大津市政5 ~市長としての姿勢 ②まちづくりへの認識~

② まちづくりへの認識 
 前項では、行政が民間の手法から学ぶべき点は多々あるものの、両者は質的に異なっていると記しました。ここでは、公の意味について深く考察することなく効率と速度を追い求める市政運営に問題はないのか検討したいと思います。
 自治体運営と企業経営を同一視される(と私が考える)越市長は、市役所という組織を会社のようにトップダウンで絞られた目標に向かってスピーディーに効率的に動かしたいと強く願っておられるようです。それは公開プロジェクト会議が売り物の「行政改革」によく表れています。
 そもそも大津市の行政改革は「経営」、「サービス向上」、「健全財政」の3つの基本的視点に立ち、行政の各分野でこれらをバランスよく進めていくこととなっていますが、越市長の行革は、公共施設のあり方・機能の見直し、総人件費改革、民間委託の推進、歳出の見直しといった経費節減と直結する分野に偏っており、サービス向上の視点はほとんどありません。
 現在、越行革の俎上に乗せられているのは、支所、公民館、幼稚園、小学校、図書館(厳しく切実なコメントをいただきました)、市営住宅、市民病院、ケアセンター、卸売市場などの施設であり、また、戸籍住民基本台帳事務、出納事務、監査事務など基幹的な事務について「大胆な」外部委託化が検討されています。
 市が以前から進めてきた指定管理者制度は既に87施設で実施しており、すでに一段落した感があります。導入すると経費削減など一定の効果が生じますが、今後さらに拡大する上では、そもそも指定管理になじむのかという原点の再確認が必要であり、一方で、公共施設の運営に経験と知識のある職員がいなくなる恐れも出てきます。こうした対応を間違えると市民サービスの低下に直結します。
 また、自治会活動やNPOを始め様々な市民団体の活動及び、それにより支えられている地域防犯、防災、交通安全、生涯学習、文化、スポーツなどの推進経費(全体のごく一部にしか過ぎない経費)についても、いかに削減するかが越市長の大きな関心事です。

 行政改革の3つの視点に見る通り、これを推し進めていくと市政全般、まちづくりの問題に及んできます。
 価値観の異なる多くの人が、時間をかけ、多くの事物を介在させて進めていく「まちづくり」は時に正解が一つと限らない大きな営みです。
 「結果」も、直接的あるいは間接的に結果の質を左右することとなる「プロセス」も等しく大事であり、また、教育、健診、合併など首長の任期を超えて明らかとなる答えもあります。
 行政改革を進める必要があるという越市長の時代認識は基本的に理解できますが、こうした改革、さらにはまちづくり全般において結論を急ぎ、プロセス・進め方を軽視しがちな越市長の手法は大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。
 なにゆえそこまで先を急がれるのか。
「民間では考えられない」を決め台詞に進められる越市長の行政改革の真の目的とは、ひょっとすると「自分の在任中に行政にかかる人員と経費をいかに削ったかを市民にアピールする」ことだけではないのかとの疑念さえ湧いてきます。
 そしてその手法は、まちづくりに関わる従来のシステム・スタイルやそれを動かしてきた市民団
体、職員などを単に切り込むべき対象と見なし、外部の有識者を重用し(そのこと自体は悪くないものの)、議論は尽くさず、時間をかけることなく自分の望む結論だけを得ようとするものではないでしょうか。
 これまで内外から越市長に対し、「何のための行革か、誰のための行革か」という真摯な問いかけが(もちろん私自身も含め)なされてきました。こうした疑問に耳を貸さず、効率とスピードのみ追求するかのような越市長の市政運営は、就任3年を過ぎてワンマン経営の度合いを一層強めています。任期3年目の幕開けに越市長は「市民に変化を感じて頂ける年にしたい」とおっしゃいました。市民にアピールしたいお気持ちは分かりますが、「変えるもの」と「変えないもの」の判別こそ重要です。その座標軸は「まちづくりへの認識」であり、それは多数の英知を動員することにより確かなものになると思います。

 以上、越市長の「市長としての資質」と「政治家としての姿勢」の問題点を指摘しました。
 「市長として」とは、市役所という組織のリーダーとしての側面を、「政治家として」とは、選挙で選ばれた市政の最高責任者としての側面を念頭に置いていますが、厳密な使い分けではありません。「市政運営」や「まちづくり」の用法も同様です。
 なお、越市長の資質や姿勢において、いささか気になることは他にも幾つかあります。
 例えば、他人に対する共感の能力、他人に任せる勇気、見えないものを見、聞こえないものを聞こうとする想像力、ひょっとしたら自分が間違っているかも知れないという自省などが大変失礼ながら十分とは言えない気がします。さらに、時に相手を軽んじられるような振る舞いや度重なる遅刻といった社会常識的な問題もあります。
 しかし、長所も短所も併せ持つのが人の常であり、いくら首長といえども完全無欠を求めるのはあまりに酷というものでしょう。いま細々と指摘した事柄は好意的に見れば個性のうちかも知れません。
 何といっても「聞くこと」、「信頼すること」、「自治体運営の基本スタンス」、「まちづくりへの認識」の4点が首長にとって根本的な問題であると私は考えています。これらは次の項で見ていく越市政の背景となり培地となっているように思われます。

7 件のコメント :

  1. 行革のスピード断行を目指す越市長。
    たとえば、大津市の赤字を急いで改善しなくてはならないといった命題があるのなら、委細かまわぬスピード断行を非難することもできません。いわゆる痛みを伴う改革の妥当性は、背景事情によって変わってきます。
    茂呂さんはこれをどう見ておられますか?

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  2. 非常に気を使った書き方をされていますね。
    でも、それでは聞く能力のない方には通じないと思います。お仕事をされていた時もそうだったのではないでしょうか。
    「あなたは失格です。相応しくない。」「選挙であなたに投票した市民を騙し裏切っている。」
    そう、はっきりというべき議会は何をしているのでしょうか。
    二元代表制が聞いて呆れます。
    このなかれは市長支持派と同じです。自民も民主も共産も同じということでしょうか。
    こちらも先般の議会選挙の結果を裏切っているといえます。

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  3. 大津の市議会は本当にダメですね 市長をチェックするどころか裏で手をつないでるて市の職員から聞きました 市長も市議会も… 

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  4. 早朝に市役所にいきました。すると市長の声がアナウンスされており、抑揚のないダラダラした、ただメモを読んでるだけの心に一つも残らない話しで これを毎月聞いている職員は可哀想。それと市役所には、おもてなしの日があるそうですね。おもてなしというのは、職員の対応だけでなく施設の管理も重要だと思います。トイレの水回りは汚いし一つは使用不可で使えない。食堂も喫茶室もなく コンビニはあるが、職員の買い求める長いレジ待ち。乱雑に置かれたロビーのイス。その机には飲食禁止の張り紙。本当に、もてなす気持ちがあるの?て呆れてしまいました。また市長の思いつきだけの実のない、やってますアピールなんだなと。
    市会議員の山本哲平、藤井議員は 市長のやり方や実情を議会やブログで公表していただいて市民も多く知ることができましたが、他の会派は、この市長で大津市は大丈夫だと思ってるんですか?9月議会が始まりました。山本、藤井両議員頑張って下さい。

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  5. 市議会が裏で市長と手をつないでるんですか? 私の知る何人かの自民系の議員さんは今の市長ではダメだ、本気で替えると真剣に仰ってますけどね・・  実はポーズで裏ではズブズブて、う~ん、ちょっと信じられないです

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  6. 昨年度の6月の議会で市長の政治姿勢を省みることを求める決議が出されましたが、否決されています。
    H26年6月のことですので、今も議員さんがそのように考えておられるかは分かりませんが…。
    賛否は大津市議会のHPで見られますが、議員さん個人というよりは会派で統一されている感じですね。

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  7.  昨日、大津市政のタブをクリックし、12・13・15・16の4記事を読みなおしました。これは、茂呂氏がまだ副市長であった時期に当時の越市長に奏上した提言です。市長としての資質と姿勢について、茂呂氏は、熱い憤りを冷静な言葉選びで書き綴っています。

     はじめてあの4記事を読んだときには、「そんな奴おれへんやろ~」と大木こだまばりの疑いようでした。もし書かれている通りだったなら、「そんな奴市長になれへんやろ~」と思ったのです。
     以降、それぞれの記事を追ってきました。ひとつひとつがあの4記事に現れる越直美像の具体的例証ともいえる内容でした。そして、昨日、あの4記事を読みなおしました。大木こだまばりのリアクションはなりをひそめ、茂呂氏の言葉にあらためてうなづく自分がいました。

     それと同時に、このブログは越直美という人物の実像をまだ明らかにしていないと思いました。

     ゴミ焼却施設を巡って越市長と直接の協議経験をお持ちの方が、今夜コメントを寄せられています。越市長の対応を不誠実と感じられたその方は、「人間性の問題」とはっきり表現され、「なんか大事なものをどこぞに忘れてこられたみたいなお方」と評されています。
     このコメントのおかげで、越直美市長の実像が少しは明らかになった気がします。茂呂氏の記事は例証的に進められていきますから、越直美市長の資質や姿勢が「事象」としてはよく伝わってきます。けれども越直美市長がなぜいつもそのパターンなのかは判然としません。公務遂行に不向きな性癖の持ち主だからではないかと疑いつつも確証を得ることはできません。

     あの4記事の12は「聞くということ」ですが、茂呂氏はこのように書いています。

    ---ひょっとすると「聞かない」のではなく「聞けない」のかも知れないとの疑問がわくほどです---

     そして、最終16のさらに終わりには、このような記述もあります。

    ---他人に対する共感の能力、他人に任せる勇気、見えないものを見、聞こえないものを聞こうとする想像力、ひょっとしたら自分が間違っているかも知れないという自省などが大変失礼ながら十分とは言えない気がします。さらに、時に相手を軽んじられるような振る舞いや度重なる遅刻といった社会常識的な問題もあります---

     茂呂氏は、そう書いた後に、「好意的に見れば個性のうちかも知れません」と寛容な態度を示しています。けれども、越市長との直談判を体験された方のコメントからも、茂呂氏のこの指摘からも、同じような越直美像が浮かび上がってきます。

     ひょっとして越直美という人物は、自分のこれまでの対人感覚や人間関係対応力ではどうにも説明できない扱いにくさを発散させているのでしょうか。

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