2019/10/18

85)陳述書(1/2)~何が起きたのか~

大津市の公文書非公開等の処分は不当であるとして訴訟が提起されており、私は原告側証人として、本年11月19日、大津地裁で証言を行うことになっています。この陳述書は、それに先立って昨年8月に裁判所に提出したものです。私の体験したことをありのままに書いていますので、思い切ってそのままブログに掲載することにしました。2回にわけてお読みいただきます。                               


 ~陳述書~

<はじめに>                                 
私は39年にわたり大津市役所に勤務した元職員です。昭和50年の採用後まもなく福祉事務所に配属され、生活保護ケースワーカーとしてさまざまな困難を抱える方々のために働いたことが長く職務上の財産となりました。最後の10年余は企画調整課長、健康保険部長、総務部長などを歴任、平成24年6月に副市長を拝命しましたが、平成26年5月、任期半ばで退任しました。
大津は父祖の地、私もまた長く公私にわたり恵みを受けてきた大切なまちです。
職員バッジをはずして大津市を外からながめ、また昨今の政治・社会状況も考えあわせ、改めて公務とは何か、この時代に「公」はいかにあるべきかといった課題について思いを巡らせる毎日です。

そうした中、私のよく知る大津市の不当要求事件について、越直美市長が最高裁判決に反してまで公文書公開請求に応じようとしておられないことを知りました。
副市長退任に際し、私は、自分の所管のうち越市長が関与された重要な2つの未解決案件が放置されることを懸念していました。これらの案件は性格上、職員課作成の総括的な副市長引継文書に記載されなかったため、私は別に平成26年5月31日付で「副市長事務引継ぎにかかる特記事項」という1枚の引継文書を作成しました。それを後任の副市長に手渡し適切な対応を依頼したのですが、この不当要求事件はまさにそのうちの1つです。
 越市長がこの事件にかかる公文書を存在しないと主張されるのは事件の隠ぺいを図って虚偽を申し立て、市民の知る権利を真っ向から否定する行為です。
同時に議会を軽視し、情報公開審査委員会を愚弄し、顧問弁護士との信頼関係を踏みにじるふるまいです。これらは行政の公正性を大きく損ないます。

 しかも最高裁の判決が出た後まで職員に虚偽の説明を強いることにより、その公務員としての誇り、人としての尊厳を深く傷つけています。このような越市長の組織運営により「公務集団」としての大津市役所の健全性が損なわれることについて、私は危機感をもっています。そこで、この憂慮すべき事態の改善に少しでも資するため私が越市長のもとで副市長として体験した事実について陳述を行います。

<発端となった出来事について>
 まず、発端となった職員間のトラブルにつき簡単に申し上げます。
 平成24年8月、女性職員Aが複数の男性職員からセクハラを受けたと職員課に申し出ました。その概要は、「職務時間外に飲食店や自宅において意に反し身体に触れられるなどの被害を受けた。加害者は合わせて4人の男性職員である」というものでした。職員課は直ちに本人及びやはり市職員である父親から丁寧な聞き取りを行いましたが、「加害者への接触は待ってほしい」との本人の要請により男性職員への聞き取りはすぐに行われませんでした。

 この件はただちに市長および副市長であった私に報告されました。市長はもともと職員の動向について関心が大きかったことに加え、そのころ職員の不祥事が続いていたため、不祥事やその疑い例をすぐトップに報告することは当然の流れでした。 
一口に不祥事といっても本人のモラル欠如を厳しく問うべきもの、注意不足が重大な結果を招いたもの、不運な事故によるものなど様々な態様がありましたが、越市長は「市役所にたまったウミを出さなければならない」と公言し、全てのケースに一貫して厳しい対応をとられました。ところがこの案件の一報を聞いた市長が「職務時間外のプライベートな出来事なので不問に付す」との考えを示されたため、私も職員課の職員も何やら拍子抜けの気がしたものです。

 しかし平成24年9月にAが男性職員のうち2人を大津署に告訴したため、11月に任意聴取が行われ、翌25年2月には男性職員に対する市の厳正な処分を求める差出人不明の手紙(いわゆる怪文書)が市長や議会に郵送されます。こうした経過のなかで当初は静観の構えであった市長も本件への関心を深めていかれ、ついには後で述べるように男性職員への過度の関与に至ります。 
なお、告訴された職員の1人であるBは十分な審理を求めて大津市に対する情報公開請求を行い、市はこれに応じなかったものの無罪判決を得て、現在は本訴の原告となっています。残る1人の職員Cは執行猶予つきの有罪判決を受け、市職員の身分を失いました。
以上が事件の発端となった職員間のトラブルの経緯です。

<平成25322日の不当要求行為について>
 次に、セクハラ被害を訴えたAおよび父が引き起こした事件の概要です。
平成25年3月22日、平成26年度人事異動の内示が行われました。Aは異動希望が叶えられなかったことに激高し、秘書課前で「市長に会いたい」と大声で騒ぎ立てました。秘書課職員から報告を聞いた私は驚きとともに怒りを覚え、思わず「すぐにつまみ出せ」と指示したものです。
私は越市長の人事異動について、一人を見て組織を見ない、今年を見て来年を見ない、威嚇はあるが激励がない等の偏りあると考え、より多面的に検討されるよう進言したこともありますが、それとこれとは話が別、内示を不服として市長に直談判を迫ることは組織のルールに照らし許されることではありません。Aの所属部署の職員も駆けつけその場は収まりましたが、これが次の不当要求行為に発展します。

 同日午後、部外者2名が市役所を訪れ、Aの異動およびセクハラ事件の対応について話が聞きたいと市長への面会を要求しました。この要求は市長に伝えられる前にまず職員課が対応しましたが、対応した職員から私が受けた報告によると、Aが部外者の1人に電話をかけ、その者がもう1人を呼んで、A、父、部外者2人がまるで4人一組のごとく職員課に対し苦情を述べたといいます 。
長いやりとりの後で部外者が「これからセクハラした職員の顔を見てくる」と言って職員Bの執務室に押しかけ、大声でその名を呼びました。自席から立ち上がって部外者に近寄ったBが、「これは不当要求ですか。不当要求なら帰ってください。」と応答したため部外者が激高し、廊下で緊迫した押し問答になりました。
そこへ総務部の不当要求等専門監が割って入り、ようやくのことで事態が収束しました。彼らが市役所に来てから帰るまで3時間を超えていたと後で知りました。  
対応した職員課職員はルールにもとづいてやり取りを録音し、すぐに記録文書を作成しましたがそれは次に述べます。
これは市役所で起きてはならない残念な出来事でしたが、そうした中でも職員課が冷静かつ丁寧な対応に終始したこと、職員Bが脅しに屈せず毅然と対応したことがせめてもの救いでした。以上が不当要求事件の概要です。

<越市長への報告および公文書について>
 平成25年3月22日午後、この不当要求事件が収束して間もなく、職員課の職員より私に口頭で報告がありました。部外者の一人は前市長の時代によく市役所を訪れていた人物、もう一人は団体代表者の名刺を持ち、市内の出来事について時おり意見を述べに来る人物でいずれも私が知る名前でした。
市職員がこうした部外者を利用して人事異動や職員への指導、処分等について働きかけを行おうとしたことは前代未聞です。しかも勤務中であり、また部外者の言動は脅迫的なものであったと複数の職員から聞きました。これは極めて悪質な不当要求行為であると私は考え、市長にもすぐ報告するよう指示しました。

それから日を置かず、私は職員課の職員から詳細な記録を受け取りました。職員課は不当要求対応の原則に従って一部始終を録音しており、それを文字に起こしたリアルな記録です。また、添付書類として、部外者が作成し当日持参して職員課に手渡した書面(Aおよび父からの相談内容を記したもの)の写しも付されていました。Aおよび父が以前から部外者に対し、男性職員の処分につき相談していたことはその書面に明らかであり、「異動内示を見たAが泣きながら電話をしてきた」という部外者自身の発言を裏付けるものでした。

私は当時総務部を所管する副市長であり、職員課が扱う職員間のトラブルや不当要求行為など本件に関する一切の報告を受けていましたが、これらの報告文書を受理するたびに「これも市長に上がってるね」と尋ねていました。職員の返答は「これからすぐに市長室に入ります」とか「すでに市長報告を済ませました」などというものであり、市長への報告と書類提出が常に怠りなく行われていることを私は確認していました。
職員課が作成した文書はこの日の記録にとどまらず、Aが職員課にセクハラ被害を申し出からの時系列の報告書もありました。何といってもこれはセクハラが疑われる継続案件であり、しかもAの言動が感情的で主張が一定しなかったため、職員課としては詳細な記録を残して後日に備えようとしたもので、当然のことであったと思います。さらには、不当要求行為があった際の所定の様式による市長決裁文書も回覧されており、私は閲覧のうえ決裁印を捺しました。

 そもそも市長は何事によらず副市長や部長に任せられる範囲が少なく、すべて自ら目を通し判断されることが常でしたから、これらの書類についてもしっかりとご覧になったことは間違いありません。まして当時は目まぐるしい展開を見せ、どちらに転んでも職員の誰かが処分の対象になるような重大案件です。しっかりした報告書がいくつか作成され、それらは詳細な説明とともに市長や私に提出されました。
平成25年3月末から4月初めにかけ、市長、副市長、職員課等による協議も何度か行われました。協議は報告書等に基づいて行われましたが、これは市役所では当たり前のことです。
ところが、これらの記録文書が存在しないと大津市は主張しています。市長室や職員課の書庫に間違いなく保管され、ことによるとAや父の当時の所属部署にも写しが保管されている可能性があるこれらの文書が存在しないと主張しているのです。
最高裁の判決は、文書の存否さえ明らかにせず非公開決定とした大津市の行為を厳しく戒めるものでした。これに対して市は、すでに公開した文書1点のみしか存在しないと返答したわけです。
平成30年6月18日の準備書面で大津市は、甲56号証および甲57号証を「公文書として保有していない」と主張しています。これは公文書以外の文書として保有していることを示唆するものでしょうか。

また、市は、平成29年5月9日に最高裁判決を受け部分公開を決定しましたが、主管課である人事課は「平成29年5月9日時点において甲56号証および甲57号証を保管していない」とも主張しています。これまた、その日以前には人事課が保管していたと認めるものでしょうか。あるいはもし市長、副市長、総務部長等が保管していたとしても、これらの職位は「人事課ではない」ため無関係であるという趣旨なのでしょうか。いずれも早手回しの言い逃れのように私には見えます。
私はこの陳述に際しBの代理人弁護士から甲45号証(怪文書)、甲56号証(報告書)、甲57号証(録音反訳)を見せてもらいました。すべて墨塗りをしていないオリジナルの文書のコピーであり、私は慎重に目を通し、いずれも本物であることを確信しました。これらが真正の公文書であることをここで明確に申し上げます。
残念ながら、これらの公文書が存在しないという大津市の主張は明らかに事実に反します。れは虚偽です。


(※)これは2018年8月、私が大津地方裁判所に提出した陳述書の前半部分。ボリュームがあるので分割掲載します(証人尋問は来月の予定です)。
 不祥事の発生が2013(H25)年3月ですから既に6年半の時間が経過しています。この間、私はブログで少し触れたほか沈黙をまもり、越市長がどのように対応されるか注目してきました。そして法廷で証言することを決意したものです。
 私はブログ記事を書くにあたって、事実に基づくこと、節度を守ることを念頭においてきました。不特定多数の方がご覧になるため法律の専門家にも相談しています。「一時再開」ではありますが、今後ともその姿勢を守っていきたいと思います。





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