2021/03/14

137)10年前のこと

  東日本大震災の際、大津市は全国の自治体と同じように各部局の職員を被災地に派遣して復旧支援にあたりました。当時私は健康保険部長として保健師チームの派遣に携わりましたが、10年の節目に思い出すことを記します。当時も今も感じることは、国民の生命・安全にかかわる情報(特に原発関連情報)をもれなく収集、分析し、広く国民に伝えようとする政府の意思の希薄さです。

 震災まもなく、大津市は厚労省保健指導室から福島に保健師を派遣するよう要請されました。爆発した第一原発から30キロ圏内の被災者は自衛隊が救護する。保健師は30キロ圏外で被災者の健康管理活動を行ってほしいというものでした。しかし、放射性物質は風の向くままに拡散しますからこの線引きは単なる目安に過ぎません。そこを国はどう考えているのか。

 私は厚労省保健指導室長に対し、ホットスポットの有無を含めその時点で分かっている情報を提供するよう求め、汚染状況を正しく知ることが被災者および支援者の健康管理に不可欠であると訴えました。いくら待てども返事なし。代わりに行き先を石巻市に変えて派遣要請があり大津市はこれを受諾、一方で滋賀県保健所チームは当初の予定どおり福島県入りすることとなりました。

 ついで私は、京大原子炉実験所のK先生に保健師派遣にあたっての留意事項をメールでお尋ねしました。国は「ただちに健康への影響はないと考えられる」というコメントを繰り返し、引き合いに出すのは宇宙から降り注ぐ放射線の年間量やレントゲン検査の被ばく量。私はもっと過酷な現実に即した情報を求めていました。実験所の研究者グループはすでに現地調査を始め、その経過をネット配信していたのです。

 返信メールでK先生は国際放射線防護委員会のリスク推定を厳しく評価されたうえ、自身は米国の研究者J.W.Gofmanの評価が妥当だと考えるとして被災地における健康上のリスクをご説明くださいました。そして重要な支援活動を行うにあたり、可能ならば年配の職員から順に現地入りすることが適切であるとのご意見。放射線の感受性は年齢と共に大きく低下するとの理由からでした。

 こうした中、大津市保健所は保健師2名・事務職2名のユニットを編成して1回6日間(車で移動1日、現地支援3日、後続チームへの引継ぎ1日、戻り1日)の活動を行うことを決定し、震災6日目の3月17日に1次隊が出発しました。保健師のうち管理職の人々が先陣を切ってくれたので私が年齢順を唱える場面はありませんでした。出発日の早朝、佐藤副市長に続いて私もご挨拶しましたが、ヘルメット姿で並んだ4人のお顔をみて胸が詰まりました。当時は汚染情報が不足していたことに加えて余震が頻発、道路は渋滞。被災地の方々には本当に申し訳ないのですが、私は仲間を戦場に送り出すような心持ちでした。京大原子炉実験所のチームが30キロ圏外にある飯館村の高濃度汚染を確認したのが3月28日、政府発表はずっと後であったと記憶します。

 これを皮切りに保健師チームが次々に出発、他部局の応援も得てのべ百数十名が石巻市で活動しました(結果的にはすべての保健師が複数回現地入り)。私は5月中旬に派遣されたチームに加わりましたが、そのころには復旧した新幹線を利用し仙台で車に乗り換える方式になっていました。活動の内容は当初の避難所回りからスタートして被災した親せきや知人を受け入れている一般住宅、自宅にもどり浸水を免れた2階で生活を始めた世帯、仮設住宅に入居した世帯へと広がっていきました。自治体職員はみな所属する自治体名が書かれたゼッケン(ビブス)を着けていましたが、大津市などの応援組は住民の方々から感謝の言葉をいただく一方、同じように活動する疲労困憊の石巻市職員に手厳しい言葉が浴びせらることがあり、私は同じ公務員として複雑な思いにとらわれました。

 その後厚労省から派遣延長の要請があった時、私は再度問い合わせのメールをしました。震災後3か月が経過したなかで恒常的な人員不足に悩む自治体が、国家的要請である被災地支援と自らの本来業務のどちらを優先するかという厳しい選択を行うにあたり、国の延長要請はあまりに無機的で紋切り型、説明不足、熱量不足でありました。これが未曽有の災害に向き合う国の保健部局の態度か。派遣の終了と継続のはざまで悩む自治体の背中を押すような発信を国はすべきであると私は考えており、そのことを伝えようとしたのです。

 いまは昔話です。他の多くの自治体と同じように大津市の保健師チームの派遣は6月末で終了しました。もちろん厚労省からの返事はありませんでした。私は国に過大な期待をしていたのかも知れません。10年前、大震災に遭遇して国も地方も力を尽くしたはずですが反省点はいくらもあります。大津市は石巻市をいつまでお手伝いすべきであったか(他部局はまた別の都市の支援を行っていました)。それに伴う大津市民へのサービス低下はどこまで許されるのか。職員派遣の後にはどのような支援策が可能か。いまもって未解決の課題です。

国の仕事ぶりはどうであったか。特に原発関係において意図的な情報統制が行われていた(今も行われている)と感じます。知らせるべからず依らしむべしの「親心」なのでしょうか。「権力」と「隠ぺい」の親和性の強さは本質的なものであると思います。そして私が関わった厚労省保健指導室に関して言えば、全体を掌握し保健支援の今後の大きな方向性を示すという役割を十分に果たし得なかったと思います。これは今のコロナ対応に直結する問題でもあります。

(10年前、献身的に活動された大津市保健所および各部局の職員の方々に改めて敬意を表します。帰路で追突事故にあったチームもありました。公務の原点のような仕事であったと思います。そして現在のコロナ。兼務辞令をうけ掛け持ちで働いている人も多いでしょう。どうか健康にご留意いただき精励してくださいますよう!)



                              おきなぐさ

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