数日まえ桐生の森でウグイスの声を聞いて思わず足を止めました。去りゆく冬を惜しむものではありませんが、何やら一人で山中をさまよっているうちに季節に取り残されてしまった気分です。私に限らず社会全般も明らかに「滞っている」と見えますが、こうした人為に一切お構いなく、見えざる大きな手は着実に季節を押し進めていきます。人間が自然に置いてけぼりを食わされているように感じるのです。ほどなく「マスクなしの花見」に国中が賑わうことでしょうけれど。
もう9年前ですが、2014年7月、安倍内閣は憲法9条を無視して「集団的自衛権」の閣議決定を行いました。2022年12月、今度は岸田内閣はウクライナ戦争を奇貨として「敵基地攻撃能力」(安保3文書)を閣議決定しました。曲がり角を2回曲がって「もと来た道」です。これが国民注視の中、国会において憲法、外交、経済等の各方面から真摯な議論が重ねられた上の議決、承認であればまだ致し方ないところですが、両内閣ともその責務を放棄しました。これを忘れないでおこうと思います。
くわえて防衛予算倍増計画です。対米従属のはてに「好戦的」なイメージを近隣国に与えるのは国益に反します。万一の台湾有事の際、米国が安全圏に身を置いて日本を中国の正面に押し出すことは目に見えています(いまのウクライナに見るように)。核の傘の抑止力は幻想にすぎません。そもそも、このように原発をずらりと沿岸に並べていては、全面戦争に至らなくても、国破れて「山河なし」になること必定です。春の憂鬱ではありませんが、右を向いても左を見ても、眉をひらくような出来事が見当たりません。
戦争はウクライナばかりでなく世界各地で続いています。食品廃棄や肥満が社会問題化する一方で世界人口の1割が飢えに苦しんでいます。感染症は今後とも課題であり続けるでしょう。80億人を見渡して「人類はどこで間違えたのか?」と山極寿一氏は問いかけ、「人類は進化の勝者であるという考え方がそもそも間違っている。その思想の裏に間違えた道筋をたどった歴史が隠されている」と指摘しました(本年2月の「第3回人文知応援大会」基調講演において)。
ここで氏の見方を紹介するものではありませんが(私には及びません)、たとえば宮沢賢治の希求した「世界全体の幸福」も、人類のボタンの掛け違えによって成就されない構造となっているのかも知れません。ともあれ山極氏の示す「解」の手掛かりについて考えたいと思いました。今回の記事は「薄めりゃいいってもんじゃない処理水」について書こうと思っていました。しかし例によって筆がはかどらず、ウグイスの声を聞いてもう半月以上がたってしまいました。
この間にガーシーやら高市早苗やら、本人より見聞きする他人の方が羞恥心を催す出来事があり、これらと並べて書けないことですが大江健三郎の訃報にも接しました。ショックでした。大江氏の逝去は日本の「戦後」の終わりを象徴し、同時に次の「戦前」を示唆するかのようです。そうであってはならないと思います。今回はこれでリリースします。内容のない話で済みませんがきれいな写真を貼りつけます。
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