2023/02/23

201)内心の自由

 ~ いや今度ばかりはしくじった。タテマエの鎧を脱いで本音をぶちかませば道は開ける。この流儀で俺はここまで出世した。臆病なやつには言わせておけ、リスクが怖くて人の上に立てるか。今はたまたまピットインしたがすぐレースに戻ってやる。それにしても俺の首を切ると発表した首相の苦しい顔はどうだ。俺への思いやりにあふれてたぞ、ありがたい。麻生先生もニヤリとしてまた戻って来いと言ってくれた。

 発端は気の毒な首相答弁だった。時流に乗っかって立民も共産も言いたい放題、首相は忍の一字よ。だから腹ふくるる思いの首相に代わって俺が官邸の本音を言ってやった。これは本来業務だ。記者連中はハイエナというより人間だろう、人間同士なら本音が通じる、政治を動かす生身の人間の本音が分かれば記者の認識は立体的になる。こう思ったが今度は裏目に出た。

 オフレコにも油断したな。これからは本音トークの引き出しを増やす必要がある。結果的に官邸に迷惑をかけたから否はもちろん俺にあるが、ではマスコミに義はあるか。野党はどうだ。世論はつねに正しいか。そもそも家族は有性生殖という人類の生物学的事実に基づく制度だ。誰だって父親と母親から生まれるじゃないか。この社会が簡単に変わっちゃ困る、これが首相と俺の本音だ。それに理屈は別に、内心に生じる自然な思い、気持ち悪いという感情をいったい誰が裁けますかってことだ。

 まったく首相と俺は一身同体だった。考えりゃおそれ多いことだが、そうでなければ秘書官は務まらない。首相がくしゃみをしたら俺が風邪をひく。首相が焼き芋をくったら俺の尻から、、、いやもう止めておこう今は空しい。しばし我慢の子だ。与党には俺のことを分かってくれる人も多い。前途は明るい。I shall return. マッカーサーだったな。俺も必ず早くオモテ舞台に戻るぞ! ~

 お察しのとおりこれは荒井勝喜首相補佐官の独白(の想像)です。彼は性的少数者への差別意識を「正直に」吐露して更迭されました。荒井氏がこんな人物であると岸田首相が知らなかったら暗愚であり、知っていたら確信犯ですがむろん後者でしょう。これは官邸全体、さらには自公政権の体質に通じる問題であると思います。政権中枢にある人々は、腐臭のする泥沼にともに根を下ろして養分を吸っているようです。荒井氏はスケープゴートにされただけ、当人はもちろん反省などしていないでしょう。

 彼は「内心を裁けるか」と居直っています。確かに内心に手錠はかけられません。不埒なことでも高貴なことでも心の中では随意に思い描くことが可能で、それが精神の自由を根本の所で支えています。荒井氏は、「気持ち悪い」という感覚は善悪の価値判断とは無関係に他人と共有できると考え「本音トーク」をしたのでしょう。こうした未成熟の大人が目立ちます。「内心の自由」が、それを心の外に出す(口にする、文字にする)ところから社会的制約の対象となるのは、他人の精神の自由(ひいては他人の尊厳)との折り合いをつける上で当然の話です。

 頭は良いだろうに荒井氏はそれが分かりません。このように心の内外(うちそと)の敷居が低くなった一因は、公私の境界を溶融させつつあるネット言論ではないかと思います。「高齢者の集団自決」を唱える経済学者成田裕輔氏も同類だし、差別を「売り」にする杉田水脈議員はネットの「いいね」に支えられ、「色物」として自民党に飼われています。そして彼らは、憲法で保障された「思想良心の自由」や「表現の自由」を体現しているつもりでしょう。愚かです。

 それにしても政治家、官僚の質の劣化は目を覆うほどです。職責を果たせず辞めた大臣は岸田政権で現在4人、秋葉復興相(政治資金)、寺田総務相(同じ)、葉梨法相(死刑はんこ)、山際経済再生担当相(統一教会)であり、第2次安倍政権で9人、河合法相(買収)、菅原経産相(公選法)、桜田五輪担当相(復興より議員が大事)、稲田防衛相(イラク日報隠ぺい他)、今村復興相(東北でよかった)、甘利経済再生相(裏金授受)、松島法相(うちわ配布)など「多士済々」です。このほか「失言」を重ねつつ生きのびる政治家も少なくありません。国会論戦も全体を見れば形骸化しています。

 これは「社会人としての見識と倫理観に欠けた人の方が政治家になりやすい」という残念な現実を物語っています。今日の選挙(とくに国政選挙)では、候補者はどこかの党の執行部の審査をうけ、眼鏡にかなった者だけが出馬して党丸抱えの選挙を戦うのが普通です。党執行部は自前の考えをもった信念の人より、党の意向に沿って行動する従順な人物を選ぶでしょう。勝ってなんぼ、数の世界では自然のなりゆきです。これに家系図議員が加わります。

 これらの人々は権限をもつと腐敗も速やかです。いまや政権は、凡人以下の人材を大臣のイスに座らせる(あえて無理を通してみせる)ことによって自らの力を誇示しているようにさえ見えます。それになびく政治家が多いのでしょう。こうした人々はもう「選良」と呼べません。もちろん心ある議員もいるはずですが孤軍奮闘の状況ではないでしょうか。

 荒井発言について政府は「不当な差別であるとの国民の誤解を招くものである」とコメントしています。この手の釈明でいつも思うのですが、差別は「不当」なものに決まっており、正当な差別がありうるとする立場がそもそも差別的です。それに「誤解」とは何か。これも国民を愚民とみなす思考の現れです。私はいつも行きと帰りの往復で腹のたつ思いをします。

 性別、少数者、門地、思想、人種、国籍など差別の「ネタ」はいくらもあり、荒井氏に見るように多くの差別が差別者において内面化されています。差別が人間存在の深い部分から生じるものゆえ、差別を許さないという立場は「思想」であると思います。政治家にも思想が求められます。

 ここへきて岸田内閣の支持率が上昇していると知って、私は内心で過激な発言をしました。いまの政権運営(経済、安全保障、少子化対策、社会的弱者への対応、原発など)は、どう見ても国民の利益にかなっていません。私は自分を温和、協調的、常識的なタイプであると勝手に考えていますが社会の中では少数派でしょうか。前にも書いたかつての上司の名セリフを思い出します。~ しょんべかけられておおきに温(ぬく)おす、てなこと言うてられへんわなあ! ~  この方の反骨とユーモアを私は尊敬していました。
 次の国政選挙はいつか分かりませんが地方統一選挙が近づいています。政治に虚無的にならずまずは一票を行使したいと思います。




 

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