2021/01/24

129)中締めのご挨拶

 お久しぶりです。大津市職員の皆さま、特に保健所や市民病院の方々にはコロナ対応で心身がすり切れるような日々だと思います。それがたやすくないと知りつつ、皆さま、どうぞ一層ご自愛のうえ精励されますよう心からお願い申し上げます。

 長らくのブログ中断に「いったいどうした」、「変わりはないか」などのお声を頂きました。有難いことです。しかし、「大津通信」のテーマが「公」であってもブログはもともと私的なもの、私も「駅前広場に立って通り過ぎる見知らぬ人に語りかける」つもりで書くと説明してきました。

 一方で、私が元大津市職員として「公」の職業的担い手である現役職員の方々に「越市政の真実をお伝えしたい」と念じてきたことも事実です。何といっても「知ることは力」であり、また、越直美氏は「公」の何たるかを考える上で格好の反面教師です。特に越氏の行った公文書の隠ぺい・廃棄は、今の国政のありようにもつながる腐敗、すなわち民主主義の根腐れの一形態だとしか言いようがありません。こうした観点から私は、越市政の問題点を指摘し、大津市公文書裁判の経過を報告してきました。

 それを急に放り出してしまった理由を申し上げつつ「中締め」をすることが今回の目的です。このたび私は、越直美氏のごとき虚飾に満ちた浅薄な人物についてこれ以上考えたり書いたりすることは、残る人生における時間の無駄遣いに他ならないと強く思うに至りました。越氏について論評することには常に怒りと不快感を伴いますが、今般、ある私的な動機によってそれが耐え難くなり、「こんなことをしていられない」と考えました。そこで今後は越氏について書くことを止めることにしました。私にとり憑いたゾンビとの決別です。

 ではどうするか。今後はブログの本来の目的である「公」に絞ってボツボツ記事を書いていこうと思います。いってみれば「小悪から大義への視点の移動」です。とはいえ正面から取り組むには大きすぎるテーマ、せいぜい月に1回か年に数回、「公」をめぐる言葉の断片を連ねるのが精いっぱいでしょうが。前にも書きましたが、今日の社会・政治・経済情勢は「公」の維持・存立に逆風として働いています。公が最も必要とされるときに公が危うい。私たちはそんな時代に生きているのではないでしょうか。でも悲観ばかりしていられません。いまさら気負わず、自分にできることを続けようと思います。ここで区切りとしていくつか書いておきます。

<越直美氏とガラスの天井> 

 越氏に触れるのはこれが最後です。越氏はガラスの天井に挑戦し、自分ならではのやり方で見事成功を収めたと自身で考えています。成功とは市長選を制したこと、市長としていくつかの「誇るべき成果」を挙げたことであると「挑戦記」から読み取れます。しかし「ガラスの天井」には、昔から有名無名多数の人々(フェミニズムを唱える人もそうでない人も)が「挑戦」し、タンカーのごとく容易に動かぬ世の中を少しずつ引っ張ってきた歴史があります。男性の中にも自身の問題としてガラスの天井と取り組んできた人が少なからず存在します。

 私の知るこうした人々はパフォーマンスや違法行為と縁遠く、地道で誠実な自己の生き方を通して周囲への息の長い働きかけを行っています。これらの人々と比較すると、越氏の「挑戦」は「ガラスの天井」の否定派・肯定派双方に足がかりを作って「良いとこ取り」を狙う、まことに器用でちゃっかりした取組です。今後の飯のタネにもしたいのでしょう。越氏のパフォーマンスは政府の唱える「女性活躍」と底の浅さにおいて似通っています。

 しかし私は、越氏が本当に挑戦したかった分厚い天井は「公」そのものであったと思います。この人物の目には、行政の弊害は、「機械的平等と公平の墨守」、「費用対効果の無視」、「非効率な意思決定」、「行動の遅さ」等であると映っています。これらの「弊害」は、市場論理、すなわち「公」の「私化(ワタクシ化)」によってこそ克服されるべきであると考えているところに越直美氏の本質があります。まことに浅慮!

  すこし勉強のできる小学生と一緒です。こうした人がマスコミへの発信力を唯一の武器に「市政刷新」を図ったのが越市政「混迷の8年」でした。ちなみに小学生が成長の過程でそうした見方をすることはある意味で自然です。大人になってもそのレベルでとどまっているところが救いがたいのです。

 こうした「思想的バックボーン」をもつ越直美氏が公務員を軽んじたり、公文書を棄損することに何の不思議もありません。越氏は「確信犯」であったというのが私の見方です。そこに「不都合な真実の隠蔽」、さらには「なりふり構わぬ保身」という強烈なバイアスがかかっていますから、白黒が明白であるはずの公文書裁判の審理がかくも長引くこととなりました。越氏は自ら法廷で思うところ、為した事がらを証言するべきです。新聞紙上で歴史修正の画策をする暇があるならば、法廷で堂々と自己主張をしてください!


<佐藤健司市長へのお願い>

 佐藤健司市長は越氏とは違い見識のある政治家です。公文書疑惑についても真相究明に力を入れると議会で言明して内部調査を実施され、越氏の公文書廃棄指示が明らかになるなど一定の前進がありました。しかし残念ながらその後の裁判での主張は後ろ向き、真実から遠ざかろうとしているかに見えます。その背景について私は色々推測していますがここでは書きません。コロナ対応をはじめ課題山積の市政を預かる身として「過去の問題はそこそこにしておきたい」と思うのも人情でしょう。とはいえ、この裁判だけは真実に基づいて正義を貫かれるようお願いをいたします。それが「公」を守り、ゆえなく不利益を被った原告の「当然の権利を回復すること」に直結します。

 私は以前このブログで、佐藤市長に何かのお願いをする立場にないと書きました。いまもそれに変わりはありませんが「中締め」に免じて一つ書かせていただきます。これは越氏に仕えた体験の反動であると自覚しています。「羹に懲りて膾を吹く」ことをご容赦ください。公務は市役所の内外において必然的に民主主義的に行われることを要します。どうか佐藤市長におかれては、市民のお声をしっかり受け止めることはもとより、職員の声も十分に聴き、集団の叡智を生かして市政を運営していただきますようお願い申し上げます。釈迦に説法ですみません。


<大津市職員の方々へ>

 越市政の負の遺産である「大津市公文書裁判」の経過にご注目ください。私の知る限りにおいて原告の主張は100%事実に基いています。しごく当たり前の主張です。この裁判では、越氏と元人事課長が市役所を舞台として行った不適切きわまりない行為の数々が問われています。過去の話ではなく未来の教訓です。

 さて、世の中に様々な職業があり全てに優劣はありません。職種を問わず真面目に働く人は等価です。そうした中、公務員は、職業として「公」に携わっていることに常に自覚的であることが大切であると思います。繰り返し述べてきたとおり、いま、新しい「公」を模索することが求められています。どうか皆さんにはお元気で、市民のために良いお仕事をしていただきたいと思います。本当に大変な時ですが、皆さんのご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。

 






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