2019/10/19

86)陳述書(2/2) ~なぜ隠すのか~


<公文書を不存在と主張する理由>
大津市が最高裁の判決を無視してまで存在する文書を「存在しない」と主張するのは到底信じがたいことです。公的機関の見本のような市役所が、なぜそのような虚偽を申し立てるのか、信じがたいことに直面して、私はどうしてもその理由について考えざるを得ません。「公文書が存在するかどうか」を述べることが陳述の主旨ですが、あまりのことに、市の主張の理由についても私の考えを申し上げたいと思います。
理由を考えることはこの異常事態の解釈に多少とも役立ち、ひいては越市長が自らの市政運営の姿勢について反省される契機となるかもしれません。それを祈りつつ申し上げます。

まず初めに、公文書不存在の主張は越市長の意思のみに基づいており、ことここに至っては正直に真実を述べるしかないという職員の進言はすべて斥けられているであろうことを私は確信しています。市役所において白を黒と言えるのは市長だけであり、特に越市政が行われている大津市役所においては尚更のことであるからです。
次に確認しておきますが、これらの公文書の保存期間が過ぎていることは万が一にもありません。そもそも不当要求行為に対する処分はいまだ保留中であるため当該文書は完結しておらず、保存期限のカウントダウンすら始まっていないのです。

また、不当要求行為が平成25年3月、同年12月には公文書公開請求が行われていますから、もし仮に完結文書であったとしても1年足らずで廃棄ということはありえません。繰り返し述べているようにこれは重要案件であり、少なくとも10年、あるいは更に長期にわたり保管すべき記録であると思います。
そのような公文書を越市長があえて存在しないと主張しなければならない理由は以下の4項目に整理できると私は考えます。

理由① 不当要求行為を放置している事実を知られたくないこと

この不当要求行為を誘引したうえ積極的に加担したと判断されるAおよび父に対し、市長は動機などを十分に調査し適切な処分をおこなう必要があります。
懲戒はする方にもされる方にも重い負担を強いますが、組織の長は事案の未然予防に尽力するとともに、いったん事案が発生すれば速やかに適切な対処をとる義務があります。不当要求行為が発生して1年3か月後に私は退任しましたが、この間市長に対し、関係者から十分な聴取を行いすみやかに処分すべきであると何度も申し上げました。これに対する市長のお答えは「Aと父の行為は確かに良いことではないが動機には酌むべき事情がある。少なくとも裁判(AがBとCを強制わいせつ罪で訴えた刑事事件)の結果が出るまでは様子を見る。その後に適切に対応する」との一点張りでした。

他の多くの職員の処分に関しては、「そこまでなさるのか」と私が何度も感じたほど一貫して厳しい処分を下してこられた越市長です。それは市長の認識においては組織内にたまったウミを出すための断固たる措置であったと思いますが、そうした現状認識および処分の考え方があまりに一面的であると私は考え、もっと慎重に判断されるよう市長にお願いしたことも一度ならずありました。幹部職員の多数も私と同様の認識をもっていました。また、ある職員の処分に関し、情状酌量のうえ寛大な処分を望む旨の多くの嘆願書が提出されたケースがありましたが、これらのことからも市長の「厳罰主義」に対する職員の思いをくみ取れると思います。

そしてこの「セクハラ事件」でも、職員BおよびCは起訴された時点で休職処分を受け、Cはその後懲戒免職となりました。このように見てくると、越市長がこの不当要求行為をいかに特別視されていたかということがよく分かります。
その理由について以下は推論ですが、越市長の頭の中では、Aは何の落ち度もないのに辛い目にあった同情すべき被害者であり、一方、BやCは弁解の余地のない非難されるべき加害者であるという単純な構図が固定化されていたと思います。
越市長は一度ある認識を得られた場合、その修正が容易ではないという傾向を有しておられますが、こうした特徴も影響したでしょう。
 さらに越市長は「ガラスの天井」に悩む女性の代表者であると自らを位置づけておられましたが、こうした自己規定がA、B、Cに対する公平な評価に影響を与えた可能性が大いにあると私は考えています。

 もう一つ付け加えると、Aは、切羽つまると自制がきかず予測不能の行動をとることが記録にも明らかです。仮に市長がAや父を処分した場合、Aがどのような反応を見せるかはまったく未知数であり、それを危惧して越市長がAを刺激することを回避されたのだと私は見ています。背後には外部の不当要求者2名の影が見え隠れしていたかもしれません。
また、平成26年1月のことですが、Aが同月末に市役所を退職したいと職員課に相談しているとの報告がありました。退職すれば不当要求行為に関する調査や処分が不可能になりますが、その報告を受けても越市長は動こうとされません。

そこで退職直前の130日に職員課が二役協議をセットし、市長、私、職員課で協議を行いました。その場で私および職員課は、重大な行為を不問のまま退職させることは不適切であると繰り返し越市長に申し上げました。それに対し市長は「このままでいいです」と突っぱねられ、そのままAは退職の日を迎えました。
それから今に至るまで、この不当要求行為はまるで無かったかのように取り扱われています。
「組織のウミを出す」と公言している越市長としては、ご自身が率先してかかる重大な行為を放置し、なすべき義務を果たしていないことを人に知られたくはないでしょう。これが公文書不存在の主張の1つ目の理由です。

 
理由② これら一連の出来事に対する不適切な対応を知られたくないこと

 不適切な対応は他にもあり、実は私もその片棒をかつぎました。それについて述べる前に当時の状況を振り返っておきます。
職員Aは、平成24年9月にBおよびCを刑事告訴したものの、時間の経過とともに考え直すところがあったのでしょうか弁護士を通じ和解の動きを模索します。
そして平成251月、Bに対し謝罪要求文書を内容証明付で郵送しました。Bは自らの行為を深く反省しつつも、Aの主張があまりに一方的であると考え、私にもそのように訴えていました。職員課はこのトラブルの発生直後から関わり、関係した職員の心情や健康面に配慮しつつ丁寧な事情聴取を進めていましたから、Bは職員課にも同様の認識を伝えていたと思います。

さて、平成25年2月ごろ、「怪文書」が市長や議会に届き、私も秘書課職員および議会事務局職員からコピーの提示と共に報告を受けました。そして3月に不当要求行為が発生しました。こうした経緯があり、4月にはついにBがAを虚偽告訴罪で告訴しました。これが新たな動きを呼びます。
6月、Bは大津地方検察庁の検事から呼び出しを受け、「裁判になったら失職することを理解しているのか。虚偽告訴を取り下げるように」と「助言」を受けました。
その検事から市長や私にも複数回接触があり、平成25年9月の私への電話ではつぎのような趣旨のやり取りがありました。

検事:「Aの弁護士から聞いたがAは和解を待っていた。精神的苦痛を受けている」
茂呂:「Bは真実を明らかにしたいと告訴している」
検事:「そんなことならすべての女性は被害届を出せない」

ちょうどこの頃から市長のBに対する「和解勧告」が始まりました。
市長の論拠は、もし起訴されたら99.97パーセントの確率で有罪となる。それを避けるためには和解しかない。必ず和解をするべし、というものでした。市長は自らBに会わず、いつも副市長である私を通じて説得を試みられました。私は、Bがやむにやまれず「逆告訴」に踏み切った心情を理解していましたが、他ならぬ市長の指示であり、私自身もまた起訴を避けることが得策だと判断していたため市長の言葉をそのままBに伝えました。ところがBがいっこうに和解に向け動かないため、市長は大変気にしておられました。私が呼ばれて市長室に行くと、Bの件はどうなっているか、まだ和解しないのかというお尋ねばかり、市長と協議しなければならない重要案件は当時いくつもありましたので、「またこの話か」と内心思ったものです。

時期を同じくして市長と検事の会談があり、市長はその結果にも触れながら和解の必要性を説いておられました。私は市長とBの間に立って双方の主張を曲げずに伝えましたが、最後はBが判断することだと考えていました。市長は思うように事が進まないため、私や職員課に対しBに和解させるよう繰り返し指示されました。私に対し「虚偽告訴など論外です」と強い口調で仰ったこともあります。
これらを受け、私がBを自室に呼んだり勤務時間外に電話して市長の意思を伝えた
回数は少なくとも6~7回になるでしょう。重大な一身上の出来事に対して上司から繰り返し指示を受けなければならなかった当時のBの心中は察するに余りあります。
これは明らかに職位を利用したBへの強要に他ならず、市長と職員とのパイプ役であるべき私として痛恨の過ちでした。市長の責任も大きいと考えます。
さらに、市長と検事との複数回の面談についても、双方の守秘義務や権限行使の観点から大きな疑問が残ります。

平成2510月、検察庁がBを起訴しました。その報を受けて越市長は深夜にBを呼び出して休職辞令を交付し、続いて記者会見を開いて起訴状を公開すると公言されました。その後、Bに対し職務命令として起訴状提出を求められました。
これら一連の動きにおいて、越市長の判断や言動には明らかに行き過ぎや不適切な部分がありました。それらがどこまで記録されているか私は細部まで知りませんが、「叩けばホコリが出る」の言い回しどおり、越市長が文書を公開したくない気持ちはよく分かります。これが公文書不存在の主張の第2の理由であると考えます。


理由③ 本件原告であるBに対し良い感情を持っていないこと

度重なる指示に従わなかったBに対し、越市長がよい感情を持たれるはずがありません。人は誰しも自分の思い通りに動いてくれない他人を肯定的に評価しませんし、大きな力を持っている人ほどそうした傾向が顕著です。
もちろん世の中のすべてが思い通りに行くはずもなし、相手にも事情があり、自分だって時には間違いを犯す、大抵の人はそのように考える分別があります。ところが越市長におかれてはこうした場合において、逆らった相手に対する否定的、拒否的な感情ばかりが高まり、それが持続するように思います。そして、ことの是非、善悪に関係なく、自身の意に沿わなかったり指示に従わない職員に対しては大変手厳しい対応をとられます。それは私自身の体験であり、私のよく知る職員の話でもあり、かなりの人数の職員の処遇にも反映されています。人それぞれの性格の問題と言ってしまえばそれまでですが、越市長の場合はそれに加えて権力者であることへの強い自負と、公僕を私僕とみなす重大な錯覚があると思います。

さて、AがBを強制わいせつ罪で訴えた裁判が進行していた平成2512月、Bは市に対しAの供述、3月の不当要求、「怪文書」等の文書公開請求を行いました。
これらは真相を究明するうえで極めて重要な記録であるため、A、Bのいずれから要請があっても市は積極的にこれに応じるべきでした。特にAの訴えに虚偽が含まれていると認識するBにとってこれらは命綱のような記録であったはずです。
この重大な公文書公開請求に対し市は平成26年1月非公開の決定を行いました。
いまだに非公開をつらぬく越市長の意図はこの時にすでに明らかであったわけです。これに対してBは異議を申し立て、個人情報の開示請求を行いました。

その後は大津市の拒否、Bの異議申し立てや再請求が繰り返され、その過程でBの無罪判決が確定します。少なくともこの時点で越市長はBに対し、執拗に和解を迫ったことを謝罪するのが本来であったと思うのですが、市長にはその気配さえありませんでした。
そのような越市長ですから、市の拒絶にも負けず公開請求を繰り返すBに対し、許しがたいという感情を募らせたであろうことは想像に難くありません。それはもはや私怨です。越市長のBへの私怨が不存在主張の第3の理由であると私は考えます。


理由④ 以前から都合の悪い情報をひた隠しにして乗り切ってこられたこと

越市長は、これまでも隠ぺいに成功してきたのだから今回の公文書不存在もごり
押しで通そう、これで行ける、と判断されたのだと思います。
「市役所の隠ぺい体質」を問題視される越市長は、実は、この公文書不存在主張より以前にも公文書の廃棄を自ら主導しておられます。廃棄されたのは私が副市長として行った最後の仕事で、主要事業ヒアリングの実施に伴う部局長意見の集約文書でした。
私は退任直前にこの文書を取りまとめ、市長および副市長にペーパーで提出するとともに各部局長にメール送信しました。ところがこれに不快感を示された市長は、各部局長がメール受信しプリントアウトした文書については中身を見ずに封筒に入れて即刻提出するよう指示するとともに、庁内のネットワーク上から当該メールを完全に消去してしまわれました。平成26年6月2日の出来事です。

その時点で私は退任していましたが、議会でも、これは公用文書等毀棄罪にあたるのではないかと質問が出ました。これに対し執行部から紙ベースでは残しているので問題はないという趣旨の答弁がなされました。私は、電磁記録の消去は違法であると思いますが、越市長がそこまでして部局長意見集を隠ぺいしようとされたのは、そこに市長自身に対する率直な意見が多数含まれていたためでした。といってもそれらは各部局長の業務に付随する見解で、抑制的かつ客観的に記載され、各自の真摯な思いに基づくものでしたが、越市長はこれを謙虚に受け入れることができず、無視するどころか「文書抹殺」という究極の手段を選ばれました。

こうした違法もしくは違法すれすれと思われることは他にも複数あることを私は知っています。それでも今のところ表面上は何事もないという越市長の「成功体験」が今回の虚偽の主張の後押しをしたのだと思います。これが理由の第4です。
他にも私の知らない事情があるかもしれませんが、少なくともこれらの理由により常識では考えがたい越市長の虚偽の主張がなされているものと考えます。


<おわりに>
元副市長である私が市役所と市長の批判を展開していることについて違和感をもつ方がおられるかもしれません。しかし、私は、昔も今も大津市および大津市役所を大切に思っていますし、いまだに大津市のニュースから目が離せません。
そして越市長には「大津市長」の名に恥じない真に市民のためになるお仕事をしていただきたいと心から願っています。
率直に申し上げて、越市長の資質、考え方、行政運営の手法などには大きな問題があります。そのため越市長は、真に市民のためになる仕事をなし得ていません。
(例えば最近の事例として、地域自治と防災の拠点である市民センターの統廃合について、住民の声に耳を傾けず結論ありきでひたすら先を急ぐ稚拙な手法など)

越市長は、真に市民のための仕事ができているか、市長としての重大な責任を果たせているかについて、くり返し自らに深く問うべきですが、市長を支える副市長もまた大きな責任を免れません。平成26年5月に私は「一身上の都合」で辞任しましたが、実のところ「市長にまともな仕事をしてもらえない副市長」としての責任を、自ら身を引く形でとるしかありませんでした。
しかしながら私は越市長に対して個人的な遺恨はまったくありませんし、そもそも越直美氏は私の個人的な情念を振り向ける対象たりえません。

何といっても私の関心事は日本全体が様々な深刻な課題を抱えている今日において、この大津市が今後とも活力と魅力を失わず市民が満足できる都市であり続けること、そのことに最大の責務を持つ大津市役所がしっかり機能し続けること、それを担う職員が自らの仕事に誇りと意欲をもって市民のために働き続けられること、これに尽きます。
そしてその第一歩は、越市政の隠ぺい体質をただすことであり、市民が知る権利を行使することであり、市役所を風通しよいものにして市民の手に取り戻すことであると考えます。こうした目的から、私は退任後に「大津通信」というブログを始め、多くの方から頂いたご意見をすべて公開してきました。いまブログの記事は更新していませんが、この陳述書に記載した事柄の一部はすでにブログでも公表している周知の事実です。

本件の公文書隠ぺいは、それ一つとっても信じがたい暴挙ですが、同時に、越市長の市政運営の悪しき側面を象徴する事例の一つに過ぎません。それゆえ問題の根は深いのです。まずは本件において越直美市長が虚偽の主張を撤回し自らの過ちを深く反省されますよう、大津市民のため、そして越直美市長ご自身のためにも切に願うものであります。 

 
  
                       2018年(平成30年)8月大津地裁提出







 

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