ガラスの天井挑戦記への最終コメントです。この挑戦記で、政治に興味をもち市長を目ざすに至った経緯について、越氏は私が知るご本人とは別人のように雄弁に語っています。3月22日の記事では、越氏が敬愛する祖母(おばあさま)に可愛がられた日々、おばあさまが骨折のため歩けなくなられたこと、ご母堂が仕事を辞め10年にわたり介護されたこと、近所の人も車いすの外出を手伝ってくれたこと、ふとしたきっかけで祖母の秘めた胸の内を知ったこと等がつづられ、こうした子供時代の体験により市政への関心が芽生え、市長となったのちに「自宅で最期を迎えられる仕組みづくり」に取り組んだと記されています。
これを読んで私が不思議でならないのは「越市長はなぜ職員に向けてその熱い思いを語ろうとしなかったのか」という点です。努力が実って市長となり何千人の組織の頂点に立って「さあ、これから夢の実現だ!」という大きな節目にあたり、自分の原点というべき貴重な体験ならびにそれを萌芽として自己の内部に育んできた「強い願い」を目の前にいる職員に肉声で語りかけようとしないことの不思議さ。
行政経験のない新市長からまとまった市政運営方針や主要施策を伺おうと職員は思いません。まず知りたいのは新しいリーダーがどのような情熱と覚悟を持っているか、何を大切にしたいのか、その「思い」です。市長にとっても自分の理想を職員に正しく伝え、大きな組織に自分の血を通わせて仕事を進めていくうえで「自己表白」あるいは「決意表明」は必須です。「わが思想を語る」といってもいいでしょう。聞く者の耳にタコができるほど伝えようとするのが普通です。
ところが越氏の場合、市長就任直後から在任の期間中、就任式・歓迎会・二役会・部長会・所属長会・庁内放送・予算や事業ヒアリングなど様々な機会において、この挑戦記(市長を辞めてから不特定多数の人に向けて書いた回想記)ほどの「深い思い」や「強い願い」を聞いた職員は誰一人いないと思います。当初2年間、副市長であった私さえ同様です。職員はマニフェストを読んで越氏の「志」をエピソードとして知っていましたが、市長をトップとする「公務遂行集団」の一員としてそれで十分と考える者はおりません。
政治家の常識に照らしても組織論から見ても理解できないこの「不思議」は、越氏の資質や姿勢に深く関わる問題です。そして私は、越市長が職員に自らの「思い」を語ろうとしなかった理由は次のいずれかだと推測しています。一つは、越市長の職員に対する距離感、より正確にいえば不信感のゆえに「自分の大切な思いを分かち合うに値しない」という考えたのだろうとの推測です。越氏の政治上の先達にあたる人が自ら首長となった経験を踏まえ、「職員を信用してはならない」と越氏に助言したと聞いています。「先達」に近い筋から私が聞いたこの話の真偽は不明ですが、さもありなんと感じます。先達自身は老練でそつなく組織を運営しましたが、越氏の方は助言の呪縛から逃れられなかったのかもしれません。
越市長が職員に対し連帯感の代りに不信感を抱いていたとすれば傍証はいくらもあります。「市のことを考えている職員はいない」という部外者への発言(本ブログ122)、人事のやり方、庁内協議の進め方等は市長時代の話であり、最近はこの挑戦記(5月3日掲載「コロナとたたかう」)で新型コロナ感染症についてニューヨークの事例まで含めあれこれ述べた際に、地元大津の保健所や病院等で働く職員への言及が一切なかったことも傍証です。コロナとたたかう市職員をねぎらえとは言いません。それは本来の仕事です。しかし、ついこの間まで8年にわたって市長を務めていた身であれば、現場の担う責務の重さ、業務の多さは肌身で分かるはず。まして彼らは、市長退任の日に越氏がカメラの列を従えて庁内を歩き、その手を握って回った「仲間」ではありませんか。皆の顔を見に駆けつけたい気持ちを抑えていた私からすれば、いま挑戦記を書いている越氏の気持ちのありよう(遠距離感)に大きな違和感を感じないわけにいきません(もっとも緊急時にOBに駆けつけられても迷惑千万ですが)。
いま私は信頼について述べています。越市長が職員を信頼していなかったゆえに「思い」を語らなかったのではないかと推測しています。これは「信用できない職員の方が悪い」という問題ではありません。そうではなく、「信じる」ということは、信じる人自身の責任において行われる極めて主体的、能動的な行為であり、「相手がどうか」は副次的な問題であるということです。信頼して自分を開くことが他人なり組織を動かします。だとすれば職員を信頼せずに自分の期するよい仕事を成し遂げることが可能でしょうか。「日本人は疑わないのに信じない」とは敬愛する在日の詩人金時鐘さんの言葉です。日本人にも色々ありますが、越氏は「信じない市長」であったと思います。
二つ目の理由は、越市長の「思い」が実はそれほど重く切実なものではなかったのではないかとの疑いで、これも傍証があります。越市長の就任時に私は健康保険部長であり、越市政において在宅介護や認知症対策などの所管事業が進むことを期待していました。ところが実際は後退です。私は、祖母の介護が原点で高齢者福祉の推進をめざすと書かれた越市長のマニフェストを政策監と読み返し嘆きあったことを忘れません。そして平成26年度予算編成時、自宅でおむつを交換する際に使うビニール手袋を「紙おむつ補助事業」の対象に加えることを越市長は認めませんでした。これは在宅介護を行う市民の方々の切実な願いであり事業費は200万円。予算要求した担当課は必死に訴えましたが、越市長の理解を得ることはできませんでした。
越市長のイメージする市民とは子育て世代の女性であると、傍で仕事をしながら私は考えていました(前にも書きました)。介護をする人々、される人々に向かう想像力や情念のようなものを感じたことも一度もありません。つまるところ越氏の「思い」は実体験をもとにしたフィクションであろうと私は解釈します。それは責められるべき話ではなく個人の自由です。しかし、自分自身に深く内面化された(血肉となった)思念ではないゆえ、外部に放射、伝導されることもなかったと判断せざるを得ません。
以上2つの理由(推測)を並べましたが、実際は両者のミックスだったでしょう。詮ない昔話と知りつつ長々と書いてしまいました。越市長は「新自由主義的な考えを持つポピュリストであり、自らの発信力を生かした劇場型戦略で政治目的を達成しようとしているところの資質等に問題を抱えた首長」であるとかつて本ブログ(記事45)に書きました。その後の越氏の振る舞いはこの見方の正しさを証明し続けていますが、つけ加えれば越氏の「政治目的」自体も自らの信念にもとづく確固たるものではなく、公的な使命感とも無縁であったと思われます。こうした人物にとって公文書の蹂躙など何ほどのこともなかったでしょう。大津市は「公文書疑惑」という負の遺産といかに本気で向き合うでしょうか。
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