SAから大津を見下ろしながら、自分が市長ならどうするかなあと思いを巡らせています。そんな私は草津市民です。すんません。

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