2015/08/15

1)はじめまして ~波まかせの心~ 

 皆さんこんにちは。私は大津市の元職員、茂呂 治(もろ おさむ)と申します。これまでインターネットの恩恵にも害悪にも縁遠いアナログ人生を送ってきましたが、思い立ってブログを始めることとしました。 タイトルは「大津通信」です。「大津」は言うまでもなくテーマを指します。在職中も退職後も私の関心は大津のまちにあります。「通信」としたのは、見知らぬ受け手に向け海中に投じるボトルメッセージ(瓶づめ通信)と現代の表現手段であるブログとが、到達の不確実性という点において私には似通って感じられるためです。まさに波まかせ、風まかせの気分です。 トップページの写真はアマチュアカメラマンの友人が撮ってくれた琵琶湖の岸辺です。始める以上は 格調の高いブログにしてほしいという彼の注文にも応えられるよう努めていくつもりです。
 多くの方々にご覧いただいていると期待しつつご挨拶しますが、ご縁のあった市民の皆さま、議員各位、職員の皆さま、在職中は本当にお世話になり有難うございました。
 また、このブログが私の存じ上げない方のお目に留まったとすれば、これも有難いご縁だと存じます。皆々さまに心からのお目見えのご挨拶と残暑お見舞いを申し上げます。  
 昨年5月の退職以来、幼児期を除いて生まれて初めて通学、通勤を免除されるというかつて夢に見た境遇にありますが、いざ現実となってみると、心置きなくその日々を享受することが決して簡単ではないことに気づかされます。
 そうした次第も含め、これから大津のまちについて思うところをあれこれ記していこうと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

                小さな庭の大きなケヤキです



7 件のコメント :

  1. 茂呂元副市長には、大津市に在職されていた間に、とても学ばせていただき、感謝しています。新しい組織を立ち上げるにあたって、効率性や財政的な視点のみにとらわれるのではなく、その事業や組織が、どう市民にとって有効な組織になるか、市民の福祉の向上に繋がるか、を検討するように、と指摘いただいて、感謝しています。財政状況の厳しさのみにとらわれている現状を打破するために、どうあるべきか、また、市職員が、市民のために元気に仕事ができるように、どうあるべきか、これからも教えていただきたいです。

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  2. ご無沙汰しております、山本勝義です。その節は大変お世話になりました。
    またご指導頂き、様々な事を勉強させて頂ければと思います。
    今後とも宜しくお願い致します。

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  3. 長年勤められた市役所を退かれたあとも大津市のことを真剣に考えられて、こんなサイトを始められたのですね。続けていくのは結構大変かもしれませんがどうか頑張ってください。ブックマークしましたので。  ところでその市政ですが、新聞やテレビからの情報だけでは何ともよくわからないのですが、今の大津市ってどうなんでしょう? いいような、停滞しているような・・

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  4. 惻隠です。お元気そうで何よりです、雨時々曇り、そんな感じを受ける大津市役所です。新聞やテレビで報じられている大津も大津です、去る者日々に疎し、そんな言葉がありますが副市長退任のあいさつには依然として毎月20件以上のアクセスがあります。何がよくて何が悪いのか、現時点でしか判断できないのが人間の悲しい所であり、先を思い悩まないようにとの神仏の配慮かもしれません。時はよどみなく、確実に流れていきます。いつかその流れに飲み込まれるのがこの世の定めですが、それまでは自分だけのお一人専用の人生を生き切るのが自己責任だと思っています。自己実現の理想である「ホッとするおっちゃん」への道は遠く厳しいものがありますが歩みを止めない限り、いつか到達できると信じ、一歩一歩歩んでいます。惻隠だよりももうすぐ丸4年になります、駄文の積み重ねですが自分にとっては生きざまを振り返る手掛かりになってきました。
    また、そのうち一献の場を設営したいと思っています。ご自愛ください。

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  5. 茂呂さん、膳所高同級生です。ご無沙汰しております。今年44年ぶりに大津に戻り、実家から大阪に通っています。大津は本当に素晴らしい街ということ、改めまして実感しています。南北にとても大きくなった市のなかで、ドーナッツの穴、中央学区は少しずつさびれてきていましたが、大津駅前通り、なかまち商店街なども皆さんの尽力で。ここにきて少し精気を戻してきている気がします。そんな中で、同世代あるいは若干若い方たちから聞こえてくるのが、市政に対する不安、市長に対する不満です。今回貴殿のBLOGで、だいぶ理解が進みました。
    私自身の民間での経験を、今一度この大津、将来の大津に活かせればと考えています。

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  6.  近江 太郎です。
     多くの市民の皆様からのご投稿を拝読し、なるほどこういう見方があるのか。こんな視点からの言及もあるのかと、あらためて学ばさせていただいています。
     そこで、突然で、拙速な提案かもしれませんが、氏の”波まかせの心”を、どこかの港に係留していただいて、市民の皆様が気軽に集まり、船小屋で談論できる、いわば”市民寺子屋”、”波のまにまの市井パブ”のような場所が、この際できないかと思っています。
     名前のことは別として、結論などは出なくていいと思います。個人的な思いですがワンコイン(500円)でビールかコーヒーを飲みながら、自由に、思いのままのテーマで話し合う。そのような場所が、ここ大津にあってもいいのではないか。
     名前や肩書も住所の明示もなく、A男さん、 B子さん、 C 君 、Dさんで参加し、思いの丈でお話しいただく。例えば”大津の自慢できるところは”、”大津で、こころ豊かに生きるとは”、時には、”なぜ人間は、人間なのか”、”市民とは”といった具合で、プラトンやソフィストの連中など、遠い昔の賢人たちに思いを馳せるのも良しと思います。場所の確保などの問題もありますが、海外のどこにでもある「パブに集う仲間たち」といったところでしょうか。
     多分、荒唐無稽な提案だとお叱りをうけるかもしれませんが、”保育器のなかの安逸をむさぼる”傾向にもある、若いみなさんも参加いただければ…と、願うものです。
     氏のブログをお借りしたこと、ご容赦ください。

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  7. 市民という言葉を私たちはよく使います。このブログでも市民という言い方がよく顔を出します。
    市民のいちばん単純な意味は、大津市に住んでいる人です。同じ意味で別の言い方では住民とか住人があります。
    私と似た思いを持つ多くの人という意味で市民ということもあります。これはきわめて曖昧な言い方で、大津市34万人全員が自分と同じ思いだなんてことはまずないわけです。
    もっと漠然と、良識ある人達を想定して市民ということもあります。しかし、このときも、その人個人の尺度で良識とは何かが決まりますから、大津市34万人すべてを言い表すわけではありません。
    このブログにコメントを書くとき、ここで市民という言い方をしていいのかと、いつも私はためらっています。市民っていったい誰のことなんだろう?とくにこのブログと付き合い始めてから困っています。
    憲法の条文を見ていますと。「国民は」で始まります。基本的人権の11条ですと「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と始まります。「民主主義社会という人の塊があってそのなかのひとりひとりは」と言っている感じがします。市民というのもこれかなあと思うことがあります。
    私たちは独裁制でも専制君主制でもなくて主権在民制で生きています。常に立ち戻るべき民主主義の哲学というのか思想というのか総意というのか、それに則った人のあり方。それを国民とか市民とかいう言い方で言い表すのかもしれません。
    そう思うに至ったきっかけは、図書館民営化に反対を表明してこられた方のコメントでした。(で、いまこのブログのスタート地点あたりに戻ってきてこのコメントを書いてます)。まだまだ自分すらも納得させられない着想ですが、そう思い始めたらなおさら、市民と気楽に言えなくなりました。
    まあ、たとえば、県立高校をどこかに建てることになったとします。あるうどん屋さんが「うちの近くに建ててくれ。学生さんたちが来てくれて儲かるから」と県に言うかどうか。言わないと思うんですよね。建てて欲しいのは山々だけど、言わない。自分の欲で学校の場所が決まってはならないと判断するはずです。うどん屋さんのその理性を市民という・・・なんて感じですかねえ。

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