前々回(No134)、「公共の敵が公共であるとき」という言葉をご紹介しました。引用元のブログ「あざみ日和」によると、韓国の作家、パク・ミンギュがセウォル号の沈没は事故であると同時に国家が国民を救助しなかった「事件」でもあるとしてこう語ったのだといいます。なるほどそうだったか。それが発せられた文脈や背景を超えて訴求力を持つところに言葉の妙味があると感じます。
語られた言葉は公憤の表明ですが、それを紹介した「あざみ日和」も公憤のブログであると私は考えています。書き手は女性史の在野の研究者で長年にわたり農村の女性の聞き書きや図書館活動を行ってきた人。「在野」とは文字の通りですが、世の権威や権力から距離をおいて市民の日常の場から発する言葉には力があります。「野の言葉」です。
~「ガラスの天井」には昔から有名無名多数の人々(フェミニズムを唱える人もそうでない人も)が「挑戦」し、タンカーのごとく容易に動かぬ世の中を少しずつ引っ張ってきた歴史があります~。コ氏のパフォーマンスをめぐりこのように書きましたが(No129)、「引っ張ってきた一人」としてこの人が念頭にありました。「野」については改めて考えていきたいと思います。
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